雁屋哲の今日もまた

2019-06-09

昭和天皇の戦後責任

前々回書いた、「奇怪なこと」に対して、多くの方がメールを下さいました。

小学館にも反響があり、前回鼻血問題の時とは180度変わって、私を応援して下さる意見ばかりだったそうです

皆さんに私のことを心配して頂いて、大変申し訳なく思うと同時に、そのご親切身にしみて有り難く、厚くお礼を申しあげます。

私は鈍感なのか、闘争精神が旺盛なのか、こんな状態に少しもへこたれることなく、これからも今まで通りに私自身が正しいと思うことを発言していくつもりです。

これからもよろしくお願いします。

 

新刊のお知らせです。私は2000年に、イソップ社から「マンガ 日本人と天皇」という本を出版しました。

この本はその後、講談社のα文庫に収録されました。

今回、天皇が平成から令和に変わるというこの時点で、もう一度天皇制について考えようと言うことで、初版に一章付け加えて増補版としてイソップ社から発行しました。

 

初版の本の内容は、本の帯に編集者がまとめて書いたものによると、

  • 天皇とは何か。

天皇は現人神という神話を日本人にすり込んだ教育勅語。

その内容はいかに荒唐無稽で、事実とかけ離れたものだったのか。

  • 近代天皇制の毒

恐怖と民俗的ナルシシズムを喚起する近代天皇制。

その正体は明治になって作られた「新興宗教」だった。

  • 天皇の軍隊。

日本の社会に根をはる上下関係の締め付け。その源に奴隷の服従を下のものに強いた天皇の軍隊がある。

  • 臣と民。

「君が代」の「君」は天皇を指すものではなかった。民衆の祝い歌に過ぎなかった「君が代」を国歌に据えた。その真意は何処にあるのか。

  • 象徴天皇制

一見無害に見える現代の天皇制。だが、本当にそうなのか。成立のいきさつと共に、天皇を上に載く危険性を考える。

  • 昭和天皇の戦争責任。

昭和天皇は、ヒトラーやムッソリーニと同罪か。

はたまた軍部の暴走に引きずられた犠牲者だったのか。「独白録」などから、昭和天皇の真実に迫る。

  • 天皇制の未来。

天皇制とはやんわりと空気のように充満している権力。

どうすれば我々は天皇制から自由になれるのか。

となっています。

 

以上の内容に、今回は増補として、昭和天皇の「戦後責任」について付け加えました。

初版で、昭和天皇の戦争責任は追及しましたが、戦後責任まで書くことが出来ませんでした。

しかし、昭和天皇については戦争責任だけではなく、敗戦後今日まで続く私達を苦しめているアメリカに対する隷属体制を作り上げた責任があります。

辺野古の問題、アメリカからの大量の武器購入問題、原発再稼働の問題、この全ては日本がアメリカに隷属していることに原因があります。

日本は確かに太平洋戦争でアメリカに負けた。

しかし、敗戦後74年も経っているのに、どうして日本はいまだにアメリカの占領下にあるのか。

日本は独立したことになっていますが、実質はアメリカに全てを支配されています。どこをどう見ても、日本はアメリカの占領下にあり、アメリカの属国です。

どうして日本はこんな惨めな国になったのか。

それは、昭和天皇が日本をアメリカに売り渡したからです。

詳しくは本書を読んで頂きたいのですが、簡単に、要点だけをまとめます。(引用した資料などについては、本書をお読み下さい)

 

1946年に公布された日本国憲法では、天皇は主権者ではなく、象徴となっています。政治権力は持っていません。

ところが、昭和天皇はそうは考えていなかったのです。

敗戦後直ぐに昭和天皇は活動を開始します。

昭和天皇は近衛文麿首相に憲法改正作業を命じました。

しかし、近衛文麿は戦犯に指定されて出頭を命ぜられ、出頭前日に服毒自殺してしまいました。そこで、松本烝治が代わって委員長を務める幣原内閣の憲法問題調査委員会が憲法改正作業を行うことになりました。

敗戦の翌年1946年1月に松本は「憲法改正私案」を昭和天皇に提出しました。

しかし、これは、昭和天皇が命じた憲法改正なので、私案では「天皇が統治権を総攬する」という明治憲法の基本をそのまま残していました。それを見たマッカーサーは、自分の部下に命じてGHQ案を作りそれを受け入れるように政府に迫りました。

ここで注意して頂きたいのは、憲法改正を命じたのは昭和天皇であることです。

昭和天皇は「昭和天皇独白録」の中で「自分は専制君主ではなく、立憲君主なのだから開戦の際東条内閣の決定を裁可したのはやむを得ないことである」と言い、実際の政治には関わらないと言っていますが、憲法改正という重大な政治問題を自分から命令して始めたのです。「立憲君主なのだから政治的に自分の意思を通せない」という弁明とは大いに違います。

 

昭和天皇は1945年敗戦後直ぐに、9月27日にマッカーサーに会うためにGHQの総司令部に行きました。

これは、極めて異例なことです。天皇が相手を訪ねるということはあり得ないことでした。もし会いたいと思ったら、その人物に拝謁を命じて、宮中に来させるのが普通でした。(私的に、遊びで訪問することはあったようですが、このような正式の会見の場合自分から相手のところに行くことはあり得ませんでした)

しかも、直前まで敵として戦っていた相手の指揮官を訪問するとは考えられないことです。

人によると、「命乞いに行った」と言いますが、果たしてどうだったのでしょうか。

またその時撮影された写真が、私達日本人(少なくともこの私)を苦しめ続ける物です

本書に掲載されている写真は不鮮明なのでよく分かりませんが、もっと大きく鮮明な写真で見ると、天皇の目の表情と口元の様子がよく分かります。途方に暮れたような目つきで、いわゆる「まなこちから」は一切ありません。口は半開きになっている。直立不動の姿勢を取っていますが、体中の力が抜けているようで、その情けない顔つきと合わせると、無残なまでに哀れっぽい。

それに対してマッカーサーは、腰に手を当ててカメラのレンズを睨み付けるようにして立っています。その目の「まなこちから」は強烈で、日本人にとって現人神である天皇の横で傍若無人、傲岸不遜、なんという勝ち誇りようであることか。

大きくて体格の良い体、気迫に満ちた表情のマッカーサー=勝者アメリカ、一方、貧弱な体格、情けない顔つきの天皇=敗者日本。

私はこの写真を見るたびに、激しい敗北感と、屈辱感に打ちひしがれる思いがするのです。

日本人にとっては神と崇められていた天皇を、単に自分たちに降伏し命乞いをしてきた人間のようにマッカーサーは扱っている。

これほど日本人にとって屈辱的な写真があるでしょうか。

本当に口惜しい。

私は、マッカーサーがこの写真を故意に撮らせて世界中にばらまいたのだと思います。

この写真があれば、天皇制を我々の頂点に置く今の体制を廃止しない限り、日本人は未来永劫アメリカに頭が上がりません。

この弱々しい姿とは裏腹に昭和天皇はその後10回にわたりマッカーサーと会見して自分の意見を述べ、政治的にかなり高度な問題を話し合っています。

第四回目の会談で昭和天皇はマッカーサーに、「日本の安全保障を図るためにはアングロサクソンの代表者である米国がイニシアチブを取ることを要するのでありまして、そのために元帥のご支援を期待しております」と言いました。

それに対して、マッカーサーは、「日本を守る最も良い武器は平和に対する世界の輿論である。日本が国際連合の一員になって平和の声を上げて世界の平和に対する心を導いて行くべきである(そうすれば、日本が攻撃を受けた場合には世界の輿論が日本の味方をして、国際連合が日本を守るために動くだろう)」と答えました。

マッカーサーの国連主義は昭和天皇にとって不満だったに違いありません。

昭和天皇はより具体的で、更に露骨に安全保障上の問題に介入していきました。

この4回目の会見から4ヶ月ほど経った1947年9月1日に昭和天皇は御用掛の寺崎英成を使って、対日理事会議長兼連合国軍最高司令部外交局長ウィリアム・シーボルトに「沖縄メッセージ」を送り、シーボルトはそれを連合国軍最高司令官及び米国国務長官に送りました。

その「沖縄メッセージ」は現在、沖縄県公文書館がインターネットで公開しています。シーボルトが国務長官に送った書類のコピーです。

https://www.archives.pref.okinawa.jp/wp-content/uploads/Emperors-message.pdf

 

寺崎英成が伝えた昭和天皇のメッセージの肝は、次の点です。

  • 主権は日本が維持しているというフィクションの元に、25年から50年またはそれ以上の年月、米軍の沖縄とその他の琉球諸島の占領を続けて貰いたい。
  • 現在日本の国民は占領が終わった後に国内で左翼と右翼の衝突が起きて、その騒動に乗じてソ連が内政干渉をしてくることをおそれている。したがって、アメリカが沖縄の占領を続けることは広範囲の日本国民に受け入れられるであろう。
  • この軍事基地獲得の権利はアメリカと日本との2国間の条約とするべきで、連合国軍と日本の平和条約の一部とはしない。

 

この昭和天皇のメッセージを読んで、私は絶望的な思いにとらわれました。昭和天皇は沖縄をアメリカに売ったのです。昭和天皇は沖縄を捨てたのです。

今沖縄では辺野古基地問題で揺れている。沖縄の県民投票では、投票した人間の70パーセント以上が辺野古基地の建設に反対している。投票率が50パーセントを超えたので、全有権者の35パーセント以上が反対していることになります。普通なら、これだけの反対があれば政府は辺野古基地建設を中止するべきだが、安倍晋三内閣はその投票結果を無視して辺野古基地建設を続けています。

考えてみれば、今、幾ら反対してもアメリカは70年前に天皇の要請で決めたことに今更何を文句を言っているんだ、と居直れます。

この昭和天皇の沖縄メッセージは、日米安保条約に反映しています。

一旦国家間で結んだ条約は簡単に解消できません。

今、どんなに沖縄の人達が反対しても、昭和天皇が自分から進んで沖縄をアメリカに売ってしまっていては手も足も出ないのです。

 

更に昭和天皇は沖縄だけでなく日本全土をアメリカに差し出しました。

1945年以後の世界は大きく変動しました。

1949年には毛沢東による中華人民共和国が成立し、同じ年にソ連も原爆実験に成功し、核兵器はアメリカの独占ではなくなりました。ソ連と中国という二つの共産主義国家の存在はアメリカの緊張感を高めました。

1950年に対日講和条約を担当するジョン・フォスター・ダレスが日本にやってきて、吉田茂首相と会談しました。ダレスは講和問題や講和後の日本の安全保障問題について吉田茂首相の明確な意思の表明を期待していましたが、吉田茂は曖昧な発言に終始したのでダレスは激怒しました。

ダレスは「日本に、我々が望むだけの軍隊を、我々が望む如何なる場所にも、我々が望む期間だけ維持する権利」を獲得することが重要であると考えるような人物だったのです。

そのような緊迫した情勢であることを摑んだ昭和天皇は「ニューズウィーク」誌の東京支局長であるパケナムを介して口頭メッセージをダレスに伝えました。それは、

「講和条約、とりわけその詳細な取り決めに関する最終的な行動が取られる前に、日本の国民を真に代表し、永続的で両国の利害にかなう講和問題の決着に向けて真の援助をもたらすことの出来る、そのような日本人による何らかの形態の諮問会議が設置されるべきであろう」

というものでした。

この「日本の国民を真に代表する」人間とは、軍国主義的経歴を持っているという理由で追放処分を受けた人達のことです。

昭和天皇はその人たちは見識があり、経験豊かで、日米両国の将来の関係について極めて価値ある助言と支援を米側に与えることが出来るであろうと強調しました。

ダレスはこのメッセージを受けとって、「今回の旅行に於ける最も重要な成果」と評し、提案にある「諮問会議は価値が有るであろう」と同意しました。

更にダレスは「宮中がマッカーサーをバイパスするところまで来た」ことを事態の核心として挙げました。

昭和天皇はこのメッセージを送ることでマッカーサーをバイパスするだけでなく、講和問題や日本の安全保障の問題を首相である吉田茂に任せておくことは出来ないという立場を明らかにしたことになります。昭和天皇はマッカーサーと吉田茂の頭越しにアメリカ政府と直接交渉を持つことにしたのです。

この昭和天皇の政治的行動には驚かざるを得ません。

「自分は立憲君主であるから、政治的決断はしない」と戦争責任について弁明したのは一体誰だったのか。選挙で選ばれた吉田茂を押しのけて、自分が日本の最高責任者としてアメリカに対しています。

この時、すでに日本国憲法が公布されており、天皇は統治権の総覧者ではなく、象徴です。政治的な権限は何もありません。

昭和天皇のこの行為は憲法違反も甚だしい物です。

更にパケナムはこの昭和天皇の「口頭メッセージ」を文書化することになりました。

文書の内容は「口頭メッセージ」と基本的には同じですが、それより一歩進んだ表現があります。

それはこの一文です。

「基地問題を巡る最近の誤った論争も、日本の側からの自発的なオファによって避けることが出来るであろう」

この誤った論争というのは、吉田茂首相が参議院外務委員会で「私は軍事基地は貸したくないと考えております」と明言したことでしょう。

昭和天皇はこの吉田茂の言葉を誤っていると判断して、米軍が日本に基地を持つことを日本側からの「自発的なオファ」とすることで解決しようというのです。

要するに、日本側からアメリカに、日本に基地を作ることを自発的に依頼する、と言うことです。

どうして、ここまでして、昭和天皇は日本に米軍基地を置いて貰いたかったのか。

それは、朝鮮戦争の推移を昭和天皇が深刻に考えていたからです。

1950年6月に韓国に攻め込んで来た北朝鮮はソウルを陥落させると破竹の勢いで朝鮮半島を南下して、昭和天皇の「口頭メッセージ」を文書化しているときには、釜山まで攻め込んでいたのです。

昭和天皇とその側近は「朝鮮半島はそのまま共産化するのではないか」と恐れていました。

朝鮮半島が共産化すると、北朝鮮やソ連の援助を得て国内の共産勢力も勢いづいて、天皇制打倒に動くだろう。そうなっては天皇制維持どころか自分たちの命も危ない、と昭和天皇とその側近は切羽詰まった危機感を抱いていたのです。

昭和天皇は講和条約締結後も、米軍によって昭和天皇と天皇制を防御することが必要だったのです。

そのためには、基地問題は「日本からの自発的なオファ」によって解決されなければならない。ようするに、日本はアメリカに米軍基地を置いて頂けるように日本を差し出す、と言うことです。

差し出す=「自発的なオファ」であるからには無条件な物でなければなりません。

日本から申出る、差し出すことによって米軍の日本駐留が確実な物となり、非武装日本の安全が保障されると昭和天皇は考えたのです。

この昭和天皇の「自発的なオファ」は、ダレスの「日本に、我々が望むだけの軍隊を、我々が望む如何なる場所にも、我々が望む期間だけ維持する権利を獲得する」という考えに適合する物でした。

 

1951年9月8日に(旧)日米安全保障条約が成立しました。

その前文には、次のように書かれています。

「日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその付近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する」

まさに、昭和天皇の「自発的なオファ」がそのまま条約に組込まれています。

アメリカの軍隊が国内その付近に軍隊を駐留させることを、日本が希望しているというのです。

それに対してアメリカは、

「アメリカ合衆国は平和と安全のために、現在、若干の自国軍隊を日本国内及びその付近に維持する意志がある」

というのです。

要するに頼まれたから軍隊を駐留させてやる、と言っているのです。

 

これが日本の基地問題の根底にあるのです。

沖縄だけでなく日本全国におよそ130ほどの米軍基地があり、その駐留費用も日本が負担し、更に思いやり予算などと言って、米軍兵士が快適に過ごせるような施設をつくり維持する費用も負担し、高価な兵器も購入させられ、最近ではイージスアショアといって、秋田市に地上配備型迎撃システムを作ることも強要されています。

しかし、このような基地問題を日本の平和勢力が如何に取り組んでも、根底が最初からこうなっていたのでは、何をしても無意味なことになります。

日米安全保障条約をそのままにして、いくら基地問題を改善しようとしても無理なことなのです。国家間に結ばれた条約は強力な束縛力があります。

したがって、辺野古基地問題をそれだけ論じても全く意味の無いことなのです。

根底は、日米安保条約です。

この日米安保条約がある限りダレスの思惑通り、米軍は日本の国土を自由に使うことが出来るのです。

国際関係の場でも、日本は常にアメリカの言うとおりに行動してきていて、世界中の笑いものになっています。

最近は、安倍晋三氏が、トランプ大統領をノーベル平和賞の候補に推薦して世界中から嘲笑を浴びています。

このような惨めな状態に日本を追い込んだのは、昭和天皇の「自発的なオファ」という言葉に尽きるのです。

昭和天皇は止めようと思えば止められた戦争を止めず、日本を無残な敗戦に追い込み、さらに戦後になると、皇統の維持と天皇制の維持のために沖縄を売り、日本全土をアメリカが自由に使うことを許し、今の日本の哀れな状態を作り出したのです。

私は、これを、昭和天皇の戦後責任と呼びます。

 

簡単にまとめるつもりが、結局長々しいものになってしまいましたが、これでは私の意を尽くせません。

本書にはもっと詳しく丁寧に書いてあります。

是非読んで下さるようお願いします。

私達は、昭和天皇によって、アメリカの鎖につながれてしまったのだと言うことを認識して欲しいのです。

繰返しますが、日米安保条約をこのままにして置いて、基地問題を論じても、基地反対闘争をしても全く無意味なことです。

アメリカは、市民と政府が争っているのを他人ごとのように見ているだけです。少しも痛痒を感じていない。

昭和天皇の罪は深いと私は思います。

 

私はイソップ社と交渉して、「日本人と天皇・増補版」をこのページの読者に、送料なしで定価(1700円)の1割引き(1530円)でお売りするようにしました。

希望される方は、以下いずれかの方法で、お申し込み下さい。

イソップ社担当、首籐知哉宛て。

振り込み書を同封しますので、それを用いて代金をお支払い下さい。

雁屋 哲

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