「子育て記」の遅れ
〈「雁屋哲の食卓」に「奇妙な昼食」を追加しました〉
リハビリに行くのはいつも午後なのに、今日は病院側の事情で午前になった。
ひどく疲れた。
帰ってきて遅い昼食を取ったら、疲労感が耐えられないまでになり、ベッドに倒れ込んだ。
しばらく、うとうととしたが、この日記と、自分で設定した期日の迫った仕事のことも思いだし、ベッドから這いだし、コンピューターに向かっている。
自分で期日を決めた仕事というのは、このページに分割連載している、「シドニー子育て記」である。
本当は、五月に出版するつもりだったが、膝の手術で遅れ、七月に延ばしたが、それも延ばした。
何が何でも、九月には出版したいので、七月半ばまでに原稿を仕上げなければならない。
シュタイナーについてどう記述するか、その点で苦しんでいるのが、原稿の遅れの一番の原因だ。
「子育て記」はシュタイナーの思想を説くのが目的ではないし、日本には子安美智子さんという、シュタイナー教育を初めて日本に紹介した方がいる。他にも、シュタイナー教育を実践されている方たちもいる。
シュタイナー教育について説くのは、そう言う方たちに任せておけばよいのだが、子供たちにシュタイナー教育を受けさせたので、子育てについて語る時にシュタイナー教育についてある程度のことは言わなければなるまい。
どの程度まで書くか、その案配が難しい。
血液の大半を入れ替えるような大きな手術の後はやはり色々と体調が優れない。
気持ちも弾まない。
仕事が思った通りに進まないので、余計に気持ちが沈む。
もともと、自分の楽しみとして、また、家族に思い出を残しておいてやりたいと思って書き始めた「子育て記」だが、シュタイナー教育について悪意に満ちた風評を流す手合いがオーストラリアにいるので、その様な風評に対抗した内容を盛り込まなければならなくなった。
実に鬱陶しいことだ。
そんな風評を飛ばす連中のことなど無視すればよいのだが、これについてもきちんと書いておかなければ、気持ちが悪い。
楽しむつもりだった「子育て記」で、こんな格闘をしなければならないとは、予想もしなかったことだ。
振り返ってみると、シュタイナーをどう書くかで一月空転してしまっている。
シュタイナーの件は早めに片付けて「子育て記」を仕上げたい。
きょうもこれから、夜中まで楽しみつつ格闘だ。