雁屋哲の今日もまた

2012-10-27

ゴキブリ

10日ほど前、手洗いに入った。
私の家は手洗いとシャワー室がくっついていて、手洗いは同時に脱衣所、洗面所を兼ねている。
連れ合いは、毎朝シャワーを浴びた後体重を量るので、体重計を置いてある。
25センチ四方で持ち運びに便利な良くある形の物である。
私が手洗いに入って便器に座ったら、その体重計の下から、成人男子の手の親指大で明るい茶色のゴキブリが出て来た。
何を考えたか、そのゴキブリは便器に座った私の足元までやってきて、そこでUターンして体重計から1メートルほどの距離に置いてある電気乾燥式のタオル掛けのところまで戻って行った。そして、タオル掛けの横に落ちていた何かゴミみたいな物を見つけると、それをくわえて、体重計の下に素早く潜り込んだ。
私はゴキブリがえさ取りをして自分の隠れ家に運ぶ姿を初めて見た。
体重計の下が、そのゴキブリの隠れ家らしい。
ゴキブリは、今まで忌嫌っていたのだが、私も歳のせいで心が弱くなったのか、あるいはそのゴキブリが小型で、明るい色をしていたからか、嫌悪の気持ちは湧かず、なにやらそのゴキブリを不憫に思う気持ちがこみ上げてきた。
ああ、こんな小さなやつが、元気に生きているな、と思うと、しんみりとしてしまったのだ。
私の家は3年前に新築したばかりで、あちこちきっちりとできあがっていて、この手洗い兼洗面所兼脱衣所の一体どこにゴキブリが入り込む隙間があったのか不思議でならない。
それだけ、ゴキブリの生命力は強いと言うことなのだろう。
それから、私が手洗いに入る時に、そのゴキブリは時々姿を現す。
その姿を見る度に私は「おや、元気にやってるな」と嬉しい気持ちになるようになった。
そんなことを連れあいに話したら、「ゴキブリに愛情をかけるなんて」、と笑われた。
たしかに、そうだ。
今までゴキブリを見ると、中性洗剤をかけて殺したり、ゴキブリ取りを仕掛けたりしていた私が、ゴキブリに情をかけるとはおかしな話だ。
最近辛い事ばかりで、私は気持ちが沈んでいて、気が弱くなると言うより心が弱くなってしまっていて、懸命に生きているゴキブリの姿を見ると、「おまえも、辛いだろうにがんばっているな」と、そのゴキブリと自分を重ねて見てしまい、哀れを感じてしまったのだろう。

ところが、昨日、手洗いに入ると、そのゴキブリが、便器に座った私の後ろから現れて、私の目の前のタオル掛けの足元に、逃げるようにして行き、そこで動きを止め、私の方をうかがうような雰囲気を見せる。
私はそのゴキブリの姿や動作を見て、気がかりになった。どうも最初に見た時から比べると、元気がない。
ちょこちょこ走る速さも鈍ったし、全体にやせて(肥ったゴキブリなんているのかしら)、ひからびた感じだ。
しかも、触角の一本が垂れたようになっている。
しばらく、タオル掛けの足元でじっと私の方をうかがって(と私は思った)、思いなしかよたよたした足取りで体重計の下に滑り込んだ。
私は、そのゴキブリの姿を見て心配になった。
やせたし、羽のつやが悪いし、触角は一本垂れているし、足取りも重い。
この十日間ばかり、この手洗い兼洗面所兼脱衣所に閉じこもっているようである。
ゴキブリは、台所に落ちている油一滴をなめるだけで何日か暮らせると聞いたことがある。極めて、わずかな食料で生き延びることの出来る強靱な生命力を持っていると聞く。
しかし、いくら何でも、洗面所兼脱衣所だ。何も食べるものはない。
十日間、ろくに食べるものもなく、飢えてやせ細ったのではないか。
私は、そのゴキブリの身の上がひどく心配になってきた。

手洗いを出て、連れ合いに訳を話して、「なにかゴキブリにやるえさはないだろうか」尋ねた。
私の連れ合いは、ゴキブリが大嫌いで、先日も私の弟が「にいちゃんの奥さんは怖いぜ。はえ叩きでゴキブリを叩いたら、ゴキブリの手足もばらばらに砕けちったよ」と報告してくれたくらいである。
連れ合いは「ゴキブリに餌を上げるなんて、どうかしてるんじゃないの」と驚いた。
「まあ、そんな事言わないで。あいつは可哀想なゴキブリなんだから」と私は連れ合いをなだめた。
連れ合いは、しかたなくビスケットを小指のかけらくらいの大きさに欠いてくれた。
あのゴキブリの体の大きさから考えたら、それでも多すぎるかも知れない。
私はそのビスケットを細かく砕いて、紙の上に載せて、手洗い兼洗面所兼脱衣所の体重計とタオル掛けの間に置いた。

夜遅くなって、連れ合いが、「ちょっと、来てよ」と私を呼んだ。
連れ合いが洗面所の扉を細く開いて中を見るように言う。
すると、おお、あのゴキブリが、ビスケットを食べているではないか。
「お、食べている、ビスケットが気にいったかな」と私は喜んだが、連れ合いはあきれ果てて言った。
「冗談じゃないわよ。ゴキブリを飼ったりしないで。
私が手洗いを使えないじゃないの」
ゴキブリ嫌いの連れ合いとしては、ゴキブリがいては用も足せないと言う。
「大丈夫だよ。あいつは悪いことはしないから」と私は連れ合いをなだめた。
連れ合いは、どうやらゴキブリと折り合いを付けたようで、無事に用を足して出て来たが、ベッドに入ってまでも、「もう、本当にあきれたわよ。ゴキブリなんか飼うなんて」と怒っている。

少し経って、私が手洗いに入ると、ゴキブリの姿はなく、かなり減ったビスケットのくずの間に一本茶色の線が見える。
まるで、ゴキブリの触角みたいに見える。
「ほえ、ゴキブリは弱っていてビスケットを食べている間に触角を落としたか」
と私は思った。

一夜明けて、私が朝手洗いに入ると、ゴキブリが懸命にビスケットを食べている。
だが、私の気配で体重計の下に隠れてしまった。
「なんだよなあ、俺は優しくしてやっているのに、逃げることはないだろう」と文句の一つも言いたくなったが、私の気持ちがゴキブリに伝わる訳がないよな。

昼前に連れ合いが手洗いから出て来て、「ゴキちゃんは、隠れているみたい」という。行って見ると、ゴキブリの姿は見えない。
連れ合いは、「ゴキブリは体重計の中に隠れている」という。
体重計の底には隙間があって、そこからゴキブリは体重計の中に潜り込んでいると連れ合いは推理する。
ビスケットのクズを載せた紙を手にとってよくよく見ると、ゴキブリの触覚と思った茶色の筋は、どうやら、ゴキブリの排泄物であるらしい事が分かった。

「このまま、洗面所兼脱衣所に住み着いたら困るわ」と連れあいが言う。
「じゃあ、元気になったら、外に逃がしてやろう」と私は言った。
体重計の中に隠れているのなら、体重計ごと外に出してやれば外に逃げ出すだろう。
餌をやって元気にしてから殺すと言うのも、おかしな話だし、と言ってこのまま洗面所兼脱衣所に住み込まれても困る。今は独身のようだが、配偶者が出来て、ゴキブリの子供がぞろぞろ生まれても、これは困る。
まあ、何とか数日様子を見て、それから、どうしようか考えようと言うことになった。
体重計の横に、ビスケットのクズを載せた紙を戻してやった。

今夜遅く、手洗いに行ったら、ビスケットの量が昼に比べて減っておらず、ゴキブリの姿も見えない。
腹がくちくなって体重計の中で寝ているのか、あるいはビスケットを食べて元気になって、この手洗い兼洗面所兼脱衣所から脱出したのか。
それはまだ分からない。

私としてはもう少し、ゴキブリと友達関係を続けたいと思っているのだ。
しかし、ゴキブリの気持ちはゴキブリでなければ分からない。
私の一方的な思い込みはゴキブリには迷惑かも知れない。

はあ・・・・・
それにしても、どうして、ゴキブリ一匹のために、こうして心が揺れるのか。
本当に、私は心が弱くなっているのだな。
実は27日に福島に取材に行く。
つらい取材になるに決まっている。
考えるだけで、一層心が弱る。

あわれ、ゴキブリよ、心あらば伝えてよ、
男ありて、ゴキブリに夕餉をふるまい、思いにふけると。
ふける思いは何事ぞ。

雁屋 哲

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