雁屋哲の今日もまた

2008-05-02

サイトの構成変更

 突然ですが、このサイトの構成を変更します。
 今までこの日記の中で食べ物の写真を載せ、その食べ物について短い文章を添えてきましたが、それが中途半端である、と感じました。
 折角食べ物の写真を載せていながら、その食べ物についての説明が足りない、その食べ物について話すべきことを十分に話していない。
「美味しんぼ」の著者であるからには、もっと食べ物に力を入れた方が良い、という忠告も受けました。
 そこで、きょうから、日記は文章だけを書く。
 その代わり「雁屋哲の食卓」というページを新たに設けて、そこで食べ物についてあれこれ書き、写真も載せる、と言う形にします。
 その方が、すっきりします。
「雁屋哲の食卓」の方は、準備に手間取るので、開設まで一寸お待ち頂きます。
 そ んな訳で、衣替えしますので、よろしくお願いします。

 で、ふと考えてみたら、この「雁屋哲の美味しんぼ日記」を始めて、もう一月経つ。
 一月なんてあっという間だ。
 と言うことは、退院してから一月以上経つことになる。
 手術をしたのが3月18日だから、もう、一月半以上身動き取れない状態のままだ。
 いろいろと、しなければならない事が山のようにあるのに、動けないから何も出来ない。
 しかし、不思議な物で、六歳の時から長期の入院、自宅療養、に慣れているので、「私の人生はこんな物か」と、諦観が身に付いているらしく、じたばたすることもない。毎日本ばかり読んでいる。
 しかし、この本を読んでばかりというのは、今の状況だから特別というわけではない。私は子供の頃から、本ばかり読んでいた。
 活字中毒などと言う言葉もあるが、私は手洗いにまで本を持込むくらいで、以前逗子の家に住んでいた頃には手洗いに本棚を据えて連れ合いに呆れられたくらいだ。
 手洗いに本を持込むと、本に夢中になって、何をしに手洗いに入ったのか分からなくなり、はっと我に返って、手洗いに入った目的を思い出していきんだりする。
 手洗いに時間が掛かるから本を持込むのは止めなさい、と連れ合いに言われても、これが仲々やめられない。本を持たずに手洗いに入ると、不安で仕方がない。
 私は良く外出間際になって、突然手洗いに行きたくなることがある。大変急いでいるからすぐにすまさなければならないのに、それでも本を持込むので、家族から顰蹙の声が上がる。
 私は老眼になるのが早かった。五十を過ぎるとすぐに老眼になった。
 最初は何が起こったのか分からない。妙にコンピューターの画面が見づらい。本を読むのにえらく疲れる。その内に、活字の一つ一つがぼやけているのに気づく。
 それで眼科に行って、老眼だと言われて愕然とした。
 老眼とは老人がなる物だと思っていた。すると、五十歳はすでに老人なのか。
 最初はそれを認めたくなかったから眼鏡をかけようとしなかったが、どんどん本が読みづらくなり、ついに降参。
 それ以来、あれこれと眼鏡を作り続けてきた。不愉快なことに老眼は歳を取るとどんどん進む。
 最初に作った眼鏡が二年ほどで合わなくなる。
 そんなこんなで、一体今までに幾つ眼鏡を作ってきたことか。
 いまでも、デスクトップ・コンピューター用、ラップ・トップ・コンピューター用、読書用、長距離用、外出用の頑丈な物、さらに、書斎用、寝室用、食堂用、手洗い用、と自分でも幾つあるのか分からないほどあちこちに持っている。それほど持っているのに、肝心なときに、肝心の眼鏡が見つからないことがしょっちゅう起こる。
 私は一日の内のかなりの時間を、眼鏡を探したり、電機の部品や文房具の小物を探したりして無駄にしている。
 眼鏡を外すと其の場に起きっぱなしにしてしまい、次に使おうと思ったときに、どこに置いたか全然憶えていないからである。
 そんな苦労をするのも、読書のためだ。
 読書なんかやめてしまえば眼鏡もいらない快適な生活が出来るだろう。現に一切読書をしないという人を知っている。八十をとっくに過ぎているが、子供の頃から読書は嫌いだったと言うから年季が入っている。それでも、立派な人生を送って来たのである。本なんて人生に必要はないという良い見本だ。
 私も見習うべきだ。
 ましてや、自分であれこれ書いて人様に読んでいただこうなんてことは、人様の老眼を早める犯罪的行為なのではないか。
 私の家が散らかっているのは、家中のあちこちに本が山積になっているからだ。それに、レコードと、CDと、DVD、それにいくつものコンピューター、電気機器が重なる。私の家の乱雑さは救いがない。
 家をきれいに片付けるこつは、とにかく捨てることだそうである。
 私みたいに、何もかも捨てられない貧乏性では、家が散らかるばかりだ。
 思い切って、この家中に積み重なっている本を全部捨てたらさぞかし気持ちがいいだろうなあ、と思う。
 大体、十年以上読んでいない本は必要がない物と認めて捨てるべきなんだ。捨てよう捨てよう。
 なんて言っておきながら、今回みたいに動けない日々が続くと、十年以上読んでいなかった本を本棚から引きずり出してきて読んで、「ああ、なんて良い本を俺は持っていたんだろう」と感激することになるから、うっかり本は捨てられないのだ。
 これでは、早めに老眼になるのも仕方がない。
 あ、てなことを、とりとめなく書いている内に、またリハビリに行く時間になってしまった。
 やれ、やれ、日常生活早期復帰を目指して、今日もリハビリで悲鳴を上げてきます。
 私は自分を聖人君子とは言わないが、それほど悪いことをして来たつもりはないのに、どうしてこんな辛い目に遭うんだろうなあ。
 リハビリに行く前に、リハビリの痛みに備えて痛み止めを二種類飲むんです。
 一つは、普通にそこらの薬局で売られていて、オーストラリア人には一番馴染みの深い痛み止め、もう一つは、医師の処方箋がないと買えない痛み止め。これには、モルヒネ系の薬が入っていて、悪用する人間もいるという。沢山飲むと、アヘン、ヘロイン、などを服用したような感じを得られるらしい。
 私が取るくらいの分量ではそんなことは起こらない。ただ、便秘になりやすい。そういえば、昔、神経性の下痢で、どうにもこうにも止まらなかったときに医者が「アヘンチンキ」を呉れた。これは効いた。さしものしつこい下痢も止まった。
 その時に考えましたね。すると、ヘロイン中毒の連中はみんな便秘に苦しんでいるんだな、と。
 私の今飲んでいるくらいの薬の分量でも、便秘になって、苦しい時がある。
 その一つを取ってみても、私は絶対、ドラッグなんかに近づきたくないね。
 私がこの間入院していた病院の近くには、怪しげな店の建ち並ぶ繁華街があり、薬の密売人もうろうろしているという。そのせいで、救急病棟には麻薬中毒患者が頻繁に担ぎ込まれるので有名だ。私も一度、救急病棟の入り口で、やつれ果てた若者が膝を抱え込み、うなだれて座り込んでいるのを見たことがある。その髪の毛はいつ洗ったか分からないほど汚れてよじくれている。シャツもズボンも、タールに漬け込んだみたいだ。足は裸足で、爪が伸びて、爪の間は真っ黒の泥のような物が詰まっている。顔色は土気色。
 正に、生きたしかばね。典型的な、薬中である。
 本当に、ドラッグは恐ろしい。
 といいながら、その痛み止めを飲む。
 さあ、勇気凛々リハビリに行ってくるぞ。

雁屋 哲

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著書紹介

頭痛、肩コリ、心のコリに美味しんぼ
シドニー子育て記 シュタイナー教育との出会い
美味しんぼ食談
美味しんぼ全巻
美味しんぼア・ラ・カルト
My First BIG 美味しんぼ予告
My First BIG 美味しんぼ 特別編予告
THE 美味しん本 山岡士郎 究極の反骨LIFE編
THE 美味しん本 海原雄山 至高の極意編
美味しんぼ塾
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美味しんぼの料理本
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マンガ 日本人と天皇(講談社)
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