雁屋哲の今日もまた

2008-06-11

入れ墨

 最近、耐え難く不愉快なのは入れ墨の氾濫である。
 欧米での若い人達の間で、ファッションとなっていて、それが何でも欧米の真似をする日本人の間にも広がっている。
 昔は日本で入れ墨をするのはやくざ物と決まっていた。以前、ハワイのパスポート検査の際、入れ墨のある人間は「ヤクザ」とみなされて入国禁止処分になると聞いたが、いま、そんなことを言っていたらハワイは欧米からの観光客のかなりの数を入国禁止にしなければならなくなる。

 呆れたことに、日本の若者の間では、入れ墨を、タトゥーと言い、タトゥーはおしゃれな物と考えられていることだ。
 最近NHKテレビを見ていたら、有名な女性歌手が、長時間のインタビュー形式の番組に出ていたのだが、むき出しの二の腕に入れ墨をしていた。その可愛らしい顔と、その入れ墨の模様の愚劣さ、汚らしさとの対比が吐き気を催させたし、第一、NHKの倫理規定に、入れ墨は抵触しないということに驚いた。

 私は昔からある日本の入れ墨は、自分では入れたいとは思わないが、評価する。
 唐獅子牡丹や昇り龍の図柄の入れ墨には、はっとさせる美しさがある。

 谷崎潤一郎はその作品「刺青」を、永井荷風に絶賛されて、それで一躍世に出て文豪と称されるまでになった。
 私はあまり世間が谷崎潤一郎を文豪、文豪といって褒めそやすので、三十年以上前に全集を買ったが、私にとって谷崎潤一郎の作品は何一つ心を打つものがなく、こんな作家を文豪と祟める日本の文学の世界を甚だしく軽蔑した。

 日本は「空気」と言う物に支配される国である。
 一旦何かの拍子に文豪などと言われ始めると、大半の人々はその作品の価値を自分自身で確かめもせず、文豪と崇め奉まつる。みんなが文豪というのだから、崇めておこう、と世間の「空気」に従うのだ。
 文学に限らず、絵画の世界も同じである。
 日本で文化勲章を貰った画家の作品は世界ではまるで通用しない物が多い。
 谷崎潤一郎の小説は、確かに文章は立派だ。語彙も豊富だし、その背後に漢文学を始め様々な古典を勉強した教養の深さがあるのがうかがえる。
 しかし、その内容は、戦後の日本のいわゆるSM小説と大差ないものが大半だ。
 私は谷崎潤一郎の小説を読むと、濡れ雑巾を顔におしつけられたような厭な気持ちになる。

 大体、何故、あんなSM小説作家に文化勲章などを与えるのか。
 私は文化勲章に限らず、勲章などと言う物は犬の鑑札と何ら変わらない、下らないものだと思っているが、少なくとも、天皇の名において国家が勲章の中でも最高位に位置する文化勲章をSM小説に与えるとは、日本という国は奇怪な国だと思う。
 谷崎潤一郎に文化勲章を与えた天皇自身、谷崎潤一郎の作品を読んだことがあるのかね。昭和天皇というと、天皇服を身につけ白馬にまたがった大元帥としての印象が強い。その天皇と、あのSM小説との組み合わせは冗談みたいな物だ。

 私は谷崎潤一郎の作品は評価できないが、「刺青」は、悪くないと思う。
 江戸時代、入れ墨はヤクザ者だけではなく、とび職、町人、侍も入れていた。
 江戸末期の町奉行、遠山左衛門尉景元、「遠山の金さん」も背中に桜吹雪の入れ墨をしていたというのは時代劇でおなじみだ。

 小説「刺青」はその時代の江戸を舞台にしていて、清吉という彫り物(入れ墨のこと)の名人が、ある時料理屋の門口に駐まっていた駕籠の簾の隙間からこぼれ見えた女の素足の真っ白な肌の美しさに心を奪われるところから始まる。
 その娘は、偶然清吉の馴染みの芸妓の妹分で、ある日その芸妓に用を言いつかって清吉の家に来る。
 清吉は、その十六、七の娘が、あの駕籠のすだれからこぼれ見えた美しい素足の持ち主であると気がつく。
 中国の殷王朝の紂王は暴君として知られているが、その妃、末喜(ばっき)(谷崎潤一郎はこう書いているが、史書では妲己⦅だっき⦆とされている)が、残虐な刑に処せられようとしている男を、酒を飲みながら眺めている絵、更に「肥料」という題の、若い女が桜の幹に身をもたれて、足元に累々と倒れている男たちの死体を喜びに溢れた眼で見下ろしている絵、を清吉は娘に見せる。
「お前はこの絵の女のように、男を肥料にし、美しい女になっていくのだ」と娘に言う。
 そして清吉は、娘の背中に大きな女郎蜘蛛の入れ墨を彫る。
 入れられた娘は、最後に自分の背中の女郎蜘蛛に満足して、末喜のように、「肥料」の中の女のように、男を支配する女に変身して、清吉に言う。「親方、私はもう今迄のやうな臆病な心を、さらりと捨ててしまひました。・・・・・・おまえさんは真先に私の肥料(こやし)になったんだねえ」と言う。

 谷崎潤一郎が凄いと思うのは、この小説の中で、娘の名前は記されず、最初は娘、と書かれる。しかし、入れ墨を入れられた後、突然、女、と記される。
 娘から女へ。入れ墨を入れることで、変身する。
 そこのあたりは、見事だと、思う。

 白く美しい、十六、七の娘の背中に彫られた女郎蜘蛛の「刺青」とは、どんな物か、想像しただけで、怖いような美しさを感じる。
 こういう、刺青なら、納得する。

 しかし、いま、世界中に氾濫している、タトゥーは、その柄がまず低劣、愚劣、醜悪、稚拙、見るも無惨な物ばかりだ。
 しかも、色が殆どくすんだ紺色だ。実に汚らしい。
 最近の若い女性は、丈が非常に短いブラウスやTシャツを着て、股上が非常に浅いパンツをはく。ブラウスやTシャツとパンツの間に隙間が空く。
 腰の上の肌が丸見えになる。その部分にタトゥーを施す女性が多いのだ。
 腰全体に広がるような巨大なタトゥー。
 もう、それを見ると、何とも言えない厭な気持ちになる。がっかりする。

 ベッカムがユニフォームを脱いで上半身裸になったら、めちゃくちゃなタトゥーで上半身を埋めているのが分かった。非常に落胆した。

 入れ墨は一度入れると消すのは困難だ。一生ぬぐい去ることは出来ない。描き直すことも出来ない。
 それなのに、若い人達が、その美しい肌に、どうしてあんな愚劣な模様のタトゥーを入れるのか。
 その気持ちが分からない。
 折角の美しい肌を台無しにして何が嬉しいのだろうと思うし、こんな愚劣な模様を彫り込むなんて、その知的程度の低さ、美的感覚のなさ、を世界中に宣伝して歩いていることではないかと、呆れる。

 ポルトガルのリスボンの街に、タトゥーの店があった。その店の通りから見える待合室では大勢の若者が順番を待ちながら、タトゥーの図案集を熱心に見て、自分に入れる入れ墨の模様を選んでいた。
 私はそれを見て、たまげた。時代が変われば人の好みも変わる。仕方のないことなのかも知れないが、余りに美的感覚が荒廃していないか。

 先日、病院に膝の人工関節の検診に行ったら、エックス線科の受付の三十代の男数人が全員腕に入れ墨をしていた。
 病院の職員でもこうなのか、とうんざりしたが、撮影して貰ったエックス線写真を持って外科医の所に行こうとエレベーターに乗ったら、後から乗ってきた四十代と思われる男が耳の下にどくろの入れ墨をしているのを見て、すっかり気分が悪くなった。

 本当に、厭な世の中になった物だ。

雁屋 哲

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