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2022/04/18 - いやはや
コロナで世界中が大混乱している最中に、またとんでもないことが起こった。
ロシアがウクライナに攻め込んだ。
いやはや、なんとも、である。
私にはどうしても、ロシアがウクライナに攻め込んだ理由が分からない。
識者という人たちが、テレビなどで今回の開戦に至る事情を説明しているが、どれ一つ取っても、納得出来ない。
基本的に言って、なぜ、戦争をしなければならないのか、という疑問に答えてくれる説がない。
考えてみれば、戦争とはそんな物なのかも知れない。
例えば、日本が中国を始め、アジア各国に攻め込んだその理由がよく分からない。
日本は単なる膨張慾、八紘一宇(全ての国を天皇の支配のもとに置く)という妄想に駆られてえてあれだけの侵略戦争をしたのだろうか。
朝鮮、中国、東南アジアに攻め込むことについては、八紘一宇の妄想でその行動が理解できるとして、太平洋を隔てたアメリカに宣戦布告したことについては、八紘一宇では理解できない行動だ。
八紘一宇をアメリカに妨害されたので、発狂したとしか思えない。
日本のあのアメリカ相手の戦争は理性的なものではなかった。
もっとも、戦争が理性的だったことがあるわけがないのだが。
プーチンの言うことはあまりに馬鹿げている。
ウクライナのナチスがロシア系住民を虐殺しているから、それをとめるためだという。
しかし、そのために戦争を引き起こしますか。
識者の言う所では、プーチンは旧ソ連の版図を回復したいのだそうだ。
なぜ、回復しなければならないのだ。
今のままで何か不自由があるのか。
戦争を引き起こしてまで版図を回復しなければならない理由があるのか。
ロシアがウクライナに侵攻して1ヶ月以上経って、ロシアがウクライナで何をしたのか、ウクライナの惨状が、次々に明らかになり、テレビで報道される。
その惨状たるや、言葉もない。
あれがロシアのやり方なのだ。
チェチェン、シリア、でロシア軍は都市を徹底的に破壊した。
軍事目標だけでなく、民間の施設も攻撃した。
軍事施設しか攻撃しないなどとロシアをうそぶくが、そもそも、ロシアの目的は相手の抵抗意欲をそぐことにある。
そのためには、民間の犠牲が多ければ多いほど、効果的だと言うことをロシアはよく知っている。
最初から、民間の犠牲者をできるだけ多く出すことを目的としているのだ。
住む環境を破壊され、肉親を殺され、自分も傷つくと、大抵の人は抵抗する気力を失う。
その、抵抗する気力を奪うのがロシアの常套手段なのだ。
ロシアと言うより、プーチンのやり方だ。
ロシア国内をプーチンは暴力で押えつけている。
ロシア政府、プーチンに批判的なジャーナリストは殆ど皆殺された。
弾圧などと言う生やさしいものではない。
反対すれば殺すのだ。
それを見せつけられて怯えた国民は、反対する意欲を失って、プーチンの言うなりになっている。
それがプーチンのやり方だし、プーチンの支配するロシアという国のやり方だ。
今の所ロシアは攻撃目標を達成することが出来ず、一旦キーウ周辺から引き揚げて、東部攻略に集中するようだ。
今日現在、激しい攻撃が行われているだろう。
なんと言っても、ロシアはアメリカ、中国と並ぶ軍事大国だ。
本気を出せば、ウクライナを蹂躙出来ないわけがない。
これから、私達は今まで以上の惨状を見せつけられるに違いない。
このロシアの暴挙を見るにつけ気になることがある。
2つの漫画を見て頂きたい。
最初の1つは、朝日新聞の夕刊に連載している、しりあがり寿氏の「地球防衛家のヒトビト」だ。
この「地球防衛家のヒトビト」は不思議な漫画で、登場人物がSF映画の地球防衛隊の隊員(そんなものがあればだが)の制服を着ている。
ところがその制服で「ヒトビト」は極日常的な生活を営んでいる。
お父さんも娘も会社勤めだし、子供は学校に通っているし、お母さんは家庭の主婦だ。
日常の何と言う事のない滑稽な場面や、社会問題・政治問題の風刺が、地球防衛隊の制服を着たヒトビトによって描かれる。
のんびりほのぼのしているようで、鋭く厳しい内容で迫って来たりするので油断がならない。
その3月1日掲載の分を見て頂きたい。
(画像はクリックすると大きくなります)
次は、以前に何度か紹介させて頂いた、週刊朝日連載の山科けいすけ氏の「パパはなんだかわからない」だ。
4月8日号に掲載されたのを見て頂きたい。
(画像はクリックすると大きくなります)
この二つの漫画に共通しているのは、習近平とプーチンの関係だ。
プーチンがウクライナに攻め込んだのを見た習近平が、「それがありなら、こちらも」とその気になるのではないか、というわけだ。
漫画というものは力がある。何十行も言説を重ねるより、4コマ、1ページの漫画の方が説得力がある。
実に見事な漫画だと思う。
中国は、勝手に自国に取り込んだ、チベット、ウィグル、内モンゴルをジェノサイドと批判されるやり方で、その地の人びとを暴力で屈服させている。
更に習近平は台湾を支配下に置くと広言している。
現在の台湾の人びとは、今の状況で大変に満足している。
それを、どうして習近平は当然のこととでも言うように、台湾を中国の支配下に置く、と言うのか。
台湾は日清戦争の後に、日本が占領した。
元々中国の領土だったのだから、中国が支配する、というのが習近平の論理だろう。
しかし、台湾の人たちはどう考えているか。
第二次大戦後に、共産党に敗北して台湾に逃げ込んできた、蒋介石の率いる国民党が長い間台湾を支配してきたが、1900年代の李登輝による民主化の後、国民党支配の時代が終わり、現在台湾は民主国家として繁栄している。
あっという間に中国の圧制下に入った今の香港の姿を見れば、台湾の人たちが、中国の共産党による圧制という政治体制に入りたいと思うはずがない。
ロシアと中国に共通しているのは、民主主義を知らないことである。
ロシアでは長い間帝政の時代が続いた。
ロシア革命で帝政から共産主義の世界になった。
ソビエト連邦は共産党一党独裁の政治体制だった。
レーニン、スターリン、ブルガーニンと続くソ連の政治体制は民主主義とは無縁のもので、共産党書記長が実質的帝政ロシアの時代のツアーと同じように人民の上に君臨し、人民を支配していた。
エリツィンによって、ソ連邦は崩壊し、選挙で大統領を選ぶロシア連邦に移行して、一見民主主義体制に移行したかと思われたが、エリツィンの後大統領になったプーチンは自分に反対するものは殺すという凶悪な手法でツアーより遙かに強力で凶暴な独裁者になった。
ロシア人にとっては、そのような強権を持つ支配者を戴く生き方が身に染みついているに違いない。
今のロシアは帝政時代を凌ぐ、恐怖による圧制下にあると言えるだろう。
その方がロシア人は生きやすいのだ、といったら言い過ぎだろうか。
ただ、そのような圧制になれてしまっているのだとは言えるだろう。
中国人も4千年以上の皇帝による支配の下に生き続けてくると、自分たちで指導者を選ぶ民主主義的な生き方は返って不安であり、強圧的な独裁権力によって支配される世の中の法が生きやすいのかも知れない。
私は四年ほど前に久しぶりに中国に行った。
わずか十年で中国はその姿を激しく変える。
上海は大変に繁栄する大都会だった。
上海から、観光で東京に来た上海人が、銀座の町にやってきて
「なんでこんな田舎に連れて来たんだ」
と怒りだしたそうである。
確かに、今の上海から見れば、銀座は貧相な町である。
その上海で、そして、その後に行った西安でも見たことだが、夜になると、人びとが町の広場に集まってきて、踊るのだ。
バイクにアンプとスピーカーを積んで持って来て、それで音楽をかける。
聞いたことのない中国の音楽で、それに合わせて、人びとが踊る。
私が見たのは主に中年以上の男女だった。
その男女が、実に楽しげに、踊るのだ。
上海でも西安でも毎日踊る人たちの姿を見た。
休日には昼間に公園で踊るという。
私はその人たちの姿を見ていて、これは、「鼓腹撃壌」なのだろうかと真剣に考えた。
「鼓腹撃壌」とは、中国の史書「十八史略」に書かれていることで、人民は政治に満足すると、腹鼓を打ち(鼓腹)、地面を踏み鳴らして(撃攘)喜ぶ、という。
まさに踊っている人びとは、身なりも良く、健康そうで、如何にも満ち足りているという感じである。
これが鼓腹撃壌の人びとの姿なのか、と私は思った。
中国に言論の自由がないのは良く知られている事実だ。
共産党の批判は犯罪になる。
天安門事件については全てがなかったことにされている。
1989年6月9日に起こったことなので、89や69と言う数字を書かれていただけで問題になるという。
反体制的な言辞を弄したジャーナリスト、辯護士は投獄されてしまう。
ネットは全て検閲されているし、個人情報は全て国が管理していて、監視カメラも全土にくまなく配置されているから、ある1人の人間を捕まえようと思ったら、中国全土どこにいても6分か9分で捕まえることが出来るという。
まるで、中国全土が開放型の監獄のようなものである。
個人の自由も、言論の自由もない。
事業を興して富豪になっても、政府の考え方次第で、金も地位も危うくなる。
そんな国に、私は絶対に住むのは嫌だと思うが、圧制の元で生きることが4千年以上続いて、体の奥底にまで、従うことがすり込まれてしまっている中国人は、権力にさえ逆らわなかったら、とりあえず安楽な生活が出来るという状況で満足してしまうのだろうか。
清朝が崩壊した後、混乱期を経て毛沢東の中国共産党が政権を握った。
中国人は今までに民主的な政治というものを経験したことがない。
大半の中国人は、民主主義とか、個人の人権とか、個人の自由などと言うことは考えたこともないのだろう。
だから、私から見れば開放的監獄のような生活にも、衣食さえ足りていれば満足するのだろう。
私は、踊る中国人たちを見てそう思った。
習近平は「くまのプーさん」に似ていると言われるのがいやなのだそうだ。
そこで、中国では、「くまのプーさん」は禁句となっている。
まさか習近平自身が命じたわけではあるまい、周囲の取り巻きが忖度しての事なのだろう。
習近平、なんというちっぽけな人間であることか。
80パーセント以上の国民がプーチンを支持するロシア。
国民が1人残らず習近平に従う中国。
この二つの国が、巨大な武力を持っていることが恐ろしい。
そして、その二つの国の指導者が、領土拡張の意欲を強く持っていることが恐ろしい。
プーチンの凶行をとめる人間がロシアにはいない。
習近平の、チベット、内モンゴル、ウィグルにおける残虐行為をとめる人間が中国にはいない。
習近平が台湾を攻撃すると言えば、中国人は歓呼の声を挙げるだろう。
まさか、21世紀になって、こんな戦争が起きるとは夢にも思わなかった。
一体どうすれば良いのか、世界中の人間が、答えを見つけられず、オロオロしているように見える。
私も途方に暮れている。
(お断り)しりあがり寿さま、山科けいすけさま、
無断で漫画を使わせて頂きました。申し訳ないことです。
ご迷惑であれば、このサイトの、管理人宛に、メールを下さい。
直ちに取り下げます。
2022/02/02 - 挫折
2回にわたって、「余は如何にしてLock Lownを切り抜けしか」、などど書いて来たのだが、昨年末から、オミクロンカブのコロナ・ウィルスがオーストラリアで猖獗を極めるようになって、Lock Downを切り抜けたなどと浮かれていられなくなった。
1月31日現在、まだ、Lock Downには突入していないが、今の状況は大変に悪く、予断を許さない。
で、残念ながら、 「余は如何にしてLock Downを切り抜けしか」、は中断することにした。
「美食」については、この後、シドニーの魚、オーストラリアのトリュフ、ベランダ栽培のイチゴ、ベランダ栽培のレタスなど、色々と良いネタをそろえてあるのに、残念。
オーストラリアのトリュフの素晴らしさについては、また日を改めて報告します。
オミクロン株は、デルタ株より重症化する率が低いなどと言われてもいるが、なかなかそう簡単にはいかないようだ。
さらに、デルタ株変異種というのが出現したとも言われている。
このデルタ株変異種は、重症化率が高いそうで、聞いただけで憂鬱になってしまう。
一体、このまま行くと、人類はどうなるのか。
このまま続けていくと、経済活動も、社会活動も、何も出来ないままになってしまう。
もうこうなると、コロナもちょっとたちの悪いインフルエンザとして扱って、社会活動は旧に復するしかない、という人もいる。
人によっては、もう諦めて、全ての活動を以前に戻して、コロナにかかったらその都度治療することにすれば良い、と言う。
考えてみれば、このコロナとインフルエンザとどちらが被害は大きいのだろうか。
ただ、私のように後期高齢者は、(いや私なんか後期高齢者を通り越して、終期高齢者だが)、はコロナにかかると重症化率が高く、死亡率も高いと言う。
(しかし、それは、インフルエンザでも同じ率なのではないだろうか。)
私はそれを心配して、家に引きこもり続けている。
小学校の同級生の女性がこんなことを言ってきた。
「私達はもう残された時間が短いというのに、どこにも行けず、何も出来ずに家に閉じ込められている。こんなの、大変な人生の無駄だ」
まさにその通り。
若い人はまだ先があるからいいけれど、後期高齢者、終期高齢者となると、まさに今のこの時間が貴重なのに、何も出来ずに家に閉じ込められているのは実に残念だ。
こんな時に、テニスのオーストラリア・オープンが開かれた。
そこに、セルビアのジョコビッチがやってきた。
既に旧聞に属する話だが、書いておきたい。
ジョコビッチは反ワクチン派なのだという。
オーストラリアの法律では、オーストラリアに入国するのに、ワクチン接種の証明書が必要である。
それが、ジョコビッチは12月16日に陽性になって、今は陰性、抗体が出来ているからいいだろうと主張した。
オーストラリアの裁判所は一旦、特別扱いで入国を許した。
しかし、そう簡単にはいかない。
ジョコビッチ側の問題が色々発覚した。
陽性になったと言っているのに、その間にもよおし物などに色々参加していた。
オーストラリアの入国申告書類に、直近2週間海外に行ったことがない、と申告したのに、実際はスペインなどに出掛けていた。
入国申告書に虚偽の記載をすると、懲役が科されて、向こう三年間入国禁止となる決まりがある。
世論は反撥した。
オーストラリア政府の移民相ホークは裁判所の決定を取り消し、ジョコビッチを強制送還、向こう三年間のオーストラリア入国禁止処分にした。
と書くと簡単なのだが、殆ど一週間、オーストラリアでは、このジョコビッチ問題で大騒ぎになった。
オーストラリアにも反ワクチン派の人たちはいて、彼らはジョコビッチの件を反ワクチン派のために利用しようとして、ジョコビッチの入国を許可しろと騒いだ。
セルビアの大統領まで出て来て、オーストラリアの首相にジョコビッチを入国させろと迫った。
私達オーストラリア国内でこの二年間、コロナとの戦いで厳しい生活を送ってきた人間にとって、呆れるばかりの馬鹿馬鹿しい騒ぎだった。
事実、調査の結果、オーストラリア人の83パーセントがジョコビッチの入国に反対した。
オーストラリア政府は2020年に海外渡航禁止令を出して、それ以来オーストラリアの住民は海外に出られなかった。
昨年11月にそれが解けて、私の長女が1月に私の母の見舞いに日本へ行ってきた。
私の母は高齢で、弱ってきているので、長女は見舞いに行ってきたのである。
で、帰りのオーストラリアに向かう飛行機には、ワクチン接種の証明書と、PCR検査の陰性証明書がないと乗れなかった。
これは誰にでも適用される法的な措置である。
法の下で万人公平でなければ公正な社会とは言えない。
そもそも、反ワクチン派でワクチンを打っていないジョコビッチはオーストラリアに向かう飛行機に乗ることは出来ないはずだったのではないか。
飛行機に乗ることが出来たと言うことがまず問題だ。
さらに、オーストラリアに入国して、どういう事情か、オーストラリアの裁判所がジョコビッチの入国を認めたことが問題だ。
しかし、過ちは直ちにただされるのがオーストラリアという国の良い所だ。
日本のようにアヘ・ヒンソーが国会で何度も嘘をついても許される腐りきった国とは違う。
結果的に過ちは正された。
その渦中で、ジョコビッチは、次のように言った。
オーストラリア・オープンに出るのは、「最高峰の選手による最高峰の試合を見せたいからだ」
これを新聞で読んで、私は上品に言えば、憤った。
私流に言えば、「ざけんなあっ、最高峰の選手ならオーストラリアの社会を破壊してもいいのかっ!」と喚いた。
ジョコビッチが入国を許されてオーストラリアオープンに出場するということは、まず第一に、「ワクチンを打っていない人間は入国を許されない」というオーストラリアの法律を破ることになる。
ある1人の人間に対して法律を破ることを許したら、「法の下に万民が平等」という民主主義の根幹を犯すことになり、オーストラリアの国の社会は壊れてしまう。
更に、ワクチンを打っていないジョコビッチはオーストラリアの国民をコロナに感染させる恐れがある。
となると、ジョコビッチの入国を許すと、
1)オーストラリアの社会を破壊する。
2)オーストラリア国民をコロナに感染させる恐れがある。
という、二つの過ちを犯すことになる。
「最高峰の選手」「最高峰の試合」は、オーストラリアの社会を破壊し、オーストラリア国民の健康を危機に陥れる、
テニスは、一国の社会を破壊し、その国の国民の健康を破壊してまで有り難がる物なのか。
私は最近の、スポーツ選手の特権化はすさまじい物があると思う。
それについて語りだすと本一冊になる。
今そこまで語る余裕がないので、昔のことを一つ話して終わりにしたいと思う。
長嶋選手が日本国民みんなに英雄として崇められていた頃のことだ。
1960年代の東大の教養学部で、城塚登教授の「社会思想史」の講義が学生たちに人気があった。
駒場の900番教室という、大きな階段式の教室で、「社会思想史」は文化理科共通の科目とされていて、受講する学生の数も多かった。
城塚登教授は黒澤明監督の映画「羅生門」に出て来た俳優森雅之に似た好男子で颯爽とした身なりで、しかも、社会思想について語る語り口が鋭く歯切れが良いので大変に人気があった。
教室と言うより講堂と言う方がふさわしい900番教室がいつも受講する学生たちで一杯になった。
ある朝、それは、「価値」という物についての講義だったと思うが、城塚登教授は、こう語った。
「1人の男に棒を持って立たせて、ボールを投げてやったところ、3割くらい的確に打ち返すとその男は巨額の金を得る」
これが、長嶋選手のことを言っているのだと学生たちは気がついて、笑いがはじけて、殺風景な900番教室がいっとき明るくなった。
人間には見方によって様々な価値が有るが、商品としての価値という物もある。
野球が大衆的な人気を博している社会では、ボールを三割の確率で打ち返すとスターになり、破格の給料、広告のモデルとしての破格の収入、を得られる。
野球選手の価値は、商品価値に換算しうる。と言うか、商品価値で計られる。
商品価値という物は普遍的な価値ではない。
野球に人気がない社会では、価値がない。
人間の生き死にに関わる価値はない。
端的に言えば、人間存在の根底に関わる絶対的な価値ではない。
こう言う見方には異論があるだろうが、人間の本当の価値とは何なのか、と言うことについて考える,とっかかりにはなった。
私はジョコビッチ騒ぎをみていて、皆、ジョコビッチの商品価値に振り回されていると思った。
2021/12/24 - 余は如何にしてLock Downを切り抜けしか その2
余は如何にして、Lock Downを切り抜けしか その2
美食の1
シドニーのロックダウンは厳しくて、レストランは全て閉まった。
私はそんなに頻繁に外食をする訳ではないが、月に一度か二度、小龍包や、ラーメンを食べに行ったりする。
小龍包は、中華料理であるから、化学調味料がたっぷり入っている。
小籠包を食べた後は、舌が痺れる。
それは辛いのだが、小龍包自体のうまさがあるので、化学調味料がきついのにも拘わらず、食べに行く。
娘達は、「お父さん、本当は化学調味料好きなんじゃないの」などと、言って私をからかう。
で、小籠包を食べに行くことを、私の家では、「化学を食べに行く」と言うことになってしまった。
その「化学」もロックダウンになってしまうと、食べに行くことは出来ない。
同じ化学の「ラーメン」も食べに行けない。
美味しい物は自分の家で、という私の家での決まりを守ることになってしまう。
で、このロックダウンの間、せっせと自分の家で美味しい物を探して食べることに精を出した。
イチジク
まずイチジクである。
私は日本にいる時には、殆どイチジクを食べたことがない。
子供の時に、裏庭にイチジクの木が生えていた。
その家の前の持ち主が植えたのだろう。
実の色は青く、食べても少しも美味しくなかった。
イチジクは美味しくない物だという先入観が出来上がった。
しかし、よその家に行くと、紫色のイチジクがなっているのを見ることがあった。その紫色のイチジクは甘いので、大変にうらやましく思ったのを憶えている。
シドニーでは、季節になるとスーパーやマーケットに、イチジクが大量に現れる。
何度か買って食べてみたが、格別の印象はなかった。
イチジクは長い間、私の意識の表面から消えていた。
ところが、三年ほど前に、近くのスーパーで緑色のイチジクを買って食べたところ、これが、アッと驚く美味しさ。
慌てて、買い足しに行った所、既に売り切れ。
あの時の残念な気持ちは忘れられない。
ところが、それから数日後、別のマーケットで、やはり緑色のイチジクを売っていたので、買った。
それが、また大当たり。
概観は緑色だが、実を割ってみると、中は赤紫色で、蜜がたっぷり溢れている。
ねっとりとした舌触りで,実に官能的だ。
実の中に蜜がたっぷり溢れているイチジクなんてそれまで食べたことがなかったから、驚くやら、興奮するやらで大変だった。
果物に共通のエステルの香りはないが、一般の果物とは別の種類の香りがする。
そして、とにかく甘い。
その甘さが、しみじみとした甘さで、華やかでもすがすがしい感じでもないのだが、激しく蠱惑的である。
何か、心の深い所に突き刺さってくる味である。
こりゃあ、シドニーで本気でイチジクを探さないといけないと言うことになった。
長男が、ネットで調べると、私の家から1時間ちょっとの所に、いくつかイチジク農場があることを発見した。
よし、行ってみようと、私と妻と長男の三人で遠征に出かけた。
いくつか当たって見た。
道ばたに出ている店で大きな紫色のイチジクを買った。
大きな家の門を入ると、家の母屋の前に小さな小屋のような家があった。
昔は使用人などが住んでいたのかも知れない。
その小さな家に、そこの家の主人の母親という、70代後半の女性が住んでいて、その女性が育てたイチジクを売っていた。緑色のイチジクがあった。
老女は、リトアニアからやってきたと言った。英語が不十分だった。
また、フランクという名前の男が経営するおおきなイチジク専門の農場があった。
そこでは、紫色のイチジクを買った。
結果としては、大きなイチジクは美味しくなかった。
老女のイチジクは美味しかった。
しかし、次の週に行ったらその家の門は閉まっていて、老女に会うことは出来なかった。
1月後にも扉は閉まったままだった。
その後、その扉を開かず仕舞い。老女にも会えず仕舞いになった。
ヨーロッパからオーストラリアにやってくる人の中には複雑な過去を持った人がいる。なにやら、スパイ小説など思い出させる老女の雰囲気だった。
フランクの農場のイチジクは、紫色の種類で、これは大変に美味しい。
シドニーのイチジクの季節は、12月末から1月一杯までだ。
正確に言えば、1月半もない。
その短い季節に私は3度か4度フランクの農場に行った。
フランクとはすっかり仲良くなって、彼の農場のイチジクをプリントしたTシャツを貰ったりした。
私はフランクのイチジクに深く満足した。
自分がイチジクの魅力にとりつかれて、イチジクについて考えてみると、イチジクに対して私のように深く魅入られる人間はそんなに多くないと言うことに気がついた。
たしかに、香り、甘さ、食感、見た目などから考えると、イチジクは陰気な果物である。
隠果ともいえる。
イチゴの清純極まりない美しさ、愛らしさ、マンゴーの太陽の授かり物と言いたくなるような明るい豊かさ、膨らみのある甘さ、かぶりついたときのあの気持ちの良い触感と言う物とは無縁だ。
緑色のものはともかく、紫色のイチジクは、美しいとは言えない。
隠微な感じがする。
形状も、何やら怪しい。
食べるのにも、普通パックリ二つに割って、中身をあらわにしてしまう。
そのあらわになった中身というのが、鮮やかな赤紫色で、しかもねっとりとした蜜が果肉を包み溢れている。
実に妖しい感じを受ける。
妖果と言いたくなる。
むう、イチジクは美味しいだけでなく、妖しく人の心を誘う果物だったのだ。
さあ、もうじき1月だ。
イチジクの季節だ。
胸が躍る。
私がLock Downをしのいで来るのに、力になった物の一つが、このいちじくだったのだ。
美食篇まだまだあります、美食篇2に続きます。
あ、ここでお詫びを。
前回、Lineは動画がすぐ消えると言って、それがLineのけち臭い仕様のように書いてしまいましたが、友人からすぐに連絡があり、Lineも保存手続きを取れば、動画を保存できると言うことでした。
Lineを利用している皆さんと、Line本社にお詫びします。
2021/11/20 - 余は如何にしてLock Down を切り抜けしか
その1 「孫娘」
シドニーのあるニューサウスウェールズ州は、去年から厳しいロック・ダウンを敷いた。
自宅から、5キロメートル以遠に出てはいけない。
買い物も生活に必要なものだけが許されて、しかも、買い物に出掛けて良いのは1家族から1人だけ、五人以上人間が集まってはいけない、レストラン、パブ、などは営業禁止、スーパや食品店の入り口にはQRコードの登録証が掲げられていて、店に入る人はスマートフォンでそのQRコードをスキャンして、店に入った時間と、店から出た時間を州政府に申告しなければならない、などなど、厳しい規則が並んでいた。
その、ロック・ダウンが、10月末に解けて、11月1日から、海外渡航禁止令も解けた。
レストランも営業を再開して、人々はようやく息をつけるようになった。
しかし、この間に、30年近く大事にしてきた中華街の中華レストランが店を閉めてしまった。
これから、中華料理をどこで食べたら良いのか、私達は途方に暮れている。
ロック・ダウンは実に厳しかった。
どこにも出掛けることが出来ないので、息がつまりそうになった。
音楽会も、美術展覧会も、映画館も、全てクローズ、旅行も出来ない、釣りに出掛けることも出来ない、今まで普通にしていた生活が全てできない。
警察や、取り締まり当局の目は鋭く、うっかりするとひどい罰を食らう。
婚約パーティーを50人の人間を集めて開いた人たちが、日本円にして総額3000万円の罰金をかけられた例もある。
日本のように外出を野放しにするのとは大違いの厳しさなのだ。
ここまで締め付けられると、精神的に参ってしまう。実際にそのような人の話は色々と聞いた。
私も牢獄に閉じ込められたような思いで日々を過ごしてきた。
実に、苦しい陰鬱な日々だった。
一体この無残な日々を私は如何に生き抜いてきたか。
その報告を書いていく。
今回はその報告第一である。
2020年の6月に長男夫婦の間に女の子が生まれた。
私達夫婦にとっては初孫である。
孫は可愛いと聞いていたが、いやはや、こんなに可愛いとは思わなかった。
10年以上前になるだろうか、池上遼一さんが小学館の漫画賞を受賞して、その受賞祝賀パーティーに私も招かれた。
パーティーには池上さんの奥様と娘さんも出席していた。
娘さんは赤ちゃんを抱いていた。
池上さんにとっては初孫である。
池上さんがその赤ちゃんを「おう、おう」などと言って抱いたので、私は尋ねた。
「ねえ、孫って可愛い?」
すると池上さんは赤ちゃんをあやしながら、とろけるような顔で言った、「もう、可愛くて、可愛くて」
私は大変にうらやましく思った。
「いいなあ」と、池上さんのその幸せそうな顔を見てつくづくそう思った。
ところが、ついに、私にもその番が回ってきたんですよ。
いやはや、参った。
もう、池上さんどころではない。
可愛くて、可愛くて、他に言い様がない。
その可愛さには抵抗するすべがない。
生まれて初めてその顔を見た時に、「ああーっ」と私は思わず声をあげた。
私たち夫婦が初めて子供を授かったあの日のことを思い出したのだ。
私達は最初に男の子と女の子の双子を授かった。
その時の爆発するような喜びと言ったらそれまでの人生で味わったことの無いものだった。
宝くじの特賞が千回分まとめて当たってもあんなに嬉しくないだろう。
私はそれまで、無頼にして放埒な生き方を良しとしていた。
「あれが体にいい、これが体に悪いなんて言ったって、生きること自体が体に悪いんだ。あれもこれも、したいことをしたいようにすれば良い。飲みたいものを飲みたいだけ飲み、食べたいものを食べたいだけ食べれば良い。死ぬ時ゃ、死ぬ」などとうそぶいていた。
しかし、二人の顔を見た途端、「この子たちを何とか無事に健康に幸せに育てなければならない。それにはまず私達が健康でなければならない」という思いがこみ上げてきて、私はそれまでの生活態度を一変した。
孫の顔を見て、その時のことを思い出した。
自分の子供の場合、ただ可愛いではすまない。
私の性格なんだろうが、心配で心配でたまらない。
男の子と女の子を両方育ててみれば分かるが、男の子の方が弱い。
下痢をしたり、熱を出したりするのはいつも長男の方だ。
母親というのは大したもので、少しばかり子供が熱を出しても平然としている。
「すぐ治るわよ」
私はそうは行かない、今にもこの子は死んでしまうんじゃないかと怯えて震え上がる。
日曜日の夜中に、市の幼児専門の病院に担ぎ込んだのは一度や二度では済まない。
しかし、孫の場合、そんなことは長男夫婦に任せておけば良い。
私はただ、可愛い、可愛いと、とろけていれば良いのだ。
全く、「ラッキー」ですよ。
長男が陶芸家であって、ろくろも窯も私の家に据えてあるので、長男は私の家を離れるのは難しく、結果的に長男夫婦は私の家に同居している。
おかげで、毎日孫の顔を見ることが出来て、私は大変に幸せだ。
友人たちの話を聞くと、小学校二年生の時からの友人もやはり長女夫婦が一緒に住んでくれているので、孫と毎日会えて幸せだと言っているが、それは全く例外で、大抵は息子や娘の夫の仕事の都合で実家から離れた所に住まざるを得なくなる事が多く、同居するのは無理であることが多い。
その点私は運が良い。
毎日孫と一緒にいられて、こんなにありがたいことはない。
生まれてから毎日孫を見ては、可愛い、可愛いという。
一体一日に何回可愛いと言うのだろう。
首が据わった、寝返りが出来た、腹ばいになれた、腹ばいになって首を上げることが出来た、お座りが出来た、はいはいが出来た、立った、歩いた、走った。
その一つ一つの節目が、私達にはこの世の一大事。
毎日孫の一挙手一投足に私達は引きつけられて、ちょっとしたことで喜んで笑う。
家中、孫を中心として笑いのトルネードだ。
私は四人の子持ちで、男二人、女二人、上手い具合にそろった。
で、当然のことながら、男であろうと女であろうと子供の可愛さには変わりはない。
だが、女の子は抱いた感じが男の子とは全然違う。
柔らかいのだ。
これは、最初に男の子と女の子を同時に持てたので、比較することも出来てよく分かった。
女の子はほわーっと柔らかく、男の子はゴツゴツ骨張った感じがする。
もし子供を1人しか持てないのだったら、私は絶対に女の子を選ぶ。
で、この初孫が女の子なので、私としては大変に嬉しい。
孫娘を膝に抱いていると、その柔らかな感触と、体中から立ち昇る赤ちゃんの匂いに恍惚として「ああ、なんて可愛いんだ」と余りの幸福感に胸が痛くなる。
海原雄山が山岡とゆう子の赤ん坊を抱えてこんなことを言っている。
「赤ん坊は不思議な力を持っている。人の心を清らかにする」
雄山の言や良し、だ。
長男夫婦はもう一人男の子を作ると頑張っていたが、実際に子供が生まれてみると、子育ての大変さを身にしみて、もう一人作る気力を維持することが出来るかどうか、私は面白がって見守っている。
私が如何にジジ馬鹿かを示す物の一つに、iPhoneに撮りためた写真と動画がある。
iPhoneの「写真」を開くと、11月19日現在で、写真が3,541枚、動画が1,839本の動画、と記録されている。
3,541枚の写真の内、3,200枚が孫娘の写真、1,839本の動画のうち、1,600本が孫の動画である。
私は長い間スマートフォンを使わなかったが、孫娘が生まれてから手放せなくなった。
いつでも、孫娘の写真と動画を撮りたいからだ。
更に、このジジ馬鹿のひどい所は、撮った写真と動画をやたらと人に送りつけることだ。
私の姉弟、子供たち、サンディエゴの親戚、小学校の同級生、昔からの友人、尊敬するマンガ家、仕事で協力してくれたライター、など、みんなの迷惑を顧みず手当たり次第送っている。
そのためには、WhatsAppが1番良い。
小学校の同級生の1人が、Lineしか入っていないというので、私も急遽Lineに入ってみた。
しかし、Lineでやりとりした動画は10日もすると消えてしまうのだ。
これは、おどろくべきけち臭さだ。
Lineは韓国製のアプリでそれを日本向けにした物を我々日本人は使っているのだが、このけち臭さはどうしたことだろう。
韓国人は気前が良いので有名だ。
すると、これは日本人の島国根性のけち臭さのゆえなのかね。
WhatsAppはそんなことはない。一年以上前の動画もちゃんと残っていて楽しめる。
とまあ,こんな具合に、孫娘を可愛い、可愛いといって、毎日を過ごしています。
人生も終わりというこの時期に当たって、孫娘が大変な幸せを抱えてやってきた。有り難い、有り難い。
私がLock Downを切り抜けることが出来たのは、まず孫娘の存在に寄る所が大きいのだ。
(その二「美食三昧」につづく)
2021/10/28 - 言い訳
言い訳
今年に入ってから、このページの更改の回数が少なくなっているので、雁屋哲はどこか悪いのではないか、老衰し果ててコンピューターに向かうことも出来ないのではないか、などとあらぬ心配を読者の皆様にお掛けしているのではないかと恐れている。
いや、実際に、どうしたんですか、などというメールも頂戴したので、ちょっと弁解しておきたい。
実は、コロナによって、対外活動が一切封じられてしまい、毎日家に閉じこもってばかりの生活を続けているうちに、そうだ、この際新しい事業に取り組もうと決意したのだ。
で、この2年近く、老体にムチ打ち新たな事業に全力を打ち込んでいる。
私は何か始めると、他のことが頭からすっぽり抜けてしまうという性格なので、このページに手が回らなくなってしまったのだ。
その事業とは一体何か、い、ひ、ひ、ひ・・・・
今はちょっと言えませんね。
来年3月過ぎたらその事業が実を結ぶかどうか明らかになると思う。
上手く行くとわかったら、ご報告します。
駄目であれば、そのまま頬かむりです。
頬かむりを、はらりと落として、実は、と言いたいですね。
しかし、私にとってこのページにものを書くというのは大事なので、新しい事業の傍らもっと頻繁に書くことにします。
今回は、その言い訳と言うことで。
2021/07/31 - 一つの事実
コロナについての一つの単純な、データを、ここに示す。
東京都とオーストラリアのニューサウスウェールズ州との比較である。
人口、
東京 1400万人
ニューサウスウェールズ州 約817万人
2021年7月29日のコロナ関係のデータ。
◎検査者数
東京 11,228人
ニューサウスウェールズ州 95,446人
◎感染者数。
東京 3,865人
ニューサウスウェールズ州 170人
◎検査費用
東京 33,000円+診断書代5,000円(私的検査の場合)
ニューサウスウェールズ州 無料
このデータを見て、どのように感じるだろうか。
東京都のやり方に、怒りと絶望を感じるのは私だけだろうか。
大雑把に言うとこうなる、
2021年7月29日に人口816万人のニューサウスウェールズ州で、9万5千人が検査を受けた所、陽性者数は170人だった。
同じ日に人口1400万人の東京都では、1万1千人が検査を受けた所、陽性者数は3千900人だった。
ニューサウスウェールズ州の陽性率0.18パーセント、
東京都の陽性率34.26パーセント。
この事実に心が折れるのは私だけではあるまい。
ニューサウスウェールズ州の場合、今まで通りの政策を続けていけば、コロナを抑えることが出来るだろう。
しかし、東京では検査した人間の34.26パーセント、3割以上の人間が陽性だった。
これを全体に当て嵌めてみると、東京の人間の3分の1以上はすでにコロナに感染している。
この人たちは、周りの人たちを感染させるだろう。
3分の1が陽性であれば、感染の広がる速度は速いだろう。押さえようがない。
こうなったら、何をしようとも、もはや手遅れではないか。
伝染病に対する政策の、歴史的な失敗が今私の目の前で繰り広げられているのだ。
こうなった大きな原因の一つは、コロナの検査のやり方にある。
日本では、自主検査を受けるのに、3万3千円かかる。さらに、それに診断書が5千5百円かかる。
合わせて、3万8千5百円だ。
さらに、去年まではどこで検査を受けられるのか、保健所に問い合わせても返事を得られるのに時間がかかったし、検査を実施している病院の数が少なかった。
厚生労働省の方針は、検査を受けさせない、と言うことにあったことがわかっている。
今年になって事態が改善されたかどうかわからない。
今、日本は中国・韓国はもとより、他のアジア各国に比べても貧困の度合いが進んでいる。
日本に観光客が沢山来ると言って喜んでいる人が多いが、なぜそんなに多くの観光客が来るのか、その真実を知ろうとする人は少ない。
日本に観光客が、アジアからも大勢来るのは、日本が貧乏国になって物価が安くなったからだ。
今、外国では「日本の物価は安い」と評価されている。ツーリストにとって天国だなどとも言われている。
例えば、マクドナルドのハンバーガー、のビッグマックの値段を各国で比較したデータがある(英国・エコノミスト)
それによると、
日本390円
アメリカ620円
スイス790円
日本とスイスでは、2倍の開きがある。
これほど、日本の貧困化は進んでいるのだ。
観光客が多い=日本は貧乏
だと思って間違いはない。
こんな日本に誰がした。
貧乏な日本国の給与所得者の給与の平均は月28万円である。
28万円の中から、3万8千5百円、出せますか。
家族がいればその分も、3万8千5百円かかる。二人家族で、77,000円だ。
28万円の中から77,000円出せますか。
出せるわけないだろーっ! コノ、ドチキショーメガァーッ!
要するに、国も東京都も、伝染病対策の基本である、感染者数の把握をわざと怠ってきているのだ。
感染者数の実態を把握せずに、どんな対策が打てるというのか。
テレビに出て、ああだこうだと全く無意味な言葉を吐き続けている専門家とかいう手合いに聞いてみたい。
ああ、聞いた所で、また無意味な一般論をゴニョゴニョ言うだけだろうが。
この、伝染病対策の基本である感染者数の把握を避けたのはなぜか。
それは、ただ一つ、オリンピックだ。
アヘ・ヒンソーはIOCの大会で、福島第一原発事故の後の日本の放射能汚染の問題について、「全く問題ない。安全だ,完全にとじこめた」などと大嘘をついた。
IOCも自発的にアヘ・ヒンソーの嘘に乗って、東京でオリンピックが開かれることになった。
オリンピックを開くことで、アヘ・ヒンソーとその一味にとってはよほど美味しいことがあるらしい。
アヘ・ヒンソーは大嘘をついて招致したオリンピックを、何としてでも成功させたい一心で、コロナが最初に発生したときに、日本は安全、オリンピックを開いても安全と世界に示せ、と号令をかけたのだろう。
世界で一番腐敗している日本の官僚たちは、アヘ・ヒンソーの気にいるように全てを「オリンピックの開催成功」に向けて舵を切った。
その結果、検査をしないことが、感染者数を少なくする一番の方法と考えて、コロナの感染が始まった段階で、隠蔽策を採ったのだ。(なんと言う愚かな連中だ)
ワクチンも、もはや日本の科学技術は世界に追いつけず、自前で作ることは出来ない。
外国からワクチンを買うことも出来ない。
その結果、ワクチンはオリンピックまでに間に合わなかった。
今の日本の、コロナの被害は、全てアヘ・ヒンソーに責任がある。
このようなコロナ政策を立て、推進してきたのはアヘ・ヒンソーである。
スカ・カスはアヘ・ヒンソーの犯罪を受け継いでいる三下に過ぎない。
これまでのコロナによる日本の死者数は7月30日現在、1万5千184人である。(NHK調べ)
大雑把に言って、この1万5千人の人の死にアヘ・ヒンソーは責任がある。
アヘ・ヒンソーがきちんとした政策を取っていれば、死なずにすんだ人たちなのだ。
アヘ・ヒンソーはオリンピックを開催したい一心で、これらの人の命を無視した。
アヘ・ヒンソーは殺人犯である。
こんな明白な殺人犯すら裁くことが出来ない国なのか、日本という国は。
オリンピックが始まって、外国の選手団の中から、コロナの感染者が何人も出ている。
東京都の感染者数の増え方はすさまじい。
アヘ・ヒンソーという一人の愚者のおかげで、私達はコロナの爆発という惨劇を目の前にしているのだ。
アヘ・ヒンソーを裁判にかけなければ、この国の正義は死ぬ。
〈付記〉
☆2021年7月31日のデータ。
◎ニューサウスウェールズ州
検査した人間の数 105,963(10万5千人)
新規感染者数 210人(感染率0.02パーセント)
◎東京都
検査した人間の数 12,012 人(1万2千人)
新規感染者数 4,058人(感染率34パーセント)
2021/07/18 - 祝 海原雄山 於「パパはなんだかわからない」出演!
海原雄山が快挙を成し遂げた!
週刊朝日、21年7月16日号の「パパはなんだかわからない」に後ろ姿ではあるが、出演した。
と、今回の話を進める前に、書いておかなければならないことがある。
実はこのページに書き込むのは今年2回目だ。
現在すでに7月も半ば近く、と言うのにわずか2回。
もう、私はこのページを閉じるのではないかとお思いになった読者の方も少なくないと思う。
しかし、これには、理由がある。
一つは精神的なもの、もう一つ肉体的なものである。
精神的なものとは今年1月、松も取れないうちに、1969年以来の親友「あ」を失ったことだ。
「あ」については、このブログの2008年12月18日のページに書いてある。読んで頂ければ有り難い。
http://kariyatetsu.com/blog/832.php
そこに
>「あ」に先立たれてはたまらない。早いところ、何としてでも「あ」>より先に死のうと心がけている毎日である。
と書いてある。
しかし、その通りには行かず、「あ」に先に逝かれてしまった。
私は2004年に「あ」との共通の友人を失ったが、それ以来ひどい鬱に苦しむようになった。
ここでまた「あ」を失って、私は途方に暮れている。
朔太郎の詩を朗読し合うことが出来るような友人は一生の間に他にいなかった。
「あ」は朔太郎の詩を朗読するときに、独特の抑揚をつけた。
すると、それが、不思議な歌のように聞こえたのだ。
今も、その「あ」の朔太郎の歌が耳の奥で聞こえている。
親友を失うのは辛く苦しいことだ。
ひどく落ち込んでコンピューターに向かうのもおっくうになり、私の生産性は甚だしく落ちてしまった。
更に、三月に尻餅をついたときにその衝撃が頭蓋骨に至って、硬膜下出血を起こした。
3月と4月に血を抜く手術をした。
現在7月の16日だが、頭の調子は完璧ではない。
そんなこんなでこのページにものを書く気力がなかったのだ。
しかし、7月16日号の週刊朝日を読んで、このページに書く気力が戻って来た。
前回も、山科けいすけ氏の「パパはなんだかわからない」を取り上げた。
山科けいすけ氏のアヘ・ヒンソーと、スカ・カスに対する怒りは収まらないようで、今回のこの漫画となったのだろう。
そこに、狂言回しの役で、海原雄山が登場したというわけだ。
後ろ姿だけしか描かれていないが、髪の毛の特徴、肩の部分が尖った羽織、そしてこの口調、間違いなく海原雄山が越境して、週刊朝日に登場したのだ。
「美味しんぼ」は休載中で、雄山も淋しいので、週刊朝日にスピリッツ誌から越境侵入したのだろう。
この羽織は、陣羽織に似て、袖がなく、肩の部分が尖っている。
通常見かける羽織の形ではない。
武者羽織、とも言うらしい。
この羽織を雄山に着せることは花咲アキラさんが決めたことで、雄山が「美味しんぼ」に登場するまで私は知らなかった。
「美味しんぼ」の登場人物は数十人を超えているが、そのひとりひとりの性格付けが実に見事だ。
「美味しんぼ」が上手く行ったのは、まず第一に山岡に対する敵役として、海原雄山が山岡より強く魅力的に描かれたことだ。
主人公が闘う敵は主人公より強くなければ話が成り立たない。
私は初めて花咲アキラさんが雄山を登場させたときに、よし、この漫画は上手く行くと確信した。
羽織が、普通の羽織だったら、雄山の性格を強く出すことは出来なかっただろう。服装一つでその人物の性格を表すことができる所が、花咲アキラさんが凡百のマンガ家とは違う所だ。
しかし、あまりに雄山が強く大きく描かれてしまったので、困ったこともあった。
それは、「美味しんぼ」を映画やテレビにするときに、雄山役の俳優が見つからなかったことだ。
良く、日本の男優は、兵隊役かヤクザの三下を演じさせればピタリと嵌まる、と言われている。
反対に言えば、雄山のように強く大きい人物を演じるだけの器量のある男優がいないと言うことだ。
あ、どうも、「美味しんぼ」の方に話しがずれてしまった。
話を本筋に戻そう。
前回同様、山科けいすけ氏、週刊朝日編集部のご好意に勝手にすがって、週刊朝日、7月16日号の「パパはなんだかわからない」を引用させて頂く。
前回同様、このスカ・カスの絵が見事だ。
人品骨柄共に卑しいとしかいいようのない人間を、そのまんまに描いている。
この絵だけで、スカ・カスに対する根底的な批判になっている。
それに加えて、この内容だ。
(あ、途中ですが、私があの者をスカ・カスと呼ぶのはひどすぎないかと疑問を持つ人がいるといけないから、きちんと言っておきましょう。
あの者はテレビに出て、自己紹介するのに自分から「ガースーです」といった。であれば、私はあの者を「ガースー」と呼んでも良いのだが、「ガースー」とはあまりにひどい。本来の名前をひっくり返すのもどうかと思うし、濁点がつくと響きが汚くなる。そこで、私は濁点をとって、少しでも響きが良くなるように「スカ」として、さらに、どうしても本人が名前をひっくり返したいらしいので、その気持ちを汲んで「カス」というおまけまで、つけて差し上げたのだ。「スカ・カス」とは私が全面的な好意を持って「ガースー」に変える呼び名としてつけて差し上げたのだ。)
山科けいすけ氏は今の事態を鋭く描いている。
今の日本は、コロナ禍に国中覆われて、百年に一度という国難にあえいでいる。
それに対して、前任のアヘ・ヒンソーは何も出来ずに、「ポンポンが痛いの」などと泣き言を言って逃げ出した。(まさに逃げ出したのだ)
その後を継いだスカ・カスは単に権力を握りたかっただけで、この国を良くしようという意欲などさらさらなく、オロオロ、ウロウロ、右往左往するばかり。
今の日本の国はラーメンにゴキブリが飛び込んだような悲惨な状態にある。
そんな日本の国難にスカ・カスはどう対処するのか。
まずゴキブリをラーメンの中から取り除き、ゴキブリをラーメンの中に飛び込むことを許した不手際を認めて、この国の経営を根本的に正す努力をすることだろう。
現実にもどると、この無様な政治体制を正しい方向に向けて、コロナ禍に対応できるように努力するべきだろう。
ところが、スカ・カスは意味不明の言葉をつぶやき続けるだけで、何一つ役に立つことをしようとしない。いや、しようとしないのではなく、出来ない、のだろう。
スカ・カスがアヘ・ヒンソーの官房長官を務めていたとき、記者会見である記者が質問をしたのに対して意味不明の答弁をスカ・カスがしたので、その記者がちゃんと意味のある答えを得ようとして重ねて質問した所、スカ・カスは、えらそうな態度で「一問一答」と言った。
驚くべき事に、答えにならない答えをしたので、きちんと問いただそうとしたら、それを拒否したのだ。
一問一答とは、問答無用と言うことではないか。
これは、議論することを、話し合うことを拒否することだ。
民主主義を根底から否定するものだ。
真っ当なジャーナリストならそれはおかしいと、思う。
で、スカ・カスに敢えて質問を重ねた、NHKの「クローズアップ現代」の国谷裕子さんは番組から下ろされた。
大越健介キャスターも「ニュースウオッチ9」から外された。
アヘ・ヒンソーとスカ・カスの民主主義に逆らう姿勢はスカ・カスが首相になっても変わらないどころか、ますますひどくなっている。
質問に対してまともな答弁をせず、しかも、重ねて質問すると怒り出す。
更に更に、最近はひどいのを通り越して、スカ・カスの言うことは何が何だか訳がわからなくなっている。
質問に対して、意味のある答えをしない、或いは出来ない。
その状態を、この「パパはなんだかわからない」は見事に描いている。
じつに、なさけない。
どこからどう見ても、スカ・カスは「小物」だが、「小物」こそが国を破局に導くのだ。東条英機も「小物」だった。(スカ・カスに比べると、大きかったかも知れないが、当時の世界の指導者たちと比べると、悲しいほどみすぼらしい男だった)小物故にまともな判断が出来ず、対米戦争にこの国を導いてしまい、結果的に、日本をアメリカの属国にしてしまった。
今回の「パパはなんだかわからない」は傑作である。
しかし、こんな傑作が生まれてしまう、今の日本は悲しい。
7月23日号の「パパはなんだかわからない」では、一転して横山さんが登場して、おかしく楽しい。
それでこそ、「パパはなんだかわからない」なのだが、このまま行くと、またスカ・カスやアヘ・ヒンソーが登場することになるのではないだろうか。
2021/06/07 - 山科けいすけが怒った
私は週刊朝日に連載されている「パパはなんだか分からない」の愛読者である。
作者は山科けいすけ。
二十六年以上も続く長い連載なのに少しもたるむことなく、毎週思わず声を出して笑ってしまう「笑い力」の横溢した漫画である。
主人公のパパは会社の中間管理職である。
面長のハンサムで、部下達にも好かれている。
対するにその妻は、相撲取りのような肥満体で、顔もまん丸に肉がついていて、盛上る脂肪で目が細く小さくなっている。膨らんだ頬の表面は真っ赤になっていて、いつも、菓子の袋を持っていて、駄菓子をムシャムシャ・ボリボリ食べている。美人とは対極の女性である。
このまるで釣り合いの取れない二人がどうして夫婦になったのか、そのいきさつを描いた回はパパの身になると涙なくしては読めないものがあった。
子供は二人いる、男の子はママ似、女の子はパパ似。二人とも大変に良い子である。
パパの部下に横山さんという不思議な男がいて、四十近いと思われるのに対人関係が苦手で、他人に対する態度がオドオド、ビクビク、していて、社会的に不適応であり、そこの所が色々と笑いの種になっている。
この「パパは何だか分からない」は我が家の人気漫画で、家族の間の会話に「横山さんが」などと、この漫画がよく登場する。
読んで気持ちの良い漫画である。漫画にも色々あるが、ギャグ漫画ほど難しいものはない。しかも、一つの設定で20年以上続けるのは大変に難しい。途中でだれてしまって少しも面白くなくなってしまうギャグ漫画は幾つもある。その点、「パパは何でか分からない」は常に水準以上の出来を保っている珍しい漫画である。
山科けいすけは、この漫画で社会的な、政治的な題材を取り扱うことはない。いつも登場人物の身の回りを題材にして読者を温かい笑いに包んでくれる。
しかし、今年の2月12日号の「パパは何だか分からない」は違った。
安倍晋三と菅 義偉に対する怒りをもろにぶつけたものだった。
口で言うだけでは話が通じない。ここは、山科けいすけ氏と週刊朝日には無断で、その漫画をここに引き写すことにする。
漫画を読んで頂けば、何も言うことはありませんね。
妻は、安倍晋三と菅義偉の陰でほくそ笑んでいる石破の姿が実に良くかけていることに感心していた。
全くこの三人の卑しい姿を描ききって見事であると私は思った。
怒り、不快感が溢れていて、これほど強烈な安倍晋三と菅義偉に対する批判は他に見たことがない。山科けいすけのこの政治家共に対する怒りは激しいと思った
しかし、山科けいすけの怒りはこれで収まりのつくものではなかった。
5月21日号の週刊朝日には、以下の漫画が掲載された。
「いきあたりばったりのずさんな対策・・・・・
浪費される莫大な血税・・・・・
こんなことしてていいのか?」
とオリンピック聖火ランナーが疑問を抱く。
これは漫画にしては生なセリフだが、マンガ家として練達の域に達している山科けいすけが敢えて生なセリフを書いた所に、氏の抑えがたい怒りの噴出を私は見た。
山科けいすけの怒りはまだ収まらない。
6月4日号には、次の漫画が掲載された。
迷走老人として、菅義偉の顔が描かれ、その下に「名前『ガースー』、特徴・姑息・卑劣・陰険。質問されるの大嫌い」と書かれている。
その迷走老人の顔が、スカ・カスによく似ていること。
そして、パパの愛娘の言葉「こんなヒトが日本の中心を走ってるの?!」に山科けいすけの言いたいことの全てが表されている。
この漫画に付け加えることは何も無い。
いつもは、心温かい漫画を描く山科けいすけがこのように怒りに満ちた漫画を描いた所に、今の日本がどんなに危ういことになっているかが表れている。
山科けいすけの怒りは正しい怒りだ。
私達も今の状況に流されっぱなしになっておらず、山科けいすけの正しい怒りを共有して行動に移さなければならない。
私達に出来ることは選挙の投票しかない。
今度の選挙では、このアヘ・ヒンソーとスカ・カスを必ず退治してやらねばなるまい。
(週刊朝日様、私は40年以上御誌を定期購読しています。シドニーに来てまで定期購読している愛読者です。
山科けいすけ様、私は自分の愛読者には私の漫画を引用することを許してきました。
愛読者であることを盾にして図々しいことですが、お二方に今回の引用をお許し下さるようお願いします。寛大なご厚情を賜りますよう乞い願います。不都合であるなら、直ちに削除します)
2021/01/20 - 新年のご挨拶
あっという間に1月も終わり近くになってしまった。
遅まきながら、新年のご挨拶を致します。
去年はひどい年だった。(いや、実際は1990年からずっとひどい年が続いているんだが)
今年は、何としてでも、これまでよりは良い年にしたいものですね。
お互いに頑張りましょう。
とは言え、コロナがこんな状況では今年を良い年にするのは大変に難しい。
私は2019年の11月に日本を出てから、今に至るまで丸1年以上日本へ帰ることが出来ずにいる。
1年以上日本から離れているなんて、こんなことは初めてのことだ。
早く日本へ帰りたい。
とは言え、簡単に日本へは帰れない。
オーストラリア政府がオーストラリア在住の人間の海外出国を禁止しているからだ。
日本のコロナ事情はひどいもので、あっという間に感染者数が32万人を越えてしまった。
一体これはどうしたことなのか。
オーストラリアのシドニーの状況と比較してみたい。
◎基礎的なデータ。(2021年1月19日現在)
オーストラリアの人口 約2500万人
シドニーのあるニューサウスウェールズ州の人口 800万人
日本の人口 126,000,000(1億2600万人)
☆コロナウィルスのこれまでの感染者数
オーストラリア全体で 28,721人
ニューサウスウェールズ 5,074人
日本のこれまでのコロナウィルス感染者数 331,000人
人口当たり感染者数 日本 0.2%
オーストラリア 0.1%
ニューサウスウェールズ州 0.06%
人口当たりの感染者数は、オーストラリアは日本に比べて少ない。
感染者数の推移を見てみよう。
☆日本のコロナ感染者数推移
googlより
オーストラリアのコロナ感染者数推移
シドニー・モーニング・ヘラルドより
これを見ると、日本は2020年3月に最初の小さな感染ピーク、8月にそれより大きな感染ピークがあった。
それで収まるかと思っていたら、11月になって急激に増加し始めて、その勢いは2021年1月19日になってもまだ収まらない。
1月14日には7875人感染した。1月19日には少し減って、53032人新規感染者が出た。
一方オーストラリアでは、2020年4月に小さなピーク、8月にそれより大きなピークがあったが、それ以降2020年12月にちょっと小さなピークがあったが、それも収まりつつある。
オーストラリアは他の国と比べても、コロナに対して上手く対処していると言えるだろう。
それに比べて、日本は、もはや収拾のつかない状況になってしまっているのではないか。
私は、日本とオーストラリアのコロナの感染状況のこの差は、両方の国の政府と国民の民度の差による物だと思う。
シドニーでは2020年12月の初め頃には、新規感染者数がゼロの日が何日も続いて、私たちはもう安心だと思っていた。
ところが、12月の初めになって、シドニーの北岸に突然新規感染者が2人でた。次の日にまた数人、三日の間に18人の新規感染者が出た。
これを見た州政府は、シドニー北岸の新規感染者の出た地域を一気にロック・ダウンした。
その地域の人がその外に出ることも、その地域外の人がその地域に入ることも禁じられた。
同時に、マスク着用が義務づけられて、外に出るのにマスクをつけていない人間はその場で200ドルの罰金を取られることになった。
更に、クリスマス、年末、年始には、その地域の人は5人以上集まるパーティーを開くことが禁止された。それもその地域の人々だけで、他の地域から人が入ってくることは禁じられた。
それ以外の土地でも、ニューサウスウェールズ全体に10人以上集まることが禁止された。
私の長男の妻の両親はそのシドニー北岸の新規感染者が出た地域に住んでいる。
おかげで、毎年恒例の両親の家のクリスマスパーティーも長男とその妻は参加出来なかった。
長男の妻の両親はその地域から外に出ることが出来ないので、私の家の新年の集まりに参加出来なかった。
グラフを見れば分かるが、12月から1月にかけて新規感染者数は増えている。
しかし、これも、1月に入ると収まって、1月15日にはロック・ダウンも解除された。
1月20日現在、ニューサウスウェールズ州の新規感染者数は0である。
12月の初めにシドニー北岸で新規感染者が出たときの州政府の対処の仕方は素早く、果断だった。
だから、1月20日に州政府首相が「来週25日の週からシドニー北岸だけでなく、州全体の規制を解除する」と言うことが出来たのだ。
これを日本の状況と比べた場合、大きな違いだと思う。
日本では、特に11月から急激に増えた。
10月には少し収まりかけていたのに、GO TOを始めてから、急激に新規感染者数が増加した。
この時期に、折角新規感染者数が収まりかけていたのにどうして、感染者が増えるような政策を取ったのか。
私には理解が行かないことだ。
コロナの感染者が爆発的に増加しているのを見て、多くの人が、GoToは危険だと言ったのに、菅首相は経済のことも考えて、Go Toを続けざるを得ない、と答えた。
菅首相は安倍晋三首相についで思考能力がない人間であることがこれで明らかだ。
恐ろしい勢いで新規感染者が増えているのが菅首相には見えないのか。
オーストラリアのニューサウスウェールズ州ではわずか十数人の新規感染者が出た段階で、その地域をロック・ダウンした。
そして、ニューサウスウェールズ州の住民は州政府の指示に従った。
一方日本では、若い人達は自分たちには関係ない、といって相変わらず盛り場に出て来ている。
電車の中でマスクをせずに大声でしゃべる男や、マスクを強請されるのは個人の自由の侵害だと言い立てる人間が少なからずいる。
オーストラリアの指導者と日本の指導者、オーストラリアの国民と日本の国民。
この二つを見比べると、日本が失われた30年の蟻地獄に陥った理由がよく分かる。
指導者もひどかったし、国民もろくなもんじゃなかった。
コロナが日本と言う国の駄目さ加減を我々の前に突きつけて見せた。
上に示した、日本とオーストラリアのコロナ感染者数の推移を見れば、いかに日本が愚かな失敗をしたか明らかだ。
ああ、あ、
新年のご挨拶がとんでもない事になってしまった。
次回から、楽しい話題ばかりを集めて書きます。
お見捨てになりませんように。
2020/09/24 - 追悼 廣瀬淳さん
(お断り:このページの最初の書き込みの中に、ケンリックサウンド細井さんとその製品について不正確な文章がありました。廣瀬淳さんへの追悼の念が強すぎて頭が乱れました。ケンリックサウンドの製品の音を自分で聞きもせずに、余計なことを言うのは、実証主義を通してきて私にとっては許しがたい過ちです。このような間違いを犯したことで私はまず自分を許せません。そして、あの文章を読んでさぞご不快な思いをされただろう細井さんには心からお詫び申しあげます。本当に申し訳ないことをしました。ご寛容頂ければ幸いです。平身低頭。)
asoyajiさんとして知られている廣瀬淳さんが2020年7月3日に逝去された。
心からお悔やみ申しあげます。
廣瀬淳さんは、1957年11月22日生まれ。
享年62歳だった。
廣瀬さんは最近定年退職されたが、それ以前は銀行にお勤めだった。
奥様のお話しによると、それ以前にもオーディオを趣味としていたが2011年頃に金沢に単身赴任しておられる頃にそれまでより一層身を入れられるようになったとのことだ。
定年退職してAsoyaji Audio を起業されたときは御家族中が驚かれたそうだ。
奥様が送って下さった2011年の雑誌「PCオーディオfan」の第4号のコピーを見ると、編集部が金沢に住むオーディオマニアの家を訪ねる企画が掲載されている。
そのオーディオマニアは、オーディオルームの設定も全て独力でおこない、アンプから、スピーカーまで全て自作でPCオーディオに取り組んでいる大変な人なのだが、雑誌の取材に合わせて、当時金沢におられた廣瀬さんがIBMのThinkPadにインストールしたVoyage MPDを持って登場する。
雑誌に掲載されている写真に写っている廣瀬さんは細身で実に精悍である。
私が廣瀬さんにお会いしたのは2019年9月のこと。
その時廣瀬さんは体に肉がついて、お顔も丸く見えた。
しかし、雑誌で見たとおりの精悍な表情だった。
私は廣瀬さんの今年5月12日のブログを読んで、廣瀬さんが入院しておられたことを知った。
お見舞いのメールをお送りすると、その中で淡々と「前立腺ガンを4年前から患っていて、今はその末期」と書いてこられた。
廣瀬さんがそのような状況にあると私は初めて知って驚いた。
しかし、その段階でも私はまだそのうち回復されるだろうと甘い予想をしていた。
去年9月にお会いしたときには非常に元気に見えたからだ。
私は高校生の時からのオーディオマニアで、大学生の時には真空管アンプを自作していた。
大学を卒業してからは時間に余裕がなくなり、アンプも何もメーカー製のものを買うようになってしまったが、自作の真空アンプを部屋を暗くして使用していると真空管の中に青いグローが飛び、出力を稼ぐ目的で過大に電圧をかけているためにプレートが赤くなるのを、いつ壊れるか、いつ壊れるか、とハラハラしながら聞いたあの頃が懐かしい。
色々遍歴があって、この六、七年は円盤を使うオーディオとは完全に決別してしまった。
円盤とは、アナログのLP盤、ディジタルのCD、SACDディスクのことだ。
では、どうやって音楽を聴くかというと、まず音楽を電気信号として取り込んで、それをディジタルファイルにする。
そのディジタルファイルをコンピューターを用いて、DAコンバーターにおくりこみ、そこでディジタルからアナログに変換して、それをアンプで増幅してスピーカーを鳴らしている。
今一般にPCオーディオと呼ばれている音楽の再生方式である。
機械的に操作する箇所が一つもない。
最近私が音楽を聴いているのを見た妻が、LPプレーアーも、CDプレーアーも使わず、コンピューターをいじるだけで音楽を聴くなんて不思議、と言った。
私はこれから可能性があるのはPCオーディオしかないと確信している。
LPについては、以前このページで如何に多くの解決不可能の問題を抱えているか、端的に書いて置いたのでそれをお読み下さい。
http://kariyatetsu.com/blog/3107.php
それに引き替え、PCオーディオはまだ不満なところもあるが、それは、理論的に解決可能である。
私はLPプレーアーは、ThorensのReferenceを使っている。
CD,SACDプレーアーは、PlaybackDesignsのMPD-5を使っている。
どちらも、それぞれ円盤音源を再生するプレーアーと言うものの能力を問うのに使うのに問題はないと思う。
この二つのディスク・プレーアーを用いても、PCとDACを使って聞く方が音が良い。(私が使っているDACは同じPlaybackDesignsのMPD-8である)
私はオーディオの追求すべき道が見えたと思う。
この私がPCで音楽を、という道をたどるのに、廣瀬さんに教えられることが多かった。
と言うより、廣瀬さんの後についてここまで来たというのが正解だろう。
ただ、これは、私だけではなく、PCで音楽を目指す人間で廣瀬さんのブログ「PCで音楽」を知らない人はなく、大勢の人が廣瀬さんに教えられてきた。
廣瀬さんはPC で音楽を聴くPCオーディオの先駆者であり、先達だったのだ。
私たちPCで音楽を聴いている人間にとって廣瀬さんは大恩人である。
その廣瀬さんがDACの自作を始められた。
その製作記は「PCで音楽」に掲載されて、私は興奮して読んだ。
それが2019年に完成した。
私は矢も楯もたまらず、廣瀬さんに試聴させて頂くことをお願いした。
廣瀬さんは快諾されて、9月に、廣瀬さんのお宅にお邪魔した。
廣瀬さんの装置はスピーカからアンプにいたるまで全て自作である。
ここが、私のような無能なオーディオマニアとは違うところだ。
その音は大変に自然で癖のない豊かな音色である。
全く無理なく低域から高域まですんなりと伸びていく。
この装置であれば、DACの音の善し悪しを判断することができるだろうと私は思った。
色々聞かせて頂いて、ASOYAJI-DACの音の良さがよく分かった。
こうなると欲が出て来るのが私の悪いところである。
このASOYAJI-DACが私の家の装置ではどんな音がするのかどうしても知りたくなった。
そこで、廣瀬さんにDACをお貸し下さるようお願いをした。
廣瀬さんはお聞き届け下さって、私の家に持込んで私と一緒に試聴しようと仰言る。まことに有り難く恐れ多いことだが、私は喜んでそのご好意を受けることにした。
当日、廣瀬さんはDACを持って、横須賀市秋谷の私の家までお越し下さった。
私の家のオーディオルームは床も壁も天井も杉板張りである。
(この杉板は、美味しんぼの取材の過程で出会った、杉の板を生かしたまま製材する製法を使って製材したもので、築後13年経つのに、いまだに新鮮な杉の香りがする。
部屋のデザインは音響専門家にして貰った。杉の板張りというと反響が強すぎて駄目だと思われるかも知れない。確かに反響はある。デッドな部屋ではない。しかし、世界中どこのコンサートホールもきちんと反響を取るようにデザインされている。デッドな部屋では音楽も死んでしまうのだ、と言うのが私の意見である。)
このような部屋なので、スピーカーそのものの音ではなく、部屋全体の響き・ホール効果を楽しむのが主眼である。
廣瀬さんの装置はスピーカーからの音を直接楽しむ形であり、私のオーディオルームとは発想が180度違う。
その環境で、ASOYAJI-DACは如何なるなり方をしてくれるのか。
実際に音を出してみると、実に良い鳴りっぷりである。
私の家の音場型のリスニングルームでも廣瀬さんのASOYAJI-AUDIOのDACは素晴らしい音を聞かせてくれた。
私は廣瀬さんにお願いして購入させて頂こうとも考えたのだが、一点、気になることがあった。
それは、廣瀬さんはASOYAJI-DAC作成の記事の中で強調されていたが、ファインメット・トランスが、ASOYAJI-DACでは大きな枠割りを果たしているということだ。
私は、何曲か聞く内に、ASOYAJI-DACに特徴的な音の性格を摑んだ。
それは、「鉄の音」である。
私は自分で真空管アンプを作っていて、一つ物足りないことがあった。それは、技術力と資力が不足しているせいで、出力アンプに出力トランスを使わなければならなかったことだ。
一度、出力トランスを使わないアンプ、OTL(Output Tansformer Less)アンプを聞いて愕然とした。
主力トランスを使ったアンプとOTLアンプとでは音が違う。
これは、全く好みの違いの話で、客観的にどちらがいいと言うものではない。私は、出力トランスを使わないOTLアンプの音が好きなのだ。
トランスを使ったオーディオ機器には「鉄の音」がすると私は感じてしまうのだ。
で、後日廣瀬さんに、ASOYAJI-AUDIOのDACを購入することを諦めたことを話すと、私がその日使ったアンプが40年程前の、OTLアンプ”Counterpoint”であったことを廣瀬さんは思い出されて、「ああ、Counterpointを使っているんですものね。『鉄の音』が合いませんでしたか」と言って、了解して下さった。
廣瀬さんとは二度しかお会いしたことがないのに、私の心にはその印象が強く深く刻まれてしまった。
私は、廣瀬さんのように一つのことに打ち込んで他の人が到達したことのない地点に立った人間を尊敬する。
しかし、趣味の世界で頂点に立って人間には独特の匂いがある。
独善的、というか、自分が一番だということを言葉の端々に勾わせるというか、私のような無力な人間を低く見るというか、ちょっと辛いところを持つ人が多いのだ。
しかし、廣瀬さんはそんなことはなく、聞けば何でも教えて下さる。
(そもそも、私が廣瀬さんのご厚誼を頂くきっかけになったのは、SACDのリッピングについて、色々お尋ねてして、それに対して親切にお答え下さって教えて頂いたことに端を発する。つい最近も、flacについて教えて頂いたばかりだった)
廣瀬さんは威張らず、高ぶらず、知識のない人間に対しても優しく教えて下さる、素晴らしい方だった。
62歳でこの世を去ってしまうとは痛恨の極みだ。
本当に残念だ。惜しんでも余りあることだ。
廣瀬淳さん、本当に有り難うございました。
私は地獄に行く人間なので、天国に行く廣瀬さんとはお会い出来ません。
お別れです、さようなら。
2020/09/13 - 追悼 松井英介先生
松井英介先生が骨髄異形成症候群の為に8月19日逝去された。82歳だった。
心からお悔やみ申しあげます。
私が初めて松井先生とお会いしたのは2013年の4月。
私は、埼玉県に避難していた福島県双葉町長の井戸川克隆さんを訪問した。
「美味しんぼ」で私は福島第一原発事故の問題を取り組んでいた。
その中で、事故当時福島第一原発が存在する双葉町町長の井戸川さんのお話を聞くことは大事だった。
井戸川克隆さんのとなりに松井先生がおられた。
それまで私は松井先生とは一面識もなく、また、失礼ながら先生がどんな方であるかも存じ上げなかった。
(「美味しんぼ」111刊「福島の真実」篇、242ページにその時のことが記録されています)
私は井戸川町長に色々とお話しを伺ったのだが、その話しの流れの中で、松井先生が私に
「福島には何度かいらしているそうですが、体調に変わりはありませんか」
とお尋ねになった。
私は福島をあちこち歩いてまわった。当然放射能の危険性については頭の中にあり、取材中は防護服を着たし、マスクも装着していた。
それなのに、今とはなってはどうしてそんなにいい加減だったのかと自問するのだが、そんな格好をしていたのに、福島を覆っている放射能の影響が自分の体に何か不都合なことを与えているとは全く考えていなかったのだ。
ところが、福島取材を終えてすぐの夕食時に、突然鼻血が流れ始めたのだ。
これは、不思議な感覚で、鼻血が流れるようなこと、例えば鼻を何かにぶつけるとか、そんなことは何も無いのに突然鼻血が流れ出すのだ。痛くもなんともない、何の前触れ的な感覚もなしに突然流れ始める。これは、本当に気持ちの悪い体験だった。
不思議というか不覚というか、私はこの鼻血を放射能に結びつけることを考えつかなかったのだ。
この鼻血と同時に、私は得体の知れない疲労感を覚えるようになっていた。この疲労感は今までに感じたことが無いもので、背骨を誰かにつかまれて地面の底に引きずり込まれるように感じる。
普通の肉体的疲労感とも精神的疲労とも違う。
経験したことのない疲労感に私は苦しんでいたのだ。
だから、松井先生にそう尋ねられて、私は鼻血と疲労感のことを申しあげた。
すると先生は、「やはり」と仰言って、福島では福島第一原発事故の後鼻血を出す人が多い、その疲労感も多くの人を苦しめている、と言われた。
その時私と同行していた福島取材班のカメラマン安井敏雄さんがそれを聞いて驚いて、「僕も鼻血が出るようになりました」と言った。
すると、先達役の斎藤博之さんも「私もそうです、私の場合歯茎からも出血するようになって」と言うではないか。
これには私も驚いた。「ええっ、我々みんな鼻血が出るようになったのか」
それどころか、安井敏雄さんも斎藤博之さんも「ものすごい疲労感で苦しんでいる」と言うではないか。
私たちは福島取材後その日まで会っていなかったので、お互いの体調を知らなかったのだ。
しかし、取材班全員が鼻血と疲労感で苦しんでいたとは驚いたが、その驚きは深刻な物だった。
松井先生は鼻血と疲労感について、他の人の例も上げて医学的に説明して下さった。
私は何事も論理的に考えなければ気が済まない性質なので、松井先生のご説明に完全に納得出来た。
これ以後私が福島の放射能問題を考えるときに、この松井先生に教えて頂いたことが「最初の一歩」となった。
《この鼻血の件を「美味しんぼ」に書いたら、私が「鼻血問題という風評を流して被害を起こした、と批判する人が大勢出て来て、しまいに安倍晋三首相が私を名指しして『風評被害を起こした』と非難した。知性・品性・下劣で、民主主義を破壊し続けて来た上に、2013年のICOで「福島第一原発事故による放射能問題は完全に抑えられている・日本は安全である」と大嘘をつくような、人間としての一切の誠実さを欠いた卑劣で汚穢まみれの男であっても、首相は首相だ、その言葉の影響は大きく、以後、私は様々なところで犯罪者のような扱いを受けるようになった。(現在でも)》
私は福島の放射能問題を考えるときに最初に松井先生に目を開かれたことが大変に大きい。松井先生に私は心から感謝している。
松井英介先生は1938年生まれ。
岐阜大学放射線講座所属。呼吸器病学。肺がんの予防・早期発見・集団検診並びに治療に携わる。厚生労働省肺がんの診断および治療法の開発に関する研究分担者を務めた。現岐阜環境医学研究所及び座禅洞診療所所長。
社会的活動も重ねてこられた。
反核・平和・環境問題に取り組み、空爆・細菌戦などの被害調査や核爆弾使用における「内部被曝」問題にも関わった。
細菌戦調査のため1990年以降中国での調査団に参加し、731部隊細菌戦資料センター共同代表でもある。
2003年全国最大の岐阜市椿洞不法投棄問題発覚、全国研究者たちに呼びかけ調査委員会を結成、地域連合会と一緒に不法廃棄物の撤去、調査活動を行った。
2010年岐阜県羽島市ニチアス・アスベスト問題で現地調査、住民の健康相談会を行い、住民・行政の岐阜県羽島市アスベスト調査委員会委員長を務めた。
2011年3月11日福島第一原発事故後、「内部被曝問題研究会」の設立に関わった。
また双葉町の医療放射線アドバイザーを務めた。
子どもたちをこれ以上被曝させないために、「脱被ばく」を目指し医師や市民たちと「健康ノート」を作成、「乳歯保存ネットワーク」を立ち上げた。
松井英介先生は子どもたちのいのちと健康を守りたい、と願い行動してこられた。
福島第一原発事故では、骨や歯にたまりやすいストムンチウム90の子供への影響を、専門の放射線医学の見地から懸念されて、自然に抜け落ちた乳歯の提供を求める団体「乳歯保存ネットワーク」を他の研究者と2015年に結成した。
その乳歯の放射性物質を分析する民間の測定所を開設し、乳歯の放射能を測定して、内部被曝の可能性を調べて来られた。
2020年8月22日の中日新聞で、測定所の運営に協力する愛知医科大学の市原千博客員教授は次のように言っている。
「調査の結果をもとに、原発事故の影響を世に問おうとする信念を持っていた」
2017年夏、血液データの異常を感じ受診、骨髄異形成症候群と診断される。
血液内科にて治療を続けながら、乳歯中ストロンチウム90を測定する「はは測定所」の設立にかかわる。
2020年8月19日0時30分逝去。
ここに、松井先生が亡くなられる直前に書かれた文章をご遺族のご好意で掲載させて頂く。
ご自分が重篤な骨髄異形成症候群で苦しい思いをしておられる中で、最後まで乳歯中のストロンチウム測定運動を勧めることに努力を続けておられる。
最後の文章が読む者の心を打つ。
松井英介先生有り難うございました。
以下、松井英介先生の文章
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Dear ・・・・・
コロナウイルスの感染拡大により、世界中が大きな試練に立たされています。日常の行き来もままならなくなっています。みなさまはどうお過ごしでしょうか。
2011年3月11日フクシマ大惨事から、間もなく10年が経過しようとしています。
この大惨事をきっかけに、私はみなさんと知り合い、たくさんのことを教えられてきました。とくにスイス・バーゼル研究所のMarkus Zehringer 、 Dr.med.Martin Walterらの支援を受け、乳歯中ストロンチウム90の測定を日本で始めることができたことは、何物にも代えがたい大きな歩みの第一歩です。感謝しています。
しかしいま、私個人はストロンチウム90の影響と思われる病を抱え、闘病中です。その病は、骨髄異形成症候群(MDS myelodysplastic syndrome)です。
この病は、広島・長崎の原爆数年後から被ばく者に見られるようになり増加していましたが、日本で人類が経験した最大最悪の3.11原発事故以降、いま関東圏を中心に日本各地でMDSの患者さんの増加が指摘されています。
進行すれば白血病への移行もありうる難病「MDS」。 米国で開発された「ビダーザ」は、MDSの治療に大きな効果を発揮する、画期的な新薬として注目され、日本新薬では2011年3月に「ビダーザ」を発売しました。
私は2018年1月からビダーザを注射、治療を開始しました。MDSは、その後約2.5年比較的良好な効果が期待できましたが、現在はもはや効果なく、赤血球と血小板を週一回輸血し、血液の状態を整えているところです。最近は免疫力の衰えから高熱が出るなど油断を許さない状態です。
私はMDSや白血病でゆっくり人を殺す人たちを、忘れてはならないし、免罪してはいけないと、自らに言い聞かせています。
そこでお願いです。
私たち「はは測定所」では、バーゼル研究所で研修を受けた仲間を中心に、日々乳歯中ストロンチウム90の測定を進めております。
今後ぜひこの結果を、日本だけのものとせず、スイスをはじめ多くの国と共有し、研究者たちの叡智と力で解析し、世界の未来世代のために生かしていただきたいと望みます。
(加えて遠くない将来、私が命を終えたときは、私の歯と骨も、その取り組みに生かしていただけましたらうれしく思う所存です。)
2020年8月15日
核のない未来を願って 松井英介
2020/09/04 - 大失敗
前回このブログで、適菜収の書いた本を取り上げ讃めてしまった。
それは、「国賊論」という書名で、副題に「安倍晋三とその仲間たち」とあるように、安倍晋三首相批判の書だった。
やたらと、「バカ」という言葉を使っていて、見苦しいのだが、それだけ安倍晋三首相に対する怒りが強いのだろうと考え、大目に見た。
しかし、ブログに記事を書いている間にも、この適菜収言う人物は何者なのだろうという疑問を抱いていた。保守主義者と言うが、何を保守しようと思っているのか、それが分からない。
そこで、適菜収の書いた本をもう一冊読んだ。
「日本をダメにしたB層の研究」という本だ。
この本を読んで、私はとんでもない人間を讃めてしまったとほぞを噛んだ。
以前読んだ「国賊論」が口汚いけれど安倍晋三首相を批判していたので、うっかり書いた本人のことを確かめずに讃めてしまったのが大失敗の元だった。
そこで私は、前回のブログの中で適菜収について言及した部分を削除した。
削除してしまったからには、「あれはダメだから削除しました」ですむのだが、うっかり私のように引っかかる人間がいるといけないので、一応適菜収について書いておく。
実は書こうとしても、正直書くことはないのだ。
あまりに馬鹿馬鹿しい内容なので、馬鹿馬鹿しい内容でした、と書いてしまうと一行ですんでしまう。
それではあまりに愛想がないので、何か書いてみようと思う。
一応お断りしておくが、適菜収の書いた物は読むだけ無駄だから、読者諸姉諸兄におかれては適菜収の名前を見たら、直ちに素通りすることをお勧めする。
私はうっかり讃めてしまったために責任を取って、何か言うことにする。
全く、とんでもない災難だ。
適菜収は改革や革新という言葉に反感を持っているらしい。
このB層とは数学で使うグラフの横軸に、
◎グローバリズム
◎普遍主義
◎改革・革新・革命
をとり、縦軸に、
◎IQ
を取って、数学で使うx,y二次元グラフのように、縦軸横軸共にプラスの人間をA層。
縦軸マイナス、横軸プラスの人間をB層としている。
数学で言えば第一象限をA、第二象限をBとしているのだ。
で、B層とはグローバリズム、普遍主義、改革・革新・革命に積極的だが、IQの低い人間を言うらしい。
IQを人を分類する指標として使えると考えるところに、適菜収の出来の悪さがある
要するに、適菜収は、改革・革新・革命に前向きの人間はIQが低いとけなしたいのだ。
適菜収は自分が空想的に作り出した人々B層の人間について、悪罵を連ねる。
その一つ一つを取り上げていっても仕方がない。
適菜収のような人間は今までにも良くいた。
蓑虫あんちゃんとか、蓑虫野郎とかいう手合いである。
蓑虫は木の葉などを切って集めて蓑を作り、その蓑の中に棲息する。時々自分のひり出した糞を外に放り出す。
蓑虫は木の葉を切って蓑を作るが、蓑虫あんちゃんは思想家や作家の言葉を集めて自分を守るための蓑を作る。
蓑虫はひり出した糞を放り出すが、蓑虫あんちゃんは汚い言説をふりまく。
他人の言葉を集めて、その言葉に乗っかって場当たり的な言説を繰返すのが蓑虫ゲスペタである。
蓑虫は葉を切取ってきた木の幹や根のことについて無関心である。
それと同じで、蓑虫下郎は切取ってきた言葉の真意やその言葉の載っている著作の意図するところも分からない。
ただ、都合の良いところを切取ってそれを援用して自分の言説をデッチ上げる。
だから、適菜収の言うことをいちいち取り上げて論ずるのは無意味な所業である。
ただ、これだけは見逃せない言説があるので、それを取り上げよう。
この「日本をダメにしたB層の研究」の第4章、「素人は口を出すな!」に至って適菜収は汚泥を大量に放出した。
適菜収は民主主義と平等主義を理解しようとせず、口汚く罵る。
適菜収はチーチェの言葉を使って、「民主主義の根底にある平等主義は『神のまえでの霊魂の平等』という概念から来ている。絶対存在である《神》を想定しないと出て来ない発想だから、民主主義はキリスト教カルトである」と言い、ハンナ・アーレントの言葉「フランス革命で人民が神格化されたのは、法と権力を共に同じ源泉(キリスト教のこと)に求めようとしたために起こった不可避の帰結であった」を引用して、「法と権力を同じ源泉に求めてはいけないのです、権力の集中はロクな結果を生み出しません。」といい、突然「以上で民主主義の説明を終わります」と結論する。
まことに奇怪な論である。自分でも何を言っているのか分からないのではないか。
私は、キリスト教に限らず一切の宗教を信じることはできないし、《神》の存在など考えたこともない。
しかし、私は全ての人間は平等である、と固く信じている。
適菜収君よ、平等権は《神》の存在などなくても、まともな人間ならきちんと心に抱く物なんだよ。そんなことも分からずに、何か言ったりしたらダメだよ。
さらに、フランス革命の際に、ロベスピエールがキリスト教を法と権力の源泉に求めたとハンナ・アーレントが言ったからと言って、民主主義という物は法と権力を共に同じ源泉に求めるもの、と言ってしまう。
ロベスピエールのフランス革命と我々が取り組もうとしている民主主義と何の関係があるのか。
例えば、民主主義で三権分立をきちんと守れば、法と権力を同じ源泉に求めるなどと言う批判の起こりようがない。
蓑虫あんちゃんは、フランス革命などと言う特殊な状況を用いて、一般に布衍することの出来る論を立てられると思っている。
大抵のことは何を言っても見逃すことができるが、平等権を否定し、民主主義を否定する蓑虫は、ゴミために掃き捨てなければならない。
末法の世になると恐ろしい物で、このような蓑虫下郎の戯言を、大出版社が本にして売り出す。
適菜収には、もう一度きちんと本を読んで勉強し直し、論理的に物事を考える訓練することを勧める。
適菜収は「国賊論」の中で、人を罵る言葉、「バカ」を多用した。
私が高校のときに、同級生に「バカ」と言ったら彼は次のように返してきた、
「バカバカと、バカをバカバカ言うバカは、バカはバカでも大バカのバカ」
これをそっくり、適菜収に贈ろう。
以上で、適菜収についてはおしまいである。
読者諸姉諸兄にはご迷惑をお掛けした。
これからは、きちんとその人間の正体を確かめてからその言説を取り上げることにする。
全く、大失敗だった。
間違っても、適菜収の書くものを読まないように。時間の無駄だけでなく、腹の底にイヤな不潔な物がたまる。
2020/08/25 - 立て!太った豚よ! 私たちはあまりに豚であることを書こうとして、私は気持が萎えてしまって、豚物語が、長い間中断している。
気持が萎えてしまうのは、同胞である豚諸君の豚らしさがどんどん極まるばかりだからだ。
同志豚諸君は、豚の餌やりである安倍晋三首相にまだ40パーセント以上の支持を与えている。
どうしてなのだ。
どうして諸君は憲政史上最悪の総理大臣安倍晋三を支持するのか。
ここで、安倍晋三首相の第二次政権成立以来の偉業を振り返ってみたい。
◎2012年12月、第二次安倍政権発足。
◎2013年9月7日、IOCで2020年のオリンピックを東京に招致するために、福島第一原発は完璧に閉じ込めたから安全である、
東京には放射能の問題は何も無い、と嘘をついた。
この件については私のブログを参照頂きたい。
http://kariyatetsu.com/blog/1611.php
世界中にこんな嘘をついた
これは英文で読みづらいかも知れない。(私は安倍晋三首相のついた嘘を世界中の人に読んで貰いたいと思って、英文で書いた)
その嘘をここに要約しておく
放射能汚染水は、福島第一原発の港湾の0.3Km2区域の中に「完全に遮断」されている、と言った
福島第一原発はすべて、アンダー・コントロール(制御)されている、と言った。
福島第一原発の事故は、東京にはいかなる悪影響も及ぼしたことはなく、今後とも及ぼすことはない、と言った。
福島第一原発の事故はいかなる問題も引き起こしておらず、汚染は狭い地域に限定され完全に封じこめられている、と言った。
健康に対する問題は、今までも、現在も、これからも全くないと言うことをはっきり申しあげておきたいと思います、と言った。
これが大嘘であることは、福島第一原発の事故について少しでも知っていればよく分かるはずだ。
安倍晋三首相の嘘については、
http://kariyatetsu.com/blog/1600.php
も参照して頂きたい。
◎2013年12月。
「特定秘密保護法」強行採決した。
これは途方もない法律だ。
その一部だけ言及したい。
この「特定秘密保護法」の対象になる情報は、「防衛」「外交」「特定有害活動の防止」「テロリズムの防止」に関する情報だ。
これは範囲が広く、曖昧だ。どんな情報でもどれかに当てはまる恐れがある。
なにが「特定秘密」なのか、それを指定するのはその情報を管理している行政機関だから、政府が自分が隠したい情報を「特定秘密」に指定してしまえば、国民は知ることが出来なくなる。
これでは、日本は独裁者に支配されている国と変わりがなくなる。
私たちは肝心の真実を知ることを禁じられるのだ。
これは途方もないことではないか。
◎2015年9月、集団的自衛権の一部行使容認を含む安全保障関連法を成立させた。
これは明らかに憲法違反の法律だ。
憲法第9条では「戦力」すら持ってはならないとしている。
まして、外国間で起きた武力紛争に日本が武力で介入し、他国を防衛する(集団的自衛権)のは、たとえ友好国を助ける目的でも憲法違反であることは明らかだ。
こんな憲法違反の法律は無効なのだ。
憲法違反の法律を通した首相は憲法違反で処罰されるべきなのに、我々豚は、安倍晋三首相批判することすらしない。
◎2017年森友学園、加計学園問題が発覚した。
この両方共、安倍晋三、昭恵夫妻の個人的な友人が国から支援を受けた。
安倍晋三首相以前の自民党政権では、このような疑惑をかけられただけで首相は退陣したが、安倍晋三首相は蛙の面になんとやらで平気で居直っている。
また、この件を追及する国会で、安倍晋三首相周辺の官僚たちは嘘とごまかしを行ったのに、誰も処罰されなかった。
腐敗はどこまでも進む。
◎2017年6月 共謀罪を強行成立させた。
この共謀罪も途方もないものである。
ここでは、「週間東洋経済・電子版」2017年6月25日号に掲載された、京都大学法科大学院の高山佳奈子教授の話しを要約する。
共謀罪=テロ等準備罪という認識で良い。
共謀罪とは、複数者で犯罪の計画について合意すること。
過去3回廃案になり、今度は対象犯罪を半分に減らした上でテロ対策であること、国連の国際組織犯罪防止条約(TOC条約)の締結に不可欠だと政府は訴えた。
しかし、条文の中に、テロに照準を合わせたものが一つもない。
そもそも、TOC 条約自体マフィア対策であり、ターゲットはマフィアが公権力に対して不当な影響力を行使しようとする行為や、組織的な経済犯罪である。
同条約締結のために共謀罪またはテロ等準備罪を立法する根拠はない。
共謀罪の対象犯罪として、企業犯罪、公権力の私物化や警察などによる職権乱用・暴行陵虐罪、民間の汚職を含む経済犯罪などが除外され、政治家、警察、大企業に有利である。
今回の共謀罪法案では、準備罪予備罪より前の段階での処罰が可能になる。
「心の処罰」とも言える。
これまでの日本では、憲法の解釈として処罰規定を適用するためには危険が実質的に認められる場合である、と最高裁が判断している。
想像上の危険、観念的な危険ではなく、実質的な危険、現実的な危険がなければならない。
だから、「計画を立てた」だけでは駄目で、それが実際に実行される危険がある場合だけに適用できるという考え方だった。
ところが、こんどの共謀罪は、犯罪の計画はまだみんなの頭の中で内容を共有しているだけで犯罪とされるし、「実行準備行為」と呼ばれる要件も単に資金や物品を手配するとか、ある場所を下見に行くだけで該当する。
プライバシー権担当の国連特別報告者から公開書簡の形でこの法案に対する懸念が示された。
この法案は非常に漠たるもので、国連条約のために不必要な広い範囲で新しく処罰の範囲を広げることになっている。
プライバシー権の侵害に対する歯止めとなるような、制度的保障が入っていないと国連人権規約に違反する疑いがあるというものだ。
それに対して、政府は抗議して、強行採決した。
安全保障関連法といい、この共謀罪といい、憲法違反であり、国際人権規約に反する法律であり、本来的に無効なのだが、安倍晋三首相は強行した。
テロ対策なら、国連条約を含む主要な国際条約に加えて、9.11以降に各国に求められた国内法整備を日本は全部済ませているので、非常に広範囲で処罰できる状態がすでにある。
共謀罪は単に人権侵害を助長するだけ。
国連が義務ではないと明言し諸外国も行っていない広範囲な、権利や自由を制限するという法律だ。
一言で言うなら、この共謀罪は、政府の気に入らない人間に言いがかりをつけて犯罪者に仕立て上げる法律なのだ。
安全保障関連法とこの共謀罪は明らかに憲法違反であるのに、自民党と公明党は強硬採決して成立させた。
安倍晋三首相の罪は深く大きい。
我が豚同志諸君よ、ここまで自分たちの身心を危うくしていく安倍晋三氏になぜ尻尾を振ってついて行くのか。
◎2017年2月
国有地売却をめぐる森友学園問題が発覚。首相の妻安部昭恵氏の関与が問題の焦点となる。
◎2017年5月、
獣医学部新設を巡る加計問題で「総理のご意向」文書が発覚。
◎2018年
3月、森友問題で財務省の公文書改竄が発覚
◎2019年11月
桜を見る会問題が発覚。
安倍晋三首相が公費で自分の選挙区の住民を招待していた。
◎2020年2月
従来の法解釈を変更して東京高検の黒川検事長の定年を延長した。
官邸の守護役の黒川氏を次の検事総長にするためだと言われていた。
この画策は黒川氏が賭け麻雀疑惑で辞任したことでつぶれたが、
安倍晋三首相はその後任の林氏でいいといい、事実、東京高検検事長になった林真琴氏は、その当時問題になっていた菅原代議士の選挙民買収疑惑を不起訴にした。
安倍晋三首相は三権分立という民主主義の根本を破壊したのだ。
かつては検察庁特捜部と言えば、自民党のどんな有力な議員であっても不正があれば摘発した。
自問党政府の汚職は歴史上数限りなくあるが、検察が摘発してくれるからと我々庶民は安心していた。
しかし、安倍晋三首相になって、検察が政府の言いなりになってしまった。
政府に不正があっても検察は検挙しない。
検察も政府の言いなりになっているのだ。
このような道徳的な退廃を招いた安倍晋三首相の罪は深い。
万死に値する。
以上、ざっと上げただけでこれだけの悪行を安倍晋三首相は重ねて来た。
安全保障関連法で日本をアメリカの命令するとおりにアメリカの戦争に自衛隊を送り込むようにし、共謀罪で人の心まで縛ることが出来るようにした。
この二つだけでも安倍晋三は罪人として刑に服すべきだが、安倍晋三は更に今上げた、数々の不正を重ねている。
信じられない首相である。
こんなことを許し続ける同志豚諸君も信じられない豚である。
同志豚諸君よ、胸に手を当てて考えて貰いたい。安倍晋三首相から安倍晋三首相を支持し続けるだけのエサを貰いましたか。
諸君らのエサを減らしてアメリカに貢いできたのが安倍晋三首相の真の姿なのに、諸君らはなぜに尻尾を振り続けるのか。
安倍晋三が首相になって8年。
一昔10年と言うが、8年間はあまりに長すぎた。
アベノミクスなど騒いだ経済政策も全く功を奏さず、日本の国力は低下する一方だ。
一番大事な学術に対する投資も行われず、最近の何人かのノーベル賞受賞者に
「これから先、日本からノーベル賞受賞者は出ないだろう」
と予告されるくらい日本の科学技術力は低下した。
アメリカの言うままにアメリカの武器を購入しているが、その金の半分でも科学技術の研究予算に回したらここまで世界の技術の最先端から取り残されることもなかっただろう。
これから先20年、日本からはノーベル賞受賞者は出ることはない。
今の科学技術は大規模な実験設備、測定設備が必要なのだ。
私の大学の同級生で国立大学の教授をしていた男が、私に尋ねたことがある。
「おまえ、日本の学者は幾らの金で転ぶと思ってるんだ」
「そうだな、5億か10億か」と私が答えると、友人は顔を歪めて言った。
「何言ってんだよ、300万円で転ぶよ。
研究費が全然出ないんだ。研究なんかしたくたって出来ないのが今の日本の学術の世界なんだ。もう、世界には追いつけないよ」
こんな会話をしたのはもう15年以上も前のことだ。
これから先、中国と韓国からノーベル賞受賞者が次々に出るだろう。
このように日本の国として根本的な危機にあるのに安倍晋三首相はトランプの太鼓持ちをして、日本の科学技術に投資したら日本の国力を増大できたはずの金を、役にも立たない兵器を購入してきた。
祖父の岸信介、叔父の佐藤栄作、この二人はアメリカに日本を売った。
安倍晋三もその血を引いて、というか同じ弱みを握られて日本国よりアメリカのために尽くしている。
ああ、こんな首相がふんぞり返っている日本という国は行く先望みはない。
こんな男が国を動かすのを許してはいけない。
この8年間に安倍晋三首相がどれだけ日本に損害を与えたか今上に取り上げただけでよく分かるはずだ。
それなのに、我が同志豚諸君はこの男を支持し続けてきた。
もう同志豚諸君には何を言っても無駄だ。
と諦めの気持ちが強くなってきて、このブログを更新する気力が失せていたのだ。
しかし、これではいけないと強く反省した。
このままでは無意味な負け犬になってしまう。
心を入れ替えて、私の言うべきことを親愛なる同志豚諸君に言って行きたいと考える。
(この文章、8月31日に急遽訂正し、以前の内容の後半を削ったので、全体の整合が取れなくなっしまったことをお詫びしたい。なぜ、以前の文章を削ったかは、また、ここで説明させて頂きます)
2020/06/26 - ネットで漫画を読むこと 前回、このページで「お別れホスピタル」の漫画を読むことの出来るページを紹介した。
私も、そのページを読んでみたのだが、大変に気になるところがあった。
それは、漫画のページが上から下に繋がって表示されることだ。
これは、私だけでなく、日本の漫画制作に関わってきた人間にとっては我慢の出来ないとこだろう。
私が漫画の制作に関わるようになって、まず、編集者から言われたことは、「ページのめくりを大事にしろ」と言うことだった。
日本の漫画は右から左に向けて次々にページをめくって読んでいく。
西欧の本は左から開く。右開きに離れていない、と言って、漫画が海外に紹介され始めた1970年代ごろには、右開きの漫画を無理矢理左開きにしていた。どうしてそんなことが出来たかというと、画稿を裏返しに印刷すると、右開きを左開きにすることが出来るのだ。
1900年頃までは、日本の漫画は無理矢理左開き印刷で海外では売られていた。
私の漫画は海外で人気があった。香港や、アメリカの中華街に行くと私の本の海賊版が本屋の店頭に平積みにして置かれていた。
漫画にはよく絵の中に、効果音が書き込まれる。男組で言えば、「はあーっ!」とか、「ええーいっ!」とか、「でーいっ!」というかけ声もそうだが、これは、中国語で書き変えるのは面倒なのだろう。原画の通りなのだが、それを裏返しに印刷するから、実にへんてこりんな事になっていた。
出て来る人間の90パーセントが左利きというのもおかしい。絵の中に書き込まれた、英文、数字がひっくり返っているのも気持ちが悪い。
その当時の日本人以外の漫画読者はそのようなへんてこりんな持ちの悪いものを読んでいたのだ。
私たち漫画に関わる人間は、そんな裏返しの漫画を見るたびに、不快感と怒りに大変に気分が悪くなった。
海賊版で有るから、当然著作権は無視視する。要するに、知的な窃盗行為を連中は白昼堂々と繰り返し行っていたのだ。
著作権を無視した上に、作品を裏返しにするという破壊行為も行っていたのだ。
作品は中国語に翻訳されていたし、中国人界で売られていたから、関わったのは中国人だろう。
右開きで読めないのなら、漫画を読むな、私は怒った。
それと同じような不快感を、上から下にずるずると表示する、ネットの漫画表示に感じる。
漫画を読んでいくと、先に進むために、左側のページを開く。
そこの所を我々は大事にしてきた。
漫画の編集用語で「めくり」という。
「めくり」を考えて作れ、と言われたものである。
ページをめくるときにはその先に何が待っているか期待が高まっている。
場合によって、前のページで期待を高めておいて、ページをめくると、ドカーンと興奮を呼ぶ絵を用意する。
そのような、仕組みをマンガ家は考えて画を描いているのだ。
一流のマンガ家で、「めくり」を考えない画家はいないだろう。
読者にしても、ページをめくると何が待っているのか、と言う期待感は大事だろう。
それが、「めくり」の価値なのだ。
それが、上から下にずるずると表示されてしまっては、台無しだ。
「めくり」は漫画の文化の中で大事なものなのだ。
ネットで漫画を表示すれば多くの日本人に呼んでもらえる、それはいいことだ。
しかし、漫画の価値を破壊するような表示はやめてもらいたい。
いま、上下、縦にずらずらと表示している人達は、昔、漫画を裏焼きにして左開きにして売っていた人間達と同じ文化の破壊者だ。
漫画を読むなら、きちんと、私たち漫画制作に関わってきた人間の意図するところのものを守ってくれ。
ずるずる縦表示なんて、あれは、漫画に対する冒涜だ。
私は許せない。
私はヨドバシカメラの「Doly」というソフトで、電子書籍を読んでいる。
ヨドバシカメラの「Doly 」では、漫画も扱っている。
この「Doly」はきちんと、本をめくったときと同じように表示される。
「Doly」で出来ることが、他のインターネット表示で出来ないはずがない。
「ずらずら、縦表示はまっぴらだ。漫画文化を壊すな」と私は言いたい。
2020/06/24 - お別れホスピタルを読む 前回紹介した、「お別れホスピタル」
現在ネットで読めます。
是非読んで下さい。
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2006/24/news019_2.html#utm_source=yahoo_v3&utm_medium=feed&utm_campaign=20200624-004&utm_term=it_nlab-life&utm_content=rel1-1
2020/06/18 - お別れホスピタル 週刊ビッグ・コミック・スピリッツに「お別れホスピタル」という漫画が連載されている。
これは、終末病棟を舞台にして繰り広げられる人間ドラマを描いた漫画である。
終末病棟の入院患者は人生の終末を過ごす人々だ。
回復して退院するという事はあまり無い。
ここで死んで行く人達なのだ。
そのような状況での人間ドラマであるから、重い。
読んでいて、やりきれなくなることも多い。人間の真実なまなましく突きつけられると、私などいい加減な生活をしている人間はうろたえる。
実に深い内容なのだ。
現在単行本が4集まで発売されている。
漫画は星の数ほどあるが、読む価値の有る漫画は少ない。この漫画は、滅多にない読む価値の有る漫画だ。
作家の名前は、沖田×華(なんと、Okita Bakkaと読むらしい。実にユニークな筆名だ)
2020年のビッグ・コミック・スピリッツ第28号に掲載されている「お別れホスピタル」は、「特別編 コロナと闘う看護師たち」として急遽コロナウィルスの問題を取り上げている。
私達には想像も出来ない医療従事者たちのこのコロナウィルス災禍の中での生活が生々しく描かれている。
内容を紹介しよう。
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この終末病棟の医療従事者、看護師たちの生活は普段も私達甘ったれた生活をしている人間には想像も出来ない厳しいものである。
そこに、コロナウィルスという災厄が加わると一体どうなるか。
今回はまず、80歳の男性の患者の話で始まる。
その患者はアルツハイマー型認知症で寝たきり。
その患者が突然発熱する。
その患者の息子が2人、8日前に見舞いに来ていることが分かった。しかも、次男はシンガポール帰り、長男は県外の人間で大阪から戻ってきたところで、面会の時に「微熱がある感じ」といっていたことを看護師たちは思い出す。
新型コロナかどうか診断するためには、2020年4月時点では、2つの条件がそろわないとPCR検査の対象にならない。
その2つの条件とは、「37.5℃以上の発熱が4日以上であること」「肺のCT画像で肺炎影があること」であり、この条件が整わない患者はPCR検査が受けられない。
(このPCR検査を受けることが簡単にできないところが、日本のコロナウィルス感染患者数が低いことの秘密であるらしい。韓国のようにできるだけ多くの検査をしていれば、今の感染者数の数倍の値になるといわれている)
コロナ感染の疑いのあるその患者は、院内感染防止のために個室に移動させた。
その個室に入るのは大変である。
部屋に入る看護師、介護士は1日につき各1名のみにしぼる。
防護服は処置後、部屋に設置しているゴミ袋に破棄。ドアの前にはハイターをひたしたシートを設置し、出入りのたびに足元を消毒し、ドアの周りを消毒して退出。
これを、処置のたびに繰返す。防護服を着用するのにどんなに早くしても1回に5分はかかる。1日で計算したら、時間のロスは大変だ。
たった1人、コロナ疑いの患者がいるだけでこんなに大変なのに、指定病院はどうやってスタッフを回してるんだろう、とこの漫画の主人公の看護師、あゆ、は心配する。
この漫画は医療従事者の実態を描いている。
まず、ヘルパー(看護師の手助けをする人)の桜井さんの話が描かれる。
桜井さんは子持ちである。コロナで学校が休みになっているので子供たちがずーっと家にいる。
学童を預かってくれるところはあるが、コロナが怖いから預ける親は少ないし、遊び相手もいないから子供も行きたがらない。
旦那も今仕事がストップしてしまって県外に出稼ぎに行ったまま帰って来ない。
3人いる子供は外に出られないから大騒ぎしている。それを桜井さんは1人で面倒見なければならないから、前日は力尽きて床で寝ていたという。
看護師たちは毎日仕事していて、さらにそれはきつすぎる、とぞーっとなる。
あゆの看護学校時代の友人で現在N病院に勤務しているさっちーが訪ねてくる。
さっちーは買い物の包みを沢山持っている。
あゆが、買い物するより休んだ方がいいんじゃないか、というと、あゆに、時間があるなら荷物運ぶの手伝ってもらえる、とたずねる。
あゆが承知すると、さっちーは自分の車で、N病院の駐車場に案内する。
そこには、夜なのに車が何台も駐車している。
さっちーは説明する。
N病院は院内感染が発生して、看護師20人が濃厚接触者になった。
その濃厚接触したが自宅待機できない医療従事者たちの居場所がこの駐車場なのだ。
彼らは、この駐車場に自分の車を停めて、その中で夜を過ごすのだ。
「あそこの車にいるのは主任さんで、高齢の両親と同居してたけど、今、家のことはヘルパーに任せてるって」
「あっちの車は同僚で一番仲がいいよ。五歳の子供いるんだけど、心臓疾患があって、旦那に世話たのんで、自分はここにいるんだ。
東京だったら専用のホテルがあるみたいだけど、うちの県にはそんなもんはないでしょ?
こうやって医療従事者が濃厚接触者になったら、どこも受け入れてくれないし、誰にも頼れない。
でも、かぞくにだけは絶対にコロナをうつしたくない。
だから、こうするしかないの」
この駐車場の場面は、すさまじい。
医療従事者がどんなに過酷な状況にあるか、この漫画は全てを語ってくれる。
ホテルでもなく、宿泊施設でもなく、自分の車で病院の駐車場で毎日を暮らさなければならない。
医療従事者たちにきちんとした待遇をしない国、そんな国が我々日本という国なのだ。
さっちーの友人のえりチンさんという看護士が同じ駐車場の車の中にいる。
エリちんさんは子供を家に残して駐車場の車の中で過ごしている。
さっちーは語る、
「実はエリちん、離婚するかも知れないんだよね。
ダンナさんコロナで会社潰れちゃったんだよね。元々仲良くなかったところに無職になって・・・・・今は仕方なく子供と一緒にいるだけで、帰って来ないエリちんのことボロカス言って来るんだって 」
「おまえは子育てを逃げられていいよな」とか、
その言葉に、あゆはおどろく、
「ハァ? 何ソレ!? 息抜きで車中泊してるとでも思ってんの!?」
それに、さっちーが答える。
「つまり・・・、そういうことなんだよね。
病院サイドとフツーの人とのコロナに対する病識のズレっていうか・・・・・・・・・・・・
コロナに関わっていない人は、どこかで大したことじゃないって思ってんだよね・・・」
「私もエリちんも、防護服着て、16時間ぶっ続けで働き続けて・・・
トイレに行くヒマもないから水分もとらないでひたすら動いて・・・
脱水になってボーコー炎になったとしたって、誰も助けてくれない!
なんでみんなナースって病気しないって思ってんだろ?
ウチらもただの人間なのにさ・・・・・・・・」
一週間後・・・
駐車場の車の数は増えている。
さっちーは語る、
「医者も、ヘルパーさんもいるからね(こういう人も、駐車場に寝泊まりするしかない、という医療の現場の悲惨さ)」
「自宅待機中にケンカして、プチ別居したって人もいるし」とさっちーはいう。
さっちーの病棟はずーっと満床ですし詰め。
「4月からはマスクも防護服も消毒して使い回しだし・・・・みんなボロボロの格好で仕事している」
「これって、すごい異常だよね。
看護婦の3Kなんて聞き慣れているけどさー。
それって職場のことだけであって、まさか自分たちがウィルス扱いされるなんて思ってもみなかったよ・・・・
いっとくけど、私、仕事したくない訳じゃないよ。
出来るなら定年まで看護師を続けたい。ただ・・・・願うのは・・・・・
〈安全な環境の下で仕事がしたい〉
それだけなの」
このさっちーの言葉は重い。というか、そんな基本的な環境も看護師に用意されないこの国は一体何なのだ。
エリちんさんの、話が描かれる。
エリちんさんが、車の中から、家に残してきた息子のたっくんと電話をしている。
「ママー (グス)
僕のこと嫌いになったの。パパが僕か病気だから帰って来ないって(ヒック)」
「たっくんのこと嫌いなワケないでしょ・・・・・
ママね、今、悪いばい菌と闘っている途中って言ったでしょう?」
「うん! 凄く強いんでしょ?」
「そう、・・でも・・それが終わったらすぐ帰るから梅ちゃん(猫の名前)といい子にしててくれる?」
「分かった・・梅ちゃんもはやく会いたいって ホラ!!」
猫の声(ニャー、ニャー)
エリちんの独白
「いっぱい我慢させてごめんね・・・」
「ママもたっくんと梅ちゃんを抱っこしたい・・・」
「いますぐあいたいなあ・・・」
「誰だって、こんな所にいたくはない。
でも、大事な家族を守るためにそうする他はない」
「医療従事者と言う仕事を選んだ人間の1人として、私達が逃げる訳には行かないから。
見えないところで泣くしかない・・・・」
(ここで、私は、不覚にも泣いてしまった。なんと言う凄い言葉だろう。こんなことをきちんと言える人間を前にして、頭を下げることしかできない私が情け無い)
漫画の最後で、コロナを疑われた患者は、コロナではないと言うことになって大部屋に戻ることが出来た。
あゆ、さっちー、エリちんが、コンピューターの会議ソフトで話し合うところで今回の漫画は終わる。
最後にあゆの言葉が書かれる。
「沢山辛いことを乗り越えてきたから、どんな過酷な状況の中でもーーーーーーーーーーーー
私たち看護師は元気になる方法を知っている。
でも、新型コロナの収束にはこれから数年要すると言われている。
私たちの闘いは、まだはじまったばかりなのだ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
スピリッツのこの28号が発売されたのは、6月8日。
それを今頃紹介するのは遅すぎる。この28号は売り切れてしまっているだろう。
紹介が遅れたのは、コロナウィルスのせいだ。
私はスピリッツを小学館から送って頂いている。
それが、このコロナウィルス騒ぎで、大幅に遅れている。
残念ながら、私が28号を手に入れたのは29号発売される頃だった。
このブログを読んで下さった方が「お別れホスピタル」を読もうと思っても、もう間に合わない。
申し訳ないことです。
どうか、単行本に収録されるのをお待ちください。
セリフを紹介することしか出来なかったのは残念だ。
私はこの漫画を読んで、日本の漫画と言う物の素晴らしさを改めて痛感した。
日本の漫画はどんな題材でも描くことが出来る。
そして漫画で訴えかけるとその訴えが心の深い所にまで力強く届く。
今回の「お別れホスピタル」は、ページ数がわずか20ページだ。
わずか20ページで、ここまで深く心に訴えかけることが出来る。
この内容を、テレビドラマや小説でやって見たらどうなるか。
こんなに上手く伝わらない。
漫画の可能性は限りない、とこの漫画を読んで痛感した。
この漫画は、私に、漫画の世界で生きてくることが出来て大変に幸せだったと思わせてくれた。
この「お別れホスピタル」では、毎回、医療従事者の実際の姿が描かれている。
今回のコロナヴァイルスの問題でも、感染者数と志望者数が毎日数え上げられ、レストランの営業の件を始めとして、様々な職業の苦境か伝えられるが、医療従事者の実際の姿はなかなか報道されない。
その意味から、今回の「お別れホスピタル」は時宜にかなったものだ。
私は、今回、コロナウィルスとの闘いで医療従事者がどんなに大変な生活を強いられているか、この漫画によって理解することが出来た。
素晴らしい漫画だ、と心から賛辞を呈したい。
沖田×華さんは、毎回難しい題材なのによく頑張っておられる。感服する。
これからも、どんどん良い漫画を書いて下さい。
2020/04/24 - 派遣労働者の危機 あまりに豚な私たちについての続きを書こうと思っているのだが、そのような原則論よりも、目の前の危機について考えなければならない問題が読者から提起されたので、今回はその問題について書いて行く。
最近、このページの読者の「よ」さんからメールを頂いた。
これは、私独りが読んで済ませる物ではなく、他の読者の方にも読んで頂くべきものだと私は考えた。
何回か頂いたメールを、私が、このページで読んで頂くのにあんばいが良いようにまとめた。
まとめた文章は「よ」さんに、確認して頂いた上、掲載を了承して頂いた。
「よ」さんは書いてこられた。
「私は、2014年から2015年の頃、父がかつてやっていた鍼灸院を使わせてもらってマッサージ店を開店しましたが、なかなか上手くいかず、夜間にHPのパソコン梱包工場(東京システム運輸)でライン作業のアルバイトをしました。派遣会社はヴィゴール。その他にはトップスポット、羽田、などいくつかの派遣会社が入ってました。
私がその夜勤のアルバイトをし、日雇い派遣状態をみたのは2014年から2015年の頃です。」
「よ」さんが見た派遣労働者の状況
「私は47歳です。
私は以前工場で夜勤のアルバイトをしたのですが、小泉竹中政権以来、派遣は日雇い状態です。その日の発注量が多いと複数の派遣会社から大勢のスタッフが集められ、翌日の発注量が少ないと途端に仕事に入らなくなる。給料は日払いで、仕事に入れる日と入れない日が不安定なので貯金もままならず、その日の日銭でその日暮らし、転職しようにも『貯金』がないと新しい仕事の面接のために休みを入れるとたちまち仕事を干されるので、面接したわりに断られたりするとますますジリ貧になって、水飲み百姓状態になるという。恐ろしい状況を目の当たりにしました。」
「水飲み百姓状態は、私自身ではなく同じ工場の子(20〜30代の男の子)が昼休みに工場備付けの給水機の水ばかり飲んでいるので、『どうしたのか?』と聴くと『安定した仕事につきたくて面接に行くために、この工場で稼働してほしいって派遣会社にいわれた日に休んだら、その後何日かは入れなくて、ついでに面接も断られたから、お金が全然ない』
という話しを聞きました。
他の子が来て『馬鹿だな逃げようとなんてするから。いいか、もし他のところに行けても、給料が翌月払いとかになるから、その間地獄なんだぞ』とか
『履歴書に貼る写真代を節約するために写真を忘れたテイで面接に行くから最初から印象悪くなる』
など様々な悩みを聞きました。
私自身は今の自営業が軌道に乗るまで、日中は自営業をし夜その工場に行っていたので、今は工場には行って無いのですが、日本の恐ろしい派遣=日雇いの現実を見ました。」
そして、「よ」さんは書いておられる。
「私が心配しているのは、おそらく同じような人達が武漢ショックで雇い止めされて、もう2月くらいから食べれてないのではないか。彼らは貧乏に慣れていてかなり生命力が強いのですが、それにしても、2月、3月、そしてもうすぐに4月後半です。人が栄養失調と餓死するには十分かと思います。
役所かどこかに行けば何処の誰ですかあっても食料を配給してもらえるとか、条件とか手続きとかは簡略化して、とにかく窓口に来た人にすぐに現金渡すとかしないと
そろそろ餓死者が出るのではないかと思います。
彼らがプライドを捨てて、ゴミ箱漁りでもいいからサーバイブするのだと気持ちを切り替えられていればいいのですが、気の優しい、おとなしい子が多いので、『じっとがまん』とかしてるうちに死んじゃうじゃないかと心配してます。」
「よ」さん、貴重なご報告を頂いて、心から感謝します。
「よ」さんからメールをいた代同じ時期に、YAHOOニュースで、藤田孝典氏が、
「⽵中平蔵パソナ会⻑『世界は数年痛い⽬を⾒る』 いやあなたのせいですでに散々痛い⽬を⾒ています」
と言う題で記事を書いている。
藤田孝典氏は、2007年にルーテル学院大学院を卒業されたとあるから、まだ30代。ご自身の自己紹介には、「ほっとプラス代表理事、反貧困ネットワーク埼玉。社会福祉士。NPOのソーシャルワーカー」と書かれている。
藤田様ここにその記事を無断で引用させて頂きますが、このような議論を広げるためとお考えになって、お許し下さるようお願いします。
「⽵中平蔵元経済財政担当相の雇⽤改⾰は今でも甚⼤な効果を発揮し
ている
4⽉18⽇、19⽇に弁護⼠、司法書⼠、社会福祉⼠、労働組合員などが企画し、全国⼀⻫なんでも電話相談会が開催された。
新型コロナウイルスの影響により、⽣活困窮する⼈たちが多いため、全国の専⾨職などの有志が⽴ち上がった。
私も埼⽟県で活動する仲間たちと電話相談を受け、経済危機の実態が深刻であることを改めて実感するに⾄った。
朝10時から夜10時まで、埼⽟会場の5回線は受話器を置けばすぐに着信がある状態が2⽇間続いた。
2⽇間合計で、埼⽟会場には、全産業から雇⽤形態に関係なく420件を超える相談が寄せられている。
他にも、中⼩企業の社⻑、⾃営業者やフリーランスの⽅たちからも⽣活苦が語られた。
そして、なかでも⽴場の弱い派遣労働者、⾮正規労働者は、休業補償も受けられず⾃宅待機を命じられたり、所定の有給休暇を取得後に⽋勤扱いされているという相談が相次いだ。
新型コロナ禍は全ての⼈々に襲いかかっているが、派遣労働を含む⾮正規労働など⽴場が弱い⼈々へのダメージはより深刻だった。
このような派遣労働、⾮正規雇⽤を増やす政策を推進してきた張本⼈といえば、⽵中平蔵⽒であることは⾃明である。
いわゆる⼩泉・⽵中改⾰という雇⽤の流動化政策は「就職氷河期世代」(私は「棄⺠世代」と呼んでいる)を⽣み出し、ワーキングプアと呼ばれる低賃⾦労働者を⼤量に作り出すことに貢献したと⾔ってもいい。
彼らが権限を⾏使して進めてきた雇⽤政策では⼀貫して、⾮正規雇⽤が増え続けた。
近年はようやく増加が⽌まったが、まさに彼らの政策で不安定雇⽤が急増したことは間違いない。
リーマンショックの際には、その影響が「派遣切り」という形態で可視化されて、⽵中平蔵⽒らの雇⽤政策の失敗が⽣活困窮者を⼤量に⽣み出すことを明らかにした。
そして、今回の新型コロナウイルス禍でも、同様に⽵中平蔵⽒の改⾰の失敗による効果は甚⼤だった。
派遣労働者や⾮正規労働者は、貯⾦を形成する余裕もなく懸命に働いてきたが、またリーマンショック時と同様に、雇い⽌めや⼀⽅的な解雇などの犠牲になっている。
リーマンショックの際も「雇⽤の調整弁」という⾔葉で表現されたが、真っ先に解雇や「休業補償なき⾃宅待機」で影響を受けていたのは今回も⾮正規労働者だった。それにもかかわらず、⽵中平蔵⽒は⽇本経済新聞の取材に対し、現在と未来の⽇本を以下のように語っている。
「今の時代は世界的に保護貿易主義が主流です。
その上最近では新型コロナウイルスの流⾏も相まって、⼈の移動について報復合戦も⾒られました。
この根本は社会の分断にあると思いますが、10年後にはその解消に向け、様々な⼯夫が⾒られる時代になっているでしょう。
世界はこれから数年、痛い⽬を⾒たあとに、少なくとも5年後には、解消に向けた議論が真剣にされているはずです。
新しい技術が世間に⾏き渡るイノベーションも、次々と起きることになるでしょう。
次世代通信規格「5G」は、技術的にはすでに確⽴していますが、遠隔医療などに⾒られるように、規制が障壁になり実⽤化が遅れているものもあります。
今後10年は先端技術が⺠間で実⽤化されるために、⼀つ⼀つ議論する時代になるのだと思います。
ですが、それに伴って今ある職業が急になくなるような状況もあるかもしれません。そこで必要なのが、最低所得を保障する「ベーシックインカム」です。
⼈が⽣きていくために最低限必要な所得を保証することができれば、⼀度失敗しても、積極果敢に再びチャレンジできる環境になるはずです。
出典:「社会の分断 正す10年に」 ⽵中平蔵⽒ 4⽉18⽇ ⽇本経済新聞」
あなたのせいでどれほどの痛い⽬を⾒てきて、現在の経済危機でもどれほどの被害を受けている⼈がいることか。極めて無責任である。
また、最低限必要な所得を保証してきた雇⽤を不安定化させてきたのは⽵中平蔵⽒らである。
「ベーシックインカム」などを語る以前に政治・政策の失敗を振り返るべきだろう。
過去の失敗を振り返れない⼈間が未来を展望できるはずがないし、その資格はない。
そして⽵中平蔵⽒は、どの⼝が⾔うのか、と思うが「⼈への投資」を平然と推奨する。
その⼀⽅で安定していた終⾝雇⽤や年功序列制度が悪いことだといういつも通りの主張を展開してインタビューは終わる。
もはや呆れ果てて⾔葉を失いそうになる。
派遣労働者、⾮正規労働者の多くは、⼈的投資としての教育や職業訓練、企業内の研修機会に⼗分恵まれず、ひたすら正社員やコアスタッフの周辺で働くことを余儀なくされてきた。
⾼度な専⾨性を有した派遣労働者はごくごく⼀部であり、⼤半は⾮熟練の地位に置かれた労働者である。
そして、給与が低いこと、⾮正規雇⽤であることは能⼒が低い、⾃⼰責任ということにされ、まともな待遇が保証されないまま現在に⾄る。
相変わらず、同じ仕事内容でも正社員との給与格差は⼤きい。⾮正規雇⽤というのは差別処遇と⾔っても差し⽀えない働かせ⽅だろう。
だからこそ、経済危機のたびに最初に悲鳴を上げるのは⾮正規労働者である。
今後、⾮正規労働者は⽣活困窮者と変化して、苦しい⽴場に置かれることとなっていく。
新型コロナウイルスが収束した後の⽇本社会を展望する際には、少なくとも彼のような「過去の経済⼈」による雇⽤政策の失敗を繰り返してはならない。
取り返しがつかない被害を社会に与え、現在も免責されるのであれば、将来の⽇本に禍根を残すこととなる。
もう昔の⼈を知識⼈、経済⼈と尊重するのではなく、きちんと責任を問いただし、⼆度と政策決定の中枢に関与できないように監視するべき時だろう。」
藤田孝典氏の言うとおりだと思う。
ただ、氏は「改革の失敗」「政策の失敗」という言葉を使っている。
竹中平蔵の行った経済政策の中の「派遣法改正」について言っているのだろう。
かつては職業安定法で間接雇用である派遣紹介業は禁止されていた。
それが、小泉内閣経済財政を担当する大臣として任命された竹中平蔵の力で派遣業が大幅に広い職種で許されることになった。
これは、国民の立場からすれば、政策の失敗であるだろうが、竹中平蔵や派遣労働者を雇うことによって人件費を削減できている企業からすれば大成功な政策なのだ。
そして、今回のコロナヴァイルスによる経済の混乱時にも、派遣労働者によって人件費を抑えることが出来ることは、企業にとって有り難い事なのだ。
現在アメリカの経済学の主流は企業による完全な自由を主張している。
全ての規制を取り除いて企業が自由に経済活動をすることが一番重要なこととされている。
竹中平蔵が、終身雇用制度に反対するのも、それが企業の人件費を高くし、企業の自由な活動を制限するからだ。終身雇用制度は労働者の側からすれば安定した生活が得られる物で、ありがたいものなのだが、竹中平蔵のように企業の利益しか頭にない人間にとっては有害無益としか思えないのだ。
竹中平蔵はアメリカで経済学を学んできて、企業の利益が第一で、それを阻害するものは徹底的に取り除かなければならない、と信じ込んでいる。
竹中平蔵は最初から労働者側に立っていない。大企業と、大企業と癒着した政治家の側に立っている。
労働者のことなど考えたこともないし、これからも考えることはないだろう。
リーマン・ショックを最小の被害で乗り越えられたのも、雇うのも解雇するのも企業の思うとおりに動かすことの出来る派遣労働者があったからだ。
今回のコロナヴァイルスによる経済破綻から立ち直るためには、やはり、正社員の数を減らし、派遣労働者の数を増やすことが必要だと企業は考え、その通りに行動するだろう。
氏は、竹中平蔵について
「少なくとも彼のような「過去の経済⼈」による雇⽤政策の失敗を繰り返してはならない。」
と書いているが、竹中平蔵は過去の経済人ではない。
19年の5月期の売上額が3450億円の大企業パソナの取締役会長を務めている。
パソナは人材派遣業である。
この売り上げ、3450億円は、本来なら労働者のものになるはずの金である。パソナは企業と労働者の間に入って、労働者の受けとるべき賃銀を途中でかすめ取っているのである。
このように、労働者と企業の間に入って金を稼ぐ行為を防ぐために、以前は職業安定法で間接雇用である派遣紹介業は禁止されていたのだ。
神戸の山口組が日本一の暴力団にのし上がったのは、神戸港などの港湾労働者を暴力で支配して、労働者を海運会社や、土建会社に派遣し、企業の支払う労働賃金の上前をはねたからだ。
その暴力団と同じことを、竹中平蔵のおかげですることが出来るようになったので、パソナという会社が3450億円という売り上げを得られるようになったのだ。
それにしても、竹中平蔵という男は常識では考えられない倫理観の持ち主だ。
労働者の賃金のピンハネをするのは暴力団と決まっていたのを、パソナのような会社でも出来るように法案を改正し、その労働者の賃金ピンハネによる甘い利益で太るパソナの会長になった。
自分が労働者の賃金をピンハネしてかすめ取ることが出来るように法律を改正したのだろう、と言われても反論できないだろう。
竹中平蔵は暴力団に使われていると思ったら、自分も暴力団の幹部になってしまったのだ。
竹中平蔵は過去の経済人どころか、現在もこれから先も、日本の経済を牛耳っていくだろう。
「よ」さんが報告してくれた、派遣労働者の苦難はこれからもっとひどくなるだろう。
「よ」さんが恐れているように、餓死者が出てもおかしくない。
私達は、竹中平蔵に代表される強欲で、残酷で、労働者の命など屁とも思わない人食い共にどう対応していくか考えなければならないのだ。
日本では、労働者に許された、ストライキ、デモンストレーションがなし崩し的に行われなくなっている。
お隣韓国では、経済大国になった今も、労働者は会社の言うなりになっておらず、デモ、ストライキを行って労働者の権利を主張し続けている。
私達はもう一度、労働運動をきちんと捉え直し、人食い共に対抗する運動を構築して行かなければならないと私は考える。
いまこそ、立て万国の労働者、という言葉をきちんと捉え直すときだ。
2020/04/15 - 政府は何のためにあるのか 前々回の続き、私達があまりに豚である話を書きたいのだが、今目の前に、そのような原則的な話では追いつかない、とんでもない問題が突きつけられたので、それについて考えることにする。
私達があまりに豚であることについては、次回以後に続けます。
2020年4月13日付け、朝日新聞デジタル版からの引用
⻄村康稔経済再⽣相は13⽇の参院決算委員会で、新型コロナウイルスの感染拡⼤による⾃粛要請に応じた店舗に対し⾃治体が独⾃に⾏う休業補償について、国から地⽅⾃治体に配分される臨時交付⾦は財源に充てられないとの考えを⽰した。国⺠⺠主党の浜⼝誠⽒の質問に答えた。
臨時交付⾦は政府の緊急経済対策で⾃治体向けに創設され、1兆円が計上されている。⻄村⽒は「国として事業者の休業補償を取る考えはない。従って国からの交付⾦が(⾃治体が⾏う)事業者への休業補償には使えない」と述べた。
他⽅、⻄村⽒は、国は「補償」はしないが、売り上げが半減した個⼈事業主に100万円、中⼩企業に200万円を上限に現⾦給付などの「⽀援」策を講じることを強調。⾃治体が国と同様、「⽀援」として給付を⾏う場合には臨時交付⾦を使えるようにする考えを⽰した。また、交付⾦の配分額は、⾃治体の⼈⼝、感染状況、財政⼒などを「総合的に判断」するとした。(三輪さち⼦)
西村再生相の言ったことの要点は、
1)「国として事業者の休業補償を取る考えはない」
2)国からの交付金が(自治体が行う)事業者への休業補償には使えない。
3)売り上げが半減した個人事業主に100万円、中小企業に200万円を上限にして現金給付などの「支援」策を講じることを強調。
の3点である。
a)私はもし政府が「国として事業者の休業補償を取らない」というのであれば、日本は終わると考える。
個人事業者が破綻したらこの国の経済は完全に潰れる。
大企業がどんなに栄えても、個人事業者が消えてしまったら、それが日本経済にどれだけの打撃を与えるか、考えられないとしたら、それは政治家失格である。
日本では(いや世界中同じだろう)全ての事業主が自転車操業をしている。毎月、毎月収入が入ってこなかったら中小企業だけでなく、ソフトバンクのような企業でも、やって行けなくなる。
収入が途絶えたら、事業は潰れる。事業主もそこで働いている人達も、たちまち生活が困難になる。
そのような人間が、国中に溢れる。これは、第二次大戦に敗戦した直後と同じ事態になる。
日本は国としての借金が1000兆円を超えている。すさまじい負債の額である。
ここで例えば100兆円を個人事業主のために使ったら負債額は更に増えて財政の困難は増す、と政府と財務省の役人たちは考えたのだろう。
しかし、ここで、日本の個人事業主たちが仕事を失ったらその損害は途方もないことになる。
財政が困難になるどころの騒ぎではなくなる。確実に、日本経済はこわれる。
国としての借金が増えても、経済が今のシステムを保っていれば、必死に努力をすることで、回復する可能性はある。しかし、システムが壊れてしまっては、一切の可能性はなくなる。
崩壊したシステムを1から作り直すためにはどれだけの年月と労力と犠牲が必要になることか。
選択の方法としては、
i)個人事業主を救済する。
更に借金は増えて、財政は困難になるが、全破壊に至らなければ努力して回復する道を探る可能性はある。
ii)個人事業主は救済しない。
更に借金が増えることはないが、この方策をとれば、一切の可能性はなくなり、自動的に直ちに日本は破滅する。
という二つの選択がある。
悪い方か、より悪い方を選べ、という厳しい問題だ。
いや、難しい問題ではないだろう。
今のコロナヴィルス禍は百年に一度という大きな禍(わざわい)だ。
平常時の感覚では対処できないだろう。
とにかく今あるものを守り抜くことが必要だ。
勇気をふるって、「悪い方」を選択するのだ。
今の政府の方針では「より悪い方」を選択することになる。
政府は「国として事業者の休業補償を取る考えはない」という。
政府の役割は一体何なのだ。
国を守り、国民の生活を守ることだろう。
この災禍に当たって、ありとあらそる知恵を振り絞って国民の生活を守り抜くのが政府の存在価値なのではないか。
ここで、しゃあしゃあとして、「国として事業者の休業補償を取る考えはない」とは何事だ。
戦う前に手を挙げて、国民が野垂れ死にしていくのをぼんやり眺めているつもりか。
桜を見過ぎて頭の中が花盛りになってしまったか。
財政が厳しいのはどこの国でもおなじことだ。しかし、オーストラリアでは、70パーセントまで補償することになった。
その代わり、外出禁止など厳しい措置を取っている。
日本のように、飲食店に自粛してくれ、と言うだけのいい加減な対応ではない。
飲食店は、テイクアウト以外は営業禁止となっている。
厳しい措置のおかげで、オーストラリアでは感染拡大が抑えられている。
b)奇怪なことは、
「国からの交付金が(自治体が行う)事業者への休業補償には使えない。」
と言いだしたことだ。
こんなことを言うその真意は小池都知事に対する、対抗意識だという。
小池都知事はコロナヴァイルス禍対策を先頭に立って行っている。
人によっては、次の選挙目当ての人気取り行為だ言う。
人気取りで結構だ、それで、日本の経済が助かるなら、どんどんやって貰いたい。
今、コロナヴァイルスに対するきちんとした対策を出している政治家は小池都知事だけではないか。
自分の家で犬と遊んで、ドッグドリンクを飲んでいる動画を投稿して、「皆おうちにいてね」なんてつぶやくしか能のない男の数千倍、国民にとっては有り難い。安倍晋三氏とその周りの人間は、自分たちのメンツみたいなものにこだわって、この国を滅ぼす気か。
c)さらに、あきれ果てるというか、何か物事をしっかり考えたことがあるのか、という疑問を抱いてしまうのは、第3番目の
「売り上げが半減した個人事業主に100万円、中小企業に200万円を上限にして現金給付などの「支援」策を講じることを強調。」
したことだ。
これ、100万円を毎月くれるんですか。
それとも、一回こっきり。それも、それが上限?
一回こっきりで、それが上限だというのなら、そんなものは焼け石に水だ。
こんな誤魔化しの手を使って、一体何になると考えているんだろう。
これから半年が勝負だ。
第二次大戦の敗北のような悲惨な目にわれわれは遭いたくない。
安倍晋三君、君はもう無理だ。
小池都知事か誰かに代わって貰いなさい。
それも、一刻も早く。
あまりに豚な私達も、生き残るためには愚かな指導者を追放するしかない。
生きるか死ぬか、その決断は今すぐにしなければ手遅れになる。
今こそ、あまりに豚な私達が、目覚めるときだ。
2020/04/12 - シドニー・シンフォニー合唱団 今回は、前回につづいて、私達が如何に豚であるかについて書く予定だったのだが、久しぶりに良い話しが入って来たので、それについて書くことにする。
シドニーには、シドニー・シンフォニー・オーケストラと、シドニー・フィルハーモニーという、二つ大きな楽団がある。
シドニー・シンフォニーには、合唱団もある。
シドニー・シンフォニーと合唱団は、年に一回、あるいは二回、一般的に人気のある曲を選んで素人の音楽好きを自分たちの合唱団に加えて合唱の会を催す。
合唱団に加わって歌いたいという人間は、その上手下手を問わず参加することが出来る。
私はキリスト教徒でもないのに、バッハのミサ曲、モーツァルトのレクイエム、フォーレのレクイエムを非常に愛していて、自分でも歌いたいと思っていたので、シドニー・シンフォニーがフォーレとモーツァルトのレクイエムの合唱の会を催したときには、二度とも二人の娘を誘って参加した。
楽譜と、練習用のCDを貰って、参加費用を払い、自分の家でしっかり練習して、合唱の会の午前中に全体で練習をして、午後に演奏会を開くという段取りである。
全体で練習するのは演奏会の直前に一回だけ、というのは、ちょっと不安になるが、合唱団に参加する人達は大変に熱心で、練習に参加した段階で、もうすぐにでも本番の合唱を始めて問題がないだけに自分自身を鍛え上げてきていた。
娘達も大変に熱心に二人で練習していた。私はちょっと怠けたな。
参加した人達は素人の音楽好きだから大した事はないだろうと甘く見ていた私は驚いた。まるで、全員が音楽大学の学生のようにプロフェッショナルと言った感じなのである。
だから、演奏会直前の一度だけの練習で充分なのだ。シドニー・シンフォニーがそれまでに何度もその会を運営してきて、作り上げたシステムなのだろう。
実際、演奏会は大変に上手く行った。
シドニーの音楽愛好家の水準は非常に高いことがよく分かった。
モーツアルトのレクイエムとフォーレのレクイエムの一番良い演奏は、両方共私と娘達がシドニー・シンフォニーの合唱団に加わった際に録音したものである。本人が一番良いと言っているのだから間違いはない。そのCDは市販されていないのでなんとでも言えるのだ。
今年のイースターには、バッハのヨハネ受難曲を演奏することになっていたのだが、例のコロナヴァイルスのせいでオーケストラも、合唱団も集まることができない。
それでは合唱の会も開くわけには行かない。
しかし、そこが、音楽に熱心な人達であって、そのまま引っ込むことはしない。
どうするかというと、オーケストラ、合唱団の団員それぞれがそれぞれのパートを演奏し、歌う所を、ビデオに撮って指揮者と音楽監督のところに送ることにした。
全員が送ってきたビデオは、指揮者と音楽監督が自分たちの耳を頼りに、まとめあげた。
仮想の合奏、仮想の合唱が出来上がったのである。
これは大変な仕事だった。
1人1人のタイミングが少しでもずれたら、全体として聞くに堪えないものとなる。
それを立派な演奏に聞こえるように、見事にまとめ上げたのだ。
そのために払った努力は大変なものであることか想像できる。
合唱団の人の中には海外から自分の録画を送ってきた人もいた。
この仮想の合唱、合奏を作り上げたチームのメンバーは考えられないほどの長時間をコーラスのリハーサル、録画した演奏のダウンロード、アップロード、このレコーディングの製作に費やした。
その結果はYoutubeで見ることが出来る。
素晴らしい演奏である。
https://www.youtube.com/watch?v=5qIveUWQvE0&feature=youtu.be&mc_cid=e760f36f8e&mc_eid=47d20b5ff8
是非ご覧になって頂きたい。
どんなに苦労したか、指揮者と音楽監督、製作チームの人々の苦労が偲ばれる。
下に、参加した合唱団のメンバーの写真を掲載する。
普通の人達なのだが、その熱意がこのような見事な作品として結晶したのだ。
コロナヴァイルスの悲惨な話が飛び交う中で、このシドニー・シンフォニーと合唱団の困難に立ち向かった姿は美しく、感動的だ。
(私の友人の話しでは、日本でも同じことをしたオーケストラがあると言う。音楽を真に愛する人々はコロナヴァイルスなんかに負けないのだ)
2020/03/31 - 私達は豚だ 安倍晋三氏が首相になってから、日本の社会は恐ろしいことになった。
首相率先して、犯罪を次々に犯す。
自民党の政治家は、そもそも、この安倍晋三氏の祖父岸信介に始まって、吐き気がするほど悪辣な人間が多かったが、明治以後の政治家の中で、この安倍晋三氏ほど全ての面で恥知らずの所業を重ねて来た政治家はいない。
この悪辣さで安倍晋三氏に並ぶのは、安倍晋三氏の大叔父・佐藤栄作だけだ。
安倍晋三氏が2013年に第二次安倍晋三氏内閣を樹立して以来7年を超えるが、ますますその悪辣さを増している。
どうして、安倍晋三氏はしたい放題を続けられるのか
それは、私達大衆が豚だからではないのか。
私達豚は、安倍晋三氏の下である程度の安定した生活を営めているのだろう。それは、安倍晋三氏の功績ではない。我々日本人の勤勉な性格によるものだ。
しかし、我々はあまりに豚なので、この今の安定(いや、実は大変に不安定な擬似的な安定)は安倍晋三氏に与えられたものと勘違いして、安倍晋三氏にしがみついていれば安全だと思い込んでいるから、安倍晋三氏の悪辣さなど今日の生活に差し障ることがない限り、どうでもいいのだ。
以前に、「男組」についてこのブログに書いたとき、敵役の神竜剛次のセリフを紹介した。
http://kariyatetsu.com/blog/2991.php
神竜剛次は「大衆は豚だ」と言う。
「大衆は豚だ。奴らは人より多くエサを貰おうと、人を押しのけたりするが、真理や理想のために戦ったりしない。
豚を放っておくと社会全体を豚小屋のように汚らしくしてしまう。この社会はすでによごされてしまった。高貴な人間のための理想社会に建て直す必要がある。」
と神竜剛次は言う。
「男組」は1974年の1月から連載が始まった。
今、大衆は豚だなどと言ったら、いわゆる 市民派・正義派・良心派という人間たちが騒ぎ立てるだろう。
1974年当時は、そのような危険なセリフも、建前と形骸にとらわれて「大衆侮蔑」などときれい事の批判する人間ばかりではなかったのだ。
大衆とはどんな物なのか、きちんと考えれば、「大衆は豚だ」という言葉が他者ではなく、自分自身に向けられたものだと言うことがわかるはずだからだ。
その「大衆は豚」であることを示すのに、大変に良い漫画がある。
1999年に亡くなってしまった愛媛県出身の漫画家「谷岡ヤスジ」は、私が尊敬し愛してやまないマンガ家である。
谷岡ヤスジの漫画はギャグである。
素晴らしいマンガ家なのだが、その作品の80パーセント以上が、セックスを笑いの種にするものなので、二人の娘を持つ私としては、家庭に持ち込むのに、いちいちその内容を確かめなければならないところが厄介だった。
それは、別にして、そのギャグの素晴らしさ、凄さは、圧倒的で、私は年に数回谷岡ヤスジの作品集を読み返すのだが、その度にそのギャグに引回されて涙を流す。何度繰り返して読んでも、腹の底から笑って涙が出て来るギャグ漫画は他にない。
時代が重なっているので、よく谷岡ヤスジは赤塚不二夫と並べて論じられることが多いが、その笑いの質が赤塚不二夫とはまるで違う。
赤塚不二夫は計算尽くで作った笑いである。
谷岡ヤスジの笑いは体の底から独りでに出てくる笑いである。計算は一切無い。
その一例を、見て頂こう。
このマンガは、私の持っている谷岡ヤスジのマンガ集からコピーしたものである。
著作権に引っかかるかも知れないが、これはマンガの全部ではないので、引用として認めて頂くように著作権者にお願いしたい。
ただ、このマンガは谷岡ヤスジの他のマンガのように、震えが走るほどおかしい、と言うのではなく、しみじみと考え込まされるマンガである。
(絵をクリックすると大きくなります)
私はこのマンガを、読み返すたびに心に痛みを感じる。
この豚たちは私たちそのものではないか。豚たちはしまいには人間に食われると分かっていて、その日に何か食べられればそれで良いと思っている。
「食っちゃ、寝」「食っちゃ、寝」して、満足している。
一匹目覚めた豚がいて、その目覚めた豚が「おまえたち、しまいに食われるの知ってるのか」とたずねると、その他大勢の豚たちは「あ、それ言っちゃダメ」「それを言われちゃ、もともこもない」「ま、なんだな、先のこた考えんこったな」と言うだけである。
豚たちはこのままでは破滅すると分かっていても、その日その日の豚の生活を安穏に送っているのである。
2020年現在の私達の姿そのままではないか。
無気力と諦め。惰弱にして劣弱な精神。知的な退廃。
目覚めた豚が逃げ出すと、他の豚たちは先回りしていて捕まえる。
「お前らも一緒に逃げよう、チャンスじゃないか」と目覚めた豚がさそっても、他の豚たちは、「何をして食って行くんだ」と居直る。
それに対して、目覚めた豚は「畑に芋や、ナスがあるではないか」と言う。
この目覚めた豚の誘いの言葉は、「生き方を変えよう」ということだ。しかし、
惰弱な生活にマヒしてしまっている豚たちは、「わしら、ドロボーしてまで生きとーないんよね」と言って目覚めた豚を元の豚農場に連れ戻して、柱の天辺に縛り付ける。
この目覚めた豚の姿は、十字架にかけられたキリストを思い浮かべさせる、と言ったら言い過ぎだろうか。
ここのところが、私にはズキリと応える。
権力に逆らうものは、自分たちで取り押さえ、権力に引渡す。
自警団の精神構造である。
キリストを十字架にかけた人達も、権威のために働く自警団だったと言える。
2004年に「イラク日本人人質事件」が起こった。
日本人3人が武装勢力によって誘拐され、誘拐したグループは日本政府に、人質と引き替えにイラクのサマーワに駐留している自衛隊の撤退を要求した。
小泉純一郎首相は自衛隊を撤退させる意思がないことを明らかにし、同時に人質の救出に全力を挙げる指示を出した。
色々曲折があったが、4月15日日本人三名は解放された。
私が言いたいのは、この人質が成田に帰ってきたときのことである。
空港の旅客出口には、大勢の人間が待ち構えていた。
人質3人が出て来ると、その人間達は「自己責任」と大きく印刷された紙を自分たちの顔の前に広げた。
「自分たちで勝手にイラクに行って、武装勢力につかまって、人質にされて、自衛隊の撤退を武装勢力に要求されて、政府に迷惑をかけた。解放されたのも政府の努力があったからだ。自分たちで勝手に行って人質になったんだから政府の助けを借りずに自分で帰って来い」
要するに、「この人質になった人達はお上(おかみ)に迷惑をかけた不届きものである。こんな、不届きものには国が援助をする必要がない」、と言うのである。
「お上の意に従わないものは、他国の武装勢力に殺されるなら、殺されれば良い。」と言うのである。
この「自己責任」をイラクから帰ってきた三人にぶつけて、脅迫することもそこに集まって「自己責任」という文句を書いた紙を掲げた人間達の目的だろうが、もっと大きな目的は、国の方針に従わないとこのように痛めつけられる、と言うことを社会全体に思い知らせることなのだ。
この、3人の人質が空港で受けた脅迫は社会全体を対象にして行われたものなのだ。
「自己責任」と書かれた紙を顔の前に広げて、卑怯にも自分の顔を隠して3人のジャーナリストを脅迫した人間たち。
彼らは、その統一された振る舞いから、政府に逆らう人達を攻撃して、人々が豚の安穏な生活に引きこもるように仕向ける意図を持った団体・組織の人間であることが見て取れる。
彼らは、政府のために働く、自警団なのだ。
目覚めた豚を、柱の天辺に縛り付ける豚の自警団と同じだ。
このマンガの結末は悲惨だ。
目覚めた豚は、柱に縛り付けられて、食事も与えられないから痩せ細っている。
目覚めた豚を売った一般大衆としての豚たちは、飼い主から目覚めた豚を捕まえたごほーび、として、1日10食べさせさてもらえるようになり、まるまると太って、飼い主たちが上機嫌で屠場に連れて行く。
目覚めた豚は、餓死する。
飼い主に忠誠を尽くした一般大衆としての豚は飼い主に食べられる。
このマンガには救いがない。
飼い主に従順にえさを食べて太り、飼い主に食べてもらうか、飼い主の手から逃れようとして、仲間につかまって、飼い主の懲罰を受けて飢え死にをするか、この二つの道しか、豚には残されていない。
さあ、現実の私達はどうだろうか。
私達豚である大衆は、我々の飼い主、安倍晋三氏に食われるのを待つだけなのか。
次回は、安倍晋三が如何にして日本をドブ泥の沼に変えたか、検証する。
2020/03/19 - 国境のエミーリャ 実に不思議な漫画に出会った。
ゲッサン(月刊少年サンデー)に連載中の、「国境のエミーリャ」である。
作者は池田邦彦。
私はこのマンガ家の作品を見るのも名前を聞くのも初めてだ。
この漫画の何が不思議かというと、その場面設定だ。
非日常的な場面設定や、SFのような常識を越えた空想による場面設定なら、驚かない。
この「国境のエミーリャ」の場合、歴史空想漫画と言えるのかも知れないが、この漫画が語るのは1962年の日本でのことであり、それはまだ、まだ歴史の中に収めるには余りに近い過去だ。
1962年のことは自分の生きてきた時間として記憶に残っている人間がまだ数多くいる。例えば私のように。
そのような人間にとって、この漫画の1962年は私達の記憶にある日本の1962年ではない。
だから、私はこの漫画の設定に異様な感じを受けるのかも知れない。
実際の日本の歴史では、第二次大戦は、日本がポツダム宣言を受け入れて、無条件降伏をして、終結する。
しかし、この漫画では、日本は徹底抗戦派の主張によってポツダム宣言を受け入れなかったという設定になっている。
その結果、卑怯にも日ソ不可侵条約を破って宣戦布告をしたソ連が日本に攻め込んできた。それに対応して、英米豪が上陸して、各地で激しい戦いが行われた。その結果、日本は分割統治された。
北海道と東北6県、茨城、栃木、埼玉、群馬、千葉県がソ連の統治地区となり、残る地域は米英による統治地区となった。
やがて、それぞれが、日本人民共和国(東日本国)、および日本国として独立した。
そして、東日本国は、国境を封鎖した。首都東京も分断されて、東側の約半分が東日本国の領土となったと設定されている。
それはかつて、ソ連側と西側によって東西に分断されたドイツの状況をそのまま模している。当時はベルリンも東西に分割されていた。
この物語の東トウキョウと西トウキョウの間にも実際にベルリンにあったような壁が作られている。
この物語の主人公、エミーリャはこの東トウキョウに住んでいて、東トウキョウから西トウキョウに逃れたいという人間の手助けをする、脱出請負人である。
物語は、希望する人間をいかに脱出させるか、ソ連や東日本国の官憲とエミーリャの闘い、などと、いかにも東西冷戦を舞台にしたものとして展開する。
ドイツが東西に分裂していた時期に、このように東から西へ脱出しようとする人間の話を幾つも聞いた。
ベルリンの壁を越えようとして射殺された人間も数多くいた。
しかし、2020年現在に、当時の東西の緊張を描いて上手く行く物だろうか。
エミーリャは19歳、名字は杉浦、父親は日本人、母親はロシア人らしい。
異母兄(母親が日本人)がいたが、5年前に亡くなった。
母親は微笑みに通じるからとエミーリャと名をつけたのだが
兄を失って以来、エミーリャは笑わない女になった。
この兄を失う時の話はハンガリー動乱を絡めてあり、感動的である。
エミーリャは上野駅(十月革命駅と名が変わっている)にある人民食堂のウェートレスをしている。
十月革命駅とか、人民食堂とか、日本が東西に分割されていたらそんなことになっていたのだろう。
東日本国、東トウキョウでは、食糧が不足していて、エミーリャはしょっちゅう人民食堂で「昼食は売り切れ」「食べ物は全部売り切れよ」と客に叫んでいる。この「昼食」にロシア語で「アビェト」とふりがなが振ってあるところが、芸が細かい。
このセリフ一つで、東トウキョウの生活がどんな物なのかよく分かる。
と、以上紹介しただけでも、かなり、変わった物語であることは想像できるだろうと思う。
物語も変わっているが、その絵柄も変わっている、というか今時の漫画の絵ではない。この物語が設定されている1962年当時の漫画なら、こうもあったかも知れないと思われる絵柄だ。
早い話が大変に古い絵柄だ。
編集部もこの絵柄の古さに乗ってしまったのか、単行本の装丁も、使っている字体、ロゴ、もえらく古い。
単行本第一巻の表紙ときたら、これはおどろく。古本屋で見つけてきた本か、と思わず言いたくなる。
わざわざ表紙を古びた紙の色にしてある。
主人公、エミーリャの表情も殆ど変わらない。
服装も1962年を設定してあるから古い。ファッショナブルとはとても言えない。
さて、私はこの漫画について、古い、異様、2020年に1962年当時の東西の緊張を描いて上手く行くのか、エミリーリャの表情が変わらない、などと、否定的な言葉を並べた。
では、この漫画は面白くないか、というとその逆だ。
大変に面白い。
私は妻に、「変わった漫画だよ。舞台も設定も古いんだよ」といってこの本を渡した。妻は、「ふうん」と言って受取ったが、翌日「面白かったわ」と喜んでいた。
ううむ、妻は、東西の冷戦当時のスパイ物が好きだったからな、と私は思ったが、当時のスパイ物を読んでいる人間は下手な漫画だったら受け付けないのではないか。
と考えると、やはり、この漫画の面白さは、スパイ物にすれた人間でも受け入れる物なのだ、と納得した。
漫画の世界には、つぎつぎに、新しい才能を持った人間が現れる。
そこが、日本の漫画界の強いところである。
新しい才能に出会う喜びに勝るものはない。
「国境のエミーリャ」は読むべき漫画だ。
2020/03/01 - お詫び このページが、過去2週間ほど、止まっていました。
当方の担当者の手違いから、このブログを載せているサーバーに対する支払いが滞ったために、このページが止まってしまったのです。
有り難いことに、このページを読んで下さっている方が、いらっしゃいます。
一体どうしたんだ、と言う問い合わせも頂きました。
本当にちょっとした、担当者の勘違いから起きた不祥事でした。
これからも、勝手な独りよがりのことを書き続けますので、よろしくお願いします。
2020/02/11 - アナログ・オーディオ 最近のオーディオ雑誌を見ると、アナログ・オーディオが大変に人気がある。
アナログ・オーディオと言っても本来は色々な形があるのだが、現在アナログオーディオと言われているのは、LPレコードを再生して音楽を楽しむことに特化している。
私のオーディオ歴は高校1年の時からだから、60年以上になる。
私がオーディオを始めたときは、LPの再生が主だった。
その後、長い間LPを再生することに努力してきたのだが、この20年ほど、LPから離れる一方で、特にここ10年ほどは殆どLPをかけなくなった。
その理由は、CD、SACD、というディジタル録音された物を再生することの方が面白く、また、LPより大きな可能性を見出したからだ。
と言って、私がLPの再生に怠けていたわけではない。
1986年だったか、Thorensが、LPプレーヤー最後の商品として製造した、Referenceを購入した。
CDが世に出て、これからCD一辺倒の世の中になるだろう。その時点で、最高のLPプレーヤーを作っておこうと言う、Thorensの思いをこめた製品だとオーディオ屋に勧められて買った。
アームはSMEのV、カートリッジは、オルトフォンのCadenzaだった(だったというのは、そのカートリッジを、私の所に遊びに来ていた若者が壊してしまったからだ。)その後、オーディオテクニカのMC型のカートリッジに変えた。EMTのアームとカートリッジも使っていた。こThores Referenceは30年以上経った現在でも、極めて静粛になめらかに回転している。ターンテーブルとして、何一つ不満はない。
そう言うわけで、決して、LPの再生に手抜きをしていたわけではない。
CDは初期の内は、音が良くなかった。
LPと比べると音が粗く、ざらざらした感じで、LPのあのしっとりとした音は出なかった。
しかし、年月が経つうちに、CDプレーヤーがどんどん進歩していった。
特に、ディジタルをアナログに変換する、ディジタル・アナログ・コンバーターが日進月歩と言うくらいに進歩し続けた。
私は新しい技術に惹かれる性質だから、CDプレーヤーに次々に手を出した。
WADIAがディジタル・アナログ・コンバーター(DAC)を出したときには興奮した。DACはディジタル信号をアナログに変換する演算をしているわけで、結局はコンピューターと同じで、演算をする半導体と、その半導体を動かすソフトウェアの能力を高めていけば、ディジタル・アナログ変換が上手く行き、結果として音が良くなることを、WADIAは証明して見せた。
私は一時、CDに失望していたのだが、WADIAの製品に出会ってからCDに大きな将来性を感じた。
さらに、SACDが出て、私のディジタル・オーディオに対する興味は深まった。
SACDを最初に聞いたときに、その音の良さに驚いたが、音の良さを実感したのは、オーケストラの演奏の後の聴衆の拍手の音を聞いた時だ。
それまで、LPでもCDでも、聴衆の拍手の音は板を叩くような音に聞こえた。ところが、SACDでは、ちゃんと肉付きの良い手のひらを叩いている音がしたのだ。私が音楽会場で聞く聴衆の拍手の音だ。
私はSACDを聞いたときから、LPはもういい、と感じるようになった。
というのは、LPはもはや、新しい技術的進歩は望めない。ところが、ディジタル・オーディオの方では、次々に新しい技術が生まれてきて、音がどんどん良くなって行っている現実があったからだ。
今、ディジタル・オーディオでは、音をディジタル信号にする方式として、PCMとDSDの二通りが一般的に行われている。
PCMはCD、DSDはSACDに使われている方式である。
更に、ディジタル・オーディオでは、CDやSACDのように円盤に記録することはしないで、音楽をディジタル信号化したディジタル・ファイルを電気的に扱ういわゆるコンピューター・オーディオが盛んになってきている。
私が今、主に時間を割いているのは、そのコンピューター・オーディオである。CDもそのままCDプレーヤーで聞くのではなく、ディジタル・ファイルとしてコンピューターで取り込み、それをコンピューターにつないだDACでアナログに変換し、それをアンプに送り込んで聞いている。
私が音楽を聴いているのを見た妻が、「LPプレーヤーも、CDプレーヤーも使わずに、コンピューターをいじって音楽を聴くなんて、なんだか変」という。
確かに今までのオーディオとは大分違う。
しかし、これから本当に良い音を再生するのには、このコンピューター・オーディオが一番大きな可能性を持っていると私は信じている。
どうしても、LPのあの音が好きと言うならともかく、本当に良い音を聞くためとしては、少なくとも私はLPに意味を見いだせない。
一番の問題は、LPは物理的に解決不可能な欠陥が幾つもあることだ。
それを、挙げてみようか。
LPでも、ディジタル・オーディオでも、音を録音して電気信号に変えるところは同じだ。
それから先、どのようにしてLPができていくか、考えてみよう。
大変に複雑な工程で、ここに書くだけでうんざりする。
まず、電気信号をLP盤に刻むために、カッターを使う。
カッターの先端は電気信号に合わせて動く。その動きで、盤を刻むのだ。
一旦マイクロフォンから取り込んで電気信号に変えたのを、再び機械的な動きに変えるのだ。
ここでまず、カッターが電気信号に合わせて正確に動くはずがないと言う問題点がある。必ず、電気信号とは、ずれた動きをする(疑問1)
次に、最初に刻むのはアルミニウムの板に、ラッカー(ロウの様なもの)をコーティングしたもので、柔らかなのでカッターの動きを妨げることが少ない。少ない、と言うだけであって、妨げない訳ではない。
これに、カッターが電気信号を刻む。幾らラッカー・コーティングした物が柔らかだといっても、これが、電気信号通りに刻まれるはずがない。ラッカー・コーティング板とカッターの間に抵抗が生ずるからカッターの動き通りに正確に刻めるわけがない(疑問2)
このラッカー盤はカッターが溝を刻んだ物なので、凹型の盤である。
これを、「原盤」と呼ぶ。
このラッカー原盤では耐久性がないので、表面に銀メッキを施し、更にその上にニッケルメッキを暑く施してから剥がす。
そうすると、凸型の盤ができる。
これを、「メタル・マスター」と呼び、保存用のマスターディスクになる。
これが、ラッカー盤と同じ溝が複製できるはずがない(疑問3)
LPレコードを作るのにはこのメタル・マスターを使って、ビニールをプレスすれば良いのだが、それでは、折角作ったメタル・マスターが一度しか使えないので困る。そこで、もう2つ余計な工程を経て、ビニールをプレスする盤をつくる。
このマスター・ディスクにまたメッキをして、そのメッキを剥がすと、凹型の盤ができる。これを、「マザー」と呼ぶ。
このマザーが、「メタル・マスター」に忠実に複製できるはずがない(疑問4)
「マザー」は凹型なので、これではプレスできない。
またもう一度メッキをして剥がすと凸型の盤ができる。
これで、プレスをするので、「スタンパー」と呼ぶ。
この凸型の盤が作る溝が、そもそも最初に作ったラッカー盤の溝の忠実な複製になるはずがない。(疑問5)
このスタンパーを使って、ビニールの盤をプレスして凹型の溝を作る。これが、LP盤と言うことになる。
この時できる溝が、「マザー」のもの、忠実な複製になるはずがない。
ましてや、最初の「原盤」の忠実な複製になるわけがない。(疑問6)
LP盤が出来上がるまでに、6個もの疑問点がある。
最初の疑問点は、電気信号を機械的な動きに変換する際の問題である。
ほかの5個の問題点は、メッキをしては剥がす、と言う問題とビニールにプレスするという機械的な問題である。
6個とも、機械的な動き、機械的な形状に関するもので、これは解決不能な問題である。
ラッカー盤に針で音溝を刻む、音溝を刻んだ盤にメッキをして剥がして複製を作る、この工程のどこをとっても、そこで持ち上る問題は理論的に詰めて解決出来る物ではない。
ここまではLP盤を作るまでの問題だ。
次に、LP盤を再生するところに移る。
音溝を刻む場合、低音は振幅が大きくなる。
余り大きくなりすぎると、再生するときにカートリッジがトレースしきれなくなることを恐れて、そもそもカッターに送り込む電気信号に細工をして、低音部分は信号を小さく、反対に高音部分は大きくなるように調節する。高音部分の信号を大きくするのは、そうしないと高音部分が針が盤面をこするときの「サー」ノイズに包まれて聞こえなくなるからだ。
再生するときに、カートリッジがトレースして拾い出した電気信号に対して、カッターで行ったことの反対のことをする。
低音部分の電気信号を増幅し、高音部分を弱めてやるのだ。
こうすると、電気信号的には、録音したときの電気信号の形に戻るというのだ。
これを「イコライジング(equalizing)」という。
このイコライジングはそれまでのメッキをしたり剥がしたりという機械的な物ではなく、電気的なものだが、低音、高音を上げ下げするイコライジングそのものが、原音を損なう物だ(疑問7)
更に問題が起こってくる。
まず、ターンテーブルを回してLP盤を回転させる。
この回転数が正確でないと、音楽の音程がおかしくなる。(疑問8)
LP盤をターンテーブルに乗せてカートリッジを取り付けたアームでLPをトレースする。
この時、アームは一点で固定されていて、その固定点を中心にしてスイングするようにLP盤上を動く。
アームの軌跡は直線ではなく弧を描く。
LP状の音溝は、円形である。
その音溝を直線とみなしてトレースするためには、カートリッジはその円の接線上になければならない。
そのためには、LPの最外周からターンテーブルの中心まで直線上を動かなければならない。
しかし、アームは固定点を中心にして弧を描いて動く。
それでは、カートリッジが常に円の接線上にあると言うことは不可能になる。結果として、音溝を斜めにトレースすることになり正確なトレースをすることができない。
この、トレースのエラーをトラッキングエラーという。
今のように、一点固定のアームをスイングさせる形でトレースするからにはこのトラッキングエラーは避けがたい。
当然、このトラッキングエラーがあると、LP盤の最初の工程でカッターが刻んだとおりにカートリッジはトレースすることかできない、結果として音がひずむ。(疑問8)
いま、平面上のトラッキングエラーについて考えたが、カートリッジがきちんとLP盤と同じ平面上を水平に移動するかどうかこれも、トレースする際の問題点となる。前後、左右どちかに傾くとこれもきちんとトレースできないことになる。
これは、ヴァーティカル・トラッキング・エラーと言われている。(疑問9)
カートリッジには、今のところ電磁式のムービング・マグネット方式(MM)とムービング・コイル方式(MC)の二つが主に使われている。
MMも、MCも盤面をトレースすることで、フレミングの右手の法則が示す通りに、針先の動きを電気信号に変換する。
ようやくここで、電気信号が取り出されたことになり、ここから先は電気的な増幅の問題になる。
しかし、このMM、MC、それぞれに個性がある。
MMはマグネットが動く、MCはコイルが動く。
マグネットはコイルより質量が大きい。従って、動きの繊細さで言えばMCの方が上だ。一方、MMの方が出力電圧が高いから、そこから先電気的に扱うのに有利だ。
マグネットが動くか、コイルが動くかで音色が変わってくる。
ということは、カートリッジが原音に色づけをすることになる。
カッターが刻んだ音に忠実ではない(疑問10)
更に、音溝のトレースはカートリッジにつけられた針によって行われるのだが、この針の形状によっても、トレース能力が違って来る、
カッターが刻んだ音に忠実ではないことになる。(問題11)
更に、LP盤自体の問題がある。盤はビニールでできている。
それを、カートリッジにつけられたダイアモンドの針でトレースされる、こすられるわけである。
通常MCカートリッジで、かけられる圧力(針圧)は2グラムくらい、MMカートリッジそれより少し重いくらい。
とは言え、針先の面積は極めて小さいのだから、針圧が2グラムといっても、針先の面積で割ると、
1㎝2あたり数トンの圧力がかかることになると言われている。(私は自分で計測したことがない)
そんな圧力でトレースするからビニールで出来たLP盤は当然ダメージを受けると思われる。
しかし、実際は大した摩耗が起こらないのは、ビニールには弾性があって、針によって押し広げられても、その針の圧力が取り除かれると元の形に戻るからだと言う。
その針によって押し広げられても、と言うところがくせ者で、では実際にトレースしているのはカッターが刻んだとおりの音溝なのか、カートリッジが広げた音溝なのかと言うことになる。
それに、私の経験からしても、十年以上使用してきたLP盤はやはり色々と劣化している。私はLPをかけた後に綺麗に盤を拭う。
だから、私のLP盤はどれをジャケットから取り出しても、ピカピカ光っている。
それでも、10年以上かけてきたLP盤は何らかの劣化がある。
高音部分は、新品時代より劣化していると思う。
いくら何でも、あんなにこすって、ビニールがなんの影響も受けないなどと言うことはあり得ない。
このビニール盤を高い圧力でこすることによる音質劣化と、トレースするときの音溝の形状変化はカッターが刻んだときのものと違ったものになっている。(疑問12)
ここまで、ざっと挙げてみて、12個も疑問点が見つかった。
これは、LP盤が引き起こす問題であって、機械的な問題なので解決不能のものである。
LP盤から電気信号を取りだした後は、ディジタル・オーディオもアナログ・オーディオも同じ電気回路の問題になる。
結局、この12の解決不能の問題はLP盤だけの問題なのだ。
ディジタル・オーディオにも問題があるが、それはすべて電気的な問題であって、電気的な問題は回路を工夫したり、使う部品を改良すれば解決出来る。
アナログ・オーディオの場合、理詰めで音の改善はできない。
しかし、ディジタル・オーディオの場合理詰めで、抱えている不具合を直していくことができる。
その証拠に、ディジタル・オーディオの場合、30年前と今とではまるで様変わりと言うほどに進歩している。
しかし、LP盤を使うアナログ・オーディオは、30年前から少しも進歩していない。
いまだに、アナログ・オーディオの方が音が良いと言っている人は、よほど、何かにとり憑かれている人だ。
アナログ・オーディオの方が好きだというのなら、それは構わない。
ただ、周波数特性、過渡特性、ダイナミック・レンジ、と言う問題から考えて、LP盤再生に特化しているアナログ・オーディオの方がディジタル・オーディオより音質的に優れていることはあり得ない。
しつこいようだが、まとめてみると、次のようになる。
端的に言えば、オーディオとは、音楽を機械的な信号としてマイクロフォンで電気信号に変え、その電気信号をスピーカーを駆動することができるように増幅して、最後にスピーカーで電気信号を元の機械的信号・音に戻してやる、というものだ。
ディジタル・オーディオの場合、マイク→電気信号→電気的に増幅→スピーカーで機械的信号・音に復元となっている。
しかし、アナログ・オーディオの場合、
マイクロフォンで機械的信号を電気信号に変換する所まではディジタル・オーディオと同じだが、その後、
一旦電気信号に取り込んだ物を、カッティング→カッティングした盤をメッキする(これを、3回繰り返す)→ビニール盤にプレスしてLP盤ができる→これをカートリッジでトレースして、機械的信号を電気的信号に変える(このトレースの場合に色々な問題があることは上に述べたとおりだ)→電気信号を増幅する→スピーカーを駆動する。
この紫色の所はディジタル・オーディオにはない余分な行程である。
オーディオの行程の中で、一番ひずみを発生するのは、音を電気信号に変換するところと、電気信号を音に変換するところ、である。
ディジタル・オーディオの場合、それは録音の際、とスピーカーを鳴らすときの2回起こる。
しかし、アナログ・オーディオの場合、途中にLP盤を作る工程がはいるので、機械的信号と電気的信号の変換が、二回入る。しかも、LP盤をトレースする際に大きな問題があることは上に述べた。
この点が、原音に対する忠実性を損なう大きな問題点だろう。(疑問13)これも解決不能の問題だ。
LP盤を作るところでひずみか出ると書いたが、ディジタル・オーディオでも、CD、SACDなどの円盤にディジタル信号を刻む。
これは、LP盤を作る際に生ずるほどのひずみは発生しないが、それでも円盤に刻み、それをトレースすることによって幾らかは歪みが生じる。レーザー光をきちんと反射させ、それを正確に受け止めることができるかどうか、問題は幾つかあるが、LP盤ほどの問題は生じない。
それでも、気になる場合には、私が現在取り組んでいるコンピューター・オーディオにすれば良い。
コンピューター・オーディオの場合、機械的信号と電気信号の相互の変換は録音とスピーカーで再生するときの2回しか行われない。円盤に刻むことはしない。
コンピューター・オーディオが一番純粋なオーディオと言えるだろう。
オーディオは趣味の世界だから、自分はアナログ・オーディオ一辺倒という人がいても、それは当然のことだと思う。
私は何事も理詰めで行かなければ気が済まないたちだから、幾つもの解決不能の問題を抱えながら、何もかも曖昧なままのアナログ・オーディオはもう結構と言いたいのだ。
私はラディカルじじいだから、仕方がないのだが、それにしても、最近のオーディオ雑誌のアナログオーディオ賞賛の度が過ぎていると感じて、こんな文章を書いた。まあ、人が喜んでいる物を、とやかく言うことはないんだが。
2020/01/26 - ラグビー 旧聞に属するが、ここ数年、不愉快なことばかりつづいていて腐っていたのが、久しぶりに胸の空くような思いをしたので、そのことを書きたい。
去年10月のラグビーワールドカップ日本大会ですよ。
予選リーグ4連勝、しかも、アイルランド、スコットランドという世界のトップの強豪国を倒したのだから、凄かった。
あれから、3ヶ月近くたつのに、まだ私はあの4試合のことを思い出すたびに、胸の奥が熱くなる。
私の父は大変に仕事が忙しかったけれど、日曜日など、野球、映画、美術館などに私達子供を連れて行ってくれた。神宮外苑の秩父宮ラグビー場にも何度も行った。
私の父は法政大学卒業であって、法政大学に強い愛校心を抱いていたから、六大学野球も、大学対抗ラグビー試合も、法政大学のチームが出場する試合に私達を連れていった。
1950年代から60年代には娯楽というものが、今のように様々な物があると言うことはなく、大学対抗の野球やラグビーが今とは比較にならないほどの人気を集めていた。
東京では、東京六大学の野球、ラクビーが人気があって、私は父に連れられて六大学野球、大学対抗ラグビーの試合を見に行ったのだ。
私は秩父宮ラグビー場には何度か行って、親しみを感じていた。
今、考えてみると、1950年代から80年代までは、サッカーよりもラクビーのほうか人気があったように思う。
Jリーグが発足したときに、私は、いつから日本ではこんなにサッカーが人気になったんだ、と不思議に思った物だ。
だから、私は、サッカーよりラグビーに親しみを抱いていたのだが、Jリーグが発足して以来の日本のサッカー熱はすさまじく、またそれに上手く対応して優秀な選手が現れたので、私もすっかりサッカーの方に鞍替えしてしまっていた。
私は、1998年に日本が初めてワールドカップに出場して以来、サッカーのワールドカップは必ず見に行っている。(もっとも、南アフリカ大会とロシア大会は、行かなかった。それには理由があるのだが、話すと長くなるからここではやめることにする)
こんなにサッカーに入れ込んできた私だが、最近日本のサッカーがあまりに弱すぎるので、気が滅入っている。日本が負けるたびにひどく落ち込む私を見るに見かねて、長男が「もう日本を応援するのはやめようよ」と言い出した。
「そうは行かないよ」と答えたものの、今の日本のサッカーは建て直そうとしても簡単なことではない。負けるたびにこんな辛い思いをするのはたまらない。
2020年1月12日のAFC選手権第2戦で、日本のU23代表は、シリアに1対2で敗れた。これで、予選グループで2連敗して、予選敗退となった。AFC選手権史上初めて日本は決勝トーナメントに進めなかったことになる。
U23といえば、次のワールドカップの主力になる年齢層である。
それがこれでは、次のワールドカップ、次の次のワールドカップは望み薄だ。
そのようなときに、ラグビーのワールドカップが日本で開かれた。
私は日本でラグビーは今のところ人気がないから盛上らないだろうと思ったら、とんでもない。
日本が初戦のロシア戦に勝ってからと言うもの、4連勝した。
日本中が熱狂した。
「にわかフアン」などという言葉も盛んに使われるようになった。
私も興奮して見た。
あれから3ヶ月は経とうというのに、私の心の中にはあの時の興奮が残っている。
妻と話すのに、ついラグビーの話になってしまって、妻に「またラグビーなの」と笑われている。
妻は笑いこそするけれど、本人もやはりラグビーで一緒に興奮したので、私が繰り返しラグビーの話をしても、嫌がらずに一緒に乗ってくれる。
まあ、70歳を過ぎた老夫婦が、ラグビーの話をして興奮しているなんて、おかしいと言えばおかしいけれど、興奮している私達は大変に幸せだ。
私は年の60パーセントはオーストラリアのシドニーで暮らしている。
オーストラリアではラグビーが大変な人気で、新聞のスポーツ面は毎日ラグビーの記事で埋まる。
オーストラリア・ラグビー・リーグの所属チーム数は16、日本のJ1のチーム数は18。
日本の人口は1億2700万、オーストラリアの人口は2460万。人口当たりで考えると、オーストラリアのラグビーリーグのチーム数は非常に多い。
しかも、ラグビーの会場はいつも満員だ。観客が3万4万と入る。
一方サッカーはといえば、オーストラリアAリーグのチーム数は11。
よほどのことがない限り、観客は4千人か五千人だ。空席が目立つスタジアムでサッカーを見ると、実に盛上らない。
ラグビーは体で当たる。格闘技みたいなところがある。一方サッカーは、足で蹴るだけである。
で、オーストラリアでは、サッカーは「チキンのスポーツ」としてラグビーより一段下に見られている。「チキン」とは弱虫という意味だ。
ラグビーには大きく二通りある。
ラグビー・ユニオンのラグビーとラグビー・リーグのラグビーの二つだ。
私はラグビー・リーグはオーストラリアだけの物かと思っていたら、他の国でもラグビー・リーグでラグビーをしている国がある。
私が子供の頃秩父宮ラグビー場で見たのは、ラグビー・ユニオンのラグビーだ。
今回、日本の開かれたワールドカップのラグビーも、ラグビー・ユニオンのラグビーだ。
歴史的にはユニオンの方が古く、リーグはユニオンのルールを変更する形で、ユニオンから分かれた物だ。
一番の違いは、
1)ユニオンは1チーム15人。リーグは13人。
2)リーグではラックがない。
攻撃側がボールを持って敵陣に突っ込むのを守備側はタックルで止める。
◎ユニオンでは、タックルを受けた後、攻撃側と守備側は激しくもみ合う。
これをラックと言うが、その間に攻撃側が足でボールを後ろに出すのを、スクラムハーフが取り出して、スタンド・オフにボールを回す。
そこで次の攻撃が始まる。
◎リーグでは、タックルで攻撃を止めたら、そこでゲームを止めて、ラックを作らずに、守備側も攻撃側も自分たちのポジションに戻る。
タックルを受けて止まった攻撃側の選手は、ボールを後ろに蹴る。それを、スタンド・オフが受取る。
そこで次の攻撃が始まる。
要するに、リーグではラックはない。
そして、このタックルは6回までで、攻撃側が6回タックルを受けた段階でそれまでにトライを奪えていなければ、攻撃権は相手に移る。
この辺りが、私には大変気が抜ける思いがする。
3)ラクビー・リーグでは基本的にスクラムは組まない。
リーグでスクラムをくむときがあるが、ユニオンのスクラムとは違って、殆ど形だけのスクラムで、地面に膝を着かず、ちょっと押し合うだけである。
4)ラインアウトはない。
私の見たところ、リーグは、ユニオンの簡略版のような気がする。
ラックがない、スクラムがない、ラインアウトがない。
要するに、両方の選手がもみ合う場面がリーグにはないのだ。
だから、ゲームは早く展開する。
ラック、スクラム、ラインアウトがないと、選手たちが実質動き回る時間はリーグの方が多いという。
ただ、私のようにユニオンからラグビーを見始めた人間にとって、リーグの試合は、大変に物足りない。
最初、リーグの試合を見た時に、「なんじゃい、これは、ふざけてるのか」と思ったものである。
オーストラリア人に、オーストラリアのラクビーはつまらない、と文句をつけたことが何度もある。
日本は今回のアイルランド戦と南アフリカ戦でスクラムで相手をつぶして、ペナルティーを得た。
アイルランド戦でスクラムで勝ったときに、具智元選手は雄叫びを上げた。見ていたこちらも、「よーし、やったあ」という気持になった。
リーグの試合では、このような興奮は得られない。
ラックにしたって、ユニオンの場合、ラックからボールを受取った選手が更に前線に突っ込むと、そこで新たなラックができる。そのラックから出たボールを前線に運んで突っ込んでまたそこでラックができる。
ラックを重ねて攻撃をする、このスリルはリーグの試合では見られない。
リーグの試合は薄味だ。スクラム、ラックで激しくもみ合った後にトライを決めたときの、カタルシスがない。
で、私は絶対的にユニオンの試合が好きなのだ。
ただ、ラグビーの試合を見ていて、余りの激しいぶつかり合いに、選手の体は大丈夫なのか、と不安になるのは私だけではあるまい。
芝生が生えているからと言っても、下は地面だ。その地面の上に、南アフリカ戦では稲垣が頭から下にたたきつけられた。
プロレスよりも凄いぶつかり合いだ。プロレスの場合、下はマットでしかも安全のためにスプリングが効いている。
抱えて叩きつけると、マットが揺れるのがよく分かる。それだけ、衝撃をマットが衝撃を吸収すると言うことだ。
地面はそうは行かない。衝撃を吸収してくれはしない。
しかも、タックルで倒れた上に更に他の選手たちが突っ込んでくる。
「うわあ、そんなことして、いいのかっ」と私は思わず叫ぶことが何度もあった。
先日、稲垣、堀江、福岡の3選手がスクラムについて語るテレビ番組を見た。
稲垣選手は、笑わない男、などと言われて、とっつきにくい感じがするが、その話し方は実に理路整然、よどみなく語ってくれるので大変に分かりやすい。
その3人がスクラムについて語ってくれたのだが、それを聞いて私は感心して、同時に圧倒された。
スクラムは、8人で組むのだが、一人一人の選手の足の位置を1センチの単位で決めていくという。
そしてあらかじめ、1人1人の選手が、自分はどうすれば良いかしっかり認識しているから、8人が一つの融合体となって動く。その結果、力のベクトルが一つにまとまって相手に当たるから、相手のスクラムを崩すことができる、というのだ。
スクラムは見ていると、力業としか思えないが、実際はそこまで細かく計算しているのだ。実に勉強になった。
ここまでできるためには、チームの結束が固い必要がある。
今回、特に強調されたのは、「One team」ということだった。
日本代表はワールドカップまでに、240日の合宿を重ねてきて、お互いに仲間を知り尽くし、しっかりとした協調関係を作り上げたという。
それでなければ、あんなスクラムは組めない。
そのチームワークの良さは、スコットランド戦で、ラファエレが前方に蹴り出したボールを福岡が追いついて摑んでそのままトライを決めた場面でもはっきり分かった。
ラファエレがボールを蹴り出した瞬間に福岡は走り出している。
あれが、0.5秒でも、遅れたら間に合わなかっただろう。すさまじい連携だった。
今回、日本代表の半数が外国出身、或いは外国籍であることが話題を呼んだ。
世の中には頭の中に脳みその代わりに何か変わった物を詰め込んでいる人がいて、そう言う人達は「外国人が日本代表とはおかしい」とか、「純粋の日本人でなければ」などと、腐敗臭フンプンのことを言う。
私はワールドカップで勝つと言う目的のために、あれだけの有能な選手たちが日本に結集したことを素晴らしいと思う。テレビで見たが、日本代表のトレーニングの激しさはただ事ではない。
稲垣選手は「本当にもれそうになった」と言っていた。
そこまでのトレーニングに耐えて、ワールドカップで勝ちたい、と言う強い目的のために日本に結集した選手たちだ。稲垣選手はまた、「自分は楽しむためにラグビーをしているつもりはない」といった。
すごい、気概だ。
日本に集って来た外国籍、外国出身の選手たちはそこまでの気概を持ってきたのだ。
そのような選手たちが今回日本にもたらしてくれた物は、実に尊い。
外国籍、外国出身の選手たちは「One team」という言葉の概念を、実際に体現して、嫌韓だ、嫌中だ、というヘイトスピーチ狂いの人間が穢した日本人の精神を、そしてこの日本の社会を、清めてくれた。
そう、私は思う。
ラグビー日本代表が与えてくれたこの気分の良さは、2011年のアジアカップで、日本がオーストラリアを破って優勝したとき以来に感じる物だ。
そういえば、今回フォワードで活躍した具智元選手は、現在は日本国籍になったが、ワールドカップのときには、韓国籍だった。
2011年のアジアカップ優勝ですさまじいボレーシュートを決めて日本を優勝に導いたのは、李忠成選手だった。李忠成選手は、在日韓国人だ。
左サイドをドリブルして走る長友が、センタリングしたら、ゴール真正面に李忠成が待っていて、長友のパスを直接ボレーで、ゴールに蹴り込んだ。あの長友からのパスを一旦胸に当てて足元に落としてシューしようとしたら、相手に守る隙を与えただろう。
あの李忠成のボレーシュートは、私は死ぬまで忘れない。
今回、スコットランド戦で、脇腹を痛めて退かなければならなくなったときのあの具智元選手の悔し涙に暮れる顔も忘れることはない。泣き顔を美しいなどと言ってはいけないのかも知れないが、実に美しい顔だった。私は深く心を打たれた。
具智元、リーチ・マイケル、中島イシレリ、ヴァル・アサエリ愛、レメキ・ロマノ・ラヴァ、ピーター・ラブスカフニ、トンプソン・ルーク、ジェームス・ムーア、ヴィンピー・ファンデルヴァルト、ヘリ・ウヴエ、ツイ・ヘンドリック、アマナキ・レレイ・マフィ、アタフタ・モエアキオラ、ウィリアム・トゥポー、ラファエレ・ティモシー、の各選手たちに、「One Team 」という素晴らしい言葉を具現化してくれたことに心からの感謝を捧げたい。
2019/10/15 - 東京五輪がもたらす危険 東京五輪がもたらす危険
最近オリンピックは国威発揚の場になっていて、いい感じがしない。
特に政治に利用されるとあってはなおのことだ。
来年東京で開かれるオリンピックはその意味で最悪だろう。
東京オリンピックが最悪なのは、安倍晋三首相の人気取りと、更に福島第一原発の事故を無かった物にするための道具として使われているからだ。
最近の新聞・テレビを始めマス媒体では、東京オリンピック翼賛一辺倒で、オリンピック人気を盛り上げることに腐心している。
今の日本の国力では、オリンピックなど開いて金を使ったりしているときではないのだが、国中うわずったようになって、オリンピック、オリンピックと騒いでいる。
このお祭り騒ぎの中で、忘れられている、と言うか故意に誰もが言わないようにしているのが、福島第一原発の事故による日本の国土の汚染だ。
皆、福島第一原発の事故はもう無かったことにしたいらしい。放射線も今や何も気にする必要がなくなっていると思いたいらしい。
福島第一原発由来の放射線は日本の各地、少なくとも東京以東では、福島第一原発の事故以前とは放射線の値が遙かに大きくなっているのだが、そういうことは考えてはいけないことになっていて、そんなことを今更あれこれ言う人間は考えの偏った人間とされる。
私は福島の取材をした後で、鼻血が出る経験をしたので、身にしみて分かるのだが、放射線による健康被害の症状は、思わぬ時に思わぬ形で出る。放射能は目に見えず、耳に聞こえず、そこにあることを感じとれないし、熱いとか、冷たいとか、何か匂いがするとか、そのような危険を感知させる物がない。
だから責任ある人間が、オリンピックのある競技場について、ここは放射能が低く安全であると言った場合、選手はそれを信じてその場で競技をしてしまう。
2019年3月12日の日本経済新聞は次のように報じた。
「2020年東京五輪・パラリンピックの開幕まで500日となった12日、大会組織委員会は聖火リレーの出発地点を福島県楢葉町、広野町のサッカー施設「Jヴィレッジ」にすると発表した。福島第1原発事故の対応拠点となり、4月に全面再開の予定。東日本大震災からの復興のシンボルとなる施設から、大会が掲げる「復興五輪」を世界に発信する。」
また、2019年9月3日の東京新聞は、次のように報じた。
「福島県内の有志が、東京五輪・パラリンピック閉幕後に「後夜祭」を開催する計画を進めている。会場は五輪聖火リレーがスタートするJヴィレッジ(楢葉町)。大会ボランティアや地元の子どもらを招いて交流し、「復興五輪」をスローガンに終わらせず、福島の新たな一歩を踏み出そうとの思いを込めた。」
「企画したのはスポーツボランティアの育成に取り組むNPO法人『うつくしまスポーツルーターズ』。事務局長の斎藤道子さん(55)は『復興しているところも、そうでないところもある福島に私たちは生きている。笑顔を世界に発信したい』と語る。」
こう言う記事を読むと、体中の力が抜ける。
一体、「復興五輪」とは何のことだ。
今度のオリンピックは「東京オリンピック」のはずだ。「福島オリンピック」ではないだろう。
復興など全然していない福島を復興しているかのように見せかけるためにオリンピックを利用するのは間違っている。
復興したいという気持は分かりすぎるほどよく分かる。
しかし、年間被曝量20ミリシーベルトの土地のどこが「復興」を訴えることができるのか。
食品の安全基準値が、1Kg当たり100ベクレルの土地のどこが「復興」を訴えることができるのか。
除染をした際に取り除いた汚染物質がつまったフレコンバッグがあちこちを埋め尽くしている土地のどこが「復興」を訴えることができるのか。
このように、今の日本には何もかも曖昧にして、うやむやのうちに不都合なことは無かったことにしようという動きが強い。
しかし、そのようにうやむやにすることで本当に良いのか。
オリンピックは海外から大勢の選手役員たちが日本にやってくる。
その人たちに、福島でもどこでも安心して過ごして下さい、福島産のものでも何でも安心して食べて下さい、と本当に言えるのか。
オリンピックは「おもてなし」などと、言っているが、安全については何もかもうやむやにしたところに、お客を招いて、それのどこがおもてなしだ。
私は、福島第一原発の事故をまるで無かったことのようにしている日本社会の今の風潮にほとほとあきれ果て嘆いていたが、物事を真面目に考える人達も大勢いる。
今度、「緑風出版」社から、「東京五輪がもたらす危険」という本が発売された。
これは、渡辺悦司さんが編集者として、また自分自身もこの本の寄稿者の1人として、日本だけでなく海外の、2020年東京オリンピックの危険性について危機意識を持つ人達の意見をまとめたものである。
これは、今の日本の社会の風潮に流されて、福島第一原発の事故をまるで昔に見た悪い夢程度にしか思わず、オリンピック、オリンピックと浮かれている人達に、もう一度きちんと目の前の真実を考え直すことを促す本だ。
2011年3月に起こった、福島第1原発事故が、収束するどころか、その被害は、特に人的被害は、拡大していっていることを確実な資料で説いている。
こう言う国で、オリンピックを開くことかそもそも間違っているのだ。
2013年9月7日に、IOC総会に乗込んだ安倍晋三首相は東京にオリンピックを招致するために、
放射能汚染水は、福島第一原発の港湾の0.3Km2区域の中に「完全に遮断」されている、と言った
福島第一原発はすべて、アンダー・コントロール(制御)されている、と言った。
福島第一原発の事故は、東京にはいかなる悪影響も及ぼしたことはなく、今後とも及ぼすことはない、と言った。
福島第一原発の事故はいかなる問題も引き起こしておらず、汚染は狭い地域に限定され完全に封じこめられている、と言った。
健康に対する問題は、今までも、現在も、これからも全くないと言うことをはっきり申しあげておきたいと思います、と言った。
全く途方も無いことを言ったものだが、IOCの委員は、あらかじめ日本オリンピック委員会にあらかじめ「飴でもなめさせられていた」のだろう。カナダのディック・パウンド委員は、安倍晋三首相のこの言葉に対して、「これこそ、聞きたい言葉だった」と賞賛した。この時、対立候補だったイスタンブールに60対36で東京は勝った。この60の票を投じたIOC委員たちはディック・パウンド委員と同じ意見だったことを意味する。
私は、いま、大変下品にも「飴でもなめさせられて頂いた」と書いたが、これは、私の憶測ではない。
五輪招致委の理事長だった日本オリンピック委員会竹田会長をめぐっては、東京での五輪開催の実現を確約するために200万ユーロ(約2億5000万円)を支払ったとして仏検察当局が捜査している。これで、充分だろう。
私はこのIOCの態度に驚いて、私のこのブログに、2013年10月3日に、「Open letter to IOC」という記事を書いた。
この安倍晋三首相の演説がオリンピックを日本で開くことに力があったと知って、その言葉が何から何まで嘘であることを大勢の人に知ってもらいたいと思ったのだ。
日本人だけでなく、海外の人にも読んで貰いたいと思って英語で書いた。
http://kariyatetsu.com/blog/1611.php
そのブログを日本語に訳したものが、この本に収録されている。
今になって思うのだが、その記事は、日本語版も作っておくべきだった。
私の英語は中学生程度のものなので、極めて平易だからわざわざ日本語にすることもないと思ったのだが、やはり、英語だと面倒くさいのか、余り大勢の読者に読んでもらえなかった。
今回、この本に収録されることになって、私は幸せだ。
自分の書いたものが少しでも多くの人に読んで貰えることは有り難いことだ。
そのような、私自身の思惑とは別に、この本に収録された内容は素晴らしい。
皆さんも、福島の現実をもう一度理解するために、是非、読んで下さるようお願いする。
2019/09/26 - 悲憤 http://kariyatetsu.com/wp-admin/post.php?post=1912&action=edit
に木村巴さんの、憤怒について書きました。
どうか、もう一度読んで下さい。
その木村巴さんが、新作「悲憤」を発表しました。
どんな作品か、青木巴さんご自身の言葉を、記します。
「今回の題名は『悲憤』です。目にし、耳に入る情報は怒りを感じると同時に悲しくなるほど情けなくなることが多く、その思いを作品にして発表いたします。」
その「悲憤」の写真を掲載します。
クリックすると大きな画面になります。
「憤怒」シリーズも素晴らしかったけれど、この「悲憤」は、「憤怒」を更に越える傑作です。
この人物は二つの顔を持っています。
向かって左の顔が憤激、右の顔が悲嘆。
あわせて、悲憤です。
上体を大きく誇張して書いているので、この人物は異常に大きく見えます。
地球上に降りたって、人びとのの悲嘆と憤激を一身に引き受けている人間であるように見えます。
足元にはこの世の出来事を知らせる新聞記事がズタズタに裂けて散乱しています。
遠景には、国会議事堂を始め、この男性に「悲憤」の情を抱かせる、この世が絵がかれています。
この世の中の様々な出来事が、この人物に、悲嘆と憤激を抱かせるのです。
足元には、お約束の可愛い猫ちゃんがいます。
前回の「男組と私」にも書きましたが、今の日本の社会は「ドブ泥」のような社会です。
この人物は、その「ドブ泥」のような社会に突っ立って、激しく悲しみ、激しく憤っています。
この怒りは強烈で、悲しみは深い。
今この日本の社会で生きている私達は憤激と悲嘆に捉えられている。
この絵は、ドブ泥のような社会で生きている私達の気持を代弁するものです。
どんな行動をするにしても、まずは、この「悲憤」が出発点です。
この「悲憤」がなくては、このドブ泥のような社会に対して何をすべきか、その回答が見つかりません。
この「悲憤」は、9日月27日~10月5日、上野の東京都美術館「創展」に於いて展示されます。
是非、見て下さい。
2019/09/23 - 男組についてー2 漫画は大変な力を持っている。
荒唐無稽な設定で、あり得ない筋書きで、あり得ないアクションで話を展開して行きながら、書く側は読者へのメッセージを伝えることが出来るのだ。
それも、普通に文章などで伝えるより、はるかに強力に読者の心に訴えかける事が出来る。
それは画で刺激を与えて最初に感性に訴えかけるからだろう。
画で感性が高ぶっている状態では、生なメッセージも抵抗なく受け入れられてしまう。
さて、横山茂彦氏が
「男組の時代 番長たちが元気だった季節」名月堂書店刊
で取り上げてくださった、「男組」の論点について、話したい。
前にも記したが、私と横山茂彦氏の一致した論点は、「権力に対する闘い・抵抗」だ。
「男組」では流全次郎と神竜剛次との闘いが前面に出ているが、実は、その背後に「影の総理」という存在がある。
「影の総理」とはその名の通り、総理大臣の背後にいる存在で、総理大臣を動かしているものである。
実際に日本を動かしている権力・暴力装置のことである。
例えば現在、安倍晋三首相は一応首相として権力者であるように見えるが、実際はそうではない。
現実問題として、日本を動かしている権力とは、アメリカとアメリカに屈従することで利益を得ている政界、財界、官僚、言論機関、学者たち、なのだが、それを抽象的に一人の人間にしたのが、「影の総理」なのだ。
「男組」は「少年サンデー」という週刊少年漫画雑誌に掲載される漫画だから、基本的に娯楽作品である。面白いことが第一だ。
面白くないと読者は読んでくれない。読んでもらえなければ、幾ら自分の言いたいことを伝えたいと思っても、不可能だ。
私は子供の頃から漫画が大好きだったから、漫画の面白さとはどういうものかよく分かっていた。
だから、「男組」を書くときにも、かつて自分が夢中になった漫画のように書こうと思った。そうすれば読者もついて来てくれる。読者がついて来てくれれば、自分の言いたいメッセージをこめることが出来る。
池上遼一さんにも言ったことだが、「堀江卓風に行こう」と考えていた。
「堀江卓」というマンガ家は、1950代半ば過ぎから「矢車剣之助」などで人気を博した漫画家で、実に荒唐無稽で面白い漫画を書く作家だった。「矢車剣之助」の中では、「無限の弾数をもつ拳銃」や「戦車のように動く城」などという途方もない場面が出て来る。
実に全く荒唐無稽と言うしかないのだが、その荒唐無稽さが私達子どもの心を引きつけ、興奮させた。漫画の世界でなければ存在できない荒唐無稽さだ。
「男組」は不思議な漫画で、あれこれ手を変え品を変え、男同士が戦う場面を作り上げているが、主人公の流全次郎と敵役の神竜剛次が戦う場面では、それぞれの意見を相手にぶつけ合うのだ。
横山茂彦さんは、次のように書いている。(「男組の時代」P80)
「『男組』はきわめてメッセージ性のつよい作品である。神竜剛次と流全次郎が一騎討ちをしながら、いや、激しく演説しながら一騎討ちをする。」
「男組」全編を通して、基本的な図式は、流全次郎と神竜剛次の闘いなのだが、闘いながら、政治について、大衆について、目指す社会の形態について、自分の考えを相手にぶつけ合うのだ。
二人の言葉は極めて生なものである。
普通の状態でそんな生なことを言われては白けてしまって、とても、まともに聞くことは出来ないのだが、これが、荒唐無稽な設定の漫画の中だと、あまり抵抗なく聞けてしまうのだから不思議だ。
流全次郎と神竜剛次は人間と社会のあり方についての考え方が違う。
神竜剛次は次のように言う。
「大衆は豚だ。奴らは人より多くエサを貰おうと、人を押しのけたりするが、真理や理想のために戦ったりしない。
豚を放っておくと社会全体を豚小屋のように汚らしくてしまう。この社会はすでに汚されてしまった。高貴な人間のための理想社会に建て直す必要がある。
豚に人間の言葉をかけてやっても無駄だ。豚に必要なのはムチだ。ムチで叩いて分からせてやるのだ。」
それに対して流全次郎は言う、
「大衆は豚だなどと人間を侮辱する権利は誰にもない。豚は自分が豚であることに気がつかない。人間は自分が人間であることを知ることが出来る。知ろうと努力することも出来る。だから人間は希望を抱くことが出来る。
その希望とは、人間はいつか平等で平和な社会を作ることが出来るという希望だ。誰かが支配することもなく、支配されることもなく、争うこともない。自由な社会を作ることが出来るという希望だ。」
それに対して神竜剛次が反論する、
「希望を抱くことの出来る人間が一体どれだけいるというのだ。
おれは、この世の90パーセント以上を占める、大衆という生き物について言っているのだ。
奴らは豚だ。百年経っても千年経っても豚のままだ。
この世にはほんのわずかな人間と、圧倒的に大多数の豚がいるだけだ。
受験勉強に精を出している若者たちをみろ。奴らは人よりいい大学に入ろうと受験勉強に青春を浪費している。それは人よりいい会社に入って出世するためなのだ。そんな物が人生の真実か。
大学を卒業するまでには、人より少しでも多くのエサを取ることしか考えぬ利己的で強欲で卑劣な豚に出来上がっているというわけだ。そんな連中に希望をかけられるか。
人格的に優れた人間が豚共に秩序を与えてやり、間違いを犯さぬよう指導してやるのだ。
豚共に汚された社会を建て直し、高貴な人間性を回復した理想社会に作り上げるためにはそれしかない。」
それに対して流全次郎が反論する。
「神竜、お前は人間に絶望している。
そんな人間に社会を語る資格はない。
人が子を産み、子に期待をかけるのは人間は無限に素晴らしいものになることが出来るという希望があるからだ。お前のやり方はその希望を否定し、人間を鎖でつなぐことだ。希望を実現するのは難しい。しかし、その希望を否定するものとは徹底的に戦う。その強い意志こそが歴史を動かしてきたんだ。
神竜、人間に絶望することは自分自身に絶望することなんだぞ。自分に絶望しながらよく生きてこられたな。」
この神竜が人間について言っていることは現実だ。人類はこの世に発生して以来、神竜の言うような生き方をして来たのだ。
それを、神竜は力尽くで支配して、理想的な社会に変えようという。
一方流が人間について言うことはきれい事だ。
こうあって欲しいと思う理想的な人間の姿だ。
流は、人間の社会をこのようなこうあって欲しい理想的な姿に変えたいと言う。
神竜も流も自分の考える理想の社会の姿がある。
しかし、それが、互いに全く相容れない理想なのだ。
ここで二人は決裂して命をかけた闘いに突入する。
流全次郎と神竜剛次の共通の敵、影の総理の考え方は流全次郎とも神竜剛次とも違う。
神竜剛次は影の総理に言う、
「私は自分の力をあなたを倒すために使う気はありません。一般大衆の豚共に秩序を与え、このドブ泥のように汚されて、乱れ果てた社会を理想社会に作り替えるために使うつもりなのです。」
それに対して、影の総理は言う、
「剛次、それだ。それがいかんのだ。理想などと言う物が一番いかん。
大衆は豚のままで良い。ドブ泥の様な社会に、放し飼いにして置いて、エサに釣られてどんななことでもこちらの言うことをきくようにしておくことが、権力を保つコツなのだ。」
流全次郎も神竜剛次も方向こそ違え、理想社会を作ろうと言う意気に燃えている。
しかし、影の総理は、理想などと言う物が一番いけない、と言う。
豚はドブ泥のような社会に放し飼いにしておくのだ。
この影の総理の考えこそ、 安倍晋三首相を表に出した日本の支配層の本音だろう。
形こそ違え、理想社会を作ることを目指している、流全次郎と神竜剛次にとって、影の総理こそは倒さなければならない共通の敵だ。
最後の二人の死闘で、流全次郎が勝つのだが、それは、神竜剛次が勝ちを譲ったとしか思えない。
神竜剛次は流全次郎に言う。
「おれとおまえは、同じカードの裏表だったのかも知れぬ・・・・。
おまえは光を見つめ、おれは闇を見続けた・・・・・
闇は人間に対する絶望であり、光は人間に対する希望だ・・・
どこまでも人間に対する希望を失わぬ、おまえのその強さが、おれを圧倒したのかも知れぬ。」
神竜剛次は最後に、流全次郎に、自分の母親が自殺するのに使った短刀を渡して言う。
「これは、おれの母親が自裁するときに使った短刀だ。
だから、それは影の総理を刺すための短刀なのだ。
流、それをおまえにやろう。
その意味は分かるな。」
そこで二人は見つめ合う。
ややあって、流全次郎は短刀を受取って言う。
「分かった!これはおれが貰おう。」
短刀を受取ることは、神竜剛次の言ったように、その短刀で影の総理を刺すことを承諾したことになる。
それで、流全次郎の仲間たちは驚いて、
「あっ、兄貴・・・」
「そ、それは・・・」
と言う。
流全次郎は仲間たちの驚きをみても、短刀を受取る。
流たちが立ち去った後、流に倒された神竜は学校の校庭に大の字になって倒れて息を引き取る。そのとき、天は曇り、雷が鳴る。
落雷の中で、神竜は息を引き取る。
ここは「男組」の中でも、一番と言って良い場面だ。
流全次郎は神竜剛次を倒した後で、考える。
「神竜、おまえの見続けた闇はどんなに深かったことか・・・・
人間の本質については神竜の方が正しいのかも知れぬ。
だが、おれは、絶望よりも希望を選んだのだ。
生きる力のある限りは希望を持ち続けようと心に決めた。
しかし、神竜は最後の土壇場でおれに勝ちを譲ることによって、希望に賭けようとしたのではなかったか・・・
神竜は人間の醜さ故に汚れ果てたこの社会を、建て直そうと真剣に考えていたのだ。
であれば、もっと早く別の出会い方をしていれば、二人で協力して、この社会を支配している巨大な腐敗した権力を倒すことが出来たのではなかったか・・・・」
ここで、流は実際に起こったことを考え直す。
「だが、おれと神竜は戦い合う以外に違い相手を理解し合う道はなかったのだ。」
そして、流全次郎は決心する。
「いずれにせよ、神竜の分もおれば戦わねばならぬ。」
実に不思議な話だが、もともと「男組」は一つの学園内の暴力問題として始まった。それが、話が進むにつれて、いつの間にか、社会全体を対象にした話になってしまっている。
このような、荒唐無稽な筋立ては、漫画でなければ許されないものである。
普通に語ったのでは「臭くてたまらぬ」という生な言葉を使っても漫画だと受け入れられてしまうのだ。
最後に、流は神竜との共通の敵「影の総理」を倒すために神竜に貰った担当を持って、「影の総理」が催す園遊会に乗込む。
結局物語は、テロリズムに帰結する。
テロというと、最近はイスラム過激派の無差別テロのことになってしまっている。
しかし、政治的テロというのは遙か昔から存在する。
問題はテロを道義的に許せるのかどうかということだ。
これについては、「男組の時代」で私が横山茂彦氏とのインタビューで語っているところを、同書から引用する。
横山「『男組』はけっきょく、暴力に。テロリズムに向かいます。
雁屋「そこで、テロリズムを容認するのか否定すべきなのか、と言う問題に逢着するわけです。
じつは、ぼくのペンネームは、最初は「雁屋F(カリヤーエフ)」だったんです。
ロシア革命前夜に活動した、ロシア社会革命党のテロリスト、
カリヤーエフから取ったものなんです。
横山「はぁ、そうだったんですか」
(註)カリヤーエフはロシアのロマノフ王朝の一族、セルゲイ大公を殺害する任務を背負って、セルゲイ大公の馬車に爆弾を投じようとしたが、大公の馬車の中に小さな子供たちが乗っているのに気がついて、爆弾を投げることができない。
アジトに戻って仲間たちに、カリヤーエフは「僕の行動は正しかったと思う。子供を殺すことはできない」という。
この暗殺計画は立てるのは難しい。大公の行動をきちんと摑まなければならないし、それは大変に危険を伴う作業である。しかし、仲間たちはカリヤーエフを責めない。再び、セルゲイ大公の暗殺計画を半年かけて練り直し、今度も爆弾を投げる役をカリヤーエフに任せる。
そして、二度目には、カリヤーエフは大公を爆弾で殺すことに成功する。
サヴィンコフの「テロリスト群像」にその話は書かれている。
私は、この心優しいテロリスト、カリヤーエフが好きだったので、筆名を「雁屋F(カリヤエフ)」とした。
しかし、私が人間がすべての器官から排出する固体・液体・気体について書いた「スカトロピア(スカトロジーとユートピアの合成語)」を出版したら、あちこちで取り上げられたのだが、ある新聞が私の筆名にFというローマ字が入っているのをおかしいと思ったのか、Fの上の横棒を左に伸ばした。すると、Fが下という字になる。雁屋下だ。(かりやしも)とでも読ませようというのか。
これは、あまりにその本の内容に合いすぎている。
で、次からものを書くときには、本名の一字を取って、雁屋哲、としたのだ。
雁屋「テロリズムの可否については、結論を得られません。最後にテロリズムとするべきかどうかは、じつはずいぶんと悩んだんです。
司馬遷が「史記」の刺客列伝に、殺さなければならない相手には必ず失敗し、殺してはいけない相手は必ず殺してしまう。という皮肉を書いているんですが、そう言う意味では流は失敗するはずなんです。
そこでテロにするべきかどうかずいぶん悩みました。悩んだ末に、相手は影の総理という個人ではなく、権力という得体の知れない集合体なんだ、それを倒すためには、テロリズムでいいだろうと言う結論に至ったんです。
(最後、流が突っ込んでいく場面では、影の総理の顔は黒塗りになっている。流が倒そうとしているのは、影の総理個人ではなく、集合体としての権力であることをしめすためだ)
影の総理を倒しに行く前に、流は仲間たちに、暴力を肯定する意見を述べる。
「日本では、今や正義も理性も闇に閉ざされ眠っている。自分たちの政府の高官の汚職を自分たちの手であばく勇気も無く、ひとにぎりのボスが悪徳政治家と結びついて政財界を裏から支配しているのに、だれも摘発する者がいない。
誰も真実をあばく勇気がない。社会全体が悪い方向に傾いていっているのに、誰も立ち上がる者がいない。
正義と理性を目覚めさせることができるものはただ一つ。暴力だ。
暴力一般を否定するのは偽善だ。巨大な悪が権力を振るって正義を踏みにじり、社会を腐敗させ我々を堕落と破滅に追いやろうとしているのに、その巨大な悪を倒すための暴力まで否定するのは人間に対する裏切りだ。」
流の言や良し。
しかし、今の社会では暴力についてこんなに簡単に話せるものではなくなっている。
「男組」を書いて40年経つ間に、色々なことが起こった。
40年前と今とでは、状況が違う。
40年前には通用した単純な暴力肯定論は、今は通用しない。
ただ、流の暴力論は基本的に正しいと言っておこう。
暴力について論じ始めると長くなるので、今回はやめておく。
と言うわけで、最後は流が銃に守られた影の総理に突っ込んでいくところで、「男組」は終わる。
流が仲間たちに別れを告げて影の総理を倒すために出発する場面では、司馬遷の史記、刺客列伝の内、秦の始皇帝を倒しに行って失敗する刺客・荊軻(けいか)が出立するときに歌った詩を流した。
「風は蕭蕭として易水寒し。壮士ひとたび去ってまた帰らず」
そして、流が影の総理めがけて突っ込む場面では、ワルシャワ労働歌を流した。
「暴虐の雲、光を覆い、敵の嵐は荒れ狂う、ひるまず進め我らが友よ、敵の鉄鎖を打ち砕け、
自由の火柱輝かしく頭上高く燃え立ちぬ、今や最後の闘いに勝利の旗はひらめかん。
立てはらからよ、行け戦いに、聖なる血にまみれよ、砦の上に我らが世界築き固めよ勇ましく」
ちょっとやりすぎだったかな。しかし、「男組」全編つうじて、けたたましく荒唐無稽なので、ここまでやらないと収まりがつかないところがあった。
流が影の総理に向かって突っ込んでいくのと並行して、流の仲間たちが、更に仲間を集め新たなる闘いに向かう姿が描かれる。
その姿を背景にして、「男組」のメッセージが書かれる。
「戦うことを忘れた若者たちに、怠惰との無気力の中に流されている若者たちに、流全次郎の熱い血潮を伝えるのだ。
今こそ流全次郎の後を次いで立ち上がるときだと告げるのだ!」
これこそが、私が「男組」で当時の若者たちに伝えたかったことなのだ。
そして、現在2019年、正義というものがほぼ死に絶えたこのドブ泥のような日本の社会でものを言う気力も失い、力のある者の言いなりになって、その日を暮らしている若者たちに「男組」のメッセージを伝えたいのだ。
不正に対しては戦え。自分の生存を脅かされたら戦え。自由を脅かされたら戦え。自分の誇りを傷つけるものに対しては戦え。権力に隷従するな。
それが、「男組」のメッセージだった。
そして、それこそが私が東大闘争と組合運動を通じて自分自身に叩き込んだ考えなのだ。
「男組」は、小学館のホームページから読むことができます。
◎小学館 eコミックストアの男組のページ、
https://csbs.shogakukan.co.jp/book?book_group_id=6746
◎小学館、「サンデーうぇぷり」
https://www.sunday-webry.com
◎横山茂彦著 「男組の時代 番長たちが元気だった季節」 名月堂書店刊、
定価1500円
は、このブログを読んだ、と書いて注文して頂ければ、2割引1300円、送料名月堂負担で、購入できます。
住所氏名、届け先の住所も明記の上、
sekaisyoin@yahoo.co.jp
宛てにお送り下さい。
本に振込用紙を同封しますので、それを使って代金を振込んで下さい、とのことです。
2019/09/20 - 男組と私-1 私が漫画の原作者として認められたのは、1974年、少年サンデーでの連載「男組」によってだ。
「男組」が世に出たのは、2019年現在からすると、45年も前のことになる。
その時に15歳だった読者は、今は60歳になっている。
およそ半世紀近い昔の作品だ。
平成生まれの人達にとっては、
「へえー、大昔に、そんな漫画があったのかい。何だ、そりゃ」
ってなもんだろう。
ところが、今、その「男組」を取り上げて本を書いてくださった方がいる。
横山茂彦さんといって、雑誌「状況」の編集長、などいくつかの雑誌に関わり、複数の筆名で、小説の他に、「日本史の新常識」(文春新書)など様々な著書を持つジャーナリストであると同時に作家であり、時代、政治状況に敏感な方である。
横山茂彦氏が書いてくれた「男組」の本は、題名を
「男組の時代 番長たちが元気だった季節」
と言う。
名月堂書店刊 定価1500円。
なぜ、横山茂彦氏は、今頃「男組」についての本を書こうと思い立たれたのだろう。
私は今の日本の社会は、卑しい人間が力を握り、正義を踏みにじって心正しい人間を迫害し、大多数の人間はそれに抵抗する気力も無く、卑しい権力者にこびへつらい、卑しさが社会全体を覆っており、今の安泰を求めて結果的には破滅の道に進む、「自発的隷従」に人びとが身を任せている、ドブ泥のような社会だと思う。(自発的隷従については、私のブログ、「自発的隷従論」を参照のこと、http://kariyatetsu.com/blog/1665.php#)
横山茂彦氏が、「男組」について書こうと思ったのは、このドブ泥のような社会で生きていることにうんざりして、何か気分転換をしたかったからではないかと拝察する。
「男組」の設定はこうなっている。
都内に青雲学園という高校がある。
その青雲学園は、神竜剛次という生徒によって暴力的に支配されている。
神竜剛次は、日本政財界の有力者を父に持ち、自分自身政治的な支配欲をいだき、そのために神竜組という暴力組織を作り、その政治的活動をまず青雲学園から始めて、関東全域の高校の支配に進めようとしている。その先は、高校だけでなく、社会全般に自分の支配を広げて行こうと考えている。
それに対して、青雲学園の校長は、青雲学園を神竜組の支配から解放するために、父親殺しの罪名で少年刑務所に服役している流全次郎を呼び寄せる。
流全次郎は、手錠をかけたまま、青雲学園に生徒として登校してきて、神竜剛次と対決する。
いやはや、こうして書いただけで、あきれるほど突拍子もない設定である。
そんな設定の漫画が人気を博したのだから、あの時代は面白い時代だった。
「男組」で私が意図したところのものを記していきたい。
「男組」の発端は、青雲学園という高校だ。神竜剛次はその高校を暴力支配している。
神竜剛次は高校生である。最初から最後まで、「男組」の物語の中では、学生服を着ている。
日本の学生服は不思議な服装で、実際に見ると、実に不細工で汚らしい服装なのだが、こうして、漫画に描くと引き締まって見える。漫画の登場人物に着せる衣装としては優れたものなのである。
そこに、神竜剛次を押さえるために入って来る流全次郎は、少年刑務所に収容されているが、年齢は神竜剛次と同じ。やはり高校生である。少年刑務所内では、囚人服。外に出るときには学生服を着ている。
流全次郎の仲間たちも学生服を着ている。
これからすると、「男組」は「学園もの」という少年漫画の中の形式の一つである。
だが、「男組」は「学園もの」の枠をはみ出している。
しまいには、武器を持った公安部隊などが登場してきて、銃を流全次郎とその仲間に向けて発射するのだから異常だ。
最後には、流全次郎が日本の権力を象徴する影の総理を倒しに行く。
学園で起こった話が、現実の権力と対決するところまで行ってしまう。
こんな学園ものはないだろう。
だが、それは、私が次のように意図したからだ。
「自分たちを抑圧する権力と闘うことを主題にする。
学園内の暴力的支配者・ボス=権力。
学園内の権力と闘うことを、そのまま実社会で権力と闘うこと重ねる」
要するに、私の伝えたいメッセージは「闘え」と言うことだった。
学園内の闘いを、そのまま、社会での闘いにまで引き延ばすというようなことは、漫画だから出来ることなのだ。
「男組」を書き始めた1974年当時は、60年代末からの学園闘争の余波があり、三里塚の闘争もあり、「男組」を書いている間に、ロッキード事件も起こった。
学園闘争は、学校側が学生側に理不尽な処分をしたり、学生を抑圧したことに怒った学生たちが立ち上がったのが発端だ。
三里塚闘争は、国が勝手に決めた国際空港建設のために農地を奪われた農民たちが立ち上がったのが発端で、学園闘争で権力に対抗する意識を強く持つようになった学生たちも加わって成田空港建設に反対する闘いになった。
ロッキード事件は、今になっては、アメリカが仕組んだ田中角栄を追い落とすための陰謀という見方も強くなっているが、当時としては「総理大臣の犯罪」として捉えられ、政財界の腐敗をさらけ出したもので、社会の怒りを買った。
そのように権力側の圧制と、権力側の腐敗が目の前にある状況で、それに対して何も行動を起こさないのはおかしいと私は考えた。
私自身、大学を卒業してから勤めた電通という会社の労働運動で、共産党の支配する労働組合の執行部とは行動方針の違う協議会を仲間と組織して、かなりの数の社員の賛同を得た。
形としては、年末の賃上げ闘争だが、私達はそれを単なる賃上げ闘争ではなく、社員の意思を会社に認めさせるための闘争と捉えていた。
社員は会社に完全に従うのではなく、自分たちの処遇については自分たちの要求を会社の方針に反映させるようにしたい、と考えていた。
要するに私達は会社の言うなりになって、奴隷か家畜のように働かされるのはまっぴらだ、と言うことだ。
私達は全組合員を13階の大会議室に集めて、階段を1階まで下りて行きながらシュプレヒコールを繰返す階段デモ。
本社前を隊列を組んでシュプレヒコールを繰り返しながら、何度も周回する、本社周回デモ。
ストライキ中に、入り口を固めて、スト破りをする組合員を社内に入れないピケ張り。
本社一階玄関ホールに、要求を書いた紙札を下げた風船を沢山飛ばして天井を風船で覆う、風船デモ。
など、それまで執行部が考えたこともない戦術を実行した。
執行部と私達とは闘争方針が大きく違った。
執行部は、これから3回ストライキを打った後妥結する、と言う方針を打ち出した。
私達はあきれた。そんな方針を前もって打ち出してしまえば、会社としてはその3回のストライキが終了するのをただ待てば良いだけになる。
そんな馬鹿げた方針はない。ストライキを無期限に繰返すと宣言して会社に我々の要求を呑むように迫るのだ、と私達は主張した。
それに対して、執行部は、電通労組の勢力を温存することが大事だ、いま過激な闘争をしてつぶされたら困る。会社側の挑発に乗らないことが大事だ、と言う。
執行部は、電通労組を、広告会社数社の労働組合が集まって作った広告労協の重要な拠点と位置づけていて、執行部としては広告労協を維持するために電通労組はあるのだと考えていた。
要するに、執行部としては、早い話が共産党としては、広告労協という組織を維持することが大事なのであって、電通労組の組合員のことは二の次なのだ。
だから、あと3回ストをしたら妥結するなどと、馬鹿馬鹿しい方針を公言して会社側に足元を見られても構わない。闘争したという形がつけば良いのであって、厳しい方針をとって、会社側の反撃を食らって組織が弱体化したり、最悪の場合組合が潰れたらこまる。組織温存が第一だというのだ。
闘うことのない組織を温存してそれが一体何のために役に立つのだろう。
私は電通労組の執行部の委員に尋ねた。
「君たち共産党は、革命のために闘う党なんじゃないのか」
「勿論闘う」
「いつ闘うんだ」
「状況をよく読んで、こちらの力が充分に強くなったときに、闘う。それまで、時機を待つんだ。」
私は笑った。
「今こそ闘うときなのに、もっと状況が良くなったら、自分たちの力がもっと強くなったら闘う、なんて言うのは、今闘わないことの言い訳でしかない。今闘わない人間は、これから先も絶対に闘わない」
「君は冒険主義だよ」
「冒険しないで、勝つ闘いってあるのかね」
そして、組合員大会が開かれて、行動方針を決めるための投票がおこなわれた。
会社側に立つ社員は、則妥結。
執行部は三回ストをやって妥結。
そして私達は目標獲得まで無期限に闘争を続ける。
どの立場を取るか。
最初の投票では、私達の案が最多数を獲得したが、過半数に至らなかったので再投票となった。
再投票では、執行部が会社側に立つ社員と組んで、過半数を獲得し、闘争妥結が宣言された。
共産党が右翼と結託したのだ。
今闘うことを望まない社員たちに私達は敗北したのだ。
一つの会社内の労働組合運動と、社会的な政治的運動とは違うという見方がある。
しかし、会社組織というのは社会の組織そのままであり、会社が労働者に加えて来る圧力は、この社会の権力が人びとに与えてくる圧力の最先端であって、会社経営者が労働者に対して加えてくる圧力こそ、暴力的支配の生の形なのだ。
生きるための絶対条件である給料の増減、社員の都合も考えない勤務場所の移動(転勤など)、生きる場所を奪う解雇。このような事柄では、それに逆らう社員に対しては最終的には警察という、権力の持つ暴力装置が会社側に立つ。
労働組合運動も、つまるところは、この社会を支配する権力との対峙の場所なのだ。
電通では、かつての労働組合の委員長が北海道支社にとばされて、数年ぶりに本社に呼び戻されたが、その部署は労働部長だった。
労働組合を取り締まる部の部長だ。
私達は、かつての労働組合の委員長を、日経連からやってきた労務対策の専門家と一緒にして、現在の組合員に対峙する労働部長にすえる、という会社側の残酷な仕打ちに心が凍る思いがした。
これこそ、暴力ではないか。
あるとき、安酒場で酒を飲んでいたら、そこに労働部長が来た。
何か打ちひしがれたという表情で呆然として酒を飲んでいる。目はうつろで魂を抜かれた人間の表情だ。
これほど哀れな人間の姿を私は見たことがない。
私は労働部長の横に立った。私は社内の要注意人物になっていたから、当然労働部長は私のことを知っている。
私は、労働部長に対して「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」と言った。
(この・・・・・・の部分は、あまりにひどい内容なので、自己検閲する)
隋分ひどいことを言った物だと思うが、私はその惨めに打ちひしがれた労働部長を見て胸が潰れるような思いがして、こうでも言わずにおられなかったのだ。
ここまで人間としての誇りを失った人間の姿を見たことがなかったし、かくも冷酷残虐なことをした会社に対する怒りが私の中で燃え上がって、自分を抑えきれなくなって、会社に対してでなく、労働部長にひどいことを言ってしまったのだ。
それに対して、労働部長は何一つ反論せず、うなだれてしまった。
権力という物は、1人の人間の誇りを奪い、生きているのが苦しいような状況に平然として追い込むのだ。
労働組合運動は、決して、この世の実態からかけ離れたお遊びではない。
労働組合で闘争と言ったら、この世での自分の人生を賭けた厳しいものなのだ。
私が体験した東大闘争も同じことだった。
闘争を続けようという全共闘に対して、日共の学生組織民主青年同盟・民青と学校側に立つノンポリ学生たちが野合して、票数で全共闘を圧してスト解除宣言をした。
東大闘争は、医学部から始まった。その医学部の闘争の中で、春日医局長との揉め事で、医学部は17人に学生を処分したが、その処分された学生の中の粒良君は春日局長事件の時は九州の大学に他の件で出掛けていてその場にいなかった。
学生たちの抗議を受けて、医学部が粒良君の処分を取り消すと発表したが、その内容は事実認定の誤りを認める物ではなく、粒良君のアリバイについても不明としながら、教育的見地から処分を取り消す、と言う物で、要するに粒良君の言うことは正しくないが教授会がお情けで処分を取り消してやると言っていたのだ。
私はこのいきさつを知って、吐き気がするほど激しい怒りを感じた。
医学部教授会という権力が、粒良君という学生を自分のいいように取り扱っている。
自分たちの過誤を認めず、「本当は悪いことをしたんだが、特別に今回は教育的見地から許してやる」と言ったのだ。
医学部教授会は、自分たちの過ちを認めず、えらそうに、上から見下ろして、今回は特別に許してやる、といったのだ。
この医学部教授会の行為は、自分たちを守るために粒良君の人間としての誇りを傷つけ人格をないがしろにするものだ。
これこそ、権力による暴力的な支配そのものではないか。
私はそれまでに社会思想的な、政治的な本など色々読んでおり、権力というものについては考えていたが、私の考えていた権力とは、帝政ロシア、王政のフランス、などで人民を圧制していた権力で、もっと巨大なもので、身近にあるものではない。
しかし、大学の中でも、大学当局という権力が、学生を自分たちの思うように支配しようとしているのを目の当たりにした。権力は身近なところで力を振るっていたのだ。
学校当局はそのまま国家に繋がる。
学校当局が学内で振るう権力は国家の権力に繋がる。
学内で学校当局によって行われる学生に対する圧制は国家の権力が生に露出したものだった。
それが証拠に、結局大学当局は全共闘をつぶすために、機動隊を学内に入れた。
警察・機動隊こそ、権力の持つ暴力装置の一つだ。
私は全共闘の無期限ストで闘うという方針に賛成した。
学校側に立つノンポリ学生と日共・民青はそれに反対してスト解除、闘争終結方針を立てた。
日共・民青は、今は闘うときではない、挑発に乗って闘って革命勢力を弱めてはならない。権力に対抗する力がつくまで、闘うのを待つのだ、と言った。
電通労組の執行部と、同じ考えだった。
私は二度にわたって、闘わない勢力によって敗北を味わった。
その欲求不満と怒りが、私の心の中にマグマのようにたまっていたのだ。
(その2につづく)
2019/09/15 - 小泉進次郎の謎
小泉進次郎氏が、安倍内閣の環境相大臣として入閣した。
自民党の政治家として、入閣するのがまず第一とされているから、小泉進次郎の前途は洋々たるものあるのだろう。
大変におめでたいことだ。
私の家のある横須賀市秋谷は進次郎氏の選挙区である。
進次郎氏の父親で元総理大臣の純一郎氏以前に小泉又次郎氏から、横須賀市では大変に力のある政治家だった。
又次郎氏は入れ墨があったことからいれずみ大臣などと異名を取ったそうだ。
私の家の地区では、純一郎氏も大変に人気があったが、進次郎氏の人気はもはやテレでに出てくる芸能人を越えている。
進次郎氏が登場するとなると、演説会であろうとなんであろうと、おばさんたちが大騒ぎして集まる。
目を輝かし、うっとりした表情のおばさんたちが進次郎氏に声援を送る。
この選挙区では進次郎氏は盤石である。
その進次郎氏に話が行くと、私の妻がきまって首をかしげる。
進次郎氏の誕生日は、1981年4月14日と公表されている。
妻がなぜ首をかしげるかというと、その誕生日の日付が納得いかないというのである。
「4月のはずはないのにねえ」
と妻は言う。
私の妻は1981年3月8日に、横須賀上町にあった国立病院で次女を産んだ。
今は、その病院は国立病院ではなく、名前も変わっている。
妻はその時に、看護婦たちから、「小泉純一郎さんの奥さんも、お産で入院している」と聞かされた。小泉家は横須賀では大変に人気がある。
「あの小泉さんの奥さんと一緒の時期に、一緒の病院に入院してお産をするなんて光栄です」
と言うわけだ。
私達の次女は3月8日生まれだ。1日や2日のずれがあったとしても、その時に横須賀国立病院で生まれた純一郎氏の子供の誕生日が4月14日のはずがない。
純一郎氏の奥さんは何人かいて、私の妻と同時期に子供を産んだ女性と4月14日に進次郎氏を生んだ女性がいるというなら、理解しやすい。
となると、今度は、私の妻と同時期に生まれた子供はどうなったのか、その子供を産んだ女性はどうなったのか、それが大変に気になる。
もう一つ考えられるのは、実際に3月8日近辺で生まれた進次郎氏の出生届は1月遅らせたということだが、そんなことができるものなのだろうか。
進次郎氏が代議士として登場して以来、その謎が妻を悩ませ続けている。
2019/09/06 - 最近読んだもの 最近読んだもの。
①「この男イヤだ」 石坂啓 週刊金曜日 2019年8月30日号
石坂啓さんが週刊金曜日の編集委員を辞めて、それまで連載していたエッセイも中止になったので、私は大変に不満を抱いている。
石坂啓さんのエッセイは、手打ちのきしめんを、釜揚げにしてちょっと辛めのつゆで食べるような感じがして、毎回楽しみにして読んでいた。
それが、突然終わったので、私は大変に不満なのだ。
それが、8月30日号から、新連載が始まった。
続き読み物、「この男イヤだ」、第一回目が「トオル」となっている。
今回はトオルだが、次々に、イヤな男を描いていくのだろう。
この第1回の主人公の女性の名前はB。トオルは、Bのこれまでの愛人で、二人は同棲している。
今日勤めに出る前に、トオルはBに別れ話を持ち出す。
まず、この言語感覚が普通じゃない。
トオルは普通の人名だが、Bはそうではない。
Bとは、記号、符丁であり、名前や素性を隠すためだ。
普通なら、主人公の名前は通常の人名を使うところだ。
主人公の名前が符丁とは、まるでカフカみたいだ。
週刊金曜日の見開き2ページの作品だから、込み入った筋はない。
Bはトオルの持ち出した別れ話を簡単に承諾する。
トオルが勤めに出た後、Bは自分とトオルについて色々と考える。
自分は、トオルに好かれるように化粧も、服装も、セックスも色々と尽くしてきた。Bはトオルは「どうして私をいらなくなったのだろう」と考える。
「自動掃除機がBの足元に触れてクルンと向きを変えた。これくらいのことなのだきっと。嫌いになったわけじゃないということは。卑怯なんかじゃない。そんな言い方しかできなかったのだ。離れるための理由が『他の女を好きになった』じゃ私が傷つくと思って、そんな言い方をいたのだ。わかってるよトオル、あなたのやさしさは。だから私も、あなたにやさしいままの気持ちでお別れしたい。私のことはもう心配しなくてだいじょうぶ。」
とBは考える。
そして、夜、帰ってきたトオルと食事をする。
「『いい匂いだな』。焼いた肉を皿に盛り付けるとトオルは笑顔をのぞかせた。部屋着に着がえるときに彼のくつ下が片方裏返しになっていることにBは気づいたが、何も言わなかった。昼間どこかでくつ下を脱ぐ場面があったのだ。こういうときにタフじゃないと泣いたり黙り込んだりしてしまうのだろう。私はふだん通りにトオルにつくすことができる。最後まで。
トオル、私も正直に言うわね。」
そして、Bはトオルに、トオルのセックスの仕方がダメだと、率直にこまかく言う。
ここまで、相手の女性に言われたら男として立ち直れないだろうと思うようなことを、細部にわたってBはトオルに言う。
それも、こうだ。
「Bは最大級にやさしい笑顔でトオルをまっすぐに見て言った。彼の好きな甘い声で」
と、これで物語は終わる。
見開き2ページの物語だが、これは、重くて厳しい。
私は恥ずかしながら、恋愛経験はないに等しい人間で、男女の間の機微については全くと言って良いほど分からないのだが、この掌編が切り取って突きつけて見せた人の心の寒気がするような感じはよく分かる。
これは、名作掌編だ。
私はこれを、漫画に書いてもらえないだろうかと思う。
ちょっと漫画にするには難しい場面もあるが、石坂啓さんの漫画であれば、また別の深いものを表現できると私は思う。
石坂啓さんの漫画が連載されれば、週刊金曜日の読者数は増えるだろう。
②「日航123便 墜落の新事実」 青山透子 河出書房
③「日航機墜落事故 真実と真相」 小田周二 文芸社
この二冊の本は、1985年8月12日に起きた、日航機123便墜落事故について書かれている。
この日航機123便の事故は、日本中を揺るがす大事故だった。
当時の公式発表によれば、
事故の原因は後部圧力隔壁に亀裂が生じ、それが引き金になって隔壁に穴が開き、機内の与圧された空気が一気に流れる「急減圧」が発生。それにより垂直尾翼が破壊されて操縦不能となり、墜落したとされた。
この機体はその7年前に尻もち事故を起こし、圧力隔壁が破損しそれをボーイング社が修理をした。その修理が不十分だったので、飛行中に圧力隔壁に亀裂が生じたというのだ。
私は最近に至るまで、その政府の公式発表を信じていた。
この事故に関して色々な本が出版されているが、どうもいわゆる陰謀説であって信じるに足るものではないと思っていた。
大きな事件の後には、様々な陰謀説を唱える人が現れるものである。
しかし、上記、青山透子氏と小田周二氏の著書を読むと、これは、人の気を惹くためにデッチ上げた陰謀説ではないと思った。
青山透子氏は、かつて日航の機上乗務員がステュワーデスと呼ばれていた時代に、ステュワーデスだった人。
日航機123便の事故で、生き残った4人の中の一人、落合由美さんの後輩だった。
青山透子氏は123便の中で、乗客たちを励ましながら働いていた自分の先輩たちのこともあり、当時の新聞報道や資料を読み込む内に湧き出てきた疑問を追求するようになった。
青山透子氏は、これまで取り上げられることのなかった、群馬県上野村村立小学校と、村立中学校の生徒たちの目撃証言を事故直後にまとめられた文集から集めて分析している。
群馬県上野村は事故機が墜落した御巣鷹山がある村である。
その小学校、中学校の生徒たちの目撃証言は政府の公式発表を覆す内容だ。
その他にも、青山透子氏はいくつかの重要な事実を摑んでそれを元に説を展開している。
青山透子氏の説は、事実を元にしているので、信頼できる。
小田周二氏は、事故の遺族である。
この事故で、次男15歳、長女12歳と親族三名を失っている。
この事故について、航空機事故調査委員会の発表した「航空事故調査報告書」は「矛盾」と「疑惑」に包まれていて、遺族だけでなく、国民からも非難と顰蹙の対象となっている。しかし、国はそうした遺族や有識者の反論に真摯に対応せず事故から、30年も無視し続け、説明すら行わず、その責任義務を果たしていないと氏は考えている。
小田氏たち遺族は事故の発生当時から、自衛隊の「墜落場所の確定引き延ばし行為」や「救出活動の遅延行為」に対して不愉快な疑惑と疑念を感じていた。
そこに、「航空機事故調査報告書」が発表された1987年から8年後の1995年に米軍アントヌッチ中尉の告白証言によって、日航機123便の乗客524名は何らかの重大な事件に巻き込まれたことを小田氏たち遺族は確信した。
小田氏はこのままでは、自衛隊・政府が望むような事故風化が進むと考えて事故原因の真実と真相の解明、究明に立ち上がったのだ。
小田周二氏の論の展開は、事実を元にして論理の道筋が通っている。
いい加減な、陰謀説ではない。
青山透子氏と小田周二氏の著作を読んで、私は二人の論の展開は事実を元にした理性的で論理的なもので、信頼できると判断した。
青山透子氏と小田周二氏は別個に調査・原因救命活動を続けたが、両者の結論は重なる。
両方を合わせてみる。
1)事故原因は、事故調査委員会の報告書にあるような、後部隔壁の破損ではない。
自衛隊のミサイル標的機が事故機に衝突して事故機の尾翼を破壊したのが第一因である。
それでも、機長の並外れた操縦技術で、墜落せずに、横田基地に着陸できるところを、自衛隊がそれを阻止した。
自衛隊は自分たちの秘密のミサイル実験がばれることを恐れたのだ。
自衛隊が、自分たちのミサイル実験を隠したいという思惑が、それ以後、123便の乗客全てを犠牲にするという悪辣な政府・自衛隊の動きを決めた。
2)機長は、横田基地がダメなら川上村のレタス畑に不時着しようとしたが、途中で自衛隊機にミサイル攻撃を受け大きな損害をこうむった。機体は真っ逆さまに墜落しかけたが、機長の操縦技術で、山の斜面に並行する向きに不時着することができた。
その機長の操縦技術のおかげで、不時着当時には100名ほどの生存者がいた。
3)墜落したのは、18時56分である。
しかし、政府・自衛隊は墜落地点は分からないと言い続けた。
ようやく、翌朝、4時55分に、自衛隊・政府が墜落場所を特定する。
09時30分、地元消防団、陸上自衛隊松本連隊が現場に到着。
09時54分、習志野空挺団が現場に降下。
10時54分、落合由美子さんを発見。
11時03分、吉崎博子さん、美紀子さんを発見。
11時05分、川上慶子さんを発見。
13時29分、生存者4人のヘリコプター収容開始。
なんと、事故発生から、20時間も経ってのことだ。
4)政府の発表とは反対に、墜落時点で政府と自衛隊は墜落地点をハッキリ把握していた。
その証拠は、上野村村立小学校と中学校の生徒たちの証言以外にもある。
さらに強力な証拠は、米軍アントヌッチ中尉の告白証言である。
事故から10年後の1995年8月20日、事故当時、米軍横田基地の輸送機に乗務していた航空機関士マイケル・アントヌッチ中尉が、「サクラメント・ビー」紙に発表した証言は、8月27日付の「Stars and Stripes」誌に転載された。
その証言の内容は、驚くべきものだ。
「米軍は日航機が墜落した20分後、19時15分に墜落場所に到着し、海兵隊のヘリコプターを呼び寄せ、21時5分、救出するために兵士2人をホイスト(ヘリコプターから、人を下ろしたり挙げたりするための装置)で降ろす作業中、日本側から、『救出は日本側が行う』と米軍に中止要請をしてきたので、撤退した。しかし、日本側の救出作戦は行われなかった。さらに、横田基地に戻ったアントヌッチ中尉ら隊員は基地司令官から、『口外するな』と箝口令を言い渡された」
5)政府は、04時55分に、墜落場所を特定したと発表するが、それ以前に、自衛隊特殊部隊が墜落地点に乗込んで、全ての証拠隠滅作戦を展開していた。
ミサイルに関する証拠物件を全て集めたのだ。
更に恐ろしいことだが、自衛隊・政府としては乗客は全員死亡でなけれはならないので、そのような措置をした。
飛行機の燃料によるものよりはるかに、度の過ぎた焼け方で、炭化した遺体が幾つもあった。
遺体は飛行機の燃料によって焼けたとされているが、ジェット燃料は石油ストーブに使う軽油と同等であって、これほどの、燃焼力はない。
さらに、ジェット燃料が入っているのは左右の主翼だが、炭化するまでに焼けた遺体の多数はその主翼から離れたところにある。
現地に入った、消防隊員らの証言によれば、現地ではガソリンとタールの匂いがしたという。
ジェット機には、ガソリンもタールも積んでいない。
考えられるのは、ガソリンとタールを使う「火炎放射器」という武器である。
ガソリンとタールを混ぜると、タールは皮膚にくっつき、そこでガソリンが燃焼するから、浴びせかけられた人間は骨の芯まで炭化するほどに焼ける。
墜落現場で発見された遺体のかなりの部分は、さわるとボロボロに崩れるほど炭化していた。
以上が、青山透子氏、小田周二氏の結果を合わせたものである。
この説が正しいかどうか、きちんと検討するためには、政府が隠して出さない資料が必要だ。
第二次大戦中の日本軍の行動についても、日本国にとってまずいところは、資料が隠匿されているから、ハッキリしない。
昔も今も、日本の指導者たちは実にいやらしい連中だ。
この件に関して、森永卓郎氏が興味深いことを言っている。
氏のブログから引用する、
「しかし事件から30年以上経過したのだから、政府は国民に真相を明かすべきだ。それは、森友学園や加計学園よりも、はるかに重要な問題だと私は思う。なぜなら、この事件あと、日本は以前にもまして対米全面服従になったからだ。事故の翌月には、ニューヨークのプラザホテルで「プラザ合意」が結ばれ、協調介入によって曲単位な円高がもたらされ、日本は円高不況に突入した。日本の安定成長が失われた大きなきっかけとなったのだ。それだけではない。1993年には宮沢総理とクリントン大統領の間で年次改革要望書の枠組みが決められ、、それ以降、日本の経済政策はすべてアメリカの思惑通りに行われるようになった。事故の原因を作ったとされるボーイング社は、もしこれが事件だとすると、罪をかぶった形になったのだが、そのご、着々と日本でのシェを高め、いまや中型機以上では、ほぼ独占状態といってもよい状況を作り上げている」
「森友学園や加計学園よりもはるかに重要な問題」であるなら、余計に政府は真相を明らかにするわけがないと私は思うが、日本政府のアメリカに対する過度の服従は、このようにまずいことを幾つも握られているからだと思わせる。
日航機の事件は、1985年、34年も前のことだ。
今になって、真相を究明するのは大変だろうが、やはり、このまま放っておいてよい問題ではあるまい。
福島第一原発の問題も、「復興」という美名ですべてをくるんでごまかし、真相を知ろうとすると「風評被害を起こす」と非難して、なにもかも無かったことにして行こうとしているのがこの国の最高指導者たちと、それにへつらい従う中間指導者たちと、御用学者たちと太鼓持ちマスコミ人種たちだ。
日航機の問題をきちんと問いただすことは、福島の問題もこのままうやむやにしていこうとしている勢力に対する反撃の一つとなるはずだ。
④「深夜食堂」安倍夜郎 1〜9 小学館
私は漫画原作者のくせに、ここ30年ほど、余り漫画を読んでいない。
それは、30年以前にシドニーに引っ越したことが大きい。
シドニーでは、なかなか日本の漫画に接する機会がない。
日本に帰ってきたときに、いろいろとまとめて読むのだが、何しろ、こっちは自分の漫画を書くのに忙しくて、他人様の漫画まで手が回らなかったというのが実状だ。
この「深夜食堂」も、その評判は聞いていたが、これまで、なかなか読む機会がなかった。
前回シドニーに移動する日航機の機内テレビで、「深夜食堂」のテレビドラマ版を見た。
主役は小林薫、渋い役者である。
話は、第25夜の「ソース焼きそば」だった。
風見倫子という、元アイドルで、いまはテレビや映画に出ている女優を主体にした話しだ。
この「深夜食堂」というのが不思議な設定で、新宿にあって、夜の12時から翌朝7時まで開く食堂で、壁に書かれたメニューは、
「豚汁定食、ビール、酒、焼酎、
酒類はお一人様3本(3杯)まで」
のたった4種類だが、後は勝手に注文してくれればできるもんなら作る、というのが、この店のマスターの方針である。
場所は新宿、しかもこんな夜更けにものを食べようという人間は私のように平々凡々と生きてきた人間からすると、大分“濃い”人達だ。
このソース焼きそばの話しはこうなっている。
「深夜食堂」に時々来る女性が、女優の風見倫子であることを、風見倫子がアイドルの時からのファンである二人の男が気づく。
風見倫子は店に来ると、「ソース焼きそば目玉焼のせ」を注文する。
「好きなんだね」というマスターに、「子供の頃、よくたべてたから・・・」と風見倫子は答える。
ある日、マスターは「金はたいしたことないけど、免許証とかカードとか入っている」財布を落とす。
翌朝、閉店時間になって、閉店支度をしているマスターに、路上生活者とおぼしき男が「昨夜拾ったんだけど、店やってるとき、オレが入っちゃまずいと思って」といって、マスターの財布を差し出す。
マスターがお礼のお金を渡そうとすると、男は固持する。
そこで、まスターは言う。
「じゃあこうしよう、朝飯まだだろう、うちで食ってってくれよ」
男は、マスターの豚汁を食べる。
ちょうどその時、店内のテレビで、風見倫子が新しい映画について抱負を語るニュースを流す。
マスターが、「店にもたまに来るんだ。昨夜も来てたよ。」「でね、注文するのはいつも決まってんだ」「ソース焼きそばの目玉焼きのせさ」
路上生活者の男は遠くを見るような表情になる。
そして言う、「旦那、しってるかい? 焼きそばに四万十川の青のりかけると上手いんだよ。香りが、全然違うんだ」「今度あの娘がきたら、かけてやってよ」「四万十川の青のりだよ・・・。ごちそうさま」
次に風見倫子が来た時に、ソース焼きそばの目玉焼きのせに、マスターは青のりをかける。
一口食べて、風見倫子は驚く。
マスターは言う「どうだい? ある人が教えてくれたんだ。四万十川の青のり、かけるといいって」
次のコマは、子供の時の風見倫子がソース焼きそばを食べている場面である。
そこに、青のりを掛けいる人間の声だけが書かれる。声は、「ほら、倫子の好きな四万十川の青のりだ」
子供の時の風見倫子は言う「倫子、オトータンの焼きそば、大ちゅき」
最後のコマは風見倫子の顔が画がかれる。何かを突きつけられた人間の複雑な表情である。
その顔の横に、マスターのセリフが書かれる。
「そのひとも、あんたの大ファンだってさ」
これで終わるのだが、読者には、その路上生活者が、風見倫子の父親だと言うことが分かる。そして、風見倫子と、その父親との間になにか深い事情があるのだろうと察する。
テレビドラマでは、この路上生活者の父親と風見倫子の物語を漫画の数倍細かく描く。
この話一つを取っても、「深夜食堂」はコテコテの人情噺漫画だ。
私も、「美味しんぼ」は人情噺でいくと決めて始めた。
ただ、私の場合、絶対にハッピーエンドと決めていた。
しかし、「深夜食堂」は、ハッピーエンドどころか、悲しい結末の話しも少なくない。
また、新宿という場所の設定から、厳しい話しも多い。
成人向きの話しも多い。
「美味しんぼ」は家庭で読んで貰うことを願ったから、成人向きの話しは書かなかった。
それだけ、「深夜食堂」の方が深い。
私は人情噺が好きだ。
「深夜食堂」は、日航機の中で見たテレビドラマのおかげで、「これは、漫画を読まなければならぬ」という気持ちになって読み始めたら、とり憑かれて、一気にビッグ・コミックス・スペシャルの第9巻まで読んでしまい、現在22巻までを頼んで、届くのを待っている。
作者の安倍夜郎の画は、実に不思議な味わいがある。
人の表情を極めて繊細に描く。
私は、安倍夜郎の描く人物像に強く惹かれてしまう。
この、「深夜食堂」の世界も好きだ。
「深夜食堂」はいつの間にか、常連たちの集まる場所になってしまうが、こんな食堂があったら私も行って見たいものだと思う。
久しぶりに、よい漫画に出会って、私は幸せだ。
もっと早く知っていたらよかったのに、と思わないでもないが、これは私の得意文句、「Better late than never . 遅くても、全然ないより益し」で良しとしよう。
最後に一つ、このマスターの向かって右の顔にある傷は何なのだろう。
このマスターの過去は何なのだろう。
その傷が、なにか深い過去があるように思わせる。
9巻までに、マスターの過去は語られていない。
9巻以後に、語られるのだろうか。
2019/07/23 - 第2次半導体戦争 1989年日本とアメリカが日本の輸出超過による貿易摩擦でもめていたときに、当時のソニーの会長、盛田昭夫と石原慎太郎の共著「『NO』と言える日本」という本が話題になってよく売れた。
その中で、石原慎太郎は、大略次のようなことを言った
「日本の半導体がなければ、アメリの産業は動かなくなる。アメリカが日本に難題をふっかけてきたら、半導体を売ってやらないと言えば良い」
私はそれを読んだときに、驚きあきれ果てた。
確かに、当時日本の半導体産業は栄えていて、世界中の市場を席巻していた。
しかし、その半導体なるものを発明して、半導体産業を作り出したのはアメリカである。
当然、半導体製造の基本特許の多くはアメリカが保持している。
日本がアメリカに半導体を売らない、などと言ったら、アメリカは半導体の基本特許を日本が使うことを許さない、と反撃してくるだろう。
大体、なぜ日本以外の国が半導体を作れないなどと思い込んでいたのだろう。
1991年に石原慎太郎は今度は江藤淳と組んで、「断固 「NO」と言える日本」という本を出した。
今度もまた、石原慎太郎は日本の半導体を特別な物として扱っている。
アメリカが湾岸戦争で勝利したのは、精密に誘導される兵器おかげだが、その誘導装置に使われているのか日本製の半導体である。
だから、半導体を売ってやらなければ、アメリカは戦争も出来ない、と言うのである。
この、無知蒙昧な思い上がりは、度しがたい。
それにしても、その時のアメリカに対する日本政府の屈従ぶりはひどかった。
アメリカは、日本に軍隊を出さない代わりに、金を出せと言って、130億ドル、当時の為替レートは、1ドル約百五十円、130億ドルは日本円にして、約二兆円である。
アメリカは1945年の占領以来、日本を属国として扱ってきていたから、二兆円くらい出させるのは当然だと思っていたのだろう。
今考えても、余りのことに、はらわたが煮えくりかえるような思いがするが、日本をずっと支配してきている自民党政府は、CIAのエージェントだった岸信介の時から、アメリカの下僕だったから、ご主人様の言うことはどんな無理難題でも聞かなければならない。
日本の自民党の総裁・日本の首相は代々アメリカのプードル、太鼓持ちを務めてきたわけだが、不思議なことに、日本の太鼓持ちは旦那からご祝儀というお金を頂戴してきた。しかし、日本の首相を太鼓持ちとして抱えているアメリカ政府は太鼓持ちから逆に金を取るのだ。
実に不思議な太鼓持ちだ。散々こちらから尽くしておいて、更に旦那に金を差し出す太鼓持ちと言うのは日本の常識では考えられないことなのだが、安倍晋三首相にいたって、金どころか、日本人の血までアメリカに差し出すように、2016年に有事法制を改正して、自衛隊が海外で戦う道を開いた。
自衛隊はアメリの戦略の中に組み込まれて、アメリカと一緒にアメリカと、或いはアメリカのために単独で、戦場で戦うことになるのだ。
その話は別にして、半導体に戻ろう。
現在、日本の半導体業界は韓国の後塵を拝することになって久しい。
アメリカに半導体を売ってやらないと、石原慎太郎が威張ってから20年後には、今度は韓国が日本に半導体を売ってやらないと言ったら日本は困ることになる。
日本は韓国に負けたのだ。
日本人は韓国と中国の技術に対して認識が足りなさすぎる。
私は2000年頃に、電通の主催で、東京と沖縄をインターネットテレビ通話で結んで話すという催し物に参加したことがある。私はもとWBCのスーパーライト級世界チャンピオンだった浜田剛史さんと親しく、沖縄出身の浜田さんと一緒に沖縄の人達と話をしたのだ。
その時、驚いたのは、テレビ電話通信の技術を担当していたのは全部韓国人だったことだ。その時のテレビ通話は韓国の技術でなければ出来ないのだという。
私は一般の日本人と同様に当時は、日本の方がインターネットなどの技術は進んでいると思い込んでいたので衝撃だった。
何人かの韓国の技術者と英語で話したが、彼らは日本のインターネット網が遅れていてスピードが遅いので、テレビ通話がなめらかに行かないとこぼしていた。
私はその時初めて、韓国の技術が進歩していることを思い知らされた。
サムスンはその頃から半導体事業でめきめき伸びていった。
テレビも液晶テレビを進めていた。
当時、世界的にSONYのテレビが一番良いとされていて、世界中何処に行ってもコンピューターのモニターはSONYと決まっていた。
ところが、SONYは自分たちのトリニトロン・ブラウン管のテレビが最高の画質であって、液晶テレビを馬鹿にして、手がけようとしなかった。
ところが、液晶テレビを韓国・台湾の技術者たちが進歩させて、最初の内こそ画質はトリニトロンの方が良いこともあったが、その優位さは直ぐに失われてしまった。
いまや、テレビはことごとく液晶式でブラウン管のテレビなど、博物館にでも行かなければ見られない。
SONYのその態度は、日本人によく見られるものである。一つの成功が次の取り返しのつかない敗北を招く。成功に酔うと、そこで満足してしまって、次への発展を怠けるのだ。
今や世界中何処に行っても、テレビと言えばサムスンか、やはり韓国のLGだ。
そして半導体も、韓国が世界一の座を占めるようになった。
韓国の半導体産業も、日本の東京エレクトロンの製造機械を使っているが、その東京エレクトロンの人間がかつて言っていた。
「韓国はとにかく決断が早くて直ぐに行動に移すからこちらとしてもやりやすい。日本の会社は、やれ稟議だ会議だなんだと、なかなか結論を出してくれない。これじゃ、日本の会社が韓国に負けるわけだ」
1991年に石原慎太郎は、「アメリカが難題をふっかけてきたら、半導体を売ってやらないと言えば良い」と言った。
その半導体は今どうなったか。
日本が売りたくても、日本の半導体など、よほど特殊な物以外はアメリカにも買ってもらえない。
半導体は産業の米、と言われている。
日本は韓国の技術と、韓国の会社の指導者たちの果敢な実行力の前に敗れてしまった。いま、JDIという半導体会社を日本の総力を挙げて運営しているが、上手く行かない。
韓国と中国の技術と、彼らの実行能力の高さは凄い物がある。
私は2年前に中国で、中国製の新幹線に乗ったが、その素晴らしさに感嘆した。
日本の報道では、中国の新幹線は技術が低いとか、危ないとか言うが、それはとんでもないことだ。
とにかく車内はゆったりとして、時速三百キロを超えても、実に快適な乗り心地である。私は日本の新幹線より良いと思った。
数年前、日本の新幹線が時速三百キロを出したと騒いだが、その数年前から中国の新幹線は時速三百キロ超で走っていたのだ。
で、こんどの日本政府の韓国に対する輸出規制問題だ。
日本は、半導体を作るのに欠かせない、「レジスト(感光剤)」、「エッチングガス(フッ化水素)」、「フッ化ボリイミド」とい三種類の半導体材料を規制するという。
私は日本の政府、安倍晋三首相の周辺の愚昧さにはあきれ果てて声も出ない。
その三種類の半導体材料は、現在は確かに日本の市場占拠率は高い。
しかし、これはいつまでもその事情が続くわけがない。
すでに、韓国の半導体製造企業体は中国から、フッ化水素を輸入することに決めた。
韓国と中国が本気になれば、遅かれ早かれ、その三種類の半導体材料は日本より安い価格でいくらでも作れるようになるだろう。
大体、なぜ日本が半導体産業で韓国に負けたのか、その理由をきちんと考えなければならない。
町の本屋に行けば、嫌韓、嫌中の本が一番良い場所に平積みになっておいてある。
それらの本を読むと、10年以上前から、中国と韓国の経済は破綻すると書かれている。
ところが、経済がどんどん傾いていたのは日本であって、とっくに破綻しているはずの中国が日本の数倍のGDPを誇るようになってしまった。
それでも、いまでも、中国の経済が明日にでも破綻すると書かれた本が並んでいるのが不思議だ。
現実をきちんと見ることが出来ずに、ジンゴイズム(Jingoism,自分たちの民族が一番だと思い上がって、他民族を蔑視しようとする、偏狭な立場)に駆られて、さらに、近年の中国と韓国の経済的成功を目の前にして激しい嫉妬を燃やして、嫌韓、嫌中本を書く輩がいて、またそう言う浅ましい本を買う人間がいるという悲しい社会になってしまったのだ、我が日本国は。
さて結論だ。
今回の安倍政権の「韓国に対する輸出規制」は第2次半導体戦争の敗北を日本にもたらすだろう。
韓国の技術力と、経営力と、何よりその行動力で、その三種類の半導体製造材料は自前で作れるようになるだろう。
中国も韓国に協力するだろう。
そうなれば、もはや日本の出る幕はなくなる。
だいたい、半導体の製造材料を作っているからと言って威張っていてどうなる。
日本は新しい半導体の発想もその設計も出来ない、韓国の指示通りに材料を作っている下請け業の国ではないか。
一つの製品を発想し設計し、新製品を作り出すのが、世界をリードして、利益も大きく稼ぎ出すリーディング・カンパニーと言う物だろう。
アップルの製品は多くの下請け企業の製品の塊だ。しかし、アップルの製品は下請け企業の物ではない。
アップルの製品を発想し設計したアップルのものだ。
日本政府も日本の企業もそこの所をきちんと考え直した方が良い。
サムスンは世界に君臨するリーディング・カンパニーだ。
半導体材料を作っている日本の会社は、サムスンの下請けでしかない。
決して、世界をリードすることは出来ない。
下請け企業の国日本が、リーディング・カンパニーの国韓国に喧嘩を売って勝てるわけがないだろう。
喧嘩はするべきではない。しかし、喧嘩をしなければならないのなら勝たなければならない。
勝算のない喧嘩はしてはいけない。
これは戦争でも同じだ。戦争はしてはいけない。しかし、戦争をしなければならないとしたら勝たなければいけない。勝算のない戦争はしてはいけない。
こんなことは、第二次大戦で、全く勝算のない戦争をして壊滅した大日本帝国の愚行を振り返ればよく分かることだ。
韓国に対する輸出規制は、勝算の無い喧嘩をふっかけたようなものだ。
初戦は勝つかも知れない。しかし、1〜2年の内に形勢逆転して最後には負けるだろう。
日本は負けて、何もかも失うだろう。
そうならないことを祈りたいのだが。
2019/06/09 - 昭和天皇の戦後責任 前々回書いた、「奇怪なこと」に対して、多くの方がメールを下さいました。
小学館にも反響があり、前回鼻血問題の時とは180度変わって、私を応援して下さる意見ばかりだったそうです
皆さんに私のことを心配して頂いて、大変申し訳なく思うと同時に、そのご親切身にしみて有り難く、厚くお礼を申しあげます。
私は鈍感なのか、闘争精神が旺盛なのか、こんな状態に少しもへこたれることなく、これからも今まで通りに私自身が正しいと思うことを発言していくつもりです。
これからもよろしくお願いします。
新刊のお知らせです。私は2000年に、イソップ社から「マンガ 日本人と天皇」という本を出版しました。
この本はその後、講談社のα文庫に収録されました。
今回、天皇が平成から令和に変わるというこの時点で、もう一度天皇制について考えようと言うことで、初版に一章付け加えて増補版としてイソップ社から発行しました。
初版の本の内容は、本の帯に編集者がまとめて書いたものによると、
天皇とは何か。
天皇は現人神という神話を日本人にすり込んだ教育勅語。
その内容はいかに荒唐無稽で、事実とかけ離れたものだったのか。
近代天皇制の毒
恐怖と民俗的ナルシシズムを喚起する近代天皇制。
その正体は明治になって作られた「新興宗教」だった。
天皇の軍隊。
日本の社会に根をはる上下関係の締め付け。その源に奴隷の服従を下のものに強いた天皇の軍隊がある。
臣と民。
「君が代」の「君」は天皇を指すものではなかった。民衆の祝い歌に過ぎなかった「君が代」を国歌に据えた。その真意は何処にあるのか。
象徴天皇制
一見無害に見える現代の天皇制。だが、本当にそうなのか。成立のいきさつと共に、天皇を上に載く危険性を考える。
昭和天皇の戦争責任。
昭和天皇は、ヒトラーやムッソリーニと同罪か。
はたまた軍部の暴走に引きずられた犠牲者だったのか。「独白録」などから、昭和天皇の真実に迫る。
天皇制の未来。
天皇制とはやんわりと空気のように充満している権力。
どうすれば我々は天皇制から自由になれるのか。
となっています。
以上の内容に、今回は増補として、昭和天皇の「戦後責任」について付け加えました。
初版で、昭和天皇の戦争責任は追及しましたが、戦後責任まで書くことが出来ませんでした。
しかし、昭和天皇については戦争責任だけではなく、敗戦後今日まで続く私達を苦しめているアメリカに対する隷属体制を作り上げた責任があります。
辺野古の問題、アメリカからの大量の武器購入問題、原発再稼働の問題、この全ては日本がアメリカに隷属していることに原因があります。
日本は確かに太平洋戦争でアメリカに負けた。
しかし、敗戦後74年も経っているのに、どうして日本はいまだにアメリカの占領下にあるのか。
日本は独立したことになっていますが、実質はアメリカに全てを支配されています。どこをどう見ても、日本はアメリカの占領下にあり、アメリカの属国です。
どうして日本はこんな惨めな国になったのか。
それは、昭和天皇が日本をアメリカに売り渡したからです。
詳しくは本書を読んで頂きたいのですが、簡単に、要点だけをまとめます。(引用した資料などについては、本書をお読み下さい)
1946年に公布された日本国憲法では、天皇は主権者ではなく、象徴となっています。政治権力は持っていません。
ところが、昭和天皇はそうは考えていなかったのです。
敗戦後直ぐに昭和天皇は活動を開始します。
昭和天皇は近衛文麿首相に憲法改正作業を命じました。
しかし、近衛文麿は戦犯に指定されて出頭を命ぜられ、出頭前日に服毒自殺してしまいました。そこで、松本烝治が代わって委員長を務める幣原内閣の憲法問題調査委員会が憲法改正作業を行うことになりました。
敗戦の翌年1946年1月に松本は「憲法改正私案」を昭和天皇に提出しました。
しかし、これは、昭和天皇が命じた憲法改正なので、私案では「天皇が統治権を総攬する」という明治憲法の基本をそのまま残していました。それを見たマッカーサーは、自分の部下に命じてGHQ案を作りそれを受け入れるように政府に迫りました。
ここで注意して頂きたいのは、憲法改正を命じたのは昭和天皇であることです。
昭和天皇は「昭和天皇独白録」の中で「自分は専制君主ではなく、立憲君主なのだから開戦の際東条内閣の決定を裁可したのはやむを得ないことである」と言い、実際の政治には関わらないと言っていますが、憲法改正という重大な政治問題を自分から命令して始めたのです。「立憲君主なのだから政治的に自分の意思を通せない」という弁明とは大いに違います。
昭和天皇は1945年敗戦後直ぐに、9月27日にマッカーサーに会うためにGHQの総司令部に行きました。
これは、極めて異例なことです。天皇が相手を訪ねるということはあり得ないことでした。もし会いたいと思ったら、その人物に拝謁を命じて、宮中に来させるのが普通でした。(私的に、遊びで訪問することはあったようですが、このような正式の会見の場合自分から相手のところに行くことはあり得ませんでした)
しかも、直前まで敵として戦っていた相手の指揮官を訪問するとは考えられないことです。
人によると、「命乞いに行った」と言いますが、果たしてどうだったのでしょうか。
またその時撮影された写真が、私達日本人(少なくともこの私)を苦しめ続ける物です
本書に掲載されている写真は不鮮明なのでよく分かりませんが、もっと大きく鮮明な写真で見ると、天皇の目の表情と口元の様子がよく分かります。途方に暮れたような目つきで、いわゆる「まなこちから」は一切ありません。口は半開きになっている。直立不動の姿勢を取っていますが、体中の力が抜けているようで、その情けない顔つきと合わせると、無残なまでに哀れっぽい。
それに対してマッカーサーは、腰に手を当ててカメラのレンズを睨み付けるようにして立っています。その目の「まなこちから」は強烈で、日本人にとって現人神である天皇の横で傍若無人、傲岸不遜、なんという勝ち誇りようであることか。
大きくて体格の良い体、気迫に満ちた表情のマッカーサー=勝者アメリカ、一方、貧弱な体格、情けない顔つきの天皇=敗者日本。
私はこの写真を見るたびに、激しい敗北感と、屈辱感に打ちひしがれる思いがするのです。
日本人にとっては神と崇められていた天皇を、単に自分たちに降伏し命乞いをしてきた人間のようにマッカーサーは扱っている。
これほど日本人にとって屈辱的な写真があるでしょうか。
本当に口惜しい。
私は、マッカーサーがこの写真を故意に撮らせて世界中にばらまいたのだと思います。
この写真があれば、天皇制を我々の頂点に置く今の体制を廃止しない限り、日本人は未来永劫アメリカに頭が上がりません。
この弱々しい姿とは裏腹に昭和天皇はその後10回にわたりマッカーサーと会見して自分の意見を述べ、政治的にかなり高度な問題を話し合っています。
第四回目の会談で昭和天皇はマッカーサーに、「日本の安全保障を図るためにはアングロサクソンの代表者である米国がイニシアチブを取ることを要するのでありまして、そのために元帥のご支援を期待しております」と言いました。
それに対して、マッカーサーは、「日本を守る最も良い武器は平和に対する世界の輿論である。日本が国際連合の一員になって平和の声を上げて世界の平和に対する心を導いて行くべきである(そうすれば、日本が攻撃を受けた場合には世界の輿論が日本の味方をして、国際連合が日本を守るために動くだろう)」と答えました。
マッカーサーの国連主義は昭和天皇にとって不満だったに違いありません。
昭和天皇はより具体的で、更に露骨に安全保障上の問題に介入していきました。
この4回目の会見から4ヶ月ほど経った1947年9月1日に昭和天皇は御用掛の寺崎英成を使って、対日理事会議長兼連合国軍最高司令部外交局長ウィリアム・シーボルトに「沖縄メッセージ」を送り、シーボルトはそれを連合国軍最高司令官及び米国国務長官に送りました。
その「沖縄メッセージ」は現在、沖縄県公文書館がインターネットで公開しています。シーボルトが国務長官に送った書類のコピーです。
https://www.archives.pref.okinawa.jp/wp-content/uploads/Emperors-message.pdf
寺崎英成が伝えた昭和天皇のメッセージの肝は、次の点です。
主権は日本が維持しているというフィクションの元に、25年から50年またはそれ以上の年月、米軍の沖縄とその他の琉球諸島の占領を続けて貰いたい。
現在日本の国民は占領が終わった後に国内で左翼と右翼の衝突が起きて、その騒動に乗じてソ連が内政干渉をしてくることをおそれている。したがって、アメリカが沖縄の占領を続けることは広範囲の日本国民に受け入れられるであろう。
この軍事基地獲得の権利はアメリカと日本との2国間の条約とするべきで、連合国軍と日本の平和条約の一部とはしない。
この昭和天皇のメッセージを読んで、私は絶望的な思いにとらわれました。昭和天皇は沖縄をアメリカに売ったのです。昭和天皇は沖縄を捨てたのです。
今沖縄では辺野古基地問題で揺れている。沖縄の県民投票では、投票した人間の70パーセント以上が辺野古基地の建設に反対している。投票率が50パーセントを超えたので、全有権者の35パーセント以上が反対していることになります。普通なら、これだけの反対があれば政府は辺野古基地建設を中止するべきだが、安倍晋三内閣はその投票結果を無視して辺野古基地建設を続けています。
考えてみれば、今、幾ら反対してもアメリカは70年前に天皇の要請で決めたことに今更何を文句を言っているんだ、と居直れます。
この昭和天皇の沖縄メッセージは、日米安保条約に反映しています。
一旦国家間で結んだ条約は簡単に解消できません。
今、どんなに沖縄の人達が反対しても、昭和天皇が自分から進んで沖縄をアメリカに売ってしまっていては手も足も出ないのです。
更に昭和天皇は沖縄だけでなく日本全土をアメリカに差し出しました。
1945年以後の世界は大きく変動しました。
1949年には毛沢東による中華人民共和国が成立し、同じ年にソ連も原爆実験に成功し、核兵器はアメリカの独占ではなくなりました。ソ連と中国という二つの共産主義国家の存在はアメリカの緊張感を高めました。
1950年に対日講和条約を担当するジョン・フォスター・ダレスが日本にやってきて、吉田茂首相と会談しました。ダレスは講和問題や講和後の日本の安全保障問題について吉田茂首相の明確な意思の表明を期待していましたが、吉田茂は曖昧な発言に終始したのでダレスは激怒しました。
ダレスは「日本に、我々が望むだけの軍隊を、我々が望む如何なる場所にも、我々が望む期間だけ維持する権利」を獲得することが重要であると考えるような人物だったのです。
そのような緊迫した情勢であることを摑んだ昭和天皇は「ニューズウィーク」誌の東京支局長であるパケナムを介して口頭メッセージをダレスに伝えました。それは、
「講和条約、とりわけその詳細な取り決めに関する最終的な行動が取られる前に、日本の国民を真に代表し、永続的で両国の利害にかなう講和問題の決着に向けて真の援助をもたらすことの出来る、そのような日本人による何らかの形態の諮問会議が設置されるべきであろう」
というものでした。
この「日本の国民を真に代表する」人間とは、軍国主義的経歴を持っているという理由で追放処分を受けた人達のことです。
昭和天皇はその人たちは見識があり、経験豊かで、日米両国の将来の関係について極めて価値ある助言と支援を米側に与えることが出来るであろうと強調しました。
ダレスはこのメッセージを受けとって、「今回の旅行に於ける最も重要な成果」と評し、提案にある「諮問会議は価値が有るであろう」と同意しました。
更にダレスは「宮中がマッカーサーをバイパスするところまで来た」ことを事態の核心として挙げました。
昭和天皇はこのメッセージを送ることでマッカーサーをバイパスするだけでなく、講和問題や日本の安全保障の問題を首相である吉田茂に任せておくことは出来ないという立場を明らかにしたことになります。昭和天皇はマッカーサーと吉田茂の頭越しにアメリカ政府と直接交渉を持つことにしたのです。
この昭和天皇の政治的行動には驚かざるを得ません。
「自分は立憲君主であるから、政治的決断はしない」と戦争責任について弁明したのは一体誰だったのか。選挙で選ばれた吉田茂を押しのけて、自分が日本の最高責任者としてアメリカに対しています。
この時、すでに日本国憲法が公布されており、天皇は統治権の総覧者ではなく、象徴です。政治的な権限は何もありません。
昭和天皇のこの行為は憲法違反も甚だしい物です。
更にパケナムはこの昭和天皇の「口頭メッセージ」を文書化することになりました。
文書の内容は「口頭メッセージ」と基本的には同じですが、それより一歩進んだ表現があります。
それはこの一文です。
「基地問題を巡る最近の誤った論争も、日本の側からの自発的なオファによって避けることが出来るであろう」
この誤った論争というのは、吉田茂首相が参議院外務委員会で「私は軍事基地は貸したくないと考えております」と明言したことでしょう。
昭和天皇はこの吉田茂の言葉を誤っていると判断して、米軍が日本に基地を持つことを日本側からの「自発的なオファ」とすることで解決しようというのです。
要するに、日本側からアメリカに、日本に基地を作ることを自発的に依頼する、と言うことです。
どうして、ここまでして、昭和天皇は日本に米軍基地を置いて貰いたかったのか。
それは、朝鮮戦争の推移を昭和天皇が深刻に考えていたからです。
1950年6月に韓国に攻め込んで来た北朝鮮はソウルを陥落させると破竹の勢いで朝鮮半島を南下して、昭和天皇の「口頭メッセージ」を文書化しているときには、釜山まで攻め込んでいたのです。
昭和天皇とその側近は「朝鮮半島はそのまま共産化するのではないか」と恐れていました。
朝鮮半島が共産化すると、北朝鮮やソ連の援助を得て国内の共産勢力も勢いづいて、天皇制打倒に動くだろう。そうなっては天皇制維持どころか自分たちの命も危ない、と昭和天皇とその側近は切羽詰まった危機感を抱いていたのです。
昭和天皇は講和条約締結後も、米軍によって昭和天皇と天皇制を防御することが必要だったのです。
そのためには、基地問題は「日本からの自発的なオファ」によって解決されなければならない。ようするに、日本はアメリカに米軍基地を置いて頂けるように日本を差し出す、と言うことです。
差し出す=「自発的なオファ」であるからには無条件な物でなければなりません。
日本から申出る、差し出すことによって米軍の日本駐留が確実な物となり、非武装日本の安全が保障されると昭和天皇は考えたのです。
この昭和天皇の「自発的なオファ」は、ダレスの「日本に、我々が望むだけの軍隊を、我々が望む如何なる場所にも、我々が望む期間だけ維持する権利を獲得する」という考えに適合する物でした。
1951年9月8日に(旧)日米安全保障条約が成立しました。
その前文には、次のように書かれています。
「日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその付近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する」
まさに、昭和天皇の「自発的なオファ」がそのまま条約に組込まれています。
アメリカの軍隊が国内その付近に軍隊を駐留させることを、日本が希望しているというのです。
それに対してアメリカは、
「アメリカ合衆国は平和と安全のために、現在、若干の自国軍隊を日本国内及びその付近に維持する意志がある」
というのです。
要するに頼まれたから軍隊を駐留させてやる、と言っているのです。
これが日本の基地問題の根底にあるのです。
沖縄だけでなく日本全国におよそ130ほどの米軍基地があり、その駐留費用も日本が負担し、更に思いやり予算などと言って、米軍兵士が快適に過ごせるような施設をつくり維持する費用も負担し、高価な兵器も購入させられ、最近ではイージスアショアといって、秋田市に地上配備型迎撃システムを作ることも強要されています。
しかし、このような基地問題を日本の平和勢力が如何に取り組んでも、根底が最初からこうなっていたのでは、何をしても無意味なことになります。
日米安全保障条約をそのままにして、いくら基地問題を改善しようとしても無理なことなのです。国家間に結ばれた条約は強力な束縛力があります。
したがって、辺野古基地問題をそれだけ論じても全く意味の無いことなのです。
根底は、日米安保条約です。
この日米安保条約がある限りダレスの思惑通り、米軍は日本の国土を自由に使うことが出来るのです。
国際関係の場でも、日本は常にアメリカの言うとおりに行動してきていて、世界中の笑いものになっています。
最近は、安倍晋三氏が、トランプ大統領をノーベル平和賞の候補に推薦して世界中から嘲笑を浴びています。
このような惨めな状態に日本を追い込んだのは、昭和天皇の「自発的なオファ」という言葉に尽きるのです。
昭和天皇は止めようと思えば止められた戦争を止めず、日本を無残な敗戦に追い込み、さらに戦後になると、皇統の維持と天皇制の維持のために沖縄を売り、日本全土をアメリカが自由に使うことを許し、今の日本の哀れな状態を作り出したのです。
私は、これを、昭和天皇の戦後責任と呼びます。
簡単にまとめるつもりが、結局長々しいものになってしまいましたが、これでは私の意を尽くせません。
本書にはもっと詳しく丁寧に書いてあります。
是非読んで下さるようお願いします。
私達は、昭和天皇によって、アメリカの鎖につながれてしまったのだと言うことを認識して欲しいのです。
繰返しますが、日米安保条約をこのままにして置いて、基地問題を論じても、基地反対闘争をしても全く無意味なことです。
アメリカは、市民と政府が争っているのを他人ごとのように見ているだけです。少しも痛痒を感じていない。
昭和天皇の罪は深いと私は思います。
私はイソップ社と交渉して、「日本人と天皇・増補版」をこのページの読者に、送料なしで定価(1700円)の1割引き(1530円)でお売りするようにしました。
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電話で: 03−3754−8119
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振り込み書を同封しますので、それを用いて代金をお支払い下さい。
2019/05/03 - 追悼 小池一夫先生 小池一夫先生が、4月17日に亡くなられた。83歳だった。
私にとって、小池一夫先生は仰ぎ見る存在だった。
私は、日本の漫画界に貢献したのは、手塚治虫、梶原一騎、そして小池一夫先生のお三方だと思っている。
日本の漫画界には、個々に、素晴らしい業績を上げた漫画作家は何人もいる。
しかし、日本の漫画界の方向を決めたのは上に挙げたお三方だと思う。
手塚治虫は、現在の日本の漫画の基礎を作った。
それまで、漫画というものは、滑稽を主にした物で、登場人物はただ読者を笑わせるようなことをすれば良いとされていた。
その人間がどのような背景を持っているか、どんな考えを持っているか、そのようなことは必要とされなかったし、描かれなかった。
しかし、手塚治虫は初めてその登場人物に人格を持たせた。
どんな過去を持っているのか、どんな背景を持っているのか、何を考えているのか、何をしようとしているのか。
小説や戯曲の世界では当然とされていた登場人物の人格を初めて漫画の中の人物に持たせたのだ。
また、その作り出す人格が新鮮で、物語も読者の胸を躍らせる魅力的なものだった。
その結果、手塚治虫の描く漫画の世界はその舞台設定が奇抜で、非現実的であっても、登場人物たちの言動と吐露する思いは人生の真実に根ざすもので読むものの心に深く訴えかけてきた。
手塚治虫は、ドストエフスキーの「罪と罰」から、「鉄腕アトム」、「ジャングル大帝」、「リボンの騎士」、「ブラックジャック」、「火の鳥」、などその作品の幅は広く、また内容は深く、漫画はどんなことでも描けるものだと言うことを私達に示してくれた。
外国人の中には日本では大人が漫画を読むことを奇異に思い軽んじる人が少なくない。それは、外国に手塚治虫が現れなかったために、チューインガムの附録程度の漫画か、新聞の土曜日か日曜日に掲載される4コマ程度の幼稚な内容のものを漫画と思い込んでいるからだ。
日本の漫画の世界がこれだけ豊かになったその大本は手塚治虫にある。
手塚治虫が私達に与えてくれた恩恵は大きい。
私達漫画の世界で生きてきた人間だけでなく、日本の社会全体に手塚治虫の恩恵は及んでいる。
手塚治虫のおかげで日本の漫画文化は大いに進み、1960年代になると、漫画専門の週刊誌が幾つも発行されるようになった。
そうなると、漫画の物語作りをマンガ家一人に任せておくことでは足りなくなった。絵が上手でも話作りが不得手なマンガ家はいる。また、そのマンガ家の持つ特性を充分に引き出すためには他の人間の作った物語を使う方が良いこともある。
そんなことで、初期は昔の小説などを原作とした漫画が書かれた。
そのうちに、漫画に使える過去の小説などがなくなってきた。
それで、映画のシナリオを書くように漫画のための物語を書く人間が求められるようになった。
そのような人間を漫画の世界では、「原作者」とよぶ。
もともと、昔の小説などを原作としたことの名残りとして、全く新たに物語を作り出す人間の書くものも「原作」とよばれ、書いた本人も「原作者」と呼ばれる習慣が一般化したのだ。私は最初その呼び方に大変奇異な感じを持った。今でも、なんだかおかしいと思う。
その原作者としてまず大成功を収めたのが梶原一騎である。
梶原一騎は物語主導の漫画を初めて作り出した方である。
梶原一騎は、少年漫画の世界で大きな業績を上げた。「巨人の星」「あしたのジョー」「空手バカ一代」など、それぞれが社会に大きな影響を与えた。
そして、小池一夫先生が登場する。
それまで漫画は、子供の読むものとされていた。
それを、小池一夫先生は一気に漫画を大人の世界にまで広げた。
「子連れ狼」「御用牙」「I飢男」「クライングフリーマン」、それにゴルフ漫画など、数多くの作品を産み出した。
日本の漫画を大人も読めるものにまで枠を広げたのは小池一夫先生の力だ。
小池一夫先生が出て、日本の漫画の世界は子供から大人まで楽しめるものとして完成されたのだ。
小池一夫先生は、ご自分が優れた漫画原作者であるだけでなく、後輩の育成にも力を尽くされた。
「小池一夫劇画村塾」を作り、マンガ家、漫画原作者の育成に力を尽くされた。「小池一夫劇画村塾」からは、何人もの漫画作家が輩出している。
私は1974年に「男組」という漫画を少年サンデーに連載を始めた。それまでに、友人たちと共同で「ひとりぼっちのリン」という漫画を少年マガジンに連載していた。友人たちと共同と言っても、始めて直ぐに少年マガジン編集部からの要請でそれまで友人たちと回り持ちで書いていた原稿を私が一人で書くようになってしまった。
ではあるが、あくまでも友人たちとの共同作品なので、私の実質的な原作者としてのデビューは「男組」である。
1974年の一月から連載を始めたところ、思いもよらぬ好評を得た。私のアパートに毎日、時には日に2回通ってきて少年サンデーに原稿を書けと迫って来た編集者が連載を始めて3ヶ月ほど経ったときに私に言った「雁屋さん、あなた、今自分が大ヒット作を書いているということを自覚している?」と尋ねられて、私はうろたえた。まさか自分がヒット作を書くとは夢にも思わなかったのだ。
そして、六月頃に、突然小池一夫先生から、少年サンデー編集部を通じてお声がかかった。「一度、遊びにおいで」というお誘いである。
私はコチコチに緊張して先生のプロダクション「スタジオシップ」に伺った。
先生は恐れ多さの余り固くなっている私を柔和な笑顔で迎えて下さった。
先生は仰った、
「君の書いている『男組』はおもしろい。ただね、連載開始後半年経っても、一番最初の時のまんまエンジンをフルスロットルで車を飛ばしているみたいに見えて、ちょっと心配しているんだ。漫画の連載は、一本調子では書く方も疲れるが、読者も疲れるよ。ときには、手綱を緩めてほっとさせる回を作る必要がある。そうしないと、長く続かない。気を抜けと言っているんじゃない、緩急自在を心得た方がいいと言っているんだ」
この時頂いた先生のご忠告は今も肝に銘じている。
しかし、今でも深く考えざるを得ないのだ。
デビューしたばかりの新人を呼んで、そのような親切な忠告をしてくれる人間がいるだろうか。何と懐の深い、心の大きな方であることか。
先生は新人の育成にも力を尽くされたが、後輩を励まし、勇気づけることに気を使われる方だったのだ。
先生がいかに新人の育成に気を使っておられたか、私はそのことをたっぷり思い知らされたことがある。
集英社は「集英社漫画大賞の原作部門」を作り、漫画だけでなく、漫画の原作者を目指す若い人達の作品を公募していた。1980年代になって、私もその選考委員を委嘱された。
その原作部門の選考委員として、梶原一騎先生と小池一夫先生が中心になっていたのだが、梶原一騎先生が亡くなったので、代わりに私が選考委員の一人として選ばれたのだ。
漫画原作創始者と言える梶原一騎先生のあとを継ぐとは恐れ多いことだが、そのような賞で若い才能のある人間を発掘することは大変に意義のあることなので、お引き受けした。
選考委員は時によって替わることもあった。(今では大変なベストセラー作家になっている方も一時期選考委員だったこともある)
しかし、いつも中心は小池一夫先生で、先生はおおらかな方だから色々と選考委員たちが議論しても、ニコニコしながらその議論に加わってこられた。
ただ、先生はとにかく毎回、応募してきた人間の中の誰かに劇画原作大賞を上げたくてたまらないのだ。
大賞の賞金は百万円だった。大金である。
賞金の金額もそうだが、集英社漫画大賞という名前がついている以上、安易に受章者を出すわけにはいかないと私は考えた。
しかし、先生の考え方は違う。
「とにかく大賞を与えて励ましてやれば、その人間は立派な原作者に成長するんじゃないか。だから、才能の芽のある人間には大賞を上げよう」
と仰言る。
私は作品の出来の善し悪しに特に厳しい方で、時に先生と対立することもあった。
先生は、そんな私を見て笑いながら、「雁屋さんは厳しいねえ」などと仰言った。
ここにも、先生の新人を育成したい、後輩を励ましてやりたいという気持が溢れていた。
先生に比べて私は、そのような気持を抱けず、批評意識だけか強かった。今になって、先生のような度量の大きさがなかったことを恥ずかしく思う。
私が「美味しんぼ」を書き始めてずいぶん経ってから、先生は朝日新聞に「美味しんぼ」について言葉を寄せられた。
それは、過分のお褒めの言葉だった。私は飛び上がるほど嬉しかった。胸が弾んだ。
それを、ここに披露したいのはやまやまだが、それでは自慢をしているように思われるので、やめることにする。
しかし、私はそれを読んで、先生は相変わらず後輩を引き立ててやろうという気持を強くお持ちなのだな、と思った。
初めて先生のところに呼んで頂いたときのことに戻るが、その時先生は、当時人気絶頂だった「子連れ狼」の原作を私に見せて下さった。
原稿用紙は、上下三段に分かれていて、真ん中が一番広く取ってあって、そこにドラマが展開する。上段と下段は、マンガ家に対する注文と、註釈で、先生は必要な資料を準備するだけではなく、漫画のコマ割りまでも考えておられた。
その原稿ときたら、全て綺麗な読みやすい字で書かれていて、一回ごとの原稿は綺麗に綴じられていて、「子連れ狼」と印刷された黒い色の表紙がついている。そこに第何回と回数が記入される。
漫画の原作の枚数は、出来上がった漫画が20ページとしたら、200字詰め原稿用紙20枚。業界では、200字詰め原稿用紙のことを「ペラ」というが、漫画一ページに原作はペラ一枚というのが、マンガ家にとって一番書きやすいのだ。
先生はそれをきちんと守って、必要な枚数で必要な内容を書く。
先生は、「漫画の原作は、こういう風に書くんだよ」とご自分の原稿を見せて教えて下さったのだ。
デビューしたばかりの新人にご自分の原稿を見せて、漫画の原作の書き方を教えてくださるとは何という度量だろう。普通の人間に出来ることではない。
所が私ときたら、先生の教えが身につかず読みづらいひどい字で、考えたこと全部をびっちり詰め込む。20ページの漫画の原作として、200字詰めではなく400字詰め原稿用紙で40枚くらい平気で書いてマンガ家さんに渡す。
私と組んだマンガ家さんは例外なく、私の原稿の野放図な量に苦しめられてきた。
池上遼一さんは「ひとりぼっちのリン」、「男組」、「男大空」と私と一緒に仕事をした下さった方だが、あるとき、池上遼一さんは小池一夫先生の原作と、私の原作とで、二本の漫画を書いたことがあった。
その時に、池上遼一さんに私は、「小池先生の原作だったら、ネームを取るのに2時間で済むけれど、雁屋さんの原作だと2日かかるんだよ」と文句をいわれた。(このネームというのは、日本の漫画界独特の用語で、漫画のコマ割など、全体の構成をすることを言う)
私は先生の生原稿を見せて頂いて、恐れ多くなった。
折角先生に原作の書き方を教えて頂いたのに、怠惰で、しかもそのように綺麗にまとめる能力を欠いている私はそれからも、書きたい放題大量の原作を書いて、組んで下さるマンガ家さんたちを苦しめてきた。
一番の被害者は「美味しんぼ」の花咲アキラさんだろう。
なんと、30年間も私の乱暴な原作に苦しめられたのだから。
もっとも、連載が始まって10年以上経ったときに、花咲さんにご自分の描いた画稿と、私の原作を比べて、「どうして、この画稿のように原作を書けないのか」叱られて、反省して、それまで400字詰めで一回当たり40枚以上入れていた原稿を、20枚に収めるようにした。それにしても、「美味しんぼ」の毎回のページ数は22ページ。であれば、ペラで22枚が正しい。それなのに私は400字詰めで20枚、ペラで40枚だ。しかし、それが私の限界だった。
花咲さんはその私の乱暴な原作に耐えて、単行本111巻まで描いてくださった。
折角、小池一夫先生がご自分の原作を見せてくださったというのに、私は能力不足のせいで先生の教えをものにできずに多くのマンガ家さんを苦しめてきた。恥ずかしい限りだ。花咲さん御免ね。
「美味しんぼ」を再開したら、その時はきちんとした枚数で描きますからね。(本当かな)
小池一夫先生は、立派な体格をしておられた。体力もおありになった。一度、先生の予定表を見せて頂いたことかあるが、殆ど毎日ゴルフの予定が入っているのには驚いた。先生は「アルバトロス」というゴルフの週刊誌をご自分のプロダクションから発行されていた。どうも、ゴルフ熱が嵩じて週刊誌を発行されたのではないかと失礼なことを考えたりもするが、漫画の原作をガンガン毎週毎月何本も描かれながらの上でのゴルフである。
まさに、超人的な体力と創作能力をお持ちだった。
私はこの30年間シドニーで半分以上の時間を過ごすようになって、先生ともめったにお会い出来なかった。
頑健な体力の先生だから、まさかこんなに早く亡くなってしまわれるとは思いもよらなかった。
先生にお会いして、あの柔和な笑顔に接したかった。
実に残念で悲しい。
巨星墜つ、とはこのことだろう。
小池一夫先生の作品群は私の前に小池一夫山脈として聳え立っている。
いつかは、その小池一夫山脈を乗り越えたいと願ったが、とうとう麓に迫ることすら出来なかった。
小池一夫先生のご逝去を心から悼んで、この一文を閉じる。
先生、有り難うございました。
2019/04/15 - 奇怪なこと 奇怪なことが私の身辺に起こったので、ご報告します。
大変に長くなりますが、事の次第で仕方が無い。
お読み頂ければ大変に幸せです。
話しは2014年に遡ります。
その年の4月末に発売された「ビッグコミック スピリッツ」誌の第22・23合併号に「美味しんぼ 福島の真実編」第22話が掲載されると、突然、新聞、テレビ、週刊誌、インターネットで私に対する非難が巻き起こり、しかも、国会議員、大臣、最後には総理大臣まで乗り出してきました。
安倍晋三首相が「美味しんぼ」を風評被害を巻き起こすと非難するのがテレビで流されました。
その回の「美味しんぼ」で、主人公の山岡が福島の取材から帰ってきた直後に食事中に鼻血を出す場面が描かれています。
この、鼻血がいけないと言うのです。
これでは、福島は放射線量が高くて危険なところであるように思われる。
それは、福島に対する風評被害を生み出す、のだそうです。
「風評」とは「デマ」「うわさ」のことです。
しかし、この鼻血が出た問題は根拠のないことではありません。
私自身が、福島の取材から帰って来た次の日の夕食時に突然たらたらと鼻血が出始めたのです。
私はそれ以前に鼻血を出したことは中学生の時に友人たちとふざけていて、自分で自分の膝に鼻をぶつけたときに一回あるだけでした。
それが、食事中に何もしないのにいきなりだらだらと出始めたので、驚き慌てました。
慌てて、近くのソファに横になりましたが、鼻血は頭を高く上げていないといけないそうで、横になるのは間違いなんですね。
さらに、その頃から、非常な疲労感を覚えるようになりました。
最初は取材旅行が重なったからその疲労なんだろうと思っていましたが、日を重ねてもその疲労感は消えないどころか、ますますひどくなります。
誰かが、私の背骨を摑んで地面に引きずり込もうとしているような感じです。
鼻血は一回だけでなく、翌日また出ました。
私は自分の体験をそのまま「美味しんぼ」に書いたのです。
誰に聞いた物でもなく、噂を書いた物でもありません。
実際に私が経験したことを書いたのです。
私は取材の最後に、2013年4月に、埼玉県に避難していた福島第一原発事故の際の双葉町の町長井戸川克隆さんを訪ねました。
たまたまその際に、偶然、岐阜環境医学研究所の所長の松井英介先生が同席されていました。
松井先生が、「福島に取材に何度か行かれたそうですが、体調に変わりはありませんか」と私に尋ねられます。
で、私が「理由が分からないのに突然鼻血が出まして」といったら、松井先生は「やはり」と仰言います。
同時に、福島取材で色々と力を貸して下さった、斎藤博之さんが、驚いて、「えっ!雁屋さんもなの!僕もそうなんだよ。あれ以来何度か出るようになった。病院に行っても理由が分からないと言うんだ」
すると、取材にずっと同行してくれていた安井敏雄カメラマンが、「僕もそうなんですよ」と言います。
なんと、福島取材に行った我々取材班4人の中の3人が鼻血を出していたんです。
ついでに私が耐え難い疲労感について言うと、斎藤博之さんも、安井敏雄さんも「ああ、私もそうですよ」「いや、ひどく疲れてたまらないんです」といいます。
驚いたことに、それを聞いて井戸川前町長が、「私も鼻血が出ます。今度の町長選の立候補を取りやめたのは、疲労感が耐え難いまでになったからです」と仰言るではありませんか。
さらに、「私が知るだけでも同じ症状の人が大勢いますよ。ただ、言わないだけです」と仰言る。
すると松井英介先生が、「大坂で放射能に汚染されたがれきの焼却処理が行われた際、大阪の市民団体がインターネットで体調変化を訴える声を募ったところ、声を寄せた946人中、842人が、鼻血、目、喉や皮膚など空気に触れる部分の症状を訴えている」と仰言った。
放射線だけの影響とは断定できないと松井先生は仰言ったが、それは大変なことではないでしょうか。
松井先生の説明では、「鼻の粘膜や、毛細血管細胞の70〜80パーセントは水で出来ている。水の分子H2Oは放射能で切断されて水酸基(-OH)のような、毒性の強いラジカルと呼ばれるものになる。しかも、ラジカル同士がくっつくとH2O2(過酸化水素)になる。過酸化水素はオキシフルとして消毒薬に用いられるくらい毒性が強い。放射能は直接粘膜や毛細血管の細胞・DNAを傷つけるが、同時に水の分子が切断されて細胞の中に出来るラジカルによる作用が大きい」
ということです。
福島で人びとが受けている放射能被害は、福島第一原発から放出された放射性微粒子によるものです。
放射性微粒子は呼吸によって肺から血管に入り体中に回ります。食べ物や水と一緒に取り込まれ、消化器から血管内にはいり込み、やはり体内に回ります。
そのようにして体内に入った放射性微粒子は何処かの臓器に付着すると、その臓器の付着した部分に害を与える。
微粒子一個はマイクロの単位で極めて小さいけれど、付着した臓器の微粒子の周辺の細胞は破壊される。しかも、その微粒子の数が極めて多い。結果的に臓器の被害は大きくなる。
空間線量が1ミリ・シーベルトとすると、その空間に浮遊している微粒子の数はそれこそ無数。
一呼吸だけで何千・何万の放射性微粒子が体内に入る。
一個当たりの微粒子の害は小さくても、それが、何千・何万となると鼻血を出させたり、疲労感を感じさせる原因を作るのでしょう。
(斎藤博之さんは、私達の福島取材の前に、取材に適した場所を選ぶために何度も福島に通い、結果として私達の数倍被爆したことになります。
その後、斎藤さんの体調は回復せず、歯茎からも血が出るようになり、2017年に脳梗塞で亡くなりました。死因が放射能によるものかどうかは明かではありませんが、私が「鉄の胃袋魔神」とあだ名をつけたほど、活発で食欲旺盛だった斎藤さんが、福島の取材を終えた後、鼻血、激しい疲労感、歯茎からの出血などで、衰弱したことは確かです。東北地方の民俗学的知識の豊富なことと言ったら歩く民俗学事典のような人で、おまけにマルクスの資本論は端から端まで頭の中に入っているという凄さでした。例えば、私が、マルクスが、ルイ15世の愛妾・マダム・ポンパドールの「我が亡き後に洪水は来たれ」という言葉を引用したのは何処だっけ、と尋ねたら、ちょっと待ってねと言って、3,4分後に、あれは第1部『資本の生産過程』第3篇『絶対的剰余価値の生産』第8章『労働日』に書かれているよ、と返事がありました。感性豊かで、明敏な頭脳。本当に惜しい人を亡くしました。私にとって真の友人であり、同志でした。斎藤さん本当に有り難うございました。ご冥福をお祈りします。
斎藤博之さんについてはこのブログにも書きました。
http://kariyatetsu.com/blog/1902.php
ご一読下されば幸せです。)
以上に述べたように、私が鼻血を出したことは、また私以外の多くの人間が福島第一原発の事故以後福島で鼻血を出していること、疲労感に苦しんでいることは、事実私が体験したことなのです。
風評でもデモまでもない。
私は、嘘を自分の作品に書くような破廉恥な人間ではありません。
私は自分の書くものは全て第三者にも検証可能な事実しか書きません。
自分で調査した資料は保存してあります。
であるのに、安倍晋三首相を始め、テレビ、雑誌、インターネットでは私の言うことを風評だと決めつけ、私を風評被害を福島に与えると言って非難します。
実に理不尽極まりないことで、私の心は煮えくりかえりました。
ところが、「スピリッツ」誌の編集部は私よりもっと大変な目に遭っていました。
担当の編集者から「朝から抗議の電話が鳴り止まずに、編集部全体が困っています」と聞かされたときには私は驚きました。
読者には私の連絡先が分からないから、安倍晋三首相の言葉を真に受けた人たちが、「スピリッツ」誌に文句を言うために電話をかけてくるのだろうと思いました。
そこで、私は、このブログに「私に文句のある人は、私のこのページ宛てに書いて貰いたい。編集部に電話をかけると、編集部が迷惑するから」と書きました。
それで編集部に対する電話攻撃が収まったから思ったらその逆でした。
「雁屋哲は自分のホームページにこんなことを書いているが、そんな奴の漫画を掲載している『スピリッツ』が悪い」と前より一層激しく電話がかかってくるようになったというのです。おかしなことに、私のこのページには一件も文句の書き込みはありません。
安倍晋三首相の言葉に躍らされて私を風評被害引き起こす悪者扱いするような人たちは、ただ騒ぎたいだけで私に直接文句を言ってくる根性も勇気も無い人たちなのだと私は思いました。しかし、そんな単純なことではないことが後になって分かりました。
鼻血問題が掲載されたのは福島編の第22話です。それから第24話まで2話残っていました。電話をかけ来た人たちは自分たちの抗議に「スピリッツ」誌は恐れをなして、次週から「美味しんぼ」の掲載をやめるだろうと思ったのでしょう。
しかし、第22話が掲載された段階で、花咲アキラさんは第24話まで完成させていました。
「スピリッツ」誌編集部も馬鹿げた脅迫電話に怯むような根性なしではありません。当然、第23話、第24話と最後まで掲載しました。
それで、電話をかけてきた人たちは更にいきり立ったようです。
第23話が掲載された直ぐ後、編集長が善後策を検討するためにシドニーまで来てくれました。
その時編集長から詳しく聞いた話は私の想像を絶するものでした。
編集部には電話が20回線引いてあります。
その20回線の電話に朝10時の業務開始時間から夜7時、時には10時近くまで電話が鳴り止まないというのです。
それもいきなり怒鳴る、喚く。電話を受けた編集者が返事をすると、その返事が気にいらないと喚く。返事をしないと、なぜ返事をしないと怒鳴る。それが、1時間にわたって続くのです。
編集部員は相手をそれ以上刺激しないように応対するので、神経がくたくたになってしまいます。
編集部員はその度に応対しなければならないし、電話回線は塞がれてしまい、作家との打ち合わせなども通常の時間に出来ない。
そういうことが、毎晩続く。
編集部員は疲れ切ってしまって、このままでは編集作業が出来ないから「スピリッツ」誌を休刊しなければならないかも知れないところまで、追い詰められていると言います。
これには私は驚きました。
こんなすさまじい話は聞いたことがない。
私はこの電話攻撃は大変に不自然だと思います。
私が最初に考えたような単純な問題では無い。
電話をかけてくるのは最初に私が考えたような普通の市民ではない。特殊な人たちだと私には分かりました。
普通の抗議電話とは違います。明らかに、「スピリッツ」誌の編集を妨害して、小学館を傷つけ、「鼻血問題」について謝罪させようという意図を持ったものだと思います。
私個人に対してではなく、小学館を標的にした行為です。
小学館に謝罪をさせた方が社会的に効果が大きいからです。
これは、そのような意図を持った指導者が脅迫のプロたちに命じてさせたことだと思います。
編集部員に対する脅迫の仕方が、あまりに手慣れている。普通の人間には出来ないことです。
世の中には、様々な企業に難癖をつけるのを職業にしている人間がいます。
企業を脅して、嫌がらせを続けて、企業にことを収めるために何らかの金品などを差し出させるのが目的です。
その連中は、プロのクレーマーと呼ばれています。
私は編集長に、そんなことをして来る人間はプロの集団だから相手にしなければ良いと言いましたが、編集長によれば出版社は読者と称して電話をかけてきた相手には丁寧に応対しなければならないのだそうです。
しかも、卑怯なことに私がこのブログに何か書くたびにそれについての文句の電話が殺到するというのです。
実に卑劣な連中です。
私は編集部に迷惑をかけたくないので、しばらくは自分のブログの書き込みをやめました。
小学館は私を守り、「美味しんぼ」福島編も最終回まで、きちんと掲載を続けました。
あの卑劣な集団は目的を達することが出来なかったわけです。
そして話しは2019年に飛びます。
当時の編集長からメールが来ました。
以下に、氏の承諾を得て、そのメールを書き写します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
少し愉快なことがございましたので
ご報告させていただこうとメールをさせていただきました。
昨年の12月に中国と日本の出版ビジネスを手がけている会社から
日中のデジタル・ゲーム関係のフォーラムに
出席しませんかと声をかけられました。
主催は中国の大きなエンタテインメント会社で、
今をときめく成長企業でして
そちらの社内見学もできるということなので
喜んで出席させていただきますとお返事いたしました。
ところがです。フォーラムの主催は中国の会社なのですが
日中のフォーラムということで、北京の日本大使館と
JETRO(日本貿易振興機構)が共催に入っておりまして
仲介をしてくれた会社から「大使館からNGが出ました」という
連絡がありました。
最初「?? 中国大使館からNG?」かと思ったのですが
もちろん日本側からでした。
おそらく僕の名前をネットで検索したところ、
『美味しんぼ』関係でいろいろ出てきたので
経産省か大使館の人がそんなヤツは呼ぶな、
となったのだと思います。僕も大物になったものです(笑)。
僕ではなく他に小学館の人で出席できる人はいませんか?
というので、さすがに日もないのでお断りいたしまして
「誰がいかなる理由で僕はダメと判断したのか」を教えてほしいと
お伝えしたところ、今にいたるまでなんの回答もありません。
お役所のビジネスマナーは楽でいいな~と思いました。
このような影響力のある作品に関わることができて
大変光栄だなと、この年末年始しみじみ考えておりました。
本当にありがとうございます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、この後、この話を私のブログに書いて良いだろうかと、氏に問い合わせたところ次のようなメールを頂きました。
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この国は、いったいいつから
こんなつまらないことになってしまったのだろうと
憤慨しております。「忖度」なんて、本当に卑屈な
根性が言わしめる言葉だと思います。
「小学館でほかにいい人いませんか?」というのも
失礼な話です(笑)。
あまりにマナーを欠いた話なので、「経緯を教えてほしい」と要望して
その返事を武士の情けと申しますか、少し気長に待ってあげようかと
しているところです。
いよいよ、これは本当に無視するつもりだなと思ったら、
僕も「ちょっと聞いてくださいよ~」とあたりに触れて回ろうかと
思っていますので、ぜひブログにお書きいただければと存じます。
権力のありようについて、『男組』で雁屋さんが示されていた
社会や、登場人物たちのありようを今一度、みなで振り返る必要がありますね!
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さて、この元編集長の味わったと同じようなことを私が味わいました。
それを以下に記します。
それは、今年(2019年)の3月半ば過ぎのことです。
あるテレビ局のディレクター氏からメールが入りました。
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「そのディレクターの関わっている番組である食べ物を取り扱うことになったが、その食べ物は、かつて、「美味しんぼ」で取り上げられたことがある。
そこで、番組の中で、「美味しんぼ」のその場面を取り上げたい。
それについては小学館から承諾を得た。
そこで、原作者の私にも承諾を得て、その上、その食べ物を取り上げた「美味しんぼ」のその回について、また、その食べ物について私の話を聞きたいので電話をかけたい、」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と言う内容でした。
その番組の内容からして断る理由は私には全くありません。
私は、承諾して、シドニーの自宅の電話番号も相手に知らせました。
それが週半ばのことでした。
ところが、その次の週の初めに、そのディレクター氏から、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「実はあの後、上司からの進言で方針が番組の内容がガラっと変わってしまい、『美味しんぼ』のカットを使用するという演出自体がなくなってしまいました」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一体これはどう受取れば良いのでしょう。
安倍晋三首相が私のことを「風評被害を流す人間」と非難するのがテレビで流れて以来、私はなんだかおかしな感じを懐くようになったのです。
おかしな感じというのは、テレビ、雑誌、などのジャーナリズム関係の人が、妙に私に対して白々しい態度を取ることが気になり始めたのです。
私は2015年に「美味しんぼ『鼻血問題』に答える」という本を出版しました。
これは、私の鼻血問題について「風評被害」だと非難した人びとに対する反論の本です。
その本を、今話に出ているテレビ局とは別のテレビ局が取り上げて私に話を聞きたいと言ってきました。
私は自分の本を多くの人に知ってもらう機会になるだろうと考え、番組に出演しました。
私はあるジャーナリストと対談をする形になりました。
そのジャーナリストは三十代か四十代前半という若い人で、売れっ子であるらしく、書くものを最近週刊誌のコラムで読むことがあります。
そのジャーナリストは、私との対談をするのに開口一番「僕は雁屋さんに反対です」と言いました。
私は、会うやいなやそんなことを言われて驚き、気をそがれました。
何も話をしないうちに、対話の最初にいきなり「雁屋さんには反対で」とは何のことでしょう。
私は私の何に対して反対なのですか、と聞こうと思ったのですが、そのジャーナリストは私に聞く暇を与えず、どんどん話を進めて行きます。
私の何かの意見に反対なのではなく、私という人間の存在に反対だというのでしょう。
その口調もなんだか、事件の被疑者を詰問するような調子で、私は大変に居心地の悪い思いをしました。
いきなり冒頭で、「雁屋さんに反対です」と言ってしまっては、それからのそのジャーナリストは私に反対する立場から私に何か訊くという形になるので、全体の流れは当然私の意見をきちんと伝えることからはほど遠いものになりました。
番組を見ている人たちは、私が懸命に何か弁解しているように思ったことでしょう。
それは一つの例で、その後も何度か頼まれて幾つかの集まりに出席したのですが、そこに集まった人たちの態度が何かおかしい。
私から、一歩引いて接する。よそよそしい。
以前は「美味しんぼ」の原作者と言うことで、非常に好意的に親しく私の話を聞きたいと言う態度を取る人が圧倒的に多数でした。しかし、今は、私を見る目つきが違う。関わり合いになるまいとするように、用心深く私から引く。
私の話しも、話半分程度に聞いている、という感じがするのです。
これは決して、私のひがみ根性のせいではありません。
以前と比べれば、自分がそれまでとは違った受取られ方をしていることは、どんな人間でも皮膚感覚みたいなもので感じ取ることが出来ます。
こんなことがあったので、「美味しんぼ」を番組内で使いたいとテレビ局のディレクター氏が言ってきたときに、私は「大丈夫なのかな」と思ったのです。
それが、「上司からの進言で番組の内容がガラッと変わってしまい」ということになったので、私は「スピリッツ」元編集長の受けた仕打ちや、鼻血問題以来私自身が受けている厭な感じの延長で、この件も受取りかけています。
どうして上司は番組をガラッと変えるような進言をしたのか。
私はそんなことでなければ良いがと思いますが、心の隅に、その上司は安倍晋三首相に「風評被害を流す人間」と名指しで非難された私と関わり合いになることは避けたい、と考えたのではないか、と言う思いが浮かんでくるのです。
こんなことを言うのは、私の一方的な思いこみだと、言われるかも知れません。
しかし、最近こんなことが続いているので、どうしてもそういう考えが浮かんでくるのです。
私がブログにこんな内容のことを書く、と「スピリッツ」の元編集長にメールを送ったところ、元編集長からこんな返事が来ました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そのディレクター氏が仰有っているように
「同じような演出を考えるディレクター」がいて
次の企画はちゃんと通ることを願ってやみません!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私もそう願っています。
このテレビ局の話は別にして、私の鼻血問題を通じて言えることは、この国では真実を語ってはいけないと言うことです。
反対に、安倍晋三首相とその取り巻きたちはどんな嘘を言っても誰もとがめません。
安倍晋三首相は2013年9月7日にIOC総会で、オリンピックを東京に招致するための演説を行いましたが、福島第一原発について、
「福島の放射能は、福島第原発からの放射能に汚染された水は福島第一原発の港湾から0.3キロ平方メートル以内に完全にブロックした」
「福島の現状は完全にコントロールされている」
「福島第一原発はこれまでに東京にダメージを与えていないし、これからも与えない」
と言いました。
私は、2013年10月3日付けのこのブログに、「Open letter to the IOC」と言う記事を書き、それが、全部嘘であることを指摘しました。
http://kariyatetsu.com/blog/1611.php
外国人にも読んでもらえるように英文で書いてあります。
私の書く英文だから、極めて平易です。ご一読下さい。
そんな嘘を言った人間が、私が実際に体験した鼻血を風評だというのですから呆れるばかりです。
また、その嘘を見逃すこの日本の社会にも呆れるばかりです。
一つの国が滅びるときには必ずおなじことが起こります。
支配階級の腐敗と傲慢。
政治道徳の退廃。
社会全体の無気力。
社会全体の支配階級の不正をただす勇気の喪失。
同時に、不正と知りながら支配階級に対する社会全体の隷従、媚び、へつらい。
経済の破綻による社会全体の自信喪失。
これは、今の日本にぴったりと当てはまります。
私は社会は良い方向に進んでいくものだと思っていました。
まさか、日本と言う国が駄目になっていくのを自分の目で見ることになるとは思いませんでした。
一番悲しいのは、腐敗した支配者を糾弾することはせず、逆に支配者にとっては不都合な真実を語る人間を、つまはじきする日本の社会の姿です。
2019/01/15 - 谷口ジロー氏と、三館王のこと 谷口ジロー氏が亡くなって、もうじき2年が経つ。
氏が亡くなって以来各出版社が氏のこれまでの著作を次々に出版した。
私は氏の作品を大変に愛しているのだが、年の半分以上をシドニーも含めて海外で暮らしていると、氏の作品が出版されたことを見逃すことが多かった。
この際に、できるだけ多く氏の著作を購入した。
驚いたことに、私は氏を私の遙かに先輩だと思っていたのだが、実は漫画の世界に出たのは私とほぼ同じ時期だと言うことが分かった。
あまりに完成度が高く、気品があるので私は氏を私の遙かな高みにある先輩のように思っていたのだ。
新人の時からあんなに精緻で凄い画を描いていたのだからただ者ではなかった
氏の画力は恐ろしいくらいで、極めて精密緻密である。
まあよくここまでと思うほど、細かく書き込む。
久住雅之、川上弘美、両氏との鼎談の中で、1コマに1日かけると言っているのを読んで驚いた。
ただ、氏の描写を見ると、日本の市街地が妙に綺麗に見える。
私は日本の町並みほど醜い物はないと甚だしく嫌悪しているのだが、私の良く知っている醜い町の風景も氏の手にかかると、実際よりはるか綺麗に見えてしまう。
人物画について言うと、人物の主要部品、目、鼻、口が顔の真ん中に集中して、顎、頬の面積がそれに比べて広いように思える。
もっとも、頬や顎がたっぷりあるので「孤独のグルメ」で主人公の井の頭五郎がものを食べるときに、むさぼり食うという感じが上手い具合に描かれたのではないだろうか。
氏の書く人物には味がある。人格というものを感じさせるのだ。
作品全体が豊かな感じに包まれているのも登場人物に味わいがあるからだろう。
私は以前にも書いたことだが、谷口ジロー氏と組めるかも知れないという希望を抱かされたことがあった。
ある編集者が谷口ジロー氏とどうか、と言ってきたのだ。
私は飛び上がるほど嬉しかった。
「美味しんぼ」を書く以前の私は「バイオレンスの雁屋哲」と言われるほど、暴力活劇ものを沢山書いてきた。
私は谷口ジロー氏が、関川夏央氏と組んで書いたアクションものをいくつか読んでいて、私も是非谷口ジロー氏と組んで書いてみたいと思ったのだ。
それまでの暴力路線とは違った味のものを書く自信があった。
しかし、その話しはいつの間にか立ち消えになってしまった。ひがんだ言い方をすれば、谷口ジロー氏は私の作品を見て、「こんな乱暴な原作を書く人間とは組めない」と拒否したのではないだろうか。
確かになあ。谷口ジロー氏が本領を発揮し始めたのは、アクションだけでなく、しっとりとした人情を描くようになってからだ。
谷口ジロー氏は内海隆一郎氏の作品をいくつか漫画化している。
内海隆一郎氏は芥川賞候補になった「蟹の町」の後しばらく作家活動を休止していた。
15年経って執筆を再開すると、その内容は「蟹の町」のような暗い、如何にも純文学といったものから、市井の人々の心のひだを描く人情ものに変わっていた。
内海隆一郎氏は「人びとの季節」「人びとの旅路」「欅通りの人びと」など、「人びと」がつく題名の本を何冊も出版している。
その中から、谷口ジロー氏はいくつか選んで漫画化しているのだが、こう言うことを言っては内海隆一郎氏に失礼だとは思うが、内海隆一郎氏の小説よりも、谷口ジロー氏が漫画化した物の方が味わい深いものになっているように私には思われる。
例えば「再開」という内海隆一郎氏の作品がある。
それは、こんな話しである。
50歳になる主人公の岩崎さんという男性は成功したグラフィックデザイナーである。(内海隆一郎氏は、登場人物にすべて「さん」をつける。これが仲々良い効果を生み出している。いつか真似してやろうかな)
ある地方都市にデパートの仕事で行くが、そのホテルで読んだ新聞に23年前に離婚した相手の写真を見つける。
元妻はその地方の大病院の院長と結婚して幸せに過ごしている。
新聞には元妻と、その夫と、もう一人娘が写っている。
その娘は、岩崎さんと元妻との間の娘である。
新聞の記事は、その娘が絵の個展を開くことを記している。
岩崎さんは個展会場に行く。
30点ほど展示してある油絵は緑と黄を基調にした淡く温かい色彩で心に和む懐かしい絵だった。今はグラフィックデザイナーをしているが、かつては絵描きを志した岩崎さんは、その娘の絵を見て、「この子は若い頃の私と同じ世界を追い求めているようだーーーやはり親子だ」と思う。
その背後を元妻が通り過ぎる。香水の匂いでそれと分かる。
しかし、岩崎さんは名乗らない。
岩崎さんは一枚の絵の前に立つ。
その絵は、それまでの絵と雰囲気が違う。
人形を抱いた少女の絵だが、「絵の中の少女には他の絵の少女のような優しさは微塵もなかった。胸に抱いたピエロの人形に見覚えがあった。いびつな人形は『娘』の初めての誕生日に『妻』が作ったものだ。とすると、この少女は娘自身なのだろうか。」
その絵の少女は、「貴方は本当に父親のつもりなの」と岩崎さんの心の底を見透かしている思いがして、ため息をついた。
岩崎さんはその絵を買うことにしてから、もう一度絵の前に戻る。手に入れた絵をもう一度検分するふりをして「娘」を見ておきたかったからだ。
そこに娘が現れて、絵を買ってくれたことに対する礼を言う。
「買って貰った画は自分でも気にいっている。少し怖い顔だが。
これを、父や母に頼まれた方に選んで貰ったことが嬉しい。売約済みになっている絵は皆父や母のお付き合いで買ったくれた方ばかりだから」という。
岩崎さんは、「あなたの絵は本当に魅力があります。みなさんも私と同じように喜んでお求めになったんだと思いますよ」という。
娘は親しみのこもった眼差しを残して立ち去る。
岩崎さんが会場を出ようとすると、背後に元妻と娘が立っていて「有難うございました」と礼を言う。元妻は娘の横で微笑みながら岩崎さんを見つめている。
会場の出口の階段を下りながら、岩崎さんの頬を不覚にも涙がつたう。
会場の外に出て歩き出して、ふと振り返ると、会場入り口に元妻が立っていて、振り向いた岩崎さんに丁寧にお辞儀をして寄こした。
岩崎さんは「いい娘に育ててくれたね」と言いたかったのだが、そのまましばらく立っていて「元妻」見つめていた。
やがて言葉の代わりに深々と頭を下げた。
と言う話なのだが、内海隆一郎氏の作品もいいが、谷口ジロー氏が漫画化したものの方がもっと深く私には感じられた。
内海隆一郎氏の作品ではそう言う事はなかったが、谷口ジロー氏の漫画化したものを読んで私は鼻の奥がジンとなった。
谷口ジロー氏の表現力の凄さと言うものだろう。
小学館刊の「欅の木」は内海隆一郎氏の作品を谷口ジロー氏が漫画化したものを集めたものだが、全編素晴らしい。
内海隆一郎氏の作品は谷口ジロー氏によって、深く広く人々間に残っていくものになったと私は思う。
とここまで、谷口ジロー氏のことを書いて来たが、その意は実は次の事を書きたかったからなのだ。
谷口ジロー氏の作品「父の暦」が小学館から刊行されている。
大変に良い作品だ。
私は読んで大いに感動した。
しかし、谷口ジロー氏が書いた後書きを読んで、文字通り椅子の上で飛び上がった。
そこにはこう書いてあった、
「こうして、『父の暦』が完結し単行本化され、ひとつの形となったのも友人や知人の助言や指導に支えられての事だ。ビッグコミックの旧知の担当者、佐藤敏章氏の、
『今度の作品はコミックイコール娯楽というワクから少しはみ出さなければ語れないテーマだと思う。人気の事は余り考えなくていいから、自分の書きたい事を読者にどれだけ伝えられるか、それだけ考えてやってみてくだい』
と言う心強い言葉が連載を続ける原動力となった。」
これを読んでなぜ私は椅子の上で飛び上がったか。
それは、この佐藤敏章氏と言う編集者は、私が「男組」という漫画を「少年サンデ−」に書き始めたときに、私を担当してくれた編集者だからだ。
私は佐藤敏章氏を「佐藤さん」と呼んだ事はない。「サトちゃん」「びんしょう」「三館王」と呼んでいた。(「三館王」というのは、高校が修猷館、大学が立命館、務めた会社が小学館、だからだ。)
私は佐藤敏章氏から「人気の事は考えなくていい」などと言われた事がない。
いつも、読者の人気投票の結果がどうのとか、人気が落ちると困るとか、人気が落ちないように手を打てとか、人気の事ばかり言われ続けて来た。
その同じ人間の口から、谷口ジロー氏には「人気の事は気にするな」という言葉が出て来るのか。
私が「男組」で佐藤敏章氏に担当をして貰ったのは1974年の事。
私が、「父の暦」のあとがきを読んだのは2018年のこと。
ああ、44年後に明らかになった真実。
私は人気を稼がなければいけない「娯楽作家」
谷口ジロー氏は人気など気にせずに書きたいように書く事が許される「芸術家」
私は「娯楽作家」である事を少しも恥じないし、多くの人々に娯楽を与える事の出来る自分の仕事を誇りに思っている。
しかし、同じ1人の編集者が私と谷口ジロー氏を別種の作家と見なしていたという事は、やはり衝撃だった。
と言ったって、サトちゃんよ、私は君の事を怒ったり恨んだりしていないよ。
それどころか、君の言うとおりに生きてきて良かったと思う。
「美味しんぼ」で多くの人が楽しんでくれた。
それも、サトちゃんのお導きですよ。
「美味しんぼ」を再開したら、また、人気トップの漫画にしますよ。
だって、サトちゃんに仕込まれたせいか、その人気トップというのがとても気持ちがいいんだもん。
谷口ジロー氏と同列に並ぼうなんて夢思わない。
大体、絵が自分で描けない漫画原作者が画家と張り合えるはずがないじゃない。
私は自分の分を心得ております。
これからも何かヒット作を書こうと、企んでおります。
また、助けてね。
「
2018/09/09 - みんなのデータサイト
2011年3月11日から、7年半が経とうとしています。
最近、「もう、あれから7年経つんだから」という言葉を聞きました。
その「もう」はどう繋がるのか。
なんと、「そろそろ、いいでしょう」に繋がりました。
福島の振興のために、福島の農産物、 福島の海産物、福島産の食品、の販売を促進しようと言うのです。
福島第一原発事故以来日本の環境は大きく変わりました。
本当に、「もう、あれから7年たつんだから」「そろそう、いいでしょう」なのでしょうか。
私は「美味しんぼ」第110巻、第111巻の「福島の真実」を書くために、2011年から2013年ま10月まで福島の取材を重ねて来ました。
2015年の12月はすでに「美味しんぼ」の「福島の真実」篇のスピリッツ誌掲載は終わっていましたが、その後の福島の様子を見るために福島をあちこち見て回りました。
私が最後に福島を見たのは、この2015年12月15日、16日です。
最後に見てから、2年7カ月しか経っていません。
最後に見た福島の姿と、この2年7ヶ月という時間の経過を考えると、私は「もう」とか「そろそろ」とか言う気持になれません。
「もう」か「そろそろか」それをハッキリさせるためには、福島県、それ以外の地域の放射線量を、知る必要があります。
最近は、福島安心論の声が高く、なかなか放射線量についてのニュースはあまり読んだり見たりすることが少なくなりました。
何もかも、なかったことにしようと言う勢力が大きな力を振るって、人々の口を開かせないようにしていることを感じます。
こういう中で、福島第一原発事故によって、私達が受け続けている放射能汚染を追求している「みんなのデータサイト」という市民団体があります。
今回は、この「みんなのデータサイト」を紹介し、このサイトが取り組んでいるクラウドファンディングに対する協力をお願いしたいのです。
「みんなのデータサイト」について、その一員である平井有太さんが書かれた紹介文を、以下に要約します。
「『みんなのデータサイト』は全国の土壌、食品の放射線量を市民で測り続け、蓄積したデータをネット上で公開します。
データの公開は、市民の暮らしに役立つことが願いです。
オリンピックに向け、すべてがなかったかのごとく扱われる中、
実際そこかしこにある放射性物質の存在を可視化することから、
あらゆる道が拓けていくだろうと信じています。
現在、このみんなのデータサイトが、のべ4000人のボランティアと共に17都県、3400ヶ所以上の土壌を採取し、国や行政が公表しない本当の放射能汚染の実態『「図説」17都県放射能測定マップ集』を刊行するため、クラウドファンディングに挑戦しています。
期間は8/3~9/28、金額は250万円です。
これは、ここまですべてを手弁当で実施してきたみんなのデータサイトにとって、簡単な金額ではありません。
皆さんのご協力をお願いしたいのです」
平井有太さんは私が「美味しんぼ」の「福島の真実」を書く際にご協力頂いたライター・ジャーナリストで、原発問題だけでなく社会の様々な問題に取り組んでいます。
この「みんなのデータサイト」の「『図説』17都県放射能測定マップ集」は私が最初に述べた、「もう、あれから7年たつんだから」「そろそう、いいでしょう」なのかどうか、を考えるのに役に立つと思います。
私達の生活の安全性を確かめるのに大いに力になると私は信じています。
ぜひ、クラウドファンディングにご協力下さるようお願いします。
クラウドファンディングのサイトを以下に示します。
https://motion-gallery.net/projects/minnanods
平井さんの言葉を最後にご紹介します。
「日本での日々は無力感に苛まれる日々です。
その中で、私たちは、せめて真実をかたちに残そうと、淡々と作業を続けています。」
皆さんの支援とご協力をお願いします。
2018/08/06 - 本田がオーストラリアに来る 5月29日に膝の手術を受けて以来、その手術跡の痛みが治まらず、手術失敗だとうちひしがれてしまい、このページに何か書く意欲も湧かなかったのですが、今朝はドカーンと興奮大爆発。
数週間前に、ちらと噂が流れていて、何だか立ち消えになってしまったようでガッカリしていたら、おお、なんと、本田圭佑がオーストラリアに来ることが正式に決まりました。
残念ながら、私のいるシドニーではなく、メルボルンなのが残念。とは言え、これでメルボルンまで行く気持になります。
それにどうせ、シドニーFCとも戦うためにシドニーまで来るだろうし、わお、これで今年のAustralia Leagueは最高だぜ!
2014年、ワールドカップ ブラジル大会、レシフェでのコートジボワール戦の前半、私の目の前で本田がシュートを蹴り込んだ。
あんなにいい気持ちになった事は無い。(結局、ドログバが出て来て日本は逆転負けしけれど)
あの気持ちの良い場面を、オーストラリアで見せてくれると思うと胸弾む。
小野伸二選手がシドニーのWestern Sydney Wanderers にいたときには、私の家から1時間かかるParamatta の試合場まで家族でよく行ったもんです。会場で妻のチキンカツサンドイッチを家族でむしゃむしゃ、水筒にはウィスキーの水割りをつめていって、それをぐびぐび、楽しかったねえ。
最高でしたね。
小野選手は凄い人気で、試合後、選手が観客席の前を回って挨拶をするのだが、観客が小野選手を放そうとせず、写真を撮ったり、サインを貰ったりして、他の選手が控え室に引っ込んでしまった後も、小野選手はファンに親切に応対していた。
今度も本田選手はえらい人気になるだろう。
本田選手は移籍先をオーストラリアに決めて良かった。本当ならシドニーにして欲しかったんだけれどね。
いやあ、これで、あと2〜3年生き延びる勇気が湧いてきました。
2018/07/11 - この国民と、この自民党 一体これはどう言うことなんだ。
7月11日現在、安倍晋三氏はいまだに首相の座に居座っています。
森友学園、加計学園の問題では安倍晋三首相の責任が明らかになっているのに、安倍晋三首相は知らん顔です。蛙の面になんとやらといいますが、まさにそのままです。
冬季オリンピックに姿を現したり、トランプアメリカ大統領のご機嫌伺いに行ったり、G7の会議に出たり、羽生選手に国民栄誉賞を贈ったり、水害地を回って天皇をまねして被害者の前に膝をついて座って見せたり、恥知らずにもどんどん表に出て来る。
北朝鮮によるミサイル危機、今回の未曾有の大雨被害などがあると国民守るような発言をします。
汚職まみれで、公文書改竄などという民主主義の根幹を揺るがすことを官僚にさせてきた人間が、どうして恥ずかしげもなく偉そうに振る舞うのでしょう。
それに対して、大多数の国民は声を挙げません。
それどころか、毎日新聞の最近の調査によると安倍晋三内閣の支持率が44.9パーセントをこえ、不支持率の43.2パーセントを超えました。
安倍晋三首相を支持する人間が全体の半数近いとは・・・・・。
また、自民党の議員たちは安倍晋三首相を辞職させるように動くことをしません。
自民党の議員たちに対しては、陳舜臣の「続・中国任侠伝」が書いている中国の隋の煬帝(ようだい)の時の話が参考になります。
隋は、後漢が220年に滅びたあと、分裂状態だった中国を581年に一つにまとめた王朝で、楊堅(文帝)が開き、その息子が文帝を殺して帝位に就きました。
その二代目皇帝が煬帝です。
煬帝は洛陽に都を建設し、中国の南北を結ぶ運河を作りました。万里の長城と並ぶ大工事で、この工事のために数百万の人民が駆出されました。
父の文帝が倹約家だったのに比べて、煬帝は大変な浪費家で、運河の建設だけでなく、外征も頻繁に行い、皇帝の独裁を強めて、仏教の僧侶にも皇帝を礼拝させました。
また、長安、洛陽、揚州、と各地を回りましたが、それぞれの地方に離宮を作り、そこに多数の美女を集めました。
この煬帝の権力に恐れをなし、誰も反抗しようとしませんでした。
陳舜臣は煬帝について登場人物に語らせています。
陸統という人間が 李修と言う人間に言います。
「天子(皇帝)は確かに強い。だが、じっさい以上に強くしているのだ。分かるか?人間の心の中にある、あの恐怖心だよ。虎は強い。だが、人間が虎をむやみにこわがるので、虎はそれだけ強くなるわけだな」
「こちらが、天子をおそれるので、天子はよけい強くなるのだな?」
「そうだ。・・・・・天子を弱くするには、たった一つの方法しかない」
「それは?」
「天子がおそろしくないということを、みんなにしらせることだ。・・・・」
「そのためには?」
「そのためには、天子をおそれぬ人間もいることを、世の中の人たちにしらせなければならない」
「そうすれば、どうなるのか?」
「天子をおそれぬ気持は、病気のように、つぎつぎと伝染する。そんな連中が、あちこちで謀反を起こすようになるだろう。西に撃ち、東に撃ち、さすがの天子も弱くなる。かんじんなのは、だれが最初の人間になるかということだ。
病気でも、誰かが罹らなければひろがらない。天子をおそれぬことを示す人間が出ないかぎり、天子は安泰なのじゃ」
陸統は僧侶、李修は妹を殺されたと煬帝を恨んでいる人間です。
二人は、仲間たちと洛陽の宮殿に押し入り、宮殿の欄干の上から、
「楊広(煬帝の名前)の大馬鹿野郎の大罰当たり」と声をそろえて喉も裂けよとばかり叫びます。
結局二人は宮殿護衛の兵士たちに殺されてしまいますが、
「天子の威光をおそれず罵った人間がいる」
と言うことが世間に広まり、各地で造反、人民の抵抗が相次ぎ、それは野を焼く火のように広がりました。
やがて、上層部のなかから、隋王朝を見かぎって造反に転向する者が続出するようになり、ついに煬帝は部下に殺され、隋王朝は滅びます。
この煬帝ほどではないにしても、日本という一国を私していることでは、安倍晋三首相も日本の規模から言えば最大の権力者・皇帝でしょう。
しかし、その実際の姿はどうでしょう。
岸信介の孫、佐藤栄作の甥ということで、みんなに担がれているうちに権力者の地位に就いてしまいましたが、森友学園、加計学園の問題を見ても、恥ずかしいほど情けない卑小な人間ではありませんか。
このような人間をどうして怖がるのか。
上に挙げた、陸統と李修を見習えば良いのです。
肝心なのは、「だれが最初の人間になるか」ということです。
今の自民党の議員は、安倍晋三首相の虚像に怯えて、縮み上がっているとしか思えません。
自民党の議員諸氏におたずねしたい。あなた達には志というものがないのか。時の権力者に怯えてしっぽを振り、ひっくり返って腹を見せてへこへこ言うようなことをしている自分が情けなくならないのか。
どうか、陸統、李修を見習って頂きたい。
日本国民の今の姿については、坂口安吾が書いた「安吾新日本地理」の「飛鳥の幻」の一節を引用します。
坂口安吾は、「王様に対する民衆の自然の感情」について書いている中で次のようにいっています。敗戦後6年目、1951年に発表されたものです。
「かりに革命が起こり、別の王様が国をとる。その初代目は民衆の多くに愛されないかも知れないが、二代目はもう民衆の自然の感情の中でも王様さ。否、うまくやれば国を盗んだ一代目ですら民衆の憎悪を敬愛にかえることができるかも知れん。民衆の自然の感情はたよりないほど、『今的』なものだ。時代に即しているものだ。戦争中東条が民衆の自然な感情の中に生きていた人気と、同じ民衆の今の感情とを考え合わせれば、民衆の今的なたよりなさはハッキリしすぎるほどでしょう。たった六年前と今のこの甚だしい差。別に理論や強制、関係なく現れてきた事実だ。単に時代と共に生きつつある民衆というものの自然の感情は、永遠にかくの如きものさ。」
坂口安吾は「破滅型」とされた作家で、言いたいことを歯に衣着せず言います。
上に挙げた文章は、さすがにどうも乱暴で、民衆蔑視の気味がありますが、あえて取り上げたのは、民衆、日本国民に対して、ある程度的を得た内容だと思うからです。
戦争中は東条元首相にひれ伏していた日本人が、戦後東条元首相がアメリカによって戦犯とされると、手のひらを返したように非難する。
その変わり身を目の前に見た坂口安吾はこうも言いたくなるのでしょう。
目の前の権力者のしていることが良いことか悪いことか自分で判断せずに隷従する。
その権力者がその地位から落ちるとこんどはそのかつて自分がひれ伏していた人間を悪し様にいう。
過去から未来にかけて見通そうとせずに、「今」だけに生きる。
実に、己という物がない。
これが、現在の日本人、日本の民衆の姿ではないでしょうか。
現在の世の中を表現して、誰だか忘れましたが「金だけ、今だけ、自分だけ」と評した人がいます。
たしかに、安倍晋三首相率いる自民党はそのままでいて貰った方が当面、今の所は、具合が良いという人が多いのでしょう。
安倍晋三首相に対する支持率は今のままの方が具合が良いという人たちでしょう。
しかし、こんな「今」で、これからさきどうすればよいのでしょうか。
「今」を良くせずに私達に良き未来があるはずはありません。
2018/05/24 - 我々の自己責任 森本学園問題、加計学園問題、自衛隊イラク日報問題、などで安倍晋三内閣は大きく揺らいでいますが、2018年5月24日現在持ちこたえており、このまま内閣を維持し続けることが出来るようです。
本当にこのまま安倍晋三内閣は政権を維持するのでしょうか。
21日の読売新聞電子版によると、内閣支持率は3ポイント上がって42%になったそうです。
この支持率であれば、安倍晋三内閣は政権を維持できます。
自衛隊イラク日報問題は小泉純一郎内閣時代の問題ですが、ここまで秘匿し続けたことには安倍晋三首相にも責任があります。
森本学園問題、加計学園問題は、安倍晋三首相とその夫人の意向が強く働いていることが明らかになっています。
両方共に、安倍晋三首相とその夫人が、首相の地位を利用して自分たちの支持者、或いは友人に便宜を図ったもので、共に巨額の税金が動いていることが指摘されています。
森本学園は土地の購入代を8億円値引きした問題ですが、加計学園問題はその税金の額が更に巨大です。
今治市が獣医学部建設用地(16.8ヘクタール)を加計学園に無償譲渡し、校舎建設費192億円の半額である96億円の債務負担行為をすることになっています。
そもそも、この50年間日本では獣医学部が新設されていません。その大きな理由は日本ではこれ以上の数の獣医師が必要とされることがないからです。
畜産物の輸入が自由化されて以来日本の畜産業が衰退して行っており、牛、豚、鶏などの産業動物を対象に診療行為などを行う獣医の数も減少するでしょう。ペットについても、犬数は減少傾向、猫の数は横ばいだと言うことです。この状況では新たに獣医学部を新設する必要はないのです。今の獣医学部の数で、日本で必要とされる獣医師の数は充分に満たされるでしょう。
この状況で獣医学部を新設する理由はありません。
理由があるとすれば、ただ一つ、加計学園の理事長加計孝太郎氏が、安倍晋三首相と深い親交があるということだけです。
5月23日にまた、佐川元国税庁長官の「(交渉記録は)廃棄した」との国会答弁に合わせるため」に学校法人「森友学園」(大阪市)への国有地売却を巡る学園側との交渉記録を廃棄していたことが明らかになりました。
森友学園、加計学園の問題は新聞やテレビ、インターネットなどで詳しく報道されているのでここで改めて述べることはないでしょう。
はっきりしているのは、森友学園問題も加計学園問題も、安倍晋三首相が関わった明白な汚職であることです。
今までに多くの自民党の政治家が汚職に関わってきた歴史があります。
しかし、その政治家はここまで汚職が明らかになる前に進んで職を辞してきました。
今回の件で、省庁の中の省庁と言われる財務省も安倍晋三首相を守るために公文書偽造、公文書廃棄、虚偽答弁を繰り返し、財務省自体が取り返しのつかない破壊的・破滅的な打撃を受けました。
安倍晋三首相は自分の身を守るために、重要な省庁である財務省を破壊してしまったのです。
汚職を重ね、財務省という省庁を破壊し、それでも、安倍晋三首相は蛙の面になんとやらで、首相の座にしがみついています。
大した根性だと思いますが、読売新聞の支持率が42%にまで上昇したことで、安倍晋三首相は「よし、大丈夫だ、」と蛙の面の皮を一層厚くしたことでしょう。
このまま、安倍晋三首相を今の地位に止めておけば、必ず憲法改正にこの国を導いていくでしょう。
今、改憲反対の人達は、9条にばかり目を向けているように私には思われます。
しかし、安倍晋三首相の主導する改憲案の中で一番恐ろしいのは、天皇を象徴ではなく「元首」にすることだと私は思います。
2012年4月に自民党は新たな憲法改正草案を決定しましたが、その中で、私が一番重要で深刻な問題大だと思うのは、天皇を「日本国の元首」と位置づけ、日の丸や君が代の尊重を義務づけたことです。
「象徴天皇」とは、大変に分かりづらい曖昧な存在でした。
しかし、「元首」となると、「象徴」のような曖昧さはなくなり、明治憲法下の「天皇」と同じ機能を持ちます。
日本は天皇を「元首」とする」「君主制国家」となってしまうのです。
安倍晋三首相の主導する改憲派は、単に「元首」とするだけではなく、「元首の尊厳を守るため」の何か法整備を企むでしょう。
「元首」の尊厳を冒してはならない、とされてしまうと、明治憲法下の「不敬罪」の復活です。
「元首」の尊厳を冒すようなこと、とは何か、それは時の権力者がいいように決めるでしょう。
「元首」に危害を加えることは、最大の犯罪とされるでしょう。
「元首」を設定し、その「元首」の尊厳を守ることを国民に受け入れさせると、政治権力者はどんなことでも出来ることになります。
2017年6月に安倍晋三内閣は「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ改正組織的犯罪処罰法を成立させ7月11日に施行されました。
これは、「『テロリズム集団その他の組織的犯罪集団』のメンバーが、物品の手配や下見などの『準備行為』をすることを要件に、計画した段階から罪に問うもの」です。
安倍晋三内閣は「テロ等準備罪」の名称を使い「一般の人は対象外」と説明しています。
全てが曖昧で、法律を運用する人間次第でいかようにも使えます。
荒唐無稽な話ですが、ある人間が今流行のドローンを買って遊びながら、これを使えば誰かを攻撃出来るな、と言ったとします。その人間が、反戦、非戦、辺野古米軍基地建設反対、などと反政府的な意見の持ち主である場合、他への見せしめの意味もあってその人間にこの「テロ等準備罪」を適用しようと思えば、「ドローンを使った要人暗殺計画をたてた」として逮捕出来るのです。ついでに、この人間の周囲の人達も、「その計画を聞いた」とか「ドローンの操縦を教えた」とか「皆で一緒にドローンの訓練をした」などと言いがかりをつけて逮捕出来ます。
今、荒唐無稽と言いましたが、1911年に明治天皇暗殺を企てたとして、わずか3週間ほどの審理で24人に死刑宣告をし、判決から一週間後に12人は天皇の「恩命」で無期懲役に減刑されましたが、幸徳秋水を含む12人は絞首刑に処されるという「大逆事件」がありました。
「大逆」とは天皇に危害を加えることですが、死刑宣告された24人は実際に天皇殺害を計画した訳ではなく、敗戦後自由な研究が出来るようになって分かったことですが、全ては政府のでっち上げでした。死刑にされた人間のうち宮下太吉は確かに爆弾を製造し実験もし天皇に危害を加えたいという意志は持っていたようですが実際に天皇殺害計画を立てことはありません。
他の人間は、そう言う話を聞いた、とか単に警察が怪しいと決めつけた、などという理不尽な理由で逮捕され死刑に処されたのです。
この「大逆事件」の黒幕は明治維新の元勲とされた山県有朋です。山県は社会主義者を恐れ嫌っていました。この「大逆事件」は天皇の権威を絶対的に高め、天皇に逆らったらこうなる、社会主義者であるとこうなる、と国民に対する見せしめとしてでっち上げられたものでした。(「大逆事件」田中伸尚、岩波現代文庫、参照)
共謀罪もこの「大逆事件」のような使い方は可能です。政府にとってその存在が疎ましい人間を、前に述べた「ドローン要人暗殺事件」などをでっちあげてはめることも出来ます。
検察や警察が如何に恣意的に反政府的な人間を取り扱うか、沖縄米軍普天間基地の辺野古への移設に抗議する活動を続けていた山城博治氏が、2016年1月に辺野古米軍キャンプ・シュワブのゲート前でコンクリートブロックを積み上げて、工事車両の資機材搬入の妨害を図った容疑で、その後威力業務妨害容疑で逮捕され、2016年10月17日から、2017年3月18日まで、5カ月以上も長期拘留された事件をみれば明かです。
これまでに既に、権力の要請に従って恣意的な拘留を繰返している検察・警察は「共謀罪」という強い武器を手に入れたことになります。
山城博治氏の件も、「共謀罪」を当て嵌めれば、氏の友人・お仲間たちも逮捕拘留されることもあり得ます。
安倍晋三首相の企む改憲は九条問題に留まる物ではありません。
一番恐ろしいのは、今まで権力者にとって余り利用価値がない存在だった天皇を「象徴」から「元首」に変えることです。
こうすることで、権力側は明治憲法下のような圧倒的な支配力を手に入れます。
政府は「元首」となった天皇の権威を利用して、国民を支配することが出来るのです。
「元首」が権力者の最大の武器になったことは、戦前の歴史を読めばよく分かります。
日本の社会は戦前の、大日本帝国に日本は戻ってしまいます。
そのような、危険な人物安倍晋三首相をこのまま、首相の座に留めておくと、私が以上に述べたような破滅を招きます。
安倍晋三首相を首相の座から引き落とすのは国民の責任です。
このまま安倍晋三首相を首相の座に留めて将来の危険を招くとしたら、それは、現在の我々日本人の自己責任です。
私は、皆さんに、この危機を充分に認識して自己責任を十分に果たすよう訴えかけたいのです。
安倍晋三首相をやめさせるために、声を挙げて下さい。
2018/04/19 - 漫画村問題 「漫画村」という海賊版サイトが問題となっています。
4月18日に放映されたNHKの「クロ現」によると、掲載されている漫画は5万点以上、1ヶ月のアクセス数は1億7千万ということです。
漫画を読む人が本を買って読んで下されば、その代金が出版社に入り、一部が印税として漫画家の収入になります。
出版社は本の売り上げで会社としての活動を続けることが出来、漫画家は売り上げの一部の印税で生活を支えています。
しかし、本を買って下さる人がいなくなると、出版社の経営も不可能になり、漫画家も生活していけません。
私は1974年から漫画の世界で生きています。
この海賊版漫画サイトが盛んになったのはスマートフォンが2007年に出来てからだと思います。
それまでは、このような海賊版サイトの問題はこれほど大規模なものになることはなく、漫画の読者は漫画の本を買って読んで下さっていました。
一時問題になったのは、ブックオフが中古本を売り始めたときで、その際も出版社は危機感を表明しましたが、今の海賊版サイト問題はブックオフとは比較にならない実害を漫画関係者に与えています。
ブックオフは中古本を売ると言っても、その中古本自体は一度は買われたものです。
しかし、現在の海賊版サイトの読者は中古本すら買わずに、一切お金を払わずに読んでいるのです。
このような海賊版サイトは私たち漫画関係者だけでなく、他の出版物にも手ひどい痛手を与えます。
小学館は、日本で最大の国語辞典、「小学館国語大辞典」(第二版で全13巻、別冊1巻、50万項目、100万用例)を発行しています。このような大辞典を編纂するのには巨額の費用がかかります。
発行した所で、利益は薄いと思われます。
しかし、そのような国民的財産とも言うべき「国語大辞典」の編纂、出版を可能にしたのは、漫画の売り上げがあったからだと言われています。私は、その通りだろうと思います。
小学館、講談社は優れた本を数多く出版しています。中には、大変に優れた出版物ではあるが大衆性はないので、利益は余り望めない物も少なくありません。
売上利益は余り望めないが、優れた本を出版することが出来るのも、両社は漫画で大きな利益を上げているからです。
もし、海賊版サイトがこのままの勢いで増えていけば、出版社の売り上げは減り、漫画だけでなく、それ以外の優れた出版物も出せなくなります。
私が漫画の世界に入ったときは、このような問題に遭遇することはなく、良い作品を書けば読者が本を買って読んで下さって、それによって印税収入を得られるということを当てに出来ました。
しかし、NHKの番組の中で若い漫画家が言っていましたが、連載中に海賊版サイトにアップロードされてしまっては、たまった物ではありません。
通常の漫画は月刊誌なり週刊誌なりに連載をして、その10話分ほどをまとめて1冊の単行本にします。
それを、単行本にする前に無料でいつでも読める状態にされてしまえば、その単行本の売り上げに悪影響が出るのは当然です。
通常、雑誌連載で読んで面白かったから単行本にまとめられたら買う、というのがこれまでの読者と漫画の関係でした。
その関係を海賊本サイトは壊してしまいます。
いつでも、どこでも、何度でも、無料で読めるとなれば、単行本を買う必要がないと考える人間がいても不思議ではありません。
漫画家の生活は楽な物ではありません。
雑誌の連載となると漫画家一人ではできません。数人のアシスタントの助力が必要です。アシスタントを雇う費用は出版社からは出ません。漫画家が支払います。
毎回、原稿料は出版社から支払われますが、原稿料だけでは、アシスタントや仕事場の家賃などの費用を支払うとかつかつか、赤字になります。
ですから、単行本の売り上げからの印税は漫画家にとって命の綱なのです。
その単行本が売れなくなることは、漫画家は生活が出来なくなることを意味します。
この状況が続けば、更に悪化すれば、漫画家は生活できないので漫画をやめて他に生活の手段を見つけなければならなくなります。
このままでは、漫画家の数は減っていくでしょう。
と言うことは、漫画作品の数も減ることです。
漫画作品が減ってしまえば、海賊版サイトで無料で漫画を読もうと思っても、読むことの出来る漫画作品自体がないという事態になります。
更に状況が悪化すれば、日本の漫画そのものが消えてしまうことになります。
大げさに言っているように思われるかも知れませんが、このインターネットが社会に与える影響は加速度的に大きくなっています。
今言ったような最悪の状況も、あり得る、と思わなければならないでしょう。
しかし、しかしです。
今回の政府が緊急対策として発表した、ブロッキングでサイトに対するアクセスを防ぐと言う手法には強く反対します。
それに対する議論も正式に行われておらず、法的な根拠もなく、政府の考えだけで、一つのサイトをブロックするなど、飛んでもないことだと思います。
これは、強権政治の典型だと思います。言語道断です。
一度、このようなブロッキングを許すと、次には、「緊急対策」と称して政府に都合の悪いサイトをブロックするのは容易になるでしょう。
安倍晋三内閣のこれまでの政治の動かし方を見ていると、私の心配は杞憂だとは思えません。
「共謀罪」法案が強引に押し通された今、安倍晋三首相でなくとも、その後を継ぐ政治家が、「共謀罪」を盾にしてどんなことでも取り締まりの対象にすることは容易に想像できます。
そうなると、サイトのブロックということは、政府にとって有力な手段になります。
この海賊版サイトの基本的な問題は、読者の考えだと思います。
正直に言えば、漫画家に限らず、物を書く人間は自分の書いた物を誰かに読んで貰うとそれだけ大変に嬉しい物なのです。
物を書く人間は最初から報酬を考えてはいないと思います。本当に欲しいのは読者の共感です。読んで下さるだけでなく、讃めたりされると天にも昇る思いがします。これが物書きの本心です。
しかし、悩ましいのは、読んで貰って嬉しい、と言うだけでは生活が出来ず、製作活動も出来なくなることです。
その点を漫画を愛し読んで下さる読者の皆さんにもお考え頂き、広範に意見を交わし、どうすれば良いのかその解決策を見出して頂きたいと思うのです。
2018/03/20 - 財務省の文書改竄 私の友人から、
「今回の財務省による書類の改ざん/隠蔽の顛末についてどう思うか、答えよ」
というメールが来ました。
私は、この問題については考えたくもないと思っているのですが、長い間いろいろと面倒を見てもらい、大変にお世話になっている友人なので、その恩義に応えるために何か言わなければなりません。
森友学園の経営する塚本幼稚園が幼稚園児に教育勅語を暗唱させたりするのは、「曲がった愛国主義」と捉えざるを得ません。
私はインターネットでその様子を見ましたが、あのような教育を幼稚園児にする人間の心の中を想像すると腹の底まで冷え冷えとします。
しかし、今問題とするのは、教育の中身ではありません。
あの財務省の文章改竄という犯罪行為についてです。
犯罪行為を行ったのは財務省の人間です。
しかし、「減点主義の役人が自らの意志で書き換えのような危険を冒す訳がない」ので、財務省を支配する権力者の意向に従ったものであると考えるのが自然でしょう。
改竄された文章という現物証拠がありながら、しかも文章を改竄したことを当の財務省が認めていながら、財務省の担当官僚が改竄せざるを得ない空気を作り出した張本人がしらを切り通している限り問題は解決しない、という不思議な状況に今の日本の社会はあるのです。
それは、誰も表だってその張本人の名前を言わないからです。
なぜ誰も、張本人の名前をはっきりと言わないのでしょう。
この文書の原本の存在を突き止め、文書改竄問題を報道したのは朝日新聞でした。
続いて、毎日新聞も改竄される以前の文書の存在を突き止めたことを報道しました。
なぜ、朝日新聞と毎日新聞だけだったのか。
他の新聞社は無能だったのか。
私はそうは思いません。
はっきり言えば、この問題に踏み込む勇気がなかったのでしょう。
朝日新聞が何故勇気を振り絞ったのか。
それは、朝日新聞がこの文書改竄問題を取り上げる寸前に、安倍晋三首相との対立があったからだと私は考えます。
この対立問題について、長くなりますが、書いておきます。
というのは、現在問題になっている財務省の文書改竄はこの対立時に既に始まっていたのではないかという疑問を私は強く抱くからです。
当時の報道をまとめると、
A)朝日新聞は2017年5月に、森友学園の籠池泰典・前理事長が証言したとして、小学校の設置趣意書に「安倍晋三記念小学校」との校名を記して財務省に提出した、と報道した。
B)財務省は、同年11月に立憲民主党にその設置趣意書を開示したがその中には、校名は「安倍晋三記念小学校」ではなく「開成小学校」となっていた。
C)2018年2月5日の衆院予算委員会で、安倍晋三首相は「裏取りをしない記事は記事とは言えない」と批判した。
D)翌6日朝日新聞はその報道経緯についての記事を第7面に載せた。
その中で朝日新聞は、
イ)「安倍晋三記念小学校」の名称は、学園が建設計画を進めていた当初、使っていた校名だった。
ロ)学園が14年春ごろ、運営する幼稚園の保護者に配ったとされる小学校への寄付金の「払込取扱票」には、安倍晋三記念小学校という文言が印刷されていた。前理事長も一時期、この校名で寄付金を募っていたと認めている。
ハ)2017年5月8日、衆院予算委員会で当時民進党の福島伸亨氏が財務省から開示された設置趣意書を示し、開示された文書のほとんどが黒塗りだったことを示した。(この文書を見たことのない人のために、5月22日の「週刊金曜日オンライン」から引用させて頂き、掲載します。無断引用で申し訳ないことですが、私が「週刊金曜日」創刊時からの定期購読者であることを考慮に入れて大目に見て下るよう「週刊金曜日」にお願いします。
写真はクリックすると大きくなります
この文書を見ると、文書の題名として「・・・・・」設置趣意書となっています。「・・・・・」の部分には設置する小学校名が入っているはずですがその部分が黒塗りになっています。
題名だけではなく、全部で100ページほどある文書の中で、黒塗りでないのは9ページだけ、と川内博文・元衆院議員は「週刊金曜日オンライン」の私が写真を引用したのと同じ記事内で証言しています。
それにしても、殆ど全てを黒塗りにした文書を「開示」と称して提示する財務省のこのやり方は、国民を徹底的に馬鹿にしたものでは無いでしょうか。
これは「開示」ではなく、「隠蔽」ではありませんか。)
ニ)福島伸亨氏は、その部分には「安倍晋三記念小学院(学校)」と書かれていたのではないかと質問。前理事長らに開示の同意を得たとし、説明を求めた。
同省の理財局長だった佐川氏は「学校の運営方針に関わることなので、情報公開法の不開示情報になっている」と拒み、前理事長の同意があっても、学園が民事再生手続き中であることを理由に、開示するとしても管財人への確認が必要だとも説明した。福島氏は「タイトル(文章の題名)がなぜ不開示なのか」と批判していた。
ホ)財務省が説明を拒んでいる以上、当事者の前理事長にどう記載したかを確認する必要があると考え、朝日新聞は同日の国会審議後にあったインタビューで複数回にわたって質問。前理事長は「安倍晋三記念小学校」と設置趣意書に記載したと答えた。
ヘ)記事では前理事長の証言にもとづき、「籠池泰典氏が8日夜、朝日新聞の取材に応じ、『安倍晋三記念小学校』との校名を記した設立趣意書を2013年に財務省近畿財務局に出したと明らかにした」と報じた。
ト)財務省は前理事長のインタビューから半年たった昨年11月、立憲民主党に対し、管財人から「開示されても支障がない」との意見書を得たとして、設置趣意書を開示。実際には小学校名が「開成小学校」と記載されていた。
チ)安倍晋三首相は5日の衆院予算委で「(昭恵氏が)棟上げ式に行ったと籠池さんが証言した。これも朝日新聞が大々的に報道した」と述べた。今年1月28日付の朝刊「首相夫人に言及 減額迫る」との記事を指していると見られる。
この記事では、前理事長ら学園側が16年春、国に土地の購入を申入れた時期の協議で「棟上げ式の時に首相夫人が来られることになっている」と言及しながら国有地の減額を求めていたことを音声データをもとに報じた。前理事長は「棟上げ式に来た」とは述べておらず、記事中にもそのような表現はない。
以上のようなことを書いた後に朝日新聞はさらに「森友学園への国有地売却問題と小学校の名称をめぐる経緯」として、2017年5月の記事が書かれた経緯を細かく書いています。
その中には、
ⅰ)2014年10月、学園側が大阪府に設置認可申請書を提出した。府教育庁の幹部によると、名称は「瑞穂の國記念小学院」となっていたが、申請前には仮称として「安倍晋三記念小学校」という名称も使っていた。
ⅱ)2017年3月、籠池泰典前理事長が、国会の証人喚問で「当初は安倍晋三記念小学校とするつもりだったが、昭恵夫人から首相の名前を使うことを遠慮して欲しいという旨の申し出があった」と証言。
などと、細かなことまで記載されています。
E)この朝日新聞の経緯説明が掲載されると、自民党の和田政宗参議院が、6日、フェイスブックの個人用アカウントで「謝れない朝日新聞」と批判した。朝日新聞の記事に「籠池氏の手元にあるはずの設置趣意書のコピーを記者が確認したかについて一切触れていない」と言い、「すなわち、していないと暗に認めた。やるべき取材をせずに、籠池氏の証言のみに頼って記事にし、結局誤報となったわけだが、全く謝罪なし」と批判した。
F)すると、安倍晋三首相が個人用アカウントで、「哀れですね。朝日らしい惨めな言い訳。予想通りでした」と書き込んだ。
さて、以上、長くなりましたが、A)からEまでに、朝日新聞が今回財務省の改竄問題を取り上げる前にあった安倍晋三首相との対立をまとめました。
長くなって恐縮ですが、ここまでは最低書かないとこの問題の理解は難しいと思うので、我慢して読んで下さい。
今回財務省の文書改竄問題が明らかになった段階で、安倍晋三首相と朝日新聞の対立を考え直すと、これまで考えることも出来なかったことを考えられるようになりました。
Ⅰ)その第一は黒塗り文書の問題です。
ここまで黒塗りにして何が情報開示なのだ、と驚きませんか。
しかも、文書の題名にある小学校名まで塗り潰してあります。
これでは何が何だか分からない。
この黒塗りについては、例の佐川氏が、「学校の運営方針に関わることなので、情報公開法の不開示情報になっている。前理事長の同意があっても、学園が民事再生手続き中であることを理由に、開示するとしても管財人への確認が必要だ」と説明しました。
要するに、学園のために黒塗りにした、と言っているのです。
「管財人への確認が必要だ」というのなら、どうしてその確認を得ようとしないのか。実に奇々怪々な答弁です。
佐川氏の言うことはいつもその場限りの言い訳です。
Ⅱ)第二は、財務省は前理事長のインタビューから半年たった2017年11月、管財人から「開示されても支障がない」との意見書を得たとして、設置趣意書を開示したことです。
その開示された文書には小学校の名前が安倍晋三記念小学校ではなく開成小学校となっていました。
さて、このⅠ)とⅡ)について、じっくり考えて下さい。
「なあんだ、黒塗りの下に書かれていたの開成小学校だったのか」とあっさり納得してしまった方、もう一度
「財務省は文書を改竄する役所である。しかも、佐川氏のようにその責任者もその場をごまかすための虚偽を述べ立てる。」
という事実を補助線にして考え直してみて下さい。
私は今や、この黒塗りの下から現れた文書も改竄の疑いが濃厚だと思います。
黒塗りを外してみれば、その下から「安倍晋三記念小学校」ではなく、「開成小学校」が現れたとは、まるで種も仕掛けも見え見えの下手な手品ではありませんか。
3月19日の参院予算委員会集中審議で財務省の太田充・理財局長は、現在問題になっている文書が改竄されたのは「2017年4月4日」であると説明しています。
2017年5月8日、衆院予算委員会で当時民進党の福島伸亨氏が示した財務省から開示された森友学園小学校設置趣意書は黒塗りでした。
3月19日に太田充・理財局長が説明した文書改竄時期の後です。
であれば、今回問題になった文書の改竄の際に、設置趣意書の内容も危ないと見て黒塗りにしたと考えるのは自然でしょう。
そして、その時期から11月に開示するまでの間に、黒塗りだった部分を「開成小学校」としたと考えても推理小説の読み過ぎのせいだとは言えないでしょう。
私のこの推理が正しいかどうかは籠池前理事長に確かめるのが一番です。あるいは、それしかないかも知れません。
しかし、それは出来ません。
籠池前理事長とその夫人は今まで6ヶ月以上も拘留され続けています。
日本のこの拘置・拘留制度は極めて政権の都合の良いように使われています。
2016年沖縄平和運動センターの山城博治氏が、米軍ヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)建設現場近くで鉄線を切断した疑いで逮捕され、2017年3月まで約五ヶ月拘留されたのがその一例です。
籠池前理事長は2017年3月に国会の証人喚問で色々と証言しました。
籠池前理事長が長期拘留されているのは、国会証人喚問の時より更に踏み込んだ証言をされるのを防ぐためでしょう。
私は今回の文書改竄問題とならんで、この設置趣意書問題も「本物の原文書」を開示して、真実を明らかにするべきだと思います。
籠池前理事長夫妻を直ちに釈放して、真実の解明をするべきだと思います。
籠池前理事長夫妻は若いとは言えない年齢です。その夫妻を拘置所に勾留し続けるとはなんという残酷な話でしょう。拘置所に勾留されて拘禁症で苦しんだ人の話を幾つか聞いています。
何のためにこんな長期間拘留するのか。これは拷問ではありませんか。
籠池前理事長夫妻の森友学園での教育方針や、国有地を不当な安値で購入した件については、私は強く批判したいと思いますが、長期拘留されて精神を痛めつけられたことについては深く同情します。
以上が、今回の改竄文書問題を朝日新聞が報道する以前に安倍晋三首相と対立した件についての事実関係と、それから得られた私の考えです。
安倍晋三首相は、設置趣意書の件で朝日新聞を「哀れですね。朝日らしい惨めな言い訳。予想通りでした」と言いました。
私はその安倍晋三首相の言葉が朝日新聞の闘志をかき立ててしまったのだと思います。
ここまで言われたら朝日新聞としても「このままでは済まされない」と発憤したのでしょう。
安倍晋三首相は墓穴を掘ってしまったというところです。
最初に私は何故朝日新聞だけがこの問題取り上げたのかと書きました。他の新聞が無能だったわけではない。
ただ、朝日新聞は安倍晋三首相に悪し様に言われたままでは朝日新聞がつぶれてしまうという危機感をいだき、発憤したからだと思います。
だらだらと長くなってしまったのでまとめましょう。
◎この文書改竄を安倍晋三首相が命じたという確証はまだ出ていない。予算委員会集中審議を見ても、財務省は佐川氏に責任を全部負わせている。
◎しかし、この改竄で誰が一番得をしたか考えて見れば改竄を命じた人間は誰なのか容易に推測がつく。
◎文書改竄は設置趣意書についても疑われる。
◎Youtubeに安倍晋三首相夫人昭恵氏が森友学園を訪問した時の動画が多数残されている。
それを見れば安倍晋三首相の夫人昭恵氏が森友学園と浅くない関係にある事はどんなに鈍い人間にもよく分かる。
◎安倍晋三首相は2017年2月17日の衆院予算委員会で、森友学園の小学校認可や国有地払下げに関して「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」と言っている。
ここまで、昭恵夫人の関わりが濃厚に示されたからには安倍晋三首相は辞めるべきだ。
これ以上安倍晋三首相が今の地位にしがみついていれば、国政の混乱は甚だしくなる。
また最初に戻りますが、朝日新聞も含めてなぜだれもが、改竄を引き起こした張本人の名前を言わないのでしょうか。
それは、財務省の担当者がはっきりと張本人の名前を挙げるか、安倍晋三首相本人が認めない限り、「改竄を命じた張本人は安倍晋三首相である」であると言う確証はないことになり、うっかりそのようなことを書くと安倍晋三首相側から攻撃されることを恐れてのことでしょう。
私も今回、うっかりしたことを書かないように気をつけて書きました。
しかし、もう、その心配もなくなる日は近いと思います。
3月19日の新聞各紙は、世論調査の結果安倍晋三首相内閣の支持率が40パーセントを切ったことを報道しています。
安倍晋三首相は人々を覚醒させました。
安倍晋三首相は、プーチン、習近平、金正恩、とは違います。
人心が離れれば、その座を追われます。
今度の文書改竄問題は本当に汚らしい話です。
早くきれいな結末を付けるのは私達国民の責任です。
2018/02/23 - あれから一週間 まず嬉しいお知らせです。
2017年5月27日のこのページで書いた、木村巴さんの「憤怒」の展示が3月1日から13日まで、伊東市の「池田20世紀美術館」で行われます。
また、同時に、木村巴さんの新作「太陽の末裔」も展示されます。
この展示会は、「伊東市全国絵画公募展」として隔年に行われるもので、木村巴さんの「憤怒」は前回は大賞を獲得、「太陽の末裔」は今回入選した物です。前回の大賞獲得作品なので、今回も「憤怒」は展示されるのだそうです。
「太陽の末裔」は私はまだ見ていませんが、木村さんによれば、「安倍政権となって『全ての女性が輝く社会』と自信を持って公約していることに対して自分の考えを表現して見た」ものと言うことです。
政治的な主張の有る絵画はともすると主張ばかりが強調され、芸術性が薄れてしまうのですが、「憤怒」の場合、そのように表層に流れる物ではなく非常に深く人の心をとらえるものとなっていました。
「太陽の末裔」も楽しみです。
伊東というと遠いように思えますが、東京近辺にお住まいの方からすれば、日帰りの小旅行にうってつけではありませんか。絵画展を見た後、伊東周辺で温泉に入って一泊というのもこれは悪くないですねー。
是非お出かけ下さい。最近、国宝展とか、若冲展などは、入場まで3時間待ちなどと言うことがざらにありました。
「憤怒」は並ぶのに値する作品です。
さてさて、あれから一週間経ちました。
あれから、って何のことかですって?
男子フィギュアスケートの羽生弓絃選手と、スピードスケート女子短距離の小平奈緒選手のことですよ。
土曜日の、男子フィギュアスケートの決勝戦は大変でした。
いや、羽生選手が大変なのは当然ですが私の家が大変だった。私の次女はフィギュアスケートの大フアンで、ソチオリンピックで浅田真央選手がまさかの失敗をしたときには、泣いて大変でした。
今回も羽生選手のことで頭がいっぱいになっていて、金曜日に羽生選手がSPで首位に立つと有頂天になると同時に、
「明日の決勝は」と猛然と心配し始める。
土曜日の決勝戦は、妻が次女と並んでインターネット経由で見ていましたが、妻の観測によると、いざ羽生選手が滑り始めると次女は呼吸をしなくなり、手の体温が下がって冷たくなったと言います。
だから、羽生選手が金メダルを取ったときの喜びようと言ったらすさまじかった。
私の長女は家から離れてアパートに住んでいますが、週に何度か我が家に戻ってきて夕食を一緒にします。
しかし、土曜日は、「もし羽生選手が負けたら、家に来るのは止めようと思っていた」と言います。
みんな、そのような場合に次女の傍にいたくないというのが本音でした。
羽生選手が勝ってくれて本当に良かった。テレビのニュースでは、日本中のあちこちでテレビを見ながら泣いている女性の姿を写しましたが、私の家でも同じでしたよ。
しかし、その日、日曜日とNHKはすごかった。いったい何度羽生選手の演技を繰り返し放送したことか。
私が次女に、さすがにこれはやりすぎで飽きるだろう、といったら、次女は、何度見ても良いと答えました。
私が羽生選手はすごいと思うのは、これだけ日本中から期待をかけられ、しかもけがから回復して4回転ジャンプを跳び始めたの2週間前だというのに、その痛みをこらえてきちんと滑りきったところです。
これまで、日本の選手は試合前に金メダルは確実などと言われていても実戦になると負けてしまうことが多かった。というか、ほとんどそうだった。
しかし、羽生選手は期待通り金メダルを取った。私はその精神の強さに心を打たれました。
なんという強い心を持っているのだろうか。
小平奈緒選手もすごかった。勝利をつかんだこともすごいけれど、良い記録を出した後、観客席が湧いているのを見て、唇に指を当てて、「しーっ」と言いながら、観客席の前を走りました。静かにしないと次に滑る選手に悪影響おを及ぼすと、自分が良い成績をあげるとすぐに競争相手のことを思いやったのです。
これは見事でしたね。金メダル自体も素晴らしいけれど、この思いやりがなんとも価値のある行為だったと思います。
小平選手と韓国の、世界記録保持者でこれまでオリンピック2連覇の李相花(イサンファ)選手との友情物語も素晴らしい。
地元で絶対に勝ちたい李相花(イサンファ)選手は負けて泣いていましたが、それでも、小平奈緒と抱き合って祝福していました。これまでも李相花選手は小平奈緒選手にいろいろとよくしてくれていたそうです。自分と戦う相手によくして上げた李相花選手の度量は広いと思います。二人は友人同士だそうです。互いに相手を認め合って戦う、本当の好敵手同士だったんですね。
どうも、オリンピックとかサッカーのW杯になると、俄然愛国心の塊になります。
日の丸は苦手で、君が代はもっと苦手ですが、本当の愛国心というのは日の丸や君が代を越えたところにあるのだと私は思います。
私の家ではまだ夕食時は羽生選手の話題で、良かった良かった、とみんな笑顔です。
2018/01/20 - 田園調布 1月20日、NHKテレビの、「ブラタモリ」を見ました。
田園調布をタモリが歩くという番組でした。
妻に、「ブラタモリで田園調布をやっているわよ」と教えられて、テレビのスイッチを入れました。
田園調布は、番組の中でも言っていましたが、西口と東口とは趣が違います。
私は、1948年に九州の赤池という炭砿町からいきなり田園調布に引っ越してきたので、中学生頃まで、田園調布がほかの町とは大分趣が違うと言うことを理解していませんでした。
私は最初に東口に1年半ほど住み、それから1968年の12月までは西口に住みました。
実は去年、弟と姉と妻とで西口探訪をしました。
余りの変わりぶりに、心底驚きました。
一言で言えば「これは田園調布ではない」。
1968年以前は、田園調布の家は最低で敷地が150坪、その家も道に面した部分は庭に作る決まりがありました。塀は石垣、板塀は許されず、生垣であることと決められていました。
道を歩いていて、庭越しにその家がよく見えるのです。
私の家はその決まりに反して板塀を巡らしていたので心苦しい思いをしました。
去年自分で見て回った田園調布は、私の田園調布ではありませんでした。
かつて私が良く知っていた家の土地に、三軒もの家が建っている。
庭なんて道から見えません。
信じられないくらいに土地が細分化されていてそこに妙に金をかけたような趣味の悪い家がびっちりと建ち並んでいました。その、家と家の間に庭がない。これは田園調布ではない、と私は思いました。
「誰々さんの家、何々ちゃんの家」と私の知っている人の家を探したのですが、あまりに土地が細分化されてしまっていて、どこが誰の家だったか分からない。
「ブラタモリ」で変わり果てた田園調布を、その由来から土地の人間が話すのを聞いて非常に違和感を覚えました。
田園調布について番組の中で語る人は、そば屋の「兵隊屋」の女性の他は皆さんお若い。
一番年配の方でも50歳代後半ではないか。
私が田園調布に住んでいた頃には生まれてもいなかった人達が田園調布について語る。冗談じゃないよ。と私は思いました。その人たちには田園調布で暮らしていた生活感がない。
さらに、「ブラタモリ」では、西口の一番大事な「宝来公園」を取り上げませんでした。
私の田園調布での一番楽しい思い出を作ってくれた宝来公園。
西口から放射線状に伸びる道の中で、その真ん中の突き当たりに宝来公園はあります。
私の家はその公園のすぐ下にありました。
学校に行くのも電車の駅に行くのにも、毎日その宝来公園の中を通り抜けたのです。公園は斜面に作られているので、一段、二段、三段と段差を作ってそれぞれに平面を設けてありましたが、それは公園の中心部分であってその両側は自然の斜面のままで様々な樹木も茂っていました。
誰かが、宝来公園を見て「武蔵野の面影が残っていますね」と言いました。はたして、田園調布が武蔵野の範囲に入るのかどうか分かりませんでしたが、その言葉で、田園調布、少なくとも宝来公園は昔の自然の趣を残しているのだと納得した覚えがあります。
斜面をそのまま使った宝来公園の一番下には池があります。
その公園の斜面の自然の林や、自然の環境を保った池でどれだけ私達は楽しい日々を過ごしたか。
田園調布の西口を語るのに宝来公園を抜かしたのは「ブラタモリ」の大きなな間違いだと、私は言いたいのです。
とは言え、私達田園調布小学校を卒業した人間の中で、いまだに田園調布の西口に住んでいるのは三人くらいしかいません。
私だって1968年に鎌倉に引っ越した。
そういう人間が何か言うのはおかしいけれど、「ブラタモリ」の田園調布は、本当の田園調布ではないと声を高めたいのです。
単に昔を懐かしがる老人の繰り言ではありますが。
2018/01/20 - 「しっぽの声」 私の家には、1匹の犬と、2匹の猫がいます。
3匹とも、私達が望んで貰ったり買ったりしたのではありません。
私の次女は獣医で、近くのペットクリニックで働いています。
犬も猫も、次女が引きとってきたのです。
犬は、ラブラドール・リトリーバーで、5年ほど前に、次女のクリニックに自分の犬の診察に連れて来ていた夫婦が、「今まで一軒家に住んでいたけれど今度事情があって、アパートに越すことになった。アパートでは犬が飼えないので誰か引きとってくれる人はいないだろうか」と相談に来ました。すると、クリニックの人間全員が次女を見つめたそうです。
次女はその数年前に可愛がっていた犬を失って、新しい犬を欲しがっていたことをクリニックの人達は良く知っていたのです。次女は、抵抗出来ずに、その犬を連れ帰ってきてしまいました。
3年ほど前に、今度は迷子の子猫が次女のクリニックに連れて来られました。
下水口にはまって動けなくなっている所を救助されたと言うことで、調べてみるとオーストラリアでは飼い猫飼い犬には必ず飼い主の情報を示す半導体のチップを埋めなければなりませんが、その子猫にはチップが埋め込まれていない。雄猫なのに去勢されていない。(オーストラリアでは犬も猫も繁殖を目的としないなら、雄でも雌でも避妊手術をすることになっています)
しかも、その周辺のクリニックに迷子の届け出が出ていない。
それから察するに、この猫の飼い主は、この猫を粗末に扱っているのではないか。それでは、別の飼い主を探した方が良いという結論に達し、また、クリニックの一同が次女を見つめたそうです。
アメリカンショートヘアのその猫は我が家にやってきました。
そして去年、クリニックに近所の人が近くの路地に置かれていたと言って段ボールの箱を持込みました。
箱はテープで密閉されていて、周囲に幾つか穴が開けられている。
中を開けると、母猫と3匹の子猫が入れられていました。
元の飼い主が、親子もろとも猫を捨てたのです。
呼吸できるようにと穴を開けて置いたとは言え、段ボール箱に入れてテープで密閉して、自分の家から離れた所に置き去りにするとは残酷すぎます。
その話を次女から聞いた私と長男が逆上してしまいました。
「何て残酷なことをする奴がいるんだ」「うちに連れて来い。」「母子4匹ともうちで飼ってやる」
私と長男の勢いに次女は驚いていましたが、翌日一匹の子猫を連れて来ました。
3匹の中でも一番活発なのを選んだそうです。
幸いなことに、母親と子猫を全部引きとるという人が現れて、母親と2匹の子猫はその人にまとめて引き取られていきました。
こんな具合に、私の家の1匹の犬と2匹の猫は、最悪の場合処分されてしまうかも知れない所を次女に救われたのです。
そのほかにも、今は死んでしまいましたが、あと一週間引き取り手が現れなければ殺処分になるという犬も救いました。オーストラリア原産のディンゴとシェパードとの混血で、素晴らしく美しい犬だったので、これは子供を増やそうと思ったら、その犬はすでに去勢ずみでした。
日本でも家を買った時に前の持ち主が老齢の犬を殺処分するというのを、置いて行かせて私たちで面倒を見ました。
こんな我が家の犬猫話を書いたのは、「しっぽの声」というマンガをご紹介したいからです。
原作・夏緑
作画・ちくやままさよし
で、小学館から刊行されています。(現在、ビッグコミックオリジナルに連載中)
「しっぽの声」とは、このマンガに協力している、杉本彩 公益財団法人動物環境・福祉協会Eva代表、のあとがきによれば、「しっぽを持つ全ての動物たちの声なき声とその尊い魂を伝えたい」という志を表すものだということです。
日本でも犬や猫が多く飼われていて、猫カフェ、犬カフェさらにはキツネ牧場まであって、ペット好きなように見えます。
犬や猫のことを描いた漫画も数多くあって、昨年亡くなった谷口ジローの「犬を飼う」という作品は、しみじみと深く胸を打つ名作です。
しかし、この「しっぽの声」はそのようにしみじみとした内容のマンガではありません。
次女の読後感は「つらすぎる」というものでした。
このマンガのこれからの展開がどうなるのか分かりませんが、第1巻で取り扱われているのは、人間が如何に犬猫を苦しめているかという問題です。
身勝手な飼い方で犬や猫を苦しめる飼い主、ペットを商品としてしか考えずに儲け本位で犬猫を売買する業者。
その犬猫の悲惨な実状。
そのような犬猫の虐待の実状をこのマンガは鋭く丁寧に描いています。
犬猫と人間との心温まる物語、ではなく、犬や猫に対する人間の所業の心も凍る残酷さが描かれているのです。
しかし主人公たちは、そのような犬猫を救うことに全力を尽くす素晴らしい人間です。
如何に主人公たちが犬猫を守るために奮闘するかが物語の筋です。
(どんな物語かは敢えて書きません。)
私はペットショップのショーウインドウの中の子犬や子猫を見るのが好きで、近くのペットショップをのぞくのが楽しみだったのですが、いつの頃からか、「また、ショーウインドウの中の子犬と子猫が変わっている。前の子犬と子猫はちゃんと売れたんだろうか。もし売れ残ったとしたら、その子犬たち子猫たちはどうなったんだろう」と考えるようになってしまい、悪い結果を考えるとペットショップの子犬や子猫を見るのが辛くなっていたのです。
そこに、この「しっぽの声」を読んだのです。
現実は私が想像していたよりももっと苛烈なものであることを思い知らされました。
犬や猫を愛する人なら、どうかこの「しっぽの声」を読んで下さい。
私は獣医の次女によく言います。
「君のしていることは人類が他の多くの動物に対して行っている犯罪の、わずかではあるが、大事な罪滅ぼしなんだ。非常に価値の有ることをしているんだ」
こういうことを言うとすぐに、「牛や豚の肉を旨い旨いと食べておきながら、偽善的なことを言うな」と反撥する人がいます。
そのようなことを言うのは、人間存在の真実を知らない人間です。
人は自分の命を保つために動物にせよ植物にせよ自分以外の命あるものを食べなければ生きて行けない存在です。
私も切羽詰まれば、飼い犬でも飼い猫でも殺して食べるでしょう。
しかし、そのような極論を言うのは馬鹿げたことです。
遊びや身勝手で他の生命を奪うのは悪業であることを認識して頂きたいのです。
「しっぽの声」読んで下さい。
2018/01/15 - 今年こそ良い年に 今年もよろしくお願いします。
今年こそ良い年になるように、ちょいと良い話から始めましょう。
皆さんはフリー のソフト(最近はアプリという方が一般的みたいですね)を使っているでしょう。
フリーだけれど、気にいったら購入してくれ、とか、寄付をしてくれ、というソフトがありますよね。
私も幾つかフリーのソフトを使っていますが、ある程度使ってこれは良いと思ったら購入したり、寄付したりすることにしています。
私は、ソフトを作ることがどんなに大変か良く知っているので、そのような苦労の結晶をただで使うのは心苦しいし、適当な値段であればその対価を支払うことが当然だと思っています。
そうすることでソフトを造る人の経済的手助けになるし、励みにもなります。
だれもお金を払ってくれなければ造る人も意欲を失ってしまい作らなくなる。
結局私達がそのような便利なソフトを手に入れることも出来なくなってしまいます。
作ってくれる人、使う人がそれぞれ助け合ってこそ世の中うまくいくのだと思います。
インターネットでブラウジングしていて、鬱陶しいのはどこかのサイトに行くと強制的に見せられる広告です。
その広告をブロックしてくれるソフトがあります。
AdBlockというソフトです。
私はそれを長い間使っていましたが、気が着いたら、お金を全然払っていなかった。
で、今回20ドル(オーストラリアドル)寄付しました。
すると、折り返し、お礼のメールが来ました。
そのメールが、とても嬉しかったのです。
かれらはめ-るの最初に、「このメールは寄付をしてくれた人に自動的におくるものだが、どうか最後まで読んでほしい。
最後に重要なことを書いてあるからといいます。
よんでみると,
まず、レシート。
つぎに、AdBlock、についてのhelp などが書かれていて,最後に気が変わって寄付金返してくれという人のためにどうすれば良いかが書かれている。大変に良心的です。
そして、これからが大事な部分ですと言って言葉を続けます。
ちょっと良い文章なので私が拙く訳すより本物の方がいいと考えてそのままを載せてしまいます。
***** OK, and now the important part: *****
We wanted to say THANK YOU for supporting AdBlock. We created AdBlock
hoping to make people's lives better, and you just told us that we managed
to do it :) Thank you very, very much! You are so great!
We are a small team. We keep AdBlock running solely through asking users to
pay what they can afford for AdBlock. Most users simply aren't paying, so
your contribution is even more appreciated! Thank you from the entire
AdBlock team.
We feel this is important work. AdBlock simply couldn't keep going without
the support of kind users like you. You're helping us continue on our
path...did we say thank you yet? Thank you! Yes, we know this is an
automated letter, but believe us when we say that it's from the heart! :D
Thanks for listening, thanks for supporting AdBlock, and we hope that you
love it as much as we love making it for you. And if you do, please send
your friends to getadblock.com -- it would help IMMENSELY :)
- The AdBlock Team
PS: Thanks ;)
ね、ちょっと良いでしょう。
私もいろいろ寄付したり購入していますがこれだけ熱烈な感謝文を頂戴したのは初めてです。
まさに、誠意・好意・感謝、この三つがうまく回ると世の中は楽しくなりますね。
私は新年早々嬉しくなりました。
こういう小さなことが大変に嬉しい。
今年はもっと大きい喜びが私を待っている予感がします。
私の予感は当たるんですよ。
見ててくださいね。
皆様も良いお年を !
2017/12/28 - 「ウーマンラッシュアワー」の漫才を見て 私には、私の本を読んで下さるだけでなく、このブログにも応援と励ましのメールを下さる方が、大勢います。
大変に有り難いことです。
その中の一方が、「ウーマンラッシュアワー」の芸を見るように教えて下さいました。
私が最近の日本のお笑い芸に疎いことを心配してくださったのです。
私は落語漫才演芸を始め、お笑い芸には長い間親しんでいます。
ただ私はその読者の方がご心配頂いたように、最近のお笑い芸について関心を持てずに来ました。
早い話が、今のお笑い芸は、ちっとも楽しくない。
それどころか、テレビなど見ていると不愉快になる。
何故不愉快になるか、その理由を挙げていくと長い話になるので止めます。
私の性格の悪さゆえなのでしょう。
そのような私が「ウーマンラッシュアワー」の、17年12月17日にフジレビのTHE MANZAIという番組で放送された漫才芸を見ました。
とにかく早口なので音量を小さくしていては聞き取れず、音量を大きくして3度見て、ようやく理解できました。
その日の漫才の内容はすでにネットでも反響を呼んで様々な書き込みがなされているのでここでは深く取り上げませんが、村本大輔と中川パラダイスの二人の協調が大変に良く取れていることにまず感心しました。
声がひっくり返るほどの大声で恐ろしい早口でしゃべる村本に合わせて中川が明るい感じで合いの手を入れ、最後に、また中川が明るい声でまるでデモのスローガンに聞こえるのではないかと思われるほど朗々と締めの言葉を言う。
この二人の掛け合いは非常によく練習されていて狂いがない。
この芸を舞台にかけるまでの二人の猛練習がうかがえて、大変に感心しました。
宮川大助・花子も私の好きな漫才コンビですが、舞台の上ではのんびりと花子にいいようにしゃべらせているように見える大助が実はあの漫才コンビのリーダーで、一つのタネを舞台にかけるまでに大変な練習を重ねるということです。
落語でも漫才でも舞台ではお客を楽しませるために笑顔を浮かべているが、実際は舞台に出るまでに骨身を削る練習・稽古をつんでいるんですね。
で「ウーマンラッシュアワー」の漫才の内容ですが、原発、小池都知事、仮設住宅と東京オリンピック、沖縄、米軍に対する思いやり予算、と現在日本が抱えている諸問題を取り上げてきちんと迫りました。
視聴者にそのような問題があることを認識させることだけでも大きな意味があるものだと思いました。
そして、最後に村本が「このように日本には色々問題があるのに、議員の不倫、芸能人の不倫、そんなことばかりニュースになるのは何故か」と問いかけると、中川が「それは、見たい人が沢山あるから」と答え、それに対して村本が「だから本当に危機を感じなければいけないのは、それよりも」と問い詰めると中川は「国民の意識の低さーっ!」と絶叫してこのまんざいは終わり(この辺り私が非常に簡略化しています)、中川は「有り難うございました」と言って引き下がろうとしますが、村本は立ち止まって客席をにらんで指を突きつけて「おまえたちのことだ」と大声で言う。
私は今まで、芸人が舞台から客を指さして「お前たち」と罵るように叫ぶのを聞いたことがありません。
関西の芸人で「アホの○○」という名前で売った芸人がいました。(まだ健在かも知れない)。その芸人がテレビ番組の収録中に客席から「アホの○○」と呼ばれるとその客に向かって食ってかかるような勢いで「アホとはなんや」と喚いたことがありました。まあ、その時のその芸人の顔の醜いこと、恐ろしいこと、二十年以上経った今も忘れられません。
その芸人は、実は「アホ」ではなく、営業上そのようにして見せていただけだったのです。その芸人の姿を見て、私は「芸人はああいうことをしてはいけない」と非常に不愉快に思いました。「アホ」で売り出してそれでお客も楽しんでいるのに、そこで怒り出したら、何もかもぶちこわしだ、と私は思ったのです。自分の看板がなくなるではありませんか。「アホ」で押し通してこその「芸」でしょう。
しかし、今回、「ウーマンラッシュアワー」の村本が客席に向かって叫ぶのを見て不快どころか、「よく言った」とすっきりした感じを覚えました。
私に「ウーマンラッシュアワー」を見るようにすすめて下さった読者は、私の好きな「コント55号もここまで完成度の高い漫才はやれていなかったのではないでしょうか」と書いて来られました。
完成度から言えばコント55号の演じたものの中には今回の「ウーマンラッシュアワー」より高いものが幾つもあると思いますが、コント55が活躍していた60年代、70年代は、大学闘争、70年安保問題、三里塚問題、ベトナム戦争、など問題続きの政治の時代でしたが、コント55をはじめ、他の、漫才も落語もコミックバンドも、いわゆる芸人は政治問題に言及することはもちろん、その時の演目の主題とすることなど一切ありませんでした。
いや、60年代、70年代どころか、21世紀を迎えた現在まで、寄席芸で社会の抱えている問題をあからさまに取り上げることは、明治の始めの自由民権運動の盛んな頃の「壮士」と呼ばれた周辺の人びとが「演歌」などを歌って人気を取って以来なかったことです。
当時の「演歌」は今の歌謡曲のえんかと違って、「演説」を歌にしたような物で、当時の政府を批判する内容のものです。
当時の演歌師は袴をはき、バイオリンを弾きながら、今聞いて見ると実に不思議な節で(日本人にしみついている音感を西洋の12音階に合わせたもの)当時の政府を批判し、自由民権運動を鼓吹する歌を歌いました。
当然、政府は自由民権運動もそれに同調する言論も厳しく弾圧しました。
讒謗律、新聞紙条例、出版条例、保安条例、集会条例、など様々な法律を作り政治的運動・言論を取り締まりました。
大正昭和に入ると、治安維持法が布かれ、一切の言論の自由はなくなりました。
最初の英国人の落語家、快楽亭ブラックも、興行先で警察につきまとわれたりして、言いたいことを自由に言えなかったそうです。
だから、1945年までの芸人が政府や体制批判をすることはありませんでした。
戦争前に、芸人が舞台で「今は昭和の中つ頃」と言って警察にとっちめられたという話しもあります。その当時で昭和も半分というと、昭和の世の残りは少ないことになる、それでは天皇陛下に対して不敬であろう、という理由です。
これでは、とてもやって行けませんね。
しかし、最近の芸人はそのような取り締まる法律があるわけでもないのに、「ウーマンラッシュアワー」が取り上げたような話題には一切近づきません。
それも無理のないことで今は国会議員として活躍している山本太郎氏はテレビ番組で原発について批判的に語ったためにテレビ番組を降ろされました。
テレビ局はスポンサーの怒りを買うのを恐れて山本太郎を番組から降ろしたのでしょう。
民間放送はスポンサーあっての商売なので,スポンサーのご機嫌を損ねることを異常に恐れます。実際にスポンサーが怒る以前に自分から引いてしまうのです。
そんな中で今回の「ウーマンラッシュアワー」のまんざいは大げさに言えば、自由民権運動以来初めて社会批判をした演芸、ではないでしょうか。
私の友人で自分自身も大学時代に落語研究会に属して高座名まで持っている男の今回の「ウーマンラッシュアワー」の芸についての批評をのせます。ちょっと辛口ですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
風刺漫画があるように、風刺漫才があっても良いと思います。
大昔は、川上音二郎のオッペケペーなんかがありましたし、アメリカやイギリスには体制批判のコメディアンが数多く居ますので。
ウーマンラッシュアワーの漫才は、色々ある漫才のパターンの一つかと思います。
ここ何年も、若者の笑いの質があまりにも変わってきているので、時次郎としてはTHE MANZAIとかM1グランプリを見ても、ただ大声を出す、ただ派手なアクションをするという漫才の何が面白いのか分かりません。(時次郎は本人の高座名です)
ウーマンラッシュアワーの漫才は、「持ち上げておいて落とす」の繰り返しで笑を取るという、よくある(古典的な)パターンの漫才ですが、そのネタが体制批判というだけかと思います。このパターンの漫才は基本的にウケるので…
① 内容を深く知らなくてもテンポとパターンでウケている若者
② 政治ネタを新鮮と感じてウケているそこそこの知識人
という両方の層を獲得しているのでしょうね。
こういうのは出た頃は新鮮な感じがしてウケるのでしょうが、肝心の演者の中味がないと長続きしません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、「ウーマンラッシュアワー」の今後がどうなるか。
たのしみですね。
私としては久しぶりにお笑い界に興味を抱けてうれしかった。
これも良い読者を持ったおかげです。
「ま」さん、有り難うございました。
2017/12/20 - 親指シフト 前回取り上げた、iPhone Xの顔認証の件ですが、同じような報告がネットにはかなりの数出ていました。
驚いたのは、母親と息子の顔を同一人物と認証してロックを解除したという件です。
ことが、セキュリティの問題なので、これはアップルの失態でしょうね。
それにしても、iPhone が世に出てからわずか10年。この間の社会に与えたiPhoneの影響の大きさはすさまじい物です。
ジョブスは世界を変えました。何十年に一人の天才なのでしょうね。
かつて、ソニーがアップルを買収するなどという噂もありましたが、今となっては大笑いですね。
アップルがソニーを買収するんじゃないかな。いや、ソニーにはそんな価値はもうないか。
ところで、私はコンピューターで文章を書くときに、親指シフトという入力方法を用いています。
しかも、OS9以上では動かない「たまづさ」というワードプロセッサーを使っているので、原稿を書くために、アップルのG5を4台確保して、それぞれにOS10.4をいれ、クラシック環境でOS9を立ち上げています。
その際に使うのが、Reudと言う会社が作った、Rboard Pro for Macという親指入力専門のキーボードで、この、G5, OS10.4, クラシック環境、「たまづさ」、「親指入力」と言う組み合わせがないと、私は、長文の入力ができないのです。
いま、この文章は、OS10.10.4でアップルのキーボードでローマ字入力で書いています。
この、ブログの文章程度なら、ローマ字入力でもまかなえますが、長文となると、親指入力でないとつらい。
その頼みの、Rboardが一週間ほど前に壊れてしまったのです。
予備が手元に届くのが10日ほど先のことになります。
そこであわてて、Rboard なしで、親指入力が出来ない物かとネットを探し回ったら、OyaConvと言う物を見つけました。
(http://oyaconv.jp)
これは説明によれば、OSにもプラットフォームにも依存しないということで、iPhoneや、iPadにも使えるという便利さ。
早速購入の手続きをしました。
さて、一体上手く行くのかどうか心配ですが、「親指シフト」などという特殊な入力方法で物を書く人間のためにこんな機会を作ってくれる人がいるとは夢のようです。
親指シフトをするためには、「NikolaK Pro」と言う物もあります。
これも私は、購入しました。
富士通の親指シフトキーボードFKB-7628-801をアップルでも使えるようにするという、優れものです。
どうしても私は、親指シフトで入力したいのです。
私は原稿はペンでも書きます。
そのために万年筆は50本以上持っています。
原稿用紙は、「ますや」に私ごのみのマス目の原稿用紙を作って貰っています。
ろくでもない物を書くのに道具に凝ってどうする、と嘲笑されるかと思いますが、物を書くのも道具を選ぶのも私の楽しみなので、仕方がないことですよ。
楽しくなければ、物を書くような辛気くさいことしませんよ。
OyaConvの高橋さん、
トリニティーワークスの国府田さん、
助けて頂いて感謝します。親指シフトを、Rboardがなくても出来そうです。
でも、本当はRboard Proが欲しいんですけれどね。
Fujitsuのキーボードでは、入力中の1語抹消が上手く行かなくて、大変に困ります。
何とか出来ると言うことと、快適に出来ると言うこととは違うんです。
どなたか譲ってくれないかな。
2017/12/11 - お久しぶり 木村巴さんの「憤怒」について書いてから、このブログを休んでいました。
6月以来甚だしく体調を壊し、もう死ぬんだろうなと覚悟を決めるほどでした。
ま、私の体調について語っても仕方がない。
どうやら当分死なないようなので、またブログをちょこちょこ書くことにしました。
今年の初めから嫌なことばかりが続き、我が日本国もここまで落ちたかと悲嘆に暮れていますが、まあ、ブログの休み明けですから、今日は面白い話をしましょう。
3日前に、長男がiPhone Xを買いました。
iPhone Xの今回の売りは、顔認証です。
持ち主の顔をiPhone Xに登録すると、当人以外はiPhone Xのロックを外せない、という機能です。
指紋認証より、高度な物だとアップルは宣伝しております。
で、長男はアップルストアで初期設定をして貰うときに自分の顔を登録し、顔認証が働くようにしたのです。
試してみると、私の妻、次女は、長男のiPhone Xを開くことが出来ませんでした。
そこで、私が、「どれ、私にもためさせて」といって、iPhone Xを手に持ち画面をのぞき込むと、ブルブルという振動が手に伝わり、鍵の絵が表れました。すると、どうじに、鍵が外れてしまったのです。
画面を下からスワイプするとアイコンのならんだスタートアップ画面が現れて、iPhone Xを自由に操作することが出来ます。
なんと、このiPhone Xは私の顔を長男の顔と認証してしまったのです。
「こりゃ一体どう言うことだ」と、長男も私も驚きました。
以前イタリアのパルマにパルマハムとパルマのチーズ、パルミジャーノの取材に長男も連れて行きました。
パルマの人間に、「これは私の息子です」と紹介したら、相手の人間は「言われなくても分かります」と言いました。
イタリア人の眼にも私と長男は似て見えるらしい。
私と長男も互いに顔が良く似ていることを承知しています。
しかし、パルマの人間が私達は似ているというのはまだしも、iPhone Xが私と長男を取り間違えるか。
これではならじ、と長男は顔認証の登録を改めました。
すると、iPhone Xは私の顔では、ロックを外さないようになりました。
「ああ、よかった。これで一安心」と一同安堵のため息をつき、次女は「最初の設定の時に、お父さんがiPhone Xをのぞき込んだからじゃないの」などと、初期設定時の過ちと言うことに落ち着きました。
ところが、その翌日、私が、「もう一度確かめてみるか」と長男のiPhone Xを手にすると、ぶるぶるという振動と共にロックが外れてしまうではありませんか。
これには、私達はびっくり仰天。
「冗談じゃないよ」と長男は、再び顔認証の登録をし直しました。
私の顔では認証しないようになりました。
もうこれで大丈夫と思いました。
それなのにです、今日になって、またiPhone Xは私の顔認証でロックを外してしまうではありませんか。
iPhone Xは夜の間に、色々と反省するようです。
私の顔を認証しないと、ぶっ壊される、などと怯えたのではないでしょうか。
今日になって、長男は「これはこれで面白いから、このまま取っておこう」といって、顔認証の再登録を止めました。
iPhone Xはアップルの技術の粋を集めた物のはず。
それが、長男と私の顔を見分けられないとは、どう言うことなんでしょうか。
長男と私は似過ぎているのでしょうか。
長男と私は現代のIT技術も敵わない超人的な存在なのだな、きっと。
明日、長男のiPhone Xはまた私の顔認証でロックを外すだろうか。
毎日楽しみです。
アップルにとっては悪夢かな。
2017/05/27 - 横尾忠則作品展と木村巴個展 5月12日に私は、町田の町田市立国際版画美術館に横尾忠則の作品展を見に行きました。
私は、この町田市立国際版画美術館には感動しました。
版画専門の美術館というのは、私は初めて見ました。
この美術館には、版画の制作を教える教室と設備があり、そこで実際に版画造りを学び、版画の制作も出来るのです。
シドニーで昔の版画や、映画のポスターを蒐集してそれを売って生計を立てている人物と私の長男は懇意にしていますが、「あの男が、この版画美術館を見たら狂喜するよ」と長男は言いました。
横尾忠則の作品には1960年代に初めて出会ってその度外れた感覚に驚嘆しました。このような感覚を持ち、それをこのように表現できる人間がいるとは信じられないことでした。
それまでの、美術に関する意識をひっくり返したと言って良いのではないでしょうか。
イラストレーションも、ポスターも、版画も、それまでになかった世界を我々の目の前に繰り広げて、私などはただただ圧倒されました。
それから50年も経ちましたが、横尾忠則はいまだに現役で、ますます感性を鋭く研ぎ続け何事にもとらわれず、自分の表現したい物を発表し続けています。
今回、町田市立国際版画美術館で、横尾忠則の作品を、一挙に数百点目にすることが出来ました。
美術館の一室で、横尾忠則の作品に囲まれてソファに座っているとなにかとんでもない世界に入り込んだような異様な興奮に体全体が包まれる、嘗て味わったことのない感覚に包まれて、この世に生きていることを忘れることが出来ました。
横尾忠則は、正真正銘の天才です。
私は横尾忠則の作品群に囲まれた時間を過ごすことが出来たのはこの上もない幸運だったと思っています。
町田市立国際版画美術館は大変に立派な建物ですが、その一階に「市民展示室」があります。
そこでは、版画に限らず、市に在住の美術家の作品を展示しているのです。
この町田市立国際版画美術館の素晴らしさは、版画に題材を限らずに「市民展示室」を設けていることです。
今回、私はその「市民展示室」で、今まで全く知らずにいた素晴らしい画家と出会いました。
当日は、画家、木村 巴の第4回個展が開かれていました。
画風は、最近では余り見ない写実派で、それも繊細だが色使いが豊かな画風で、題材は、子供、若い女性、現代の風俗、それに静物などで、生きる喜びと幸福を見る人に与えたいという画家の意志が横溢しているものでした。
その画の世界は穏やかで、横尾忠則の刺激にあふれた作品を見てきた目には平和で、ゆったりとした物に見えました
しかし、作品群の後半に至って、それまでの穏やかで豊かな世界が一変するのです。
「憤怒Ⅰ」「憤怒Ⅱ」「憤怒Ⅲ」「憤怒Ⅳ」
の連作がそれです。
この個展では、作品の図録が一枚の紙の裏表に作品を縮刷した物だけで、それだけではこの「憤怒」の連作の内容がよく分かりません。
ちょうどそこに、数人の女性がやってきて、なにか話し合っていたので私はこの女性達は展覧会の関係者であろうと見当を付け、写真撮影の許可を得た所、いかにも責任者といった感じの女性が「構いませんよ、どんどん撮ってください」と許可を与えてくれました。
あとで、その女性が当の木村巴氏であること確認しました。
撮影を許可してくださったからには、その写真をこのページに掲載することも許可して頂いたと勝手に解釈し、ここに掲載します。
(木村巴様、ご迷惑であれば仰言って下さい。直ちに画は削除します。)
まずは画を見て頂きましょう。(画はクリックすると大きくなります)
憤怒Ⅰ
憤怒Ⅱ
憤怒Ⅲ
憤怒Ⅳ
この「憤怒」の連作は、50歳過ぎと思われる一人の男性が、四角形の小部屋の壁に新聞の切り抜きを貼って行く過程を描いています。一体どんな切り抜きを貼っているのか。
新聞の切り抜きを拡大してみます。
「憤怒Ⅰの切り抜き1」
「憤怒Ⅰの切り抜き2」
「憤怒Ⅰの切り抜き3」
「憤怒Ⅰの切り抜き4」
「憤怒Ⅱの切り抜き1」
「憤怒Ⅱの切り抜き2」
「憤怒Ⅲの切り抜き1」
「憤怒Ⅲの切り抜き2」
と、こう見てみるとこの男性の興味の対象は、沖縄、原発、平和問題にあるようです。
「憤怒Ⅱ」からは画面にテレビが描かれ、テレビの画面には政治家、不祥事を謝罪する企業の人間、国会審議の様子、首相とおぼしき人物が映っているようです。
「憤怒Ⅰ」から「憤怒Ⅳ」を通してみると、沖縄の米軍基地の縮小・アメリカ領土への移転とは反対の方向に進み、原発も廃炉どころか再稼働が続き、使用済み核燃料の処理の目途も立たず、さらに日本を戦争の出来る国にする安保法案の可決、など、沖縄、原発、平和問題は安倍晋三首相とその周辺のお仲間達(一番強力なのはアメリカでしょうが)によって、この連作に描かれている男性の望まない方向に進んでいます。
それで題名が「憤怒」なのでしょう。
私も安倍晋三が首相になって以来のこの日本の社会の余りの変わり方に激しい怒りを覚えています。
ちょうどそこに、この「憤怒」の連作を見て目のくらむような思いをしました。
「そうか、このような異議申し立ての方法があったのか」「画の力は凄い」と心を打たれました。
「憤怒Ⅰ」で、この男性の眼が見えます。男性の容貌が一部でも描かれているのはこの一枚だけです。
「憤怒Ⅱ」「憤怒Ⅲ」では後ろ姿だけ、「憤怒Ⅳ」では両手で顔を覆っています。
男性が着ているのは作務衣であろうと思われます。
「憤怒Ⅱ」では逞しいふくらはぎが描かれ、手は指先まで全て力がみなぎっていてその男性の強い意思を表しています。
「憤怒Ⅰ」から「憤怒Ⅲ」まで、壁面に貼られる新聞の切り抜きは増えていき、「憤怒Ⅲ」で壁面全部が覆われてしまいます。
男性の怒りがますます強くなっていくことが描かれています。
しかし、「憤怒Ⅳ」になると、その壁面を覆う新聞の紙が赤茶けて記事は白地で書かれています。
これは長い時間が経って新聞紙も赤茶けてしまったことを表すのか、この男性の絶望的な悲嘆を表すのか。
「憤怒Ⅳ」で、この男性は両手で顔を覆っています。
「憤怒Ⅳ」と画題が付けられているからには、この男性は絶望せずに怒り続けているのだと思います。
ではこの男性の怒りは、この絵の中では誰に向けられているのか。
それは、これだけ次から次へ日本を破滅に導くように仕掛け続けている勢力に対して何の反抗もせずに、牧羊犬に追われる羊のように、何の抵抗もせず列も乱さずに黙々と屠場に向かって歩いている日本の社会全体に対してではないでしょうか。新聞紙の色が赤茶けるほどの時間が経つというのに何も行動を起こそうとしないこの社会の人々に対する絶望と怒りがこの絵には描かれていると思います。
或いは、画家はこの男性の怒りを強烈に表すために紙面を赤茶にしたのかも知れません
「憤怒Ⅰ」から「憤怒Ⅲ」までのこの男性の怒りは、このような社会を作り上げようとしている勢力に対して向けられていましたが、この「憤怒Ⅳ」に至り、この男性の怒りは、この絵を見る私達に向かって噴出しているのです。「貴方は、日本がこんな状態になるのを見ていて一体何をしていたんだ。この社会が良いと思うのか。日本をこんな社会にしたのは、他の誰でもない、あなた達なんだぞ」
私はそう受取りました。
この「憤怒」連作では、この男性の顔は描かれません。
その代わりに、仕掛けがあります。
「憤怒Ⅰ」「憤怒Ⅲ」「憤怒Ⅳ」には、茶虎のふっくらとした毛並みの猫が描かれています。
「憤怒Ⅰ」と「憤怒Ⅲ」では、猫はお腹を出してのんびりくつろいでいるような格好をしています。しかし、この猫はただ者ではありません。
見て下さい。
「憤怒Ⅰの猫」
「憤怒Ⅲの猫」
この猫の目を見て下さい。
画を見る私達をにらんでいます。この猫の目から放たれる力。
これは、連作の中でついに顔を見せなかったこの男性の目の力ではありませんか。
そして「憤怒Ⅳ」では、猫は部屋の外に出ています。
「憤怒Ⅳの猫」
猫が部屋の外に出てしまったのは、この男性の絶望的な怒りの表現ではないでしょうか。こんな社会はいやだ、許せない、だから猫は外に出た。
しかし、窓枠にしっかりしがみついてこの社会に安穏としている私達に、これで良いのかと問いを発している。
この猫の目を見て下さい。非常に恐ろし目で私達をにらんでいます。
この連作では卓の上のコップが倒れて水が流れ出すところが必ず描かれています。それも、怒りの表現なのでしょう。
しかし、この猫の目の力には私は参ってしまいました。
まさに「憤怒」の目です。私達の怠慢、卑怯、堕落に対する「憤怒」です。
木村巴のこの「憤怒」の連作、必ず何処かで見て下さい。
2017/05/05 - 福島で森林火災・強風により放射性物質飛散中 私の大学での一期先輩の福島肇さんに以下のようなメールを頂きました。
大変に重要な内容なので、このページに載せたいとお願いしたら快諾してくれて、どんどん拡散してくれと仰言いましたので、以下にそのメールの内容を転載します。
読んで頂ければ分かりますが、このメールは、最初に元東京電力社員の一井唯史さんが発信され、それが、「しろい・九条の会」の堀沢さん、「ふなばしネット」の吉沢さんと転送され、それを、私の大学の一期先輩であり、「柏崎刈羽・科学者の会」の一員である福島肇さんから私に送られて来たのです。
私が最後に福島に行ったのは2015年の12月です。
その時に、県内の至る所に放射線汚染廃棄物が詰め込まれたフレコンバッグというプラスティックの袋が並んでいるのを見て寒気がしました。飯舘村では田の土を入れ替えていました。
汚染物質を簡易なフレコンバッグにつめて並べ、土を入れ替えればそれで汚染除去が出来てその土地が安全になったから、住民に元の土地に帰還しろ、と政府は迫っています。
その安全基準も、福島第一原発事故以前は年間1ミリ・シーベルトだったのを、20ミリ・シーベルトに無理矢理に引き上げたものです。
しかし、当時から言われていたことですが、土地の除染をしても風が吹いて周りの森林から放射性物質が舞いおりてきたら、元の木阿弥になるのです。
福島第一原発の事故の際に放出された物質は当然森林にも大量に舞いおりています。
しかし、森林まで除染活動は行えず、大量に放射性物質が蓄積された森林は手つかずのままなのです。
風が吹いても、雨が降っても森林からの放射性物質は周囲の土地を汚染します。
福島県の森林は県全体の国土の70.8パーセントを占めています。(2012年、林野庁の調査による)
福島の70パーセントの森林地帯では除染も何も出来ません。
森林地帯の放射性物質をそのままにして、除染も何もあった物ではありません。
その福島最大の放射性物質貯蔵庫とも言える森林が火事なったらどうなるでしょう。
放射性物質が舞い上がり、2011年3月11日の福島第一原発の事故当時と同じように、放射性物質が周辺各地に降り注ぐのです。
あの恐怖を私達はまた味わうのです。
今回私が転送するのは、その森林火災が、しかも大規模な森林火災が福島で起こったことを伝えるものです。
日本テレビ系、NHKでは伝えましたが、社会的に大きな反響はありません。
このメールの中で一井唯史さんは次のように書いています、
「仲の良い人、自分の大切な人に知らせてください。話した人に嫌な顔されたら、そうだね、放射能バカが、未だにウザイこと言ってるよね、と同調して嫌な思いをしないようにしてください。話のわかる人は、今出来るベストを尽くして、自分の身は自分で守りましょう。
目に見えませんが油断をしないほうが良いと思います。」
一井唯史さんは、これまでに、放射能の危険性を語るたびに政府の言うことをそのまま信じている人によってずいぶん嫌な思いをされたのだと思います。
私も、40年来のつきあいのある人に福島第一原発の危険性について語ったらその人間は、「あら、政府が安全なように、いいようにやってくれているから心配する必要はないんじゃないの」と言われて、本当にげんなりしたことがあります。
ただ、私はそのような人は説得出来ないまでも、一応説くべきところは説くべきだと思います。
「話した人に嫌な顔されたら、そうだね、放射能バカが、未だにウザいこと言ってるよね、と同調して嫌な思いをしないようにしてください。」
と言う所は、私と意見の異なる所です。
私は、放射能の危険性について語ると嫌な顔をする人に会ったら、「いちおう、僕の知っていることを伝えるよ、それをどう取ろうと貴方の勝手です」
と言って、私の知っていることを語ります。
最初から投げ出さずに、知っていることを語っておけばその人間もいつか「あ、そういえば」と考えてくれるかも知れないし、「仲の良い人、自分の大切な人」以外は「話しても仕方がない」と見捨てることは私はしません。
「一応話だけは聞いてくれますか」と言って、承諾したら私の考えを述べます。
一井さんは「そんなこと、さんざんしましたよ」とおっしゃるかも知れません。
ここのところは、本当に厳しい所ですね。
一井さんのこれまでのご苦労がどれほどのものだったか偲ばれます。
私は一井さんを批判しているわけではありません。
私の話を聞くことを承諾しない人、頭から馬鹿にしてかかる人には、私も何も語ったり働きかけたりしませんから。
ただ、相手に同調することだけはしません。
うんざりして、話を変えたり、その場を立ち去ったりしますが。
では、メールを転送します。
福島肇さんによれば、拡散自由、と言うことです。
このメールを多くの人に知らせたいと思う方はどんどん拡散して下さい。
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皆さま
下記、メールが送られて来ましたので、転送致します。
「除染できた」などと言っても、森林などは手つかずという当たり前の現実が、改めて浮き彫りになりました。
そして、森林からの放射性物質の飛散の可能性も。
2017年5月2日 福島 肇
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ふなばしネットの皆さま
福島での森林火災=放射性物質飛散の情報です。
吉沢弘志
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Original Message----- From: Michio Horisawa
(しろい・九条の会) 【緊急連絡】福島原発事故帰宅困難区域で森林火災。5月1日現在、強風により放射性物質飛散中。
皆さん 堀澤です。
福島での森林火災転送メールです。風向きにご注意ください。
【緊急連絡】福島原発事故帰宅困難区域で森林火災。5月1日現在、強風により放射性物質飛散中。
【緊急連絡】福島原発事故帰宅困難区域で森林火災。5月1日現在、強風により
放射性物質飛散中。
東京電力で賠償を担当していた元東京電力社員の一井唯史さんから、緊急連絡です。
⇒ https://goo.gl/TO3sGG
4月29日午後、福島原発事故の帰宅困難区域の森林で火災が起き、強風により山林の7万平方メートル以上が延焼し、燃えています。ほとんどの方が福島で起きたこと、対岸の火事と思っているようですが、風により福島原発事故爆発時は関東甲信越、静岡、愛知の東側まで飛散しています。福島だけが汚染されたわけではないのです。今もなお火災は継続しており、30日の消火活動は日没とともに打ち切られ、5月1日午前5時過ぎから、再び、ヘリコプターで消火が行われる予定です。
私(一井唯史)は、退職に追い込まれた東京電力で、賠償を担当して色々な事を見てきました。残念ながら森林は除染が出来ていません。帰宅困難になるほど放射能汚染の激しい地域で山火事が起きれば、高濃度の放射性物質を取り込んだ木々が燃え、高濃度の放射性物質が飛散してしまいます。春先は関東にも花粉が飛ぶように飛んできます。3・11の時は、水が汚染されたことも人は、なぜか、すぐに忘れてしまうものです。
1日経った4月30日もまだ燃えており、5月1日以降も消火活動が行われる予定です。被曝に晒される期間は、現時点から鎮火後3〜4日間程度です。多くの放射性物質が飛散し、より長く被曝にさらされる恐れがあるため、要注意です。
3・11の原発事故時は、南関東を汚染し、そして北関東、東北に戻り、途中雨の降った地域は高濃度に汚染されました。東北関東甲信越、静岡、愛知の人は、最低限、以下の対策をオススメします。
○無駄に内部被曝しないように換気はしない
○外出時は2重マスク
○家庭菜園はしばらくビニールシートを被せて対応する(ビニールシートを外す時は完全防備しましょう)
○雨が降った時は必ず傘をさす
○一週間くらい、毎日、朝昼晩、味噌汁を飲む(わかめの味噌汁がベスト、味噌は半年以上熟成されたもの)
○子供のいる家庭は特に、水を買っておく
仲の良い人、自分の大切な人に知らせてください。
話した人に嫌な顔されたら、そうだね、放射能バカが、未だにウザいこと言ってるよね、と同調して嫌な思いをしないようにしてください。話のわかる人は、今出来るベストを尽くして、自分の身は自分で守りましょう。
目に見えませんが油断をしないほうが良いと思います。
【ヤフーニュース】
浪江町で山林火災 人立ち入れず自衛隊出動
日本テレビ系(NNN) 4/30(日) 17:15配信
http://www.news24.jp/articles/2017/04/30/07360283.html?cx_recsclick=0
福島第一原発の事故で人が立ち入れない福島県浪江町の山林で火災が発生し、自衛隊などが消火活動にあたっている。山林火災が発生したのは、浪江町の十万山。福島第一原発の事故で帰還困難区域に指定される場所で、29日午後に町の防犯見守り隊から通報があった。
防災ヘリなどが出動して消火活動にあたり、一時、鎮圧状態となったが、強風にあおられて再び燃え広がった。福島県によるとこの火災でけが人はいないが、既に山林の7万平方メートル以上が延焼したという。現場は原発事故後、長期間、人が立ち入っていない場所で、地上からは近づくことができず、県は自衛隊や隣県にも防災ヘリの出動を要請し消火活動を続けている。
【続報】<浪江町帰還困難区域の山火事続く>
(NHK福島 NEWS WEB)
福島放送局 04月30日 19時30分
http://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/6053055011.html
原発事故による帰還困難区域となっている浪江町の山林から、4月29日夕方、火が出て、少なくとも10ヘクタールが焼け、丸1日が経った今も燃え続けています。人や建物に被害は出ていませんが、福島県は自衛隊に災害派遣を要請し、5月1日、あらためてヘリコプターでの消火活動が行われる予定です。
4月29日午後4時半ごろ、浪江町井出の山林から「煙が上がっている」と消防に通報があり、福島県や宮城県などのヘリコプターが4月30日朝早くから、消火にあたりました。火は、30日午前7時半すぎにいったん、ほぼ消し止められたものの、強風で再び勢いを増し、さらに燃え広がったため、福島県は30日正午、自衛隊に災害派遣を要請し、ともにヘリコプターで消火作業にあたりました。
出火から丸1日余りがたった30日午後5時現在、少なくとも10ヘクタールの山林が焼けたということですが、人や建物への被害は出ていないということです。30日の消火活動は日没とともに打ち切られましたが、福島県などは5月1日午前5時過ぎから、再び、ヘリコプターで消火を行う予定です。現場は、原発事故の影響で放射線量が比較的高い帰還困難区域で、出火した時間帯には、浪江町のほかの場所でも雷によるとみられる火事が起きていたことなどから、警察は、落雷が原因の山火事とみて調べています。
2017/05/04 - 金曜日の国会デモ 4月28日、小学校の同級生二人と私、それぞれの配偶者もいっしょに、金曜日の国会正門前のデモに参加しました。
当日、私の家から東京まで二つの交通事故のせいで異常に道が渋滞しており、原宿まで2時間45分以上かかり、そこからタクシーで国会前に行ったのですが、私は間違えて国会議事堂裏門でおりてしまいました。
そこは、総理大臣官邸の前で、そこでもデモ隊が太鼓を叩いて安倍晋三首相に対する抗議を行っていたので、これだ、と思ってタクシーをおりてしまったのです。
そこで友人に電話をかけたら、そこは国会議事堂の裏門だ、というので慌てて正門前まで歩いて行きました。
その途中にも、色々な集団がデモをしていました。
国会議事堂正門で友人たちと合流できたのは、すでに夜の7時でした。
友人たちによれば、これからデモに参加する人が増えると言うことでしたが、前もって折角三組の夫婦がそろうのだから、食事をしようということになっており、そのための店も予約してあり、7時30分前にデモから離れました。
結局、デモに参加していたのは25分ほどで、これではデモを見学に行っただけという不真面目なことになってしまいました。
しかし、国会議事堂裏門、総理官邸前から、国家議事堂正門前まで、様々なデモを見て、状況を理解することが出来ました。
決定的なのは参加人数が少ないと言うことです。
安倍晋三首相と政府に対する抗議のデモとしては、あれだけでは、あの厚顔無恥の安倍晋三首相とその仲間たちには蛙の面に小便でしかありません。
韓国の朴大統領を倒したのは連日にわたる10万人規模の市民によるデモでした。去年11月には100万人が集ったデモもありました。(AFPによる)
しかも、同時に朴大統領の支持率も激しく低下し、矢張り、去年の11月には、支持率は5パーセント、特に20代の支持率が0となりました。(聯合ニュースによる)
一方、安倍晋三内閣の支持率は森友学園問題の後も60パーセントを超えています。
こういう状況では、金曜日デモに人が集まるわけがないと思います。
金曜日デモは反原発のデモですが、原発に関することの根幹は電力会社ではなく、国家の経済戦略に関することなので、内閣と国会に抗議デモするしかありません。
安倍晋三首相になってから、福島第一原発の事故にも拘わらず、すでに再稼働を開始した原発が、川内1,2号機、伊方3号機、高浜3号機、さらに5月から再稼働予定の高浜4号機、さらには玄海原発も、今年の夏には再稼働します。
日本の三権分立(立法権「国会」、行政権「内閣」、司法権「裁判所」)は遙か昔に画に描いた餅になっていましたが、安倍晋三内閣になってから、画にも描けないものとなってしまい、とくに裁判所(裁判官)の内閣隷従が甚だしくなり、どのような形であれ既存勢力の利益に反することは、裁判官の「忖度」によるのかも知れないが、常に既存勢力に有利な判決になることが極めて多いのです。
原発再稼働にしてもそうです。
関西電力の高浜原発3,4号機については2016年3月に大津地裁が運転停止を命じたにもかからず、2017年の3月28日に、大阪高裁で再稼働が認められました。
大津地裁の判事は、原発の運転に関して司法の独立を物語るように、原発がもたらす人的な被害、そもそもの原子力規制基準を問題にして判断を下しました。
一方の大阪高裁は司法としての責任を果たさず、「原子力規制委員会の新規制基準に合っている」からと、内閣の言うとおりのことを言っています。
そもそも、「原子力規制委員会」は原子力村の御用学者が過半数を占めるように作られているのがその正体ではありませんか。
今の安倍晋三内閣は司法をも動かしています。
だから、反原発は反安倍晋三内閣にならざるを得ないのです。
そうなると、安倍晋三内閣を支持する人達は原発稼働を支持することになり、反原発の金曜日デモに参加することはなくなることになります。
安倍晋三首相内閣の支持率が60パーセントを超えると言うことは、単純に計算すれば、この日本の社会は原発再稼働に60パーセント以上の人が合意していることになりませんか。
安倍晋三首相内閣の指示と、原発再稼働に対する支持は別物だ、と言う訳には行きません。
安倍晋三首相内閣の福島の人達に対する気持ちも60パーセント以上の人が、もはやまともに考えていないと言うことになりませんか。
福島についても人々の意識は薄れていると思います。
今村復興大臣が「自主避難は自己責任」と言った段階では、問題になりこそすれ、辞任を求める声は強くはありませんでした。
今村復興大臣が、首が繋がったと安心したのか自派の会合でうっかり「これはまだ東北ですね、あっちの方だから良かった」と口を滑らせて初めて、安倍晋三首相も今村復興大臣を首にしました。
このように、「自主避難は自己責任」というすさまじい発言をした段階では見のがそうというのがこの社会の「空気」でした。
私は今村復興大臣のその言葉を聞いたとき血が逆流するような激しい怒りを覚えたのですが、世間様がその言葉を見のがすのを目の当たりにして絶望感に襲われました。
東京電力の責任は原子力発電を推進してきた政府の責任です。
さらに、福島第一原発の事故以後に原発再稼働を進めている政府の原発に対する責任は大きい。
福島の人々に対する責任は東京電力と政府が負うべきです。
その、当事者である安倍晋三内閣の大臣が、被害者である福島の人々に対してなんということを言うのか、と思いました。
しかし、新聞もテレビも今村復興大臣を批判はしましたが、その責任を厳しく問うことはしないと感じました。
最近の新聞テレビの報道は問題を深く考えようとしないように気を配っているとしか思えません。
森友学園問題でみんなが言うようになった「忖度」が日本の社会を包み込んでいるのではないでしょうか。
「忖度」とは妙に上品な言葉ですが、今の日本の社会の実際は「忖度」ではなく、「自発的隷従」と言うべきだと思います。(この「自発的隷従」については以前このページでエティエンヌ・ド・ラ・ボエシの「自発的隷従論」について書いていますので、そのページをお読み下さい。)
一体自発的隷従とはなにか、私がこのページに以前書いたことをここに、再度掲載しまします。
「自発的隷従論」 エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ(Etienne de la Boétie)著、(山上浩嗣訳 西谷修監修 ちくま学芸文庫 2013年刊)からの引用です。最後のP011と言うのは、同書の私の引用した個所のページ数です。
「私は、これほど多くの人、村、町、そして国が、しばしばただ一人の圧制者を耐え忍ぶなどということがありうるのはどうしてなのか、それを理解したいのである。その圧制者の力は人々が自分からその圧制者に与えている力に他ならないのであり、その圧制者が人々を害することが出来るのは、みながそれを好んで耐え忍んでいるからに他ならない。その圧制者に反抗するよりも苦しめられることを望まないかぎり、その圧制者は人々にいかなる悪をなすこともできないだろう。(P011)」
この文章は今の日本の状態をそのまま示しているものと私は思います。
安倍晋三首相とその仲間達のこのひどい圧制にどうして日本人は耐えているのか。
それこそが「自発的隷従」であると私は思います。
もう一つの答えは福沢諭吉の言葉にあります。
1889年に書いた「日本国会縁起」の中で福沢諭吉は次のように言っています。
「日本人の性質を良く評価すれば順良といい、悪く評価すれば卑屈である。」
「良く目上の人間の命令に服し、習慣規則にしたがって自然に活動して、安寧を維持して艱難に堪えることは我が日本国人の特色」
この福沢諭吉の言葉と、ラ・ボエシの「自発的隷従論」を合わせれば今の日本の社会がどんな物かよく分かるのではないでしょうか。
安倍晋三首相とその仲間も暴力を振るって無理矢理今の権力の座についたわけではありません。
民主主義的な選挙によって、国民が自分で選んだ人達です。
金曜日の国会デモの現状について考えると、こんな結論に達したのです。
金曜日の国会デモにもっと多くの人々が参加して載きたい。
私は、安倍晋三内閣を支持する60パーセントの人達に尋ねたいのです。
いつまで、「自発的隷従」を続けるつもりなのですか。
福島の人達が避難移住するのを助けようとしないのですか。
権力者の言うなりになり、同じ国民で困っている人を見捨てる、これが日本人なのですか。
2017/05/01 - 富士スピードウェイ 75歳デビュー 4月22日、富士スピードウェイで走ってきました。75歳でレーシング・コース・デビューです。
去年スバルWRX S4を手に入れて以来、WRXのすごさに心揺さぶられ、この車の真価を知りたいと思って、なんとか何処かの本格的なサーキットで走って見ることを願い続けてきたのですが、「美味しんぼ」の取材でいつも協力してくれているカメラマンの安井敏雄さんが助けてくれてその願いが実現したのです。
PRO-iZという会社が富士スピードウェイの走行会を主催し、その走行会に参加すれば、富士スピードウェイを走ることが出来ることを安井敏雄さんが見つけてくれました。
現在小学館から発売中の「魯山人と美味しんぼ」の写真は全て安井敏雄さんの撮影になるものです。その写真を見て頂くと、安井敏雄さんがそんじょそこらのカメラマンとは格が違うことをおわかり頂けると思います。
安井敏雄さんは凄腕のカメラマンであると同時に、自動車のメカニックに大変に詳しく、自分の車もチューンナップしてしまうほどの技術を持っています。
その安井敏雄さんが自分も走ってみたいと言うことで、今回私は助けて頂きました。
富士スピードウェイで走ると言っても、これには私が最初考えもしなかった、色々な準備が必要でした。
車体自体について言えば、タイアがレーシング仕様であること、ブレーキパッドがレーシング仕様であること、シートベルトが4点支持のものであること、オイルが高速走行でエンジンを酷使するために特別のものあること。
こんなことは、サーキットで走る人は当然知っているべきことですが、私はよく分かっていませんでした。
さらに、私のかけている車両保険が通常の道路を走行すると言う条件のものでレーシングコースでは通用しないであるので、万一を考えたらレーシングコースでも有効である保険をかけなければならない。
さらに、靴の問題もありました。
私は六歳の時に股関節結核を患った結果右脚が左よりも18センチほど短い。その差を補うために、私の亡くなった母と奥沢のキング堂靴店の前店主の二人が考え試して作ってくれた特別製の靴を履いています。(奥沢キング堂靴店の当代の店主も引き続き作ってくれています。キング堂さんには二代にわたり何と60年ほどお世話になっていることになります。私がこれまで日常生活を送ることが出来たのもキング堂さんのおかげなのです。先代、当代と、キング堂店主のご恩を忘れたことはありません。)
私は普通の日常生活で車を運転するときには、右足に運転用の靴を履き左足にはキング堂さんに作って載いている靴を履いていますが、その革で作った靴は大きすぎて、普通の道路なら良いがレーシングコースを運転するのには適さないと言うことで、生まれて初めてバスケットシューズを買いました。
この、バスケットシューズのはいた感じはいつもの革製の靴とは重さも柔軟性もまるで違い、大変感激しました。
と言ってもバスケットシューズやスニーカーは私のふだんの生活では使えません。私の日常を支えてくれるためには足元をしっかり固める強さが靴には要求されます。力がなく、長さも短い右脚を助けて私の体を支えるためには、重さがあって踵から足首まで私の体重をしっかり受け止める力がなくてはならないのです。
私のような環境にある人間としては、スニーカーの類では歩くことが出来ないのです。
そんな訳なのでバスケットシューズは4月22日1日だけの心地よさを残して私の前から消えました。
まあ、そんな色々の準備を整えて富士スピードウェイに行ったのです。
午前7時から登録、午前8時からドライバーズ・ミーティング。
プロのドライバー二人が、スピードウェイのコースの図面を前に色々と説明をしてくれました。
注意点として強調していたことは、接触事故が多いと言うこと。
スピードの速い車が前の車を追い抜こうとすると、前の車が頑張ってスピードを上げて、そのために外側に膨らみ、そこで追い抜こうとした車と接触する例が多い。
「今日ここに集まっている人の何人かは車を壊すでしょう。どうか、車をいたわってやってください。」とドライバーの一人は言いました。
前もって電話で色々な情報を伺ったときも、主催者の方から「1回30分で1人2回まで回れますが、非常にブレーキを酷使するので、合わせて1時間走ると、すり減ってしまって危険な状態になります。車をいたわってやってください。」と言われました。
この「車をいたわる」という言葉は初めて聞きました。
その言葉だけで、富士スピードウェイがとんでもない所なのだということが分かります。車をいたわるとは、運転する人間自身をいたわると言うことです。
言葉としては大変に良い言葉ですが、ドライバーズ・ミーティングの際にその言葉を聞いた時には、「これは、どうも、とんでもない世界に入り込んでしまった」と感じました。
私達走行会に参加する人間はコースの外にある駐車場に自分の持ってきた車を停めます。
そこで、車に乗せてきた全ての物を取り出します。
普通、車のトランクの中にも扉の内側の物入れにも様々なものが入っています(ご自分の車のことを考えて下さい)。
その全てを取り出して、どの車にもついている、車がパンクなどしたときに使う予備のための普通より一回り小さいタイアまで取り外して、(昔は普通サイズのタイアがついて来たのですが、30年くらい前にアメリカでレンタカーをしたら、その車に直近のガソリンスタンドまで3㎞以上走れれば良いという臨時の小さなタイアがついているのを見て驚いたことがあります。しかし、いつの間にかその一回り小さなタイアが世界的に共通になってしまったんですね。若い人はこんなことは知らずにこれが普通だと思っているでしょう。老人の愚痴ですねこれは)、全ての物を車の後ろに置きます。
私も、S4の中身を空っぽにしました。トランクから両側の物入れまで、まあよくぞこんなに入れて走っていたものだと、我ながらあきれるほど、様々なものが出てきました。こんなものを詰め込んでいてはスピードウェイは走れませんよ。
このような準備も安井敏雄さんのお助けを借りました。
私の妻は今回の私の富士スピードウェイ・デビューは「安井敏雄さんに助けられた大名レーシングじゃないの」と言いました。その通りです。最初から最後まで安井敏雄さんのおかげです。
準備が出来て、コースに出る時間になりました。
最初の一周は、助手席に安井敏雄さんに乗っていただき、このコースで運転をする上での助言をお願いしました。
当日の走行会は三つのグループに分けられていて、1グループは熟練者で、富士スピードウェイをすでに何度も走っているだけでなく、良いタイムを出している人、2グループは1グループに次ぐ腕前の人、そして私は初心者のグループ、3グループに入りました。
コースに出るためにはまずピットに入らなければなりません。
駐車場からピットの入り口まで、私達3グループの人間は三列に並びました。
ここで、思わぬ事故が起こりました。
それぞれ準備を整えた車が、ピットに入る合図が出されるのを待って、緊張しています。
その時、私の車の三台前、私の列の先頭の車(メーカーはどこか確かめられませんでした)が突然後退をし始めたのです。
その後ろのマツダのRX7 が驚いてクラクションを鳴らしました。
それで、私達も,先頭の車が後退し始めていることを知りました。
私も、安井敏雄さんも、「わ、わ、何をするんだ」と声を出してしまいました。先頭の車は背後の車がクラクションを鳴らしているのにも気づかず後退し続け、ついに後ろの車にぶつけてしまいました。(並んでいる車同士の間の距離はそれぞれ2メートルはあったと思います)
ぶつけてから驚いて運転席から出て来た男性は、自分でも何が起こったのか分からない、という呆然とした表情で、言葉も出ないようでした。
マツダの車の男性が出て来て、二人で話し合いを始めました。
そこに、ドライバーズ・ミーティングの際に色々な注意を与えてくれたプロ・ドライバーが出て来て、二人に、なにか説明をし始めました。
事故処理会社とか損保会社とか、いう言葉を断片的に聞きました。
後退速度が緩やかだったので、車自体に大した損傷はなさそうですが、だからと言ってきちんと確かめずにそのままコースに出すわけには行かないでしょう。
更に二人の精神状態も問題です。
ぶつけた方もぶつけられた方も、その時点では平静とは言い難い。
その精神状態でコースに出るのは問題でしょう。
そこまで準備を整えてきたのに、その二人は、少なくとも2回走ることの出来るその最初の回はコースに出ることが出来ませんでした。
合図が出て、3列並んだ外の列から順番にピットに入っていきます。
私達3列目の人間は、衝突した先頭とその後ろの車をよけて、2列目の最後尾に続いてピットに入っていきました。
私達3グループは衝突した2台を除いて41台。
出走前の緊張感は今までに経験したことのないものです。正直に言って怖くなりました。
やがて、ピットからコースに出る合図の信号が緑になり、先頭から順番にコースに出ていきます。ピットからコースへの出口は正面スタンドの直線が終わるちょっと前です。
少し走るとすぐに右回りのカーブになります。
最初の一周は、ピットに並んだ車列のまま走る決まりになっています。前の車を追い抜くことは出来ません。コースの下見のための走行です。
この第一周から、本物のレーシングコースのすごさに私は肝を潰してしまいました。
富士スピードウェイは全体としては右回りのコースですが、スタンド前の直線を抜けると、あとは右に左にカーブが続きます。
このカーブがくせ者で、同じカーブでも平面上にあれば良いのですが、富士スピードウェイの立地からして、山道を登ったり下ったりしながらの厳しいカーブです。
道幅は広くて走りやすいと言いますが、上ったり下ったりのカーブでは、カーブ全体の形が分からない。前方がどうなっているか見えないのです。
前方がどうなっているかよく分からないというのは、本当に怖い。
前々から、youtubeの富士スピードウェイの走行動画を何本も見て、富士スピードウェイのコースはどうなっているか理解したつもりだったのですが、それは甚だしく愚かなことで、実際はコンピューターの画面からは肝心なことはつかみ取れる訳がなかったのです。
あとで、プロのドライバーに、コースがよく分からなくて怖かったと言ったら、ドライバーは笑って、「1年に2、3回走って3年も通えば分かるようになりますよ。1年走ったくらいで富士スピードウェイが分かったと言われたら、私達プロのドライバーの立場がありません」と言いました。
それでは、最初の回でコースが分からないと言ってもそれは仕方がないことだと納得しました。
youtubeを見ると、上手な人は富士スピードウェイを1周するのに1分30秒以内で走っています。1分15秒という人の画像もアップされています。
そんなこと、冗談じゃない。私は、1周するのに、敢えて正しい数値は出しませんが(くやしいから)もっともっと掛かりました。
第2周目からは、遅い車は抜かされます。カーブに苦しんで思うようなスピードを出せずにいる私の後ろに他の車が迫ります。
ここで、ドライバーズ・ミーティングでプロのドライバーに言われたとこを思い出しました。
ああ、ここで抜かせまいと頑張ると,膨らんで後ろの車と接触するのだな、と理解して、とにかく抜いてもらえるように速度を控えました。くやしいことに、皆さん良くコースのことをご存じのようで、すいすいと私を抜いていきます。
私は必死に我慢しました。「安全第一、無事に帰ること」それを唱えました。
1988年にシドニーに引っ越して以来の親友に時次郎と言う男がいます。(時次郎は、大学の時に落語研究会に入っており、自分でも高座名を持っているくらいの落語好きで、この時次郎と言う呼び名も、落語の「明烏(あけがらす)」に出てくる大きな商家のくそ真面目な若旦那の名前を取り、ある日これから自分のことを時次郎と呼ぶようにと私に言ったのです。ついでに私は,その落語に出て来る,町内の札付き・源兵衛とされてしまい、時次郎は私のことを源兵衛さん、源兵衛さんと呼んでいるのです。)
この時次郎は、忙しい男で学生時代に落語の他にダート・ラリーもしていて、車のことは良く知っていると自負しています。そういう男ですから、私が富士スピードウェイを走るぞ、と言ったら、「それはよした方がいい」としつこく言うのです。
走行会直前にも、電話をかけてきて、時次郎の友人で富士スピードウェイを何度か走った経験のある男からの話として、富士スピードウェイを高速で走ると接触しないまでも車を大きく傷める。タイアはもちろん、車体もゆがんでしまう。それで接触しよう物ならおおごとだそうだ、と言い、気を変えて止めるように説得するのです。
私はご意見を伺いました、と言って電話を切りましたが、走り出してから時次郎の忠告が、ただの脅しではないことを悟りました。
本当に飛んでもないコースです。
緩い大きなカーブでスピードを稼ごうとしても、すぐにきついカーブに入ります。しかも、先がどうなっているのか分からない。
緩い大きなカーブに入ると、私もスピードを上げますが後続車もガンガンスピードを上げてくる。
となると、「抜かれまいとスピードを上げると接触事故の元になる」というプロ・ドライバーの言葉が脳裏に響きます。
初めて走る人間なのだから、他の人の迷惑になってはいけないと考え、後続者に道を譲ります。
実にくやしい。こんなに、他の車に抜かれる経験などしたことがない。コースさえよく分かっていればこんな事は無いのにと嘆いても仕方がない。
で、最後のカーブを抜けて直線に出ると,生き返ったような気持ちになります。
WRX M4 は買って以来、アクセルを床まで踏んだことがありません。
制限速度、80キロとか、100キロの公道では3分の1も踏みこんだらたちまち速度超過は愚か、前の車にぶつかります。
このアクセル問題で私は欲求不満に陥っていて何とかアクセルを全開したいと願っていました。
その願いが今叶います。
直線入り口でアクセルを思い切り踏みました。
ひぃぃぃぃぃーっ!
気持ちがいいーっ!
私を抜いた車数台を抜き返しました。
しかし、富士スピードウェイの直線1・3キロメートルはレーシングコースの中では長いと言うことですが、WRX M4 の限界なのでしょう。私は時速300キロを出すと言っていたのですが、直線の70パーセントくらいのところで、時速208キロまで視認したのですが、それから減速作業に入るのに気をとられて速度メーターから目を離しました。その間実際に減速するまでに、時速215キロは出ていたと思いますが、それ以上は出せませんでした。
しかも、2周目の時です。最終のカーブから抜け出て直線に出る。
思い切りアクセルを踏む。いいきもちだーっ!
と思っていたら、後ろから、ベンツが迫ってくる。
それも、WRXより小型に見えるベンツだ。
こんなのに抜かれる訳がないと思っていたら、スーっと並びかけてそのまま私を置いてけぼりにして直線を猛烈な速度で突っ走っていきました。
私は仰天しました。なんと言う車だろう!
そのあとの走行では、緩い大きなカーブで、マセラティのグランツーリスモに都合2回抜かれました。
26分を過ぎた頃から、舗装された道のはずなのに、まるで砂利道を走った時に砂利が跳ね返ってタイアの裏の車体に当たるような音が聞こえ始め、気のせいかエンジンの音も悪くなったような気がして、何だか不安になってしまい、コースから離れて駐車場に向かいました。
駐車場で待っていた安井敏雄さんに話すと、「あ、それはタイア屑ですよ」といって、タイアのネジを回す道具の先でタイアの表面をこすると、ぼろぼろとタイア屑が無数にはがれて散ります。
私の前に走った車のタイアが路面とこすれて熱を持ち、溶けてはがれて散ったタイア屑が私の車のタイアにこびりついていたのです。
後で知ったのですが、私と一緒に走った車の中にはプロ用のレーシング・タイアを付けていた人が多くいたそうです。
そのレーシング・タイアとは、私の車のレーシング・タイアとは比較にならない本物のレーシング・タイアで、コースの路面をしっかりグリップするように非常に柔らかい素材で出来ているのです。
指で強く押すとその指が入るくらいに柔らかい材料なのです。
しっかりグリップすると言うことは摩擦抵抗が大きいことで、そのために熱を持ち、溶けてはがれてしまうのです。
コースの路面には、その溶けたタイア屑が特にカーブの所に散らばっています。
そのタイア屑は、その上を走る私の車のタイアにくっつき、今度ははがれる時に、私の車のタイアの裏の車体に当たって「ばち、ばち」と言う音を立てたのです。
そういうことを知らなかった私は、不安に駆られてしまったという訳です。
こうして、私の富士スピードウェイの走行は、26分で終了しました。
何周したか、平均のラップはどれだけだったか、主催者がデータをくれましたが隠します。(くやしいったらありやしない)
私が駐車場に戻ってしばらくすると、次々に他の車も戻って来ました。
なんと、私を抜いたベンツもマセラティも私の隣に止まっているのです。
そのベンツは、AMGという、ベンツ専門のチューンナップ会社の製品でした。
AMGとマセラティのドライバーは友人であるらしく、AMGも実は私より早く駐車場に戻って来ていました。
後から戻って来たマセラティの男性は、AMGの男性に「どうしてやめちゃったんだよおっ」と喚いていました。かなりの仲良しです。
その二人に話を聞いて仰天しました。
マセラティの馬力は400馬力、AMGの馬力は450馬力。
対する、WRX M4は300馬力。
これでは、直線で敵うはずがありません。
AMGの男性に車の排気量を尋ねると「2000㏄です」と言う。
なんと言うこと、WRX M4も2000㏄です。
同じ排気量で、どうして、AMGは1.5倍の馬力を出すんだ。
いやはや、これには驚きました。
マセラティの男性は「とにかく、このAMGは速い。以前一緒に碓氷峠を走ったことがあるが、そのような峠道でもこのAMGはすごかった」とAMGを賞賛していました。
マセラティの男性に、今までに何回富士スピードウェイを走ったのか尋ねると「今日で5回目かな」と言いました。
5回目でしかも、こんな凄い車で、私と同じ初心者グループとは、1グループ、2グループの人たちは、どんなに凄いのだろうと考え恐ろしくなりました。
ついでに車の値段ですが、マセラティ・グランツーリスモは2000万円以上、AMGは1500万円以上。
WRX M4は400万円。
私に取ってはこの400万円も冷や汗とあぶら汗を流してやっとの事でひねり出したもので、1000万円とか、2000万円などというお金は、夢のまた夢です。
世の中にはお金持ちがいるものだと感心しました。
いや、もっと感心したのは、車にこれだけ熱意をかける人が大勢いることです。
私の周囲の車の持ち主は、自分で車の整備をしていました。
プロのレーシング・タイアも富士スピードウェイに来て、ここまで来たノーマルのタイアと自分で付け替えるのです。タイア交換なら私でもできますが、カーブで、熱で溶けてしまうような凄いタイアを持って来て、それをこの場で交換するその熱意というかセンスというか、それには、脱帽しました。
本当に良い勉強をしました。
レーシング・コースという物のすごさ。
その難しいコースを走ることの出来る人たち。
このコースを走るために、2000万円以上のお金を払う人たち。
なにもかも、私の想像外のもので、凄い人たちの棲む凄い世界があるのだということを思い知らされました。
走行後、時次郎から電話が掛かってきました。
無事だったというと、
「まったく、雁屋さんは、年齢を考えろ、技術を考えろ、経験を考えろ、などといっても、絶対に言うことを聞かないんだから。」
と嘆いてから、
「直線大魔王じゃあ駄目なんですよ」
と小言を言いました。
それでも、
「無事で帰って来て本当に良かった」と喜んでくれました。
ブレーキパッドをノーマルに付け替えるためにスバルの営業所に持っていったところ、営業所の人間は、
「病みつきになって、また走るというに決まっているから、レーシング用のブレーキパッドをトランクに入れておきます」
と言いました。
さてさて、病みつきになるかどうか、今は言えません。
無事で帰ってきて良かった、などと言っているんじゃ、すぐにでも再挑戦とはいきませんね。
少なくとも15年以前に始めておけば良かったと思います。
なんとしても、75歳デビューは遅すぎましたね。
しかし、今回の走行会で色々忠告してくれたプロのドライバーに、「私は75歳デビューなんですよ」と言ったら、
「ああ、70歳以上で始める方は何人も参加していますよ」と言うではありませんか。
おお、そうなのか。
それでは、富士スピードウェイ走行の最高齢記録でも作らなければならないじゃないか。
2017/04/21 - 斎藤博之さんを悼む 斎藤博之さんを悼む
「美味しんぼ」第100巻の「日本全県味巡り、青森県編」と、第111巻の「福島の真実」の取材に大きな力を貸して下さった斎藤博之さんが亡くなられた。
56歳、脳梗塞でした。
斎藤さんは民俗学者として青森県を中心にして東北の民俗学的歴史をきめ細かく、調査し記録し続けていました。
斎藤さんの頭脳は私のような人間からは驚異としか言いようのないもので、青森県全県の民俗的歴史は残らず調べ上げていて、私が車で通りかかったそれまで私には知ることもなかった小さな村落の、普通の人間なら心にとめることもないだろうと思われるものについて、私のような変わり者は思わず興味をひかれ「あれは、何ですか」と尋ねると、間髪を入れず「ああ、あれは、これこれ、なになにです」と実に詳しい説明をしてくれるのです。
その調査能力、記憶力、説明の論理の筋道がきちんと通っていて強靱なこと、青森県を取材して回る間に私は心底感服しました。
記憶力について言えば、斎藤さんはマルクスの「資本論」を全巻、隅から隅まで頭の中に叩き込んでいるのです。
あるとき、私は、マルクスが引用した、フランスのルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人の言葉
(フランス語では「Après moi le déluge」
直訳すると、「私の後に洪水」、これを重々しく「我が亡き後に洪水は来たれ」と訳す人もいる。ポンパドゥール夫人の言葉であれば私なら「私が死んじゃった後なら、洪水でもなんでも来ればいいじゃない」と訳したいところです。しかし日本語訳の「資本論」の有名どころは全て、この言葉を「後は野となれ山となれ」と書いています。意味としてはそれで良いのでしょうが、それでは、ポンパドゥール夫人の言葉のすごみが消えてしまうように私は感じます。この、ポンパドゥール夫人の言葉をそのまま記したものは、私の浅学の限りではペンギンブックの「資本論」だけではないでしょうか)
について私は資本論のどこに書いてあったのか思い出せず、斎藤さんに電話をかけて「どこだっけ」と尋ねると、斎藤さんは「ちょっと待って」といって、3、4分後にすぐ折り返し電話をくれて「あれは、第1部『資本の生産過程』第3篇『絶対的剰余価値の生産』第8章『労働日』、ですよ」と答えてくれたのです。
殆ど即答と言って良いほどで、私はほとほと、斎藤さんの記憶力のすごさに驚嘆しました。
「資本論」についてはほんの一例で、何についても斎藤さんの博覧強記のすごさは人間離れしており、常々私は斎藤さんに「斎藤さんの頭脳は宝物なんだから、絶対に体は大事にしてよ」といい続けて来ました。
しかし、斎藤さんは福島取材の後体調を壊しました。
私達の取材に先立っての取材、中間での取材などで、合計100日間以上福島に滞在しました。
それが影響したと本人は考えています。
斎藤さんのホームページ(2013年7月14日「わたしにも被曝の症状」)を引用します。
「おととしの秋からことしの春にかけて、通算すれば100日を越える長期にわたって断続的に、福島県の取材をしてきました。現在、雑誌に連載されている漫画『美味しんぼ』の「福島県の真実」の案内をするためです。この取材から帰って暫らくすると、鼻血が止まらなくなるという事態に陥りました。
これは病院で止血剤をもらって止めましたが、「原因はわからない」と言われました。傷があるわけではなく、毛細血管が破れているらしいのです。わたしは高血圧なので、そのせいかと思って心配しましたが、医師のいわく、『もしも血圧が高くて血管が破れるとしても、その場所はここではない』と。薬でとりあえず止めたものの、湯に浸かったり、酒を飲んだりすれば、またとめどなく血が噴き出します。
さらに、ものすごく疲れが溜まって、体温が高いわけでもないのに躰が熱っぽく、考えることに集中できず、気力が失せて、睡眠時間は十分に足りているはずなのに一日中眠気を抑えることができず、取材などでわずかの時間でも外に出かけようものなら、数日は横になっていなければならないような状態でした。つい数日前までは、こんな按配だったのですが、いまは一日のうち数時間は起き上がって原稿を書いています。」
この鼻血と異常な疲労感は私が体験したものと全く同じです。更に、斎藤さんは書きます。
「先日、福島県双葉町から埼玉県に避難しておられる方々のところへ取材に伺ったとき、放射線被曝の治療について研究しておられる専門家の方に、偶然お会いできました。たまたま雑談しているときに鼻血が止まらない話をしたら、『少し仕事をすれば疲れるということがないか』とお訊ねになるのです。まさにそのとおりなのだという説明をすると、ここに避難しておられる双葉町の方にも、そういう症状の方がおられる、ということです。福島県から避難されたのはおととしなのですが、このていどの日数を経ても、なお症状は残っている、のだそうです。病院では『原因はわからない』と言われた私の症状も、どうも被曝の典型的な症状らしいです。
いっしょに取材をしたメンバーの何人かも、わたしと同じような症状に陥りました。わたしたちに共通することは、原発事故の影響で、多少は放射線量の高くなっている地域で取材した、ということだけです。明らかに被曝の影響だと考えられるでしょう。言っておきますが、わたしが取材した場所は、原子力発電所の敷地の中などではなく、原発の立地地域でもなく、何の制限もなく人びとが普通に暮らしている場所でした。
1μSv/hを超える地域に短時間(数時間)滞在したことはありますが、ほとんどはこれを下回る場所でした。しかし、国が制限を設けていないこれらの地域も、本来は危険だとされている線量(0.14μSv/h以上)なのです。もちろん、同じ環境でもすべて
の人に同じように症状が現われるわけでもないでしょうし、福島県の各地も次第に線量は低下する傾向を示しています。」
この双葉町の方というのは、福島第一原発事故当時双葉町の町長だった、井戸川克隆さんであり、放射線被曝治療についての専門家は、岐阜 環境医学研究所所長の松井英介先生です。(「美味しんぼ」第111巻342ページ参照)
私は、埼玉に避難している双葉町の方々の取材のために行ったのですが、そこに斎藤さんも来て下さっていて、私が井戸川元町長に「福島の取材後、鼻血が出るようになり、経験したことの無い疲労感を感じるようにもなった」といったところ、斎藤さんが驚いて「雁屋さんもなの。僕もそうだったんだよ」と言いました。
いつも取材に同行しているカメラマンにも「僕もですよ」と言われて私は「なんと言うことだ」と驚きましたが、このことを「美味しんぼ」に書いた所、安倍晋三首相まで出て来て風評被害だと言って非難しました。
私の鼻血問題については、私をバッシングした人達に対する反論の本も発行し、このページでも語っているので、ここまでにします
斎藤さんはこの後体調が回復せず、この2年ほどは毎日の食事にも気を使い、かつて私が「胃袋魔神」というあだ名を贈呈した斎藤さんとは別人のごとくに節制して過ごしてきたのですが、高血圧の治療を続けていたにも拘わらず、4月2日に倒れ4月4日に亡くなりました。
斎藤さんは私達仲間同士の間では談論風発で威勢が良いのですが、基本的には非常に控え目な性格でお人好しで、私が斎藤さんの大食らいをからかって色々な事言っても、「また、またあ・・」などと言いいながらにやにやしているだけ。
私に対しても誰に対しても斎藤さんが怒った姿は見たことがない。
同時に控えめすぎて、あれだけの知識と見識を持ちながら、在野の民俗学者としての位置を変えませんでした。
今までの学識を本にまとめる所だと聞いていましたが、時間は待ってくれませんでした。
本にまとめておいてくれれば大勢の人の役に立っただろうと思うのに、残念で口惜しいことです。
私がそんなことを言っても、斎藤さんは低い柔らか声で「ふ、ふ、ふ、でもねえ雁屋さん、」笑うだけだろうな。
以下に、「美味しんぼ」第111巻、「日本全県味巡り、青森県編」の最初の導入部に登場する斎藤さんの姿をコピーして載せます。画面はクリックすると大きくなります。
ここで、斎藤さんの登場です。
以後、このホームページのソフト、WordPressのどじな設計のせいで、図と文章の間隔が開いてしまいます。下書きの時はキチンしているの、実際にホームページに載せるとこうなってしまいます。WordPressはやめなければいけないな。
文字にすると斎藤さんは挑戦的ですが、本当は優しい言い方をします。
斎藤さんの登場で「日本全県味巡り、青森県編」は開始しました。
私はこの「日本全県味巡り、青森県編」を読んで、斎藤さんを偲びたいと思います。
斎藤さん、お世話になりました。
有り難うございました。
さびしいよ。
2017/04/20 - 中谷成夫氏の著書について 前回、中谷成夫氏の著書について、遊幻舎からお送りすると書きましたが、驚くべき大勢の方が申込んでこられ、「遊幻舎」としては人手が無いので、それは無理な話だと言うことが判明しました。
私が「遊幻舎」の事情も聞かずに勝手にこのページに書いてしまって申し訳ないことを致しました。お詫びします。
そんな訳で、4月20日までに、このページに申込まれた方にはなるべく早く遊幻舎からお送りしますが、21日以後に申し込まれる方は、お送りするまで時間がかかると思います。
場合によっては1カ月ほどかかる恐れもあります。
21日以後に申込まれる方は、その点をご了承下さるようお願いします。
2017/04/18 - 中谷成夫氏の「福沢諭吉と1万円札」について 前回、このページで中谷成夫氏の「福沢諭吉と1万円札」を取り上げた所、読者の方から、「この本を買いたいのだが本屋にもないし出版元にも在庫が無い、どうしたら買えるのでしょう」
というメールを頂戴しました。
早速、中谷成夫氏のご子息(義子)の中谷省三さんにお手紙を差し上げた所、なんと、そのような方に差し上げて下さい、といって、「遊幻舎」、安川寿之輔先生、杉田聡先生の三者宛に段ボールに二箱の「福沢諭吉と1万円札」を御寄贈下さいました。
以前、メールを頂いた方には早速お送りしました。
折角の中谷省三さんのお志です。
ご希望の方には、送料も無料でお送りしますので、多くの方にこの本を読んで頂きたいと思います。
友人の方などにもお伝え頂いて、このページ宛に、ご注文下さい。
素晴らしい本です。読まないと損ですよ。
2017/03/07 - 中谷成夫著「一万円札の福沢諭吉」 まず、前回の「美味しんぼの新しい楽しみ方」について。
早速読者の方から、メールを頂戴しました。
氏は、「ゆう子の服装には小学生の時から気がついていた」と書かれています。
今更何を言っているんだということなんですが、いやはや、確かに今頃になってゆう子の服装に気がつくとは、あれだけ気を使って描いてくださっている、花咲アキラさんに申し訳ないことです。
どうも私は、ファッションというものに興味が無く、着る物は清潔で、着ている本人に似合っていて、本人も気にいっていればそれで良いという感覚なので、お粗末なことでございました。
その読者の方も、小学校の時から「美味しんぼ」を読んで下さっているとは有り難いことです。
以前の私の担当の編集者も、「小学校の時に父親が読んでいたので憶えていました。でも、まさか自分が美味しんぼの担当になるとは思ってもいませんでした」と言われて、「ああ、そう言う年代の人間が美味しんぼの担当になる時代になったんだ」と深い感慨を抱いたことがあります。
長い間お読み頂いている読者の方々に心からお礼を申しあげます。
さて、今回の本題に入ります。
先日、石川県鳳珠郡能登町宇出津(うしつ)にお住まいの、中谷省三さんから、御尊父 中谷成夫氏の御著書「一万円札の福沢諭吉」(文芸社)をご恵贈載きました。
中谷成夫氏について、失礼ながら私は全く存じ上げませんでした。
氏の略歴を、その本の奥付と、中谷省三さんに載いたお手紙に書かれたことをあわせてご紹介します。
「1926年(大正15年)3月2日、石川県鳳至郡(ふげしぐん)宇出津町(うしつまち)〈現在は、鳳珠郡(ほうすぐん) 能登町 宇出津〉に生まれ、金沢の学校を卒業し、画家・玉井敬泉に日本画を学び、書家・中浜海鳳に書法を学んだ。
12年間県立宇出津高校芸術科で画と書を教えていた。」
ここからあとは、ご子息の中谷省三さんのお手紙の内容に沿って書きます。
「一方、好きな歴史の研究にのめり込み特に勝海舟に興味を示し、相当調査をした。勝海舟の人となりに関心を持つと、当然福沢諭吉に遭遇する。
福沢諭吉について、長期間調べたあげく、この著書を書き上げ、2014年9月に「文芸社」から自費出版の形で出版した。」
残念ながら、氏は2014年8月末に逝去されました。(というと、氏は、出来上がった御著書を手に取ることが無かったのでしょうか。そうであれば、氏にとっても、ご子息、ご家族の方にとっても口惜しいことだと思います。ゲラか見本刷りくらいは手にされたと思いたいのですが)
その経歴から明らかですが、中谷成夫氏は日本史、日本思想史の専門家ではありません。
中谷成夫氏のこの著書は、可能な限り多くの資料を読み、その資料を正確に分析して出来上がったものなので、私がこれまでに色々と読んできた専門家の書いた福沢諭吉論と比べても出色のものだと思います。
1926年生まれというと、幼児期から皇国史観に沿った教育を叩き込まれている年代です。
福沢諭吉研究の第一人者である安川寿之輔先生は1935年生まれ。1945年の敗戦の時に10歳。
まだこの年齢であれば、皇国史観から逃げられたと思いますが、中谷成夫氏は、1945年の敗戦時には、19歳。この年代の人間なら、ごりごりの軍国少年になっていた人の方が圧倒的に多いのですが、「一万円札の福沢諭吉」の138ページには、「1945年8月15日に天皇の終戦を告げる放送を聞くと、すっかり嬉しくなり20年生きてきてこんな良い日は初めてで生涯最良の日とここから感動しました。」と書かれています。
また当時は、中学では、「軍事教練」は必須科目であるのに、氏は脚気を患っていたこともあって五年間(当時の学制では、中学は5年でした)ただの一度も軍事教練を受けなかった、という剛の者です。
同著書の268ページには、福沢諭吉の天皇論を批判して次のように書いています、
「天皇は現実に日本人の上に君臨し人民を支配する身分であり、人民の上に覆いかぶさっているものであって、人間差別の上に成り立っているものです。天皇や皇族・華族などというものは一般人民より高貴な身分のものときめられているが、彼は(福沢諭吉のこと)この差別については一言も言及はせずこの制度を否定もしていません」
これを読めば、氏は、皇国史観に心を侵されずにすんだようです。
そんな氏ですから、非常に冷めた目を持っていていて、同書145ページに、藤原定家の明月記の中の定家の言葉「紅旗征戍(紅旗は皇帝の旗のこと、征戍は外敵を制圧すること。)は我がことにあらず」(大義名分を持った戦争であろうと、〈八紘一宇や東亜のためなどと、張作霖を暗殺して満州国を建てた頃から日本は自分たちの侵略戦争に身勝手な大義名分を付けていましたね〉そんな物は野蛮なことで、和歌や書という芸術の世界で生きる私にはかかわりのないことだ)、に深く心動かされ、生涯を通じて政治などのことには関わりを持たず「天地間、無用之人」として生きようと心に決めていたが、坂口安吾の著作を読むことでよりによって最も政治的な人間・勝海舟という人に深く心を引かれるようになった、と書いています。
氏は、勝海舟を研究しているうちに、福沢諭吉の書いた「痩せ我慢の説」を読んで、福沢諭吉のことも研究し始めました。
長い時間をかけて福沢諭吉を研究した結果出来たのが、この「1万円札の福沢諭吉」です。
私は「まさかの福沢諭吉」を書くのに、「福沢諭吉自身によって福沢諭吉を語らせよう」と考え、福沢諭吉の著書を大量に系統的に取り込みました。福沢諭吉の著書を順を追って読んでいけば福沢諭吉がどんな人間でどんな考えを持っていたか誰でもよく分かります。
現在まで、福沢諭吉が日本の民主主義の先駆者のように扱われていて、偉人としてまで崇められ、その結果が一万円札の顔となっています。それは途方も無い誤解なのですが、どうしてそんな誤解が正されずに世の中に広まっているのか、それは、殆どの人が福沢諭吉の著作を読んだことが無いからです。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、といえり」を、「いえり」抜きで教わって、それを福沢諭吉の思想だと思いこみ、それに「独立自尊」も福沢諭吉の言っていたのとは違う意味で思い込み、それで、多くの人は福沢諭吉を有り難がっているのです。
その誤解を解くためには、福沢諭吉自身の著作を読むしか無いと私は考えて、「まさかの福沢諭吉」では、福沢諭吉の著作を系統的に読んで貰う形を取りました。
「まさかの福沢諭吉」の大部分は福沢諭吉の著作で埋まっています。
それに対して、中谷成夫氏の「一万円札の福沢諭吉」は、福沢諭吉の著作も載せていますが、私の方針とは違って、様々な人の福沢諭吉論を載せています。
氏が福沢諭吉について調べようと思ったのが、福沢諭吉が勝海舟に対して書いた「痩せ我慢の説」に反撥してのことなので、勝海舟のこともたっぷり書かれています。
色々な人の勝海舟と福沢諭吉の比較論も、勝海舟に惚れ込んでいる中谷成夫氏でなければ見つからないものも多く、福沢諭吉との比較論だけでなく勝海舟を高く評価する人々の論、挿話もいろいろと取り込まれていてそれだけでも興味深いものとなっています。
また、明治維新時の戊辰戦争で、薩長が如何に残虐なことをしたかという話も書かれていて、明治維新時の、その後薩長政府が隠してしまった真実も描かれて歴史の勉強になります。
福沢諭吉に対する批判の範囲も、被差別民に対する福沢諭吉自身の持つ差別意識から、朝鮮人、中国人に対する侮蔑的な言論、旅順虐殺、閔妃虐殺、台湾の虐殺に対する福沢諭吉の反応、福沢諭吉の帝国主義的な言論、など幅が広く、福沢諭吉の全体像を摑むの大変役に立ちます。
読み物としても面白く出来ているので、私はこの「一万円の福沢諭吉」を是非皆さんにお勧めしたいと思います。
発行は文芸社 定価は800円+税です。
2014年に発行されていたのに、今まで知らずにいた私の怠慢を恥ずかしく思います。
発行されたときに、中谷成夫氏は、88歳。
そのお年まで研究を続け、この本を出版されたご努力に心から敬意を表したいと思います。
私も、中谷成夫氏に負けないように、これからも意味のある仕事していかなければならないと励まされました。
この本をお送り下さった、中谷省三さんに厚くお礼を申しあげます。
2017/03/02 - 美味しんぼの新しい楽しみ方 「まさかの福沢諭吉」購入申し込みを多数載いて感謝しています。
とにかく、「遊幻舎」が実績のない会社なので、取り次ぎ会社が余り扱ってくれないから、なかなか書店に並ぶことがなく、書店で「まさかの福沢諭吉」を購入しようとしても店頭に無かった、という苦情をあちこちから頂戴しています。
「遊幻舎」の力不足、著者である私の力不足ゆえのことで、折角店頭で購入しようとして下さった皆様に、お詫び申しあげます。
そのような場合には、書店に注文して頂ければ、2、3日で手に入ります。そうして頂ければ、取り次ぎ会社に「遊幻舎」の信用が出来て、多くの書店に配本してくれるので、本の宣伝にはなるので、ありがたいのですが、しかし、このページではいつでも「遊幻舎」に取り次ぎますので、よろしくお願いします。
ところで、「美味しんぼ」の休載が長引いていて、読者の方からお問い合わせが続いています。
「美味しんぼ」再開については私の一存では決められないので、もう少しお待ち下さい。
しかし、コンビニエンス・ストアでは、月に2回、過去の「美味しんぼ」をテーマ別に編集した「マイファースト・ビッグ」と「美味しんぼ・アラカルト」の形で発売しています。
昔の作品も掲載されていますので、是非お読み下さるようお願いします。
私は、非常に記憶力が悪いので、自分の書いたものなのに、昔の作品を読むと「へええ、これ、おれが書いたのかなあ」と戸惑うことがたびたびです。
で、そのように昔の「美味しんぼ」をまとめたものを読んでいるうちに、「美味しんぼ」の新しい楽しみ方を発見しました。
これはある人が、「ゆう子は◎◎の服を着ている」と書いているのを読んでからのことです。
この◎◎と言う所は、フランスの有名なブランド名が入ります。
それを読んで、「美味しんぼ」を読み直すと、ああ、花咲アキラさんはなんと言う凄い漫画家なんだろう、と改めて感心しました。
戯曲では、3幕4場、などと言います。
大きな設定の場面を幕といい、その大きな設定場面の中で話が変化するのを場といいます。
大きな設定を変えるときには一旦幕を閉めます。それで大きな場面設定一つを幕というのです。
設定は大きく変わらず、その設定の中で話を進める場合には幕を下ろさないので、場と言います。
「美味しんぼ」の場合、戯曲のように計算すると、場面設定が大きく変わる個所が3つか4つあり、その大きな場面設定の中で話が進むことが数ヵ所あります。
いわば、一回の「美味しんぼ」は、たとえば4幕8場、と言うくらいになります。
そのようにして「美味しんぼ」を読んで頂くと、大きな場面設定、幕、が変わるたびにゆう子の服装が変わっていることに気がつきます。場の変化では変わりません。
いや、私も最近それに気がついたんですがね。
その視点で「美味しんぼ」を見ると、いやはや、ゆう子は大変な衣装持ちだし、すごいおしゃれさんですよ。
1回分の話、1話の中で3着くらい別の服を着ていることがざらなんですよ。
最近、コンビニエンス・ストア版の「美味しんぼ」が来るたびに、ゆう子の服を見るのが楽しみになってしまいました。
ゆう子の服が変わるのを見るのがとても楽しいんです。
原作者が言うんだから信じなさい。
これは「美味しんぼ」の新しい楽しみ方ですよ。
それにつけても、こんなに細かく服装を変えていった花咲アキラさんのご苦労はいかばかりだったか。
いまさらながら、頭が下がるばかりです。
2017/02/28 - 追悼、谷口ジロー氏 谷口ジロー氏が亡くなられた。
心の奥から、谷口ジロー氏に哀悼の意を表したいと思います。
谷口ジロー氏は最近は「孤独のグルメ」で広く知られていますが、氏の漫画家としての経歴は長く、私が、マンガの世界に迷い込みかけた1972年にはすでに漫画界では非常に高い評価を受けており、私自身も、谷口ジロー氏の大フアンでした。
私が本格的にマンガの世界に入り込んだのは、1974年の「男組」ですが、谷口ジロー氏は私が近寄れないほどの地位を漫画界で確立していました。
私が近寄れないというのは、たとえ話ではありません。
私は、マンガの原作者になってから、谷口ジロー氏と一と一緒に仕事したいと強く願っていました。
しかし、谷口ジロー氏は多くの枚数を描く方ではなく、極めてストイックに作画の量を押さえているような話を聞きました。
それに、私は、1974年の「男組」以来、日本文芸社の「野望の王国」など、極めて非現実的な暴力マンガを書き続けたので「ヴァイオレンスの雁屋哲」などと、作家としてのラベルがついてしまいました。
私はそれを少しも恥じていません。ヴァイオレンスの意味が分かるなら、私のマンガの意味も分かるだろう、と暴力的に居直って、暴力マンガばかりを書いていました。
ただ、そのような暴力マンガ原作者は、谷口ジロー氏の好まれる所ではないだろうとも思っていました。
いちど、ある出版社から、谷口ジロー氏のマンガの原作を書くという、長い間待ち望んだ話が来ました。
私は「やったー。谷口ジローと組める!」と興奮しました。
私と、谷口ジロー氏の両方を良く知っているという人から、「それは素晴らしいことだ、雁屋さんにも、谷口さんにも新しい地平を切開くことが出来る。この話は絶対にまとめるべきだ」
と興奮して、言ってくれましたが、その話は立ち消えになってしまいました。
谷口ジロー氏が他に組んで仕事をしておられる方は、味わいのある小説や、ノンフィクションを書く方が多く、私のような暴力マンガ原作者はいません。
私は大変にひがみまして、「谷口ジローさんは、おれみたいな暴力マンガを書く人間はお呼びじゃないんだ」とやけ酒を飲みました(と言っても、私は毎日酒を飲んでいますから、特にどの日の酒がやけ酒だったのか、とは言えない所がメリハリのつかない所です。)
最近の「孤独のグルメ」を読んでいても、谷口ジロー氏の絵はますます味わい深くなってきたと思い、以前と違って、「美味しんぼ」という暴力とは無縁のマンガも書けるようになったのだから、なんとか一度谷口ジロー氏と組んでマンガを作ってみたいと、切に願って、小学館の編集者にも頼んだことがあります。
それが、突然、谷口ジロー氏ご逝去の報道を読んで、心底落胆しました。
1970年代初めから、日本の漫画界は宇宙の始まりの際のビッグ・バンのように、その世界を一気に広げました。
マンガ雑誌の数も爆発的に増え、漫画家も様々な才能を持った若い人々が次々に参入してきて、2000年までは、日本の漫画界は、やれ行けそれ行けと毎日お祭り騒ぎの勢いで、活気にあふれていました。
そのような沸騰する漫画界の中で、谷口ジロー氏は自分の形をしっかり守り、量産もせず一つ、一つのマンガに精魂傾けて書いておられました。
氏の描く登場人物は、激したり喚いたり、という激しい行動を取ることが余りありません。
若夫婦が猫を飼う話など、淡々と、その夫婦の猫の生活が描かれるだけなのですが、その一コマ一コマに情感が込められていて、淡々とした話なのに深い感動を読者に与えるのです。
それは、登場人物の表情の表情が豊かであるだけでなく、多くのことを語りかけてくるものなのです。
なんと言うか、この登場人物とじっくり語り合いたいと思わせる表情なのです。
あのような表情は、画を描く本人の心が浅かったらとても描けないものです。
「孤独のグルメ」も、登場人物は何もしません。
食べる店も、高級店ではなく、町場の普通の店です。
主人公も、「美味しんぼ」の主人公のような能書きをたれずに、ひたすら食べる。
それが実にしみじみとした味わいで、読んでいる方が引き込まれていくのです。
あれだけ物語性のない話を、読む方がどっぷり浸って快感を感じさせるように描く作画力は誰も及ばないものだと思います。(原作を書いた、久住昌之さま、悪口を言っているのではありません、誤解なさらないで下さい。マンガの定法のようになっているわざとじみた物語性を排して、人に訴えかける原作を書かれたことに敬意を表します。ああ、こんな原作の書き方もあったんだな、と大変勉強になりました。DVDもSeason3まで購入し、そのDVDに添えられた取材日誌がこれがまた、凄いものだと思いました。「孤独のグルメ」は原作者と、漫画家のコラボレーションの粋だと思います)
このような素晴らしい漫画家を失ったことが悲しいし、ついに一度も組ませて頂けなかったことが残念でたまりません。
組ませていただかなかった方が、谷口ジロー氏の名声を汚すことがなかったのかも知れないと、何だか変な風にあきらめています。
谷口ジロー様、心から、追悼の意を表します。
2017/01/14 - またまたお詫び 昨日、読者の方から、「まさかの福沢諭吉」の誤植のご指摘を受けました。
下巻、302ページ最初のコマの中で、「独立自尊」が「独立自存」になっている個所があるというご指摘です。
慌てて調べてみて、あきれました、「独立自尊」と書いてあるとなりの行に「独立自存」とあるではありませんか。
あれだけ、校正をきちんとしたはずなのに、どうしてこんなことを見のがしたのか。
誠にお恥ずかしく、読者の皆様に心からお詫びします。
増刷が出来るようであれば、第2刷から訂正します。
ご指摘下さった方に、心からお礼とお詫びを申しあげます。
まだ他にもあるかと思うと、怖くなってきました。
何か見つけられた方は是非ご指摘下さい。
論語に「後生畏るべし」という言葉があります。その意味は、「後輩の人は、年も若く気力も強いから、努力して学問を積めば、その進歩はおそるべきものである。(漢字源)」という物ですが、これを校閲(文章の点検、校正)を仕事にしている人が「校正畏るべし」と書いて、校正の難しさを語っているのを読んだことがあります。
校閲を専門にしている人でも、誤植を見のがすことがあると言います。
私も今回、その言葉が身にしみました。
2017/01/10 - なんと言うことだ グギャー、ウガアーツ、アンガガーツ
横浜マリノスのフアン、サポーターは、私と同じ悲鳴を上げたのではないでしょうか。
あんまりじゃないか。
中村俊輔がマリノスを出た!
他にも多くの選手を出した。
中澤の年俸は半分にする。
マリノスのクラブ運営者たちは何を考えているんだ。
中村俊輔の不満は監督の采配が腑に落ちない。そのせいで、チーム全体が上手く行かないと言う所にあるようです。
正直に言いますが、私は、監督の顔も良く知らないし、どんな考えを持っているのかも良く知りません。
しかし、中村俊輔は日刊スポーツで、こう言っています、
「やはり、マリノスでプレーしたいし、マリノスで終われれば一番いいと思っていた。それが少しずついろんなものがあって、毎日『これは違うんじゃないか』と。そんなことは普通はないこと。いろんなバランスが崩れていった。」
社長とも話し合ったが、
「これは違う、と言ったことが変わらなかったりしたら、その繰り返しは何なのかと。毎日、それが違うんじゃないか…と。そんなことは普通、ないこと。それに対応しきれなくなって、いろんなバランスが崩れていった」
要するに中村俊輔は、監督の采配に不満を募らせたのです。
マリノスで終わりたいと真剣に思っていた中村俊輔にとてもマリノスにはいられないと思わせるとはよほどのことです。
サッカー選手は野球の選手などに比べると選手として活躍できる時間は短い。
中村俊輔もそれは自覚していて、だから「マリノスで終わりたい」と言ったのでしょう。
その中村俊輔がマリノスを出ようと決心するのは、本人にもとても辛いことだったはずです。
磐田に行けば年俸は3分の2になる。それでも敢えてマリノスを出る。よほど、監督と上手く行かないのだと思います。
クラブ側は来季も監督はそのまま残すという。それでは、中村俊輔も我慢できないでしょう。
私は本当にマリノスのクラブ側の考えがわかりませんん。
今の監督と中村俊輔のどちらがマリノスにとって価値があるのか。
私は今の監督より、中村俊輔の方が遙かに大事だと思う。
我が愛するボマー中澤(ボンバーという人がいますが、bomber=爆撃手、爆撃機の発音は、最後のbは発音しないのが正しい英語です。bombはボム、それにerがついて、ボマ、またはボマー。どうせ英語を使うのなら、正しい発音で使いましょう。なに、ボンバーは日本語だって? はあ、それならそれで、構いませんが)の年俸を半分にするとは何事だ、と私は腹を立てています。
中澤は去年フル出場だった。私は何度も、中澤がディフェンダーとして、マリノスの危機を防いだのを見て「ああ、中澤がいて良かった」と感謝したものです。
私がマリノスの試合を見に行くときに着ていくのは、2006年のワールドカップ、ドイツ大会を見に行く際に買った、全日本の公式ユニフォームで「Nakazawa」と、書かれている。
一度、日産スタジアムで、小学生相手に着ているユニフォームを見せて「どうだ、いいだろう」と自慢をして、妻に「いいい加減にしなさい」と怒られたことがあります。
それくらい、私は中澤の大ファンなんです。
中澤祐二、中村俊輔、この二人の活躍を見たいばかりに私は日産スタジアムに出掛けていたんだ。
私の家は、横須賀秋谷。そこから、横横道路を通って第3京浜に乗る、前方に日産スタジアムが見えてくると、その時点で私はすでに興奮状態。
私はいつも試合開始の一時間以上前に日産スタジアムに着くようにしているのだが、その時点ですでにサポーターの皆さんは、飛び跳ねながらマリノスの歌を歌ったり、かけ声をかけたりして、えらい勢いだ。サッカーにはあのサポーターの騒ぎが絶対に必要ですね。
サポーターと言えば、コートジボワールのサポーターたちも凄かったな。
私は、ワールドカップのブラジル大会を見に行ったですよ。最初のコートジボワール戦なら勝てるだろうと、レシフェまで行ったです。
後半までは一点だけだがリードしていて、この分なら大丈夫かと思ったときに、コートジボワールは、ドログバを投入した。
なんと言うことか、ドログバが入って来るとコートジボワールの選手たちは突然活気に燃え、逆に日本の選手たちはすくんでしまいました。
ドログバは何もしない、ピッチを斜めに走っただけです。
それなのに、コートジボワールの選手は勢いづいて、あっという間に日本は逆転負け。
「ロード・オヴ・ザ・リング」という映画の中で、悪者の軍勢の中から四本牙の巨大な象が出て来て、良かもん(悪者の反対、我々観客が肩入れする方をこんな風に呼ぶのは、私の周辺だけかしら)側の兵士を踏みつけ、牙ではね飛ばす。
ドログバはその強大な四本牙の象のようでしたね。日本選手は、ドログバの牙によってはね飛ばされたように感じました。ドログバは、ピッチを斜めに走るだけで、コートジボワールの選手に力を与え、日本の選手の力を失わせた。
その、コートジボワールのサポーターたちが凄かった。ドラムを打ち鳴らし続けるのですが、そのリズムがすごい。一体どれだけのパターンがあるのか、いや、パターンなどなく、感情を表現するのに様々なリズムが自然に出て来る、という感じで、同点になってさらにコートジボワールが有利になると、嵐の時に大波が岸を次々に叩き続けるような勢いになる。
いまだに、あの時のコートジボワールのサポーターたちのドラムの音が頭の中で響いて苦しくなるときがあります。日本があれで勝っていれば、「いいドラムだったな」と楽しく振り返られるのでしょうが、あんな負け方をすると、コートジボワールのドラムの響きは思い出したくないものになってしまいました。
話が飛んでしまった。
私は、マリノスの試合を見たあと、いつも一緒にサッカーを見に行く友人夫妻と私達夫婦、たまに私の子供、甥なども一緒に横浜関内の天婦羅屋「とらや」に行くのが楽しみです。
マリノスが勝ったあとなら最高ですが、負けたあとでも「とらや」で、美味しい魚(とらやは天婦羅だけでなく魚料理がすばらしい)を食べながら、皆でわいわいやると、これはまさに至福の時。
しかし、中村がいなくなったマリノス、中澤を粗末に扱うマリノス。
そんなマリノスの試合を見に行くだろうか。
私の大きな楽しみが、今消えかかっている。
中澤がいる限りマリノスを応援に行きますが、どうも、力が抜けたなあ。
2017/01/02 - 魯山人と美味しんぼ
2016年12月24日に「魯山人と美味しんぼ」と言う本が発刊されました。
小学館 刊 定価907+税
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もともと、私は「美味しんぼ」を始める前からに、北大路魯山人の作品と、その料理、書、陶芸についての考え方に深く心を動かされていました。
私と魯山人との出会いはどのような物だったか、私は魯山人のどこに価値を認めたか、私はどのようにして魯山人の料理の哲学に導かれたかを、この本ではまず書きました。
矢張り、どう考えても、「美味しんぼ」は魯山人の影響を強く受けていると私は思います。
と言うより、魯山人の「美」に対する考え方、「食」と「料理」に対する考え方を支えにしなかったら、「美味しんぼ」は海図も羅針盤もなく大海に乗り出した船のように、漂流の果てに沈没していたでしょう。
私は長い間、あちこちと食べ続けて、結果として私が完璧であると思った和食の料理人は、この本に登場して頂いた、佐藤憲三、徳岡孝二、西健一郎、の御三方なのです。
この本の御三方の並び順は、こういうことにうるさい人がいるので、いろいろと大変だったのですが、私はこの御三方に性格の違いがあっても料理の質は、私の乞い願う通りの「料理は芸術である」という命題をそそのまま表象して下さっている方と考えて、ならび順などとと言うこそくな考えを抱くことはなかったのですが、偶然、佐藤さんが憲三、徳岡さんが、孝二、西さんが、健一郎と言うことで、「三、二、一」で丁度よかったと私の妻に言われて安心しました。
今回発売された「魯山人と美味しんぼ」に掲載されている料理の数々はその食材に一番あった料理法が示されることは勿論、もしかしたから、これから先この食材は手に入らなくなるかも知れないと恐怖を抱かせるほどのもので、二百ページにも満たないものですが、もし本気で日本料理に命を懸けようと思う若い人がいたら、この本で佐藤憲三、徳岡孝二、西健一郎の三氏が見せてくれた料理に一歩でも迫る努力をしていただきたいと思います。
この「魯山人と美味しんぼ」に掲載された、佐藤憲三、徳岡孝二、西健一郎の三氏の料理は日本料理の一つの極限として、今後日本料理を学ぶ人にとっては到達すべき目標となると思います。
この御三方の料理、そして、その料理を支えた魯山人の器。
こんな贅沢な料理の企画はこれから先めったにできないだろうと思うのです。
私は、考えてみれば、飛んでもない贅沢な企画を立てて、それを通してしまったものだと、今になってみれば、寒けがします。
本の内容をざっとご紹介すると、
◎私と魯山人の最初の出会い
◎シカゴの世界的に有名な美術館「アート・インスティテュート・オブ・シカゴ(シカゴ美術館)」を訪ねた時に、偶然、魯山人の陶芸も展示されていたという幸運に出会ったこと。
私は、自分は魯山人の陶芸を芸術だと思っていましたが、世界中の美術品・芸術品と比較してもなお素晴らしい芸術品と言えるのか、それを確かめたいという強い思いに動かされて、世界の美術史上最高の名品を多く集めたシカゴ美術館の最上階から全ての美術品を一つ一つ自分の目にしっかり焼き付けて、その目を持って、再び魯山人の陶芸品の前に立った時の感動。
◎食は芸術なのかということ。
◎私が考えた、「魯山人の料理の大原則」
◎私がこれまでに出会った中で、最高の料理人と考える、佐藤憲三さん、徳岡孝二さん、西健一郎さんに、「魯山人の大原則」どおりで、しかも「芸術品」である料理を作って頂いて、その写真を載せてあること。
◎その料理ごとの、お三方の言葉も載っています。
この本の著者は、私
写真は、安井敏雄さん。
安井さんは、この15年ほど、「美味しんぼ」のための写真撮影に協力してくれています。
その腕前は,この本で、明かです。
香りまで感じ取れるような見事な写真です。
お三方のお話など、本分の構成をしてくれたのは、安井洋子さん。
安井洋子さんも、この15年ほど、「美味しんぼ」の取材に協力してくれています。
私と取材先の人たちとの会話はすべてカセット・テープ(この時代に、まだデジタルでないのがすごいところ)に記録して後で文章に起こしてくれます。
「美味しんぼ」の「日本全県味巡り」も、東北大震災後の「被災地篇」「福島篇」も書くことが出来たのも、この安井敏雄さんと安井洋子さんの助けがあってのことです。
そして、当然、絵は花咲アキラさん。
漫画家は、キャリアが長くなると、「絵が枯れる」と言われるようになります。
最初の頃の勢いやみずみずしさがなくなって、上手なんだろうが何だか生気が乏しくなる。
そういう漫画家は少なくないのです。
しかし、花咲アキラさんはちがいます。
この表紙の絵を見てください。
まず、線がくっきりとなめらかで生き生きとしています。
これだけきれいな線を引ける漫画家は滅多にいません。
そして、山岡と雄山の表情の豊かなこと。
今まで、「美味しんぼ」はテレビや映画に映像化されましたが、その際に一番困ったのは日本の俳優の中に雄山を演じることの出来る人がいないことでした。
私は俳優年鑑を開いて一人一人俳優を見ていったのですが、花咲アキラさんの書く雄山を演じることが出来るだけのすごみのある俳優はいませんでした。
昔、テレビで放映されていた「隠密剣士」という番組で悪役を務めていた「天津敏」ならと思ったのですが、残念ながら、亡くなっていました。
こういう人物を作ることが出来る、花咲アキラさんは凄い漫画家だと思います。
雄山が登場しなかったら、「美味しんぼ」はこんなに人気は出なかったでしょう。
と、まあ、色々な方のご助力を得てこの一冊の本が出来上がりました。
私の料理についての考え、「美味しんぼ」で何を言いたかったか、つたないながらも精一杯書きました。
「まさかの福澤諭吉」とは、まるで違う本ですが、両方ともぜひご愛読下さるようお願いします。
2016/12/14 - お詫びします 「まさかの福沢諭吉」を購入して熟読して下さったからの、「誤植ではないか」というご指摘を受けました。
私は、「まさかの福沢諭吉」を作るのに、文章だけで出そうと思ったときに、そして、マンガにしようと思ったときに、そして、シュガー・佐藤さんの画が入ったときに、何度も、校正をしました。
ところが、情けない間違いがあったのです。
その過ちを指摘して下さった方のお名前は、その方にご迷惑をお掛けしたくないので、ここで出すわけにはいきません。
その方のご指摘を以下に示します。
1)「まさかの福沢諭吉」上巻187ページから書かれている「福翁自伝」は、私が書いた「福沢諭吉全集 第3巻ではなく」、「第7巻ではないのか」
と言うことです。
これはご指摘の通りに、第7巻の間違いでした。
更に、その方のご指摘では、
2)上巻187ページに書かれている、「牛屋」の主人に福沢諭吉が頼まれたのは、「牛を殺すこと」ではなく、「豚を殺すこと」である。
これも、その方のご指摘通りで、私の間違いでした。
このご指摘を頂いた件は、単なる「誤植」ではなく、私の犯した過ちであると思います。
牛屋の主人に頼まれたから、牛を殺すこと、だと思い込んだ私の浅はかさです。
私は、これまでに、屠畜場を幾つも見学していて、牛を殺すことは勿論、豚を殺すことも、それに習熟した人達でなければ出来ないことを知っていました。(私のこの言葉を、被差別部落の人達と結びつけないで下さい。)
それなのに、「まさかの福沢諭吉」を書くときに本の内容に夢中になりすぎていて、思わぬ落とし穴にはまってしまいました。
あれだけ、念入りに校正を重ねたのに、どうしてこんなことが起こったのか、私は、悲しくて、口惜しくてたまりません。
このようなご親切なご指摘をして下さった方に心から感謝の念を捧げると同時に、初版をお買い上げ下さった方々に、なんとお詫びして良いやら分からない状況です。
運良く、「まさかの福沢諭吉」の二刷りが可能になれば。その過ちは直します。
しかし、すでに、お買い求め頂いた方には、ただ謝罪するしか私にできることはありません。
「遊幻舎」も極小の、出版社とも言えない出版社なので、初版を全部お取り替えする財力はありません。
このお詫びで、お許し頂くようにお願いするしかありません。
過ちをご指摘下さった方、また、その他の読者の方々のご厚情におすがりするしかありません。
大変申し訳ないことです。
心からお詫びします。
2016/12/08 - ありがとうございました 12月4日に明治大学で行われた、
『「 日本の「近代」と「戦後民主主義」ー戦後つくられた「福沢諭吉神話」』
の会に大勢の方が参加して下さいました。
おかげさまで大成功でした。ありがとうございました。
明治大学の山田朗先生、伊勢弘志先生、その他明治大学の皆様のご助力に心からお礼を申しあげます。
会場で「まさかの福沢諭吉」を販売した所、持っていった100セット200冊が売り切れ、さらに40数セットの注文を頂いたと、遊幻舎の担当の者が報告してくれました。一緒に会にご出席になった、安川寿之輔先生の御本もかなりの数、購入して頂いた、今までに例のないことだと、先生も驚いておられました。「今日参加して下さった方は皆さん大変に意識の高い方だったんだ」と先生は仰言いました。
当日の、安川寿之輔先生、杉田聡先生、そして私のお話しする様子はIWJ(グーグルで索引して下さい)で、録画放送していますので、ご覧になって下さい。
このページに本の購入の申し込みをされた方にも厚くお礼を申しあげます。お送りする本と一緒に郵便振替用紙が入っています。郵便局でお支払い頂ければ、手数料も必要ありません。本の代金だけお支払い下さい。
前回、お約束した、「なぜ、今、福沢諭吉なのか」については、12月4日にお話ししたことも踏まえて、新たに書き直して、このページに掲載します。
ところで、前回、PDFファイルを、このページ内に付け足す方法を取りましたが、如何でしたか。
読みづらいなどと言うことがあったら、お知らせ下さい。
もし、PDFファイルをこのページに付け足す方法に問題がなければ、私の文章はどうしても長くなりますので、その方が、読者の皆様にも読みやすいかも知れません。
感想をお聞かせ下さい。
2016/12/03 - 私と福沢諭吉 明日、12月4日は、前回お知らせした、
「問い直そう、日本の『近代』と『戦後民主主義』ー『戦後作られた福沢諭吉神話を徹底検証」
という第の研究発表会が開かれます。
出来るだけ多くの方が参加されることを願っています。
また、「まさかの福沢諭吉」の購入申し込みを多くの方に頂きました。有り難うございます。速やかに発送しますので、お待ち下さい。
さて、明日の会で、どうして私が「まさかの福沢諭吉」を書こうと思ったのか、お話ししようと思いましたが、会の制限時間を越えてしまいますので、その内容を、このページに書きます。
例によって長すぎると、ご批判を頂くと思いますが、PDFにしましたので、お読みいただければ幸いです。(これは、安川寿之輔先生が発行しておられる「さようなら、福沢諭吉」第2号に掲載した物です。)
まさかの福沢諭吉*
クリックすると、PDFファイルが開きます。
場合によってはフォントが大きく出てしまうかも知れませんが、その際には、画面上で小さくして下さい。
2016/11/27 - 「まさかの福沢諭吉」、発刊、そして緊急のお願い ずいぶん時間がかかりましたが、私の福沢諭吉についての本、「まさかの福沢諭吉」は出版元の「遊幻舎」の担当者によれば、11月25日に印刷製本が仕上がり、取次店に搬入したと言うことです。
私が20日に発売開始などと言ったばかりに、何人もの方から本屋に行ってもまだなかった。Amazon でも品切れ表示しかなかったと、お怒りの電話やメールを頂き恐縮しています。
考えてみれば、2009年からこの本を書き始めたわけで、途中福島のの鼻血問題などで対応せざるを得なくなり、反論の一冊本を書かなければならなくなったりして、福沢諭吉の本は遅れに遅れました。
それでも、2015年の12月には発行できる状態だったのですが、私の娘達二人がその原稿を読んで、「これは、マンガの形式で書いた方が、分かりやすい」と強く言うので、急遽マンガ形式にしたために、また時間がかかりました。
漫画家は、「日本人と天皇」の時のお願いした、シュガー・佐藤さんです。
シュガーさんの労力は尋常な物ではなく、800ページに及ぶマンガを、1年あまりで描き上げて下さったのです。
下に、「遊幻舎」の書いた、出版案内を掲載します。(上下2巻、上巻432ページ、下巻368ページ)
画像はクリックすると大きくなります。
定価は上下二巻で3600円プラス消費税で、3888円ですが、このブログの読者に限り、上下二巻3100円(送料なし、振込手数料なし)で販売します。ご希望の方は、氏名、住所、郵便番号、電話番号を、明記の上、このブログに申込んで下さい。出来るだけ多くの方に読んで頂きたいと思って、「遊幻舎」の担当に頼み込んでこの値段になりました。
ところで、今度の私の本「まさかの福沢諭吉」について語る前に、緊急に皆様にお願いしたいことがあります。
2009年の福沢諭吉についてのページにも書きましたが、日本で真実の福沢諭吉の思想、行動を明らかにして、その実像を明確に捉えた研究者は、ただ一人名古屋大学名誉教授安川寿之輔先生だけでしたが、最近は、帯広畜産大学、経済学教授の杉田聡先生が、安川寿之輔先生先生とはまた別の見地から、鋭い福沢諭吉論を展開されており、私はこのお二人こそ、真実を追及するためには何事をも恐れず、周囲からの雑音にも怯まず、傲然として日本の社会の不正に立ち向かう真の学者であると尊敬しています。
安川寿之輔先生、杉田聡先生のお二人は無智な私に色々とお教え下さり、まさに私の師であり、同士とも恃む方です。
そのお二方と私とで、12月4日に明治大学で、「問い直そう、日本の『近代』と『戦後民主主義』ー『戦後作られた福沢諭吉神話を徹底検証」という題で研究発表会を開きます。
そのビラを以下に掲載します、
この研究・発表会、について広報活動をあまりしていないことが、何と昨日になって私は知りました。
このままでは、当日人が集まる可能性は今の所低いと私は思わざるを得ません。
私は大変に焦っております。
そこで、読者の皆さんにお願いです。
この私のブログのURL(kariyatetsu.com)を出来るだけ多くの方たちに、送って頂けないでしょうか。
もう一週間もないのにこの有様で、お恥ずかしい限りですが、出来るだけ多くの方に、参加して頂きたいのです。
参加ご希望の方は、このブログに「12月4日、参加希望」として、お名前をお書きになって申込まれれば、当日入場料が1000円のところ、「事前申し込み」として800円の入場料となります。
また、当日会場で、「まさかの福沢諭吉」を上下で3000円、「美味しんぼ『鼻血問題』に答える」を1000円で販売します。
一人でも多くの方に参加して頂けますよう、皆さんのご協力をお願いします。
「まさかの福沢諭吉」についての、文章は、次回に掲載します。
今回は、お知らせと、お願いだけにしておきます。
2016/11/19 - まさかの福沢諭吉 以前から、私が福沢諭吉についての本を書いていることをお伝えしてきました。
福沢諭吉については2009年7月5日と7月9日に2回にわたって書いています。
そのブログを読んでくれた「高文研」の方が、安川寿之輔先生に「こんな人が、こんなことを書いていますよ」と知らせてくれて、それで、安川寿之輔先生とのつながりが出来、それ以来、安川寿之輔先生に色々とお教え頂きました。
私は福沢諭吉については、安川寿之輔先生の幾つも著作によって勉強し、日本人は全員安川寿之輔先生の著作を読むべきだと思っています。
しかし、安川寿之輔先生の著作はあくまでも学術書であり、私の妻や姉、弟のような一般の人間には取っつきにくい所があります。
しかも、安川寿之輔先生が著作の中で引用する福沢諭吉の文章は先生のその場での議論に必要な部分だけであって、福沢諭吉の文章全体を見渡すのが難しい。
といっても、ある一つの福沢諭吉の文書を取ってみても、明快であるのですが、さすがに明治時代の文章であり、読みづらい、おまけに福沢諭吉の書く文章はとにかく長い。
改行もなく、難しい漢字を使って、どうしても読者を納得させようと思うのでしょうが色々な例を挙げ、話があっちに飛びこっちに飛ぶ。一つ読むだけでくたくたになります。
で、私は、福沢諭吉の文章を現代文に直し、長すぎる所は(殆どがそうなのですが)要約して、現代の若い人達でも読みやすく、福沢諭吉の思想を確実につかめる形にしようと考えたのです。
本当なら、2011年には出版する予定だったのですが、2011年に福島第一原発事故が起こり、被災地と福島の取材に取り組み、また、その後「美味しんぼ」の福島編の中で私自身が体験した鼻血の話を書いた所、総理大臣まで出て来て、私をバッシングしたので、その反論の本を書いたりするのにまた時間を取られ、ようやく20115年11月に出版する所までこぎ着けたのですが、その内容を読んだ娘達が、マンガにした方が分かりやすい、と忠告してくれたので、急遽、文章だけの本をマンガの形に作りなおすことにしたのです。それで、更に時間がかかり、ようやく、この11月20日に出版することが決まりました。
書名は、「まさかの福沢諭吉」です。
私は、中学高校までに学校で教えられたとおりに、福沢諭吉は日本の民主主義の先駆者と漠然と考えていましたが、実際に福沢諭吉の著作を読むと、民主主義とは全く正反対の思想をこれでもか、これでもか、と述べているので、「まさか」と仰天しました。
書名は、私が福沢諭吉の著作を真剣に読み始めたとき、思わず声に出してしまったその言葉をそのまま使いました。
遊幻社刊 「まさかの福沢諭吉」作・雁屋哲、作画・シュガー佐藤。上下二巻。各巻1800円+消費税です。
若い人でも読みやすい形にするのが私の意図だったのに、私も福沢諭吉同様くどい性格なのか、マンガ形式にしたために800ページを越えてしまい、仕方なく上下二巻に分けざるを得ず、どうも気安く読んで頂こうという最初のもくろみから大きく外れてしまったようで、残念です。
それだけ、福沢諭吉については語るべきことが多いのです。
とは言え、福沢諭吉は、百年以上前の人間です。
様々な問題を抱えている、日本の社会の現状を考えると、今更読む価値が有るのかと思う方も多いと思います。
どうか、出来るだけ多くの人に読んで頂きたいと願っています。
そこで、次回から、「なぜ今、福沢諭吉なのか」を語るつもりです。
2016/11/11 - 増田義郎先生を悼む 増田義郎先生が亡くなられた。
増田先生は、新聞やインターネットでは、「文化人類学者」とか「中南米文化史研究者」と書かれているが、先生は英文学専攻だったのがラテン文学に興味を持ち、それをきっかけに中南米の歴史の研究に軸足を移されたと私は記憶している。
私は、東京大学の教養課程で増田義郎先生の英語の授業を受けた。増田義郎は筆名で、大学では増田昭三の本名で授業をしておられた。
1960年代の初めにすでに先生は「インカ帝国探検記」や「古代アステカ王国」などの本を出版されていて、私は、その「インカ帝国探検記」を読んで大変に感激していたので、増田義郎先生の授業というので興奮したが、授業は普通の英語の授業で、インカ帝国のことなど一つも先生は話されなかった。
その後、私は教養学部の基礎科学科に進学したが、ふと同じ教養学部の教養学科の授業予定表を見ていると、増田先生がインカに関する授業をしておられる。
こっそり授業に紛れ込んで聴講してみると、インかどころかインカ文明以前のプレインカ時代の話で大変に興味深く、先生に、「基礎科学科の学生ですが授業を受けさせて頂けませんか」、とお願いした所、よろこんで、「ああ、いいですとも、基礎科学科の学生がこんなことに興味を持つとはね」と仰言って快諾して頂いた。
先生のその授業は、殆ど考古学に近く、細かい地名は忘れてしまったが、インカの文明の地をある程度掘ってみると、その下に、それ以前の文明の遺跡がある、そこをさらにほると、またそれ以前の文明の遺跡が現れるというもので、遺跡を掘り下げると更にその下にそれ以前の文明の遺跡が重層的に眠っているという話が当時の私にとっては初めて知ることであり非常に興奮して面白かった。
私は、かなり熱心に先生の授業を受け続けた。
しかし、学期も終わりになる頃、先生の授業の試験の日と、本来私が所属する基礎科学科の重要な科目の試験日とが重なることが判明した。
さすがに、自分の専攻学科の試験を外すわけにはいかない。
で、増田義郎先生に、「申し訳ないのですが、先生の試験と基礎科学科の試験と日が重なってしまい、先生の授業の試験は受けられなくなりました」と謝りに行ったら先生は笑われて、「そりゃ自分の方を優先しなくちゃね。いいんだよ、そう言う人は良くいるから」と、おとがめも無かった。
私以外にも他の学科から先生の授業を聴講に来る者が少なくないと言うことが先生のそのお言葉から分かって、私は嬉しくなった。
ああ、こんなことも40年以上も前のことになるんだなあ。
先生について、人が「文化人類学者」というのもむべなるかなであって、先生は単なるラテン文学とラテンアメリカの歴史に造詣が深いだけでなく、プレインカについての考古学的研究もしておられたのである。
英文学から始まって、ラテン文学、中南米の人類学的な研究にまで進んで行かれた先生はそれまで日本人に殆ど知られていなかった分野を開拓されたのであり、学者として非常に先鋭で意欲的な方だった。
コロンブス以後、スペイン、ポルトガルなど国の一攫千金を狙う人間がアメリカ大陸に襲いかかり、その結果が今の中南米諸国の不安定な政治状況を作り出しているのだが、そのコロンブス以後の西欧の探検者冒険者たちが海を渡った時代を、現在「大航海時代」という言葉を日本では使われている。その「大航海時代」という言葉も、増田義郎先生が当時の状況を極め尽くして作られた言葉なのである。
今夜は増田義郎先生のご逝去を悼み、先生の御著書をどれか読んでみよう。とは言っても、増田義郎先生の御著書はどれも魅力的で、どれにするか非常に迷うのだ。
2016/11/11 - 豊洲問題 最近、築地市場が豊洲に移転する問題が騒ぎになっています。
私としては、何を今更言っているんだろうと、思わざるを得ないのです。
私は、2009年に築地市場の豊洲移転に伴う問題について取材して、2010年3月に出版された「美味しんぼ」第104巻に、その件を詳しく書いてあります。
詳しくは、第104巻を読んで下さい。その中には、青森の「六カ所村」の「核燃料再処理工場」についても書いてあります。
「美味しんぼ」の第104巻と第105巻は、2009年から2010年に掛けて、日本の環境問題を日本各地を歩いて取材して書いています。
環境問題はその当時から、何一つ改善されている物はありません。
私達日本人は、自分の国土を破壊して、つかの間の経済的繁栄を得ましたが、今やその経済も破綻して、当時国土を破壊したことが今になって、重い負担になって私達、私達の子供、孫、さらに次の世代にまで残ってしまったのです。
「美味しんぼ」この第104巻の中でも青森の六ヶ所村の「核燃料再処理工場」を訪ねて、もしここで放射能漏れがあったら大変なことになることを指摘しています。当時、現地の空間放射能は0.02などという物でした。しかし、それは何も事故が起こらずに済んでいる場合で、一旦何か大きな事故が起こればそんな数値は吹き飛ぶと予見しています。
今の所、六ヶ所村からの話は聞かずに済んで幸せですが、2009年には予見だった放射能被害は2011年の福島第一原発で現実のものになりました。マンガでは予測も出来なかった大きい被害になりました。
そして、2009年にすでに現地を取材して「美味しんぼ」にきちんと書いた豊洲問題が2016年の今になって表面化したのです。
たかが一介のマンガ原作者である私が、現地を訪ねれば分かることを、どうして専門家や施政者が分からないのでしょうか。
全て施政者、(豊洲問題で言えば、当時の都知事石原慎太郎が、決めたことです。今になって、石原慎太郎は何もかも忘れてしまったぼけ老人を演じています。)とその周辺の人間が、自分の子供たちの世代は当然孫の世代にまで影響を及ぼすことを心配することもなく、その時の自分の欲で決めてしまったことなのです。
こんなことをすれば、後の世代に害を及ぼすと分かっていても、その時自分が得られる利益に目がくらむのでしょう。無責任も甚だしい人達だと思います。
個人の欲望は自分の子供、孫のことも忘れさせるほど、強烈な物なのでしょうか。情けなく、恐ろしいことです。
この豊洲の件について興味の有る方は是非、「美味しんぼ」の単行本第104巻をお読み頂きたいのですが、今回は、第104巻のその部分の触りのところを、ここに引用します。
まず、「美味しんぼ」第104巻の、95ページを開いて下さい。
そこは、新しい章の開始のページで、「食と環境問題〈5〉」と書かれています。次のページから、本題に入ります。
(以下、「美味しんぼ」第104巻から引用して下に掲載します。)(ここに書かれている人名、数値などは、当時私が実際に取材したときに確かめた物です。工事などの関する細かい数字などは、それ以後に変えられた物もあります。この話は飽くまでも、2009年に私が取材をしたときに私が確認したことを元にしているとご理解下さい。内容は全て2009年に確かめた事実です。何一つ、事実に手を加えた所はありません。それが「美味しんぼ」の基本ですから。)
(画像をクリックすると、画像全体が現れます。)
ここに描かれているのが、「豊洲新市場予想図」です。
2009年の段階では「予想図」でしたが、現在はこの通りに出来上がっているのでしょう。
出来上がってしまった今になって、いろいろと問題が起きているのですが、その問題の根底はは2009年に私が「美味しんぼ」で豊洲新市場について取材したときに、すでに分かっていたことなのです。
ことの進展を振り返りましょう。次は96ページです。この中で、「2014年に開業する」と書かれていますが、それは、2009年当時の予定であって、実際は今年2016年に開業する間際になって、2009年当時に問題とされていた物が解決されていないことが明らかになり、開業できなくなっているのです。この問題とは何だったのか、
次に、97ページから順番に見て行って下さい。
この図は、東京都が発表したパンフレットに依っていますが(http://www.shijou.metro.tokyo.jp/toyosu/pdf/book/pamphlet.pdf)少し説明が必要です。図の中で、盛土が2.0mと2.5mの二層に別れていて分かりづらいと思います。
下の2.0mと書かれている地層の一番上が、東京都が東京ガスから買ったときのその土地の表面です。その土地の汚染がひどいので、2mの深さで土地全部をはぎとり、はぎとった後に新しい土を入れて、東京ガスから買ったときの土地の高さにするという意味です。
その上の、2.5mというのは、更にその上に新しい土を盛ると言うことで、こうすることで、東京ガスから買ったときの土地より2.5m高くなります。
あわせて、4.5mもの盛土をするというのです。なぜ、そこまでしなければ安全が確保できない土地に、生鮮食品を扱う市場を無理矢理移転させなければならないのか。私には、理解できません。
この一番下の図は、私達が取材したときに撮影した写真を元にした物です。不思議なことに、雑草だらけの土地なのに、学校の校庭に匹敵する面積の一角は何一つ雑草が生えていませんでした。この土地の石も土も植物も外部持ち出しを禁止されました。勘ぐれば、石も土も危険である、あるいはそんな物を外部に持ち出して検査をされたら困るからなのかと思いますが、それは私の邪推でしょうね。
豊洲の問題続いているのですが、ここで「美味しんぼ」の話の都合で(山岡と雄山の料理に関する問題が、その件が挿入されます。その部分はのぞいて、豊洲に関する場面だけを抜き出しますので、ちょっと乱れますがご勘弁下さい。
ここから、豊洲移転賛成派の意見が登場します。
「美味しんぼ」第104巻では、このあと、色々と魚介類を使った良の話が出て来ますが豊洲とは関係ないので省きます。次からのページはその後に続く物です。ここから豊洲移転反対派の人が意見を言います。
と、これで、「美味しんぼ」で「豊洲問題」を扱った部分は終わります。もっと詳しく書くべきだったのですが、この第104巻は「食と環境問題」を扱った巻であって、ほかにも、沖縄の泡瀬干潟、天竜川のダムの問題、長良川の河口堰の問題など幾つも扱っているので、豊洲問題についてはこれだけのページ数を使うのが限度でした。
しかし、この「美味しんぼ」の豊洲問題で、今騒ぎになっている問題は全て明かでしょう。
基本的に言えば、一番の問題は、豊洲の東京ガスの跡地は、石炭から都市ガスを作り出す工程によって、非常に汚染されていて生鮮食物を扱う市場を作ることに全く適していないと言うことです。
そのように汚染された土地の上に、生鮮食物を扱う市場を作るために、東京都の説明を見ても分かるように、異常な手段を使い、考えられない巨額のカネを使っています。
更なる問題は東京都は、100ページから、102ページに渡って、約束した豊洲の土地を安全な物にすると言ったのに、それを守らなかったことです。
自分たちの利益のためには消費者の健康問題も何も考えない。市場の生鮮食品も消費者から受け付けられなくなり、市場自体が成り立たなくなるかも知れない。
関係者たちが罪のなすり合いをしていますが、醜悪な限りです。
東京都と都民は、この事態をどうするつもりなのでしょうか。
もう出来てしまったものは仕方が無い、と言って使いますか。あるお寿司屋さんが言っていましたね。「豊洲のすしネタはうちでは使わない。他に仕入れ先を見つける」
東京で寿司を食べるのは命がけになってきました。
まことに世も末とはこのことです。
放射能汚染に加えて、ベンゼン、ヒ素、青酸まで心配しなければならないとは。
東京都の関係者は、2020年の東京オリンピックのために、現在の築地市場を通る道を作る必要があると言っています。
オリンピックだと?
東京オリンピックは、安倍晋三首相が、福島の汚染水は完全にブロックされているとIOCの誘致の場で大嘘をついてまで誘致した物でしょう。
オリンピックを開くことで、誰が嬉しいのでしょう。運動選手は自分の活躍できる場が出来て嬉しいでしょうが、運動選手の選手寿命はどんなに頑張っても、30代後半まで。日本人の平均寿命(女性が86.83歳、男性が80.50歳)考えると、選手としての活躍の時代が終わった後の長い時間を、どのようにして過ごすかが問題でしょう。
オリンピックが終わったら死んでも良いのですか。それとも、その後も生き続けたいのですか。
元オリンピック選手でも、生きるためには安全な環境が必要でしょう。引退した後、現在の豊洲市場からの生鮮食物を食べますか。
東京オリンピックを開くことで嬉しいのは、安倍晋三首相とその周囲のオリンピックで一儲けできる人達、ゼネコンを初め、オリンピックに協賛することで利益を上げられる人達でしょう。
私は皆さんにお尋ねしたい。
オリンピックって私達の生活を壊してまで開く価値の有る物なのですか。
2016/11/05 - 中国ショック3 中国に4月に行った目的は、西安の大雲寺に保存されている褚遂良の「雁塔聖教序」を見ること、また、2004年に、西安の工事現場で偶然発掘された日本人留学生〔遣唐使)井真成の墓誌が、西安の西北大学に保存されているというので、それを見ること、そして南京の、「南京虐殺記念館」を訪れることでした。
褚遂良の「雁塔聖教序」を見るのは長い間の夢だったのですが、ああ、なんと言うこと、碑自体は残っていましたが、その表面に、私が見たかった石碑にその碑文を拓本に取った紙がかかっているではありませんか。
拓本に取ると碑が傷むので、それは仕方がないのかも知れませんが、碑自体はきちんと元のままに見せて、拓本を取ることだけを禁止すれば良いのではないかと、がっかりして腹を立てました。なんと言うことだ。この数十年の私の夢は何だったのだろう、と無念が募りました。もっと早くに来れば、石碑の表面を見ることが出来たかも知れないと思うと、余計に口惜しくなります。中国から帰ってきて数ヵ月経つ今でも口惜しくてたまらない。
最初の日に、きちんと写真に撮り損なっていたことが、その夜ホテルで写真を点検して分かったので、翌日三脚を担いで長男の協力を得て再び、褚遂良と、井真成の墓誌を撮影に行きました。
褚遂良の碑も、上部の飾りの部分は覆われていなかったので、碑の名前など重要なものは、撮影し直して、あの条件ではこれ以上は撮れないというところまで撮影しました。実際に難しい角度からの撮影は長男に頼みました。今の私の脚の具合では写真を撮るのに上手い具合に態勢を取ることが出来ません。
誰か政府の高官につてでもあれば、あの拓本の紙を剥がして、碑面を見ることが出来たのでしょうが、そんなつては無いから仕方がないことです。それにしても、どうしてあんな処置をとったのか、理解に苦しむこと甚だしい物があります。
褚遂良については皆さんご存知でしょうから、井真成について、ちょっと語りましょう。
2004年に、西安市内の工事現場で、パワーシャベルが一つの物を掘り出しました。
表面に字が書いてあるから意味のある物だろうと、西北大学に持込まれて、これが、700年代の、日本から遣唐使としてやってきた一人の青年のための墓誌であることが確認されたのです。
その後、日本の専修大学と、西北大学の共同プロジェクトで、その墓誌の研究が進み、朝日新聞社から「遣唐使の見た中国と日本」という本が発行されました。私はその本を読んで、どうしても、西北大学に来たかったのです。
この墓誌によれば、
専修大学の矢野健一教授の解読する所では、
「七一七年の遣唐使として一九歳で中国に来て、開元二二年(七四二年)に三六歳で亡くなった。玄宗皇帝はその死を悼み、尚衣奉御の位を追贈し、葬儀も国で費用を支払う物とした。同年二月、埋葬された」
とあります。
私はその本を読んで、思わぬ出来事に興奮して西北大学まで行ったのです。
墓誌とは、昔の中国の風習で、身分の高い人が亡くなると、身分に応じて立派な墓を作り、その棺の傍に、亡くなった人間の業績などをたたえる文章を書いた物を置いたものであって、墓誌には蓋と、その下の業績を書いた文章を掘られた物とに別れています。両方とも石です。
墓誌の蓋の部分は長い年月の間にいたんでも、蓋の下の墓誌は蓋に守られていてきちんと残っています。(とは言え、肉眼では判読しづらく、拓本にとってはっきりと読むことが出来たのです)
ところが、西北大学でも、専修大学でも、昔の文献など調べてもどうしても、この井真成という人間のことが分からない。
西北大学と専修大学のそれぞれの専門家が、日中両方の文獻を調べても、この、井真成という人物のことが分からない。
ところが、この墓誌を見ると、「尚衣奉御」という唐の官僚として位を与えられていることが分かります。
「尚衣奉御」と言うのは、皇帝の身の回りの着る物を整えるという仕事で、官僚の位としては低い物ですが、皇帝や高官の子弟はこの「尚衣奉御」を最初の一段として、次々に高い位に上っています。
であれば、この井真成は、かなりの人物であったのではないかと思われるのです。
現実に、玄宗皇帝が井真成の死を悲しんで、この官職名を与えたとも西北大学の研究では言われています。
私にとって、最大の魅力は、遣唐使の時代に、日本の記録に残っていなかった青年の死を玄宗皇帝自身が悼み、このような官職名を与えて、葬ったと言う所にあります。
日本の歴史にも、中国の歴史にも、全然姿を現さなかった人物が、西安の建設現場でその姿を1300年後に現した、というその歴史のすごさに私は圧倒されたのです。
日本と中国の文化的な交流の奥深さの素晴らしさがここにあります。
これを、深く感じて、どうしても、西安に行って、西北大学を訪問したかったのです。
最近世界の大学ランキングで、中国の大学が日本を追い越し、日本の大学がどんどん下流に落ちて行っているのもむべなるかな、と言うのが西北大学を見るとよく分かります。
というほど西北大学は立派な豪勢な大学で(世界の大学ランキングで西北大学がどの程度の地位を占めているのか私は知りませんが)、その、歴史的文物を展覧する階は非常に見応えがありました。
その中に、井真成の墓誌がガラス張りのケースの中に収められていました。
紀元700年代の物を、こうして目の前にすると、あまりの感動故にうろたえてしまいました。
私達日本人は、こうして中国の文化を学び、自分の物として取り入れ、漢字を学び、それを簡略化して音だけを表す「かな」を作りだしましたが、日本人の教養の原点は、「四書五経」を元にした中国の文化であることを、私は、この「井真成の墓誌」を見て、しみじみと思い、その中国文化を学ぶために、この700年代に大変な苦労の末に中国に渡りながら(当時は航海術も低く、船も今のような立派な物ではなく、中国への航海自体が冒険でした。遣唐使として日本を出て途中の航海で遭難して亡くなった人間も数多くいるといいいます)、志半ばで中国で亡くなってしまった井真成という青年の志を察して、涙せざるをえなかったのです。
さて、今回の旅の主要目的である、「南京大虐殺記念館」ですが、これはちょっと期待外れでした。
と言うのは、私は南京虐殺については30年以上前から様々な本、雑誌の記事などを集めて持っており、「南京虐殺否定派」の人々の言うことが如何に無残で浅ましい欺瞞に満ちているか、様々な実際の資料を基に認識しています。
その私の目からすると、「南京大虐殺記念館」の展示は物足りない。
展示されている写真などは、殆ど全てが、特に主要な物は、既に私が今までに見た物ばかりで、私の家の書棚の「南京虐殺」の資料に及ばないと思ったのです。
興味をひかれたのは、「南京虐殺」当時の、南京の一般の人々の住居の内部を再現した物と、発掘された虐殺されたという人々の遺骨でしたが、無残に散らばった遺骨だけからは、虐殺の実状を想像することは難しい。一度に一万人以上もの人間を、機関銃の銃身が真っ赤に焼けるまで撃ち続け、撃たれて倒れた人々の山の上を歩いて、生き残っていた人々を銃剣でさして回ったという日本兵の、実際の記録のすごみが伝わらない。
写真や新聞記事の複写だけでなく、大虐殺記念館自身、あるいは、中国政府自身が本気になって集めた資料を展示して欲しいと思ったのです。
まあ、これでも南京虐殺のことを知らなかった人にとっては事実を知る糸口になるとは思いますが、学術的には物足りないのではないでしょうか。
「大虐殺記念館」の入り口には、当時の被害者の姿を表現した彫刻が並んでいて、その彫刻は虐殺された人々の無念さ虐殺の血も凍るような無残さを表現していますが、その彫刻の表現を裏付ける資料が記念館には足りないと私は思いました。
記念館には、当時の雑誌や新聞のコピーなどではなく、中国自身が独自に集めた疑いのない第一次資料をもっと数多く展示して、記念館を充実させて欲しいと思います。
ユダヤ人虐殺の、アウシュビッツの展示に比べると、力不足であると私は思います。
ところで、最近、思わぬことがありました。「文藝春秋社」から、「『南京事件』を調査せよ」という本が出たのです。出版社の名前からして、また、本を書いた人間が読売新聞系の放送局日本テレビNNNの記者であることから、さらに、「南京虐殺」を「南京事件」としていることから、この本も今までに多く出されてきた「南京虐殺」を否定するための本だと思いました。「南京事件」では何のことだが分からないではありませんか。このような曖昧な表現は、「南京虐殺」を認めたくない人がよく使う手です。
この本もそのような本だろうと思い込んでしまいました。
ところが違ったのです。この本の著者の、清水潔氏は、南京虐殺を行った兵士たちの陣中日記の本物を求めて探し当て、その陣中日記から、実際に虐殺に手を下した兵士たちの記録を集め、その兵士達自身が書き留めた記録から、南京虐殺が疑いのない事実であったことを証明したのです。
清水潔氏の作った番組「NNNドキュメント'15『南京事件〜兵士達の遺言』」は2015年10月4日に放送されると、ギャラクシー賞など幾つもの賞を取りました。この番組は、現在、Youtubeで見ることが出来ます。このような番組を、読売新聞系の放送局が作り放映し、幾つもの賞を取り、それを文藝春秋社が出版するとは、私にとっては思いもよらぬことで、日本の中にもまだ良心が残っているのだと、心強くおもいました。
しかし、そこはさすがの産経新聞で、J-CASTによれば、
「10月16日付朝刊に「『虐殺』写真に裏付けなし 日テレ系番組『南京事件』検証」と題した記事(東京最終版)を載せ、番組内で紹介されていた1枚の写真に焦点を当てた。連載「歴史戦」の1本で、3面に8段にわたり大きく掲載された。
写真は防寒着姿で倒れている多くの人々を写したもの。冒頭で「南京陥落後の中国で日本人が入手した写真と言われている」と紹介され、番組最後に再び登場した際には、現在の揚子江付近から見える山並みと、写真の背景の山の形状が似ていることが指摘されていた。
産経記事では「南京陥落後、旧日本軍が国際法に違反して捕虜を『虐殺』。元兵士の日記の記述と川岸の人々の写真がそれを裏付けている―そんな印象を与えて終わった」と指摘した。
また、番組が取り上げたものと同じ写真(日テレによると「類似写真」)が、「南京大虐殺、証拠の写真」として毎日新聞の1988年記事に掲載されていたと指摘。NNNドキュメントでは、毎日記事と同様に「被写体が中国側の記録に残されているような同士討ちや溺死、戦死した中国兵である可能性」に触れていないとして、これを問題視した。また、日本テレビ広報部のコメントとして「番組で紹介した資料の詳細についてはお答えしておりません」との回答も載せている。
これに対し、日本テレビは10月26日、NNNドキュメントの公式サイトにお知らせ文を掲載し、先の産経記事の内容は「番組が放送した事実と大きく異なっていた」と反論した。
日テレ側は「『虐殺』写真に裏付けなし」という大見出しが「事実ではない」と主張。例の写真については「虐殺写真と断定して放送はしていない」と強調し、「類似写真」を掲載した毎日新聞の記事と「番組の内容と混同し、批判した」とも指摘した。
「一場面を抽出して無関係な他社報道を引用し、『印象』をもとに大見出しで批判し、いかにも放送全体に問題があるかのように書かれた記事は、不適切と言わざるをえません」
また、見出し以外の複数個所についても反論し、「以上のように産経新聞の記事は客観性を著しく欠く恣意的なものであり、当社は厳重に抗議します」と結んだ。
産経新聞は27日、J-CASTニュースの取材に「当社の見解は産経新聞10月16日付の当該記事の通りです」とコメント。抗議文は25日付だったという。」
産経新聞のやり口は、いつも「南京虐殺否定論者」が使う物で、一つ何か疑わしいものがあると彼らが思い込むと、「これが疑わしいから、南京虐殺も全部嘘だ」とする、「一点突破全面否定」方式です。
産経新聞は、福沢諭吉の創立した時事新報の後継紙です。
産経新聞のホームページによると、昭和8年(1933年)「日本工業新聞」を創刊し、昭和17年(1942年)に「産業経済新聞」に改題し、昭和30年(1955年)に東京本社が時事新報と合同し新聞の題号を「産経時事」にし、昭和33年(1958年)に、「産経新聞」に統一、とあります。
福沢諭吉は時事新報を発行する際に、「本誌発兌(発行)の趣旨」の中で「(時事新報の)求める所は国権皇張(拡張)一点にあるのみ」と書き(国権を拡張すれば他国を侵略せざるを得ない。国権拡張を求めるとは、侵略することも求めることです)、その後時事新報で「大企業優先、格差無視、下層階級の貧困化無視」「天皇制推進」「明治憲法に感激して泣く」「教育勅語にも感激して泣く」「当時の朝鮮人、清国人に対する、ヘイトスピーチの繰り返し」「国権拡張、即ち他国への侵略に国民を扇動し続け」「天皇のために、天皇の臣民である日本人は命を捧げるのが当然」「台湾などの植民地の人間で日本に逆らう者は皆殺しにしろ」「朝鮮人民のためにその滅亡を賀す」などという論説を次々に大量に書き続けました。(まさか、福沢諭吉がそんなことを書くわけがないと、多くの方は思うでしょう。だったら、11月20日頃には書店の店頭に並ぶ私の書いた本「まさかの福沢諭吉」をぜひお読み下さい。その「まさか」がずらりと並んでいます。
福沢諭吉の著作を実際に読むと、皆さんが抱いていた「福沢諭吉は日本の民主主義の先駆者」という思いこみが如何に間違ってすり込まれたものであるか分かります。
産経新聞は、まさに、その福沢諭吉の時事新報の精神を見事に引き継いでいます。
最近、「花伝社」から発行された、伊東秀子著「父の遺言」を是非読んで頂きたいと思います。
伊東秀子さんの父親は戦前満州(中国東北部に日本が作った植民地国家・偽国家とも言う)の憲兵隊長を務め、多くの中国人を、731部隊で生体実験に使うために送り込みました。
日本が中国で行ってきたのは、南京虐殺だけではありません。731部隊では、化学兵器を研究し、中国人を捕まえて実験の対象にし、実際にペスト菌を中国各地にばらまいて成果を試しました。
「戦艦武蔵」など、数多くのノンフィクションを書いた吉村昭は「蚤と爆弾」(文春文庫)でその事実をきちんと丁寧に書いています。
731部隊どころではなく、日本軍は、1939年から北支那方面軍による「燼滅(じんめつ)掃討作戦を展開しました。「燼滅(じんめつ)掃討作戦」とは、抗日・抗日ゲリラ地区に対して徹底して、殺戮、略奪。砲火、破壊を行うことで、「殺し尽くす」「奪い尽くす」「焼き尽くす」というものであり、共産軍・八路軍は、この「燼滅掃討作戦」を「三光作戦」と呼びました。
また植民地国家「満州」では、日本の中央政府の計画の元に、アヘンを中国人に売って金を稼ぐというアヘン政策を行いました。
みすず書房刊「続・現代史資料(12)アヘン問題」、また、江口圭一氏の著書、「日中アヘン戦争」(岩波書店)などに、日本が史上最悪最大のドラッグ・デイーラー国家であることが記録されています。
研究者によってその数には異同がありますが、アヘンによって、多くの中国人が死んだことは確かです。
以上に書いたことから、日本が中国で殺した人間の数は正確な資料が残されていないので、研究者によって、その数は異動しますが、大雑把に見て、一千万人から二千万人以上とみられています。
伊東秀子氏は、御父君が中国で行った犯罪を、この本の中で書き記しています。
これは、御父君を心か愛しておられる伊東秀子氏にとってこの上なく辛いことだと思います。
しかし、伊東秀子氏は、御父君の名誉のためにこの本を書かれたのです。
伊東秀子氏は、この本を書かれて、自分のしたことを率直に語られた御父君の偉大さをきちんと伝えることで、御父君の名誉をこの上なく高められたと私は思います。
私は伊東秀子さんの誠実さと勇気に心から敬意を払い、人間の尊厳を高める努力に感謝します。
南京虐殺の三十万人など、日本が中国全土で殺した中国人の数から言えば、上に書いたように恐ろしいことにほんのわずかな数であると言わざるをえません。
日本人全体が、「南京大虐殺記念館」を作らざるをえなかった中国人の心を理解せず、安倍晋三首相があっけらかんとして言った「侵略かどうかは後世の歴史家の判断に任せる」などと、と言う言葉に批判を加えない限り、日本は未来永劫、「自分の過去を正直に振り返ることの出来ない、最低の国」という現在国際社会で受けている評価に甘んじつつづけなければならないでしょう。
さて、今回の「南京大虐殺記念館」の話で、2016年4月に行った中国の話は一区切とします。
中国の話をすると、切りがありません。
中国については、また話す機会があるでしょう。
2016/08/20 - 中国ショック2 中国から受けた衝撃は、簡単には収まらない。
その中国ショックについての話を続ける前に、またブックレットのお知らせです。
前回の「さようなら!福沢諭吉」は実は、「福沢諭吉の引退を求める三者合同講演会機関誌」の準備のための特別誌であって、これから、新たに、正式な「さようなら!福沢諭吉」の安川寿之輔先生、杉田聡先生、雁屋哲の三者合同の講演機関誌が「創刊号」として発刊されることになりました。
前回の発行は「花伝社」による物でしたが、今回の正式な創刊号から、発行世話人安川寿之輔先生、の発行と言うことになります。
前回の「さようなら!福沢諭吉」の内容は、2015年、12月8日の名古屋での講演の内容が主体になっていますが、今回の創刊号は、それとは別に、福沢諭吉批判の内容になっています。
今回も私に注文して頂ければ、安川寿之輔先生に取り次ぎます。
ただ、今回の創刊号について、お詫びをしなければならないことがあります。
私は、巻頭に「勝海舟と福沢諭吉ー『痩せ我慢の説』批判」という文章を書いています。
これは、福沢諭吉が、明治維新後24年も経ってから、勝海舟が西郷隆盛と談合して、幕府が薩長を中心とする西軍〔官軍とも言う)に降伏して江戸城を明け渡しのがけしからんことで、三河武士の魂に悖る。武士なら、負けることを覚悟しても痩せ我慢をしてでも戦うべきであった。しかも、明治維新後、政府の高官になり、伯爵という爵位まで貰ったことがけしからんことだと、批判したものです。
私は、その福沢諭吉の言うことに対する反論を書いています。
しかし、その中で半藤一利氏の著作「それからの海舟」を参考に使わせて頂いたのですが、うっかりと言うのも愚かな間違いを犯してしまって、半藤一利氏には、謝罪をしなければなりません。
それは、海舟が西郷隆盛との談判の前に、江戸の火消しの親方、その他の町の有力者に頼んで話を付けておいて、西軍〔官軍が)海舟の談判にも拘わらず,江戸に攻め込んで来たら江戸中に火をつけて江戸を火の海にして西軍(官軍)を火攻めにしてその間に幕府の強力部隊が西軍を倒す、という策を立てておいた、と言う件なのですが、私は、このことについて「半藤一利氏は珍しく、ここでは出典を明らかにしない」などと書いてしまいました。
ブックレットが印刷されて私の手元に届いたとき、その個所を目にして、私は驚きました。
「一体何と言うことを書いてしまったのか。こんなことは、勝海舟の『解離録』にきちんと書いてあることではないか」
ブックレットの原稿を書きながら、「何か変だな」と感じていたことは確かです。
勝海舟については、勁草書房版、講談社版の二種類の全集を持っていて、肝心な所はきちんと読んでいたはずなのに、そのようなことを書いてしまうとは、とんでもないことです。
半藤一利氏は、その文中にもちゃんと「解離録」の名前も挙げておられる。
何もかも、私の精神的な混乱のせいです。
半藤一利氏には心からお詫び申しあげたいと思います。
(このときの私の精神的な混乱については、いろいろ言い訳もありますが、とにかく、とんでもない間違いを犯してしまったことは事実です。
更に、これは半藤一利氏とは関係のない所なのですが、同冊子の5ページに、勝海舟の乗った船が伊豆沖で激しい風雨に遭遇したときのことを、なぜか「名古屋沖」と書いてしまいました。
前回名古屋に講演に行ったときご馳走になったひつまぶしの美味しさがよほど忘れられなかったものと思います。
お詫びして訂正します。勝海舟が、帆柱に自分の体を縛り付けて水兵たちを指図をしたのは、伊豆沖です。〈「氷川清話」講談社学術文庫 35ページ〉
ただ、今度発刊する「2年C組 特別勉強会 福沢諭吉」については、安川寿之輔先生、杉田聡先生にも下読みをして頂き、編集者たちとも検討を重ねているので、このような訳の分からない間違いは絶対にありません。)
私はあの幕末激動の時代を,最小限の血を流すことで押さえ、イギリス・フランス・ロシアの介入を防ぎ、日本という国が西欧大国によって分割され崩壊する危機を防いだ、勝海舟と、西郷隆盛の英雄同士にしかわからない、苦心惨憺の歴史を見ると、徳川幕府の幕臣でありながら、傍観者としての立場に終始した福沢諭吉の批判が実に卑怯で愚かなものに思え、その件について思うことを書きました。
勝海舟と、西郷隆盛について、興味の有る方は是非お読み頂きたいと思います。〔宣伝です)
もう一つ、前回に書いた文章の中で、私は「蒙古民族」「蒙古族」という言葉を使いました。
それについて、読者の方から「蒙古」というのは差別語であって、「モンゴル」と書くべきだというご指摘を頂きました。
漢民族は、自分たちを世界の中心と考え、自分たちは「中華」とし、中国の周りの民族を全て自分たちより劣る野蛮人として扱いました。
自分たちの周囲の東西南北の民族を、東夷、西戎、南蛮、北狄、と蔑視しました。
蒙古も、「蒙=道理にくらい、むちなこと」、「古=古い、古くさい」などの蔑視語と言えるでしょう。
モンゴルの音に、中国語の「蒙」と「古」を当て嵌めたのかも知れません。
(日本人は、東夷=東方に住む未開人、の中の倭人=背が曲がってたけの低い小人の意、と呼ばれていました。)
チンギス・ハーンが作り上げた大帝国の、五代目のハーンとなったフビライは、国の名前を「大元大蒙古国」通称、「元」として現在の北京を都としました。
これが中国王朝の一つである「元」です。
フビライは日本をも征服しようと二度にわたって軍を送り、日本は九州で元と朝鮮の軍と戦いました。
その当時の様子は「蒙古来襲絵巻」として残っています。
日本人は、中国の呼称に従って「蒙古」という言葉を使い続けました。
モンゴルは1924年に、「モンゴル共和国」、1991年に「モンゴル国」と国名を変えました。
私も現在のモンゴルを蒙古とは呼びません。ただ、私が知識として持つ世界史の中では「元」を作ったのは「蒙古民族」であると刻み込まれていたので、その歴史表記に従ったのです。
私には差別心などありませんが、「蒙古」という言葉は差別語であると言われれば、言葉の意味からしてその通りでしょうし、現在現実にモンゴリアンは「モンゴル」という国名を使っているのですから、「蒙古」という言葉は使わない方が良いだろうと思います。
ご意見に従って、前回の記述も、「モンゴル」に書き改めました。
ご忠告に感謝します。
ただ、歴史的表記をどうするかと言うことは大きな問題として残ると思います。これは別の機会に論じたいと考えています。
で、中国ショックですが、日が経って冷静になると、反って中国のすごさを改めて感じるようになりました。
確かに、現在の中国経済は停滞しているようです。
中国人観光客による爆買いが日本を潤しましたが、その爆買いが収まると、例えば秋葉原の電気街のの「ラオックス」(中国人の所有になる店)の利益が今期は90パーセント下がったと言うし、東京の中心に建てられていた高層アパートも契約率が63パーセントになってしまったと言います。
中国の鉄鋼も生産過剰になり、低価格で輸出するので、各国で問題になっていると言います。
私が、中国にいる間に見たテレビでも、中国のある土地で(私には中国語が分からないので、その地名を記憶できませんでした)その土地の化学製品会社が垂れ流す排水、廃物の影響で深刻な健康被害を受けていることを時間をかけて報道していました。
急激に経済を立ち上げた中国にとってそのようなことが起きるのは当たり前のことだと思います。
日本もかつて高度経済成長の際に、八日市喘息、水俣の有機水銀などの公害問題が起こりました。
かつて東京の大気の汚染もひどいものでした。
しかし我々日本人はそのような公害を克服する方法を見いだし、現在の我々はなんとか環境と折り合いを付けています。
中国も、国営のテレビで環境問題を報道するからには、それは政府が環境問題に取り組むという意思表示であると思います。
中国政府が、公害対策に取り組めば、現在の中国の環境問題も改善できるのではないかと思います
現在の経済問題も、成長段階のいわば足踏みの段階であって、今の不都合を改善すれば再び猛然たる経済成長を始めると思います。
中国が駄目になるとすれば、これまでの中国の各王朝の末期のような混乱が起こるはずですが、今の中国には、それまでの王朝の末期的症状は、まだ私の目にははっきりと見ることが出来ません。
現在書店に並ぶ反中的書物、ネットを埋める反中的書き込みを読むと今にも中国は崩壊するように思えます。
そんなことを書いている人達は、まず中国の各地を歩き回ることをお勧めします。
日本は経済だけではなく、科学技術の面でも、中国に負け始めています。
中国は最近「量子通信衛星ロケット」を打ち上げました。
量子情報通信とは、量子力学の原理を情報理論に持込んだもので、
1)情報量の飛躍的な増大。
2)安全性
の面で優れています。
量子情報通信は、かなり面倒な専門的な話になります。私は量子力学は勉強しましたが、情報通信の面は暗いので、また勉強し直して、簡単に説明できるようにしておきます。(宿題とさせて頂きます)
とにかく、この量子情報通信を使うと、その情報を第三者が盗むことが出来ません。ハッキングは出来ないのです。
この量子情報通信システムは、アメリカなどでも盛んに研究されていますが、現在のところ地上でのやりとりしか実験されておらず。通信衛星で、量子情報通信を行うとは、非常に高度な技術を中国は持っていると言うことになります。
AI(人工知能)の研究でも中国は日本の先を行っていると言われています。
私の好きなオーディオでも、最近中国のメーカーから仲々良い製品が出て来ています。
反中本を書いている人達は、そのような現実をきちんと見て、馬鹿げた思い上がった態度、あるいは劣等感でねじ曲がった考えを捨てて、中国をきちんと捉えるべきです。
尖閣諸島問題で、やたらと中国に好戦的になっている人達も大勢いますが、中国と戦争してどうするつもりなのですか。
戦争は絶対にしてはいけません。
それでもどうして戦争をするというのなら勝たなければいけません。
だが、今の日本が中国と戦争して勝てるはずがないでしょう。
中国からしたらこんなに簡単な相手はありません。核弾頭を使う必要もない。中距離ミサイルで日本各地の原発を狙えばそれでおしまいです。
経済の面で中国に追いつくことはもはや無理です。
残るは科学技術でこれ以上遅れないように頑張ることです。
私達はもっと、深く中国を研究しなければなりません。
何も知らずに反中本を書くような人間を相手にしてはいけません。
そして何より、中国との友好を深めることです。
勝海舟は、日本、朝鮮(当時の言葉)、中国が手を結べば西欧各国と対等に立ち向かえる、と言いました。
勝海舟の言葉とは正反対のことをその後の日本はしてしまい、現在の苦境に追い込まれています。
よほどの、とんでもない混乱が起きない限り、中国はますます発展していくでしょう。
日本はどうやって生き延びていくか真剣に考えないとならないと思います。
2016/07/16 - 中国ショックから大分立ち直った まずは、お礼から。
ブックレット「さようなら! 福沢諭吉」が購入して下さった方の数が私の予想を遙かに超えました。
これで、9月に出版する予定の「二年C組 特別勉強会 福沢諭吉」も、ある程度は購入して頂けるかも知れない、と希望が湧いてきました。
購入して下さった方たちにお礼を申しあげます。
さて、中国から帰ってきて、約2か月。
中国から帰ってきてから、アメリカのサンディエゴに10日ほど滞在することもあって、中国から受けた打ちのめされるような強烈な中国ショックから、大分立ち直ってきました。
立ち直ったと言っても、一種のパニック状態だったのが落ち着いてきて、その代わりじわじわと深く中国という国のすごさが身にしみて来たと言う所かな。
以前、上海から東京に観光に来た中国人が、「凄い都会に連れて行ってくれると思ったら、こんな田舎町に連れて来られて面白くない」と旅行会社の人に文句を言ったと聞いたことがあって、「何を言っているんだろう」と、思いましたが、今回、上海、北京、南京を回ってきて、その文句を言った中国人観光客は正しかったと理解しました。
上海に比べれば、もはや東京は、田舎の小都会に過ぎないでしょう。
1990年代に上海に行った時は、目立つ建物は、あの葱坊主のような形のテレビ塔だけで、見る物と言ったら旧租界地域か、小龍包で有名な、豫園くらいな物だったのに、いまや、高層ビルが、これでもか、これでもか、という具合に立ち並び、私は、「これが上海か」と、ただ唖然・呆然、あまりの変わりように肝がつぶれました。
上海から南京、南京から蘇州へ、と新幹線に乗りましたが、これが凄い。
南京駅には、プラットフォームが15くらいある。
駅の建物は、激しく巨大で、そこに、考えられないほどの大勢の人々が渦を巻くように、あちこち移動する。
駅には大勢の信じられない数の人々います。
しかし、それにしても、駅の建物が巨大というか、私達の常識から外れているというか、とにかく見たこともない規模の物です。
その巨大な駅の構内に、これまた見たこともない大勢の人々が右に左に忙しく、動き回っています。
このような光景は、私の人生で見たこともないものです。
私が最後に中国を訪れたのは、2006年のこと、今から10年前のことになります。その時にも上海や北京の都市としての発展のすごさには驚きました。
しかし、今回驚いたのは,その都市としての発展がすさまじい勢いで成長していることよりも、かつて見たこともない大勢の中国人が至る所にあふれていることです。
以前も,市場などに行けば大勢の中国人に会うことが出来ました。しかし、こんどは市場のようなところではなく、普通の都市の空間、空港、新幹線の駅、主たる観光地、などに人があふれているのです。
私の考えですが、10年前には余り観光地などに行けなかった人達が現在は出掛けられるようになったということではないでしょうか。市街地も同じことで、それまで購買力のない人は表に出なかったが、購買力を身につけた今は、どんどん表に出て来る、と言うことだと思います。
シドニーでも主な観光地は、すさまじい数の中国からの観光客によって、ほぼ、占領されていると言っても過言ではありません。
私が一番印象を強く受けたのは、その人々の、強烈なエネルギーです。
個々人も凄いエネルギーを持っているのに、それが、中国人の集団となると、これはすさまじい。
なんと言ったら良いか、我々から見ると洪水か津波のような勢いです。
世界史を見ると、ある時期にある民族が勢力を拡張して世界を席巻し支配したことが何度かあります。
8世紀のイスラムの勢力拡大、11世紀の蒙古帝国、17世紀以後の、アングロサクソンによる世界支配が、歴史的に身近なことと捉えられるでしょう。
モンゴル、アングロサクソンによる、世界支配も武力・暴力による物でしたが、現在の中国の勢いは、武力・暴力によるものではなく、経済力による物です。
モンゴルによる支配は、ハンガリーまで、イスラムの勢力はイベリア半島(スペイン、ポルトガル)に留まりましたが、中国人の経済的力による進出は全世界に広がり、特にアフリカの自然資源の獲得はすさまじい勢いがありますし、北米、中でもカナダででの、中国人人口の増大は目をむくものががあります。
オーストラリアでも、日本の四国に匹敵するサイズの牧場、50億円もする豪華な住宅、を中国人が取得するという目をむくような例が相次いでいます。
私は今回、中国に行って中国人の,人間としての勢いのすさまじさを体験して、中国のこの勢いは留まることはないと思いました。
人間の勢いが日本人と違います。
同じ麺類でも、ラーメンと今回私が食べて感激した西安の麺とはその内容がまるで違います。日本のラーメンは美味しいのですが、その栄養価は西安の普通の店で食べる麺より劣ることは明かです。
その麺を比較するだけで、中国人が日本人を圧倒する理由が分かったような気がしました。
だらだらと、長生きをするのに和食は健康的で良いのかも知れませんが、爆発的なエネルギーを発揮するには向いていないでしょう。
そしてその新幹線ですが、かつて中国の新幹線の開通すぐの頃に事故があった。それを元に、中国鉄道技術をけなす報道が日本中で行われましたが、まあ、そんな議論はいちど、中国の新幹線に乗ってからにして頂きたい物だと思います。
15以上もあるプラーフォームから次々に出ていく新幹線。
私達は、特等席を確保しました。
1つの車輛に、乗客は8人だけ、一つ一つの座席は,飛行機のファーストクラスの座席のように、ベッドのように平らになる、フルリクライニングシステム。
8人の乗客に、乗務員一人ついて、様々な面倒を見てくれる。
極めて快適、そして、ふと掲示板に表記される時速見ると。時速305キロ。
ガタゴト、音もせず、揺れもせず、極めて静粛になめらかに走っている。
これは凄い技術です。
日本の肝っ玉の小さく、先の読めない連中は、中国が日本の新幹線の技術を盗んだなどと言っています。一体そのような事を言って、何の役に立つのでしょう。日本だって、それまでに欧米の鉄道技術、電動技術を頂いたから、新幹線を作ることが出来たのではありませんか。ある日、突然日本人の頭の中に新幹線の技術が浮かんだわけではありません。技術の進歩、伝播というのはそういうものです。その西欧を発信源とする技術が日本も勿論、中国にも及んだのです。
新幹線が日本の技術などと言う人がいるのなら、そもそも日本のレールの上に動力でもって列車を動かす基本的な技術を日本は誰に教わったのか考えるべきです。日本に、最初の鉄道が敷かれたの明治5年です。
私の長男の中学生のときからの親友は大変な日本びいきで、「さばの塩焼き定食」が大好きという男ですが、彼の曾祖父が実は日本の鉄道開明期のときに日本で大きな働きをしたことが明らかになりました。10年ほど前に長男の親友が日本でJRの本社を訪ねて色々聞いた所、そこは日本という国の凄い所で、その頃の記録が全部残っていました。そして、長男の親友の曾祖父の墓が横浜の外人墓地にあると言うことまで突き止められたのです。で、長男と、その友人が横浜の外人墓地に行った所、そこの一角に大変大きな墓碑が建てられいて、長男の友人の曾祖父の功績をたたえていました。長男の親友の感激はただ事ならないものがありました。私も、日本という国のすごさを、その時に改めて感じました。
元々日本びいきの長男の親友は、それいらい、日本に対して異常とも言える愛情を抱き「おれは、前世は日本人だった」とまで言い出す始末。
日本の鉄道技術もそのようなイギリス人の協力があって初めて築き上げられたことで、文明という物の普遍性を考えると、元の技術を作った国をこえて世界中に独りでに広がるものであって、なにか、特別な特許でも取れない限り、文明の技術は、それを受け入れる国の文明程度、経済程度によって容易に伝播されるものであると言うことです。
日本の新幹線の技術は極めて高度で緻密な物で、その全てを中国が物にしたかどうか分かりません。しかし、中国の新幹線は最初こそ問題があったかも知れませんが、それも克復して、毎日何百万の人々を運んでいます。
私が言いたいのは、日本の明治維新のときのような活気あふれる指導者が現在の中国を率いていると言うことです。支配者自身の政府の腐敗などもありますが、中国全体としての人々の活気は、今の沈滞した日本人とは比較にならないものがあります。日本の明治開国時代の支配者たちの腐敗の酷さを考えると、今の中国の支配者たちの腐敗を批判できる物ではありません。
元々中国は、紀元前16世紀の殷王朝に始まって、最後の清王朝に至るまで、数え方によりますが、15ほどの王朝が変わっています。中には、漢民族とは異民族のモンゴル民族による、元王朝。満州族による清王朝があります。
しかし、幾つ王朝が変わろうと、中国人は中国人のままです。王朝が変わろうと,そんなことは自分たちとは関係ない。王朝の支配には忠実に従っても心の中は何も変わらない。それが、中国人のすごさだと思います。
モンゴル族による元王朝も、一旦中国に入るとそれまでの漢民族の王朝と同じ支配形態を取り、文化も中国文化に染まりました、「元曲」といって、元の時代は戯曲が盛んになりましたが、それも、あくまでも中国文化でしかなく、モンゴルの文化ではない。
満州族の清王朝になって、第四代の康煕帝によって「康煕字典」という漢字辞典が作られました。中国の歴史を通じて使われてきた漢字の音と意義について詳しく書いた辞典です。満州族の王朝が満州族の文化ではなく漢民族の文化の中心である漢字についての辞典を作成したのです。清王朝が、中国人に対してしたことは、弁髪といって、男が髪の毛を長く結って背後に垂らす風俗くらいのものでしょう。
私の考えでは、現在の中国は、「毛沢東王朝」あるいは、「中国共産党王朝」という「王朝」の支配にあるだけであって、中国人は、紀元前1600年前の殷の時代から、本質は何も変わっていないと思います。これだけの数の王朝が次から次に変わっても、中国人の本質は何も変わっていないのです。現在の「中国共産党王朝」が崩れれば、中国人は次の王朝と上手くやって行くでしょう。
毛沢東は、「大躍進政策」の失敗で、飢饉などによって三千万人を殺し、「文化大革命」によって二千万人以上を殺したと言われています。それでも、いまだに天安門の正面には毛沢東の大きな肖像画が掲げられています。私は、これも「毛沢東ー中国共産党王朝」の間のことだけであって、これから何十年先か百年先か分かりませんが、この現在の王朝が他の王朝に取って代われたら毛沢東の肖像画は捨てられ、新たな王朝の指導者が君臨することになるでしょうが、それでも、中国人は絶対に変わらないと私は確信を持って言えます。
中国人は、本当に凄いのです。
これまでの、一つの王朝から次の王朝に移るまでの間は混乱が続きましたが、一つ王朝が定まると、中国人はその王朝がたとえ、それまで自分たちが馬鹿にしていた蒙古族や満州族の王朝であっても、その王朝を中心にして爆発的に勢いを広げ繁栄してきたのです。
現在の「中国共産党王朝」も毛沢東をへて、鄧小平に至って、清王朝末期からまでの混乱が収まり、中国人本来の力を発揮できるようになると、たちまち経済的に発展しました。それまで押さえられてきた中国人の本来の力が鄧小平によってとき離れた結果でしょう。
これまでの長い中国の歴史を振り返ってみると、「中国共産党王朝」はまだ急には力を失わず、これから五十年先までは中国を支配していくことは確実です。
直近の王朝を見ると、宋王朝が、960年から1279年、元王朝が1271年から1368年まで、明王朝が1368年から1644年まで、清王朝が1644年から1912年まで、と続きました。元王朝が100年という中国の歴史の中では短く、清王朝が1600年代からイギリス・フランスなどの侵略を受けて、実態としては、1912年以前に王朝としての権威も支配力も失ったいました。二十一世紀の現在、世界情勢は昔とは大違いで、中国でも今の王朝が今までのように100年以上続くとは言い切れないので、ここでは仮に50年先きと言っておきます。
これから考えると、現在の「毛沢東ー中国共産党王朝」は、これまでの中国の王朝と同じ形態を取っているので、必ず終わりが来ます。
中国人と、その中国人を押さえた各朝廷の支配関係を考えると、現在の「中国共産党王朝」の成立基盤の基礎は極めて弱いもだと思います。先日のパナマ文書の件で、すでに腐敗した共産党の幹部の地方幹部が違法に蓄積したものが明らかになりましたが、カナダ、オーストラリアなどに、汚職で稼いだカネはすでに現地に移し安全な状態にしてしまっており、その官僚が何かの間違いで、中国で財産を没収された時には、すでに、国籍も移してある子供、妻を頼りに自分も、カナダ,オーストラリアなどの矛を受けようという計算ですオーストラリア人である妻やむこたちに,中郷の税制は及びません。
毛沢東は、共産主義者のように考えられていますが、私は、毛沢東は、共産主義を、それまで各王朝を倒した英雄たちと同じように自分の体制を築くために利用したもので、本心からマルクスの共産主義とは違う考えを持っていたと思います。毛沢東は、それ以前の王朝を築いた英雄たちと、その心情と行動については全く変わりがないと私は様々な毛沢東についての本や論文を読んで理解しました。自分の王朝を築くために利用する道具として共産主義というイデオロギーを利用しただけのことだと思います。
マルクスの政治論「プロレタリアートが権力を握る」、という考え方は美しいのですが、レーニン、スターリン、毛沢東、はそれを利用して、それ以前のどんな暴君も恐れて尻込みするような人民の圧殺を行いました。レーニン、スターリン、毛沢東は、プロレタリアートの中で、少しでも知恵があり事態を理解する物は殺しました。ロシアで言えば、皇帝時代の農奴と呼ばれる、隷属的に権力に従うものだけを生かしてきました。
イデオロギーの信仰が、それを操る人間によって、その本来の目的を越えて逆に人民を途方もない悲惨な目に遭わせる道具になる、という恐ろしい実例です。
現在の中国は、鄧小平によって、毛沢東の厳しい縛りが経済の面にだけ緩められたという状態でしょう。言論の自由は最近更に厳しくなったようで、私のような人間であれば、中国で生きること出来ません
基本的には「毛沢東主義」を標榜しながら、実際は西欧的な資本主義で経済を回すという手品のようなことを中国指導者たちは1990年代から盛大に行ってきて、現在の経済的な繁栄を築いたのです。
しかし、それも中国人がもつ力のおかげです。
中国人は元々持つ力を、鄧小平によって経済についてだけ窓口を開けられただけでわずか20年でここまでの経済発展を遂げました。
中国歴代王朝と現代の「中国共産党王朝」のあり方はあまりにもそっくりです。
中国人自身は中国4000年の歴史の間変わらないとすれば、今私が挙げた各王朝と同じく、現在の「中国共産党王朝」もはやばん終わるでしょう。
しかし、それが何時なのか分かりません。私は、少なくともこれから50年以上は、経営が上手く行きさえすれば、現在の「中国共産党王朝」は続くのではないかと思います。
と言うことは、今日本で生きている私達は、最低でも50年間は中国帝国のこの勢いの下で生きなければならないのです。
明治維新後、日本が出会った中国は清朝末期の混乱した中国でした。本来の中国ではありません。
その中国感によって、日本はそれまで日本の文化の根底を中国から学んだにも拘わらず、福沢諭吉のようにその場の中国の衰退をみて中国を蔑視して中国を侵略しました。私達の曾祖父、祖父、父親たちは中国人の本来の力を理解できなかったのです。
ここで、親自慢で恐縮ですが、私の父は大学を卒業してからすぐに中国に渡り、15年以上中国で過ごしました。私の父親は、口癖のように「中国人は偉大だ」と言っていました。当時、日本の支配下にある中国で生きていた人間がそのような深い感慨を抱くほど、政治の圧迫から自由になったらどんなに中国人は凄い力を発揮するか、私の父は中国人の本質を見抜く力を持っていたと思います。
私が今回中国で肝を抜かれたのは、私の父親の言葉が正しかったことを確認したことです。
私の父親の言うように「偉大」かどうかは分かりませんが、その勢いのすさまじさは、ただただ恐ろしものとして肌身に感じました。
日本人はなぜか、いまだに日本の方が知的に勝っていると思いたがるようです。
しかし、今年のコンピューターの計算速度の競争では、2016年のTOP500で世界のスーパーコンピューターの中で、 中国のスーパーコンピューターが1番、日本の誇る「京」は5番目というのが実状です。さらには、人工頭脳の部門でも、日本は中国に遅れてしまっています。
新幹線も外国に輸出するまでの技術を蓄積し発展したものをもって、日本を始めとする各外国を圧倒しています。
日本の「中国ジェラシー党」の一派は大々的に中国の技術的な失敗をはやし立てていますが、それは、負け犬の悲鳴でしかありません。繰返しますが、まず、中国の新幹線に乗ってみろ。と言うことです。
今回私が中国を10年ぶりに訪れて感じたことは、「中国人の力のすさまじさ」でした。
私達日本人は、明治維新の時代が「清王朝」も末期の混迷時期だったために、それを中国人と捉える言論が跋扈したために、(たとえば、福沢諭吉の中国論)、中国人の本来の力を評価出来なかったのだと思います。
中国の長い歴史を考えると、それは、人類の文化の歴史を考えるのと同じことになります。中国文化の影響は世界中に広がっています。私達は人類の文化の源泉としての中国を考えなければなりません。
日本の右翼、国粋主義者の一部には中国を蔑視しする人がいますが、「右翼」「国粋主義」「国体」「教育勅語」「君が代」「巌」「千代に八千代に」「宝祚極まりなし」などという言葉を大和言葉で言えますか。第一「天皇」と言う言葉すら、中国から貰ったものでしょう。それらの概念を大和言葉と称する日本元来の言葉で言えますか。言葉は文化の根底です。人たちの持つ概念を自分たちの持つ字で表すことが出来ないなら、そのような文化は「世界に一個」と強調することは出来ないでしょう。
私は、中国人の力のすさまじさにひれ伏して、中国人の言いなりになれと言っているのではありません。
その逆です。
日本人が、きちんと中国人とこれから競争して,協力し合い、少しでも日本人中国人ともに幸せな生き方をしたいというのが本音です。
何か、やたらと競争し合って、競争した相手は地獄まで蹴落とすというコンピューターゲームのような人生観を持っていては、地球情の人々の生活は地獄に陥るだけです。
最近の中国は、自分たちのGDPが日本の2倍を超えたことから、日本を小国扱いして尊大な態度を取りますが、これこを歴代の中国王朝の周辺国に対する態度です。
日本の13倍もの人口を要する中国が経済的に発展を遂げ始めたら、誰もとめられません。日本の本屋の店頭に並ぶ中国経済崩壊をうたう本は出版するのには早すぎたと思います。これらの著者に望むことは、これから50年は続く中国の経済発展をきちんと読んで、それに対応する,理性的な本を書いて欲しいと言うことす。なにやら、自分自身の負けを認められずに、互いの傷をなめ合っているようでは、ますます、破滅的なと言うより、破局に陥ります。
今回の私の中国旅行は、本来の目的である、褚遂良の書を見ることから外れて、中国人の勢いのすさまじさを実感し、同時に、このままでは,日本はアメリカの属国である事実に加えて、中国にも遣唐使を送った時代に戻って貢ぎ物を贈って最先端の学術技術を学ばなければならない日が来るという、予感を得たことです。
これから50年、私が命を終えた後、ますます中国の力に日本は圧倒されていくでしょう。
経済の中心はアメリカ、ヨーロッパ、中国のになるでしょう。
日本はこれかの50年間を如何に如何に生き延びるのか、それを真剣に考えなければならないと実感しました。
浅薄な「日本主義」「日本大国思想」「日本に技術の優越性」はすでに、昔の思い出でしかありません。21世紀は始まったばかり、
これからの百年間を日本はどう生きて行くべきか、私は今回の中国旅行で大いに得ることがありました。
勿論、中国経済発展は無視できないものですが、我々日本人としては、中国の津波を逃れ、その上に立つ方策を立てなければなりません。
目先の中国との経済競争で、我を失えばからず、負けます。
我と我自身を保ち、正しい方向を失わなければ中国のスケールには敵わないけれど、実質的には中国より豊かな国作りは出来る。私は、そう信じています。
しかし、こんな風にまで自分の考えを追い詰めなければならないほど、今回の中国旅行でみた、中国人のすさまじい力は私を圧倒した。
本屋の店頭に並んでいる、愚かな「反中本」は手に取るも愚か。何も真実を知らない人間の書いた戯言。
自分で実際に中国の情報をえて、真剣に考えて頂きたい。
今回の私の中国報告は、なにやら、中国人のすごさに圧倒されてしまって、他の点に目が行かなかったように見えるけれど、わっはっはっはあ。私は美味しんぼですよ。
食べ物を通してみると、その国の実状が公的報告より遥かに良く分かるのです。
しっかり中国の美味しい物も不味いものも沢山食べてきましたよ。
私の次の中国報告を楽しみにして下さい。
2016/06/17 - 中国のすごさ ブックレットのご注文を次々に頂いて有り難い限りです。
このご時世に、福沢諭吉に興味を持つ人はいないだろうと、あきらめていたのですが、意外にも多くの方があのブックレットをご注文下さって、へーっと、驚いているというのが本心です。
これでは、9月出版の「二年C組 特別授業 福沢諭吉」も買ってくださる人が出て来るかも知れない、と淡い希望が湧いてきました、
ブックレットはまだまだ次も発行されますので、よろしくお願いします。
さて、今日はブックレットとはまるで違うお話をしたいと思います。
話題は中国です。
私は、4月15日から、26日まで中国を旅行してきました。
一番の目的は、褚遂良の書が、西安に1500年以上経ってもまだ保存されていると言うので、死ぬまでに是非それを見ておきたいと言うこと、
第二に、2007年に、偶然発掘された、唐代に日本から派遣された遣唐使だった青年に皇帝が送った墓誌が発見され、それが西安の西北大学の博物歴史館にあると言うので、それを見ること。
この青年の記録が日本側にも中国側にも残っていないというところが私の心をそそりました。
第三に、南京虐殺記念館を見ること、
第四に、北京生まれの姉のセンチメンタルジャーニーに付き合って、1945年以前に住んでいた家を発見すること。でした。
中国は、2006年以来10年ぶりでした。
この10年間の中国の発展の仕方というのは世界史にその前例がないほどのものなのでは無いでしょうか。
この、二、三年、日本の本屋に行くと、中国が今にも経済破綻をするという記事をでかでかと書いた本が棚積みになっています。
今にも、中国経済が破綻するというような自称経済本が売れているようです。
今回中国を見て回って、中国経済について、負のイメージを垂れ流す人達は、まともな経済評論家では無く、自分の考えはなく、頼まれて中国を貶める記事を書いて小使い稼ぎをしている、それこそ、日本という国の中の「獅子身中の虫」であり、日本を弱体化するために働いている外国のエージェントではないかと思うに至りました。
中国の発展は、私達の想像を絶するものがある。
経済的には、日本は二度と中国に追いつくことは出来ないだろう。
これから、とびとびに、私の中国報告を掲載します。
とにかく、今すぐにでも飛行機に乗って、飛んでいきたいのは西安の店。
その店は六種以上の麺があるのだがどの一つを取っても日本ラーメンなんかアホらしくなるほどのうまさ。
今日の飛行機で西安に飛んで、その麺を食べたら、そのまま帰って来るという案を考えいる。
これから、順々に、私の中国旅行報告を載せるつもりなので、ぼんやり待っていてください。
2016/06/09 - 福沢諭吉のブックレットの件 前回、福沢諭吉についてのブックレットについてお知らせした所、すでに数人の方から、購入申し込みを頂きました。
今頃、福沢諭吉に興味を抱く方は少ないと思いますが、安川寿之輔先生、杉田聡先生、そして私は、現在の日本こそ、もう一度福沢諭吉について考え直す時だと考えています。
9月に発売になる私の本には、くどいほどその件について書いています。
同時に、日本の近代史現代史を考え直すための、私の意見も書き連ねています。
今回のブックレットは、私が9月に出す本の一端を紹介しているので、お読み頂ければ、どうして今福沢諭吉なのか、ご理解して頂く一助となると思います。
9月発売の福沢諭吉の本についてはこれから、沢山書いていくつもりですので、皆さん、一万円札を見ながらこの私のブログをお読み下さるようお願いします。
ブックレットをご注文して下さった方々に厚くお礼を申しあげます。
でも、このブックレットは、最初のひと触りです。9月をお楽しみにして下さい。
2016/06/04 - 近況と宣伝 おやおや、このブログも再開すると言ったは良いがその後ご無沙汰続きで、なんと、もはや今年も後半戦に入ってしまったではありませんか。
実は、心身共に最低の状況なので、このまま、ブログをやめちまうと言うのも手ではありますが、なんだか今日は書いてみたい気持ちになったので、書いてみます。
まず、私は現在福島県の19歳の女性と、交換メールをしていることをお伝えします。
その経過によっては、ある週刊誌に、そのメールのやりとりなどが掲載されるかも知れません。
その女性を仮にHさんとしますが、私は福島の人々が実際にどんな生き方をしているか、これまでに色々な情報を本にして想像は出来ていたのですが、実際に福島で生きているHさんの話を直接聞くと、その苦しみは非常に衝撃的なもので、私はうちひしがれました。
私はHさんの思いには自分自身全力で対応しなければならないと考えて、頂いたメールに対する答えを必死に書いているのですが、まだHさんにお送りする自信のある物が書けていないというのが今の状態です。
上手い具合に私がHさんにきちんと対応できて、私達二人のやりとりをその週刊誌を通じて皆さんにお伝えできたらありがたいと思っています。
Hさんは、現在19歳だと言うことですが、私自身が19歳の時に、これだけまとまった意見を持つことが出来ただろうかと思います。
私からすれば自分の孫のような世代のHさんから、学ぶことが多すぎてうろたえていると言うのが私の実状です。
次は、宣伝です。
私が以前から福沢諭吉についての本を書いていると言うことはこのページで何度も書いていますが、その本を、文章だけのものから漫画を主体にしたものに変えて以来、また大変に労力を使いました。
漫画家の先生には大変なご努力をお願いしていますが、先週ようやく漫画の部分についての私からの校正が終わりました。
これで、やっと一息ついたところで、私もこのブログにも何か書こうかという気持ちになれたというわけです。
いや、福沢諭吉についての本を書くのは大変でしたよ。
福沢諭吉の言動について書くためには明治維新のことを知らねばならず、明治維新のことを知るためにはそれ以前の歴史も知らねばならず、学者でも何でもない、一介の漫画原作者としては、勉強し直さなければならないことばかりで、往生しました。もう、こんなことはしたくないと思うほど、恐ろしく辛い作業でした。
その途中で、去年の11月に秋谷の家で転倒して右足のすねの骨を2013年に続いて骨折し、すさまじい激痛の中、12月8日に、以前から安川寿之輔先生にお約束していた名古屋での講演会に、弟の運転の車で、妻と三人で行きました。
安川寿之輔先生が名古屋に来れば、ウナギのひつまぶしを食べさせてくださると仰言ったので、ひつまぶしにつられて、激痛をこらえて名古屋まで行きました。
名古屋では、ひつまぶしだけではなく、鯨料理の専門店にも連れて行っていただいて、ウナギと鯨という私の大好物をご馳走になり、実に有り難い一泊二日の旅行でした。
その時の、私の講演の様子は、岩上安身さんの主催する、インターネットのIWJでご覧になれます。
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/277901
二つファイルがありますが、私は最初の部分の真ん中過ぎに出ています。
また、その講演の内容などを、安川寿之輔先生がまとめられたものが、「花伝社」から、「さようなら!福沢諭吉」としてブックレットで発売されました。
4月に発売されましたが、好評ですぐに増刷されました。
(写真はクリックすると大きくなります)
「さようなら」というのは、一万円札の肖像画からさようなら、ということです。
私達は、福沢諭吉は日本の最高額の紙幣の肖像画としては恥ずかしいので、早く一万円札から消えて貰いたいと考えています。
私達と言ったのは、
安川寿之輔先生(名古屋大学名誉教授)
杉田聡先生(帯広畜産大学教授 哲学・思想史)、
それに私の三人です。
今までにまともに、論理的に福沢諭吉を考えて、批判するべきところは批判するという科学的な態度で対処した学者は、安川寿之輔先生と杉田聡先生のお二人だけと言っても過言ではありません。
お二人以外の大学教授とか、何々学者とかいう人々は、岩波書店から「慶應義塾」が出している、「別巻」も入れれば22巻になる、「福沢諭吉全集」をまともに読めばとても言える物ではない説を展開しています。
私は、福島第一原発の事故の時にも思ったのですが、福沢諭吉について様々な学者先生の本を読むと、日本の学者という人達は、事実をありのままに語る勇気を全く失った人達ばかりだと思うようになりました。
何々大学の教授とか、何々学会の会長とか言う人も、その肩書きだけはご立派ですが、私のようなこの世の事実だけを見ることだけを心がけている一介の漫画原作者から見ると、あれこれ世間的なことに心を配って身の安全を図るばかりに、事実を語る勇気を失った哀れな人達だとしか思えません。その点、安川寿之輔先生と杉田聡先生のお二人は違います。「慶應義塾」が出版したからこそ、誰も文句の言いようのない岩波書店版の「福沢諭吉全集」に収められた福沢諭吉自身の書いた文書を本に、極めて論理的に福沢諭吉の考えを批判しておられる。
私は長い間、福沢諭吉がどうして一万円札の肖像にまでなるほどの人間なのか、納得がいかず苦しんでいましたが、2005年に、安川寿之輔先生を批判しているAERAの記事を読んで、安川寿之輔先生のお名前を知り、同時に批判されている先生の御著書を読み、AERAの批判とは正反対に、先生の説の立て方が一切の思いこみや、他に対する遠慮もなく、純粋に極めて科学的で論理的であることに心を打たれ、それまで抱いていた福沢諭吉に対する納得のいかない感じが一掃されました。
その時の晴れ晴れとした感じは忘れることが出来ません。晴れ晴れとしたそれで充分であるはずなのに、どうして、私が漫画の原作とは外れて福沢諭吉の本などを書こうと思ったか、などについては、そのブックレットに書きましたので、それをお読みください。
秋に発行予定の「二年C組 特別勉強会 福沢諭吉」にもその理由が書いてあります。
(てな事言って、本の宣伝で、すみませんねえ)
このブックレットは、安川寿之輔先生のご好意で、定価二割引の800円(送料無料、これが凄い)で、ご希望の方にお頒けします。
ブックレットの内容は、
まえがき(安川寿之助)
これは、一万円札から、福沢諭吉の引退を求める、安川寿之輔先生、杉田聡先生、私・雁屋哲が2015年12月8日に行った三者合同講演会についての説明。
第1章 いま、なぜ福沢諭吉なのか
私が当日、講演会に来て下さった方たちに配った「講演のレジュメ」を、安川寿之輔先生がまとめて下さったもの。(当日、時間がなかったので、この部分は、私は会場では話せませんでした)
その内容は、福沢諭吉が日本で一般的に信じられているような、「民主主義」を唱えている人間ではなかった。
経済的に破綻しているのに、安部首相のような、日本を戦前の日本に戻したいと考えている人間が、日本を支配しているこの危機的な状況に対処するために、今こそ、福沢諭吉を考え直す必要があるという論旨です。
第2章 福沢諭吉の見直し入門
安川寿之輔先生の講演内容で、「明るくない明治」から「暗い昭和」への歩み。
となっていて、福沢諭吉の言論の影響と日本の明治から昭和にかけての歴史の見直しを(司馬遼太郎の言う「明るい明治・暗い昭和」史説)促すものです。
第3章 高まる福澤再学習の必要性
当日の私の講演の内容です。
私が、福沢諭吉の実際に書いた文章を、現在の若い人達にも理解しやすいように現代語訳したものを中心に、如何に福沢諭吉が当時の朝鮮・清国人を馬鹿にして、朝鮮・清国を日本のものにするための論を展開したのか、また、福沢諭吉が「独立自尊」の人間ではなかったことを福沢諭吉自身の文章で示したものです。
この章では、福沢諭吉が、ヘイトスピーチの元祖であることも書かれています。
「二年C組 特別授業 福沢諭吉」の序章。
私が秋に出版を予定している、本の序章を漫画家と出版社の許諾を得て、掲載しています。
私がどんな本を出版するのか、その、予告版ともなります。
第4章 福沢諭吉—帝国主義の思想家
当日の、杉田聡先生の講演内容です。
福沢諭吉が、今一般に信じられている人物とは違って、朝鮮・清国、ひいてはフィリピンまでを攻め取ろうとした帝国主義的思想の持ち主であったことを、福沢諭吉の書いた文章によって説明しています。
あとがき
12月8日の講演会と、このブックレットについての安川寿之輔先生のあとがきです。
以上が、ブックレットの内容です。
興味の有る方は、この、ブログ宛に、住所、お名前、電話番号をお書きになって、申込んで下さい。
お申し込みを頂くと,私が安川寿之輔先生に取り次ぎますので、ブックレットがお手元に届くまで、若干の日時がかかることをお断りしておきます。
「美味しんぼ」の件ですが、
毎月コンビニで発売されている「コンビニ版」は6月にも発売されました。
特集は「だし」です。
また、週刊誌と同じ大きさの「アラカルト版」が毎月発行されています。
6月の特集は「野菜」です。
コンビニ版は、毎月の始め、アラカルト版は毎月の終わり頃に発売されます。
アラカルト版は、キオスクでも発売されています。
残念ながら、キオスクでは売っていないそうです。
アラカルト版は全体の99.5%はコンビニに、残りの0.5%は大型書店に置いてあるそ
うです。訂正します。
矢張り週刊誌大だと、最初に発表した時のまんまの感じで、作者としても「この大きさでなきゃ」などと、感慨を新たにしています。
ご愛読下さるよう、お願い致します。
2016/03/24 - 困ったな 前回のブログの中に、「美味しんぼ」は「どんちゃん騒ぎで終わりたい」と書いたところ、「美味しんぼ」がすぐにでも再開されると受取った方が少なくなかったようです。
あれは、「再開されたら、このような形で終結に持っていきたい」という私の希望を述べたもので、スピリッツ編集部とそのような話し合いはしたことはありません。
私個人の思いに過ぎません。
あくまでも再開したとした場合の私の希望でしかないことを改めて強調します。
軽率なことを書いたと反省しています。
「美味しんぼ」の休載はまだまだ続きます。
「美味しんぼ」については、時期が来ればいつかスピリッツ編集部が何らかの発表をするのではないでしょうか。
いずれにせよ、読者の皆様に誤解を与えたことをお詫びします。
2016/03/22 - またまた、ご無沙汰を このブログを再開すると言ってから、また休止してしまいました。
2015年の末から、2016年の始めに掛けて、転倒してすねの骨を折ったり、更に転倒して肋骨にひびを入らせたり、しかも途方もなく悪質な風邪にかかって、三ヶ月近くも苦しんだり、散々な目に遭い、ブログを書く気力がなかったのです。いまだに、声が良く出ません。折角の美声なのに、とみんなに言われてくさって居ます。
放送業界の人に声優になれと言われた声なのに、声が出なければ仕方がない。
どうもね、人生仲々思うように行かない物ですよ。
このまま消えてしまおうかな、と強く思ったのですが、黙って見過ごすことの出来ない事柄が続けて起こっているので、どうしても何か言いたくなってしまう。
どうせ、何を言っても仕方がないだろうし、言いたいことを言わずに済ませるのが一番楽なことであることも分かっているけれど、何も言わないのもかえって苦しい。
で、仕方がない。
思っていることをまたちょろちょろと言うことにしました。
しかし、何かを言うその前に、「美味しんぼ」について述べておかなければならないでしょう。
「美味しんぼ」は現在休載しています。
ずいぶん長い休載ですが、終了したわけではありません。
ただ、再開云々については、今、私の一存では言えません。
その機会が来れば、スピリッツ誌の編集部から、読者の皆さんにお知らせすることになるでしょう。
念を押しておきますが、今回の休載は、例の鼻血問題で各方面から圧力がかかったからではありません。
鼻血問題とは、全く関係がありません。
それに、たとえどの方面から、どのような圧力がかかろうとも、スピリッツ編集部、小学館は勿論、作者である私も、それに屈することは絶対にありません。
「美味しんぼ」は、これまでにいくつかの企業、団体から、気にくわないことを書いたと言うことで、攻撃を受けて来ました。
「美味しんぼ」一つのために、小学館の発行する雑誌の全てに対する広告の出稿を止めて圧力を掛けてきた企業もあります。
広告の出稿停止は、出版社にとって大きな痛手です。
それでも、私も、スピリッツ誌も、小学館も、そのような圧力に屈することなく、必要であれば、政府、大企業、各種団体を遠慮なく批判してきたという実績があります。
今回も、鼻血問題が騒がれたあとも、スピリッツ誌編集部も小学館も私の意見に何一つ干渉することなく、「福島の真実編」を途中で掲載中止にするようなこともせず、最後まできちんと連載を続けました。
小学館は、弱い立場にある私達物書きが、自由に発言できるように守ってきてくれたと私は心から感謝しています。
ただ、「美味しんぼ」は、基本的に食べ物を主題にしており、原発問題だけを取り上げる漫画ではありません。
その点は誤解のないようにお願いします。
必要があれば、これからも原発問題に触れることもあるでしょうが、食べ物に関しては、まだ様々な題材があるので、原発問題に留まることなく、話の幅を広げ、より面白い漫画にしていくつもりです。
しかし、いくら何でも連載30年は長すぎだ。
そろそろ終わりにしたいと思っていますが、どんな形で終わらせるか。
今までの登場人物総出演で、美味しい食べ物の話でどんちゃんどんちゃん楽しく騒いで大団円。
そう考えています。
スピリッツ誌からのお知らせを、今少しお待ちください。
さて、今回何を言いたいかというと、あの、高市早苗総務大臣のお言葉と表情です。
人の顔の生まれつきの骨組みや肉の付き方などの形状は、本人の責任ではないが、目つき、口の利き方、言うことの内容に応じて様々な形態を取る唇など、その人間が表す表情という物は、当人が今の人間になるまでに自分で作り上げた物で、その表情・顔つきについては批判しても構わないと思います。
かつてジャーナリストとして活躍した大宅壮一は「男の顔は履歴書だ」と言った。
まことにむべなるかなで、中年に達した男(女性も同じ)の顔は親に貰った物だけでなく、自分が生きてくる間に経験したことによって出来上がったその人格の変化が表情に表れるということでしょう。
表情、顔つきは、精神の表れ、に他ならないでしょう。
そう言う意味で言うのですが、私も、この歳になるまで色々な人間の顔を見てきましたが、高市早苗のあの時のような人間の表情は初めて見ました。
女権論者によれば、女性の美醜を云々してはいけないようです。
醜いというのは論外で、美しいというもその女性の内面に関係のないことだから、言ってはいけないのだそうだ。
しかし、それは肉体的な、先天的な美醜についてでしょう。
後天的に 自分が送ってきた 精神生活の故に顔にへばりついた表情について言っていけないことはないはずです。
ご注意ください。
私は、肉体的な顔の美醜については一言も言っていないし、これからも言うつもりはありません。私は美人コンテストの審査員ではありませんし、私自身、おのれの醜貌に苦しんできた人間ですから。
(いやあ、用事深く言おうとすると、ここまでくどくど言わなければならないんですよ)
で、あの「電波を止める」 と言った時の高市早苗総務大臣の表情は寒気がするほどひどい物でした。
凶悪、悪逆、下品、下劣、不当な思い上がり、驕慢、これで誰かさんから良い点をもらえるだろうという媚びと期待に満ちた表情。
その全てがごちゃ混ぜになったもので、人間、どうしたらこれほどの醜悪な表情を人前にさらすことができるのか、私はテレビの画面の前で、その表情に怯えてしまい、もう死ぬんじゃないかとうろたえ、こんなに心臓が弱っているのなら今のうちに遺言状を書かなければならない、とまで考えました。
人間長い間生きていると、色々な物を見ますが、あんな醜悪な人間の表情を見せつけられるとは夢にも思いませんでした。
如何なる訓練を積めば、あのように全ての人を震え上がらせることの出来る表情を、全国民に向かって見せることが出来るのでしょう。
これこそ、高市早苗総務相のそれまで過ごしてきた人生に裏付けされた、人がまねをしようにもまねの出来ないことでしょう。
繰返して念を押して言っておきますよ。
私は、彼女の肉体的な美醜について言っているのではない。
彼女の表情、その表情を作り出す彼女の精神、について語っているのです。
表情の話はそれまでにして、高市早苗総務省の言った言葉を考えましょう。
彼女の言った要点をまとめます。
1)放送事業者が政治的公平性を欠く放送をくりかえし
2)行政指導でも改善されないと判断した場合
3)電波法76条に基いて電波停止を命じる
4)放送法を所管する立場から必要な対応は行うべきだ
ここで、重要なことは
A)政治的公平性を欠く
B)行政指導でも改善されないと判断した場合
C)電波停止を命じる
の三つでしょう。
一体「政治的公平性を欠く」とはどう言うことか。
政治的公平性とは実に曖昧な言葉で、どういうことだろうかと真面目に考えはじめると、迷路に陥る。
だが、こんな曖昧な言葉を誰が言ったのか考えれば、その意味はすぐに分かる。
言ったのは、高市早苗総務大臣です。
であれば、簡単なこと。
「政治的公平性を欠く」とは、「現今の政府与党を批判すること」、以外に考えられない。
高市早苗総務大臣は「あたしたちを批判するような放送内容は政治的公平性を欠くものなのよ」
と、 最初の脅しをかけたのです。
ついで、「 行政指導でも改善されないと判断した場合」と来た。
これは、
「あたしたちが、政府批判をするなと行政指導してやっても、言うことを聞かず政府批判をしていると、あたしたちが判断した場合」
と言うことでしょう。
「何が何でもあたしたちの判断が正しい。だからあたしたちの指導には従うのよ」
という、二度目の脅しですね。
そして、
「電波法76条に基いて電波停止を命じる」
でとどめを刺しましたね。
決定的な脅迫だ。
電波を停止されたら放送局の命は絶たれる。
「あたしたちの言うことを聞かないと放送局の命を奪うわよ」
まことにすさまじい脅迫で、これほどすさまじい暴力的な脅迫をした政治家は、他にいるだろうか。ヒットラー、スターリン、毛沢東、金正恩、くらいのものかなあ。
でも、ヒ氏、ス氏、モ氏、キ氏も高市早苗の高飛車なたいどにはおよばないだろうねえ、
「ヒスモキ」もびっくりでしょうねえ。
さらに、高市早苗は言いいます、
「放送法を所管する立場から必要な対応は行う」
要するに
「あたしたちは何でもしちゃうんだかんね!」
ということなんですよ。
政府に対する批判は許さない。敢えて批判したら電波も止めてしまう。
国会で大臣がこんな暴力的な脅迫をして、その大臣がそのまま居座っている国とはどんな未開で野蛮な国なんだろう。
一体どこの国の話なんだろう。まさかそんな国は、少なくとも民主国家とされている国の中には無いだろう。
オーストラリア人も、アメリカ人も、フランス人も、そう考えますよ。
オーストリア人も、スロバキア人も、ニュージーランド人も、セルビア人も、そう考えますよ(私の友人たちを総動員しちまったい)
ところが、民主主義国家の中に、あったんですよ。
ああ、それがなんと我が日本国だったとはね。
日本国では、2015年から2016年に掛けて、自分の意見を言うキャスターが次々に各放送局から追われた。
降板という言葉を使うのは日本人独特の卑しいごまかしです。
いやだねえ、こう言う誤魔化しの言葉を言う方も、それを黙って聞いている方も。
各放送局は政府に媚びを売るために自分たちの仲間であるキャスターを追放したのです。
仲間を売ったんだ。
仲間を売るなんて、ああ、なんと言う卑怯な、連中なんだろう。
人間としての矜持も何もあったもんじゃないね。
これから先は見えていますね。
全ての放送局は、政府に対して少しでも批判的に思われるものは、たとえ実際に政府自身がそんな風に取らなくても、前もって神経質に、放送内容から外すでしょう。
私は以前、世の中にはあまりに辛くて悲惨なことが起こるので、良い話、楽しい話だけを載せた新聞を発行して貰いたいものだ、と言ったことがありますが、ああ、良かった。
高市早苗様のおかげで、これから放送局は世の中の良いことばかり放送して、政府与党が全てこの世の中を上手く動かしていることを、日本人全てに分からせてくれるでしょう。
これからの日本は、政府与党が素晴らしいことばかりしてくれる、良い国になります。
私達は、本当に幸せな国民になります。
お国のすることに、文句を言いません。
私達、何か間違った考えを抱いたときにはすぐに、あの時の高市早苗先生のお顔を思い出しましょう。
お上に逆らわないってことは気持ちがいいねえ。
ああ、幸せだなあ・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「世界一 幸せな国民」
頭上に梁が
縦横に無数に張り巡らされています
梁は日本全土に広がっていて
しかも、梁からは巨大な岩石が
ひとりひとりの頭の上に吊り下げられています
岩を吊り下げているのは糸ですよ
細い糸です
あ あそこで 糸が切れて
岩が人の上に落ちて人がつぶれた
どうも あの人は 駄目なようですね
岩の糸を管理している役人がやってきた
鋭い目で 私達をにらんでいます
は あの役人はなんと言いましたか
ほう 糸は言葉に敏感だ
はあ そうですか
そう 言いましたか
そんな こんなで
私達は 言葉選びが上手になりました
あ また あっちで糸が切れた
やれやれ あの人も あんなことを言ってしまっては駄目ですね
まあ 三 四年もすれば
糸が切れることもなくなるでしょう
糸を切るような言葉を口に出す人はいなくなるでしょうから
日本全土に梁を巡らすことに賛成したのは私達
頭上に重い岩を下げることに賛成したのも私達
ただ 糸がこんなに切れやすいとは思わなかったけれど
でも 私達は幸せです
糸を切るような言葉を口に出さない癖が身についたので
平穏に暮らせます
私達は 世界一 幸せな国民です
2015/12/06 - ご無沙汰しました ご無沙汰しました。
「雁屋哲の今日もまた」を再開します。
最初に、お知らせです。
12月8日、18時から、名古屋市公会堂4階ホールで、安川寿之輔先生、帯広畜産大学教授杉田聡先生(哲学)と私とで、
「福沢諭吉の見直し、アジア蔑視と侵略戦争で果たした役割〜日本の現代史を問い直そう」
という題で、講演を行います。
私は講演は苦手で、おまけに10月末に転倒して、右のすねを骨折して安静を指示されており、大変に痛いのですが、松葉杖と車いすで、神奈川県から何とかたどり着いて、安川寿之輔先生、杉田先生という学者の間に交ざり、恥をさらすのを覚悟で、福沢諭吉についての私の考え述べます。
名古屋近辺の方は、ぜひご参加下さい。
漫画原作者という絶滅危惧の希少動物の顔を見られますよ。
「美味しんぼ『鼻血問題』に答える」(遊幻社刊)を書いてから、私は福沢諭吉についての本をまとめるのに没頭しました。
本来、この本は2011年の8月には出版する予定でした。
それが、3月11日の福島第一原発の事故以来、私の心はそちらに完全に傾いてしまい、福沢諭吉本を書くひまがなくなりました。
「美味しんぼ」福島の真実篇1と2を書き終わった段階で、福沢諭吉に再び取りかかりましたが、そこに、「美味しんぼ」福島の真実編2の第22回で書いた「鼻血」が問題になり、身辺にわかに騒がしく、福沢諭吉の本に取りかかることがさらに妨げられました。
2015年2月に「美味しんぼ『鼻血問題』に答える」を書き終わってから、ようやく私は福沢諭吉の本を書く仕事に戻ったのです。
今度の福沢諭吉についての本の題名は「二年C組 特別勉強会 福沢諭吉」です。
これは架空の高校、善和学園の二年C組の担任の歴史の教師が、福沢諭吉自身の公に言った言葉,書物に残した言葉を取り上げて、
A 『天は人の上に人を造らず、人の下にも人を造らず』と言うのは福澤諭吉自身の言葉ではない。福澤諭吉自身の思想を表したものでもない。
B 福澤諭吉自身は、江戸時代からの封建的な身分差別意識を強く持っていた。
被差別民に対する差別意識も強く持っていた。
福沢諭吉は『民主主義者』ではない。
C 天皇は神聖であり、日本人は全て天皇の臣子である。一旦戦争になったら天皇のために死ぬべきである、と主張する『教育勅語』を歓迎する福澤諭吉が『民主主義者』の訳が無い。福澤諭吉は、第二次大戦に日本を引きずり込んだ『天皇制絶対主義』『皇国思想』を日本人に広く浸透させた。
D また、明治維新後、明治政府は朝鮮支配を推し進め、その朝鮮支配を巡って、清に、日清戦争を仕掛けたが、福澤諭吉は、それを言論で煽り、それだけでなく、自分自身、日本の朝鮮支配を進めるために、朝鮮宮廷内でのクーデターを計画し、その実行に加担した(甲申政変)、
E 福澤諭吉は朝鮮人、中国人に対する激しい侮蔑心を煽り、それが、日本人の朝鮮人差別、中国人差別を深め、ひいては現代までつながるアジアの人々全体に対する差別心を抱かせる元となった。
F 『軍国主義』を確立し、しかも、その軍を、天皇を最高指導者とし、兵は天皇のために死ぬ『皇軍』とすることに力を尽した。
G 福澤諭吉が「福翁自伝」の中で書いた、福沢諭吉の「大本願」である国権皇張を求めれば必然的にアジア侵略を導くものであって、事実、福澤諭吉は清国の侵略を強硬に主張し、『皇軍によるアジア侵略』という1945年の敗戦に至る道は、福澤諭吉が描いた通りになった。
福澤諭吉こそ、1945年の破滅に突き進むように、日本の方向を定め、人々をその方向に駆り立てた張本人の一人だった。
H 我々が、考えている『独立心』と『自尊心』を重んずる『独立自尊』と福澤諭吉の言う『独立自尊』とは意味が違うこと。
また、福澤諭吉は、『独立心』と『自尊心』を重んずる『独立自尊』の人間ではなかったこと。
と福沢諭吉が実際にいった言葉を示して授業の中で言ったところ、父母の中から「福沢諭吉を侮辱するものであり、真実ではない」と抗議が起こったと言うことから話が始まります。
私は今までに、丸山真男、を始め多くの学者の福沢諭吉論を読んできました。
どの学者も、福沢諭吉の書いた文章をそのまま取り上げて論ずるのではなく、自分の都合の良いように福沢諭吉の文章の中の一部を取りあげ、さらにそれを読み替えて、「民主主義の先駆者」として福沢諭吉を美しく描き出しています。
私も実はその美談で生きていたのです。
ところが、1987年に、「頭山統一解説 日本皇室論 帝室論・尊王論(1987 島津書房)」と言う本を手に入れて、一読して仰天したことがあります。
上等の和紙に題字を金箔で押した表紙の豪華本です。(今でも大事にとってあります)
私は解説を書いている頭山統一と言う人物の名前に惹かれました。
頭山統一という名前から、日本の右翼・国家主義運動の草分け、「玄洋社」の頭山満とのつながりを考えたのです。
後に、頭山統一氏は、頭山満の孫であり、1990年に頭山満の墓前で短銃自殺をしたことを知りました。自死の理由を私は知りません)
解説者の名前、帝室、尊皇と言う言葉。
この三つが、私がそれまでに教えられてきた市民的自由主義者としての福澤諭吉とどうしてもうまく繋がらないのです。
そこで、その「帝室論」・「尊王論」を読んだのですが、それまで、福澤諭吉は市民的自由主義者であるという刷込みがなされていた私にとっては、「まさか」、「そんなばかな」、と言うような文章が目の前に一面に広がり、ただただ、驚くばかり。
帝室論の中に、「日本国民は帝室の臣子なり」という言葉があるのを見たときには、私は、漫画的表現で言えば、あごが外れました。
それでは、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」も「独立自尊」もあったものではない。
それほどの衝撃を受けはしましたが、最初から「福澤諭吉は化石人間」と言う思いがあったので、「昔の人はこんなものだったのか」と落胆して、その本は書棚の一角に押し込まれました。
それから、生活に追われる忙しい日が続き、福澤諭吉は私の意識から消え去ってしまったのです。
いわば、福沢諭吉は百年前の人が訳も分からず偉いと崇めた人。
そんな人間は、現在の私達の生活には何の意味もない人間であると、私の意識の外に消え去ってしまったのです。
ところがです、それから20年近く経ったときに、朝日新聞社発行の週刊誌AERAの2005年2月7日号を目にしたんです。
そこには、「偽札だけではない、福澤諭吉の受難」という題名の記事が掲載されていましたた。
筆者は、長谷川熙(ひろし)氏。肩書きはライター、となっているので、朝日新聞社の社員ではないのでしょう。
読んでみると、これは、途方もない内容で、
当時静岡県立大学国際関係学助手の平山洋氏が「福澤諭吉の真実」という文藝春秋社刊の文春新書に書いた内容によれば、岩波書店から発行されている「福澤諭吉全集」の内、すくなくとも、「時事新報」の社説として掲載されている物の多くは、福澤諭吉自身が書いたものではなく、福澤諭吉の弟子(この記事にその名前はAとしか書かれていないが、前後の記事の文脈から、「福澤諭吉伝」四巻を書いた、福澤諭吉の中年から晩年にかけて、福澤諭吉が一番信頼していた石河幹明のことであることが分ります)が、福澤諭吉の意に背いて、自分で勝手に書いたものであり、さらに「福澤諭吉全集」を作るときに、自分の書いた「時事新報社説」を福澤諭吉の書いた文章として取り込んだ、と言うのです。
私は、前にも書いた通り、福澤諭吉にはまるで興味を抱いていなかったのですが、頭山統一氏が解説を書いた「皇室論」「尊王論」を読んだときの、あの腑に落ちない感じが、20年経った後も心の底に残っていたのでしょう、すぐに文春新書の「福澤諭吉の真実」を購入して読みました。
続いて、平山洋氏が、自分の説のよりどころとしている、井田進也氏の 「歴史とテクスト」と言う本も買って精読しました。(高かった! 6500円もした。買うのに勇気が要りましたよ)
AERAの記事を読んだ時から、私は、福澤諭吉は化石人間などではなく、その思想は生きていて、現在も日本に影響を与え続けていることを認識し、これは福澤諭吉についてまじめに考えなければならないと思い直し始めました。
平山洋氏の著書と、井田進也氏の著書についての、厳密で厳しい批判は、安川寿之輔、杉田聡の両氏によって行われているので、詳しく知りたい方は、安川寿之輔著「福澤諭吉の戦争論と天皇論」、杉田聡著「福澤諭吉 朝鮮・中国・台湾論集 国権拡張脱亜の果て」をお読みください。
ここで、私があれこれ言う余裕はありません。
端的に言うと、平山洋氏の「福澤諭吉の真実」は単なる妄想と狂想の書。
井田進也氏の著書は、著書全体はともかく、その「福澤諭吉のテクストの真贋の認定をした部分」は、非科学的であり、愚劣きわまるもので、氏自身をこれから終生苦しめることになる文章。
と、物の分る人間は誰でもそのように認定するでしょう。
ここまで、私は井田進也氏と平山洋氏について批判的なことを書いてきましたが、実は私は両氏に対して心からの感謝を捧げたいのです。
と言うのは、前記AERAの記事の中で長谷川熙氏は、「安川氏の言動への疑問も湧いてくる」と言って、慶応大学非常勤講師(当時)の吉家定夫氏の言葉を引いて、安川寿之輔氏がその著書「福澤諭吉のアジア認識」の中で、あやまちを犯したかのように批判していたからです。(私はAERAのその記事をコピーしていまだに持っています)
私は、それまで安川寿之輔氏のお名前すら知らなかった。どんなことを書いておられるのかも当然知りませんでした。
直ちに安川寿之輔氏の著書「福澤諭吉のアジア認識」を手に入れ、一読して、私が二十年近く抱いてきた福澤諭吉に対する「腑に落ちない感じ」が何だったのか良く分ったのです。
私は、その「福澤諭吉のアジア認識」につづいて、丸山真男の福澤諭吉論を批判する「福澤諭吉と丸山真男」(出版の順序は逆だが)、井田進也氏と平山洋氏に対する反論の書「福澤諭吉の戦争論と天皇制論」、さらには安川寿之輔氏がまだ三五歳の時に書いた「日本近代教育の思想構造」も古書店で手に入れて精読しました。(「日本近代教育の思想構造」は現在、オンデマンド出版でインターネット経由で買うことが出来ます)
安川寿之輔氏の諸書を熟読して、私が福澤諭吉に対して抱いていた「腑に落ちない感じ」がきれいにかたづきました。胸がスーッとした思いです。
安川寿之輔氏の叙述の仕方は、全て、科学的思考方法に合致しています。
科学的な思考方法とは、
1 誰もが手に入れることが出来、誰もが検証することの出来る事実としての、「福澤諭吉全集」「福澤諭吉書簡集」などの文書をもとにして、
2 誰もが、批判、検討、検証できる論理の過程を、緻密に作り上げ、
3 日本では偉人に祭り上げられている福澤諭吉を批判することは、批判する自分自身が世間的に葬られることになること(地獄へ導かれること)を恐れず、純粋に論理の帰結するところとして、冷静に福澤諭吉批判を行ったこと。
私が安川寿之輔氏の著作を評価するのは、安川寿之輔氏の福澤諭吉についての論説が、福澤諭吉に対する個人的な好悪の感情とは全く離れて、純粋に科学的であるからです。
ここまで、科学的に緻密に構築された安川寿之輔氏の福澤諭吉批判を、逆批判することは非常に難しい。
出来ることは、AERAで長谷川熙氏が行ったように、明治大学名誉教授(当時)三宅正樹氏、慶応大学名誉教授(当時)村井実氏、前記吉家定夫氏のような、世間的に有名な人々を駆り出して、事実に基かない感情的な反撥を示すか、あるいは全く無視することしかありません。
私は安川寿之輔氏の諸書を読んで、今まで福澤諭吉偉人説に抱いていた「腑に落ちない感じ」が一掃されると同時に、明治維新から日清戦争までの近代史に対して不勉強だったことを痛感しました。
私は、明治維新前後、日中戦争から現代までの歴史、については多くの本を読み勉強してきたつもりでしたが、なんと、明治維新から日清戦争までの日本の歴史について余りに無知だったことに気がつきました。
日清戦争、日露戦争、については、司馬遼太郎に代表される日本美化論者によって、「明るい明治、暗い昭和」などとうんざりするほど聞かされていたので、それに反撥して、かえって深く勉強しようと思わなかったのです。
福澤諭吉を理解することは、明治維新後日清戦争に至るまでの日本の歴史をきちんと理解することであると私は認識しました。
それ以来、この十年間、私は日本の近代史をかなり十分に勉強しました。
同時に、福澤諭吉に対する理解も深まり、私自身、本当に納得して、心が晴れ晴れとしたのです。
これは、ひとえに、AERAの記事で、安川寿之輔氏の名前を知ったからであり、そのきっかけを作ってくれた、井田進也氏と平山洋氏に深い感謝の念を捧げるゆえんです。
納得したのならそれで良いはずなのに、同時に心の中でむらむらと何かが煮えたぎり始め、このままでは収まらない、と言う思いが募って来たのです。
何が私の心を煮えたぎらせたか。
それは、日本人は福澤諭吉の真の姿を、以前の私同様、余りに知らなさすぎる、ということです。
敗戦後の日本では、丸山真男が福澤諭吉を「近代的市民的自由主義者」と持ち上げたばかりに、丸山真男の権威に大方の学者がなびき、福澤諭吉は「民主主義の先駆者」として、偉人としてまで祭り上げられ、一万円札の肖像にまでなってしまいました。
どう言う訳か私の周囲は慶応義塾出身者が多いのです。
妻の兄、姉の夫、私の弟、小学校以来の親友、勤めたことのある会社の同期入社以来の親友、と揃っています。
で、私は、姉の夫、弟、親友たちに、「福澤諭吉の書いたものをどれだけ読んだことがあるのか」と尋ねました。
私に尋ねられると、全員、にやにやして困った表情を浮かべて、「いや、ま、学問のすすめくらいは」「あまりな・・」「学問のすすめの最初の方は読んだかな」などと、実にあやふやなことを言います。
私の弟は中学(中等部)から大学まで慶応なのに、私に言いました、
「兄ちゃん、それはむりだよ。中等部の時に、福翁自伝の一部を授業で読まされたけれど、慶応出身の人間みんなに聞いてご覧よ。福澤諭吉の書いたものを色々読んでいる人間なんか、いやしないって。いたとしてもほんの一つまみだけだよ」
私は、私の身の回りの慶応義塾出身者が、特別に怠惰な人間だとは思いません
他にも、慶応義塾出身者に同じ質問をしましたが、みんな、私の身の回りの慶応義塾出身者と変わらないか、それよりひどい人間もいました。ある人間は私に尋ねられて「慶応卒だからといって福澤諭吉とは関係ありませんよ」と言いました。
慶応義塾出身の人間達でも、福澤諭吉の書いたものをろくに読んでいない。
であれば、世間の人たちが福澤諭吉の書いたものをきちんと読んでいる訳がない。
これから考えるに、権威ある学者とされる人たちが、福澤諭吉を偉人であると持ち上げれば、世間の人たちはその学者達の権威に盲従して、福澤諭吉を偉人として祭り上げただけなのではないか。
福澤諭吉を偉人として意識的に祭り上げた人たちの中には、福澤諭吉が「国家主義者」「天皇主義者」「国権拡張主義者」「侵略推進主義者」であるから、偉人とした人がいるだろう。
そう言う人間が、福澤諭吉を一万円札の肖像に使うことを決めたのだ。
しかし、世間一般の人たちは、福澤諭吉を「民主主義の先駆者」「市民的自由主義者」だから、偉人と思い込んでいるのです。
そういう人々の思い込みは、「学問のすすめ」初編をきちんと最後まで読むだけで、崩れるはずなのに、大半の人たちはそれすら読んでいない。
まして、私がこの本で取り上げた福澤諭吉の書いたものを読むはずがない。
私は、世間一般の人たちに福澤諭吉の真実を知ってもらいたい、と心から願ったのです。
それには、安川寿之輔氏の本を読んでもらうことがいちばん良い。
日本人全員が、安川寿之輔氏の本を読むべきだ。
私はそう思います。
しかし、安川寿之輔氏の本は学術書です。
私の妻や姉弟達のような、世間一般の人間にとっては、取っつきにくい。
しかも、安川寿之輔氏の本に取り上げられている福澤諭吉自身の文章も、氏の議論に必要な部分だけで、文章全体が見渡せない。その上、福澤諭吉の生の文章そのままだ。
福澤諭吉の文章は平明だが、さすがに明治時代の人間の書いた文章は、今の人間には読みづらい。
これでは、世間一般の多くの人たちに読んでもらうのは容易なことではない。
ではどうすれば良いか。
散々考えたあげくに、「おお、私は漫画原作者ではないか」と気がつきました。
安川寿之輔氏の本を漫画と漫画の原作のハイブリッド形式にまとめれば、世間一般の人たちも取っつきやすいのではないだろうか。
一九七四年以来、漫画の原作を書き続けてきたことが、役に立つといました
そこで、この本を書き始めたというわけなのです。
さて、何時もの通り長々しい文章になりました。
今回は、これで終わりにします。
読者のみなさんが知りたい「美味しんぼ」のつづきはどうなるのか、と言うことに対しては、次の回でお答えします。
ただ,今度福沢諭吉を批判する本を出せば、今まで以上に雁屋哲は攻撃されると思います。
原発問題どころではないだろうと恐れます。
で、このブログの再開の最初に私の思いを詩の形で書きます。
これから、この気持ちでブログを書いていきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「流されない」
濁流の中に
流されず 残った岩がある
その岩の上に
私は立っている
濁流は
世間様の流れ
時代の流れ
私が立ち続けていることに苛立つ
憎悪が流れてくると
私の立つ岩に激しくぶち当たり
憎悪の水しぶきは私の全身を包み込む
足元が揺らぐ
それでも
私は立つ
流されない
2015/01/30 - 美味しんぼ「鼻血問題」に答える ◎夜久弘さんが亡くなった。
以前、このブログで、つげ義春について書いたときに、つげ義春最後の作品群を掲載した「コミックばく」の編集者として夜久さんにについて書いた。
夜久さんは、つげ義春に作品を書かせるために、「コミックばく」を立ち上げたのだ。
つげ義春という作家は、夜久さんが舞台を設定しなければ何も描かなかっただろう。
実際に、1987年の「コミックばく」最終号以後、つげ義春は何も描いていない。
夜久さんがいなかったら、あの、「無能の人」などの一連のつげ義春の名作は私達、いや、漫画界、いや、日本文化の中に現れなかったのではないか。
夜久さんは、物静かで、上品な人だった。
いつも柔和な表情で、それなのに芯の強さを感じさせる人だった。
また、お会いしたいと思っていたのに、先に逝かれてしまった。
何とも、悲しく残念だ。
2015年1月2日 ご逝去。
◎2015年1月22日
サッカーのアジアカップの日本対UAE戦がシドニーで行われた。
私は、妻、長男、長女、次女の五人で観戦に行った。
私と妻と長男は、ワールドカップ、ブラジル大会のレシフェでの試合を見に行ったときの公式ユニフォームを、長女、次女はそれ以前の日本代表チームのユニフォームを着て行った。
UAE相手では、負けることはないだろうと、意気揚々として行ったのである。
結果はご存じの通りである。
こんな負け方は、日本サッカー界の歴史に残るものだと思う。
長男は落胆のあまり「お父さん、もう、日本代表の応援に行くのはやめようよ」という。
私も、レシフェで目の前でコートジボワールに無残な負けを喫したのを見て、心臓の具合が悪くなった。そこに、この、無残な敗北である。
倒されて、ローラーカーに轢かれてのしイカ状になり、その上で悪魔の軍団が飛び跳ねているような感じだ。この悲しみと苦しみはいつまで続くのだろう。
何で、こんなにサッカーに身を入れるのか。
私には分からない。
こんな面白いサッカーなどと言うゲームを作った人間を恨むしかない。
私は、日本代表が、必ず世界一になると信じて応援を続ける。
日本代表が負けると、死にたくなるけれどね。
◎去年の4月に、私が「美味しんぼ」で書いた鼻血の場面が、原発推進派に意図的に取り上げられ、殆ど全てのマスコミで、私はまるで犯罪者のように叩かれた。
それに対する反論を、このページで書くと読者諸姉諸兄にお約束したが、日本はなんだか訳の分からない社会になってしまって、なまじ、このブログに意見を書いても、中途半端にしか私の思いが伝わらないと考えて、私の意見を本にまとめることにした。
その本、
「美味しんぼ『鼻血問題』に答える」
が、いよいよ、発刊されることになった。
最初は、1月中のはずだったのだが、私の原稿が遅れたことで、結局2月になってしまった。
大方の書店には、2月2日に並ぶはずだ。
「鼻血」問題についての私の意見も、小出しにしていては、仲々全体がつかめない。
この本を読んで頂ければ、私の真意をご理解いただけると思う。
出版社は、「遊幻舎」
小学館とは、全く無縁の会社なので、この本に対するご意見は、「遊幻舎」の方にお願いしたい。
2014/12/10 - お知らせ 12月10日
「美味しんぼ」第111巻「福島の真実篇 2」が刊行されます。
色々と問題になった件も掲載されています。
お読み下されば、有り難いと思います。
例の 「鼻血問題」に対する私の意見は、本にして来年の一月に発行します。
まずは単行本第110巻と111巻をお読み頂いてから、ご意見を賜りたいと存じます。
一部分だけ読んで、あれこれ言うのは反則でしょう。
2014/05/22 - 色々と 1)以前、このページで、取材は、「福島の真実篇 その24」が終わってからお受けすると書きましたが、現在のところ、まだ冷静な議論をする状況にないと判断して、取材をお受けするのを先に延ばすことにしました。
私は、様々な事情があって、早くても7月の末まで、日本に戻れません。
取材はそれから、ご相談させて頂きます。
また、勝手ながら、取材のお申し込みに対して個別のお返事は差し上げられません。
現在、取材を申し込んで来られた皆様には申し訳ないことですが、ご了承下さい。
2)「美味しんぼ」の休載は、去年から決まっていたことです。
今回色々な方が編集部にご意見を述べられていますが、そのようなことに編集部が考慮して、「美味しんぼ」の休載を決めた訳ではありません。
「美味しんぼ」の「福島の真実篇」は最初単行本にして1巻の予定で始めました。
しかし取材を重ねている内に、単行本1巻ですむような事では無いことが分かり、急遽、単行本2巻で納めようと言うことになりました。
単行本2巻で納めるのは、24話が限界です。
そんな訳で、最初から、「福島の真実篇」は「24話」で終わりと決まっていたのです。
「その22」で鼻血の件を書いたところ、反響が大きく、熱心な愛読者の方からは「圧力に負けないで勇気を持って書き続けて欲しい」というお便りを数多く頂きました。
ご心配頂いた読者の方には申し訳ないのですが、その段階で原稿は書き上げてあり、作画もできあがっていたので、圧力に負けようにも負けようがなかったのです。
これからしばらく「美味しんぼ」は休載しますが、休載は過去にも何度かあり、6ヶ月以上休載したこともあります。
連載も長期化すると、原作者も、作画家も時に休みを取る必要があるのです。
「美味しんぼ」休載の事情は、以上の通りです。
ご理解くださるよう、お願いします。
2014/05/09 - 取材などについて 最近、「美味しんぼ」に書いた鼻血の件で、取材の申し込みを色々頂戴しています。
しかし、前にも書いた通り、「美味しんぼ 福島の真実篇」は、この後、その23、その24まで続きます。
取材などは、それから後にお考えになった方が良いと思います。
また、今回の件で、色々な方がスピリッツ編集部に電話をかけてくるそうです。
書いた内容についての責任は全て私にあります。
スピリッツ編集部に電話をかけたり、スピリッツ編集部のホームページなどに、抗議文を送ったりするのはお門違いです。
何かご意見があれば、この私のページ当てにお送り下さい。
ただし、yahooメール、Gメールのように、幾らでも作れて、一回こっきりで捨てられるようなフリー・メルによるものは、自動的に、はねる仕組みになっています。
私に意見を仰りたいのなら、ご自分の契約しているプロバイダーの正規のメールアドレスから、送って下さい。
これは、以前に、そのようなフリー・メールによって、このページがダウンしたことがあるからです。
2014/05/04 - 反論は、最後の回まで,お待ち下さい 「美味しんぼ 福島の真実篇」、その22で、鼻血について書いたところ、色々なところで取り上げられてスピリッツ編集部に寄れば、「大騒ぎになっている」そうである。
私は鼻血について書く時に、当然ある程度の反発は折り込み済みだったが、ここまで騒ぎになるとは思わなかった。
で、ここで、私は批判している人たちに反論するべきなのだが、「美味しんぼ」福島篇は、まだ、その23,その24と続く。
その23、特にその24ではもっとはっきりとしたことを言っているので、鼻血ごときで騒いでいる人たちは、発狂するかも知れない。
今まで私に好意的だった人も、背を向けるかも知れない。
私は自分が福島を2年かけて取材をして、しっかりとすくい取った真実をありのままに書くことがどうして批判されなければならないのか分からない。
真実には目をつぶり、誰かさんたちに都合の良い嘘を書けというのだろうか。
「福島は安全」「福島は大丈夫」「福島の復興は前進している」
などと書けばみんな喜んだのかも知れない。
今度の「美味しんぼ」の副題は「福島の真実」である。
私は真実しか書けない。
自己欺瞞は私の一番嫌う物である。
きれい事、耳にあたりの良い言葉を読み、聞きたければ、他のメディアでいくらでも流されている。
今の日本の社会は「自分たちに不都合な真実を嫌い」「心地の良い嘘を求める」空気に包まれている。
「美味しんぼ」が気にいらなければ、そのような「心地の良い」話を読むことをおすすめする。
本格的な反論は、その24が、発行されてからにする。
2014/04/10 - 伊丹万作と「自発的隷従論」 ある読者が、私が前回書いた「自発的隷従論」の紹介を読んで、伊丹万作が1946年、敗戦の翌年に書いた文章を思い出したと言って、その文章が掲載されているページのURLを教えて下さった。
それを以下に、転記する。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html
伊丹万作は戦前に活躍した映画の監督・脚本家で、私が子供の頃「手をつなぐ子ら」という映画を見た覚えがある。
エッセイスト、俳優、映画監督の伊丹十三は息子である。
読者が紹介してくれた文章は,以前に日本人の戦争責任を問う本のなかで二度ほど読んで良く憶えている。その本が何だったのか、今私は日本におり、その本はシドニーの書斎にあるので、見付けることが出来ない。
この文章がネットに掲載されていることを、教えて頂いて大変有り難いと感謝しています。
私も以前この伊丹万作の文章を読んで大変に感銘を受けた。
先の大戦が終わった後に、政府にだまされたと多くの人が言うのに足して、次のように言っている。
「いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。」
「自発的隷従論」に重なるところが多いでは無いか。
しかし、今回「自発的隷従論」について書いた時に、この伊丹万作の文章のことは頭に思い浮かばなかった。
「自発的隷従論」の私が紹介した部分だけを読んで、伊丹万作のこの文章を思い出された読者の方はすごいと思う。脱帽する。
読者諸姉諸兄の皆さんもぜひ、上のURLをたどって、伊丹万作の文章を読んで頂きたい。
戦争直後にこのように透徹した意見を書いた、伊丹万作には敬服するしか無い。
2014/04/09 - つげ義春と私 2014年1月号の「芸術新潮」は「つげ義春」特集だった。
1960年代最後から、1970年代にかけて、つげ義春という漫画家は漫画を本気になって読む人間にとって、自分自身の生き方を問われるような奥深い意味を持つ漫画を次々に発表する、目がくらむような人間だった。
私は、つげ義春の全集を持っているし、手に入る限り他の著書を持っている。
この、「芸術新潮」によれば、つげ義春は1987年以来何も描いていないという。
一番長い、休載期間だという。
その「芸術新潮」につげ義春の最近の写真が載っていた。
年齢としては、1937年生まれと言うことなので、現在75歳。
以前に色々の機会でみた写真の顔と別人のようなので、驚いた。
そして思った。天才は老いても天才の顔だ。普通の顔では無いのだ。
つげ義春を一言で表現したいと思ったら「天才」という言葉以外は思い浮かばない。
私は、大学生の時に、つげ義春の「ねじ式」を読んで、天地がひっくり返るような衝撃を受けた。
「ねじ式」が発表されたのは1968年。いまから、46年も前のことになる。
この「ねじ式」が少しも古くならない。
46年経った今読んでも、その人の心をえぐる衝撃的な力は衰えるどころか、もはや、古典としてこれからも人の心をえぐり続けるだろうと思う。
つげ義春の作品の流れの中で、現在に至る休筆までの最後の14作品を掲載したのは、「comic ばく」誌である。
この、「comic ばく」の編集長夜久弘(やくひろし)氏は、実は私が「漫画ゴラク」で、「野望の王国」を連載した時の最初の担当編集者だったのだ。
夜久さんは極めて物静かな人で、漫画について、熱っぽく語ることは無く、私は夜久さんが漫画に非常な情熱を抱いていることを知らなかった。
私が、「漫画ゴラク」に書かせててもらった「野望の王国」は、私のしたいこと、言いたいことを全て 書く事の出来た作品で、私の漫画原作者として、これならと言えるのは「男組」「野望の王国」「美味しんぼ」の三作であるが、どれも、つげ義春の描く漫画とは格が違う。
つげ義春の漫画は芸術作品である。
私の書く漫画は(私は絵を描けず原作だけ書くので私の場合は漫画を「書く」と表記する)一般大衆向けの娯楽作品である。
私の書く物が一般大衆向けの娯楽作品だからと言って卑下するつもりは全くない。
自分の言いたいことを思い切り生の言葉で表現できるのは大衆向けの漫画でしかあり得ず。表現者としての漫画原作者である私は、その大衆向けというところに最大の意義を見いだしていて、それだから漫画の原作を書くという気合いが乗るという物なのだ。
しかし、つげ義春は第三者のためでは無く自分のために漫画を描いている。
つげ義春は第三者に漫画を読んでもらうことなど考えていないのではないかと思う。
つげ義春が、精神的に非常な不調に陥るのは、自分の作品を第三者に読ませるために雑誌に発表することが耐えがたいからなのではないかと私は思う。
夜久さんは私のことを、「大衆に売る漫画だけを描く、売り屋」だと、軽蔑していたのではないかと、今になって考えると心苦しい。
つげ義春に面と向かえば、だれでも劣等感にとらわれるだろうと思うが、私とつげ義春の間に夜久弘氏が介在するので余計に複雑である。
1984年に、夜久さんが「comic ばく」の第一号を持って現れた時の驚きを私は忘れられない。
夜久さんは、非常にクールな感じのする方で、漫画の編集という仕事も、世を忍ぶ仮の姿という案配で、私の提出する原作に一切文句をつけず、漫画作家への原作配達係のように、淡々とした態度で、私の漫画には向かっておられた。
その夜久さんが「つげ義春を中心にした漫画雑誌を発行します」
といって、「comic ばく」の第一号を体中から気合いのほとばしるような勢いで、私に下さるというより突きつけた。
1974年に「男組」で、劇画の世界に出て、そこそこ評判の良い作品を描き続けることが出来て、一息ついているところに、つげ義春だ。
「comic ばく」に載っているつげ作品はすごいけれど、私にはもはや、そのような世界を探索し、その世界に没入する感覚を失っていた。
その作品に感動し,涙を流し、作品の前に跪き、地面に頭をすりつけるだけでは収まらず、つげ義春の作品を完成するためのアシスタントとしてでも雇ってもらいたいと思いはしたが、絵と言えばへのへのもへじ、しかかけない男に出る幕は無かろう。
夜久さんはつげ義春の作品を掲載したいためにこの「comocばく」を発刊されたという。
一人の作家のために一つの雑誌を立ち上げる、その力、意気込み。
私は目の前にいる夜久さんが、それまで私の知っている夜久さんとは別人であることを確認した。
夜久さんは私の書く「野望の王国」には何の興味も抱いておられなかったのだろう。
だから、内容に文句の一つも言わず、淡々と原稿を受け取ってこられたのだ。
芸術作品を書く漫画家と、大衆娯楽作品の原作を書く原作者と、その両者に対する編集者の態度の違いを、目の前で見せられて、私は衝撃を受けた。
しかし、私の漫画は大衆に読んでもらわなければならない理由がある。「男組」を書き始めた時に固めたものなので、「大衆に読んでもらう作品を書く」という決意は揺るがない。
それに、絵を描けないのでは、芸術としても漫画など、描ける訳が無いのだ。
「comicばく」を見て、「わあ、昔のガロみたいだな」と思った。
夜久さんが、「ガロ」に代表される純粋漫画の熱烈な愛好者であることをこの時に始めて知ったのだ。
夜久さんは、ランニングの本で有名になっているようだが、さいきんはどうしておられるのか、私が1988年にオーストラリアに引っ越して以来連絡が無い。
会いたいな、夜久さん。
この、「芸術新潮」の1月号を見て、いまだにつげ義春をまともに、評価してくれる人たちが、これだけ多くいると言うことを知って、私は、泣きたくなるほど嬉しかった。
と言うのは、私の昔から友人が、つげ義春の事を知らなかったのだ。
私は、その男との長いつきあいを考えて信じられない事だった。
「ねじ式」も彼は知らないという。
私は仰天して思わず叫んでしまった、「ねじ式を知らないで漫画を知っていると言えるのか」
その友人は、私の脅迫にも耐えて盛んに首をひねっている。
私は、彼に、筑摩書房刊の「つげ義春全集」を送ることを約束した。
この私の友人のことを考えると、今や、つげ義春は今の時代からは捉えられない漫画家になっているのかも知れない。
私は、つげ義春を知らなかった私の友人をさんざん責めて罵詈雑言を浴びせたが、考えてみれば、つげ義春を同時代的に知るとこが出来、その作品の故に、自分の生きる道を色々と点検させられた私達は幸せだったのだと思う。
つげ義春の作品を、日本人全員は読め、と私は言いたい。
つげ義春こそ、物狂おしいほど、日本人を追求した作家である。
2014/04/08 - RBB! You are great ! 4月1日、私は、川崎の等々力陸上競技場に、川崎フロンターレとWestern Sydney Wanderersの試合を見るために、連れ合いと、次女と甥の四人で乗込んだ。
小野伸二選手が2年前に加入して以来 Western Sydney Wanderersのフアンになってしまい、私たちの住む地域としてはSydney FC を応援するべきなのだが、Sydney Cityではなく、Paramatta City に属するWestern Sydney Wanderersを応援するようになってしまったのである。
大Sydney地区としては、同じ地区に含まれると思うのだが、実際には、オーストラリアにイギリス人が住み始めて一番最初に栄えたのが、Paramattaであり、今でも人口重心(一つの地域の人口の稠密度を計る時に使われる用語である。日本全体の人口重心は関東地方になる、と言うのと同じ感覚である)はParamattaだそうで、オーストラリアに移民して来た人たちがまず住み込む先がParamattaのようなSydney全体からすれば、西南部の地域である。
当然Western Sydney Wanderersのサポーターたちは、私の住むSydneyのNorth Shore(Sydneyの北岸、ハーバーブリッジを渡った先である)では、滅多にお目にかかることの無い中東などの非常に濃い人たちである。彼らのかなりの人々が、私には理解できない英語以外の言語で話し合っている。
彼らは背も高く筋肉もモリモリで、日本に来て格闘競技の世界に入ったらたちまちスターになるだろうと思われる体つきである。
そのサポーターをRBBと言う。Western Sydney Wanderersのユニフォームが赤と黒を色調として使っているので、Western Sydney Wanderersと言えば、赤と黒である。
RBBは「Red and Black Block」という意味で、Western Sydney Wanderersのサポーター席のことを言っていたのが、サポーターの名前になった。
小野伸二選手が加入して以来、Western Sydney Wanderersは人気が急上昇した。
私達が2年前に始めてParamatta スタジアムに行き始めた時に比べると、RBBの人数は200人くらいから2000人以上に急増した。
いや、この数は、ゴール後ろのサポーター席に陣取る人間の数から見て言っているのであって、サポーター席から外れたところにも、Western Sydney Wanderersのユニフォームを着たファンが沢山いるから、RBBの実数はその数倍はいると思う。
2年前のParamattaでの試合は、総観客数が6千人などと言うことが普通だったが、いまや、競技場の容量限界の1万6千人が詰めかけるのである。(この競技場はサッカーとラグビーに特化した競技場であって、横浜スタジアムのように、陸上競技用のコース観客席の前になく、観客席の前はいきなりサッカーのピッチなのでその肉迫度、体感度が陸上競技と併用のサッカー場とは、我々観客の興奮度がまるで違う。横浜スタジアムで、中村俊輔選手など、一〇〇メートル以上離れたところでしか見られないが、Paramattaスタジアムでは、10メートル先に小野伸二選手を見ることが出来るのだ。
2年前までは、チケットを取ることなど、数日前でも良い席を取れたのだが、今や事情は違う。
二週間前に売り出してすぐに売り切れてしまう。秒殺、瞬殺の早業で売れてしまう。
私達はサッカーというと家族全員で行く習慣なのだが、六枚続きのチケットを取ることが難しくなってきた。
もう最近は、コネに頼って入手するしか無い状態だ。
このような、熱狂的なWestern Sydney Wanderers人気を引き起こしたのは全て小野伸二選手である。
サッカーは一人だけ優秀でも、絶対に勝てない。
と、同時に一人天才が入っただけで、チームの動きががらりと変わる。
ParamattaのWestern Sydney Wanderersという田舎チームが、小野伸二という世界的な天才プレイアーを得て、チーム全体が1段どころでは無く、5段も10段も成長した。
小野伸二がいると、チーム全体の動きがまとまるのだ。
これは全く不思議で、小野伸二選手がいないと、Western Sydney Wanderersは、みんなで何をしているのか、何をして良いのか分からない状態になる。
小野伸二選手がいなくなるとチーム全体を統率する要となる選手が、Western Sydney Wanderersにはいなくなる。
今年で、小野伸二選手の契約は切れて、小野伸二選手は、コンサドーレ札幌に移籍してしまう。
小野伸二選手がいなくなった後、Western Sydney Wanderersはどうするのか、これは厳しい話で、単にWestern Sydney Wanderersにとどまらず、オーストラリア全体のサッカー界に取って重大な問題である。
オーストラリアのサッカー協会、Football Federation Australiaにとっても、深刻な問題だろう。
もともと、オーストラリアではサッカーの人気は低かった。
オーストラリア人はとにかくマッチョマンが高く評価される風土で、 ラグビー、オーストラリア式フットボールに比べると、サッカーは肉体的にぶつかり合うことが少ないといって(これは、大いなる誤解なのだが)、サッカーは弱虫のするスポーツと言われてきた。
オーストラリア人が熱狂するのは、ラグビーが一番、ついで、オーストラリア式フットボールという、奇怪なルールのラグビーとサッカーの中間のゲームである。(クリケットも人気があるのだが、私は何度見てもあのゲームの何が面白いのか、さっぱり分からないので、言及しないことにする)
二つとも、体に力の余っている者同士が、如何にその力を無意味に発散するかを競うゲームであり、ラグビーに至っては日本の相撲取りのような体の大男たちが、ただぼこぼこぶつかり合って、押し合うだけの競技で、相撲の持つあのスリリングな技の掛け合いなど無く,ひたすら押しまくるだけの力比べなのでラグビーを見ると、そのあまりの単調さに腰が抜けるほど驚く。
そのオーストラリアのサッカー界に突然登場したのが天才小野伸二である。
小野伸二選手が所属したWestern Sydney Wanderersは全く勃発的にと言って良いほど、人気が発生し、多くのファンが集まった。
私はこの現象を前にして、如何に天才的なプレイアーが人の心を掴むのか理解した。
で、私はWestern Sydney Wanderersのファンになったわけだが、そのWestern Sydney Wanderersが川崎に戦いに来るとなっては、これは放っておく訳には行かない。
恐るべき事に、川崎フロンターレのメインスタジアムは工事中というといことで、正面スタンドが完全につぶれている。
チケットを発売直後に購入しようとしたのだが、まず、指定席が手に入らない。
仕方がないので、7時キックオフの試合なのに、5時半にスタジアムに到着して、良い席を選ぼうとした。
ああ、それでも遅かったんだよ。
正面の一番良い席は、どう言う訳か、タオルとか、何かビニールの包みとかで押さえられていて、近寄れない。
そんなに早くついたのに、向こう正面の向かって右のゴール近くの席しか取れない。
悔しいけれど仕方がない。
その席から見ると、RBBの席が左手ゴール奥に見える。
ところが、その席に殆ど人がいないのである。
しばらく、待っていたが、試合が始まるというのにRBBの席に人がいない。
私は、これではならじ、と思ったね。
一緒に来ていた次女に交渉させて、どうせ自由席なので、RBBの場所に移って良いと会場係員に許可を得たので、Western Sydney Wanderersのサポーター席に、移動した。
だって、Western Sydney Wanderersの選手達が試合をするのに、何時ものような応援がなかったら力がそがれるではないか。
少なくとも、私達一家で、応援してやらなければならないと使命感に燃えたのだ。
ところが、キックオフの十分前くらいに、突然聞き慣れたやかましいというか吠え声が会場に鳴り響いた。
「来たかっ」と思ってみていると、RBBの一聯隊がWestern Sydney Wanderersの横断幕を掲げて入場して来るではないか。
それ以前に、私の連れ合いは、「RBBの連中はバスを仕立てて来るはずだ。そのうちに、バスが到着すれれば連中は現れるわよ」と言っていたのだが、その通りになった。
私は、何時ものWestern Sydney Wanderersの試合を応援しに行くときとの興奮が呼び覚まされて、ぐわーっと良い気分になった。
RBBの人間は体が大きい、声が大きい。
体は容量で言うと日本人の1・5倍はあるが、声の大きさは3倍以上である。
私は、Western Sydney WanderersのホームであるParamatta競技場に行くときには、必ず、耳栓を持って行く。耳栓をはめないと、連中と観客の騒ぎで頭が痛くなるのだ。
RBBもうるさいが、観客もRBBに合わせて騒ぐ。
耳栓無しでは、頭がおかしくなる。それくらい、連中は騒ぐ。
とにかく、オーストラリア人の声の大きさと来たら世界的に悪名がとどろいている。
その日、等々力陸上競技場に来たRBBは100人ほどだろう。
それでも、うるさかった。
それに対してフロンターレのサポーター3000人以上いたと思うのだが、耳栓が必要なほどの騒ぎはなかった。
私は、RBBの途方もなくうるさいWestern Sydney Wanderersに対する応援の歌声を聞いていて、なんだか、とても幸せな気持ちになった。
小野伸二選手が退団したら、Western Sydney Wanderersともお別れだなと思っていたのだか、RBBの連中を見ていると、「よし、次のシーズンも、Western Sydney Wanderersを応援しに行こう」と思ってしまった。
試合は、ご存じの通り、フロンターレが2対1で勝った。
後半、私達がいる、Western Sydney Wanderersの側に全然ボールが運ばれなかった。
私達は目の前で、小野伸二選手のコーナーキックが見られると期待していたのだがそれどころではなかった。
私達は、遠く、反対側のサイドで展開される試合を見ているだけだった。
もともと、Western Sydney Wanderersのディフェンスはひどくて、シドニーの新聞でも「高校生のディフェンス」と酷評されるくらいで、フロンターレ戦でもあのままで2点ですんだのが奇跡と言うくらいで、5、6点取られても仕方のない戦いだった。
今回のような、リーグ戦のチャンピオンシップを争うゲームは国籍に関係しないので、とても楽しかった。
私はWestern Sydney Wanderersのファンであって、ワールドカップで日本を応援する自分とは別人なのだ。
で、今回考えたのだが、国籍別のワールドカップはそろそろ止めた方が良いと思う。
おかしなナショナリズムがサッカーという素晴らしいゲームにつきまとうのは我々の叡智で断ち切って、ワールドカップもチーム単位のゲームに持って行くべきだと私は考える。
ナショナルチームなどと言う考えは、くだらない。
もともと、サッカーというのは、殺した相手の頭を都市国家である相手の陣営に蹴り込むことから始まったと言われるくらいに、地域性の強いゲームである。
こう言う性格をのこすか、地球人全体が楽しめるゲームにするか。
21世紀のサッカーは、もっと、アンチ・ナショナルな、インターナショナルな形にしたい物だと思う。
サッカーのような素晴らしいゲームをナショナリズムで汚してはいけない。
今回、フロンターレを敵にし、Western Sydney Wanderersのユニフォームを着ながら観戦して、心から、サッカーをインターナショナルにするべきだという思いが突き上げてきた。
2014/04/01 - フロンターレのサポーターの皆さん、許して下さい 4月1日は、Western Sydney Wanderersの応援に、川崎フロンターレの根拠地、等々力陸上競技場に行くのだ。
チケットが早々と売り切れてしまい、一般席しか手に入らなかった。
その一般席で、Western Sydney Wanderersのユニフォームを着て、Western Sydney Wanderersの応援をするのだから、これは度胸がいる。
実は、これには訳があって、Western Sydney Wanderersには2年前から、小野伸二選手が加入して、それまでサッカーの人気が今一だったシドニー、ひいてはオーストラリア中のサッカー人気を一気にもり立ててくれたのだ。
以前にも、このページで紹介したが、小野選手のオーストラリアでの人気は絶大で、小野選手は、この6月で、日本に引き揚げるというのに、小野選手の所属しているWestern Sydney Wanderersがある、Paramatta市から、小野選手にその功をたたえるメダルが授与された。
その、Western Sydney Wanderersが、アジア・チャンピオンズリーグ戦に出場することになり、既に、川崎フロンターレとは、オーストラリアで闘いWestern Sydney Wanderersが勝っている。
今度は、川崎フロンターレのホームでの試合となる訳だ。
私の家族は、小野選手がWestern Sydney Wanderersに加入して以来、Western Sydney Wanderersのホームでの試合に良く出かけている。
私の家から、Western Sydney Wanderersのホームの競技場まで50分以上かかるのだが、いつも家族で最低5人で、カツサンドを弁当に持って行って、ゲームを楽しむ。(カツサンドは、勝つ、ためのサンドイッチと、げんを担いでいるのだ)
地域的に言えば、本当は私達は、Sydney FCを応援しなければならないのだが、私達のお目当ては小野選手なので、越境的にWestern Sydney Wanderersを応援しにSydneyではなく、Paramatta市まで出かけている訳だ。
その、Western Sydney Wanderersが、小野選手のおかげで良い成績を収めたので、アジア・チャンピオンズリーグに出場できることになった。
じつは、そのために、試合のスケジュールが過密になり、選手たちにとっては有り難いが同時に困ったことであって、4日ごとに試合という状態が続いている。
私が日本にいる間に、Western Sydney Wanderersは負け続けてしまい、オーストラリア・リーグで最初は1位だったのが、現在5位に落ちてしまった。
その、Western Sydney Wanderersが日本に来て、川崎フロンターレと闘うとあっては、応援に行かざるを得ないでは無いか。
ああ、何という恐ろしい日になるのであろうと考えるだけで、震えが走る。
私は、フロンターレのサポーターの真ん中で、Western Sydney Wanderersのユニフォームを着て、Western Sydney Wanderersを応援するのだ。
フロンターレのサポーターの皆さん、許して下さい。
これも、小野伸二選手を応援するためなのだから。
2014/03/21 - 琴欧洲 有り難う 今日、琴欧洲が引退した。実に残念だ。大関に昇進した時には、すぐにでも横綱になると信じて疑わなかった。体の柔らかさ、力強さ、体が大きいのににもかかわらず器用で俊敏な体の使い方。絶対に大横綱になると信じた。ああ、ところが、大関になってすぐに膝に大けがを負ってしまった。全くなんと言うことだ。年に六場所もあっては膝の治療も十分出来ないうちに出場しなければならない。あのとき、半年休んで治療に専念できれば、今頃は大横綱になっていたと私は信じて疑わない。あのような過酷な競技、(土俵から70センチ下まで転がり落ちるなんて、これは、自分の身の上に考えてみれば、ありうることではない)しかし、今までの、名力士たちは皆、その過酷な状況を乗り越えてきたのだから仕方が無いとはいえ、あの過酷な土俵のせいで、あたら優秀な人材を失ったことは数え切れない。私は、相撲の歴史の連続性から見て、今の土俵の形を変えることは意味が無いと思う。しかし、本場所の土俵の上でのけがの治療についてはもっと十分な期間を与えるべきでは無いか。それが、長い目で見れば、惜しい力士を失わずにすみ、大相撲の繁栄につながることだと私は信じる。琴欧洲だって、あと半年治療に専念することが出来たら、と考えると残念でたまらない。私は、相撲協会に、けがをした力士の治療期間を延ばすことをお願いしたい。今のままでは、せっかく優秀な力士が一つのけがで一生を棒に振るという例が多すぎると思うのだ。 それにしても、琴欧洲、有り難う。土俵の上で、あれほど花のある力士は、琴欧洲以後出ていない。相撲協会に残ると聞いて、うれしい。相撲協会では、負傷力士に対する相撲協会の対応を変えるように親方として努力してもらいたい。とにかく、琴欧洲、お疲れ様。今までの努力、我々相撲愛好家を喜ばせてくれたことに心から感謝します。良くやった、有り難う。
2014/03/03 - 自発的隷従論 最近、目の覚めるような素晴らしい本に出会った。
「自発的隷従論」という。
エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ(Etienne de la Boétie)著、
(山上浩嗣訳 西谷修監修 ちくま学芸文庫 2013年刊)。
ラ・ボエシは1530年に生まれ、1563年に亡くなった。
ラ・ボエシは33歳になる前に亡くなったが、この、「自発的隷従論」(原題: Discours de la servitude volontaire)を書いたのは、18才の時だという。
あの有名な、モンテーニュは ラ・ボエシの親友であり、ラ・ボエシ著作集をまとめた。
今から、450年前に18才の青年に書かれたこの文章が今も多くの人の心を打つ。
この論が、「人が支配し、人が支配される仕組み」を原理的に解いたからである。
「自発的隷従論」はこの「ちくま学芸文庫」版ではわずか72頁しかない短い物だが、その内容は正に原理であって、その意味の深さは限りない。
それは、ニュートンの運動方程式
「力は、質量とそれに加えられた加速度の積である。F=am」
は短いがその意味は深いのと同じだ。
ラ・ボエシの「自発的隷従論」の肝となる文章を、同書の中から幾つか挙げる。
読者諸姉諸兄のためではなく、私自身が理解しやすいように、平仮名で書かれている部分が、返って読みづらいので、その部分を漢字にしたり、語句を変更している物もある(文意に関わるような事は一切していない)。
同書訳文をその読みたい方のために、私の紹介した言葉が載っている、同書のページ数を記しておく。
本来は、きちんと同書を読んだ方が良いので、私はできるだけ多くの方に、同書を読んで頂きたいと思う。
私がこの頁で書いていることは、同書を多くの人達に知って頂くための呼び水である。
私は自分のこの頁が、同書を多くの人達にたいして紹介する役に立てれば嬉しいと思っている。
A「私は、これほど多くの人、村、町、そして国が、しばしばただ一人の圧制者を耐え忍ぶなどということがありうるのはどうしてなのか、それを理解したいのである。その圧制者の力は人々が自分からその圧制者に与えている力に他ならないのであり、その圧制者が人々を害することが出来るのは、みながそれを好んで耐え忍んでいるからに他ならない。その圧制者に反抗するよりも苦しめられることを望まないかぎり、その圧制者は人々にいかなる悪をなすこともできないだろう。(P011)」
B「これは一体どう言うことだろうか。これを何と呼ぶべきか。何たる不幸、何たる悪徳、いやむしろ、何たる不幸な悪徳か。無限の数の人々が、服従ではなく隷従するのを、統治されているのではなく圧制のもとに置かれているのを、目にするとは!(P013)」
C「仮に、二人が、三人が、あるいは四人が、一人を相手にして勝てなかったとして、それはおかしなことだが、まだ有りうることだろう。その場合は、気概が足りなかったからだと言うことができる。だが、百人が、千人が、一人の圧制者のなすがまま、じっと我慢しているような時、それは、彼らがその者の圧制に反抗する勇気がないのではなく、圧制に反抗することを望んでいないからだと言えまいか(P014)」
D「そもそも、自然によって、いかなる悪徳にも超えることのできない何らかの限界が定められている。二人の者が一人を恐れることはあろうし、十人集ってもそういうことがあるうる。だが、百万の人間、千の町の住民が、一人の人間から身を守らないような場合、それは臆病とは言えない。そんな極端な臆病など決してありえない。(P015)」
E「これは(支配者に人々が隷従していること)、どれほど異様な悪徳だろうか。臆病と呼ばれるにも値せず、それふさわしい卑しい名がみあたらない悪徳、自然がそんなものを作った覚えはないと言い、ことばが名づけるのを拒むような悪徳とは。(P015)」
F「そんなふうにあなた方を支配しているその敵には、目が二つ、腕は二本、体は一つしかない。数かぎりない町のなかで、もっとも弱々しい者が持つものと全く変わらない。その敵が持つ特権はと言えば、自分を滅ぼすことができるように、あなた方自身が彼に授けたものにほかならないのだ。あたがたを監視するに足る多くの目を、あなたが与えないかぎり、敵はどこから得ることができただろうか。あなた方を打ち据えるあまたの手を、あなた方から奪わねば、彼はどのようにして得たのか。あなた方が住む町を踏みにじる足が、あなた方のものでないとすれば、敵はどこから得たのだろうか。敵があなた方におよぼす権力は、あなた方による以外、いかにして手に入れられるというのか。あなた方が共謀せぬかぎり、いかにして敵は、あえてあなた方を打ちのめそうとするだろうか。あなた方が、自分からものを奪い去る盗人をかくまわなければ、自分を殺す者の共犯者とならなければ、自分自身を裏切る者とならなければ、敵はいったいなにができるというのか(P022)」
ここまでの、ラ・ボエシの言う事を要約すると、
「支配・被支配の関係は、支配者側からの一方的な物ではなく、支配される側が支配されることを望んでいて、支配者に、自分たちを支配する力を進んで与えているからだ」
と言う事になる。
「支配されたがっている」
とでも言い換えようか。
それが、ラ・ボエシの言う「自発的隷従」である。
支配される側からの支配者に対する共犯者的な協力、支配される側からの自分自身を裏切る協力がなければ、支配者は人々を支配できない。
このラ・ボエシの言葉は、日本の社会の状況をそのまま語っているように、私には思える。
ラ・ボエシの「自発的隷従論」は支配、被支配の関係を原理的に解き明かした物だから、支配、被支配の関係が成立している所には全て応用が利く。
「自発的隷従論」の中では、支配者を「一者」としているが、ラ・ボエシが説いているのは支配、被支配の原理であって、支配者が一人であろうと、複数であろうと、御神輿を担ぐ集団であろうと、他の国を支配しようとする一つの国であろうと、「支配する者」と「支配される者」との関係は同じである。そこには、ラ・ボエシの言う「自発的隷従」が常に存在する。
日本の社会はこの「自発的隷従」で埋め尽くされている。
というより、日本の社会は「自発的隷従」で組立てられている。
日本人の殆どはこの「自発的隷従」を他人事と思っているのではないか。
他人事とは飛んでもない。自分のことなのだ。
大半の日本人がもはや自分でそうと気づかぬくらいに「自発的隷従」の鎖につながれているのだ。
読者諸姉諸兄よ、あなた方は、私の言葉に怒りを発するだろうか。
火に油を注ぐつもりはないが、怒りを発するとしたら、それはあなた方に自分自身の真の姿を見つめる勇気がないからだ、と敢えて私は申し上げる。
上に上げた、ラ・ボエシの言葉を、自分の社会的なあり方と引き比べて、読んで頂きたい。
まず日本の社会に独特な「上下関係」について考えてみよう。
大学の運動部・体育会を表わす表現に「4年神様、3年貴族、2年平民、1年奴隷」というものがある。
1年生は、道具の手入れ、部室、合宿所掃除、先輩たちの運動着の洗濯、など上級生・先輩たちの奴隷のように働かされる。
2年生になると、やはり上級生たちに仕えなければならないが、辛い労働は1年生にさせることが出来る。
3年生になると、最早労働はしない。4年生のご機嫌だけ取って、あとは2年生、1年生に威張っていればよい。
4年生になると、1年生は奴隷労働で尽くさせる、2年生は必要なときに適当に使える。3年生は自分たちにへつらい、こびを売るから可愛がってやり、ときに下級生がたるんでいるから締めろと命令して、3年生が2年生、2年生が1年生をしごくのを見て楽しむ。
これは、有名私立大学の体育会に属する学生、体育会のOB何人もから聞いた話だから確かである。
こんな運動部に絶えず新入生が加入する。
彼らは人伝えに、上下関係の厳しさを知っていて、新入りの1年生がどんな目に遭うか知っていて、それでも体育会・運動部に入ってくる。
そして、入部早々新入生歓迎会という乱暴なしごきを受ける。
毎年春になると、上級生に強要されて無茶苦茶な量の酒を飲まされて急性アルコール中毒で死ぬ学生の話が報道される。
そのしごきが厭になって止める学生もいる。
だが、運動部が廃部になることは滅多にない。
入部する新入生が減ったとか、いなくなったとか言う話も滅多に聞かない。
OBや上級生は「我が部、何十年の伝統」などと、自慢する。
この場合の自慢は、自己満足の表明である。
下級生は何故上級生の支配を日常的に受けて我慢しているのか。
そう尋ねると、例えば、野球なら野球をしたいから部に入っている。部を止めたら野球ができなくなる。だから、上級生のしごきも我慢しなければならない、と答えるだろう。
本当だろうか。しごきがなければ、野球部は出来ない物だろうか。
野球の発祥の地アメリカの大学や高校の野球チームで、日本のように上級生の下級生にたいするしごきがあったら、しごいた上級生は直ちにチームから追放されるだろう。
何故、野球をしたいがために殴られたり、無意味どころでは無く、腰に非常に有害ななウサギ跳びなどをされられるのを甘んじて受け入れるのか。
運動部のOBは卒業してからも、現役の学生の選手たちに威張っている。また、そのOBの中でも卒業年次ごとに上下関係がある。
一旦運動部に入ると、死ぬまでその上下関係に縛られる。
彼らは、支配被支配の関係が好きなのだ。支配される事が好きだから、「仕方がない」などと言って、先輩の暴力を耐えるのである。
いつも支配されつづけていると、例えば日本の野球部の新入生は上級生からの暴力が絶えたら、自分でどう動いて良いか分からなくなるのではないか。
何故、運動部・体育会について、長々と書いたかというと、この、運動部・体育会の奇怪で残忍な組織は、日本の社会だから存在する物であり、日本の社会の構造そのものを、そこに作り出していて、日本社会のひな形だと思うからだ。
日本の運動部・体育会は後輩の先輩たちに対する自発的隷従によって成立している。日本の社会がまさにそうである。
日本の会社、官僚の世界も同じである。
日本の会社に一旦入るとその日から先輩社員に従わなければならない。
それが、仕事の上だけでなく、会社の外に出ても同じである。
居酒屋や焼き肉屋で、どこかの会社の集団なのだろう、先輩社員はふんぞり返って、乱暴な口をきき、後輩社員はさながら従者のように先輩社員の顔色をうかがう、などと言う光景は私自身何度も見てきた。
「会社の外に出てまでか」と私はその様な光景を見る度に、食事がまずくなる思いをした。
高級官僚(国家公務員上級試験に合格して官僚になった人間。国家公務員上級試験に合格しないと、官僚の世界では、出世できないことになっている)の世界はまたこれが、奇々怪々で、入庁年次で先輩後輩の関係は死ぬまで続く。
その年次による上下関係を保つ為なのだろう、財務省などでは同期入庁の誰かが、官僚機構の頂上である「次官」に就任すると、同期入庁の者達は一斉に役所を辞めて、関係会社・法人に天下りする。
さらに、恐ろしいことだが、先輩が決めた法律を改正することは、先輩を否定することになるので出来ないという。
なにが正しいかを決めるのは、真実ではなく、先輩後輩の上下関係である。
だから、日本では、どんなに現状に合わないおかしな法律でも改正するのは難しい。
会社員の世界も、官僚の世界も、先輩に隷従しなければ生きて行けない。
自ら会社員、官僚になる道を選んだ人間は自発的に隷従するのである。
日本の選挙は、民主主義的な物ではない。
企業、宗教団体、地方のボス、などが支配している。
例えば、企業によっては、係長や課長位の地位になると、上の方から「党費は会社が持つから自民党に入党してくれ」と言ってくることがある。
日本の会社社会では上司の言う事に叛くのは難しい。
特に、中間管理職程度に上がってしまうと、これから先の出世の事を考えざるを得なくなるから、なおのこと上からの命令に逆らえない。
言われた人間は、自民党に入党して、自分の家族の中で選挙権を持っている人間の名前も届ける。
選挙となると、自民党の候補の名前を知らされる。
自民党候補に家族も一緒に投票しろ、と言うわけである。
投票場では投票の秘密が守られているから、実際に投票する際に自民党以外の候補の名前を書いても良いのだが、日本の会社員にはそれが仲々出来ない。
態度からばれるのではないか、何か仕組みがあって他の候補者に投票したことは必ず掴まれるのではないか、と不安になる。
心配するくらいなら、決められたとおり投票しようと言うことになる。
地方に行くと、各地方ごとにボスがいる。
県会議員、市会議員、町会議員、がそれぞれその上の国会議員の派閥ごとに系列化されている。
中で、町会議員は一番小さな選挙区で活動している。
昔からその地域に住み着き、地域の住民に影響力のある人物である。
言わば、その地域のボス的存在である。
そう言う人は地域住民と日常的に接触し、住民一人一人の樣子も掴んでいる。
狭い生活範囲でお互いに顔見知りで、みんなの意向に反することをするのは良くないことだ。この地域の空気を乱すようなことをできない。みんなの空気に従おうと言う事になるのが、この日本の実情だ。
その空気は首相、大臣、国家議員、県会議員、市会議員、町会議員と順繰りに上から下に降りてきて、地域の住民を包み込む。
国会議員の選挙の場合にも、その町内のボスが自分の派閥の候補者の名前を公言する、あるいは直接、間接的にその候補者に投票するように地域の住民に伝える。
特に、地方の場合、地域のボスの力が強いから、投票場でもボスの目が光っている。投票場は秘密が守られているはずだから、ボスの指定した候補者以外の人間に投票しても良いのだが、地方では確実にそれがばれるという。
民主主義の世界で、国民にとって唯一自分の政治的要求を追求することの出来る選挙権さえ、日本では、地域のボス=権力者=支配者に、与えてしまう。自発的に隷従するのである。
もっとも、選挙に行かない人達も多い。政治に嫌気が差して政治に無関心になるのか(アパシーにおちいる)、投票したい候補者が見つからないこともある。
そして、選挙に行かない人が多いほど、ボスによる選挙支配が上手く行き保守党が勝利することになる。
かつて自民党の党首が、なるべく選挙に来ないでもらいたい、と言った。投票率が低いほど、ボスによる選挙支配が上手く行くのだ。
一体どうしてこう言うことになるのか。
ラ・ボエシは言う。
G「人々はしばしば、欺かれて自由を失うことがある。しかも、他人によりも、自分人にだまされる場合が多いのだ。(P034)」
H「信じられないことに、民衆は、隷従するやいなや、自由を余りにも突然に、あまりにも甚だしく忘却してしまうので、もはや再び目覚めてそれを取り戻すことができなくなってしまう。なにしろ、あたかも自由であるかのように、あまりにも自発的に隷従するので、見たところ彼らは、自由を失ったのではなく、隷従状態を勝ち得たのだ、とさえ言いたくなるほどである。(P034)」
I「確かに、人は先ず最初に、力によって強制されたり、打ち負かされたりして隷従する。だが、後に現れる人々は、悔いもなく隷従するし、先人たちが強制されてなしたことを、進んで行うようになる。そう言うわけで、軛(くびき)のもとに生まれ、隷従状態の元で発育し成長する者達は、もはや前を見ることもなく、生まれたままの状態で満足し、自分が見いだした物以外の善や権利を所有しようなどとは全く考えず、生まれた状態を自分にとって自然な物と考えるのである。(P035)」
J「よって、次のように言おう。人間に於いては、教育と習慣によって身に付くあらゆる事柄が自然と化すのであって、生来のものと言えば、元のままの本性が命じる僅かなことしかないのだ、と。(P043)」
K「したがって、自発的隷従の第一の原因は、習慣である。
だからこそ、どれほど手に負えないじゃじゃ馬も。始めは轡(くつわ)を噛んでいても、そのうちその轡を楽しむようになる。少し前までは鞍を乗せられたら暴れていたのに、今や馬具で身をかざり、鎧をかぶって大層得意げで、偉そうにしているのだ。(雁屋註:西洋の騎士が乗る馬の姿のことであろう)(044)」
L「先の人々(生まれながらにして首に軛を付けられている人々)は、自分たちはずっと隷従してきたし、父祖たちもまたその様に生きて来たという。彼らは、自分たちが悪を辛抱するように定められていると考えており、これまでの例によってその様に信じ込まされている。こうして彼らは、自らの手で、長い時間をかけて、自分たちに暴虐を働く者の支配を基礎づけているのである。(P044)
これを読んで、思うことは、1945年の敗戦まで、日本人を支配していた天皇制である。
明治維新の頃の日本人は、福沢諭吉の言葉を借りると、
「我が国の人民は数百年の間、天子があるのを知らず、ただこれを口伝えで知っていただけである。維新の一挙で政治の体裁は数百年前の昔に復したといっても、皇室と人民の間に深い交情(相手に対する親しみの情)がある訳ではない。その天皇と人民の関係は政治上のものだけであり、(中略)新たに皇室を慕う至情をつくり、人民を真の赤子(せきし)のようにしようとしても、今の世の人心と文明が進んだ有り様では非常に難しいことで、殆ど不可能である。(『文明論の概略 第十章』福沢諭吉全集第四巻 一八八頁)」
実際に明治政府は、各県に「人民告諭」を出して、日本には天皇がいると言うことを、人々に教えなければならなかった。
例えば、奥羽人民告諭には
「天子様は、天照皇大神宮様の御子孫様にて、此世の始より日本の主にましまして・・・・・」
などと言っている。
この人民告諭は、天皇のことを一番知っているはずのお膝元の京都でも出された。
今の私達に比べて、当時の日本人は天皇に対する知識がゼロだったのである。
当然天皇を崇拝し、従うなどと言う意識は全くなかった。
象徴天皇制の現在でも、多くの人が天皇を崇拝しているが、明治の始めに、一般民衆が天皇を崇拝するなど、考えられなかった。
一体どうしてこんな違いが生まれたか。
1889年に明治政府が、「大日本帝国憲法」を決めて
「第1条大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第3条天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」
と天皇を絶対権力者とし、
1890年に教育勅語によって、
「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス(中略)
一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
と命令されると、明治維新前に生まれ育ち、徳川幕府の権力の下に生きていた人達もラ・ボエシの言葉「G」、「H」の言う通りに、天皇の権力の支配を喜んで受け、その子供たち、孫たち、1945年の敗戦以前に生まれた人間は、ラ・ボエシの言葉、「I」、「J」、「K」の言うとおり、習慣として天皇制の軛につながれていたのである。
軍国時代になると、人々は天皇(と天皇を担ぐ政府)に自発的隷従をして、抵抗もせず勇んで兵士となり、死んで行ったのだ。
当時の新聞や雑誌、出版物を読むと寒々として、しまいに恐ろしくなる。
天皇に忠誠を誓う奴隷、自発的隷従者の言葉で満ちあふれているからである。
昭和天皇は敗戦後、戦犯として訴追されることを免れた。天皇服を着て白馬に乗って軍隊を閲兵した大元帥で、日本全軍を率いて敗戦前は具体的に戦争の指示まで出していたのに、突然白衣を着て顕微鏡をのぞく実直な科学者に変身し、実は平和を愛する人間だったいうあっけにとられるようなジョークがまかり通り、人間天皇、象徴天皇として、存在し続けたために、人々が天皇に自発的隷従をする習慣は簡単に消え去らなかった。
自民党の国会議員が「教育勅語を学校で教えるべきだ」などと言ったり、山本太郎議員が、園遊会で天皇に手紙を渡したことを、不敬だなどと騒ぐのも、その習慣がいまだに伝わっているからだろう。
日本の天皇制は、自発的隷従の典型である。
そして、天皇に自発的に隷従する習慣は、いまだに日本人の心理の底流に流れていて、その隷従の習慣を誇りに思う人が少なくないのである。
昭和天皇が亡くなったときの騒ぎは忘れられない。
繁華街の火は消え、祝い事はとりやめ、何事も「自粛、自粛」の言葉に押え付けられた。
テレビのバラエティー番組に、有名なテレビタレントが、なにを勘違いしたのか喪服を着て現れたのを見て私は心底驚いた。
あの時の日本社会を表現するなら、日本人の心理に植え付けられていたがとっくに黄泉の世界に送り込まれていたはずの「自発的隷従」の「習慣」が昭和天皇の死をきっかけに一気に黄泉の世界からこの地上に湧き出した、と言う事になるだろう。
私は天皇制から自由にならない限り、日本は、韓国、中国、台湾を始め、マレーシア、シンガポール、香港、などの東南アジアの国々と真の友好を結ぶことができないとおもう。
戦争責任の話になると、誰が命令したのかというと軍の責任になり、では軍の最高責任者は誰かというと天皇になる。
日本人は、天皇の責任を問うことは出来ない、と言うから、けっきょく末端の戦争責任も問えないことになる。
謝罪するとなると、天皇にまでその謝罪行為が及ぶ。だから、それがいやさに日本は、韓国や中国に謝罪できず、強弁してますます韓国や中国との関係を悪くする一方である。
もっとも現行憲法下天皇に政治的行為は出来ないから、日本の政治の最高責任者である総理大臣が、昭和天皇の分もきちんと謝罪をするべきである。
きちんとした謝罪をしない限り、韓国、中国との、全く不毛な争いはやまないだろう。責任は、百パーセント、日本にある。
日本の権力者たちは誰なのかはっきりしない。
アメリカなら、軍産複合体の指導者達、金融界の大物たち、宗教界の大物たちで有るとはっきり分かるが、日本の場合、我々一般の人間にははっきりしないから困る。
安倍首相は、その権力者たちの意に従って動いているだけだろう。
日本の、自発的隷従は根が深いのである。
では、この自発的隷従から自由になるためにはどうすれば良いか。
ラ・ボエシは書いている。
M「圧制者には、立ち向かう必要なく、打ち負かす必要もない。国民が隷従に合意しない限り、その者は自ら破滅するのだ。何かを奪う必要など無い。ただ何も与えなければよい。国民が自分たちのために何かをなすという手間も不要だ。ただ、自分のためにならないことをしないだけでよいのである。民衆自身が、抑圧されるがままになっているどころか、敢えて自らを抑圧させているのである。彼らは隷従を止めるだけで解放されるはずだ。(P018)」
N「それにしても、なんと言うことか、自由を得るためにはただそれを欲しさえすればよいのに、その意志があるだけでよいのに、世の中には、それでもなお高くつきすぎると考える国民が存在するとは。(P019)」
そうなのだ。
問題は次の二つだ。
「自分たちが隷従していることをしっかり自覚するか」
「自覚したとして、隷従を拒否する勇気を持てるか」
この二つにきちんと対処しなければ、日本はますます「自発的隷従」がはびこる、生き辛い国になるだろう。
ただ、ラ・ボエシの次の言葉は厳しい。
O「人間が自発的に隷従する理由の第一は、生まれつき隷従していて、しかも隷従するようにしつけられているからと言うことである。そして、この事からまた別の理由が導き出される。それは、圧制者の元で人々は臆病になりやすく、女々しくなりやすいと言うことだ(雁屋註:「臆病であることを女々しいと言うのは女性蔑視に繋がるが、ラ・ボエシの生きていた17世紀初頭という時代の制約を理解いただきたい」(P048))
P「自由が失われると、勇猛さも同時に失われるのはたしかなことだ。彼らは、まるで鎖につながれたように、全く無気力に、いやいや危険に向かうだけで、胸の内に自由への熱意が燃えたぎるのを感じることなど絶えてない。(P049)」
Q「そしてこの自由への熱意こそが、危険などものともせずに、仲間に看取られて立派に死ぬことで、名誉と栄光とを購い(あがない)たいとの願いを生じさせるのである。自由な者達は、誰もがみなに共通の善のために、そしてまた自分のために、互いに切磋琢磨し、しのぎを削る。そうして、みなで敗北の不幸や勝利の幸福を分かち持とうと願うのだ。ところが、隷従する者達は、戦う勇気のみならず、他のあらゆる事柄においても活力を喪失し、心は卑屈で無気力になってしまっているので、偉業を成し遂げることなどさらさら出来ない。圧制者共は事のことをよく知っており、自分のしもべたちがこのような習性を身につけているのを目にするや、彼らをますます惰弱にするための助力を惜しまないのである。(P49)」
確かに、隷従を拒否することは勇気がいる。
その日、その日の細かいこと一々について隷従がついて回るのが日本の社会だから、それを一々拒否するのは、辛い。時に面倒くさくなる。
だが、本気で隷従を拒否したいのなら、日常の細かい何気ないところに潜んでいる隷従をえぐり出さなければ駄目なのだ。
だが、そうするとどうなるか。
周りの隷従している人達に、まず攻撃されるのだ。
偏屈だと言われる、へそ曲がりだと言われる、自分勝手だと言われる、他の人が我慢しているのにどうしてあなただけ我慢できないのと言われる、変わり者だと言われる、ひねくれていると言われる、政治的に偏向していると言われる、あなたには出来るかも知れないが他の人は出来ないんだよ、自分だけがいい気になるな。
隷従を拒否しようとすると、まず隷従している人間から攻撃を受けるのだ。
(上に上げた言葉は、私が実際に色々な機会に言われた言葉である)
他方、隷従を要求している側から見れば、排除するか、痛めつけるか、どちらかを選択するだろう。
隷従を続けて生きて行くか、自由を求めるか、それは個人の意志の問題だ。
自由への熱意を失ってしまった人間にとっては、隷従が安楽なのだろうことは、今の日本の社会を見れば良く分かる。
最後に、ラ・ボエシの書いた美しい文章を、引き写す。じっくりと読んで頂きたい。
R「この自然という良母は、我々みなに地上を住みかとして与え、言わば同じ家に住まわせたのだし、みなの姿を同じ形に基づいて作ることで、いわば、一人一人が互いの姿を映し出し、相手の中に自分を認めることが出来るようにしてくれた。みなに声と言葉という大きな贈り物を授けることで、互いにもっとふれあい、兄弟のように親しみ合う様にし、自分の考えを互いに言明し合うことを通じて、意志が通い合うようにしてくれた。どうにかして、我々の協力と交流の結び目を強く締め付けようとしてくれた。我々が個々別々の存在であるよりも、みなで一つの存在であって欲しいという希望を、何かにつけて示してくれた、これらのことから、我々が自然の状態に於いて自由であることは疑えない。我々はみな仲間なのだから。そしてまた、みなを仲間とした自然が、誰かを隷従の地位に定めたなどと言う考えが、誰の頭の中にも生じてはならないのである(P027)」
最後に、この素晴らしい本を翻訳して下さった、山上浩嗣さんに心からお礼申し上げます。
16世紀初めのフランス語は大変に難しいようで、 それを苦労して翻訳して下さったご努力に敬意を表します。この本は、今の日本人に絶対必要な物だと思います。
2014/02/06 - Shock Doctrine (今回も、読者のご指摘で、二点、過ちを訂正しました。いつもに変わらぬ読者諸姉諸兄のご親切にお礼を申し上げます。どうも、誤植や勘違いなど、恥ずかしい事が続きますがお見捨てなきようお願いします。)
Naomi Klein(ナオミ・クライン)の「Shock Doctrine」(ショック・ドクトリン)は2008年に出版されて評判が高く、世界的なベストセラーになった。
日本語にも翻訳されて、あちこちで取り上げられた。
6年前の本を、どうして今更取り上げるのかというと、今の日本の社会の状態がナオミ・クラインの言う「Shock Doctrine」に寄る政策が実際に行われているのではないかと、疑うからだ。
ナオミ・クラインは1970年生まれのカナダのジャーナリストである。
2000年に「No logo(Taking aim at the Brand Bullies)、日本語訳「ブランドなんか、いらない」(はまの出版社刊)」を出版し、これも世界的なベストセラーになった。
ナオミ・クラインの言う「Shock Doctrine」とは一口に言って、自然の大災害、戦争などの災害などが起こった時にそれまでの世界が破壊され、人々が呆然となっているその隙を突いて、それまでなら人々が受け入れがたいような、社会的・経済的変革を一気に行ってしまう、と言うことである。
その変革を行うのは、Corporate(企業)=Capitalist(資本・資本家)である。
企業に利益をもたらすような、社会的・経済的変革を、災害を利用して行ってしまうのである。
この、「disaster capitalism」(災害を、儲かる市場を作り出す好機として利用する資本主義)は、世界的に有名な経済学者で、ノーベル賞も受賞したMilton Friedman(ミルトン・フリードマン)の考えが元になっている。
《ここで、言い訳です。
ここで引用しているナオミ・クラインの文章は、私がPenguin Book版で読んだものを、私が理解しやすいように、意訳も交えて、日本語に変えた物です。
このナオミ・クラインの「ショック・ドクトリン」は日本語訳が出ていますが、私は、その「日本語訳版」を今の段階で手に入れることが出来ず、仕方が無くPenguine版をここに使うしか方法はありませんでした。私の場合、原文の逐語訳ではなく、自分の理解し得たように、内容を読み替えてもいます。意味は間違いなく掴んでいるつもりですが、私と逆に英語版が手に入りづらい方、逐語訳、あるいは権威のある翻訳書を読みたい方は、日本語翻訳本をお読み下さるようお願いします》
フリードマンの考え方の基本は、ナオミ・クラインが書いたように、「Laissez faire」(フランス語で、『するがままにさせる』という意味)、要するに、
「政府による企業に対する規制を全て取り除き、企業が自由に経済活動を行えるようにすれば、全ての経済活動が円滑に動き、結果的に、今より良い社会が出来る」
と言う考え方である。
フリードマンの考え方に寄れば、現在国が管轄している公的事業も全て、国の規制から自由になって、民営化することが必要である、と言うことになる。
(ミルトン・フリードマンについては、経済学の専門家が色々と難しいことを書いている。
私のように経済学をきちんと学んだこともない人間がフリードマンについて語ると、間違いだらけになる。
ここは、ナオミ・クラインの説くところのフリードマンをなぞることにする。これで、十分にミルトン・フリードマンの議論の本質は捉えられると思う。
ミルトン・フリードマンについて詳しく学びたい方はそれこそ山のように解説書などがあるので、そちらを参照して頂きたい)
ミルトン・フリードマンのFree Market理論(自由市場理論)をかいつまんで言えば、次のようになる。
Free Market(自由な市場)は、完全な科学的なシステムである。
Free Market(自由な市場)の中で、個人は自分の利益と欲望に従って動けば、全体のためにも最大限の利益を創出する。
生態系が自律的に生存を調整するように、市場を自分自身の自律に、任せておけば,労働者が自分の作る商品を自分の賃銀で買えるような市場になるだろう。
豊かな雇用があり、無限の創造力があり、インフレーションはゼロという楽園になるだろう。
もし、インフレーションや失業の増大などと言うことが起こったとしたら、それは市場が完全な自由市場でなかった事によるものだ。
その市場の自由を妨害する物、市場のシステムを歪める物、それは、政府による企業に対する規制、である。
そのような大企業に対する規制を取り除けば、我々はその自由市場の中で、幸せになれると言うのがフリードマンの主張である。
フリードマンは次のように主張する。
1)最初に政府がするべき事は、企業が利益をあげるのに邪魔になる全ての規則や規制を取り除くことである。
2)つぎに、政府の持っている資産は全てその資産を用いてより多くの利益を作り出すことの出来る企業に売りはらうべきである。
(日本の郵政事業、鉄道事業、タバコと塩を売る専売公社のように)
3)政府はドラマティックに社会保障制度を切り捨てるべきである。
もう、ここまでで、心臓が口から飛び出してしまうような衝撃を受けた方達が多いと思うが、フリードマンは更に続ける。
気をしっかり持って読んで下さいよ。
4)税金は低い方が良い。それも、富める者貧しい者も、同じ率でかけること。
5)企業は自分の製品を世界中どこでも自由に売る事が出来ること。
6)全ての商品の値段は、労働賃金に至るまで、市場が決めること。
7)最低賃金制度は認められない。
8)更に、民有化について、フリードマンは、健康保険、郵便、教育、年金、さらには国立公園までもそれを用いて利益を上げて運営することの出来る企業に売り渡せと言っている。
ここで、気を失ってはいけてない。(私は、この文章を読んだ後立ち直るのに、ずいぶんの時間がかかったが)
フリードマンは更に言う。
8)政府は地方の産業や地方の所有を保護してはいけない。
9)労働者と政府が公共の費用で、一生懸命何十年も掛けて作り上げ築いた資産を売れという。
フリードマンが売れと言っている資産は、長い年月を掛け公共の金を投資し、ノウハウをつぎ込み、結果として価値の有る物になった物である。
フリードマンは,このような共有財産は原則的に、民間に委譲するとしている。
要するに、フリードマンは純粋な資本主義で世界を覆うことが人類にとって一番良いことだと考えているのだ。
フリードマンの考えは、強者による身勝手な考え方であり、実際社会における人間の真の姿に対する考察を全く欠いている。
公共の福祉まで、利益を上げる物にする、となると、公共の福祉などと言うものはなくなってしまうではないか。
フリードマンの考えは、金持ち=資本家が自由勝手に振る舞って自分たちの財産を増やすのには都合が良いが、金には縁のない一般市民にとっては悪夢そのものだ。
このような、金持ち=資本家の身勝手な振る舞いを制限し、競争社会で後れを取った者達に対して救済策を立てて実行しようというのが、最近になって日本でも実現の数歩手前まで進んだ福祉国家と言う考え方だろう。
ナオミ・クラインは、言う。
フリードマンはいつも、経済学は科学である、とか数学を持出してきて胡麻化すが、フリードマンのヴイジョンは多国籍企業の利益と一致する。
多国籍企業は巨大な規制のない市場を 欲しているからである。
資本主義の初期の段階では、資本家たちは、北米、南米、アフリカ、インド、中国などを発見したと称して、その土地に乗り込み、その自然の産物をその土地の住民たちに、なんら見返りも与えず奪ってきた。
フリードマン一派が現在行っているのは,「福祉国家」「大きい政府」に対する闘いである。
この闘いは資本家にとって手っ取り早い利益を約束するものだが、今回は新しい土地を征服するのではなく、国自体を征服の最前線とする。
国のもつ公共財(教育、水道、医療など)を実際の価値より遙かに安い値段でオークションにかけようというのである。
いかにフリードマン一派でも、このような乱暴な政策は常時においては行えない。
そこで、「Disaster capitalism」(災害を、儲かる市場を作り出す好機として利用する資本主義)をフリードマンは考え出した。
一旦災害が起きたら、社会が災害のショックでうろたえている内にそれまでに練っておいた政策を一気に実行に移す。
社会が災害のショックから我を取り戻して、現状にまた戻ってしまうまでに、もう後戻りのできない、変更不可能な政策を実行してしまうのだ。
この大災害は、天災でも、人が引き起こした戦争などの災害でもよい。
こう言う乱暴な行為を日本では火事場泥棒と言って一番軽蔑される行為である。
ノーベル経済学賞を受けたミルトン・フリードマンは火事場泥棒の親玉なのである。
ナオミ・クラインが取り上げている自然災害は、
1)2005年にアメリカの、アラバマ州、ミシシッピ州、ルイジアナ州を襲った「ハリケーン・カトリーナ」
2)2004年に津波に襲われたスリランカ
の例である。
1)「ハリケーン・カトリーナ」の場合、一番甚大な被害を受けたのはニューオーリンズであり、ハリケーンによる高波によって、町の八割が水没した。
ナオミ・クラインが取り上げているのは、ニューオーリンズの教育システムである。
災害以前にニューオーリンズには123の公立学校があった。
それが、避難していた貧しい地区の住民が帰還する前に、公立学校は123から4つに、私的に経営されるCharter Schoolが31になってしまった。
(Charter Schoolとは、我々日本人には馴染みのない言葉だ。
アメリカで1980年くらいから実験的に始められた学校経営のことで、ある達成目標を持ちCharterと言う特別認可を得た団体が経営する学校をCharter Schoolという。
公的な資金援助を受けて作られるが、団体によって運営される私立学校であり、授業料はかかる)
災害以前ニューオーリンズの教師たちは強力な教職員組合を持っていたが災害後、4700人の教師たちは解雇され、そのうちの若い教師たちはCharter schoolに再雇用されたが、給料は減らされ、しかも大多数の教師たちは再雇用されていない。
フリードマンのシンクタンクは「長年かかってもできなかった、ルイジアナ州の教育改革を 、ハリケーン・カトリーナは一日でやってのけた」と熱狂した。
公立学校の教師たちは、災害の被害者を救うための金が公立学校を再建するのではなく、私立学校を建てるのを見て、フリードマンの計画は「教育の横領だ」と言った。
2)スリランカの場合は、2004年の津波に美しい海岸線が襲われて、そのショックで土地の人が立ち直れないうちに、外国の大資本が入って来て、そこを国際的なリゾート地に変えてしまった。
何千人の漁師たちが、それまで自分たちが漁をして生活していた海岸に近寄ることができなくなったのである。
さて、今の日本の状況を考えてみると、日本は2011年の東北大震災のショックからまだ立ち直っていないのではないと私は見る。
あれから丸三年経とうとしているのに、立ち直ろうにも、立ち直れないのが日本の現実だろう。
現実に、四つの原発から毎日大量の放射性物質は放出され続けているし、汚染水もしょっちゅう漏れている。
その汚染は日本全土、全海水域に確実に広がっていて、東京と千葉の間の江戸川のウナギは基準値以上の放射線量を検出され、江戸川の天然ウナギは食べられなくなった。
東京都の金町浄水場近辺の線量も高い。
確実に汚染が広がって行く今の事態はひとびとを不安から少しも解放しない。それどころか、不安は更に深く広がって行く。
こんな危うい状況では、日本人は東北大震災のショックから冷めたくても冷めることが出来ない。
日本人は長く続くショック状態から立ち直れず、冷静な判断力を失っている。
福島以外の県の被災地の人から何度も聞いたが、「立ち直ろうとは思うんだよ、でもなあ、原発があれじゃあなあ」
被災地の人に限らず、一度でも福島の原発の実情を知ってしまった人の心の中には、放射能を吹き出し続ける福島第一原発の姿が居座り続けて、どうしたら未来に向けて溌剌とした希望を懐くことが出来るのか、誰に聴いても答えは返ってこない。
「忘れろ」「気にするな」「心配ないって」「政府を信用しろよ」「日本の技術は世界一なんだ」
返って来るのはそういう声ばかりだが、実はそのような言葉にはとっくに何度もだまされてきた。
日本人の心の中には、あの崩壊した福島第一原発の姿と、「東電」「政府」による、数々の虚偽の発表、ぺこぺこテレビに向かって頭を下げる「東電」「政府」の人々の姿が焼き付いていて、それが、人々の不安のもととなっている。
「いつ何が起こるか分からない、いや、かならず何かが起こるだろう」
この不安な精神状態は日本人がかつて経験したことがないものだ。
総崩れ状態で自滅した民主党政権から、棚からぼた餅状態で政権を手に入れた安部首相は、ショックから冷めることの出来ない国民相手に、それまでだったらとても不可能だった法律を成立させた。
これほどたちの悪い法律は海外にも例のない「特別秘密保護法」を成立させた。
靖国神社を公式参拝し、日本がはっきり右に向かって舵を取った事を世界に示した。
これで、韓国と中国の関係、さらにはアメリカとの関係も悪化した。
憲法96条を改正して、憲法改正自体をしやすくしようという。それは、9条を書き換えて、日本を戦前のように軍事力を周辺国家に振るう国にするためである。
起業に対する税金を減免する経済特区をいくつも作ると言う。
多国籍企業が日本で自由に経済活動が出来るようにするためである。
ホワイトカラー・エクゼンプションと言って、普通のサラリーマンに対する残業の規制などを取り除くという。
これが通れば、日本の会社は全てブラック企業になる。
消費税を10%から20%にまで上げる、と言う。
年金も減らし、国民の医療費負担を増やすという。
こう言うことをするぞ、と安部首相は公言している。
すべて、フリードマンの狙ったとおりの大企業がより大きい利益を得るための政策である。
靖国神社・憲法改正となると、フリードマン上を行くすごさだ。
しかし、国民の反応は鈍い。
読売新聞の調査では、調査対象者の60%が安倍晋三内閣を支持していると言う。
これほど、自分たちの生活を破壊することを公言している首相を支持するとは、どう言うことなのだろうか。
私は日本人の心の中に長く続く不安感が原因だと思う。
不安感の一つは、さっき書いた原発による不安、もう一つは経済的な不安である。
厚生労働省の2013年度の「国民生活の基礎調査」によれば、一世帯あたりの年間平均所得額は、1994年度の664万2千円を頂点として、2011年度には、548万二千円に下落している。
一世帯あたり120万円近くの減収は厳しい。(この統計は、富裕層も低所得者層も一緒なので、中間所得者層、低所得者層はもっと厳しいものがあるだろう。)
この、経済的不安に加えて福島の原発事故である。
ナオミ・クラインの説く「ショック・ドクトリン」はハリケーンや戦争、クーデターなどの災害による「ショック」で人々がうろたえて判断力を失っている時に、大急ぎで常時では受け入れられない過激な政策を施す、と言うものだが、そのように、人々がうろたえ、判断力を失うのは、ハリケーンの災害や、戦争やクーデターなどによる短期的な一過的なショックだけではない、と私は思う。
日本人は、1994年から2011年までに、一世帯あたり120万円近くの収入減という経済的ショックに加えて、福島原発の事故で、自分たちの住む国土自体が危険にさらされると言うショックを受けた。
二つとも、ハリケーンによる災害のように一過的で短期的な物ではない。
じわじわ、長く、深く続く不安である。
この、長く深く続く不安は、ハリケーンなどの災害による「ショック」より、人の心を強く押しひしぐ。
フリードマンは、そのような災害などの「ショック」が起きたら、人の心が通常の状態に戻らないうちに、大急ぎで過激な政策を実行しろ、と言ったが、要するにフリードマンが必要としたのは、人々がうろたえて判断力を失っている状況であって、普通ならすぐに人は日常の意識に戻る。
しかし、日本のばあいフリードマン一派は慌てる必要はない。
長引く不況に加えて福島の原発事故で、日本人の心はうろたえ、いまだに正常な判断力を失っている。
「ナオミ・クライン」の「ショック・ドクトリン」で取り上げた「ショック」の例の一つに、現在の日本を私は付け加えたい。
長く続く「ショック」はあるのである。
「ナオミ・クライン」は、ニューオーリンズやスリランカのように単純な経済政策だけでなく、チリのアジェンデ政権の転覆、インドネシアのスハルトのクーデターなど、政治政策にも「ショック・ドクトリン」が有効であることを語っている。
安部首相はアジェンデを倒した,ピノシェ、あるいは、インドネシアのスハルトのような政策を、長いショック状態にある日本人に対してやすやすとやってのけられるだろう。
日本人はいつこの「ショック」状態から抜け出して、まともな判断力を取り戻せるのだろう。
2014/01/19 - 野生動物 いつも不思議に思うのだが、野生動物の死骸という物を滅多にと言うより殆ど見たことがないことだ。
野生動物と言っても、テレビ番組などで見るアフリカやオーストラリアの広大な自然の中での話ではない。
自分の家の周りの小動物でも同じことだ。
私の家の周りには鳶が多数棲息していて、時に私の家の周りの上空を恐ろしいくらいの数の鳶が飛び回る。
葉山に何故かコロッケで有名になった肉屋があって、観光客なども買いに来る。観光客は買うと、そのまま歩きながら食べる。
そこを、鳶が襲って来る。音もなく飛んで来るから、人間は気づかない。風が吹いてきたような気がした瞬間、鳶がコロッケをさらって飛びさるのだ。
肉屋の前には「鳶に注意」という看板が出ている。
そんなに、私の家の近くには多数棲息して活躍しているのに、その鳶の死骸を見たことがない。
雀も、リスも、カラスも、普段その存在を私達に見せている動物たちの死骸という物は目にすることがない。
アフリカゾウもその死骸を人に見せることが無く、ゾウの墓場という物があって、象は死ぬ時期をさとると、自分でその象の墓場に行って死ぬと言われている。
だれかが、その象の墓場を発見して、大量の象牙を手に入れたという話を何かで読んだような記憶がある。
それほど、野生の動物は、死んだ姿を見せない。
他の動物が食べてしまうからだという人がいるが、それなら骨くらい残っているはずだろうに、その骨すら見かけない。
不思議なことだ。
家畜はそうではない。自分で飼っていた猫や犬に死なれてその後始末をした経験のある人は大勢いるだろう。
家畜は人に飼われていて、生活の全てを人に頼っているから仕方がないのだ。
それにしても、犬でさえ野生を持っている。
どんなに弱っても、弱った姿を見せない。
もっとも、私の家のラブラドールの場合17歳過ぎまで生きたので(ラブラドールの平均寿命は12才程度とされている)、最後は自力で階段上り下りが出来ず、娘が抱えて階段を上り下りしていた。
オーストラリアでは、歳を取った犬や猫が体の自由がきかなくなると、もうこれ以上生かして置いては返って残酷だとして、安楽死をさせる。
獣医をしている次女によると、オーストラリアの飼い犬、飼い猫の場合殆ど全てが安楽死をさせるという。
自分の犬の面倒を見たいばかりに獣医になるくらいの動物好きの次女にとって、その仕事が獣医として一番厭だという。
そのラブラドールでさえ、安楽死させる前にステーキを与えたら、200グラム以上あるステーキをぺろりと食べた。
オーストラリアの野生の犬ディンゴとジャーマンセパードの混血の犬は、突然食べなくなったので、いつも大食らいの犬なのに、おかしいと思って次女の務める動物病院に連れて行って検査をしたら、肝臓がんで、あと数日の命だという。
それでも、その犬はその日まで、元気そうで物も食べるし、いきなりあと数日の命と言われたときには本当に驚いた。
犬でさえ、最後まで弱みを見せないのである。
家畜でない野生の動物が、自分の死骸を見せないのは当然と言うことなのか。
私は今までに自分の体調について、愚痴っぽいことを散々言ってきたが、野生動物が自分の死骸を見せないことの不思議さを考えているうちに、生と死を平然と渡っていく彼らの潔さに、改めて深く思いを致した。
私は彼らの潔さを見習おうと心に決めた。
今後私は自分の心身の具合の悪さは連れ合いと医者以外には語らない。
最後まで人に弱みを見せずに生きて行こう。
だから、突然私が死んでも、驚かないでね。
2014/01/12 - 何をするべきか 二〇一三年はひどい年だった。
個人的に言うなら、二千十一年五月以来続けて来た東北大地震の被災地の取材、福島の取材が一段落し、福島についての原稿を書き上げたことは大収穫だったが、七月の末に右のすねの骨を複雑骨折してしまい、それが未だに完治せず、日常の生活も不自由だし、取材などの活動もろくに出来ない。第一痛くてたまらない。
体が自由にならないと、気が滅入る。
何をする気にもならない。
このブログもすっかりご無沙汰してしまった。
気が滅入るのは、体の調子のせいばかりではない。
安倍晋三氏は就任してから一年近く経ち、軽薄なマスコミがアベノミクスなどと、後先のことを何も考えず囃し立てるので、すっかり自信を付けたらしく、とうとう本性を現して、かねてから腹の中で企んでいた計画を実行に移し始めた。
それにしても、全く、今回ばかりは油断をしていたと言うほかはない。というより、安倍首相の手際の見事さに、まさか、まさか、とまさにでくのぼう状態で目を白黒しているうちに、相手の手が上がり試合終了のゴングが鳴っていた。
「特定秘密保護法案」は時間を掛けて広範囲に議論する物だと思っていた。
それが、なんと言うこと、あっという間に衆議院を通過してしまった。
なんだ、これは。
自民党の作成した法案の中身を知った時、このような法律ができたら取り返しのつかないことになる、と寒気がした。
こんな法律を作ろうと思うこと安倍晋三氏の精神構造自体、飛んでもないことだが、国会にかける前に、国民広範囲に法案の内容を説明し、じっくり議論をするくらいの良識は幾ら何でもあるだろうと思っていた。
なんと私の考えの甘かったことか。
今回の、特定秘密保護法案の概要の発表が九月三日、国会提出が一〇月二五日。衆議院特別委員会で議論が始まったのが、一一月七日。そして、一一月二六日には衆議院で強行採決。
参議院の特別委員会で審議が始まったのは、一一月二八日。
そして、一二月五日に強行採決。
一二月一三日に公布、一年を超えない範囲内で、施行、と言う段取りになってしまった。
概要発表から、法案成立までわずか三ヶ月。まさに、あれよあれよという間のことだった。
国民がその中身を良く知る前に、この法律を作ってしまおうという、安部首相の(あるいは、安部首相の背後の一団)の企みは、物の見事に決まった。
こんな事が、白昼目の前で起こるとは、通り魔事件よりひどいことだ。
問題はその後だ。
それまで、たいして騒がなかった新聞がやっと、衆院で成立する数日前あたりから紙面で例えば朝日新聞は反対をし始めた。
そして、それから一週間ほどは何やら秘密保護法についての記事が出ていたが、年を越えて、今日は一月一二日、大手の新聞は特定秘密保護法案について、もう忘れてしまったようだ。
東京新聞が「特集・連載」で「特定秘密保護法案」を扱っているが、たいした「特集」ではない。共産党が「特定秘密保護法案」廃案の動きに出ていることを報道する程度だ。
「しんぶん赤旗」は志位委員長が「日本共産党が通常国会に特定秘密保護法案の廃止法案を出す」と言ったと伝えている。
全体として、国民全体の熱気をかき立てるような力がない。
ちょっとは騒いでみたからそれで義務は果たしたとでも言うのか、それとも、正月の餅がのどに引っかかって脳みそに血が回らなくなったのか。
この途方もない法律が制定されてしまったと言うのに、抵抗もせずのんびりゴルフでもしているんだろうか。
これは、以前に見た光景と同じだ。情けないことを言うようだが、一体何人の人が、2003年の「個人情報保護法」のことを憶えているだろうか。
二〇〇三年五月に参院本会議で可決・成立した個人情報保護法は
1)基本法則と民間の個人情報保護を定めた法。
2)行政機関の保有する個人情報の保護に関する法。
3)独立行政法人の保有する個人情報の保護に関する法。
4)情報公開・個人情報保護審査会設置法
5)行政機関の保有する個人情報保護法案などの施行に伴う、関係法律の整備などに関する法、
の5つである。
可決成立したのは二〇〇三年であるが、齋藤貴男氏の「『非国民』のすすめ」(筑摩書房刊)に成立前後の事情が記録されていて分かりやすい。
二〇〇一年に「月刊 現代」誌の一〇月号に氏が書いた「メディア規制としての個人情報保護法」という文章が前掲書の一九四ページから掲載されている。
それを読むと、二〇〇三年の成立までに「個人情報保護法」に対しては「日本民間放送連盟」「日本雑誌協会」「日本ペンクラブ」「日本弁護士協会」などが、反対、あるいは法案の見直しなどを要求していた。
結局二〇〇三年に「個人情報保護法」は成立してしまうが、この法案が浮上してから三年近くかかっており、その間に様々議論が行われた、などと言うことが分かる。
ところが、今回の、「特定秘密保護法案」は法案が提示されてから、成立制定されるまで、僅か三ヶ月である。
実に異常としか言いようがない。
この「個人情報保護法」が制定される裏には、二〇〇二年に施行された「改正住民基本台帳法」があった。
「改正住民基本台帳法」は、住民一人一人に住民票番号を割り当て、氏名、生年月日、性別、住所、国民健康保険や国民年金の被保険者としての資格、児童手当の受給資格などが記載され、住民税の課税、選挙人名簿の作成、学齢簿などを作るための基礎データとして使おうと言う物だ。
この「改正住民基本台帳法」は国・総務省が一括して取り扱う物で、「国民総背番号制」とも呼ばれ、個人が国によって全てを把握される事に他ならず、多くの反対があったが、IT時代に必要だと自民党・公明党が押し切り成立させた。
国民一人一人に番号をつけてしまう、と言うのが画期的だ。
国民を操作するのにこんな便利な物はないだろう。
私は自分の番号を見たことはないが、どうせついているのだろう。
こうなると本名などどうでも良くなる。
私の住民票番号が「への一六番」だとすると、役所なんかに行くと私の本名では無く「への一六番さん」などと呼ばれるのだろうか。
それで理論上は国としては便利でいい訳だ。
こうして「住民基本台帳法」が出来てしまうと、このようにして集めた個人情報が外に漏れる恐れがある。
今でも、「住民基本台帳」は第三者も閲覧できる。
しかし、それにはいちいち市役所なり区役所なりに出かけていって、特定の個人について閲覧願いを出さなければならない。
閲覧のためには、閲覧する理由を明確にしなければならず、その手続きに手間がかかる。一度に何人もの住民について閲覧するのは難しい。
しかし、「住民基本台帳」が電子化されると、コンピューターの操作一つで、一つの区、市などの単位で全ての住民の個人情報が漏れ出す恐れがある。
自民党政府は「その個人の情報を保護するための法律が必要だ」と言い出したのだ。
自分たちで、個人の情報を危うくしておいて、今度はそれを守るための法律が必要だという。
マッチ・ポンプと言う言葉がある。
自分で火をつけておいて、自分で火を消す。
自分で問題を起こしておいて、自分で解決してみせて、他人の賛辞や、利益を得る詐欺師のことである。
「住民基本台帳法」と、「個人情報保護法」を制定する政府の進め方は、まさにこのマッチ・ポンプであって、白昼公然たる詐欺である。
そもそも、我々にとっては全く迷惑な「住民基本台帳法」を作っておいて、今度はそれでは個人情報が漏れる恐れがあると言って「個人情報保護法」を作る。
悪質な法律を作っておいて、それを種にして、更に悪質な法律を作る。
私達は、実に立派な詐欺師集団・政府を持ち続けてきたのだ。
その「個人情報保護法」は、表向きは体裁良くできているが、その法律の真の目的は別の所にあった。
政治家、官僚、大企業の経営者、などの不正を調査しようとすると、「個人情報保護法」を持出して、調査を妨害する。
敢えて調査すると、民事裁判に持ち込まれる。
それを恐れて、「個人情報保護法」成立以来、新聞、マスコミ、ジャーナリストの腰が引けてしまって、政府高官、高級官僚、大企業の経営者などの不正を知っても、踏み込まない。
この「個人情報保護法」は、いわゆる権力を持つ人間にとって大変に都合の良い物なのである。
これが、日本のマスコミ、新聞・雑誌、ジャーナリストを弱体化するのに大いに力があった。
二〇〇四年に亡くなってしまったが、本多靖春というジャーナリストがいた。
読売新聞に入社し、社会部の記者として活躍した。
その後、独立して、ノン・フィクション・ライターの先駆けとして多くの意味のある仕事を残した。
本田靖春が活躍したのは戦後の一九六〇年以降であり、日本人が初めて掴んだ言論の自由を謳歌するジャーナリストの一員として本田靖春は力をふるった。
心の底には、「権威に逆らう荒ぶる魂」を本田靖春は持っていた。
本田靖春の名を一躍高めたのは、「黄色い血事件」だった。
一九六二年当時、日本の医療は大きな問題を抱えていた。
それは輸血である。
今からは信じられないが、献血と言う物が殆ど無く、手術などの時に使われる輸血用の血液は全て売血によるものだった。
普通の人が自分の血を売ろうとは思わない。
当時、血を売る人間は極めて貧しい人たちだった。
商業血液銀行、と呼ばれる買血業者が、東京の山谷、大阪の釜ヵ崎、などに採血所を設け、日雇い労働者や低所得者から血を買っていたのだ。商業血液銀行はそれを病院に売り、多大なもうけを得ていた。
その、まるで人の生き血をすするような残虐な血液銀行の最大手は、中国で細菌戦の実験や、様々な生体実験を行っていた731部隊の中枢にいた人間が経営していたのである。
(731部隊については、多くの研究書が発刊されているので、ぜひ読んでみてほしい。ちょっとあまりにひどい話で、日本人は中国でここまでひどいことをしたのか、と思うと顔が上がらなくなる。最近、731部隊のことはみんな嘘だ、とネットに書き散らす者が増えてきた。恥を知らない人間には何を言っても通じない物なのだと痛感している)
売血をするにしても、頻繁に採血をすると、骨髄の中で赤血球を作るのが間に合わなくなり、血の色が薄くなり黄色っぽくなる。赤血球も足りないので比重も小さくなる。
血液としても、質が悪い。
「黄色い血」とは、この薄くなった血のことを言う。
「黄色い血」になるまで血を売る人たちの健康は当然破壊される。
ある程度以下の比重の血液は採ってはいけないという基準はあったが、売る方は金が欲しいし、買血業者は売るための血が必要だ。
そこで、買血業者は「黄色い血」まで採決したのだ。
これだけでも、十分うんざりするくらい悲惨で、考えたくもないことだ。(つげ義春の弟に、矢張り漫画家の、つげ忠男がいる。つげ忠男の漫画は暗い題材のものが多く、つげ義春のように世間的な評価は得ていないが、私のように高く評価する愛好家も少なからずいる。その、つげ忠男の漫画の中で、売血をする男達の姿を描いた物がある。私はその漫画を読んで、余りの悲惨さに心が重くなった。つげ忠男は悲惨な話を淡々と描くので、その悲惨さが余計に心に響くのだ。)
「黄色い血」の悲惨さは血を売る人たちに留まらない。
買血業者の買った血は病院に回り、手術を受ける人が輸血を受ける。
ところがその血の中にC型肝炎のビールスが入っていることがあり、輸血を受けた人が後に肝炎を発症する。
最悪の場合は肝炎が進んでガンになる。
今でも年輩の人の中にC型肝炎からガンになった例が少なくない。
さらに、C型肝炎は、売血する人にも感染する。
と言うのは、当時の買血業者は、採血をする際に何人もの人間に同じ針を使い回した。
それで、C型肝炎ではない人も、C型肝炎の人に使った針を使って採血された結果、針からC型肝炎が感染したのだ。
本田靖春はこの「黄色い血」をなくして、輸血に使われる血は全て献血による物にするために「黄色い血」キャンペーンを展開した。
読売新聞の社会面を大きく使って、何日にもわたって、「黄色い血」の実態を暴き、献血の必要性を説いたのだ。
本田靖春は売・買血の実態を探るために、自身日雇い労働者の格好をして、東京の山谷のドヤ街の旅館に住み着き、売血をしている人たちに話を聞くだけでなく、自分自身買血業者の採血所に行き、実際に売血をしたのだ。
本田靖春の自分の体を張ったキャンペーンの効果は大きく、ついに買血業者が「日赤が集めた血で、使われずに廃棄される血を自分たちが譲り受けることが出来るなら」という条件で、買血を止めた。
(じつは、この後731部隊の幹部だった男の関わる買血業者が、この手に入れた廃棄血液にアメリカから買って来た血液を混ぜて作った血液製剤が、エイズ薬害を引き起こすのだが、これは、本論から外れるので省く)
本田靖春の遺著「我、拗ね者として生涯を閉ず」(講談社刊)は名著である。二〇〇五年二月二一日初版第1刷で、二〇〇五年三月二八日に既に第四刷となっている。
多くの人に読んで貰いたい本だ。
この本の三八四ページに氏は書いている。
「この際だから思い切っていってしまおう。私は、世のため人のためにいささかでも役に立ちたい、という気持ちから、新聞記者という職業を選んだ」
「この私にしたところで、照れるくらいの知恵は身につけている。でも、照れない。世のため人のためといった気風が、いまやこの日本では終息してしまいそうに思えてならないからである。」
この本多靖春氏の文章を読んで、若い人たちよ、何か感じて欲しい。
このような、まっすぐで、真っ当で、純粋で、真正な言葉を私は若い人達に、しっかり受け止めて欲しいのだ。
本田靖春の何が凄いと言って、氏は売血者の中に肝臓障害で死んだ人間のことを良く知っていながら、この記事を書くために自ら買血業者の採血所に行き、何度か実際に「売血」をしたことである。
氏は晩年、肝臓がんに冒されて苦しむことになるが、それは、針の使い回しによってC型肝炎に冒されたからなのだ。
それは、氏が、すべてこの記事を書くために自分の命を捧げた結果である。
氏は本当に自分の言葉に偽りなく「世のため人のため」に自分を犠牲にしたのだ。
で、ここまで本田靖春氏の文章を取り上げておいて、何を言いたいか。
それは、今新聞記者として働いている皆さん、ジャーナリストの皆さん、本田靖晴氏の志を受け継いで頂きたいということだ。
何のために新聞記者になったのか、何のためにジャーナリストになったのか。
その根本を問い直して頂きたいのだ。
もちろん、
「大新聞社の社員となれば、社会的に高く扱われる。高い社会的地位を保って、生涯安楽に暮らせる。」
「自分自身を社会に売り込むためにジャーナリストになったんだ、テレビにジャーナリストとして出演すれば、それで一生食べて行ける」
という人たちが大部分だろう。
私は、少ない機会とは言え、大新聞社、大テレビ放送局の人たちと何度か会ったことがある。
しかし、そのような人たちと深い意味のある会話を交わしたことがない。
その理由は、本田靖春氏の上掲の著書の五〇六ページに書かれた言葉を引用したい。
氏は、次のように書いている。
「私は正真正銘の日本人で、祖国を愛することにかけては人後に落ちないつもりだが、どうしても好きになれない国民性が日本人にはある。それは、自分の考えをはっきりいわないことである。
触らぬ神に祟り無し、はまだいい方で、物言えば唇寒し、とか、言わぬが花とか、長い物には巻かれろ、とかいった格言や諺が、そういう国民性を表しているように思う」
しかし、新聞記者やジャーナリストの道を選んだ人は、そうであっては困る。
言うべきことを、しっかり言ってもらいたい。
で、問題は、「特定秘密保護法案」である。
「住民基本台帳法」と「個人情報保護法」が提案され、国会にかけられたときに、大新聞社、大出版社、大テレビ放送局の良心的な部分は、かなり強く、その内容を国民に知らせ、危険性を知るように訴えかけた。
しかし、今回の「特定秘密保護法案」になったらどうだろう。
一般国民より、遙かに早い段階で「特定秘密保護法案」の内容を掴んでいたはずの、大新聞社、大雑誌社、大テレビ放送局は沈黙を守りっぱなし。
そして、成立となったら、その後二三日は大新聞社も批判的に取り上げたが、それは多分、自分自身の存在証明のための言辞であって、時間が過ぎればもはや、忘れてしまったのか、あるいは「世の中の態勢に従うのが知恵ある者の生き方なり」と言うことなのか、この数日「特定秘密保護法案」については、何も聞いたことがない、読んだことがない。
本当に全く、「住民基本台帳法」と「個人情報保護法」の時とそっくりだ。
その当時は、ちょっと反対してみせるが、決まってしまったとなると、大新聞社の大記者も、大雑誌の大編集者も、大テレビ放送局の大プロデューサーも、まるで去勢された羊みたいに、黙々と日常のえさを食べているだけ。
本田靖春氏は、上挙の著書の三六六ページに、次のように書いている。
これは、「黄色い血」のキャンペーンについて書かれているものである。
「もし、売(買)血と出会うのが一九六二年ではなく、二〇〇三年であったとしたら、私はキャンペーンに取り組むのをためらっていたかも知れない」
これを、読んで、私は「ひゃあっ!」とのけぞった。本多靖春は二千三年の段階で日本人をあきらめかけていたのか。
氏は、前の文章に続けて、次のように書いている。
「その点、六〇年代初頭には、宗教心とは異なるが、「情」というものがまだ残っていた。それは、階層が低い人たちの方に色濃くあって、彼らは涙もろいのである。社会面には『泣かせ物』というジャンルがあって、こいつを一本書くと、しばらくは寄金の処理に終われることになる」
この、最後の「寄金の処理に終われる」というところが凄い。
当時の日本人は、今より貧しかっただろうが、他人の不幸に多くの人が新聞社に寄金を寄せることが出来た。そこまで心が豊かだったのだ。
氏が、この文章を書いて一〇年以上経った。
二〇一四年の日本の姿を見なかったのは、氏にとって幸せだったのではないか。
全ては、我々にかかっている。
これから、「特定秘密保護法案」にどう対処するのか。
「住民基本台帳法」、「個人情報保護法」の時のように、最初はちょっと反対してみるが、すぐに「お国の言うとおり」素直に、従順に従うのか。
「特定秘密保護法案」は法案の内容がはっきりしない上に、運用が時の権力のしたいがままに任せられている。
「何が秘密なのか、それは秘密」、なんてとんでもないパズルの世界に我々放り込むような法律だ。
そのパズルのような法律があれば「お前は、秘密にふれたから逮捕する」と言うことが出来る。
「私は、どんな秘密にふれたんですか」とたずねたら、「それは、秘密だから言えない」
などと、言われてしまえば、おしまいだ。
気がついたら、牢獄に入っている、などと言うことも想像できる。
これは、途方もない法律なのだ。
それを、今の各新聞のように、一旦ちょっと批判して見せたからそれで責任を果たしたとして、知らぬ顔を決め込むのか。
その全ては我々が何をするべきかにかかっている。
このまま、手足、口も封じられて、生きながら死ぬ事を選ぶのか。
きちんと、人間として生きて行きたいのか。
それは、全部、これから我々が何をするべきか、それを真剣に考えることによる。
2014年は、本気で自分の生き方を考えなければならない年だ。
(前回、書いた物の中で、本多靖春氏の名前を誤っていることを、読者に指摘された。
このような読者の指摘は大変に有り難い。お礼を申し上げます。
ご指摘のとおり、靖春氏を、靖晴氏と誤って書いた部分を訂正しました。
私のこのブログを読んで頂いている読者諸姉諸兄の皆様に、この際まとめてお礼を申し上げます。
これからも、よろしく、お願いします)
2013/11/25 - 大当たり ノルウェーという国には余り親しみがない。
なにか、北欧のえらく寒い国、と言う印象しか私にはなかった。
最近、コンピューター・オーディオに凝ってしまって、それもDSDファイルの再生に凝ってしまって、ネット上でDSDファイルを販売しているサイトを探し回っている。
(コンピューター・オーディオとは何か、DSDとは何か、などと言う質問にはこのページでは答えられない。えらく手間がかかるので、そういうことはそれ専門のブログを立ち上げている人が沢山いるので、そのような人々のブログを読んで理解してください。
もともと、音楽とオーディオに興味がない人とは、またいつかお会いしましょう)
良い音源を求めてネットをさ迷っている内に ノルウェーの「2L」という会社に出会った。
「2L」では DSDファイルをダウンロード販売している。
ある オーディオ雑誌の付録に、「2L」の音源がついて来た。
それを聞いて見ると、 熱意がこもっている、感心した。
しかも、ノルウェーの会社らしく、作曲家も演奏家も北欧出身者を選んで力を入れているようである。
その中に「パイプオルガンとハーモニカ」という組み合わせがあった。
パイプオルガンは管楽器、ハーモニカはリード楽器。
音の性質がまるで違う上に、第一寸法が違う。
パイプオルガンは一つのコンサートホールの壁面一つを占める。
ハーモニカは両手の間にすっぽり収まる。
音量もまるで違う。象の吠え声と、蝉の鳴き声の差くらいある。
しかし、その演奏を聴いて、私は引き込まれた。心の奥を貫かれた。
早速「2L」のホームページに行き、その演奏をダウンロードした。
アルバムの名は「harmOrgan」
写真はクリックすると大きくなります
パイプオルガンの奏者はIver Kleive,
ハーモニカ奏者は Sigmund Groven
Grovenは世界的に有名で、ヨーロッパ、アメリカで演奏活動を繰り広げている。
日本でも、1995年と1999年にテレビ番組に出たそうである。(私は,知らなかった)
KleiveとGrovenは30年もの間音楽的につきあいのある間柄だそうで、だから、このような素晴らしい演奏が出来たのだろう。
バイブオルガンとハーモニカの演奏をどのように録音したのか、疑問に思ったたが、その録音中の写真を見て納得いった。
演奏が行われたのは、ノルウェイのUranienborg 教会である。
オルガンを弾いている、Kleiveの横に、Grovenが立っている。
Grovenのために、マイクが立てられている。
パイプオルガン用のマイクは別に立っている。
マイクは二本だけのようである。写真だけからの素人判断だが、音の澄んだ樣子から多数のマイクを使ったとは思えない。
最近の若い人達が好む音楽はリズムと和音、しかも、電気的に合成された音。
そして大声の怒鳴り声で構成されている。
私の心にはとてもの事にしみこまない。私は古い人間なので、音楽はメロディー第一なのだ。
このKleiveとGrovenの演奏は、私の心に深く深くしみこんだ。
あまりに感動して頭が上がらなくなるような思いがする。
この中に収録されている、「Se,vi gar opp til Jerusalem」という曲がある。
正確にはこの「a」の頭に、ノルウェイ語のアクセント表記である「゜」がつく。
意味は「見よ、今私はイェルサレムにのぼる」と言うことのようである。
その意味からしてキリスト教の賛美歌である。
試しに、YouTubeで上に書いた言葉で検索してみると(アクセント記号はなくても構わない)幾つか、その曲を聞くことが出来る。
残念ながらKleiveとGrovenの演奏はないが、二人の演奏する音楽がどんな物なのか分かって貰えると思う。
「harmOrgan」に入っている曲は、この曲以外も全てが素晴らしい。
私は宗教は如何なるものであっても受け入れることが出来ない。
YouTubeのその曲の場面は、雪の降り積む田舎の木造の教会にいかにも善良そうな人達が、金髪で白い肌のキリスト像の前に集っている。(本当のキリストの姿は現在のパレスティナ人に似ているという)
彼らと同じ気持ちにはなれないが、この曲の素晴らしさは理解できる。
音楽の内容と信仰心は別物である。私はBachの「ロ短調ミサ曲」と、モーツアルトの「レクイエム」、そしてフォーレの「ミサ曲」の前には頭を垂れてしまう。
「2L」のホームページを見ると、同じ演奏をディスクでも売っている。
ダウンロードしたのに余計な出費だと思ったが注文して大当たり!
Blue rayのディスクと、SACDとCDのハイブリッドディスクがついてくる。
これが驚いたことに、ダウンロードするより、3曲余計に入っている。
演奏も、曲の内容も、これほど満足したことは無い。
実は、ディスクを買って良かったのである。
ダウンロードした曲を入れておいたハードディスクが突然壊れた。バックアップを取っていなかったのは全く不覚だったが、ハードディスクが壊れるなど言うことはここ5、6年以上経験したことがなかったので油断をした。
そのハードディスクの容量は2TB。
これだけの音楽を失うとこたえますぜ。
どんなに安全だと思っても、大事な物の入っているハードディスクは必ずバックアップですね。
大当たりと大失敗が重なりました。
KleiveとGrovenのこの演奏に興味の有る方は、"2L"で検索してみて下さい。
DSDファイルのみでなく、PCMファイルも売っています。DSDのDACを持っていない方もこれなら聞くwwことが出来る。
心にしみこむ音楽を求めている方にはお勧めです。
(追記)
驚くべきことに YouTubeで、harmOrgan と引くと彼らの演奏が見られることを発見した。
しかし、この曲は、上にあげた、「Se,vi gar opp til Jerusalem」ではない。
この演奏をまず聴くことをおすすめする。
2013/11/20 - 内田樹氏の文章について 前回、私は内田樹氏がAERAに書かれた文章について、いろいろ言ったが、あまりに驚愕したために、私の文章は感情的に過ぎて、内田先生に対して礼を失していた。
反省して、今回は、もう少し理性的に、内田樹氏のお書きになったことに疑問を呈してみたい。
氏は、
「その事実が天皇陛下の『語られざる政治的見識』への信頼性を基礎づけている」
「天皇陛下の政治的判断力への国民的信頼がここまで高まったことは戦後初めてである」
と書いている。
我々は、今までに「天皇のお言葉」と言うものを、時々聞かされてきた。
しかし、天皇の言葉は儀礼的・形式的なものである。
天皇の政治的見識がうかがわれるものとしては
1)「韓国とのゆかりを感じると言ったこと」
2)「憲法を守っていきたいと言ったこと」
3)「国旗・国歌は強制にならないようにするのが望ましい」
くらいの言葉ではないか。
しかし、上述の項目からは、「うかがわれる」だけで、天皇の政治的見識をはっきりと理解できるとは言いがたい。
政治的見識を天皇が語るのを我々は聞いたことがない。
そこで、氏は「語られざる」という言葉をつけたのだろうが、それが疑問なのである。
「語られざる政治的見識」をどうして信頼のしようがあると言うのだろうか。
ある一人の人間がいるとする。その人間は政治的見識について語らない。
語らないから、その人間の政治的見識は一体どんな物であるのか、誰も知らない。
知らないのに、その政治的見識に信頼する、と氏は言う。
知らない物を信頼するとは、理の通らないことではないか。
通らぬ理を通そうとしたら、その人間の政治的見識ではなく、その人間を丸ごと信頼するしかない。
政治的意見がどうであろうと、その人間を信頼するのだ。
「天皇の政治判断力」への国民的信頼が高まっている、と氏は書く。
「天皇の政治判断力」に至っては、どんな物なのか見当もつかない。
現憲法では、天皇の国事行為は13項目に限られていて、すべて儀礼的なことであり、しかも内閣の助言と承認のもとに行うのであって、
「天皇は国政に関する機能を有しない(第四条、第一項)」
から、天皇は国政についての政治判断力など示せるはずがないし、現に今までに示して見せたことはない。
示されたことのない政治判断力を、一体どうすれば信頼できるのか。
これも、その人間を丸ごと信頼するほかはない。
政治的見識がどうであろうと、政治的判断力がどんなものであろうと、その人間を丸ごと信頼してしまうという、非理性的な行為をするには、非理性的な心情が必要だろう。
その非理性的な心情を、私は天皇に対する恋闕の情、だと言ったのである。
「今国民の多くは天皇の『国政についての個人的意見』を知りたがっており、できることならそれが実現されることを願っている。」
氏のこの文章など、恋闕の情がなかったら書けない文章ではないか。
そもそも、天皇の「国政についての個人的意見」をどのようにして聞くのか。
1) 本人が直接会見を開いて国政についての政治的意見を述べるのか。
2) 誰か、代理の者に言わせるのか。
3) 文章として発表するのか。
2)と3)の場合は間違いなく本人の言葉かどうか確かめようがない。
1)の場合、確かに天皇自身が語っているとしても、それが天皇本人の意見かどうかはわからない。
周囲の人間の意見の影響は無視できないし、天皇を自分たちの意のもとに操ろうとする人間達によって強制された発言かもしれない。
このように、天皇自身の政治的意見を聞くことは、現在のような皇室のあり方からすると不可能である。
しかも、天皇の「国政についての個人的意見」を、「天皇の政治的判断力の信頼のもとに」聞く、ということは「天皇の国政についての個人的意見」をもとに国政を動かすことになるだろう。
さもなければ意見を聞く意味がない。
内田氏のように、ここまで熱っぽく、「天皇の個人的意見を聞きたい」と言っておいて、では、と天皇が乗り気になって個人的な意見を言ったとすると、それが気にいらなくても、「そうすか、んじゃ、またお願いしまーす」と言ってバイバイする訳にはいかないだろう。
一番の問題点は、天皇の国政についての個人的意見を聞いて、その方向に国政を動かす、となると、「勅語」を戴いて、政治をする、戦前の明治憲法下の天皇制社会と変わらなくなるではないか、と言うことだ。
明治以降、天皇の勅語というのは、時の政府、指導者たちが自分たちの言いたいことを天皇に言わせたり、自分たちのすることに権威付けをするために使った道具だった。
伊藤博文が、ドイツ人医師ベルツに明治天皇を示して操り人形のまねをして見せたことは有名な話だが、明治憲法下の支配者たちは自分たちの言いたいことを「勅語」として天皇に言わせていたのである。
現憲法下では天皇のそのような操り人形化を防ぐための仕組みを上記のように作っているのである。
それを、内田樹氏のように、「国政について天皇の個人的意見を知りたい」と言って本当にその通りになってしまったら、氏の言うように「公平無私」の人間など日本の権力構造の中にいる訳がないから、天皇自身がいかに善良な人間であっても、海千山千の連中にかかっては抵抗のしようがなく、あっという間に操り人形と化すだろう。
第一、天皇が、この厳しい国際状況の中で国を運営していくだけの政治的判断力を持っていると信じることは私にはできない。
「英邁なる君主、我らが天皇のお言葉を信じろ」と言うことなのだろうか。
それは、「恋闕の情」でもなければ出来ることではない。
原発再稼働、憲法壊変、多国籍企業の支配するコーポラティズムに日本を組込むためのTPP加入、政府に具合の悪い情報はすべて国民に見えなくする秘密保護法の策定、など、安倍政権になってからの日本は、自己破壊の急坂を転がり落ちている。
そのことに対して私は、強い憤懣と、深い絶望感を懐いている。
そのときだからこそ、私は内田樹氏の文章を期待して読んだのである。我々に進むべき道を指し示して下さるのではないかという期待を持って。
それが、「天皇の言葉」だったので、驚愕し、逆上し前回の文章になってしまったのである。
亡くなってしまわれたが、元東京大学教授の五十嵐顕氏は、亡くなる前に、
「日本の思想にもっとも欠けているものは、良心にしたがって立ち上がる抵抗の精神です」
と書残している。(安川寿之輔「福沢諭吉の教育論と女性論」高文研、P109)
五十嵐顕氏は、戦争中に南方軍幹部候補生徒区隊長として積極的に侵略戦争を担ったことを反省して、戦後は平和と民主主義の教育のために働いてきた人である。
私は、今この時の日本にあって必要なのは、五十嵐顕氏の言う
「良心にしたがって立ち上がる抵抗の精神」
だと思う。
私は内田樹氏に、その明晰な頭脳と強靱な精神力をもって、明快な論理を駆使して、今の日本に必要な「抵抗の精神」を説いていただきたいのである。(お門違いだとは思わない)
その期待を持って、恐れ多くも内田樹先生に私は疑問を呈したのである。
2013/11/19 - 内田先生ご乱心、いや本心か 私は内田樹氏を尊敬している。
今の日本の思想・言論界で,どんなことでもこれだけ明快な論理で解き明かしてくれる人は滅多にいない。
ヘドロに埋まってしまった今の日本の社会で、ヘドロに足を取られながら歩くのに,氏の意見は非常に頼りになる。
氏の著書も何冊か購入したが、裏切られたことは無い。
また、以前私がお世話になったことがある朝日新聞の竹信悦夫さんと高校の同級生だったと知って、勝手に親しみまで感じている。
日本で一番頼りになる知識人だと思っている。
しかし、それは、今年の11月までのこと。
その内田樹氏が、AERAの13年11月18日号に書いた、
「『直訴』行為にメディアが『例外性』を強調した意味」
という記事を読んで、驚いた。
その驚きも、生やさしい物では無く思わず「内田先生ご乱心!」と叫んでしまったくらいである。
そして、読めば読むほど気持ちが悪くなってきて、吐き気がした。
内田樹先生の思想の根底にはこんな考えというか心情が潜んでいたと悟って、私は、身動き取れない感じに陥った。
よく読めば、これは、一時のご乱心では無い。内田樹氏の本心なのだと言うことが分かる。
「内田先生、貴方もそうだったのですか」と言いたい。
もう、頼れる人はいないのか。
ことは、園遊会の際に山本太郎氏が天皇に手紙を手渡したことについてである。
「山本太郎参院議員が園遊会で天皇陛下に『直訴』した件では議員の非礼を咎める声のある一方で、『天皇の政治利用という点では、自民党に他人を批判する資格はない』と言う反論もある。どちらの言い分もそれぞれもっともだが,私は『誰も言っていないこと』に興味が有る。それは天皇陛下に直訴をしたのが1901年の田中正造以来だったという『例外性』をメディアが強調したことである。それは何を意味するのか。」
と氏の文章は始まっている。
ところが、私は7月末に右の脛の骨を複雑骨折してしまい、そのために大きな手術を一週間置いて2回受けたので、その時の強力な麻酔の影響がまだ残っていて頭が上手く働かないようで、氏の全文を読んでも「『例外性』をメディアが強調したことが何を意味するのか」分からないのである。
ただ、氏の以下の文章が、私の脳髄に鉄条網に使うバラ線のように絡みついていて苦しいのだ。
氏は書いている、
「あらゆる機会を政治的に利用して自己利益を増大させ、おのれの意思を実現しようとじたばたしている『公人』たちの中にあって、ただひとり、いかなる党派的立場にも偏することなく、三権の長にさえ望むべくもない『公平無私』を体現している人がいる。その事実が天皇陛下の『語られざる政治的見識』への信頼性を基礎づけている。天皇陛下の政治的判断力への国民的な信頼がここまで高まったことは戦後はじめてのことである。」
このような文章を内田樹先生のお書きになった物として読もうとは長い間内田樹先生の文章を拝読してきた私には予想も出来なかった。
「三権の長にさえ望むべくもない『公平無私』を体現している人がいる。」
とは何のことだろうか。
内田氏がここで取り上げている天皇の行為は、
1)9年前の園遊会で、米長邦夫東京都教育委員長が「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させる事が私の仕事で御座います」と言ったことに対して、「強制になるということでないことが望ましい」と答えたこと。
2)「沖縄の主権回復の日」の式典で安倍首相を始め出席していた人間が「天皇陛下万歳」を三唱したときに曖昧な笑顔を浮かべていたこと(これを、内田氏は当惑の表情と取った)。
3)今回、園遊会で山本太郎氏の差し出した封書を受けとったこと。
である。
この3項目から、どうすれば「三権の長にさえ望むべくもない『公平無私』を体現している」ことを読み取れるのだろうか。
他にも天皇が「公平無私」を体現するような事があったのかも知れないが、内田氏がこの文章で上げているのはこの3項目であり、文脈に従えばその3項目から天皇が「公平無私」を体現していることを読み取るしかない。
だが、この3項目をどういじっても、どう深読みしても、「公平無私」を体現している事を私は読み取れない。
これは、無理筋という物だろう。
次はもっと難しい。
「その事実が天皇陛下の『語られざる政治的見識』への信頼性を基礎づけている」
と来た。
その事実とは、「天皇が『公平無私』を体現している」であることにしよう。
で、次の「語られざる政治的見識」とは何か。
「語られざる」とは、天皇が語らなかったのか、或いは一般的に語られていないと言う事なのか。
なぜ、「語られるざる」なのか。
「政治的見識」とは何のことか。
そして「信頼性を基礎づける」とは何のことか。
「信頼性とは」だれが、何を信頼するのか。
このように、今回内田先生がAERAに書かれた文章は語句に分解して意味を理解しようとしても、理解するのが私には難しい。
だが、一本補助線を引くことで、するすると意味が分かる。
その補助線とは、ああ、口にするのもおぞましいので、それは後回しにする。
次はもっと、もっと難しい。
「天皇陛下の政治的判断力への国民的信頼がここまで高まったことは戦後初めてである」
これは、本当に難解極まる。
「天皇の政治的見識」が「天皇の政治的判断力」へと一気に次元を飛び越えてしまっている。
「政治的見識」と「政治的判断力」の間には、大きな跳躍がある。
「見識」までは、まだ安全だが、「判断力」となると、読む方の心臓がどきどきする。「判断力」は行動へ繋がるからだ。
「天皇陛下の政治的判断力への国民的信頼」とは何のことか。
この国民の中には私も入っているのかね。
私のような非国民ではなく、善良なる国民の事なんだろうが、私は今思い浮かべる友人・知人たち誰をとっても、そして彼らは全て温順・善良な国民であるが、「天皇陛下の政治的判断力への国民的信頼」という言葉を理解できないと確信する。
内田氏個人が、「天皇陛下の政治的判断力への信頼」を抱くのは構わないが、それをいきなり「国民的」と言われると、漫才の「こだま・ひかり」風に言えば、「往生しまっせ」。
普通の人間には理解できない言葉である。
政治的行動へと繋がる「天皇の政治的判断力」に国民の信頼感が高まる、と言うことは、国民が天皇に何か判断して貰ってそれに従って行動したがっているということなのか。
そんな恐ろしいことを氏は言いたいのだろうか。
これまで、私は内田氏のこの文章に対する疑問を書き連ねて来たが、氏のこの文章の最後の段落に、私の疑問に対する答えがあるようだ。
その文章は、以下の通りである。
「今国民の多くは天皇の『国政についての個人的意見』を知りたがっており、できることならそれが実現されることを願っている。それは自己利益よりも『国民の安寧』を優先的に配慮している『公人』が他に見当たらないからである。私たちはその事実をもっと厳粛に受け止めるべきだろう。」
こうして、氏の文章を書き写すだけで、私は体の奥底から吐き気というか、脊髄の中に強酸を注入されたらかくもあらんかという、死んだ方が良いようないやな気持ちがこみ上げてきて、正気を失いそうになる。
氏はこんなことを本気で書いているのだろうか。
国政についての個人的意見を天皇に聞いて、どうするのか。
「できることならそれが実現されることを願っている」という、「それが実現される」とは、天皇の意見を聞くことが実現されることであって、天皇の意見が実現されるという物ではあるまいな。いや、本当に天皇の意見を実現させたいと考えているのかも知れない。この辺の氏の文脈がいつもの氏に似合わず曖昧なのだ。
とにかく、天皇の意見を聞くだけでは意味が無い。ただ聞いて「はあ、はあ、そうでごぜえますか」と感心するだけでは,話は収まるまい。
聞くからにはその意見に従って国政を実現させようと動くのが順序という物だ。
突き詰めれば天皇の言葉通りに国政を進めようと言うことになる。
このような言葉は、以前に聞いたことがある。
2.2.6事件の青年将校たちが同じことを言っていた。
内田氏の言うことは、青年将校たちが希望した「天皇親裁」と同じではないか。
氏は、2.2.6事件の青年将校たちと同じように、天皇に対する恋闕の思いを強く抱いているようだ。
前に書いた、氏の文章を理解するための補助線とは、この、「天皇に対する恋闕の情」だと私は思う。
氏の書く文章は常に論旨は明快で、論理の筋道も通っているので読む度に「勉強をさせて頂いた」という感謝の念を抱く。
しかし、この、AEREAの文章は論理の筋道も見つけがたい難解な文章である。
二日酔でぐんにゃりしている蛸に胃の上に這い上がられたような気分になる。
そのいやな気分のいやな原因が分かった。
氏の天皇に対する恋闕の情である。
それを理解すると、氏がこのねっとりと濃度の高い非論理的な文章を書いた理由が分かる。
氏は、文章の最初から「天皇陛下」と書く。
天皇なしで、単独に「陛下」とも書く。
「陛下」とは、天皇の尊称である。
外国の王に対しても使う。
しかし、イギリスのエリザベス女王に「英国国王陛下」というのと、日本の天皇に「陛下」を付けるのとでは、意味が違うと私は思う。
その意味の違いを論じ始めると、長くなるので、今はここでとどめる。
一つだけ言っておくと、「天皇陛下」という言葉は、1945年に破綻した明治憲法下の天皇制下で最も熱く特別な意味を持って使われた言葉だということだ。
ましてや、天皇なしで「陛下」というのは、明治憲法下で天皇の臣下と自らを認めた人間の言葉である。
国政についての天皇の意見をききたい、などと言う言葉を2013年の時点で、私は自分の尊敬する内田樹先生の言葉として読もうとは夢にも思わなかった。
日本の戦後民主主義などろくな物では無かったということを、この内田樹氏の文章で私は思い知らされた。
2013/11/16 - 安倍寿司店の寿司ネタ 13年11月21号のTIME誌に、 “The Mysterious Provider Of Sushi”と言うタイトルの記事が掲載されている。
その記事によると、”True World Food”と言う会社が、全米で、7,500件のレストランに「築地市場」並の魚を毎日配達しているという。
TIMEの編集部が全米70店の寿司屋に電話で問い合わせた所、そのうちの48店が、”True World Food”から魚を仕入れていると答えた。
実に70パーセント近くの寿司屋が”True World Food”から仕入れていると言うから、これは大変なものだ。
この記事でなぜ”Mysterious”と言う言葉を使ったか、それはこの会社が「統一教会」の運営になる物で、統一教会関係の組織が常にそうであるように、あちこちが隠蔽されていて、Mysteriousだからだ。
会社がどれくらい大きいのか分からない、その会社の社員には誰が経営者か分からないし、経営者が内部でなにをしているのかわからない。
分かっていることは、この会社“True World Food”が、”Unification Church”(統一教会)の下部組織であることだ。
“True World Food”の真の所有者は誰なのか、経営しているのは誰なのか分からない。
New Jerseyの本部に電話しても自動音声応答機は役に立たないし、New Yorkのオフィスにメッセージを送っても答えは来ない。
なぜ隠蔽する必要があるのだろう。
“Sushi Economy”という本を書いた、Sasha Issenbergは”彼らがどれだけの影響力を持っているか計算するのは難しいけれど、かれらはアメリカ全土で最も有力な業者だ”と言っている。
「統一教会」は最近その英語での名前を“Family Federation for World peace and Unification”(FFWPU)という新しい名前にした。
この寿司屋相手の魚卸業もその資金は、日本で稼ぐ霊感商法で強奪した金と、信者からのむちゃくちゃな献金による物だろう。
最近、統一教会と勝共連合の話が新聞などに載ることは殆ど無くなったが、彼らは相変わらず悪質な手段で金集めをしているようだ。
参議院の議員会館にも、勝共連合が出入りして議員達の間を回っているという。
今回自民党は「秘密保護法」を成立させようとしているが、これは、以前勝共連合が力を入れていた「スパイ防止法案」の焼き直しのような法案である。
なぜ統一教会の話を持ち出したかというと、安倍首相は祖父の代から統一教会と密接な関係を持っているからだ。
安倍首相だけでなく、他の政治家もかなりの数、統一教会と関わりがある。
日本最悪の犯罪集団である統一教会が日本人を騙して(洗脳して)大金を貢がせていることが五十年も前から続いているのに、時に「霊感商法摘発」などと言って小規模な取り締まりを受けるが本体には全く官憲の手が入らず、統一教会はますます日本人から多くの金をだまし取り力を付けている。
奇怪なことに、統一教会の教祖文鮮民は韓国人で、韓国が発祥の地であるのに、統一教会の莫大な収入の殆どは日本から集められているのだ。
統一教会がそんな勝手なことを続けてこられるのは、岸信介と、笹川良一という、有力者が協力したからである。
統一教会と日本の政治家、学者、マスコミ、との癒着は日本の社会に大きな害を及ぼしている。
勝共連合は統一教会の別の顔であり、両者は一心同体の組織である。
その勝共連合の機関誌「世界思想」の10月号の表紙は安倍首相である。
内容は、「「安倍政権の日本再生」として、改憲、防衛タブー打破、教育再生、などの項目が挙げられている。
最近の安倍首相の政策はことごとく勝共連合の思い通りのものである。
問題はアメリカの寿司店の寿司ネタより、自民・安倍寿司店の寿司ネタがやはり統一教会から供給される物なのかと言うことだ。
これから、何度かに渡って、安倍首相と統一教会、勝共連合の問題を取り上げていく。
統一教会という邪教の集団が、日本の若者達を洗脳し、人格を破壊し、大金を貢がせ、さらに、似非募金を行ったり、様々な商品の行商などに奴隷的に酷使する、という悪行を行うのを岸信介、笹川良一らは助けたのである。
岸信介の孫である安倍首相も自分の秘書の中に統一教会の信者を抱えている。
安倍首相は“True World Food”からの寿司ネタを楽しんでいるのではないか。(これ、しゃれですからね。)
1990年代までは、雑誌や新聞でも統一教会と勝共連合のことは良く取り上げていた。
最近、全然そのような報道がなされないので、統一教会、勝共連合は活動を止めたのかと思ったら大間違い。
ますます、悪質な活動を広げている。
どうやら、マスコミも既に、統一教会の毒まんじゅうを食べてしまって、統一教会の批判が出来なくなっているのでは無いだろうか。
これ以上若い人達が、あの邪教の毒牙にかからないように、心ある人は 立ち上がって貰いたい。
黙っていては危ないのだ。
2013/10/28 - 宣伝です 「美味しんぼ」第110巻、「福島の真実編・上」はお読みいただけましたか。
各方面から好評を頂いていますが、もし貴方、まだ読んでいないのならすぐに本屋さんに注文して下さい。
自分で言うのも何ですが、福島の真実をかなり分かりやすく網羅的に取り上げています。
話の流れは、福島の真実を明らかにすることと、山岡と雄山の和解という二つの重要な主題を同時並行で進めています。
今回発刊された「福島の真実篇・上」はその前半で、来年完結編としての「福島の真実編・下」が出ます。
2011年11月から、2013年の5月末末まで福島に何度も通い、新聞やテレビの報道ではよく分からなかった点も、自分の目で見て、自分で調べました。
自分で言うのものなんですが、私はこの福島編に全力を尽くしました。
半分まで書き上げてあった「福沢諭吉」についての本も、中断し福島にかかり切りになりました。
2013年5月までの「福島の真実」のツボは押さえたと自負しています。
これから先福島はどうなるのかは第一原発次第という心細い状況にありますが、有り難いことに、漫画は寿命が長く、代を重ねて新しい読者に読み継がれていくので、2013年5月現在の実状はこれから先記録として役立つだろうという自負があります。
辛い真実ばかりで、漫画として楽しくないというご批判もあると思いますが、このような厳しいことを書いて後の若い人達に残せるのは漫画だけであると、漫画の力を信じて全身全霊を打ち込みました。
もう一つ、楽しい宣伝です。
朝日新聞社と読売新聞社が、「美味しんぼ」の「究極と至高の対決」を両紙の対決の形で行うことになりました。
URLは以下の通りです。
http://news.goo.ne.jp/topstories/entertainment/530/c2849cc25727934c8bb999dae77866e8.html?fr=RSS
http://gigazine.net/news/20131012-real-oishinbo/
一体どうなることやら、楽しいですね。
原作者としては中立の立場を守らなければならないので、一読者として、両者の対決を楽しみに拝見させていただきます。
日本全県味巡り同様に、郷土料理を題材にしている所が面白いと思います。
目を離さないで下さいね。
2013/10/08 - パリの日本人料理人 いつもくらい話ばかりなので、たまには楽しいことも書いて欲しいという読者の方がいる。
確かに、ちょっとこのところはなしが暗すぎたな。
それは、日本という国が暗いから仕方が無いんだが、今回、楽しく美味しい話をしよう。
以下の文章は現在コンビニエンス・ストアで発売されている(もう、発売期間は過ぎたかも知れない)マイ・ファースト・ビッグの「美味しんぼ」「フランス料理篇」に書いたエッセイ「美味しんぼ塾」をこのブログ用に手直しした物である。
マイ・ファースト・ビッグの「美味しんぼ」は二週間くらいの限定発売でそれが過ぎると読むことは困難になる。
今回書いたことは多くの人に読んで貰いたいと思うので、この頁に転載する。
私は生まれつき食い意地が張っているので、「美味しんぼ」を書き始める以前から、日本だけでなく外国をも美味しい物を求めて歩き回った。フランスでもパリを始め、各地でいろいろと美味しいレストランを探して食べ歩いてきた。
一九八三年に「美味しんぼ」を書き始めてからも、ちょくちょくフランスに美味しい物を求めてやってきた。
パリのミシュランの三ツ星レストランもビストロもあちこちと探索して回って、素晴らしい体験を重ねてきた。
で、せっかくだから、パリやフランス各地で味わったフランス料理の話を「美味しんぼ」で書こうと思って、何度か試してみたが、フランスでの体験はどうしても書くことが出来ずに今日まで来た。あれだけいい思いをしたのだから、それを「美味しんぼ」に書けば面白い物が出来ると思ったのだが、どうしても筆が進まなかった。
それは、パリの三ツ星レストランと、日本の「美味しんぼ」の読者との間につながりが何もないことに気がついたからだ。
それまでに、多くの作家、評論家、随筆家が、フランスのレストランの話を書いていたし、フランスのレストランのガイドブックも多数出版されていた。そう言う物は、それでよいだろう。そう言う物を求める読者も少なくない。しかし、「美味しんぼ」となると話は別だ。「美味しんぼ」の場合、読者の生活にかかわる物でなければ、書く意味がないし、第一読者が受け入れてくれない。「美味しんぼ」の読者の大多数にとって、パリの三ツ星レストランの話など、何一つ実感がわいて来ず、感情移入が出来ないだろう。
それで、私は連載開始以来三十年の間、パリの三ツ星レストランの話を書かずに、いや、書けずに来た。
しかし、状況は大きく変わった。
世界の美食の町パリで二十年前には考えられないことが起こっていることを私は知った。
パリには世界に誇る素晴らしいレストランがいくつもあるが、ミシュランの星を取るような最高のレストランでは、いつの間にかその厨房に日本人の存在が欠かせない物になっていたのだ。日本人の料理人はまじめで熱心で感性が優れているので、一つのレストランが成功するためには今やいなくてはならないと言う。
私が初めてパリに美味を求めてきた千九百七十年代から、八十年代初めのパリでは想像もできないことだ。
日本人はパリのレストランのお客であるだけでなく、パリのレストランで重要な役割を果たす、いわば主役の地位に昇ってきているのだ。
これなら、今、パリのレストランの話を書いても「美味しんぼ」の読者は感情移入できるだろう。
ついに「美味しんぼ」にパリのレストランのことを書く事の出来る日が来たのだ。
こういう確信を私が抱くことが出来たのはつい最近のことである。
私は二千十三年の六月の末から七月上旬にかけて二週間ほどパリに滞在した。
きっかけはパリの日本文化会館で、北大路魯山人と日本の食文化について講演をしてもらいたいと言ってきたことである。
私は講演はよほど意義の有ると思える物しか引き受けない。講演をするための準備は大変で、そう言うことをすると本職の方に悪影響が出るので断ることになってしまう。
だが、フランス人相手に、北大路魯山人と日本の食文化について話すのは意義の有る事だし、私は二千六年以来パリに御無沙汰しているので、久しぶりにパリの美味しい物を食べ歩くのに良い機会になると思ったのだ。
パリには私の小学校の同学年の友人「ふ」さんがいる。「ふ」さんは四組、私は二組だった。「ふ」さんは私達の学年随一の美人でしかも知的だった。「ふ」さんは、現在はフランスでも有名な詩人と結婚してパリに住んでいる。
で、二千六年にもお願いしたが、今回も、パリの美味しいレストランの情報を「ふ」さんに、教えて貰うことにした。
今回有り難かったのは「ふ」さんが、美味しいレストランの情報だけでなく素晴らしい人を紹介してくれたことだ。
手島さんと言って、熊本出身の三十六歳。料理人を志し、十年以上フランスで修業して来たという。
手島さんは最近まで、あるレストランのシェフをつとめていたが、いよいよ自分の店を出す決心をした。現在店の物件探しをしていて比較的時間があるので、私をいろいろと案内をして下さる、というのだからこれは有り難い。
手島さんは、すでにパリの料理の世界にかなり食い込んでいるようで、パリでミシュランの三ツ星を取るレストランの多くがここから仕入れるという肉屋に連れて行ってくれたが、その店の経営者と親しいのだ。ワインの店にも連れて行って貰ったが、そこでも店の人間と良い関係を構築している。自分の店を開くための準備はしっかり出来ていると見た。
手島さんにはパリに留まらず郊外にまで、何軒も美味しい店に案内して頂いた。
その中で私が一番感心したのはPassage53と言う店だった。
Passage53のシェフは佐藤さん。シェフであるだけでなくフランス人との共同オーナーである。
出てきた料理を一口味わって、私は驚いた。
私はずいぶん長い間あちこち食べ歩いているが、料理人との出会いは最初の一口で決まる。素晴らしい本物の料理人の料理は最初の一口で食べる側、すなわち私から一本取るのである。二皿、三皿食べてようやくその味が分かる、と言うことはない。最初の一口が全てを語る。逆に、最初の一口が駄目だったら最後まで駄目だ。途中で一品くらい良い物があるかも知れないが、全体として良くなることはない。最も最初は良くて後は腰砕けと言うこともあるが、佐藤さんの場合、最初の一品のすごさは最後まで一貫していた。
佐藤さんの料理は全部お任せで、その日、デザートも入れて全部で十五品出た。
最初は、トウモロコシのスープ・カプチーノ仕立て。冷製、コーヒー入り。透明ではないガラスの小振りの器で出される。
トウモロコシは良く擂って漉してあるので大変になめらか。カプチーノ仕立てで、僅かにコーヒーが入っている。と言っても、コーヒーの味は露骨に感じない。一緒に行った長女は「最後に器からほのかにコーヒーに香りがした」と言ったが、そんな感じである。
このスープが実に鮮烈だった。あっさり軽い味だが中心を貫く芯があり、こくと旨みが舌だけではなく口の中の全ての感覚器官を快感でそよがせる。飲んだ後のすっきりとした幸福感は滅多に味わうことの出来ない物だ。これ一口で私は参った。
ページが足りないので佐藤さんの料理は一つしか紹介できない。他の料理も、この最初に味わった鮮烈な味わいを保った見事な物ばかりだった。
私は、今回、三ツ星レストランを二個所食べたが、その二つの三ツ星レストランより佐藤さんの料理の方が美味しかった。
佐藤さんは、北海道出身で、北海道のレストランを振り出しに料理の世界に入り、フランスに渡ってきて十数年、二千九年にフランス人と共同で現在の店を開いた。
開いて翌年にミシュランの星を一つ貰い、翌年に二つ星を貰った。ミシュランの星は味だけではなく店の環境雰囲気も加味されるので、もっと良い立地の場所に店を移せば三ツ星は間違いないと言われている。
佐藤さんは三十五歳。
手島さんは三十六歳。熊本出身で、十二年ほど前にフランスに来て、今年中には自分の店を開ける所まで来た。と書くと簡単なようだが、お二人のこれまでの苦労は大変な物だ。
一口に苦労と言ってしまうと話が軽くなる。お二人の話を聞くと、私の人生は甘い物だったと思ってしまう。佐藤さんも手島さんもフランスに来たときに、フランス語は一言もしゃべれなかったと言う。何をするのにも、言葉が不自由だと物事が進まない。口が利けないばかりに、知的に劣っていると思われる。馬鹿にされる。加えて現地の事情にも明るくない。自分より遙かに劣った人間にいいようにあしらわれ、得るべき報酬も得られない。それでもなおフランスのレストラン業で働き続けるには強靱な精神力が無ければ出来ない。
だが、二人とも苦労にめげずフランス料理にかける情熱を燃やし続けたからこそ、未来を切り開く事が出来た。しかも、この若さでだ。正に前途洋々。
手島さんがどんなレストランを作るか、期待に胸が弾む。
他にも優秀な日本人料理人を見つけた。 Vivant というビストロのオーナーシェフの「渥美(漢字は間違っているかも知れない)」さんと言う。Vivantの中は余り明るくないのでうっかりすると見逃すが、よく見るとアール・ヌーボー樣式で統一されていて、それも見ものだが、渥美さんの料理はそれ以上に見事だ。
渥美さんも若い。手島さんたちと変わらないだろう。
ビストロはミシュランの星を目ざすレストランとひと味違って、地場に密着した味わいを持つレストランだ。
ミシュランの星を狙うレストランはインターナショナルなところがあるが、ビストロはフランスの食文化により深く密着していると言える。外国人が挑戦するのには星狙いのレストランより難しい所があるのではないか。
今取り上げた三人の日本人料理人のすごさがよく分からないと言うなら、フランス人が京都で懐石料理を学んで京都に懐石料理の店を開く、あるいは、フランス人が東京で寿司を学んで銀座で寿司屋を開くことを考えてみれば分かる。
とてもあり得ないことではないだろうか。
日本人がパリでフランス料理を学んで、日本に帰って日本でフランス料理のレストランを開く。これが、今までの日本人料理人とフランス料理の形だった。
それが、手島さんたちはパリでフランス料理を学んでパリでフランス料理のレストランを開く。
時代が大きく変わった。
さらに、これは、フランス料理が世界中の人間に美味しいと思わせる普遍的な物であって、さらにちゃんとフランス料理の形であれば、国籍も人種も違う人間をも取り込むことの出来る非常に深いふところを持っていることを表す物だ。
とにかく、新しい世代の日本人料理人のすごさを理解して貰いたい。
佐藤さん、手島さん、渥美さんをはじめ、日本人料理人がパリで活躍する姿をこれから本格的に見ることが出来るのだ。これは是非「美味しんぼ」で書くべきでしょう、ねっ。
2013/10/03 - Open letter to the IOC Open letter to the International Olympic Committee,
(Revised)
On September 7, the members of your Committee made a decision that Tokyo will host the 2020 Olympic Games. It is said that the speech given by the Japanese Prime Minister, Mr Shinzo Abe, played a critical role in your decision making process.
In his speech, Mr Abe said,” Some may have concerns about Fukushima. Let me assure you,
the situation is under control. It has never done and will never do any damage to Tokyo.”
Everything Mr Abe told you regarding the safety of Fukushima Daiichi nuclear plant is nothing but a shameful lie.
I will review them here one by one, and show you how malignant he and his lies are.
1) In response to questions raised, Mr Abe said: the contaminated radioactive water has been “completely blocked” within a 0.3 km^2 area in the harbour of Fukushima Daiichi plant.
This is an absolute nonsense that even a 6 year old could see through. How could such a strange harbour, which can be “completely blocked” from the rest of the sea, exist?
The following photo taken by Japan Ministry of Land, Infrastructure and Transport, clearly shows the absurdity of Mr Abe’s comment.
©Japan Ministry of Land, Infrastructure and Transport.
The harbour, which Fukushima Daiichi nuclear plant faces, is open to the ocean.
Just as any ship can come in and out of the harbour freely, so too can water, carrying contaminated water out into the ocean.
Furthermore, 18 days prior to Mr Abe’s speech, on August 21 2013, Tokyo Electric Power Company (TEPCO) had made an announcement that is contradictory to Mr Abe’s notions; it is highly possible that highly radioactive water that had pooled in underground trenches of Units 2 and 3 following the accident on March 11 2011, has leaked directly out to sea.
TEPCO estimates the amount of radioactive materials escaped to sea to be 1×10^13 becquerel (Bq) of strontium-90 and 2×10^13 Bq of caesium-137. This totals to 3×10^13 Bq.
Marine emission standard for nuclear plants under normal operating condition is 2.2×10^11 Bq . Since March 2011, the amount of contaminated water that has flown into the ocean is 100 times greater than the standard, and the leakage is still continuing.
2)Mr Abe said: "Let me assure you, the situation is under control.”
The facts indicate that the situation is anything but ‘under control’.
a) On September 24 2012, TEPCO announced the hourly emission of radioactive matter to be 1×10^7 Bq, equivalent to 2.4×10^8 Bq per day. This emission continues to date – a situation one can hardly say is ‘under control’.
b) By the end of August 2013, TEPCO has placed approximately 1000 tanks to store the highly contaminated water on site at Fukushima Daiichi.
These tanks (each containing 1000 L) are simply made by rolling up stainless steel plates into a cylinder and fixed by bolts rather than being properly welded.
The manager of the manufacturer of the tanks has commented as such: ”TEPCO only gave us a limited budget, so we have had to make each tank in a short period time, minimising cost of the production. Those tanks are not designed for long-term storage.” (August 25 2013, Mainichi Shimbun)
In fact the durability of the tanks are estimated to be 3 years at most. They are temporary and makeshift ‘solution’ to a long-term problem.
On August 20 2013, TEPCO admitted that 300 t of contaminated water had leaked from one of the tanks releasing 2.4×10^13 Bq of radioactive material (1 L of contaminated water contains 8×10^7 Bq).
According to Mr Hiroaki Koide of Kyoto University, this is almost the same quantity of radioactive material released by the US atomic bomb that was detonated over Hiroshima in 1945.
This means that each of the storage tanks contain more than 3 times the amount of radioactive material than one Hiroshima-class atomic bomb.
Those tanks are fragile, and the ground of the Fukushima Daiichi site is geologically unstable. And the tanks are placed on the ground without any solid foundation.
Large-scale earthquakes, or typhoons may easily topple those tanks.
If even a few of these tanks become damaged and released their contents, nobody will be able to enter the site of Fukushima Daiichi. Consequently, the essential cooling down operations of the nuclear reactors will cease, leaving all reactors to become uncontrolled.
The result will be a catastrophe - not only for Japan, but also for the whole world.
I am not exaggerating, I am simply anticipating.
My anticipation is all based on available information and the reality of the situation.
The number of these tanks will continue to increase. TEPCO needs to keep pouring seawater to cool the nuclear reactor, contaminating the water in the process. As the wastewater treatment plant has been damaged and is non-operational, a new tank is required every 2 and a half days to store the contaminated cooling water.
By no stretch of the imagination could one say the situation is “under control”.
3) Mr Abe said: Fukushima Daiichi “has never done and will never do any damage to Tokyo”.
a) Edo River is a river of Tokyo (Edo means Tokyo), which forms the border of Tokyo and Chiba prefectures. It is an important river supplying drinking water to Tokyo as well as to neighbouring Chiba.
Disturbing changes are happening in this river.
Analyses of Edo River carried out by the Ministry of Environment between September and November 2012 found that 1 kg of sediment from the riverbed contained greater than 100 Bq of radioactive material. The highest reading was from Urayasu Bridge area, with 2050 Bq/kg (sum total of radioactive iodine-131, caesium-134 and 137). Urayasu Bridge is mere 10 km away from the water purification plant in Kanamachi where water is drawn from Edo River.
Following their findings, Ministry of Environment explained “the water is drawn from the top of the stream and water itself shields the radiation from the riverbed sediments, hence there should be no influence”. But would this not change if the riverbed were stirred by heavy rains or typhoons?
b) On September 7 2013, the very day Mr Abe claimed that Tokyo would not be damaged by the release of radioactive materials, Chiba prefecture announced that an eel caught in Edo River contained radioactive dose of 140 Bq/kg. In light of this, Chiba prefecture called on three Fisheries Cooperatives to withhold their catch from the market.
Eel from Edo River is highly valued by food lovers of Tokyo.
It is a deplorable situation. When the river of Tokyo, Edo River is already in such a condition, how could one say “It has never done and will never do any damage to Tokyo”.
c) It is not just the waterway that is affected. In Edogawa council, which is the eastern part of Tokyo, many places record air radiation levels greater than 0.2 μSv/h (micro sievert/hour) and many in excess of 0.3 μSv/h.
Especially around Kanamachi water purification plant, air radiation level exceeds 0.45 μSv/h.
(http://www.radioisotope.jp/map/)
Safety standard set by ICRP(International Commission on Radiological Protection)is 0.23 μSv/h or 1 mSv/y.
Mr Abe’s comment is completely untrue – Tokyo is already damaged.
4) Mr Abe said: Fukushima “poses no problem whatsoever, the contamination was limited to a small area and had been completely blocked”.
a) A picture is worth a thousand words. Below is “The map of contamination” by Professor Yukio Hayakawa of Gunma University.
©Yukio Hayakawa
http://kipuka.blog70.fc2.com
The contamination was NOT limited to a small area, but it has spread wide and far.
The map shows air radiation level in Tokyo was 0.125 μSv/h in September 2011. Before the accident of Fukushima Daiichi, the level in Tokyo was only around 0.02 μSv/h.
Tokyo is contaminated.
b) There is a report in which you the members of IOC would be interested.
This report was compiled by a group of citizens who measured air radiation levels at proposed Olympic Game sites.
(http://olympicsokuteikai.web.fc2.com/ Available also in English and French)
According to their report, at Yumeno-Shima Stadium, the proposed equestrian site, the air radiation level was 0.48 μSv/h - more than 4 times bigger the safety standard set by ICRP .(ICRP safety standard set by ICRP is 1mSv/y、or 0.114μSv/h.)
In addition, proposed sites for handball, cycling and weight lifting all recorded 0.15 μSv/h. This hourly rate exceeds the cumulative annual safety standard of 1 mSv/y set by ICRP, you cannot call Tokyo to be contamination free.
5) Mr Abe said: "there are no health-related problems until now, nor will there be in the future…I make the statement to you in the most emphatic and unequivocal way."
a) The coast of Fukushima is one of the richest seas, with marine products that are both plentiful and of high quality. Many sought their livelihood from the fishing industry in the region.
This all changed after the Fukushima Daiichi accident. With fish in the region now contaminated by radioactive material, the Fisheries Agency imposed a voluntary restraint on all Fisheries Cooperatives. As a matter of fact fishing is now prohibited in Fukushima.
(http://www.jfa.maff.go.jp/j/koho/saigai/pdf/130311_torikumigyanjyou_jp.pdf)
b) Fukushima is also a major producer of rice in Japan. In 2011, after the nuclear plant accident, radioactive contamination was found in rice from some areas of Fukushima. Since then, consumers have stayed away from Fukushima rice.
After the Fukushima accident, the government prohibited growing rice in 7300 ha of rice fields within 20 km radius of Fukushima Daiichi nuclear plant. (Before the accident, they grew rice in 80 000 ha of rice fields.)
This year the government permitted growing rice in 2000 ha of rice fields in the once prohibited areas. However only 10% of those rice fields were actually used.
This fear and hesitation among the consumers to buy agricultural products from Fukushima is not restricted to rice but extends to all products including organically farmed produce and dairy products. What good is organically grown foods if they are contaminated by radiation?
Fishermen, farmers and anyone involved in those industries are facing a crisis. Their industries are paralysed and their livelihoods have been taken away. Their plight has been brought about by the sheer fact that foods contaminated by radioactive materials are hazardous to health. This indeed is a health-related problem.
Conclusion; There is no truth in Mr Abe’s speech made at the IOC General Assembly – it is nothing but a lie.
On September 8 2013, “Asahi Shimbun and Wire Reports” reported;
IOC members said Abe's answers were crucial and helped dispel any doubts.
"People wanted to hear it and needed to hear it," Canadian member Dick Pound said. "And he delivered on that. I think that was a real knockout answer."
Tokyo won the 2020 Olympic Games hosting rights with 60 votes for Tokyo against 36 votes to Istanbul. This means 60 members of the IOC are in agreement with the above opinion of Canadian member Dick Pound.
I would like to ask those 60 members the following;
Were you not aware of the critical situation of Fukushima Daiichi nuclear plant?
If not, this makes you extremely irresponsible and negligent. As members of the IOC, you are obliged to make every effort to know the most important and serious problems of candidate host cities: the critical situation of Fukushima Daiichi, which affects the safety of athletes and the spectators who will come to Tokyo from all over the world.
If you were aware and still voted for Tokyo, you knowingly agreed to jeopardize the safety of millions of people. You are all accomplices of Mr Abe who have outright lied to the world.
The crime of negligence and irresponsibility.
The crime of complicity in Shinzo Abe’s lies.
Which are you guilty of?
Kariya Tetsu
2013/09/11 - 安部首相の大嘘 2020年のオリンピックの東京開催が決まった。
新聞やテレビで見ると日本中が大喜びしていて、めでたい、めでたい、これで日本の景気が良くなるとか、これで東北震災からの復興が早まるとか、祝賀気分一辺倒である。
新聞やテレビで見る限り、日本中が浮かれているように見える。
本当かな、と私は思う。
本当にみんな喜んでいるのだろうか。
新聞やテレビは意図的に人々を煽る。
すると、人々はその扇動に簡単に乗る。
みんながそんなに喜んでいるんじゃったら、わっちも日本人なんやから空気を読まねばならねえびゃあ。一つ喜んで見せちゃろけー。
騒ぐとなにやら浮かれて来よってからに、現実から逃避できるしのう。
んだけんど、7年後に本当に無事にオリンピックを東京で開けるんかいにゃあ。
それまで、日本が保つかちゅうとんじゃよ、本音を言うたらよおー。
てなことじゃ、ないだろうか。
今回、東京が開催地に決まったのは、安部首相の力が大きいという声が喧伝されている。
アメリカの新聞が安部首相を讃めているという記事が殆ど全ての大手新聞の電子版に乗っている。
これで、安倍首相の人気は上がったのだそうだ。
このオリンピック招致の手柄で人気を上げた安部首相は、この勢いで、憲法改定、秘密保護法の制定、などに突き進むのではないか。
大変なオリンピック効果という物だ。
しかし、IOC委員会の総会で、安部首相は飛んでもないことを言った。
汚染水問題に対して出された質問について、
1)「結論から申し上げれば、全く問題無いということであります。汚染水による影響は、福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメートル範囲内で完全にブロックされています」
と答えた。
2)その上で、
「健康問題については今までも、現在も、将来も全く問題ないと約束します」と強調した。
3)さらに、プレゼンテーション終了後、安部首相は記者団に対して、
「不安は払拭できたと思う。1部に誤解があったと思うが誤解は解けたと思う」と語った。(9月8日 新聞各紙)
私は2011年11月15日に、いわき市薄磯の採鮑組合の組合長鈴木孝史さんと、副組合長の阿部達之さんにお話を伺った。
このときのことは、最近発売された「美味しんぼ」第110巻の「福島の真実編 上」の65頁以後に書いてある。
採鮑とは、その名の通りに鮑を採ることだが、鈴木さんたちは鮑だけでなくウニも採る。
ウニ4個をホッキガイの貝殻に詰めて焼いた「ウニの貝焼き」は1個2000円で市場に売れた。
鮑は一番高い物は9000円で売れたと言う。
例年5月から9月まで40回くらいの量で10トンから11トンの水揚げがあった。
貝焼きの値段と鮑の値段から計算すると、大変によい収入になった。
その良い収入を上げることの出来た豊かな漁場というのが、お二人にお話しを伺っている薄磯の浜辺から目と鼻の先にある岩礁なのである。
浜辺から、300メートルあるかないかの至近距離である。
その辺りは海草が多く、鮑やウニの宝庫なのだという。
こんな近くでそのような豊かな漁が出来るとは、天国ではないか。
また、鈴木さんは東北のサーフィンの開拓者であって、鈴木さんは薄磯にサーフィンに来るサーファーのための店も経営していた。
薄磯は本当に豊かな浜だった。
その全てを、第一原発が破壊した。
ウニからも鮑からも高い放射線量が検出されるので、漁は禁止されている。
浜から海に入ることも禁止されている。
海の監視も厳しく、海に入ったりするとすぐに捕まるのだそうだ。
サーフィンも出来ない。
鈴木さんと阿部さんは、目の前に見えるその宝の山の岩礁を見ながら悲しげに、しかし静かに私に語ってくれた。
鈴木さんも阿部さんは、東電や政府を非難して喚いたり、泣いたりしてもおかしくないのだが、何一つ声高に言わず、淡々として事実を語る。
この冷静な所が日本人、東北人の見事な所だ。
我慢強く、節操を保つ意志が強固なのだ。
美しい姿だった。
その鈴木さん、阿部さんに比べて、安部首相は無残なまでに醜い。
嘘をつく人間は実に醜い。
安部首相は「汚染水による影響は、福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメートル範囲内で完全にブロックされています」
と言った。
汚染水は、福島原発のある港湾の外に出ていないと言ったのだ。
いわき市薄磯は福島第一原発から、約50キロメートル離れている。
その薄磯で、鈴木さんたちは海に入ることすら許されない。鮑漁もウニ漁も禁止されている。
「汚染水は福島原発の港湾内で完全にブロック」、とは一体何のことだ。
鈴木さんたちが漁に出られない、海に入ることも出来ないことを、安部首相は鈴木さん、阿部さん、そして薄磯の人達にどう説明するのだ。言ってみてくれ。
薄磯だけではない。福島沿岸の漁業はいま殆ど操業できない。
タコ、ツブなどは最近漁獲が許されていたが、今回の汚染水漏れ以後、それすら売れなくなった。
福島の沿岸漁業は昔から盛んだった。
三陸は世界でも有数の漁場で、量だけでなく質も高い。三陸の魚介類は味がよいのだ。
築地でも三陸沿岸の魚は特別の売り場が設けられ、高く売れた。
その沿岸漁業がいま出来ない。
福島原発の港湾から遙か離れた沖合で捕れた魚からも高い放射線量が測定されているからだ。
漁業関係者は早く試験操業から本格操業まで歩を進めたいと期待していた。
それが、今回の汚染水漏れで、操業開始のめどが立たなくなった。
福島の漁業は、海水の汚染のために停止しているのだ。
安部首相はどこの福島の話をしているんだろう。
どうしてこんな途方もない大嘘をつくのか。
「健康問題については今までも、現在も、将来も全く問題ないと約束します」と言うのも、これまた飛んでもないことである。
福島のあちこちで農産物、山菜、肉牛などが、高い放射線量によって食べられなくなっている。
食品の高放射線量は健康問題とは関係ないというのか。
福島の農業、畜産業の人達が苦しんでいるのは、健康問題と無縁だというのか。
風評被害もあって、福島の農産物は売れなくて福島の人達は困っている。
福島の産物が売れないのは、人々が放射性物質に汚染された食品は健康に害があると考えているだろう。
食品の健康問題は福島産の産物に限らない。
2013年6月には、千葉県江戸川の天然ウナギから、キログラム当たり140ベクレルの放射性セシウムを検出し、東京都は関係する漁業協同組合に出荷の自粛を要請した。
これは健康問題ではないのか。(東京に天然ウナギを食べさせる素晴らしいうなぎ屋があるが、そこの天然ウナギは江戸川からも持って来ていた。あのうなぎ屋は困っているだろう。私のようなウナギ好きの人間にとっては、口惜しく情けなく悲しいことである)
静岡のお茶からセシウムが基準値以上の値検出されたこともある。
食品の健康問題は福島県に留まらない。
「健康問題については今まで、問題がなかった」とは、それが日本という国を動かす首相の言うことか。
首相でありながら日本の国の現状を知らないというのか。
さらに、その発言後のインタビューで「不安は払拭できたと思う。1部に誤解があったと思うが誤解は解けた」とは何事だ。
安部首相は本気で福島第一原発について「不安」はないと考えているのか。
福島第一原発に対する不安は「誤解」による物だと言うのか。
安部首相のIOC総会での発言は、大嘘である。
安部首相は国際社会に対して大嘘をついた。
それも、誰にでもすぐに分かる大嘘だ。
こんな飛んでもない大嘘を平気で言う安部首相の神経はただ事ではない。
IOCの委員や、其の場にいた報道陣がこの安部首相の嘘を追及しなかったのは、オリンピック招致というお祭り騒ぎのご祝儀と言う物だろう。
ご祝儀は一時的な物だ。
これから先、この嘘を世界中が追及することになるだろう。
その時に安部首相は大いに困るだろうが、私達国民はもっと困るのだ。
外国人に日本と言う国は大嘘つきの国だと思われて、私達日本人も大嘘つきだと思われる。
安部首相はプレゼンテーション後のインタビューで「新聞のヘッドラインではなく事実を見てくれ」と言った。
よくもまあ、こんなことを恥ずかし気もなく言えた物だ。
事実を見なければならないのは、安部首相本人だ。
2013/09/04 - 福島第一原発の汚染水漏れ ちょっと長い間、この頁から遠ざかっていたが、その理由を話し出すと長くなるし辛いので、それは省いて、不在はなかったことのようにしてこれまでの調子のまま書くことにする。
で、またまた、福島第一原発の話である。
私は4月5日に福島第一原発の敷地内に入った。
入ったと言っても、東電が仕立ててくれた小型バスに乗って敷地内を回るだけで、バスから降り立つことは許されなかった。
それでも、実際にこの目で原発敷地内を見ることの意義は大きかった。
一番心を打たれたのは、大勢の人々が原発が安全にこのまま収まるために力を尽くしていることだ。
東電の職員の方たちを始め、作業員の方たちが、私から見れば献身的と思える仕事をされていることに、深い感銘を受けた。
ただ有り難いとしか、原発で働いている方たちに言う言葉はない。
日本を破滅に追い込む可能性もある今回の不始末の責任は東電本社の首脳陣にある。
補助電源を津波に備えて高いところに移す案を費用がかかるからと採らなかったことなどその最たるものだ。
先頃亡くなられた吉田前第一原発所長や、週刊朝日に連載されていた「最高幹部」の話を読むと、遠く離れて東京にいる東電の首脳陣は福島原発の実際に疎いように思える。
今回明らかになった重大な汚染水漏れの問題も、現場の責任ではない。
タンクの構造自体がやわだったからだが、請負った業者は東電が費用を抑えたので仕方がなかったと言っている。
作りを見て驚いたのだが、鋼板をボルトで留めて鋼板と鋼板の間にパッキングをいれて水の漏れを防ぐ形になっている。
ちょっと待ってくれ、そんな簡易の作りのタンクがいったい何年保つと言うんだ。
原子炉という物は、安全に何事もなく何十年かの運転を終わって、更にまた何も問題なく廃炉の過程を進めても最低で30年かかる。
それが、福島原発のように、メルトダウンした燃料が今どうなっているのかも分からず、冷却装置も働かない状態では、完全な廃炉状態に持って行くまでに30年では収まるまい。
汚染水処理システムが水漏れのために使えず、原子炉を冷却するために掛け続けている海水の汚染を除去できないので海に流せない。
仕方がないのでタンクを作ってその汚染水をため込んでいるわけだ。
いや、その汚染水処理施設という物(ALPS)も、最初聞いたときにはこれで汚染水問題は片付くと期待したのだが、なんとALPSは例え完全に動いたとしても、60種類ほどの放射性物質は取り除けるが、トリチウムだけは取り除けない(原子力規制委員会の文書から)。
福島原発に溜まる処理水には排出が認められる法定限度の38倍のトリチウムが含まれている(2013年3月10日、東京新聞)。
東京新聞の報じたこの数字が正しいなら、ALPSで処理してもそのトリチウムは取り除けず残るとなると、結局汚染水は海に流せないではないか。
これを知ったときには、私は力が抜けた。
さんざん、除染装置だなどと、気を持たせておいて、一体それは何なのか。
結局汚染水は何をしても海に流せず、タンクにためるしかないではないのか。
となると、この汚染水は何十年間も海に流せない。トリチウムの半減期は12.32年。今の汚染水の中のトリチウムの放射線量が法定限度にまで下がるまで何年掛かるか、閑な方は計算してみてください。
そのタンクがこんなにやわな作りでは、とてものことにそんなに何年も保つわけがない。製造した会社は、「タンクは工期も短く、金もなるべく掛けないで作った、長期間耐えられる構造ではない」と言っている。
そんな物、なんの役に立つと言うのか。
一体東電の首脳は何を考えてこんなやわなタンクを作ったのだろう。
それとも、トリチウムの汚染くらいは無視して、法定基準の38倍の汚染水を海に流してしまおうというのだろうか。
4月5日に原発敷地内入って驚いたのは、そのタンクの数である。
以前、新聞の写真や、テレビの映像などで見た情景とは大違い。
タンクが敷地内にびっしりと言って良いほど立ち並んでいる。
毎日大量に掛け続けている海水を海に流せないから、それをためておくタンクをどんどん増設しなければならないのは当たり前の話なのだが、それにしても、実際にあのすさまじい数のタンクを見た時にはたじろいだ。
今回タンクが水漏れを起こしたのは地盤沈下による物だという。
最初に設置した場所で地盤沈下が起きたために解体・移設し、使い回した物で、地盤沈下によって鋼材がゆがみ、接合部から漏洩した可能性がある、と東電は認めている。
原発が簡単に地盤沈下するようなもろい地面の上に建っていると言うことがそもそも根底から間違っている。
東電の提供した写真をみると、設置されたタンクの基礎部分の地面に地盤沈下でひび割れが入っているのが分かる。
一つ一つのタンクは、しっかりした基礎を打ってその上に建造するのではなく、地面の上にのせてあるだけだ。
実に安易なやり方ではないか。
簡単に地盤沈下するような土地であれば、地震が起きたらどうなるか。
やわな地盤の上にやわな作りのタンク。
ちょっと大きな地震が福島原発を襲ったら、あんなやわなタンクはひとたまりもない。倒壊するか、倒壊しないまでも、鋼板がずれて中の汚染水は外にあふれ出るだろう。
毎日増え続けて8月末で1000基あると言うタンクの中の汚染水が原発敷地内にあふれ出たら、これは一巻の終わりだ。
この間に漏れた汚染水は300トン。
この汚染水は一リットル当たり8000万ベクレルの放射性物質を含んでいる。
1トンは1000リットル。
で、計算してみよう。
300×1000×8000万ベクレル=24兆ベクレル。
これは恐ろしい。
京都大学の小出裕章氏は「広島の原爆の放出した放射能は24兆ベクレルだ」と言う。
タンク1基は1000トンの容量である。1つのタンクの汚染水の3分の1だけで、広島原発に相当する放射性物質を含んでいる。
8月末現在で、タンクで保管している汚染水の総量は43万トンと東電は言っている。
これが地震で1000基あるタンクが幾つも壊れて汚染水が外にあふれて出たら、これはだれも手も足も出せない状況になる。
高濃度の汚染水につかった敷地には人が立ち入れない。
人が立ち入れなければ、現在続けている原子炉の冷却作業も続けられない。
冷却を続けなかったら原子炉はどうなるか。
メルトダウンした燃料も問題だが、例えば4号機の使用済み燃料はどうなるか。
久木田豊・原子力安全委員会委員長代理(2011年3月当時)は「燃料が溶けて、さらに火災が起こってプールの底が抜けてバラバラっと燃料棒が落ちていく。それが最悪」と言っている。
そうなると、ますます原発敷地内に入ることは難しくなるどころか、放射性物質は首都圏まで及ぶという。
東京にも人は住めなくなる。私の家のある神奈川県も駄目だ。
悪いことは次々に重なる。
さらに・・・・・。
この先話を進めていくと、途方もないことになって心も凍えてくるからこの辺で止めるが、実は途方もないことが何時起こっても不思議ではない状況なのだ。
起こりうる事態を考えればこうなると言う理性的な話なのだ。
今の日本は、福島原発に関しては、感傷におぼれていて、理性的に危険を指摘すると、「いたずらに人心を煽ることはやめろ」と言う声が強くなる。
そう言う人は、福島の原発事故が起こる前にも、原発事故の危険性を指摘すると、やはり「いたずらに人心を煽るな」と言っていたのだ。真実を認めることが出来ない人達が、いや、真実を押し隠そうとする人達が、目の前の欲に駆られて、真実を語ろうとする人間を排除し続けているのだ。
福島第一原発に話を戻すと、私は第一原発を見て回って、「何もかも応急処置だ」と思った。
廃炉にするまで30年以上かかるという現実にそぐわない、その場限りの応急処置が取られていると見た。
タンクの数が凄まじい数に増えていることもその1つ。
タンクに汚染水を移送するパイプがもう一つ。
このパイプについては、この頁で、2011年9月19日に、「福島第一原発の汚染水処理施設の現実」として取り上げている。
汚染水移送パイプが何本ももつれるように敷地内をうねうねと這っている状況を、週刊朝日に掲載されていた写真で見て、非常に危険だと考えたのだ。
今回、原発の敷地で実際にそのパイプを見て、私はますます危機感を強くした。
そのパイプは、そこらにある一般に使われているビニールパイプと同じで、放射線に強い特別な材料で作られていると言う物ではない。
私は、これから使用するために準備されている新品のパイプが積まれている所を見たが、肉も薄く、材質もやわな感じで、本当に普通のビニールパイプだった。
以前、雑草がこのビニールパイプを突き破って地面からパイプの上まで伸びて、それで水漏れ事故を起こしたことがあったが、雑草に突き破られるようなパイプを汚染水移送に使うとは、東電はどう言う安全感覚を持っているのだろう。
タンクもやわだし、タンクに汚染水を運ぶパイプもやわだ。
信じられないことだが、一番危ない急所の部分に恐ろしく脆い物を使っている。
東電は何を考えているのか。
今度の汚染水漏れの件から見て、東電はもう自分で物事を解決する能力も気力もないのではないか、と思う。
私が原発に入った直後、地面に掘った汚染水をためる地下貯水槽7基が水漏れしていることが分かって、その中の汚染水をタンクに移した。
その地下貯水槽なる物はどんな物だったか。
地面に穴を掘ってその穴の表面をビニール・シートで覆ってそこに汚染水をためると言う物だった。
ところが、そこに使われたビニール・シートが一般用に使われている物で、放射線に対して特別に対策を施した物ではなく、しかも、シートとシートの継ぎ目から水が漏れた。
それを聞いて、私は「東電にまかせておいては駄目だ」と思った。
たまる一方の汚染水には、私は以前から危機感を抱いていた。
それが現実の物になってしまった。
これから先、福島はいや日本はどうなるのか。
2013/05/16 - 橋下氏が我々に与えた屈辱 今回橋下氏が言ったことを、筋道立てて書くとこうなる。
「兵士の性(的問題)をどうコントロールするかはいつの時代も軍のオペレーションとして最重要課題だ」
「当時は日本だけじゃなくいろんな軍で慰安婦制度を活用していた。あれだけ銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、そんな猛者集団というか、精神的にも高ぶっている集団は、どこかで休息をさせてあげようと思ったら慰安婦制度は必要なのはこれは誰だってわかる。」
「人間に、特に男に、性的な欲求を解消する策が必要なことは厳然たる事実。現代社会では、それは夫婦間で、また恋人間で解消することが原則になっているが、時代時代に応じて、様々な解消策が存在した。日本以外においても軍人の性的欲求不満解消策にいわゆる慰安婦が活用されていたのは事実」
「慰安婦制度じゃなくても、風俗業っていうものは必要だと思う。だから沖縄の海兵隊・普天間に行ったとき、司令官に「もっと風俗業を活用してほしい」と言った。
「いわゆるそういう性的なエネルギーを合法的に解消できる場所は日本にあるわけだから、もっと真正面からそういう所を活用してもらわないと、海兵隊の猛者の性的なエネルギーをきちんとコントロールできない」
一方で橋下氏は、こうも言っている。
「法律上認められる風俗も、買春ではない。
「風俗=買春とは世間知らずだ」
それでは、「海兵隊の猛者の性的なエネルギーをきちんとコントロールできない」ではないか。言うことのつじつまが合わない。世間知らずは誰だ。あるいは、世間知らずのふりをしているのは誰だ。
橋下氏の言いたいことは、簡単に言えば、こうなる。
「兵士たちに慰安婦は必要である」→「軍人の性的要求不満解消にいわゆる慰安婦が活用されていたのは事実」→「だから、沖縄の海兵隊は風俗業を活用すべき」
結局「沖縄の風俗で働く女性を米軍海兵隊の慰安婦にしろ」と言っているのだ。
橋下氏は、自分の姉であり、妹である沖縄の女性を、外国の兵士の性欲の発散道具に差し出すというのだ。
歴史上、どんな国であれ、自分の国の女性を外国兵に差し出すという、情けない発言をした人間はいないだろう。
風俗で働く女性たちに対する最悪の侮辱、日本国民に味わわせた最大の屈辱だ。
2013/05/06 - 「在特会」の本質 《この二つ前のページにも「在特会」の事を書いてあります》
ヨーゼフ・ロートと言う作家がいる。
1894年に現在のウクライナに生まれたユダヤ人で、ベルリンなどでジャーナリスト、作家として活躍したが、1933年にヒットラーが政権を握ってからパリに亡命し、1939年に亡くなった。
ホロコーストで分かるとおり、昔からヨーロッパでのユダヤ人差別はひどかった。
同じ人間なのに、他のヨーロッパ人はユダヤ人を人間扱いしない。
ロシア、東欧ではポグロムといって、ユダヤ人をただユダヤ人と言うだけで虐殺することが頻繁に起こっていた。
そのように、厳しい差別を受ける側で育ったから、ヨーゼフ・ロートは人種間、民族間、人間間の差別に敏感で、差別の愚かしさ、意味のなさ、下らなさ、醜さについて色々と書残きしている。
ヨーゼフ・ロートの「放浪のユダヤ人」というエッセイ集(平田達治/吉田仙太郎 訳。法政大学出版局刊)の中の「反キリスト者」というエッセイを読んでいると、ところどころ、これは「在特会」の人々の本質をそのままえぐり取って私達に示している、と思われる箇所がいくつかあった。
ヨーゼフ・ロートが亡くなったのは1939年。
現在2013年。
74年前に亡くなったヨーゼフ・ロートの言葉が当てはまるというのだから、「在特会」の人々の本質は時代錯誤の典型というか、もう21世紀になっているのに、正しい人間であれば容易に乗り越えることの出来るわずかに低い土手に足をすくわれて、人間外の世界に転がり落ちて人間としての資格を失い、人外魔境をさ迷っている人たちなのだと私は思わざるを得ない。
では、ヨーゼフ・ロートはどんなことを言っているのか、それを、「在特会」の方々のためにも紹介したい。
ただ、ここで問題があって、ヨーゼフ・ロートは正統派ユダヤ人の家庭で育ったので、彼の書くものは正統派ユダヤ人としての信仰が思想の中心になっていることは否めない。
私は、ヨーゼフ・ロートの憎む「無神論者」である。
ヨーゼフ・ロートは神の存在を当然のものとしていて、かなりの部分宗教談義に費やされて辟易するが、無神論者の私でもしっかり共感できる人間社会に対する鋭い洞察と、分析を示してくれるので、ヨーゼフ・ロートとの言いたいことはしっかり私の心に届き、私はヨーゼフ・ロートの言葉を自分の助けになるものとして、使わせて貰おうと考えているのだ。
ヨーゼフ・ロートはユダヤ人であって、ヨーロッパのユダヤ人差別に苦しむと同時に、自分を差別する側の人間が如何に人間として劣った存在なのか、書き記してきた。
次に、私が今回ヨーゼフ・ロートのエッセイ集を読んだ中で発見した、「在特会」の皆さんに当てはまると思われる文章を選んでみた。
ヨーゼフ・ロートの文章は宗教色に染まっていて、とてもそのままでは読めないので、無神論者の私が、ヨーゼフ・ロートの真意を曲げないように、宗教色だけを取り除いてアレンジしてみた。(宗教色を取り除いたり、アレンジしたり、それではヨーゼフ・ロートに対する冒涜だと言う声も聞こえてくるが、ヨーゼフ・ロートは真実に命をかけた人間であり、私もヨーゼフ・ロートの思想の核をしっかり掴んでいるので、私のすることを大目に見てくれると信じる。私がヨーゼフ・ロートと共有しているのは、この世の真実である。その点で、ヨーゼフ・ロートは私に祝福を与えてくれるに決まっている)
《これから書く文章は、上記の「反キリスト者」を利用させて頂いた》
1) ヨーゼフ・ロートの言葉と思想を借りて、私が「在特会」の皆さんに言う。(言葉を借りる、と私が言っていることに注意して下さい。ヨーゼフ・ロートの言葉そのままではなく、ヨーゼフ・ロートの言葉を借りて、それをアレンジして、結果として私の言いたいことを言っているのです)
『在特会』の方々は、韓国人・朝鮮人に対する憎しみを糧に生きているのです。
韓国人・朝鮮人に対する憎しみで、この憎しみだけで自分たちの心を満たしていらっしゃる。
そして、この憎しみを人々の間に広めている。
これは簡単なことで、今の世の中、怒りの炎がみんなの胸の底に、特に若い人たちの胸の底に眠っている。
それは、韓国人・朝鮮人に関係がない。
安い給料、不安定な雇用条件、結婚すらままならない未来への希望の欠除、そのような苦しい環境にある人間・若者たちの心に、既に現状に対する不満と怒りの感情が漂っている。
怒りが破裂しかけて、火の粉もちらほら舞って、何かきっかけがあれば引火して怒りが爆発する。
そのような人々に、『在特会』の皆さん方が、これが憎むべき対象だと韓国人・朝鮮人を指し示して、大声で喚いて憎しみをあおり立てれば、怒りの感情を既に臨界点に達するまで抱え込んでいる人たちは、事の善悪を深く問うことをせず、目先の鬱憤晴らしの快感に誘惑され誘い込まれるのです。
それまで、韓国人・朝鮮人に対して悪意すら抱いていなかった人たちまでもです。
2)さらに、ヨーゼフ・ロートの言葉と思想を借りて「在特会」の皆さんに言う。
わたしはこれまでも悪人を沢山見てきました。しかし彼らの悪は人間的な悪でした。
彼らにはそれぞれ騎士道の精神が残っていたのです。彼らの心の愛情や善意がすべて死に絶えたときでさえ、なおもそこから正義心が現れ得るあの人間の特性です。
でも、『在特会』の皆さんの場合にはそんなことは全くあり得ませんね。
若い人たちを扇動して、韓国人・朝鮮人を憎む気持ちをかき立てる、そう言う『在特会』の皆さんは、通常の憎しみを抱く人間よりはるかに悪い人間です。騎士道の精神を欠いた憎悪者です。
3)ここからは、私自身の言葉。
私は、これまでに色々な国を旅した。
欧米で、これまでに数回、「あ、私は今人種差別をされているな」と感じたことがある。
あからさまに、不当な扱いをされたこともある。
その時、私を差別している人間の顔を見て強く感じた。
「人種差別をしている人間の顔は大変に醜い」。
無惨なほどに醜い。
それを何度か経験して、私は人種差別だけはするまいと心に深く思っている。
それは、差別された人の立場を考えることも第一だが、自分の顔と心が醜くなっている事を強く恐れるからだ。
人種差別をしている人間ほど醜い顔をしている人間はない。
韓国人・朝鮮人を口汚く罵っているときの「在特会」の皆さんの顔を見れば分かるでしょう。
何故「在特会」の皆さんの顔が醜いか。
その理由は、「在特会」の方々が人間としての誇りを失っているからです。
人間としての誇りが少しでもあったなら、あのように汚い言葉で罵ったり、あのようにぶざまな振る舞いが出来る訳がない。
人間としての誇りを失ったら、最早人間ではない。
「在特会」の方々はどうして人間としての誇りを失ってしまったのか、考えて見ましょう。
《ここから、再び、ヨーゼフ・ロートの言葉を借りる》
ある特定の民族を、他の民族と区別して、あの民族は変わった特異な民族であると言うことは出来ません。
韓国人・朝鮮人を日本人と区別して、韓国人・朝鮮人は日本人と変わった民族だと言うことは出来ないのです。
人間はまず何より人間なのです。あらゆる人間は互いに異なっているよりも、むしろ同じであるという自明の真理が全世界において、この地球上のすべての言語でもって語られるべきです。
その真理が語られない限り、民族の類似性、同一性をさしおいて、それぞれの民族の違いを言い立てるのは罪であると思います。
確かにいろいろな人種や民族の間に違いもあります。
しかし、その違いは、民族と民族、人種と人種を結びつける類似性、同一性よりもずっと小さいのです。
もし私が日本人の特殊性だけを強調し、韓国人・朝鮮人との類似性を強調しなかったら、私は不正を犯すことになると思うのです。
《ここからは、私の言葉で。》
「在特会」の皆さんが、人間としての誇りを失ってしまったのは、韓国人と朝鮮人に対する憎しみだけで心を満たし、そのほかには何も無い空っぽの心で、上記の「罪」と「不正」を犯し、しかも自分たちがその「罪」と「不正」を犯していることに気づくことなく、人種差別行為を行っているからなのだ。
的外れの憎悪以外は何も無い空っぽの心。
無惨とか悲惨とか言うのは「在特会」の皆さんの心を表現するための言葉だったのだ。
「在特会」はまことに、無惨で悲惨で醜い存在である。
2013/05/05 - Fマリノス、アントラーズと引き分け、でも楽しかった。 《この直前の回に、「在特会」についての書き込みをしてあります。そちらもお目通し下さい》
5月3日 Fマリノス対アントラーズ戦、楽しんできた。
流石に対アントラーズ戦ともなると、人気がある。
入場者数は4万人を越えた。
私と、友人夫婦、連れ合いの甥、の五人組である。
そもそも、この友人「と」が私をサッカーに引き込んだ張本人である。
1998年、当時日本の航空貨物会社のロンドン支店に勤務していた「と」が、ワールドカップ、フランス大会に誘ってくれた。
私は、一旦ロンドンに行き、そこから日帰りでナントでの全日本対クロアチア戦を見に行った。
日本代表が初めてワールドカップに出場した記念すべき大会である。
その時、日本は、1-0で、クロアチアに負けた。
負けた後、競技場から駐車場までの長い道のりを歩くときの悔しさ・辛さと言ったら無かった。
それ以来、私はワールドカップは南アフリカ大会をのぞいて欠かさず観戦に行っている。
南アフリカ大会は、開催地が南アフリカと決まった段階で、行くのを止めた。
あの国で、ワールドカップを開くべきでないと思ったからだ。
次回ブラジル大会は絶対に行く。
さて、その「と」であるが、競技場で席に着いてから、飛んでもないことを告白した。
アントラーズのサポーター席側の、競技場のフェンスを見ろと言う。
見たら、なんと、ゴールのネットの裏のフェンスに「と」の会社のロゴが表示されているではないか。
「と」の会社は、アントラーズのスポンサーだったのである。
「ここに、裏切り者がいた」と私が騒いだら、「と」は「それは、アントラーズの元々の親会社が自分の会社のお得意様なので、会社としてお得意様の顔を立ててスポンサーになったのであって、私自身はマリノスを応援しますから」というので、許してやった。
試合は、最初にアントラーズに先制され、そのまま、アディショナル・タイムまで、マリノスは無得点、日産スタジアムは重苦しい空気に包まれた。
しかも、アディショナル・タイムになって、FWのマルキーニョスを下げて、DFのファビオを入れた。
私達は、「どうして、この期に及んで、FWを下げてDFを入れるんだ」といぶかったのだが、なんと、交代してすぐにファビオが同点ゴールを決めたのだ。
中村のFKをゴール前で、マリノスとアントラーズの選手たちが、まるでオットセイの曲芸のようにヘディングでぽんぽんとついて回し合い、最後にアントラーズの4番山村だと思うが、矢張りヘディングで後方にクリアしたかと思ったところにファビオがいた。
クリアしたと思ったボールを捉えて見事なボレー・シュートでボールをゴールに蹴り込んだ。
その時の、日産スタジアムの騒ぎと言ったら、凄かったね。
アントラーズに点を取られたときには、アントラーズのサポーターは驚喜して騒いだが、四万人の観衆の内、アントラーズのサポーターが1万人近くいたとして、残りの3万人以上のマリノスファンは、悲鳴を上げた人達をのぞいてしんと静まって声もなかった。
沈痛なという形容が当てはまるような静まりかえり方だった。
それが、もう駄目かと半ばあきらめかけたアディショナル・タイムにファビオが得点してくれたものだからたまらない。
それまで92分の鬱憤が一気に吹っ飛び、喜びが爆発した。
私も立ち上がって両手を高く突き上げて、大声で喚きました。
競技場が爆発しましたね。
いやあ、勝てなかったのは残念だが、最後に同点にしてくれて良かった。
ファビオも前回甲府戦でのクリア・ミスで同点にされた失敗をこれでチャラに出来て良かった。
勝てなかったが、この試合、中村俊輔の素晴らしい技に魅せられた。
「と」夫婦も、私達夫婦も、甥も、中村の凄い技を見られただけで今日観戦に来た甲斐があったと言い合った。
中澤もよく働いた。
中澤がいれば守りは絶対に安心。
Bomberとしての得点はなかったが、とにかくいてくれるだけで、安心という存在は大きい。
逆に言うと、中村俊輔と中澤佑二がいなかったらFマリノスはどうなるのか、それが心配だ。
今回のマリノスのサポーターは応援を途切れさせる事なく、勢い良く続けてくれて有り難かった。
ただ、前回注文を付けた観客席との連帯だが、これは日本のサッカー風土のせいなのだろう。観客がサポーターと一緒に声を合わせて声援することの楽しさを日本の観客は知らないのだ。
Western Sydney Wanderersのサポーターたちは、観客に応援を促す。「さあ、左側の客席の人たち、行こうぜーっ!」と呼びかける。
観客もその呼び声に答える。
サポーターたちは「今度は右、左」という具合に観客に声をかけるが、それも最初の内だけで、そのうち会場全体が自分たちからサポーターに同調して激しい応援をサポーターの音頭の元に休みなく繰り広げる。
それは、観客として楽しいもので、試合を見る楽しさに加えて、思い切り声を上げて応援する快感を味わえる。
私達も実は、Western Sydney Wanderersの試合を観戦に行くときには自分たちもその応援の熱狂に加わる快感を味わうのが、楽しみなのだ。競技場全体が一つになって大声で歌い、声援を送るのは実に気持ちがよい。
この快感を日本の観客が知らないのはもったいない。
マリノスのサポーターの皆さん、なんとか競技場全体の観客を巻込む手段を考えて頂けませんか。
競技場全体がサポーターと一緒に声合わせて応援すると、これは観客に観戦の楽しみを更に盛り上げる喜び・快感を与えるし、選手たちも盛上ると思う。
今回、アントラーズのサポーターも良くやった。
試合開始1時間半前から、競技場の外まで聞こえる応援を始めていた。
鹿島から良くもあれだけ大勢のサポーターが来てくれたものだ。
そのお礼に、私と「と」は、こんどは鹿島のホームにマリノスとの試合の応援に乗込もうと計画している。
アントラーズには小笠原がいるんだもんなあ。
マリノスの攻撃を小笠原は実に見事に潰してくれた。
そして、キーパーの曽ヶ端がやはり凄かった。
敵ながらあっぱれと言うしかない働きをしていた。
まあ、あの試合、引き分けに持込んだの大収穫だ。
まだ1位の大宮との差は、勝ち点3、勝ち数差は1。
今期は、このままばりばり勝ち進んで、必ず優勝だ!
私も、去年なり損なったファンクラブの会員にもなったし、これからもFマリノスと一緒に頑張るぜ!
帰りは、関内の「横浜おいしんぼ横町」の「登良屋」で夕食。
ここは天ぷら屋なのだが、魚が凄い。
かつお、しまあじ、わらさ、の刺身、キンキの煮付け、を天ぷら以外に食べたが、その刺身が驚くべき美味しさ。新鮮で香りも味も良い。まるで、どこか、漁港前の店で食べるみたいに新鮮だ。
一切れの厚さが、普通の高級料理屋の三倍はある。
その切り身の角が、ピンと鋭く立っている。
魚が新しく、料理人の腕が確かな証拠だ。
味噌汁も、出汁は煮干しで取ってある。化学調味料の味などしない。
全てに実に美味しい、たいした店だ。
サッカーで楽しんで興奮して、美味しい物を食べて更に幸せになる。
楽しかったなあー。
2013/05/04 - 「在特会」に自分の人権を主張する権利はない いやはや、余りのあほらしさに笑ってしまいましたね。
何がそんなにあほらしく、笑えるかって、それは、在特会(在日外国人の特権を許さない市民の会)が日本弁護士連合会に人権救済を申し立てたことですよ。
その言いぐさが素晴らしい。
最初は、冗談だと思ったが、どうやら本気らしい。
もっとも冗談は本気で言うから面白いのだ、と言う説もある。
在特会は、次のように申し立てている。
「許可を得たデモであるにもかかわらず、デモに抗議する人たちから暴行・妨害を受けたこと、「ヘイト」「レイシスト(人種差別主義者)」などと決めつけられたことが、人権侵害に当たる」
幼児が大人の口まねをしてトンチンカンなことを言って大人を笑わせることってありますよね。
在特会の方々は皆さん成人されているだろうに、言葉だけは大人の言葉を使っているが、言っていることが幼稚園生以下の幼児のようにめちゃくちゃなので、つい吹き出してしまう。
ただ、幼稚園生以下の幼児はまだこれから成長するので、その物言いがおかしいと言って笑っても、その笑いは心を温かくする笑いだ。
私の子供たちも、幼いときには、トンチンカンなことを言って私達を笑わせてくれた。子供たちが成長した今となっては、そのトンチンカンな物言いを家族の集まりの時に持出して、「こんなことを言ったな、あんなことを言ったな」と、皆で楽しく笑い合っている。
しかし、「在特会」の場合はそうは行かない。
あの方たちも、あるとき、ふと自分の醜さに気がついて、真人間に戻るときがあるだろうと期待するが、今はそうではない。
鋼鉄製の鋳型のような物を頭にかぶり、その鋳型のような物が頭をぎりぎりと締め付けるので、深く物事を考えられず妄想だけが頭を埋め尽くし、その妄想ゆえに苛々して意味もなく攻撃的になる。
また、一方向しか見えず、しかも見る物が全てゆがんで見える眼鏡をかけているので、物事の真実が見えず、目の前の現実が全て自分の妄想に合わせてゆがんだ形に見える。
「在特会」の方々には早く真人間に戻って、そのような妄想の世界から抜け出して貰いたいのだが、今はまだ妄想の世界にどっぷりとつかって狂騒状態にある。
そのような状態にある方々の言葉は、いくら幼児の言うことのように滑稽だからと笑って見過ごしてはいけない。
早く、「在特会」の方々に妄想からさめて真人間に立ち戻って頂くためにも、その「申し立て」の滑稽さを指摘して差し上げなければなるまい。
申し立ての第一項、
「 許可を得たデモであるにもかかわらず、デモに抗議する人たちから暴行・妨害を受けたこと」
と言うのがまず滑稽だ。
「許可を得たデモ」なら、お上からお許しを頂いているから、天下御免で何をしても、言っても良いと言いたいらしい。
「在特会」が、デモの最中に自分たちに反対する人間を指さして、警官に「あいつを捕まえろ」と命令口調で言うのを見たことがある。
警官たちは、「在特会」に背を向け、「在特会」に反対する人達に立ち向かう。「在特会」に抗議する人達から「在特会」を守ろうとしている。
しかも、警官(公安警察)は「在特会」側に立ち、「在特会」に反対するデモに参加している人の写真を盛んに撮る。
何のために写真を撮るのだろう。
公安が写真を撮るのは、犯罪者の特定に使用するためだと思うが、「在特会」に反対する人々は、警察にとって、犯罪者あるいは犯罪者予備軍なのだろうか。
勝手に写真を撮って、肖像権はどうなるの。
これから明らかなのは、公安にとって、「在特会」より、「在特会」に反対する人達の方が公共の安寧秩序を破壊するものとして、公安警察による取り締まりの対象になると言うことだ。
「在特会」のように公共の安寧を明らかに破壊している「在特会」を取り締まらずに、それで一体何の「公安警察」なのか。
小沢一郎氏は裁判で無罪になった後、検察審議会によって二度も訴えられた。
小沢一郎氏を政治活動から遠ざけるための陰謀でしかないが、その際の審査申立人は、在特会の会長であり、その会長本人が検察庁特捜部に色々教えて貰っていることを自分で自分のブログに書いている。
(詳しくはこの私のブログの、2010年5月4日「この『市民団体』とは何者だ」をご覧下さい)
在特会とお上の関係は大変に良いらしい。
だから、「許可を得たデモ」などとお上の権威にすがるようなことを書くのだろう。
安田浩一氏の「ネット愛国 在特会の『闇』を追いかけて」という本は、「在特会」だけでなく、その周辺の類似の団体(私は日本に、「在特会」以外に、これだけ嫌韓・嫌中をあおり立てる団体が幾つもあることを知って驚いた)についても書いているが、その中の団体の一つの指導者は「公安から金を貰っていた」とはっきりと安田氏に語っている。
「在特会」も公安からお金を貰っているかどうかは知らない。
しかし、「在特会」に反対するデモをする人達から「在特会」を守るような姿勢をあからさまに見せ、反「在特会」の人達の写真を撮りまくる公安の姿と、小沢一郎氏に対して検察のした事とを合わせると、この国の、「検察」「警察」と「在特会」は良い関係にある事が分かる。
こんな情景を思い浮かべる。
子供「ざ」がいるとする。
「ざ」は他に大勢の子供たちを集めて、自分たちの気にいらない子供たちにいじめを仕掛ける。
その余りのあくどさに、見かねた人が「ざ」をたしなめると、「ざ」は自分を甘やかしてくれる力持ちの男にしがみついて「あいつらがボクチャンのこといじめるの」と泣く。
すると、力持ちのおじさんは「安心しな、わしらが守ってやるから」と言う。
「許可を得たデモ」なのに、妨害された、と言い立てる在特会の幼児性はあまりに滑稽だ。
在特会の「許可されたデモ」のおかげで被害を被っているのは在日韓国人・朝鮮人だけではない。
日本人自身が困っているのだ。
東京の新大久保は大阪の鶴橋、桃谷と並ぶコーリアン・タウンのある場所だ。
私の母は86歳だが、77歳を過ぎて初めて韓国に行った。
それまで韓国料理を食べたことがなかった母が、最初の日から韓国料理が好きになり、それ以来外出して昼食を取るときには必ず韓国料理の店に行って、ビビンバを食べる。
80歳を過ぎて、2度目に私が韓国に連れて行ったときには、ソウルは昔からのなじみの町のように生き生きと歩き回り食べ回っていた。
その母が新大久保に行って見たいと言う。
私の姉も韓国料理が好きで、新大久保にも何度か行っている。
ここ数年新大久保に行っていない私に新大久保の最新情報を教えてくれる。
「新大久保は美味しい韓国料理の店や、韓国雑貨の店が沢山あって、韓国人は親切だし、とても楽しいところよ」と我がことのように自慢する。
母が新大久保に行くとしたら当然姉に連れて行って貰うことになるが、その姉が尻込みしている。
「最近の新大久保は、大声で乱暴なことを喚いて道を通る人まで脅かす暴力団のような連中が来るから、怖くて、気持ちが悪くて、とても厭な感じ」
だから、今、母を新大久保に連れて行けないと言う。
こんな事を書くと「在特会」の皆さんは、してやったりと思うのでしょうね。
「日本人が新大久保の韓国人外に行くのを食い止めたぞ」とね。
しかしね、韓国料理店に食材をおろしているのも、韓国料理店で働いている人達も、韓国料理店に行く人も、その圧倒的多数は日本人である。
「在特会」の衆よ、あなた方の「許可を得たデモ」で、精神的に経済的に一番損害を被っているのは日本人なのだよ。
「許可を得たデモ」であれば、他の人間の人権を害しても、他の人間に精神的、経済的損失を与えていいというのかい。
そう言う悪質なデモは妨害するのがまともな市民の義務なんですよ。
「在特会」のデモはお上から許可を得ているようだが、我々市民は許可できないんだよ。
自分たちが、多くの人に害をなしておいて、その害を防ごうとしている人達が、「在特会」の方々の人権を侵害していると訴えるとは、滑稽だ。
「在特会」の皆さんは大変に勉強家で頭の良い方たちがそろっていると言うことだからこのくらいは、分かるだろう。他人の人権を害している人間に人権は認められないんだよ。
あのような他人の人権を破壊するデモを始め、「殺す」とか「つるす」など、殺人予備罪、殺人教唆罪、殺人未遂罪、脅迫罪、などに当然問われるべき凶悪な言葉を他人に向けて浴びせかけた段階で、「在特会」の皆さんは人権を自ら放棄したものとみなされるのは覚悟の上のはずだ。
あなた方には人権は認められない。
繰返すよ。
他人の人権を害している人間に人権は認められない。
「在特会」の皆さんが、韓国人・朝鮮人の人権を害する行為を妨害する反・「在特会」の人々は正しい。
訴えの第二項、
「『ヘイト』『レイシスト(人種差別主義者)』などと決めつけられたことが、人権侵害に当たる」
これも、滑稽だ。
「ヘイト」という言葉を単独で使うと「憎悪、憎しみ」という意味の名詞でしかないので、「ヘイトと決めつける」という言い方は文法的につながらない。
幼稚園児の言うことだから、そのへんてこりんな言いたいことをこちらで解釈してやる必要がある。
「在特会」がデモの際に、韓国人・朝鮮人を罵るあの言葉遣いは「ヘイト・スピーチ」である。
「在特会」の行為、あるいは存在自体が「ヘイト・クライム」である。
そのように批判されたことをひっくるめて、「在特会」の方々は「ヘイト」と言っているのだろう。
自分と異なる人種・民族に対する憎悪を煽る演説、あるいは言説をヘイト・スピーチといい、そのヘイト・スピーチも含んだ、他人種・他民族に対する憎悪をあおり立てて、人権を侵害する行為を犯罪として、ヘイト・クライムという。
「在特会」の新大久保や鶴橋でのデモ行為自体、ヘイト・クライムであり、その際に喚く言葉はヘイト・スピーチである。
それを認めないのは、「在特会」とその周辺の支持者・同調者、そして日本の警察、検察だけである。
更に言うと、「在特会」の方々が野放しにされているどころか、警察に守られているこの日本という社会は、恐ろしく世界の動きから遅れているし、腐っている。
欧米では長い間の人種間の争いに消耗し尽くして、互いの人種間で憎み合うことを止めようと決めた。
私は欧米崇拝主義者ではなく、逆に欧米のすることの90パーセント以上は間違っている。だから、今の世界はこのように混乱し、破滅の崖っぷちに立っているのだと思う。
しかし、この人種間の争いを止めることを少なくとも公式に決めたことは、高く評価する。
実際には人種偏見・人種差別は欧米で行われているが、それが公になったら差別行為を働いた人間は罰を受ける。
欧米では、「在特会」のデモの際の言葉、はヘイト・スピーチ、デモ行為全体をひっくるめてヘイト・クライムとされて、「在特会」の方々は何年間か刑務所で過ごさなければならないだろう。
そして、そのようなヘイト・クライムを犯す人間は「レイシスト(人種差別主義者)」であると認めるのは、万国共通の認識です。
反・「在特会」に人々に限ったことではない。
「在特会」、その周辺にいる方々・同調者、日本の警察、検察は、世界基準から見ればあり得ない存在なのだ。
(勿論幾つか例外的な国もあるが。)
だから、反・「在特会」の人々が、「『ヘイト』『レイシスト(人種差別主義者)』などと決めつけた」のは本当のことを言っていることに過ぎない。
「在特会」の方々、その周辺の方々、皆さんは「ヘイト・スピーチ」を行い「ヘイト・クライム」を犯している「レイシスト」なのですよ。
世界中どこの国の人にでも聞いてご覧なさい。
「在特会」の方々は立派な「レイシスト」です。
万国共通の認識だ。
自分の本当の姿を指摘されて文句を言うのは、幼児がよくすることだ。
もう一度繰返すが、他人の人権を害する人間には人権は認められない。
こう言うと、その人間に肉体的な危害を加えたりしても良いと言っていると思われても困る。
もう少