落語の華と蜂蜜
私は落語が大好き。一番好きだったのが、志ん生、先代の可楽、そして、志ん朝だった。志ん朝が亡くなったときには、本当にがっかりした。
亡くなる寸前に、小学館の雑誌、サライが催したサライ寄席に志ん朝が出演した時に、サライ編集部のご好意で紹介していただいて、ほんの数分だったがお話しする機会を得、二人ならんで写真を撮ることも出来た。
その写真は、私の生涯の宝物である。
あれほど、艶があって、言葉が切れて、勢いがあるのに温かく、情感たっぷりに演ずる咄家は、もう私の生きている間にお目に掛かることは出来ないだろう。
志ん朝は、まだ二つ目の頃に「狸さい」を聞いて、その素晴らしさに驚いたことがある。志ん朝は生まれついての天才だったと思う。
ああ言う人が、早くに亡くなるとはまったく神も仏もない物だと口惜しくてたまらない。
今生きている落語家の中では、小三治が一番好きだ。
ただ、どう言う訳か、二十年くらい前から突然枯れ出して、何だか艶っぽさが失せてしまった。小三治の師匠の小さんも、非常に勢いの良い咄家だったのだが、ある時から突然、暗くぼそぼそ話すようになってしまって、驚くと同時にがっかりした。夫人を亡くしたのが応えたのかも知れない。
その頃から小三治も、妙につまらなさそうに、ぼそぼそ話すようになって、一体どうしたことかと、落胆した。そんなことまで、師匠の真似をすることはないのに、と思った。
しかし、最近、大分明るさを取り戻したような気がする。
「卵掛け御飯」とか、ホームレスの人に自分の駐車場を占領される漫談っぽい話をするようになって、それが良かったようだ。
しかし、最近聞いて驚いたのは、桂歌丸が素晴らしく良くなったことだ。桂歌丸というと、日本テレビの「笑点」で、座布団の数を争ったりするテレビ芸人みたいに思っていたが、最近の歌丸は、ちょっと三遊亭円生っぽいが、実に丁寧でしっかりした噺をする。
よほど精進を重ねたに違いない。テレビの人気に溺れず、芸を磨いたその心意気に感心する。
長生きをして、さらに、味わいを深めて貰いたいと期待している。
この、落語というのは、若い人に受けないと思ったら大間違い。私の姉が、私の息子や、弟の息子を寄席に連れて行ったら、一遍で落語が大好きになり、私の息子などは、日本に帰るたびに寄席へ行きたがる。「目黒のサンマ」を聞いたときには、矢も楯もたまらず、サンマを食べに行った、という。
やはり、落語は永遠の命のある芸だ。
私は、林家三平の全盛時代を知っているが、当時はただ騒々しく笑わせるだけで、本格的な落語の出来ない落語家と思って、少し低く見ていた。しかし、最近、三平のビデオを見て、がんと、頭に一発喰らったような気がした。とにかく温かく、気持ち良くさせてくれるのである。その中で、三平が噺をしている最中に、客が入って来てごそごそ、座席に着く場面があった。すると、三平はそのお客に「いやあ、いらっしゃいませ、もうそろそろおいでになるんじゃないかと、お待ちしてたんですよ」という。
それで、会場は爆笑に包まれ、言われた客も、照れはするが悪い気持ちではなさそうに席に着いた。
私は、最近、中途半端なテレビ芸人が、客いびりをするのが不愉快でたまらない。ろくに芸も出来ないのにタレントと称する人間が、客に向かって乱暴な口を聞いて、からかったりする。
それに引き比べ、三平の見事なこと。
自分が演じている最中に、客が入って来てごそごそ人をかき分けて席に着かれたら、三平だって気分が悪くなるはずだ。それを、おくびにも出さず、上手に、会場を笑わせる方向に持っていく。
私は、そのビデオを見ながら、「ああ、昔は本当に、素晴らしい芸人がいたんだなあ。これだけ、人の心を温かく気持ち良くしてくれる芸人が今時いるだろうか。私は、三平の素晴らしさを、評価し損なっていた」と深く反省し、もの悲しい気持ちになった。
三平もそうだが、志ん朝にも、華という物があった。いま、華があると言える落語家が果たしているだろうか、と考えると、ちょっと淋しくなる。
華と言えば、皆さんは、ユーカリの花をご存知だろうか。
オーストラリアの木の八十パーセントはユーカリだそうだが、ユーカリにも様々な種類がある。
下にお見せするのは、美しい花をつける種類のユーカリである。こんな木が、歩道の真ん中に植えられているのだから、オーストラリアは面白い。
その花の部分を良く見て下さい。蜂が沢山いるのが分かるでしょう。
その、ユーカリの花の蜂蜜です。さっぱりしていて、癖がないので万人向きだ。
これは、容器がまた優れている。
いつも、蓋の部分を下にして置くが、それには意味がある。
容器を押すと、このように、蓋の部分から蜂蜜が出て来て、押すのをやめると、ぴたりと切れる。
これまで、蜂蜜を使うのに、特殊な蜂蜜すくいのサジを使ったり、容器を使ったりしたが、どれも、切れが悪く、蜂蜜が無駄になったり、あとがべたべたして具合が悪かった。しかし、、この、容器が蜂蜜を使うときの面倒くささを全て解消してくれた。
私が、いつも愛用しているのはこの、レザーウッドの蜂蜜。
こちらは、香りも強く、癖がある。しかし、病みつきになると離れられない。私は毎朝蜂蜜なしではいられないのである。
この瓶のままだと使いづらいので、上の容器に移し替えて使っている。
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