雁屋哲の今日もまた

2021-07-18

祝 海原雄山 於「パパはなんだかわからない」出演!

海原雄山が快挙を成し遂げた!

週刊朝日、21年7月16日号の「パパはなんだかわからない」に後ろ姿ではあるが、出演した。

と、今回の話を進める前に、書いておかなければならないことがある。

実はこのページに書き込むのは今年2回目だ。

現在すでに7月も半ば近く、と言うのにわずか2回。

もう、私はこのページを閉じるのではないかとお思いになった読者の方も少なくないと思う。

しかし、これには、理由がある。

一つは精神的なもの、もう一つ肉体的なものである。

精神的なものとは今年1月、松も取れないうちに、1969年以来の親友「あ」を失ったことだ。

「あ」については、このブログの2008年12月18日のページに書いてある。読んで頂ければ有り難い。

そこに

>「あ」に先立たれてはたまらない。早いところ、何としてでも「あ」>より先に死のうと心がけている毎日である。

と書いてある。

しかし、その通りには行かず、「あ」に先に逝かれてしまった。

私は2004年に「あ」との共通の友人を失ったが、それ以来ひどい鬱に苦しむようになった。

ここでまた「あ」を失って、私は途方に暮れている。

朔太郎の詩を朗読し合うことが出来るような友人は一生の間に他にいなかった。

「あ」は朔太郎の詩を朗読するときに、独特の抑揚をつけた。

すると、それが、不思議な歌のように聞こえたのだ。

今も、その「あ」の朔太郎の歌が耳の奥で聞こえている。

親友を失うのは辛く苦しいことだ。

ひどく落ち込んでコンピューターに向かうのもおっくうになり、私の生産性は甚だしく落ちてしまった。

更に、三月に尻餅をついたときにその衝撃が頭蓋骨に至って、硬膜下出血を起こした。

3月と4月に血を抜く手術をした。

現在7月の16日だが、頭の調子は完璧ではない。

そんなこんなでこのページにものを書く気力がなかったのだ。

しかし、7月16日号の週刊朝日を読んで、このページに書く気力が戻って来た。

前回も、山科けいすけ氏の「パパはなんだかわからない」を取り上げた。

山科けいすけ氏のアヘ・ヒンソーと、スカ・カスに対する怒りは収まらないようで、今回のこの漫画となったのだろう。

そこに、狂言回しの役で、海原雄山が登場したというわけだ。

後ろ姿だけしか描かれていないが、髪の毛の特徴、肩の部分が尖った羽織、そしてこの口調、間違いなく海原雄山が越境して、週刊朝日に登場したのだ。

「美味しんぼ」は休載中で、雄山も淋しいので、週刊朝日にスピリッツ誌から越境侵入したのだろう。

この羽織は、陣羽織に似て、袖がなく、肩の部分が尖っている。

通常見かける羽織の形ではない。

武者羽織、とも言うらしい。

この羽織を雄山に着せることは花咲アキラさんが決めたことで、雄山が「美味しんぼ」に登場するまで私は知らなかった。

「美味しんぼ」の登場人物は数十人を超えているが、そのひとりひとりの性格付けが実に見事だ。

「美味しんぼ」が上手く行ったのは、まず第一に山岡に対する敵役として、海原雄山が山岡より強く魅力的に描かれたことだ。

主人公が闘う敵は主人公より強くなければ話が成り立たない。

私は初めて花咲アキラさんが雄山を登場させたときに、よし、この漫画は上手く行くと確信した。

羽織が、普通の羽織だったら、雄山の性格を強く出すことは出来なかっただろう。服装一つでその人物の性格を表すことができる所が、花咲アキラさんが凡百のマンガ家とは違う所だ。

しかし、あまりに雄山が強く大きく描かれてしまったので、困ったこともあった。

それは、「美味しんぼ」を映画やテレビにするときに、雄山役の俳優が見つからなかったことだ。

良く、日本の男優は、兵隊役かヤクザの三下を演じさせればピタリと嵌まる、と言われている。

反対に言えば、雄山のように強く大きい人物を演じるだけの器量のある男優がいないと言うことだ。

あ、どうも、「美味しんぼ」の方に話しがずれてしまった。

話を本筋に戻そう。

前回同様、山科けいすけ氏、週刊朝日編集部のご好意に勝手にすがって、週刊朝日、7月16日号の「パパはなんだかわからない」を引用させて頂く。

前回同様、このスカ・カスの絵が見事だ。

人品骨柄共に卑しいとしかいいようのない人間を、そのまんまに描いている。

この絵だけで、スカ・カスに対する根底的な批判になっている。

それに加えて、この内容だ。

(あ、途中ですが、私があの者をスカ・カスと呼ぶのはひどすぎないかと疑問を持つ人がいるといけないから、きちんと言っておきましょう。

あの者はテレビに出て、自己紹介するのに自分から「ガースーです」といった。であれば、私はあの者を「ガースー」と呼んでも良いのだが、「ガースー」とはあまりにひどい。本来の名前をひっくり返すのもどうかと思うし、濁点がつくと響きが汚くなる。そこで、私は濁点をとって、少しでも響きが良くなるように「スカ」として、さらに、どうしても本人が名前をひっくり返したいらしいので、その気持ちを汲んで「カス」というおまけまで、つけて差し上げたのだ。「スカ・カス」とは私が全面的な好意を持って「ガースー」に変える呼び名としてつけて差し上げたのだ。)

山科けいすけ氏は今の事態を鋭く描いている。

今の日本は、コロナ禍に国中覆われて、百年に一度という国難にあえいでいる。

それに対して、前任のアヘ・ヒンソーは何も出来ずに、「ポンポンが痛いの」などと泣き言を言って逃げ出した。(まさに逃げ出したのだ)

その後を継いだスカ・カスは単に権力を握りたかっただけで、この国を良くしようという意欲などさらさらなく、オロオロ、ウロウロ、右往左往するばかり。

今の日本の国はラーメンにゴキブリが飛び込んだような悲惨な状態にある。

そんな日本の国難にスカ・カスはどう対処するのか。

まずゴキブリをラーメンの中から取り除き、ゴキブリをラーメンの中に飛び込むことを許した不手際を認めて、この国の経営を根本的に正す努力をすることだろう。

現実にもどると、この無様な政治体制を正しい方向に向けて、コロナ禍に対応できるように努力するべきだろう。

ところが、スカ・カスは意味不明の言葉をつぶやき続けるだけで、何一つ役に立つことをしようとしない。いや、しようとしないのではなく、出来ない、のだろう。

スカ・カスがアヘ・ヒンソーの官房長官を務めていたとき、記者会見である記者が質問をしたのに対して意味不明の答弁をスカ・カスがしたので、その記者がちゃんと意味のある答えを得ようとして重ねて質問した所、スカ・カスは、えらそうな態度で「一問一答」と言った。

驚くべき事に、答えにならない答えをしたので、きちんと問いただそうとしたら、それを拒否したのだ。

一問一答とは、問答無用と言うことではないか。

これは、議論することを、話し合うことを拒否することだ。

民主主義を根底から否定するものだ。

真っ当なジャーナリストならそれはおかしいと、思う。

で、スカ・カスに敢えて質問を重ねた、NHKの「クローズアップ現代」の国谷裕子さんは番組から下ろされた。

大越健介キャスターも「ニュースウオッチ9」から外された。

アヘ・ヒンソーとスカ・カスの民主主義に逆らう姿勢はスカ・カスが首相になっても変わらないどころか、ますますひどくなっている。

質問に対してまともな答弁をせず、しかも、重ねて質問すると怒り出す。

更に更に、最近はひどいのを通り越して、スカ・カスの言うことは何が何だか訳がわからなくなっている。

質問に対して、意味のある答えをしない、或いは出来ない。

その状態を、この「パパはなんだかわからない」は見事に描いている。

じつに、なさけない。

どこからどう見ても、スカ・カスは「小物」だが、「小物」こそが国を破局に導くのだ。東条英機も「小物」だった。(スカ・カスに比べると、大きかったかも知れないが、当時の世界の指導者たちと比べると、悲しいほどみすぼらしい男だった)小物故にまともな判断が出来ず、対米戦争にこの国を導いてしまい、結果的に、日本をアメリカの属国にしてしまった。

今回の「パパはなんだかわからない」は傑作である。

しかし、こんな傑作が生まれてしまう、今の日本は悲しい。

7月23日号の「パパはなんだかわからない」では、一転して横山さんが登場して、おかしく楽しい。

それでこそ、「パパはなんだかわからない」なのだが、このまま行くと、またスカ・カスやアヘ・ヒンソーが登場することになるのではないだろうか。

雁屋 哲

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