ネットの世界は鬼ばかりではない
コンピューター雑誌の「ネトラン」の2008年8月号の表紙に、「渡るネットは鬼ばかり」とでかでかと書かれているので、思わず笑ってしまった。
この「ネトラン」という雑誌は、以前は「ネット・ランナー」という名前だったのだが、最近「ネトラン」に変わった。
インターネットで遊んでいると夜更かしどころか夜明しをするので「寝ておらん」すなわち、「ネトラン」となったのではないか。
この雑誌は若者向きで、インターネットから様々なファイルをダウンロードする方法、DVDをコピーする方法、など、わざわざ「悪用厳禁」とか、「これはひどい!」というぎょっとする惹句をつけるくらいに、「ここまでするかい」と言いたくなるような、ぎりぎりの技を毎号ご披露してくれる。
実は私は、コンピューターを使う仕事の99・9パーセントはMacを使っているので、このWindows専門の「ネトラン」を読んでも、そこに書かれている記事は、全くと言って良いほど、私には実用的な意味がない。
(私は一時、コンピューターの自作に凝って、何台かWindowsを走らせるコンピューターを組立てたが、組立てて「よし、世界最速のコンピューターが出来た」と思うと満足してしまって、実際には使うことがないので、コンピューター自作熱も冷めてしまって、今持っているのは三年ほど前に作った物が一台だけだ。
コンピューターの世界は日進月歩で、どんどん新しい規格がつくられ、新しい部品やら、CPUが次々に現れてくる。
私の自作機は、当時は世界最速だったが、今はもはや、骨董品の世界にはいるようだ。)
私がコンピューターを使ってする仕事は、文章作成、デジタルカメラで撮った写真の整理、自分で撮影したビデオの取り込み・整理・DVD作成、新聞や雑誌の記事、更に昔の写真ののスキャニング・取り込み、ネット・ブラウジング、メールの送受信、ブログの製作、などが主だから、Macで不自由しない。
ましてや、「ネトラン」で書かれているような、裏っぽいことには無縁なので、実用性はないのだが、「ネトラン」を読んでいると、インターネットの世界が今どうなっているか、インターネットの世界で若者たちがどんなことをしているか知ることが出来て面白い。
やはり、世界中のコンピューター使用者の90パーセント以上がWindowsである訳で、Macの雑誌を読んでいるだけでは分からない事が多くて、感心する。
それに、記事も面白い物が多い。
いつだったか、ハードディスクはどうすれば本当に駄目になるか、と言う実験をしていた。
トンカチでたたく、冷蔵庫に入れる、お湯で煮る。
こんな事を実際のハードディスクで試してしまうのだから、その突貫精神に感動してしまった。こんなこと、普通思いつきませんよ。思いついても実行できないって。それを、やっちまうんだから、若いって凄いことです。
読者の質問に編集部が答えるのがこの雑誌の特徴だが、質問と、それに対する答えの文章が、面白い。
たとえば、
「キー連打しても文字がついてこねぇぇぇぇぇぇ!」
と言う質問に対する答えが、
「キーボードのプロパティをイジれえぇぇぇぇ!」
などと言うのだから、たまらない。
これに比較すると、Macの雑誌は実につまらない。
アップル社の、広報誌みたいだ。
私は、コンピューターの情報が欲しいというのに、iPod、iPhone、など、アップル社の製品を特集する記事が毎号満載だ。
Macの雑誌だけを読んでいると、コンピューターの技術革新の実情から甚だしく疎くなる。
どうも、前振りが長くなったが、その「渡るネットは鬼ばかり」という言葉だ。
正にその通りで、フィッシング詐欺、ワンクリック詐欺、ブログの炎上攻撃、ネットオークション詐欺、など実世界よりおどろおどろしいことがインターネット上で繰り広げられている。
他人の、中傷・攻撃など、普通のことで、人間匿名で責任を持たなくて良いとなると、ここまでひどいことを言うのかと、人間性に絶望してしまう。
そのような、インターネットの世界にも、ほっとするサイトがある。
私好きなサイトを二つ紹介しよう。
一つは、
「けんけんのきつねワールド」
だ。
これをたどっていくと、おなじ人間が作っていると思われる、
「神奈川のきつねワールド」
と、「東京のきつねワールド」
に行ける。
これらのページでは、神奈川県と、東京の、稲荷神社を発見して歩いて、その写真を載せてある。
私は、宗教は何一つ信じることが出来ない人間なので、稲荷信仰も、「へええ」と思うだけだが、日本人の稲荷信仰の広さと厚さには感心する。
このページを見ると、東京と神奈川の、思わぬ所に稲荷神社が存在することが分かる。
稲荷神社には、キツネがつきものだ。
このページの作者は、丁寧に、それぞれのキツネの写真を撮り、神社によってキツネが様々に違うことを、語っている。
そのキツネが、それぞれ独特の姿態、表情で、実に面白い。
どれも素人が作った物のように見えるほど、稚拙な物が多いのが、また楽しい。
このページは、民俗学的な資料としても価値が有るのではないか。
しかし、それ以前に、思いも寄らぬ飛んでもないところに稲荷神社があることの面白さ、キツネたちの可愛さ楽しさが、実によい。
気分の鬱屈したときなど、このページを開いて、様々なキツネを見ているとほっとする。
神奈川県で55、東京で19の稲荷神社を取り上げている。
どんどん続けて行って欲しいと思う。
もう一つは、
「四国競輪」
である。
私は賭け事は嫌いだが、競馬と競輪は大好きだ。
広い芝生の馬場をサラブレッドがたてがみと尾をなびかせて走る姿は何とも言えず美しいし、競輪は、最高の競走競技だと思う。
鍛え上げた選手同士が、戦術を練り、駆け引きを繰返し、最後に、全力でゴールに駆け込む。
それを見ていると、実に、胸が熱くなる。
競輪は最初の数周は選手たちが様子を見ては駆け引きをしているが、後2周となると、係員が赤い板を出す(これを、あかばん、と言う)、そして最後一周となると鐘を鳴らす(これを、じゃん、と言う)
競輪の本当の勝負はその赤板からで、それが、じゃんで、選手たちは死にものぐるいになり、ゴールに突っ込む。
こんなに素晴らしい競技はない。
私は、車券を買うが、それは博打の意味ではなく、こんなに素晴らしい競技を見せて貰うお礼のつもりで車券を買うのだ。
私は会社勤めをしているときに、会社をさぼり、競輪新聞をズボンの尻ボケットに突っ込んで、花月園競輪場に乗込んだときには、「ああ、俺もついにいっぱしの男になったな」と自分でひどく感動した物だ。
その花月園競輪場の特別観覧席はすごかった。
あの辺を縄張りとするヤクザの大集合だ。
親分が子分たちを引き連れて、一番良い席にどっかと座る。
ヤクザの下っ端が、高利貸しの男に、「10日で1割の利子でよいから、いくらか貸してくれ」と頼んでいたり。
ヤクザの飲屋(違法私設車券売り)が、私の所にやってきて「兄さん、ちょっとうちから買って貰えないかね」と言ったり、実に面白かった。
しかし、そこの立ち売りのうどんが、ある時から、カップうどんになってしまったのにはガッカリした。
それ以前は、茹でおきのうどんをおばさんが湯に通してどんぶりに入れてそれに化学調味料だけで味を付けたと思われる汁をかけくれる。普通であれば、まずくて食べられないが、競輪場の片隅で、みんなが車券で熱くなっている中で、どんぶりを抱えて立ち食いをしていると、実に自堕落でいい感じで、味よりも、その感覚にしびれた。
しかし、それも、カップヌードルでは、まるで感じが出ない。
あの、茹で置きのだらりとした麺、まずい汁、貧相などんぶり、それが何とも言えず良かったのだ。
この競輪を、オーストラリアに来てみられなくなった。
実に残念だ。
と思っていたら、いつの間にか、インターネットで競輪が見られるようになった。何とも有り難い話である。
競輪場は、日本全国にあって、その全国の様子を知りたければ、
「競輪ブロード・バンク」
が良い。
日本中の競輪場の、結果や、過去のレースの動画を見ることが出来る。
私が、とくに「四国競輪」を取り上げたのは、四国の、「小松島競輪」の女性アナウンサーの実況放送が好きだからだ。
日本全国どこの競輪場でも、実況放送を流しているが、女性が実況放送のアナウンサーを務めているのは、この「小松島競輪」だけだろう。
ホームページを見ると、茂村華奈さんという、如何にも元気そうな女性である。
競輪は男の世界のように思われているが、その競輪の実況を若い女性の声で「3番手ガチンコ勝負、さあ、後方から8番車まくってきた! そのままもつれるか、1番車残っている、まくりきれるか!」
などと、放送されると、実に新鮮でどきどきする。
気持ちが落ち込んでいるときに、茂村華奈さんの元気の良い声を聞くと、気持ちが晴れる。
インターネットも、鬼ばかりではないのだ。