雁屋哲の今日もまた

2008-08-04

パレスティナ問題 その14

 赤塚不二夫さんが亡くなった。
 私の家では、赤塚不二夫の漫画の主人公が今でも人気者だ。
 連れ合いは、ニャロメやケムンパスを描くのが上手い。
「おでかけですか、れ、れ、れのれー」とか「シェーッ!」というのは我が家の日常用語である。
 二十数年前に二度ほど、新宿でお会いしたことがある。大変にお酒を召し上がっていて、顔をくしゃくしゃにして笑っていた。
 若い編集者が、マジックインキで顔に悪戯書きをしても、喜んで笑っていた。
「家のマネージャーがさあ、2億円懐に入れちゃったんだよ。いくら稼いでも、稼いでも、全然お金がないからおかしいなあと思ってたら、奴が使っちゃってたんだよ」
 と仰言るから、
「警察に届けたんですか。お金を取り戻せたんですか」
 とお尋ねすると、無邪気に笑って
「いやあ、しょうがないよお。そのまんまだよお」と仰言る。
 当時の2億円と言えば、今だったら5億円以上の価値が有るのではないか。
 それだけ、信頼しているマネージャーに横領されたのに、何か面白い事でもあったように、笑っている。
 私のような小人物とはけたが違った。
 なんとも、天真爛漫な方だった。
 いま、赤塚不二夫さんのような、心が温かくなるような、しかも、爆発的に面白いギャグマンガを描く漫画家がいない。
 二人と無い天才だった。
 残念だ。

 気分を入れ替えて、パレスティナ人の宗教、イスラムについて考えて見よう。
 イスラム教は、ムハンマドが40歳の頃、610年に、突然神の啓示を受けた事から始まる。
 最初は、ムハンマド自身、それが唯一神アラーのお告げとは信じられずに、苦悩するが、ムハンマドの妻、ハリージャが最初にムハンマドが受けたのは本当にアラーのお告げだと信じ、最初の信者になった。
 ムハンマドはアラーの神を信ずる宗教(後にイスラム教と言うようになる)を宣教し始める。メッカの住民には馬鹿にされ迫害されて、ムハンマドはメディナに移り、そこで布教に成功し、イスラムの信仰を実践する共同体(ウンマ)を作り、メディナからユダヤ教徒を追い払い、アラブの部族を教化して、勢力を広げ、ついにメッカも征服する。
 ムハンマドは、アラーの神の啓示を伝える預言者としてだけでなく、政治的指導者としての力も発揮して、亡くなる632年までに、アラビア半島の殆ど全てをイスラム教の信仰で統一した。

 その後のイスラム教の発展、変遷、などの歴史は極めて入り組んでいてとても一口には語れない。
 イスラム教と、イスラム教国家の歴史は色々な本があるのでそれを読んでいただくとして、ここでは、イスラム教とはどんな物なのか、その本質を考えることにする。

 私が最初、イスラム教の経典、コーランを読んだとき、はてこれは読んだことがある、と思った。
 内容が、ユダヤ教の聖書(キリスト教の旧約聖書)と、新約聖書に良く似ている。
 というより、ユダヤ教の聖書の要点をもう一度語り直しているように思った。
 それも、そのはずで、イスラム教の神アラーは、ユダヤ教、キリスト教の神と同じエホバ(ヤーフェ)なのである。
 コーランでは、イスラム的一神教を「アブラハムの宗教」という。
 アラーは、アブラハムの神なのだ。
 アブラハムの神に、イスラム教の源泉がある。
 要するに、世界の最初から唯一の神の支配が続いていて、それが「永遠の宗教」、「アブラハムの宗教」であり、それが、ユダヤ教、キリスト教と経て、神はムハンマドを最後の預言者として教えを与え、イスラム教で「アブラハムの宗教」「永遠の宗教」が完成する、と言うのが、イスラム教の考えである。
 この「永遠の宗教」を初めて信じたのがアブラハムだから、イスラム教は「アブラハムの宗教」というわけである。

 イスラム教にとって、ユダヤ教、キリスト教は、イスラム教の前段階と考えられる。
 神は、最初、アブラハムやモーセという預言者たちに、神の言葉を伝えた(旧約聖書 ユダヤ教)。しかし、人間は良くならない。そこで、イエスを預言者として、神の言葉を伝えた(新約聖書 キリスト教)。しかし、それでも人間は良くならず社会も良くならない。
 そこで、最後の預言者としてムハンマドを選び、真の神の言葉を伝えた。
 それがコーランであり、その教えによるものがイスラム教、と言うわけである。
 コーランを読むと分かるが、ユダヤ教、キリスト教、もイスラム教の前段階のものとしてイスラム教に含まれている。
 アブラハムは、イブラヒーム、モーセはムーサ、イエスはイーサーとして登場する。

 イスラム教の考えから行くと、それまで何人もの預言者が出たが、ムハンマドが最後の預言者だから、ムハンマドの教えが、一番正しい。
 ユダヤ教徒も、キリスト教徒も、イスラム教に従うべきだと、イスラム教徒は考える。
 イスラム教はユダヤ教もキリスト教もイスラム教に先立つものとして認めていて、それを一番良くしたのがイスラム教だと言う。
 要するに、神はアブラハムの時からのただひとつの神であり、その間に、ユダヤ教、キリスト教があって、最後にイスラム教が来る、と言う。
 ムハンマドは、最初はユダヤ教徒もイスラム教えを受け入れるだろうと考えていたようだが、ユダヤ教は、キリストも認めない。ムハンマドが最後の預言者だと言っても認めるわけがない。
 そこで、イスラム教はユダヤ教を排するようになる。
 キリスト教もイスラムの教えを受け入れないので、キリスト教も排するようになる。
 このあたりの事をコーランで見てみよう。
 コーランは全部で114章から成り立ったいる。
 各章はそれぞれ、「開扉」、「牝牛」、「イムラーン一家」、「女」、「食卓」などと名前が付いている。「開扉」を除いてその名前と各章の内容とはあまり密接な関係はないようである。
 その第2章「牝牛」の第133節でアラーは次のように言う。

「(ユダヤ教徒やキリスト教徒に)言ってやるがよい。お前たち、アラーのことで我々と言い争いをしようというのか。アラーは我々の神様でもあれば、お前たちの神様でもあるものを」(筒井俊彦訳 岩波文庫)

第131節では、

「そこでもし彼ら(ユダヤ教徒やキリスト教徒)が汝らと同じ信仰に入るなら、彼らも正しい道に踏込んだというもの。だがもしそれに背を向けるなら、明らかに仲間割れの徒」

と言っている。
 明らかに、イスラム教は、ユダヤ教徒キリスト教に続くもので、しかも、最終的に一番正しい宗教である、とイスラム教は考えているのである。

 同じ一神教であり、授かった神の言葉(啓典)を信じているので、ユダヤ教徒もキリスト教徒も、同じ啓典の民としてイスラム教徒は扱う。
 この預言者を通して神に授かった言葉に従うと言うのが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の特徴である。
 イスラム教によれば、天国に大元の聖書があって、その内容が預言者に伝えられたと言う。
 仏教にはその様な預言者などと言う物は存在しないし、神に与えられた言葉と言う物も存在しない。
 釈迦は、考えに考え苦しんだ挙げ句に悟りを開いた。
 仏教の要諦は、釈迦の開いた悟りを、教えるものだ。
 イスラム教徒にはその様な宗教は人間の言葉だから意味がない。
 預言者を通して与えられた神の言葉でなければ意味がないのだ。

 ユダヤ教の聖書(旧約聖書)はユダヤ民族の歴史の流れを語る、物語となっている。
 新約聖書は、イエスの教えの道筋をたどる物語となっている。
 旧約聖書も新約聖書も物語性に富んでいる。
 しかし、コーランは一貫した物語性というものがない。
 何か一つの事柄毎に、アラーの教えが語られる形になっている。
 それも、その教えの基本はアブラハムの宗教だから、旧約聖書の教えと重なる部分が非常に多い。
 ただ、コーランの一番大きな特徴は、終末論がその基盤をなしているということだ。
 この世の終わりの日は必ず来る。今日か明日か、更に何年先か、それは分からないが、必ず終末の日が来る。
 その日には、死者は復活し、神による厳しい裁きを受けて、アラーの教えを正しく守ったものは天国に迎えられ、背いたものは地獄に堕ちて罰を受ける。
 コーランでは、繰り返し繰り返し、この最後審判について語られる。
 それも、その表現が、極めて具体的で、恐ろしい。
 ちょっと長いが、第70章の第8節から第15節までを、見てみよう。
 最後の日には

「大空は溶けてどろどろの銅のごとく、山々は色とりどりに(風に吹き散る)羊毛のごとくなる日、もはや親しい友も友の安否を問いはすまい、たとい顔つきあわせて眺め合ったとて(他人のことなどかまっていられない)罪を犯した者は、もしこの日の罰さえ免れることができるなら、己が息子、己が伴侶(妻)、己が兄弟、己れを庇ってくれるた親戚縁者はおろか、地上の人間そっくりそのままでも差し出しかねない気持ちであろう。それでもし自分が救われるものならば。
 だが、そうは行くものか。ほれ、ぼうぼう火が燃える。頭の皮を剥ぎ取ろうとて、尻込みし、逃げ出す者を呼んでいる」

 どうも、大変に恐ろしいが、コーランは旧約聖書や新約聖書には見られない、この恐ろしい最期の審判の日についてのおどろおどろしい場面を、繰り返し、なまなましく表現している。

 イスラム教の特徴は、この終末論にあり、イスラム教が極めて強烈なのもその終末論に支えられているからだと思う。
 さらに、この終末論にもう一つの要素が入っている。
 それが、パレスティナ問題を難しくしている要因の一つなのだ。

 それについては、また明日。

雁屋 哲

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