雁屋哲の今日もまた

2016-07-16

中国ショックから大分立ち直った

まずは、お礼から。

ブックレット「さようなら! 福沢諭吉」が購入して下さった方の数が私の予想を遙かに超えました。

これで、9月に出版する予定の「二年C組 特別勉強会 福沢諭吉」も、ある程度は購入して頂けるかも知れない、と希望が湧いてきました。

購入して下さった方たちにお礼を申しあげます。

 

さて、中国から帰ってきて、約2か月。

中国から帰ってきてから、アメリカのサンディエゴに10日ほど滞在することもあって、中国から受けた打ちのめされるような強烈な中国ショックから、大分立ち直ってきました。

立ち直ったと言っても、一種のパニック状態だったのが落ち着いてきて、その代わりじわじわと深く中国という国のすごさが身にしみて来たと言う所かな。

以前、上海から東京に観光に来た中国人が、「凄い都会に連れて行ってくれると思ったら、こんな田舎町に連れて来られて面白くない」と旅行会社の人に文句を言ったと聞いたことがあって、「何を言っているんだろう」と、思いましたが、今回、上海、北京、南京を回ってきて、その文句を言った中国人観光客は正しかったと理解しました。

上海に比べれば、もはや東京は、田舎の小都会に過ぎないでしょう。

1990年代に上海に行った時は、目立つ建物は、あの葱坊主のような形のテレビ塔だけで、見る物と言ったら旧租界地域か、小龍包で有名な、豫園くらいな物だったのに、いまや、高層ビルが、これでもか、これでもか、という具合に立ち並び、私は、「これが上海か」と、ただ唖然・呆然、あまりの変わりように肝がつぶれました。

上海から南京、南京から蘇州へ、と新幹線に乗りましたが、これが凄い。

南京駅には、プラットフォームが15くらいある。

駅の建物は、激しく巨大で、そこに、考えられないほどの大勢の人々が渦を巻くように、あちこち移動する。

駅には大勢の信じられない数の人々います。

しかし、それにしても、駅の建物が巨大というか、私達の常識から外れているというか、とにかく見たこともない規模の物です。

その巨大な駅の構内に、これまた見たこともない大勢の人々が右に左に忙しく、動き回っています。

このような光景は、私の人生で見たこともないものです。

私が最後に中国を訪れたのは、2006年のこと、今から10年前のことになります。その時にも上海や北京の都市としての発展のすごさには驚きました。

しかし、今回驚いたのは,その都市としての発展がすさまじい勢いで成長していることよりも、かつて見たこともない大勢の中国人が至る所にあふれていることです。

以前も,市場などに行けば大勢の中国人に会うことが出来ました。しかし、こんどは市場のようなところではなく、普通の都市の空間、空港、新幹線の駅、主たる観光地、などに人があふれているのです。

私の考えですが、10年前には余り観光地などに行けなかった人達が現在は出掛けられるようになったということではないでしょうか。市街地も同じことで、それまで購買力のない人は表に出なかったが、購買力を身につけた今は、どんどん表に出て来る、と言うことだと思います。

シドニーでも主な観光地は、すさまじい数の中国からの観光客によって、ほぼ、占領されていると言っても過言ではありません。

私が一番印象を強く受けたのは、その人々の、強烈なエネルギーです。

個々人も凄いエネルギーを持っているのに、それが、中国人の集団となると、これはすさまじい。

なんと言ったら良いか、我々から見ると洪水か津波のような勢いです。

世界史を見ると、ある時期にある民族が勢力を拡張して世界を席巻し支配したことが何度かあります。

8世紀のイスラムの勢力拡大、11世紀の蒙古帝国、17世紀以後の、アングロサクソンによる世界支配が、歴史的に身近なことと捉えられるでしょう。

モンゴル、アングロサクソンによる、世界支配も武力・暴力による物でしたが、現在の中国の勢いは、武力・暴力によるものではなく、経済力による物です。

モンゴルによる支配は、ハンガリーまで、イスラムの勢力はイベリア半島(スペイン、ポルトガル)に留まりましたが、中国人の経済的力による進出は全世界に広がり、特にアフリカの自然資源の獲得はすさまじい勢いがありますし、北米、中でもカナダででの、中国人人口の増大は目をむくものががあります。

オーストラリアでも、日本の四国に匹敵するサイズの牧場、50億円もする豪華な住宅、を中国人が取得するという目をむくような例が相次いでいます。

私は今回、中国に行って中国人の,人間としての勢いのすさまじさを体験して、中国のこの勢いは留まることはないと思いました。

人間の勢いが日本人と違います。

同じ麺類でも、ラーメンと今回私が食べて感激した西安の麺とはその内容がまるで違います。日本のラーメンは美味しいのですが、その栄養価は西安の普通の店で食べる麺より劣ることは明かです。

その麺を比較するだけで、中国人が日本人を圧倒する理由が分かったような気がしました。

だらだらと、長生きをするのに和食は健康的で良いのかも知れませんが、爆発的なエネルギーを発揮するには向いていないでしょう。

そしてその新幹線ですが、かつて中国の新幹線の開通すぐの頃に事故があった。それを元に、中国鉄道技術をけなす報道が日本中で行われましたが、まあ、そんな議論はいちど、中国の新幹線に乗ってからにして頂きたい物だと思います。

15以上もあるプラーフォームから次々に出ていく新幹線。

私達は、特等席を確保しました。

1つの車輛に、乗客は8人だけ、一つ一つの座席は,飛行機のファーストクラスの座席のように、ベッドのように平らになる、フルリクライニングシステム。

8人の乗客に、乗務員一人ついて、様々な面倒を見てくれる。

極めて快適、そして、ふと掲示板に表記される時速見ると。時速305キロ。

ガタゴト、音もせず、揺れもせず、極めて静粛になめらかに走っている。

これは凄い技術です。

日本の肝っ玉の小さく、先の読めない連中は、中国が日本の新幹線の技術を盗んだなどと言っています。一体そのような事を言って、何の役に立つのでしょう。日本だって、それまでに欧米の鉄道技術、電動技術を頂いたから、新幹線を作ることが出来たのではありませんか。ある日、突然日本人の頭の中に新幹線の技術が浮かんだわけではありません。技術の進歩、伝播というのはそういうものです。その西欧を発信源とする技術が日本も勿論、中国にも及んだのです。

新幹線が日本の技術などと言う人がいるのなら、そもそも日本のレールの上に動力でもって列車を動かす基本的な技術を日本は誰に教わったのか考えるべきです。日本に、最初の鉄道が敷かれたの明治5年です。

私の長男の中学生のときからの親友は大変な日本びいきで、「さばの塩焼き定食」が大好きという男ですが、彼の曾祖父が実は日本の鉄道開明期のときに日本で大きな働きをしたことが明らかになりました。10年ほど前に長男の親友が日本でJRの本社を訪ねて色々聞いた所、そこは日本という国の凄い所で、その頃の記録が全部残っていました。そして、長男の親友の曾祖父の墓が横浜の外人墓地にあると言うことまで突き止められたのです。で、長男と、その友人が横浜の外人墓地に行った所、そこの一角に大変大きな墓碑が建てられいて、長男の友人の曾祖父の功績をたたえていました。長男の親友の感激はただ事ならないものがありました。私も、日本という国のすごさを、その時に改めて感じました。

元々日本びいきの長男の親友は、それいらい、日本に対して異常とも言える愛情を抱き「おれは、前世は日本人だった」とまで言い出す始末。

日本の鉄道技術もそのようなイギリス人の協力があって初めて築き上げられたことで、文明という物の普遍性を考えると、元の技術を作った国をこえて世界中に独りでに広がるものであって、なにか、特別な特許でも取れない限り、文明の技術は、それを受け入れる国の文明程度、経済程度によって容易に伝播されるものであると言うことです。

日本の新幹線の技術は極めて高度で緻密な物で、その全てを中国が物にしたかどうか分かりません。しかし、中国の新幹線は最初こそ問題があったかも知れませんが、それも克復して、毎日何百万の人々を運んでいます。

私が言いたいのは、日本の明治維新のときのような活気あふれる指導者が現在の中国を率いていると言うことです。支配者自身の政府の腐敗などもありますが、中国全体としての人々の活気は、今の沈滞した日本人とは比較にならないものがあります。日本の明治開国時代の支配者たちの腐敗の酷さを考えると、今の中国の支配者たちの腐敗を批判できる物ではありません。

元々中国は、紀元前16世紀の殷王朝に始まって、最後の清王朝に至るまで、数え方によりますが、15ほどの王朝が変わっています。中には、漢民族とは異民族のモンゴル民族による、元王朝。満州族による清王朝があります。

しかし、幾つ王朝が変わろうと、中国人は中国人のままです。王朝が変わろうと,そんなことは自分たちとは関係ない。王朝の支配には忠実に従っても心の中は何も変わらない。それが、中国人のすごさだと思います。

モンゴル族による元王朝も、一旦中国に入るとそれまでの漢民族の王朝と同じ支配形態を取り、文化も中国文化に染まりました、「元曲」といって、元の時代は戯曲が盛んになりましたが、それも、あくまでも中国文化でしかなく、モンゴルの文化ではない。

満州族の清王朝になって、第四代の康煕帝によって「康煕字典」という漢字辞典が作られました。中国の歴史を通じて使われてきた漢字の音と意義について詳しく書いた辞典です。満州族の王朝が満州族の文化ではなく漢民族の文化の中心である漢字についての辞典を作成したのです。清王朝が、中国人に対してしたことは、弁髪といって、男が髪の毛を長く結って背後に垂らす風俗くらいのものでしょう。

私の考えでは、現在の中国は、「毛沢東王朝」あるいは、「中国共産党王朝」という「王朝」の支配にあるだけであって、中国人は、紀元前1600年前の殷の時代から、本質は何も変わっていないと思います。これだけの数の王朝が次から次に変わっても、中国人の本質は何も変わっていないのです。現在の「中国共産党王朝」が崩れれば、中国人は次の王朝と上手くやって行くでしょう。

毛沢東は、「大躍進政策」の失敗で、飢饉などによって三千万人を殺し、「文化大革命」によって二千万人以上を殺したと言われています。それでも、いまだに天安門の正面には毛沢東の大きな肖像画が掲げられています。私は、これも「毛沢東ー中国共産党王朝」の間のことだけであって、これから何十年先か百年先か分かりませんが、この現在の王朝が他の王朝に取って代われたら毛沢東の肖像画は捨てられ、新たな王朝の指導者が君臨することになるでしょうが、それでも、中国人は絶対に変わらないと私は確信を持って言えます。

中国人は、本当に凄いのです。

これまでの、一つの王朝から次の王朝に移るまでの間は混乱が続きましたが、一つ王朝が定まると、中国人はその王朝がたとえ、それまで自分たちが馬鹿にしていた蒙古族や満州族の王朝であっても、その王朝を中心にして爆発的に勢いを広げ繁栄してきたのです。

現在の「中国共産党王朝」も毛沢東をへて、鄧小平に至って、清王朝末期からまでの混乱が収まり、中国人本来の力を発揮できるようになると、たちまち経済的に発展しました。それまで押さえられてきた中国人の本来の力が鄧小平によってとき離れた結果でしょう。

これまでの長い中国の歴史を振り返ってみると、「中国共産党王朝」はまだ急には力を失わず、これから五十年先までは中国を支配していくことは確実です。

直近の王朝を見ると、宋王朝が、960年から1279年、元王朝が1271年から1368年まで、明王朝が1368年から1644年まで、清王朝が1644年から1912年まで、と続きました。元王朝が100年という中国の歴史の中では短く、清王朝が1600年代からイギリス・フランスなどの侵略を受けて、実態としては、1912年以前に王朝としての権威も支配力も失ったいました。二十一世紀の現在、世界情勢は昔とは大違いで、中国でも今の王朝が今までのように100年以上続くとは言い切れないので、ここでは仮に50年先きと言っておきます。

これから考えると、現在の「毛沢東ー中国共産党王朝」は、これまでの中国の王朝と同じ形態を取っているので、必ず終わりが来ます。

中国人と、その中国人を押さえた各朝廷の支配関係を考えると、現在の「中国共産党王朝」の成立基盤の基礎は極めて弱いもだと思います。先日のパナマ文書の件で、すでに腐敗した共産党の幹部の地方幹部が違法に蓄積したものが明らかになりましたが、カナダ、オーストラリアなどに、汚職で稼いだカネはすでに現地に移し安全な状態にしてしまっており、その官僚が何かの間違いで、中国で財産を没収された時には、すでに、国籍も移してある子供、妻を頼りに自分も、カナダ,オーストラリアなどの矛を受けようという計算ですオーストラリア人である妻やむこたちに,中郷の税制は及びません。

毛沢東は、共産主義者のように考えられていますが、私は、毛沢東は、共産主義を、それまで各王朝を倒した英雄たちと同じように自分の体制を築くために利用したもので、本心からマルクスの共産主義とは違う考えを持っていたと思います。毛沢東は、それ以前の王朝を築いた英雄たちと、その心情と行動については全く変わりがないと私は様々な毛沢東についての本や論文を読んで理解しました。自分の王朝を築くために利用する道具として共産主義というイデオロギーを利用しただけのことだと思います。

マルクスの政治論「プロレタリアートが権力を握る」、という考え方は美しいのですが、レーニン、スターリン、毛沢東、はそれを利用して、それ以前のどんな暴君も恐れて尻込みするような人民の圧殺を行いました。レーニン、スターリン、毛沢東は、プロレタリアートの中で、少しでも知恵があり事態を理解する物は殺しました。ロシアで言えば、皇帝時代の農奴と呼ばれる、隷属的に権力に従うものだけを生かしてきました。

イデオロギーの信仰が、それを操る人間によって、その本来の目的を越えて逆に人民を途方もない悲惨な目に遭わせる道具になる、という恐ろしい実例です。

現在の中国は、鄧小平によって、毛沢東の厳しい縛りが経済の面にだけ緩められたという状態でしょう。言論の自由は最近更に厳しくなったようで、私のような人間であれば、中国で生きること出来ません

基本的には「毛沢東主義」を標榜しながら、実際は西欧的な資本主義で経済を回すという手品のようなことを中国指導者たちは1990年代から盛大に行ってきて、現在の経済的な繁栄を築いたのです。

しかし、それも中国人がもつ力のおかげです。

中国人は元々持つ力を、鄧小平によって経済についてだけ窓口を開けられただけでわずか20年でここまでの経済発展を遂げました。

中国歴代王朝と現代の「中国共産党王朝」のあり方はあまりにもそっくりです。

中国人自身は中国4000年の歴史の間変わらないとすれば、今私が挙げた各王朝と同じく、現在の「中国共産党王朝」もはやばん終わるでしょう。

しかし、それが何時なのか分かりません。私は、少なくともこれから50年以上は、経営が上手く行きさえすれば、現在の「中国共産党王朝」は続くのではないかと思います。

と言うことは、今日本で生きている私達は、最低でも50年間は中国帝国のこの勢いの下で生きなければならないのです。

明治維新後、日本が出会った中国は清朝末期の混乱した中国でした。本来の中国ではありません。

その中国感によって、日本はそれまで日本の文化の根底を中国から学んだにも拘わらず、福沢諭吉のようにその場の中国の衰退をみて中国を蔑視して中国を侵略しました。私達の曾祖父、祖父、父親たちは中国人の本来の力を理解できなかったのです。

ここで、親自慢で恐縮ですが、私の父は大学を卒業してからすぐに中国に渡り、15年以上中国で過ごしました。私の父親は、口癖のように「中国人は偉大だ」と言っていました。当時、日本の支配下にある中国で生きていた人間がそのような深い感慨を抱くほど、政治の圧迫から自由になったらどんなに中国人は凄い力を発揮するか、私の父は中国人の本質を見抜く力を持っていたと思います。

私が今回中国で肝を抜かれたのは、私の父親の言葉が正しかったことを確認したことです。

私の父親の言うように「偉大」かどうかは分かりませんが、その勢いのすさまじさは、ただただ恐ろしものとして肌身に感じました。

日本人はなぜか、いまだに日本の方が知的に勝っていると思いたがるようです。

しかし、今年のコンピューターの計算速度の競争では、2016年のTOP500で世界のスーパーコンピューターの中で、 中国のスーパーコンピューターが1番、日本の誇る「京」は5番目というのが実状です。さらには、人工頭脳の部門でも、日本は中国に遅れてしまっています。

新幹線も外国に輸出するまでの技術を蓄積し発展したものをもって、日本を始めとする各外国を圧倒しています。

日本の「中国ジェラシー党」の一派は大々的に中国の技術的な失敗をはやし立てていますが、それは、負け犬の悲鳴でしかありません。繰返しますが、まず、中国の新幹線に乗ってみろ。と言うことです。

今回私が中国を10年ぶりに訪れて感じたことは、「中国人の力のすさまじさ」でした。

私達日本人は、明治維新の時代が「清王朝」も末期の混迷時期だったために、それを中国人と捉える言論が跋扈したために、(たとえば、福沢諭吉の中国論)、中国人の本来の力を評価出来なかったのだと思います。

中国の長い歴史を考えると、それは、人類の文化の歴史を考えるのと同じことになります。中国文化の影響は世界中に広がっています。私達は人類の文化の源泉としての中国を考えなければなりません。

日本の右翼、国粋主義者の一部には中国を蔑視しする人がいますが、「右翼」「国粋主義」「国体」「教育勅語」「君が代」「巌」「千代に八千代に」「宝祚極まりなし」などという言葉を大和言葉で言えますか。第一「天皇」と言う言葉すら、中国から貰ったものでしょう。それらの概念を大和言葉と称する日本元来の言葉で言えますか。言葉は文化の根底です。人たちの持つ概念を自分たちの持つ字で表すことが出来ないなら、そのような文化は「世界に一個」と強調することは出来ないでしょう。

私は、中国人の力のすさまじさにひれ伏して、中国人の言いなりになれと言っているのではありません。

その逆です。

日本人が、きちんと中国人とこれから競争して,協力し合い、少しでも日本人中国人ともに幸せな生き方をしたいというのが本音です。

何か、やたらと競争し合って、競争した相手は地獄まで蹴落とすというコンピューターゲームのような人生観を持っていては、地球情の人々の生活は地獄に陥るだけです。

最近の中国は、自分たちのGDPが日本の2倍を超えたことから、日本を小国扱いして尊大な態度を取りますが、これこを歴代の中国王朝の周辺国に対する態度です。

日本の13倍もの人口を要する中国が経済的に発展を遂げ始めたら、誰もとめられません。日本の本屋の店頭に並ぶ中国経済崩壊をうたう本は出版するのには早すぎたと思います。これらの著者に望むことは、これから50年は続く中国の経済発展をきちんと読んで、それに対応する,理性的な本を書いて欲しいと言うことす。なにやら、自分自身の負けを認められずに、互いの傷をなめ合っているようでは、ますます、破滅的なと言うより、破局に陥ります。

今回の私の中国旅行は、本来の目的である、褚遂良の書を見ることから外れて、中国人の勢いのすさまじさを実感し、同時に、このままでは,日本はアメリカの属国である事実に加えて、中国にも遣唐使を送った時代に戻って貢ぎ物を贈って最先端の学術技術を学ばなければならない日が来るという、予感を得たことです。

これから50年、私が命を終えた後、ますます中国の力に日本は圧倒されていくでしょう。

経済の中心はアメリカ、ヨーロッパ、中国のになるでしょう。

日本はこれかの50年間を如何に如何に生き延びるのか、それを真剣に考えなければならないと実感しました。

浅薄な「日本主義」「日本大国思想」「日本に技術の優越性」はすでに、昔の思い出でしかありません。21世紀は始まったばかり、

これからの百年間を日本はどう生きて行くべきか、私は今回の中国旅行で大いに得ることがありました。

勿論、中国経済発展は無視できないものですが、我々日本人としては、中国の津波を逃れ、その上に立つ方策を立てなければなりません。

目先の中国との経済競争で、我を失えばからず、負けます。

我と我自身を保ち、正しい方向を失わなければ中国のスケールには敵わないけれど、実質的には中国より豊かな国作りは出来る。私は、そう信じています。

しかし、こんな風にまで自分の考えを追い詰めなければならないほど、今回の中国旅行でみた、中国人のすさまじい力は私を圧倒した。

本屋の店頭に並んでいる、愚かな「反中本」は手に取るも愚か。何も真実を知らない人間の書いた戯言。

自分で実際に中国の情報をえて、真剣に考えて頂きたい。

今回の私の中国報告は、なにやら、中国人のすごさに圧倒されてしまって、他の点に目が行かなかったように見えるけれど、わっはっはっはあ。私は美味しんぼですよ。

食べ物を通してみると、その国の実状が公的報告より遥かに良く分かるのです。

しっかり中国の美味しい物も不味いものも沢山食べてきましたよ。

私の次の中国報告を楽しみにして下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雁屋 哲

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