雁屋哲の今日もまた

2008-07-13

パレスティナ問題 その7

 ヴァイツマンはヘルツルを受け継いで、シオニズムを主導して行ったのだが、その言葉に、シオニストが何を考えているのか、その根本を見いだすことが出来るので、紹介しよう。

 最初イギリスは、ユダヤ人の主権国家を作るのにウガンダを提案した。最初にシオニズムを主唱したヘルツル自身はウガンダでもかまわないと考えていた。
 しかし、他のユダヤ人がウガンダを拒否し、ヘルツル自身も、「パレスティナこそ唯一の土地」と認めたことは先に記した。

 その件で、バルフォアがヴァイツマンを叱責すると、ヴァイツマンは言った。
「ミスター・バルフォア、あなたにロンドンの代わりにパリを提供すると言ったら、貴方は承諾なさいますか」「しかし、ヴァイツマン博士、わたしたちはロンドンを所有しています」「確かにそうです。しかし、ロンドンが沼地だったころわたしたちはエルサレムを所有していました」

 このヴァイツマンの言葉こそ、シオニストユダヤ人の考えの大元がはっきり表れている。
 ロンドンがまだ沼地だったころユダヤ人がエルサレムを所有していたから、今もその所有権がユダヤ人にあるとシオニストは言うのである。

 シオニズムは大分乱暴で身勝手な議論だと私には思えるが、その最大の原因は、「歴史を無視することである」
 ユダヤ人が135年にイスラエルを追放されてから1800年という時間が流れている。
 1800年という時間は、非常に長い時間である。
 その間には色々なことが人間社会には起こった。
 勿論、パレスティナの地にも様々なことが起こった。
 幾つもの国が興り滅び、様々な人々が移り住んできては姿を消した。
 パレスティナの地を現在発掘するとさまざまな文明の遺跡が姿を現す。
 ユダヤ人が追放された後、パレスティナの地はユダヤ人以外の多種多様な人々が移り住んできてそれぞれの文明を築き上げて来たのである。

 パレスティナの地ではめまぐるしく、次々に多種多様な民族が興り、繁栄し、やがて滅び去る、と言うことを1800年間にわたって繰返してきた。
 パレスティナはユダヤ人が追放された後、ユダヤ人の帰りを待って静かに眠っていたわけではない。
 多くの人達が自分の土地として住んでいたのである。

 常識的に考えて、一つの民族、あるいは部族が一つの土地に100年住み続けたらその土地は自分たちの土地であると考えるのは極めて自然だろう。
 ある土地に、民族Aが100年続けて住んでいたとする。
 そこに、民族Bがやって来て、この土地は我々の祖先が200年以前に住んでいた土地だから、自分たちに所有権がある。出て行け、と言ったらどうするだろう。
 民族Aの祖先が、民族Bの祖先からその土地を直接奪ったものだったとしても、民族Aにとって100年も住み続けたこの土地を、民族Bの子孫たちに返すことは無理な話だ。祖先同士のやり取りの結末を子孫同士でつけると言うことはあり得ない。
 ましてや、民族Aの祖先が、民族Bの祖先から直接奪ったわけではなく他の民族から獲得した物であったら、それは全く話にならない。
 100年という年月は既に歴史を形成している。
 歴史を無視して、歴史の始まった時点に全てを戻せと言うのは、無理も甚だしい。

 ところが、シオニストは、100年でもなく、200年でもなく、1800年の歴史をなかったことにして、パレスティナをユダヤ人に戻せ、と要求しているのだ。
 135年にユダヤ人が出て行った後、パレスティナに住んでいた人々にとって、シオニストの要求を受け容れることが出来るだろうか。
 土地の証文でもあれば話は別かも知れないが、1800年も有効な土地の証文など存在するはずがない。
 ところが、シオニストは、1800年でも3000年でも、未来永劫有効な証文があると言う。
 その、証文こそが、ユダヤ人にとっての聖書、一般的に旧約聖書と呼ばれている文書である。

 話をヴァイツマンに戻そう。
 ヴァイツマンは有能で人を説得することにも長けていた。
 バルフォアとの間の極めて重要な挿話を紹介しよう。
 ヴァイツマンがシオニストの計画をバルフォアに話していたとき、バルフォアが当時の反ユダヤ主義者、コジマ・ヴァーグナーの名を挙げて、「ユダヤ人が同化しない」という理由から、ヴァイツマンの計画に懐疑的な態度を示すとヴァイツマンは言った、
「彼女(コジマ・ヴァーグナー)はユダヤ人はドイツの文化も科学も工業も支配していると言ったのでしょう。
 しかし、大多数の非ユダヤ人が見過ごしている主要な点であり、ユダヤ人の悲劇を形成する最も重要な問題は、そのエネルギーと頭脳をドイツ人に捧げているユダヤ人たちは、ドイツ人の資格でそうしているのであって、彼らが放棄したユダヤ人としてではないということです。(中略)ドイツ人が彼らの頭脳や能力を好きなように利用できるように、彼らは自分がユダヤ人であることを隠さなければならいのです。偉大なドイツを形成するために彼らがした貢献は小さくありません。すべての悲劇は私たちが彼らをユダヤ人と認めていないのに、ヴァーグナー夫人が彼らをドイツ人と認めないことにあります。このようなわけで、わたしたちは最も搾取された人間としてあそこにいるのです」(註・この時点でヴァイツマンは既に英国市民になっている)
 そのヴァイツマンの言葉を聞いたバルフォアは感動の涙を浮かべてヴァイツマンの手をとり、「偉大な苦難の民族がたどった道がはっきりした」と言ったという。
 こうして、バルフォアはシオニストを支持するようになり、後に、バルフォア宣言を書くことになるのである。

 初代、ロード・ロスチャイルドも重要な役目を果たした。
 第一次大戦が勃発したとき、ロイド=ジョージは大蔵省にロード・ロスチャイルドを招いた。かつて、ロイド=ジョージはロスチャイルド家を非難したことがあったので遠慮して「ロード・ロスチャイルド、これまでわたしたちは政治的に少々不愉快な状況にありましたが」と切出すと、ロード・ロスチャイルドは「ミスター・ロイド=ジョージ、その様なことを思い出しているときではありません。お手伝いするためにわたしは何をしたらいいでしょうか」と言った。
 その、ロスチャイルドの態度は、ロイド=ジョージに大きな感銘を与えた。
 これが、ロイド=ジョージをシオニズムを支持させることとなった。

 これが無かったら、イスラエル建国は絶対にあり得ないだろう「バルフォア宣言」は、外務大臣のバルフォアが英国のユダヤ人共同体の首長であるロード・ロスチャイルドに宛てた書簡の形式を取った。
 この時のロスチャイルドはロイド=ジョージに感銘を与えたロスチャイルドの息子、ウォルター・ロスチャイルドだった。

 ロスチャイルドはヴァイツマンらの助言を受けて、重要な三原則を含む英国の誓約草案をバルフォアに手渡した。
 その三原則とは、
 第一に、パレスティナ全土をユダヤ人の民族の郷土として再編成すること、
 第二に、無制限のユダヤ人移民、
 第三に、ユダヤ人の内部自治
 だった。
 ヴァイツマンはそのまま承認されると思っていたが、政府内部の反対などがあり、パレスティナ全土がユダヤ人民族の郷土としては認められず、無制限のユダヤ人移民も、ユダヤ人の内部自治も消え、かえってアラブ人の権利を保障していた。

 1917年11月2日づけで発表された文書の主要部分は、
「陛下の政府はユダヤ人のためにパレスティナに民族の郷土を建設することに好意を寄せ、この目標を達成するために最善の努力を払うものである。このことは、パレスティナに現存する非ユダヤ人諸共同体の市民的権利と宗教権利、あるいは他の国家においてユダヤ人が享受している権利と政治的地位にいかなる不利益も蒙らせるものではないということは、明白に理解されなければならない」となっている。

 たしかに、ここにはパレスティナにおけるアラブ人の権利が保障されており、ヴァイツマンの望んだとおりの物ではなかった。
 しかし、この「バルフォア宣言」が無かったら、イスラエル建国は絶対にあり得なかった。
 ヴァイツマンの功績は大きかった。
(今日の内容は、ポール・ジョンソン著 「ユダヤ人の歴史」によっている)

(明日に続く)

雁屋 哲

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