雁屋哲の今日もまた

2009-10-03

楽しい日だった

 私の父は、恐ろしく子煩悩だった。
 私達、姉と弟たち四人の姉弟、全員が、父に大変に愛された
 という思い出しか持っていない。
 良く、人の話で、親に愛されなかったから、それがトラウマになって、自分が親になったときに子供を愛することが出来ず、不幸せな人生を送っていると言うことを聞くが、それは、私に取ってどうしても理解できないことの一つである。
 子供の頃だけでなく、大人になっても、私に取って一番怖かったのは父だった。
 父が怖かった、と言うのは、父が肉体的な、あるいは言葉の暴力を私達にふるうから怖かったと言うわけではない。
 私は父に叩かれたことは生涯に一度しかない。それは、田園調布の家から、鎌倉の家に引っ越すときに、引っ越し前夜になっても私の部屋の片付けを私は全然済ませておらず、それに苛立った父が「これでは引っ越しが出来ないじゃないか」と言って私の背中を小突いた。
 父に叩かれたのは生涯にその時ただ一度だけだ。
 私達子供たちは、父を心から尊敬していたから、父から受ける評価が非常に重かった。讃めて貰えば嬉しいし、叱られたら落ち込んだ。父が怖かったというのはそう言う意味である。
 他の誰に讃められるより、父に讃められるのが一番嬉しかった。
 この歳になってこんなことを言うのは滑稽だが、父が亡くなってしまうと、何か自分で頑張っても父に讃めて貰えないのが淋しく悲しい。

 9月27日にその父の十三回忌の集まりを、鎌倉の中華料理屋で開いた。
 昔、父が良く使っていた料理屋であり、母が十三回忌の会場に選んだのだ。
 母は予約するときに、簡単に名前だけで予約していたので、私達が店に入っていくと店の女将が驚いた。
 もう二十年振りくらいになるが女将も相変わらず美しく陽気で親切だった。私の長男・長女がお腹の中にいるころから知っているんですよ、と懐かしがり、父の十三回忌に使わせて貰うのだと言ったらとても喜んでくれた。
 バラバラのテーブルだと背中しか見えない人間も出て来るので、お女将に頼んで四つの大きなテーブルを一つに寄せて、その周りに全員がお互いの顔が見られるように座った。
 全員で27人。私の父の直系だけでこの数だ。父の生産能力は非常に高い。
 どこの家でもこうなら、日本の人口減少なんてことは起こらないのに。
 姉の長男の司会で会は進行し、母にも一言、とマイクが差し出された。最初、母は「え、私も」とためらっていたが、一旦マイクを握ると、若い物たちにもっと頑張って欲しいと注文を付け、会場は活気づいた。
 次々に、父の思い出話、母のこれまでの苦労に感謝する話、をみんながてんでに語り、大変に気持ちの良い会になった。
 私達の家族会が上手く行っているのは、母と、姉の夫のおかげなのだが、中々改まってみんなが母と姉の夫に感謝の言葉を述べる機会と言う物はない物だ。
 今回は、いい具合に、それが出来てみんな満足した。

 その前の日は、私の家で、姉の次男の結婚披露と、弟の次男が子供二人と嫁さんをアメリカから連れて帰ってきたお祝いのバーベキュー・パーティーを開いたので、二日連続の家族の集まりだったが、全員えらく元気で、会が終わった後、父の孫どもは全員で二次会に繰出していった。

 私は宗教を信じていないので十三回忌など、どうでも良いが、こうして家族一同が集まる良いきっかけになるのなら、十三回忌でも十五回忌でも、三十回忌でも、何度も続けたい物だ。
 とても楽しい日で、父も喜んでくれたことだろうと、皆で言い合った。

雁屋 哲

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