蜘蛛とヤモリ
〈「美味しんぼの日々」に「カレー」を掲載しました〉
今朝、寝台に横たわり、寝室の窓の方に目をやると、きらりと光る物が見えた。
破れた蜘蛛の巣の、一本の太い糸が斜めに垂れ下がっていて、その糸が朝日を受けてガラスの鋭い切り口のように光っているのだ。
その蜘蛛の巣は三週間ほど前に大きな女郎蜘蛛が、寝室の上のたひさしと、外の木の枝を利用して、器用に張り巡らした物である。私と連れ合いは、「こんな所に巣を張って、獲物が引っ掛かる物だろうか」と心配した。寝室の窓近くに、窓に平行になるように張ってあって、素人考えでこんな所は他の虫の通り道ではないように見えた。
途中、ひどい雨と風の日があったが、翌日、蜘蛛は破れた巣を一生懸命補修していた。
それを見ると、まだこの場所に居続けるつもりらしく、それなら成果も満更ではないのだろうと思った。
しかし、巣を良く見てみると掛かっているのは小さな羽虫ばかりで、とてもその大きな女郎蜘蛛の食慾を見たすものとは思えない。
女郎蜘蛛は日がな一日巣の真ん中でじっとして、獲物が掛かるのを待っている。その姿を見ていて、「おぬしも辛い人生よのう」と声をかけてやりたくなった。しかし、蜘蛛は人語を解さない。ましてやオーストラリアの蜘蛛だ、日本語を理解するはずがない。だから、声をかけるのはやめた。
その蜘蛛の巣が、今朝見れば、無惨に破れて窓の外のひさしの端から、垂れ下がっている。
その蜘蛛の巣が朝日を浴びてきらきら光っているのは美しいが、同時にひどくもの悲しい。
ここ数日、天気は良かったから、雨風で蜘蛛の巣が破れたとは思えない。あの女郎蜘蛛がこの巣を見捨てたのだろう。やはり、蜘蛛の巣は毎日補修を続けないと、たちまち無惨に破れ果ててしまうことが分かった。
心配なのは、あの女郎蜘蛛の身の上である。
もっと良い場所を見つけたから引っ越して、そこで上手く行っていれば良いが、虫の世界のことだから、もっと悲しい結末をたどってしまったのかも知れない。
大体、私の寝室の窓の外に巣を張ったこと自体、その女郎蜘蛛は余り賢いお方だとは思えなかった。
名前がいけないや。女郎蜘蛛だなんて。女郎の身の上と言えば厳しい物に決まっている。
ああ、あのお女郎さん元気で頑張っていて欲しいよ。
などと、破れた蜘蛛の巣を見て感傷的になるほど私の心は弱っているのかしら。己の老残の身を、破れ蜘蛛の巣に重ね合わせているのかしら。
冗談じゃないよな。
ただ、破れた蜘蛛の巣の糸が朝日を受けて光っているのが妙に美しく見えただけだ。
そうに決まっているとも。
小動物について言えば、私の家のガレージの中にヤモリが住んでいる。トカゲも時々姿を現す。
このヤモリという動物は大変に愛嬌のある顔をしていて、私は大好きである。
どうも、向こうも人間が好きと見えて、日本の家にもヤモリは沢山住んでいた。ヤモリは「家を守る」とも書くらしい。「家守」だ。
それほどまでに、ヤモリと人間の関係は深く、お互いに仲良く共存してきたようだ。
横須賀の家の書斎の窓ガラスの外に夜になるとヤモリが現れて、私の部屋の明かりにおびき寄せられて飛んで来る虫をぱくり、ぱくりと食べるのを見るのは楽しい物だった。
今の家のガレージに住み着いている数匹のヤモリだが、やはり人間が好きだから、あるいは居心地がよいから住んでいるのだろう。私達も格別の好意を払っている。
しかし、如何せん相手は身体が小さい。必ずしも我々の目に留まるとは限らない。
そこで何が起こるかというと、車が一台出て行った後に、車に轢かれて平べったくなったヤモリの無惨な姿を発見することになる。
これは辛い。
こちらに、そんなつもりはなかったし、ヤモリがいることが分かれば轢かないように気をつけたのだ。
これが、季節によって頻繁に起こることがある。
「また、轢いちゃったわ」と連れ合いは悲しげにつぶやきながら平べったくなったヤモリを始末する。どうも、その轢かれたヤモリを見ると、どれも小さい。ひょっとして、まだ世の中の危険も良く分からない子供のヤモリなのではないか。
そんなことを考えると、心が痛む。
許してくれい。轢くつもりはなかったんだ、と言っても死んだヤモリには分からない。
こう言う時には神様なんて物が本当にいたら便利だろうと思うね。神様に頼んで、ヤモリに悪く思わないでくれと伝言することが出来そうだから。
どうも、きょうは、蜘蛛だのヤモリだの、話が世捨人臭くなってきていけないね。
もっと、俗臭ふんぷんたる話を書きたいところだが、最近の私は自分自身世間様と交わることが殆どなく、テレビと、インターネットだけが世間との窓口という生活を続けていて、おかげさまで、俗っぽさが大変に抜けてきて、心が澄んできましたな。(ウソつけ)
心が澄むと、虫の世界などにも心が及んで、その分心が豊かになるんですよ。
あなたね、デイ・トレーダーや、ファンド・マネージャーなどと言う、朝から晩まで株の値動きばかりに集中する生活をしている人達を考えてご覧なさい。
幾ら金を儲ければ気がすむのか知れないが、私にはそう言う人達より、破れた巣の元の持ち主の女郎蜘蛛や、私の家のガレージでのんびり過ごしているヤモリたちの方が比較にならないほど美しく見えるんだけどな。
今日もとりとめのない無駄話で失礼様でした。(この、〜さま、と言う言い方。面白い言い方だね。ご苦労さま、おかげさま、お疲れさま、色々あります。しかし、失礼様と言うのはなかったかな。なければ、私の創作である。有ればあったで良し。って、何を威張っているんだか)
私の宿題、忘れないで考えてくれていますか。
パレスティナ問題は。我々にとっても重要な問題なんだ。考えてくださいね。
「雁屋哲の食卓」は鋭意準備中です。近日開きますので、お待ち下さい。