雁屋哲の今日もまた

2008-06-14

「日本全県味巡り」次はどこに

〈「美味しんぼ塾」に「嗜好品 その1」を掲載しました。〉

 いま、「美味しんぼ」はお休みを頂いているが、出来るだけ早く「日本全県味巡り」を開始するつもりである。
 手術前は、非常に甘く考えていて、七月には日本へ行けるから、「夏の北海道」の取材から始めよう、などと、編集部とも話していた。
 ところがどっこい、そうは行かなかった。
 七月に日本へ行けるとしても、松葉杖を二本ついて、移動するのがやっとの事で、取材に飛び回るなどと出来るわけもないことが分かってきた。
 となると、秋から初冬にかけて、収穫の秋を取材することにしようか。
 もし、それも駄目ならば、二月の北海道だ。私は流氷の時期に是非北海道に行きたいと思っている。
 テレビで見ただけでも、流氷は圧倒的な迫力だ。実際に目の前にしたらさぞかし壮観だろうと思うと胸が躍る。(お、こんな気持ちになるなんて、鬱から回復したかな・・・・・・、なんて喜ぶと、その後の反動がひどいんだ。余り喜ぶのはやめよう)
 私は寒いのも暑いのも苦手だが、流氷を見るためなら、寒さも我慢できる。
 それに北海道の冬は美味しい物が沢山揃っていることを知っている。
 しかし、二月に取材をしたのでは、「日本全県味巡り」を再開するには遅すぎる。
 北海道の流氷は、後の楽しみにとって置いて、まずは秋の味覚から始めようかな。

「日本全県味巡り」で次はどこの県に行こうか、と考えるのは実に楽しい。
 私は、白状すると、今までにまだ行ったことのない県がある。それは、山口県だ。

 私の母方の伯父の一人は大変な勉強家で、同時に演劇青年だった。
 一度、葉山の寿司屋で、伯父と一緒に、早稲田の河竹登志夫先生と同席させていただく機会があった。演劇青年だった伯父は河竹黙阿弥全集を持って愛読しているくらいだから、先生とお会いしたことを大変に光栄に思い、狂喜して色々と演劇のことについて先生にお話をした。
 先生も、伯父の熱意に辟易しておられたが、伯父が「築地小劇場」の話をすると、先生は「築地小劇場をみたことのある人間がまだいたとは」と驚かれた。
 それで、伯父は調子に乗って、またまた、演劇の話を続けた。
 その夜、伯父は、私に「河竹先生にお会い出来て本当に嬉しかった」と目を輝かせていった。私は河竹先生のおかげで、伯父孝行ができて幸せだった。
 当時既に、九十歳近かったが、九十三歳でなくなるまで、いつまでも演劇青年の魂を持っていた。
 その伯父は、明治以降の薩長閥が動かしていた政治を激しく批判していた。
「特に長州がいかん。連中が日本を滅ぼした。」と強調していた。
 この考えは、伯父の偏見ではない。
 明治維新で権力を握ったのは、薩長土肥(鹿児島、山口、高知、佐賀)の下級武士たちだった。
 明治以降の政界、官界では薩長土肥にあらざれば人間にあらずとまで言われたのである。

「昭和史の語り部」の半藤一利氏は、「永井荷風の昭和」の中で、永井荷風の薩長土肥に対する嫌悪を表した文章を引用している。それを、ここに再引用する。

  1. 「薩長土肥の浪士は実行すべからざる攘夷論を称え、巧みに錦旗を擁して江戸幕府を顚覆したれど、原(もと)これ文華を有せざる蛮族なり」(「東京の夏の趣味」)
  2. 「明治以降日本人の悪くなりし原因は、権謀に富みし薩長人の天下を取りし為なること、今更のように痛嘆せらるるなり」(「断腸亭日乗」昭和19.11.21)(断腸亭日乗は荷風が書き続けた日記)

 1)については全くその通りだ。日本の最初の総理大臣になった伊藤博文を始め、木戸孝允、大久保利通らは尊皇と共に攘夷論を称え、幕府を攻撃して、十四歳の明治天皇を「玉」と称して抱え込み、「玉」の威力で「官軍」を名乗り、錦の御旗をうち立てて、幕府を倒した。
 倒してみれば、何のことはない、攘夷など出来るはずもなく、欧米各国に国を開いた。
「攘夷」は単に幕府を攻撃する口実に過ぎなかったし、「尊皇」も、自分たちに権威をつけるための手段でしかなかった。
 かれらは、十四歳三ヶ月の少年を明治天皇として担ぎ上げ、その権威を強調し、その権威を利用して政治的な力をつかんだのだ。
 それが、近代天皇制の始まりであり、その時に、第二次大戦での破滅の路線が出来上がってしまったのだ。

 2)については、半藤一利氏は次のように書いている、

「慨然たらざるをえない対米英戦争直前の陣容をみるとーーーーー軍令部総長の永野修身(おさみ)の高知をはじめ、沢本頼雄(よりお)(海軍次官)、岡敬純(たかずみ)(軍務局長)、中原義正(人事課長)、石川信吾(軍務第二課長)、藤井茂(軍務第二課員)、が山口県出身、高田利種(としかず)(軍務第一課長)、前田稔(軍令部情報部長)、神重徳(作戦課員)、山本祐二(作戦課員)が鹿児島県出身。これに父が鹿児島県出身の大野竹二(戦争指導班員)を加えれば、薩長閥の左官クラスのそろい踏みなのである。
 藤井茂中佐は昂然としてこういうのを常とした。
『金と人とをもっておれば、このさき何でも出来る。予算をにぎる軍務局が方針を決めてその線で押し込めば、人事局がやってくれる。自分たちがこうしようとするとき、政策に適した同志を必要なポストにつけうる。』
 荷風が言うように、大日本帝国は薩長がつくり、薩長が滅ぼしたといえるのである。」

 永井荷風も半藤一利氏も東京出身で、薩長土肥の野蛮な田舎武士が江戸の文化を壊した、と怒っているから、薩長を嫌うのは自然の成り行きである。
 さらに、半藤一利氏の祖母は新潟県長岡の出身である。
 明治維新の際に、薩長土肥の官軍は長岡藩を攻撃したことを恨みに思っているその祖母から、薩長に対する批判を耳に叩き込まれたと言うからなおのことである。

 史実を見ると、陸軍も海軍も、薩長閥で始めから終わりまで支配されていた。
 それを考えると、2)の記述にも、私は同意したくなる。

 私の伯父は、更に極端で、歴史上の薩長批判だけでなく、現代の世の中に於いても「山口県の人間はいかん」と言っていた。
 戦前の薩長閥による支配の記憶が抜けなかったのだろう。

 私が山口県にいままでに行ったことがないのは、伯父の言葉に影響されたからではない。
 ただの偶然である。
 私自身、近代日本史を読むと、薩長閥について批判的にならざるをえないが、それがそのまま山口県民の本性だとは思わないし、ましてや現代の山口県民に如何なる偏見も抱いていない。

 むしろ、あれだけ力を振るった長州閥を産み出した山口県とはどんな県なのか好奇心が湧いてくる。
 萩など見ても古い文化が残されているようだし、第一如何にも食べ物が美味しそうだ。
 三方を、日本最高の漁場に囲まれているからには、さぞ魚介類は旨かろう。
 山口県のフグは日本一と言う評価を聞いたことがある。
 山の産物も良い物がありそうだ。

 古い文化を保ち、美味しい食べ物の宝庫らしく見える山口を攻略しない手はない。

 今度の「日本全県味巡り」は晩秋から冬の始めの山口県にしようかな。
 もっともそれでは、まだフグに白子が入っていない。
 悩むところだ。

雁屋 哲

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