犬のためのバースデイ・ケーキ
良く、犬派、猫派、などと言う人がいる。犬の好きな人と猫の好きな人は違う、という訳だ。
しかし、その意見に私は反対だ。私は、犬も猫も大好きだ。
子供の時から犬猫がそばにいなかった時期は極めて少ない。
私は北京で生まれたが、三歳くらいの時には犬を飼って貰って、テーブルに犬を乗せて、その犬の目突っついてテーブルから落として遊んでいて、親にしかられたという。(どうも、凶暴なガキだったんだな)
私は東京の田園調布に二十年住んだが、私の家のすぐ近くに宝来公園という公園があり、そこに、しょっちゅう子犬、子猫が捨てられていた。朝、学校に行くときに、公園のなかを抜けていくのだが、公園の入り口に、段ボール箱に入れて生まれたばかりの子犬や子猫が捨てられている。学校に行くのに、拾っていくわけにはいかない。
そんな日は、学校にいても気もそぞろで、何も手につかない。
学校が終わると、一目散に帰るのだが、その間に始末されて子犬も子猫も姿を消していることもあるし、体力のある子猫や子犬は箱からはい出して公園のどこかにさ迷っていて姿が見えず、残っているのは弱り切ったもの、と言うことも良くあった。
それでも、何匹か拾っていって、育てた。
両親はよい顔をしないが、頼み込んで飼わせて貰うのである。
しかし、昔はジステンバーや、フィラリアなどに対する治療法が無く、犬など三四年で死ぬことが多かった。
ある時、犬が死んで、その悲しさに、家族の目を避けて裏庭の井戸端で泣いていたら、弟も泣きに来て、「あ、お兄さんもかよ」と弟が言って、二人で泣き笑いしたこともある。その度に、庭を掘って埋めた。その家は敷地が百五十坪あったが、私達が引っ越してから、不動産屋が、三つに割って三軒分の土地にした。
昔はのんびりした風情だった田園調布も、その様に土地の細分化が進んで、息苦しい街になってしまった。
私の家のあった土地を造成するときに、庭のあちこちから、犬や猫の骨が出て来て、工事をする人は驚いたのではないか。
オーストラリアでは、最初はこんなに長くいるつもりはなかったし、日本に残してきた犬や猫に義理立てをして一切動物を飼わなかったが、次男が異常に犬を怖がるので、これはまずいと思って、ラブラドールを飼うことにした。
それが大間違いのもと。次女は異常な犬好きで、私が禁じたにもかかわらず、犬を自分のベッドに入れる。他の兄弟もいるのに、自分で完全に独占してしまう。
挙げ句の果てに、大学に進学する際に、この犬の面倒を見たいから獣医学科に行くという。オーストラリアは、畜産大国なので獣医の地位が高い。高校卒業試験で高い点を取らなければ入れない。幸い、次女は人間の医学部にも進めるだけの点を取ったので、人間の医師になってくれと私が頼んでも、この犬のために獣医になるといって聞かず、とうとう獣医になってしまった。私としては、人間の医師になって貰いたかったので残念である。
次女は、大変に料理が好きで、ケーキなども上手に焼く。
なかなかの腕前で、私は、獣医なんかやめて、料理の道に行けとけしかけるのだが、料理は趣味にとどめる方が良いかも知れない。
その次女の愛する犬。ポチ。十四歳である。
その、ポチの誕生日に、次女はポチのためにバースデイ・ケーキを焼いてやった。バースデイ・ケーキを焼いて貰う犬なんてそんなにいるものではないだろう。
犬なんかにバースデイ・ケーキなんて、贅沢だと怒ったが、次女は、私の誕生日にも、私の大好物のイチゴのケーキを焼いてくれたので許す。
家族中、次女がケーキを焼くのを楽しみにしている。そこらのケーキ屋なんか、相手にならない美味しさである。何でも真面目な材料を使って、しっかり基本に忠実に作れば、美味しい物が出来る。それに、根気と才能があれば。
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