雁屋哲の今日もまた

2008-05-10

ワールド・ユース・デイ2008

〈「雁屋哲の食卓」を開設しました。
 まずは、「我が家の焼き鶏」 「山羊のチーズ」 「そば二種」の三つです。
 お楽しみ頂ければ幸せです。〉

 今年の7月15日にシドニーで、ワールド・ユース・デイ2008と言う催し物が開かれる。
 これはカソリック教会の主催によるもので、若者たちがカソリックに対する信仰をより深め、祝い合う為の集いで、ローマ法王ベネディクト16世もオーストラリアに初めてやってくる。
 この、催し物には世界中から少なくとも十二万五千人が集まるという事で、その数は2000年のシドニーオリンピックの時に訪れた外国人環境客の数を抜くと言われている。
 国内からも大勢集って、全部で五十万人くらい集まるのではないかと噂されている。
 1970年代に、今や伝説となっている野外ロックコンサートがアメリカのウッド・ストックで開かれたが、オーストラリアの人間は、今度のワールド・ユース・デイ2008は二十一世紀のウッド・ストックだなどと言っている。
 なんでも、警備だけで大変な騒ぎになるらしい。
 最近は人が集まると、テロが行われるという恐れがある。
 しかも、カソリックという宗教組織の集まりとなると、カトリックに反感を持っている人々の中で、頭のねじの狂った人間にとっては絶好の狙い所となるだろう。今から、シドニー中が、ざわついているところがある。

 ところで、このワールド・ユース・デイ2008に合わせて、私にとっては一寸不気味に感じる事が催されることになった。
 1925年に24歳の若さで亡くなったイタリア人、ピエール・ジョルジオ・フラサッティの遺体が、シドニーに運ばれてきて、展示されるというのである。

 ピエール・ジョルジオ・フラサッティは1901年にイタリアのチューリンの裕福な家庭に生まれた。子供の頃から、宗教に目覚めていて、各種のカソリック教会の活動に参加し、また、慈善に熱心で自分の持っている物やお金を貧しい人々に与え続けた。
 ピエール・ジョルジオ・フラサッティが学生の時代のイタリアは、ファシストがのし上がってくる時代だったが、ピエール・ジョルジオ・フラサッティは、「慈善だけでは人は救えない。社会を変えなければ駄目だ」という信念を抱き、社会的な活動も始め、ファシスト政府に捕まって投獄されたりもした。
 彼の父親は、地域の新聞社の社長で、後に駐ドイツイタリア大使になるくらい、地位も金力もあったから、父親の力に頼れば投獄などされずにすんだが、仲間と一緒に投獄される方をピエール・ジョルジオ・フラサッティは選んだという。
 ピエール・ジョルジオ・フラサッティは二十五歳の時にポリオに罹って急死したが、死ぬ直前まで彼が面倒を見ていた貧しい人々に配る金のことをノートに記して姉に後を頼んだ。

 ピエール・ジョルジオ・フラサッティは、貧しい人々に対する時は、彼が尊敬していたルネッサンス時代の牧師、ジロラーモの名前を使っていたので、ピエールの死後、彼に助けて貰っていた大勢の貧しい人々は、ピエールが本当は大変裕福な家の出であることを初めて知って驚いたという。
 ピエール・ジョルジオ・フラサッティの貧しい人々に対する献身的な奉仕ぶりは並大抵のものではなく、彼の死後、彼の世話になった貧しい人々が、カソリック教会に、彼を聖者の列に加えるように要求した。

 ローマ・カトリック教会では、中世以降、教えのために身を犠牲にした殉教者や、伝道に英雄的な徳行があった人物を審査して聖人に列している。
 日本のキリシタン迫害のよって長崎で殉教した人々26人が、聖人に列せられた事は日本人にも良く知られているのではないだろうか。
 しかし、聖人に列せられるのは簡単ではないらしい。様々な審査を経てのことであるようだ。長崎の26人が殉教したのが1596年、聖人に列せられたの1862年。その間、三百年近く経っている。

 ピエール・ジョルジオ・フラサッティの場合、1932年に審査が始まり、1990年に、法王ジョン・ポール二世の時に、Blessed(神聖で、天福を与えられた者)、として認められた。
 この、Blessedの次が、Saint(聖人)になる。
 ピエール・ジョルジオ・フラサッティは聖人になる一歩手前まで来ているのである。

 ピエール・ジョルジオ・フラサッティがここまで崇められるのは、生前の立派な行いによるだけではないようだ。
 じつは、ピエール・ジョルジオ・フラサッティの遺体は83年後の今に至るまで、全然腐敗することがなく、生きていたときそのままなのだという。
 親類の者によると、肌は生き生きとして完全である、と言う。
 この、死んだ後の死体が腐らないと言うのが、キリスト教の宗派によっては意味があるものらしい。たしか、「カラマーゾフの兄弟」の中で長老が死んだ後、死臭がし始めてその長老の聖性が疑われると言うような個所があったような気がする。(大昔に読んだので記憶が定かではない)
 で、カトリック教徒として、これだけ立派な行いをした青年だから、神が祝福し給うて、その証として死体が腐らないで生きていた時のままである。従って、ピエール・ジョルジオ・フラサッティは聖人として扱われてしかるべきだ、と言うことらしい。

 いずれにせよ、ピエール・ジョルジオ・フラサッティの遺体がイタリアからシドニーに運ばれてきて、聖マリイ聖堂で展示されることになった。
 一体どんな形で展示するのだろう。
 棺の蓋を閉めたままでは、ピエール・ジョルジオ・フラサッティの遺体は生きたときそのままである事を見せられず、有り難みがない。
 すると、やはり蓋を開けて、八十年前に死んだ人間の身体を見せるのだろうか。

 私はカトリックのことは何も分からないので、オーストラリア人のカトリック信者の一人に訊いてみたら、顔をしかめて、「自分は見に行かない」という。彼は、そんなことをするのは、カトリックの教えとは関係がないのではないか、と言う。

 私はかつて、ソ連で、レーニンやスターリンの遺体を保存処理して、モスクワを訪ねてくる人々に展示している事を知って、レーニン・スターリン主義というのは、科学的な思想ではなく、愚劣な個人崇拝の宗教であると認識した。
 私は無宗教だが、仏教の影響は受けているかも知れない。
 仏教では一切は無であるという。
 その考え方は非常にすっきりしていて受け入れやすい。
 死んだ人間の身体は鄭重に葬るべきだが、それでお終いだろう。死んでただの物体に戻った遺体にそれ以上の意味はない。
 それに、キリスト教の聖書、旧約聖書を読んでも、死んだ人間の身体に何か意味を見いだすような事は書かれていない。
 私は、その、ピエール・ジョルジオ・フラサッティが大変に立派な青年だったのだと言うことについては異議がない。
 しかし、その遺体を有り難がる、と言うことについては全く理解が行かない。

 むしろ、遺体をその様に外国に持出して他人に見せるなどと言うことは、故人に対して失礼なことなのではないか、と思う。
 私だったら、私の死後、私の身体を見も知らぬ大勢の人に見られるなんて厭だな。
 それに、幾ら尊敬する人であってもその遺体を拝みたいとは思わない。
 今度、ピエール・ジョルジオ・フラサッティの遺体をシドニーに運んで来ることを企画した人々は、ワールド・ユース・デイ2008で世界中から集まる若者に、ピエールの遺体を見せて、カトリックに対する信仰を深め、ピエールのような立派な行いをしようという気持ちを抱かせようと意図しているのだろう。

 しかしねえ・・・・・・・
 私なんか蝋人形館だって気持ち悪くて入っていられないのだ。実際のミイラも見たが、その時も、たまらなく厭な気持ちがした。
 ましてや、83年前に死んだのに生きて見えるような遺体をみるなんて、考えただけで寒気がする。

 これが宗教という物なのだろうか。
 私には宗教という物が全く分からない。
 一つ解せないのだが、どうして、ピエール・ジョルジオ・フラサッティの遺体が腐らず、生きていた時のままだと言うことが分かったのだろう。しょっちゅう、墓を開き、棺を開いて見ていたのだろうか。
 それなら、それで、また奇怪な感じがする。

 とにかく、色々考えさせられたことでした。

雁屋 哲

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