最近読んだもの
最近読んだもの。
①「この男イヤだ」 石坂啓 週刊金曜日 2019年8月30日号
石坂啓さんが週刊金曜日の編集委員を辞めて、それまで連載していたエッセイも中止になったので、私は大変に不満を抱いている。
石坂啓さんのエッセイは、手打ちのきしめんを、釜揚げにしてちょっと辛めのつゆで食べるような感じがして、毎回楽しみにして読んでいた。
それが、突然終わったので、私は大変に不満なのだ。
それが、8月30日号から、新連載が始まった。
続き読み物、「この男イヤだ」、第一回目が「トオル」となっている。
今回はトオルだが、次々に、イヤな男を描いていくのだろう。
この第1回の主人公の女性の名前はB。トオルは、Bのこれまでの愛人で、二人は同棲している。
今日勤めに出る前に、トオルはBに別れ話を持ち出す。
まず、この言語感覚が普通じゃない。
トオルは普通の人名だが、Bはそうではない。
Bとは、記号、符丁であり、名前や素性を隠すためだ。
普通なら、主人公の名前は通常の人名を使うところだ。
主人公の名前が符丁とは、まるでカフカみたいだ。
週刊金曜日の見開き2ページの作品だから、込み入った筋はない。
Bはトオルの持ち出した別れ話を簡単に承諾する。
トオルが勤めに出た後、Bは自分とトオルについて色々と考える。
自分は、トオルに好かれるように化粧も、服装も、セックスも色々と尽くしてきた。Bはトオルは「どうして私をいらなくなったのだろう」と考える。
「自動掃除機がBの足元に触れてクルンと向きを変えた。これくらいのことなのだきっと。嫌いになったわけじゃないということは。卑怯なんかじゃない。そんな言い方しかできなかったのだ。離れるための理由が『他の女を好きになった』じゃ私が傷つくと思って、そんな言い方をいたのだ。わかってるよトオル、あなたのやさしさは。だから私も、あなたにやさしいままの気持ちでお別れしたい。私のことはもう心配しなくてだいじょうぶ。」
とBは考える。
そして、夜、帰ってきたトオルと食事をする。
「『いい匂いだな』。焼いた肉を皿に盛り付けるとトオルは笑顔をのぞかせた。部屋着に着がえるときに彼のくつ下が片方裏返しになっていることにBは気づいたが、何も言わなかった。昼間どこかでくつ下を脱ぐ場面があったのだ。こういうときにタフじゃないと泣いたり黙り込んだりしてしまうのだろう。私はふだん通りにトオルにつくすことができる。最後まで。
トオル、私も正直に言うわね。」
そして、Bはトオルに、トオルのセックスの仕方がダメだと、率直にこまかく言う。
ここまで、相手の女性に言われたら男として立ち直れないだろうと思うようなことを、細部にわたってBはトオルに言う。
それも、こうだ。
「Bは最大級にやさしい笑顔でトオルをまっすぐに見て言った。彼の好きな甘い声で」
と、これで物語は終わる。
見開き2ページの物語だが、これは、重くて厳しい。
私は恥ずかしながら、恋愛経験はないに等しい人間で、男女の間の機微については全くと言って良いほど分からないのだが、この掌編が切り取って突きつけて見せた人の心の寒気がするような感じはよく分かる。
これは、名作掌編だ。
私はこれを、漫画に書いてもらえないだろうかと思う。
ちょっと漫画にするには難しい場面もあるが、石坂啓さんの漫画であれば、また別の深いものを表現できると私は思う。
石坂啓さんの漫画が連載されれば、週刊金曜日の読者数は増えるだろう。
②「日航123便 墜落の新事実」 青山透子 河出書房
③「日航機墜落事故 真実と真相」 小田周二 文芸社
この二冊の本は、1985年8月12日に起きた、日航機123便墜落事故について書かれている。
この日航機123便の事故は、日本中を揺るがす大事故だった。
当時の公式発表によれば、
事故の原因は後部圧力隔壁に亀裂が生じ、それが引き金になって隔壁に穴が開き、機内の与圧された空気が一気に流れる「急減圧」が発生。それにより垂直尾翼が破壊されて操縦不能となり、墜落したとされた。
この機体はその7年前に尻もち事故を起こし、圧力隔壁が破損しそれをボーイング社が修理をした。その修理が不十分だったので、飛行中に圧力隔壁に亀裂が生じたというのだ。
私は最近に至るまで、その政府の公式発表を信じていた。
この事故に関して色々な本が出版されているが、どうもいわゆる陰謀説であって信じるに足るものではないと思っていた。
大きな事件の後には、様々な陰謀説を唱える人が現れるものである。
しかし、上記、青山透子氏と小田周二氏の著書を読むと、これは、人の気を惹くためにデッチ上げた陰謀説ではないと思った。
青山透子氏は、かつて日航の機上乗務員がステュワーデスと呼ばれていた時代に、ステュワーデスだった人。
日航機123便の事故で、生き残った4人の中の一人、落合由美さんの後輩だった。
青山透子氏は123便の中で、乗客たちを励ましながら働いていた自分の先輩たちのこともあり、当時の新聞報道や資料を読み込む内に湧き出てきた疑問を追求するようになった。
青山透子氏は、これまで取り上げられることのなかった、群馬県上野村村立小学校と、村立中学校の生徒たちの目撃証言を事故直後にまとめられた文集から集めて分析している。
群馬県上野村は事故機が墜落した御巣鷹山がある村である。
その小学校、中学校の生徒たちの目撃証言は政府の公式発表を覆す内容だ。
その他にも、青山透子氏はいくつかの重要な事実を摑んでそれを元に説を展開している。
青山透子氏の説は、事実を元にしているので、信頼できる。
小田周二氏は、事故の遺族である。
この事故で、次男15歳、長女12歳と親族三名を失っている。
この事故について、航空機事故調査委員会の発表した「航空事故調査報告書」は「矛盾」と「疑惑」に包まれていて、遺族だけでなく、国民からも非難と顰蹙の対象となっている。しかし、国はそうした遺族や有識者の反論に真摯に対応せず事故から、30年も無視し続け、説明すら行わず、その責任義務を果たしていないと氏は考えている。
小田氏たち遺族は事故の発生当時から、自衛隊の「墜落場所の確定引き延ばし行為」や「救出活動の遅延行為」に対して不愉快な疑惑と疑念を感じていた。
そこに、「航空機事故調査報告書」が発表された1987年から8年後の1995年に米軍アントヌッチ中尉の告白証言によって、日航機123便の乗客524名は何らかの重大な事件に巻き込まれたことを小田氏たち遺族は確信した。
小田氏はこのままでは、自衛隊・政府が望むような事故風化が進むと考えて事故原因の真実と真相の解明、究明に立ち上がったのだ。
小田周二氏の論の展開は、事実を元にして論理の道筋が通っている。
いい加減な、陰謀説ではない。
青山透子氏と小田周二氏の著作を読んで、私は二人の論の展開は事実を元にした理性的で論理的なもので、信頼できると判断した。
青山透子氏と小田周二氏は別個に調査・原因救命活動を続けたが、両者の結論は重なる。
両方を合わせてみる。
1)事故原因は、事故調査委員会の報告書にあるような、後部隔壁の破損ではない。
自衛隊のミサイル標的機が事故機に衝突して事故機の尾翼を破壊したのが第一因である。
それでも、機長の並外れた操縦技術で、墜落せずに、横田基地に着陸できるところを、自衛隊がそれを阻止した。
自衛隊は自分たちの秘密のミサイル実験がばれることを恐れたのだ。
自衛隊が、自分たちのミサイル実験を隠したいという思惑が、それ以後、123便の乗客全てを犠牲にするという悪辣な政府・自衛隊の動きを決めた。
2)機長は、横田基地がダメなら川上村のレタス畑に不時着しようとしたが、途中で自衛隊機にミサイル攻撃を受け大きな損害をこうむった。機体は真っ逆さまに墜落しかけたが、機長の操縦技術で、山の斜面に並行する向きに不時着することができた。
その機長の操縦技術のおかげで、不時着当時には100名ほどの生存者がいた。
3)墜落したのは、18時56分である。
しかし、政府・自衛隊は墜落地点は分からないと言い続けた。
ようやく、翌朝、4時55分に、自衛隊・政府が墜落場所を特定する。
09時30分、地元消防団、陸上自衛隊松本連隊が現場に到着。
09時54分、習志野空挺団が現場に降下。
10時54分、落合由美子さんを発見。
11時03分、吉崎博子さん、美紀子さんを発見。
11時05分、川上慶子さんを発見。
13時29分、生存者4人のヘリコプター収容開始。
なんと、事故発生から、20時間も経ってのことだ。
4)政府の発表とは反対に、墜落時点で政府と自衛隊は墜落地点をハッキリ把握していた。
その証拠は、上野村村立小学校と中学校の生徒たちの証言以外にもある。
さらに強力な証拠は、米軍アントヌッチ中尉の告白証言である。
事故から10年後の1995年8月20日、事故当時、米軍横田基地の輸送機に乗務していた航空機関士マイケル・アントヌッチ中尉が、「サクラメント・ビー」紙に発表した証言は、8月27日付の「Stars and Stripes」誌に転載された。
その証言の内容は、驚くべきものだ。
「米軍は日航機が墜落した20分後、19時15分に墜落場所に到着し、海兵隊のヘリコプターを呼び寄せ、21時5分、救出するために兵士2人をホイスト(ヘリコプターから、人を下ろしたり挙げたりするための装置)で降ろす作業中、日本側から、『救出は日本側が行う』と米軍に中止要請をしてきたので、撤退した。しかし、日本側の救出作戦は行われなかった。さらに、横田基地に戻ったアントヌッチ中尉ら隊員は基地司令官から、『口外するな』と箝口令を言い渡された」
5)政府は、04時55分に、墜落場所を特定したと発表するが、それ以前に、自衛隊特殊部隊が墜落地点に乗込んで、全ての証拠隠滅作戦を展開していた。
ミサイルに関する証拠物件を全て集めたのだ。
更に恐ろしいことだが、自衛隊・政府としては乗客は全員死亡でなけれはならないので、そのような措置をした。
飛行機の燃料によるものよりはるかに、度の過ぎた焼け方で、炭化した遺体が幾つもあった。
遺体は飛行機の燃料によって焼けたとされているが、ジェット燃料は石油ストーブに使う軽油と同等であって、これほどの、燃焼力はない。
さらに、ジェット燃料が入っているのは左右の主翼だが、炭化するまでに焼けた遺体の多数はその主翼から離れたところにある。
現地に入った、消防隊員らの証言によれば、現地ではガソリンとタールの匂いがしたという。
ジェット機には、ガソリンもタールも積んでいない。
考えられるのは、ガソリンとタールを使う「火炎放射器」という武器である。
ガソリンとタールを混ぜると、タールは皮膚にくっつき、そこでガソリンが燃焼するから、浴びせかけられた人間は骨の芯まで炭化するほどに焼ける。
墜落現場で発見された遺体のかなりの部分は、さわるとボロボロに崩れるほど炭化していた。
以上が、青山透子氏、小田周二氏の結果を合わせたものである。
この説が正しいかどうか、きちんと検討するためには、政府が隠して出さない資料が必要だ。
第二次大戦中の日本軍の行動についても、日本国にとってまずいところは、資料が隠匿されているから、ハッキリしない。
昔も今も、日本の指導者たちは実にいやらしい連中だ。
この件に関して、森永卓郎氏が興味深いことを言っている。
氏のブログから引用する、
「しかし事件から30年以上経過したのだから、政府は国民に真相を明かすべきだ。それは、森友学園や加計学園よりも、はるかに重要な問題だと私は思う。なぜなら、この事件あと、日本は以前にもまして対米全面服従になったからだ。事故の翌月には、ニューヨークのプラザホテルで「プラザ合意」が結ばれ、協調介入によって曲単位な円高がもたらされ、日本は円高不況に突入した。日本の安定成長が失われた大きなきっかけとなったのだ。それだけではない。1993年には宮沢総理とクリントン大統領の間で年次改革要望書の枠組みが決められ、、それ以降、日本の経済政策はすべてアメリカの思惑通りに行われるようになった。事故の原因を作ったとされるボーイング社は、もしこれが事件だとすると、罪をかぶった形になったのだが、そのご、着々と日本でのシェを高め、いまや中型機以上では、ほぼ独占状態といってもよい状況を作り上げている」
「森友学園や加計学園よりもはるかに重要な問題」であるなら、余計に政府は真相を明らかにするわけがないと私は思うが、日本政府のアメリカに対する過度の服従は、このようにまずいことを幾つも握られているからだと思わせる。
日航機の事件は、1985年、34年も前のことだ。
今になって、真相を究明するのは大変だろうが、やはり、このまま放っておいてよい問題ではあるまい。
福島第一原発の問題も、「復興」という美名ですべてをくるんでごまかし、真相を知ろうとすると「風評被害を起こす」と非難して、なにもかも無かったことにして行こうとしているのがこの国の最高指導者たちと、それにへつらい従う中間指導者たちと、御用学者たちと太鼓持ちマスコミ人種たちだ。
日航機の問題をきちんと問いただすことは、福島の問題もこのままうやむやにしていこうとしている勢力に対する反撃の一つとなるはずだ。
④「深夜食堂」安倍夜郎 1〜9 小学館
私は漫画原作者のくせに、ここ30年ほど、余り漫画を読んでいない。
それは、30年以前にシドニーに引っ越したことが大きい。
シドニーでは、なかなか日本の漫画に接する機会がない。
日本に帰ってきたときに、いろいろとまとめて読むのだが、何しろ、こっちは自分の漫画を書くのに忙しくて、他人様の漫画まで手が回らなかったというのが実状だ。
この「深夜食堂」も、その評判は聞いていたが、これまで、なかなか読む機会がなかった。
前回シドニーに移動する日航機の機内テレビで、「深夜食堂」のテレビドラマ版を見た。
主役は小林薫、渋い役者である。
話は、第25夜の「ソース焼きそば」だった。
風見倫子という、元アイドルで、いまはテレビや映画に出ている女優を主体にした話しだ。
この「深夜食堂」というのが不思議な設定で、新宿にあって、夜の12時から翌朝7時まで開く食堂で、壁に書かれたメニューは、
「豚汁定食、ビール、酒、焼酎、
酒類はお一人様3本(3杯)まで」
のたった4種類だが、後は勝手に注文してくれればできるもんなら作る、というのが、この店のマスターの方針である。
場所は新宿、しかもこんな夜更けにものを食べようという人間は私のように平々凡々と生きてきた人間からすると、大分“濃い”人達だ。
このソース焼きそばの話しはこうなっている。
「深夜食堂」に時々来る女性が、女優の風見倫子であることを、風見倫子がアイドルの時からのファンである二人の男が気づく。
風見倫子は店に来ると、「ソース焼きそば目玉焼のせ」を注文する。
「好きなんだね」というマスターに、「子供の頃、よくたべてたから・・・」と風見倫子は答える。
ある日、マスターは「金はたいしたことないけど、免許証とかカードとか入っている」財布を落とす。
翌朝、閉店時間になって、閉店支度をしているマスターに、路上生活者とおぼしき男が「昨夜拾ったんだけど、店やってるとき、オレが入っちゃまずいと思って」といって、マスターの財布を差し出す。
マスターがお礼のお金を渡そうとすると、男は固持する。
そこで、まスターは言う。
「じゃあこうしよう、朝飯まだだろう、うちで食ってってくれよ」
男は、マスターの豚汁を食べる。
ちょうどその時、店内のテレビで、風見倫子が新しい映画について抱負を語るニュースを流す。
マスターが、「店にもたまに来るんだ。昨夜も来てたよ。」「でね、注文するのはいつも決まってんだ」「ソース焼きそばの目玉焼きのせさ」
路上生活者の男は遠くを見るような表情になる。
そして言う、「旦那、しってるかい? 焼きそばに四万十川の青のりかけると上手いんだよ。香りが、全然違うんだ」「今度あの娘がきたら、かけてやってよ」「四万十川の青のりだよ・・・。ごちそうさま」
次に風見倫子が来た時に、ソース焼きそばの目玉焼きのせに、マスターは青のりをかける。
一口食べて、風見倫子は驚く。
マスターは言う「どうだい? ある人が教えてくれたんだ。四万十川の青のり、かけるといいって」
次のコマは、子供の時の風見倫子がソース焼きそばを食べている場面である。
そこに、青のりを掛けいる人間の声だけが書かれる。声は、「ほら、倫子の好きな四万十川の青のりだ」
子供の時の風見倫子は言う「倫子、オトータンの焼きそば、大ちゅき」
最後のコマは風見倫子の顔が画がかれる。何かを突きつけられた人間の複雑な表情である。
その顔の横に、マスターのセリフが書かれる。
「そのひとも、あんたの大ファンだってさ」
これで終わるのだが、読者には、その路上生活者が、風見倫子の父親だと言うことが分かる。そして、風見倫子と、その父親との間になにか深い事情があるのだろうと察する。
テレビドラマでは、この路上生活者の父親と風見倫子の物語を漫画の数倍細かく描く。
この話一つを取っても、「深夜食堂」はコテコテの人情噺漫画だ。
私も、「美味しんぼ」は人情噺でいくと決めて始めた。
ただ、私の場合、絶対にハッピーエンドと決めていた。
しかし、「深夜食堂」は、ハッピーエンドどころか、悲しい結末の話しも少なくない。
また、新宿という場所の設定から、厳しい話しも多い。
成人向きの話しも多い。
「美味しんぼ」は家庭で読んで貰うことを願ったから、成人向きの話しは書かなかった。
それだけ、「深夜食堂」の方が深い。
私は人情噺が好きだ。
「深夜食堂」は、日航機の中で見たテレビドラマのおかげで、「これは、漫画を読まなければならぬ」という気持ちになって読み始めたら、とり憑かれて、一気にビッグ・コミックス・スペシャルの第9巻まで読んでしまい、現在22巻までを頼んで、届くのを待っている。
作者の安倍夜郎の画は、実に不思議な味わいがある。
人の表情を極めて繊細に描く。
私は、安倍夜郎の描く人物像に強く惹かれてしまう。
この、「深夜食堂」の世界も好きだ。
「深夜食堂」はいつの間にか、常連たちの集まる場所になってしまうが、こんな食堂があったら私も行って見たいものだと思う。
久しぶりに、よい漫画に出会って、私は幸せだ。
もっと早く知っていたらよかったのに、と思わないでもないが、これは私の得意文句、「Better late than never . 遅くても、全然ないより益し」で良しとしよう。
最後に一つ、このマスターの向かって右の顔にある傷は何なのだろう。
このマスターの過去は何なのだろう。
その傷が、なにか深い過去があるように思わせる。
9巻までに、マスターの過去は語られていない。
9巻以後に、語られるのだろうか。