酒は百害の王
〈「美味しんぼの日々」に「ローストビーフ」を掲載しました。
昨日に続き、写真が上手くアップロードできないので、「雁屋哲の食卓」の追加は明日に延期します。〉
3月18日に手術をして以来、私は一滴も酒を飲んでいない。
手術後3ヶ月は抗生物質を飲み続けなければならないので、アルコールを摂るわけには行かないのだ。
アルコールを飲むと抗生物質は効力を失う、と言う説と、アルコールを飲んでも抗生物質を倍量飲めば良い、と言う説がある。
いずれにしても、アルコールは抗生物質と仲が良さそうではない。
それに、今飲んで酔っぱらって足元が怪しくなって転びでもしたら大事だ。
これまでの苦労が水の泡になる。なんと言っても、今の私の右脚は工事中で、極めてもろいのだ。
で、もう二ヶ月以上も酒を飲んでいないわけだが、このまま禁酒を続けると我が人生で二番目に長い禁酒期間になりそうだ。
私は酒飲みだから良く分かるが、酒の益と害とどちらが大きいかと言えば、圧倒的に害の方が大きいと思う。
酒は昔から「キチガイ水」と言われている。アルコールは脳に影響を与える。
「美味しんぼ」に登場する富井副部長のように、酒を飲むと暴れたり絡んだりする人間は少なくない。
酒飲みなら、誰でも、酒の上の過ちに覚えがあるだろう。
私自身、酒のせいで人間関係を壊したことは何度もある。
今考えても、きゃー、っと叫びたくなるような恥ずかしいことをしたことも何度もある。
大酒を飲んだ翌日、前の日の己の行状をふと思い出して、死にたくなったことも数え切れないほどある。
私は酒に酔っぱらった人間を見る度に、肉体を超越した人間の霊魂や魂などと言う物は存在しない、と考えてしまう。
結局、私という自我、私というこの精神的な存在と思いこんでいる物も、脳の細胞が作り上げた幻影に過ぎないのではないか。
その証拠に、アルコール如きで、人格がころりと変わる。
アルコールが脳に作用すると、意識までも変わってしまう。
そんな人間の心や、意識や、魂や、霊魂が、永遠不滅の物であるはずがない。
私という、この存在、かけがえのない尊いこの自分というもの、この意識、自覚。
そんな物も、脳みその化学的作用でたまたま発生した蜃気楼みたいな物で、霊魂の不滅などと言うこともあり得ず、死んで、脳みそが破壊されれば、それでこの自分自身も完全に消え去るのだ。
などと、二日酔の苦しみのなかで、ぐじぐじと考えているとなおさら二日酔がひどくなっていく。
酒を飲んで一番良いのは、飲んで一分後くらいに感じる、あのほわーっとなる解放感、体中が空中に舞い上がるような浮揚感、だろうな。
あの時の気持ちよさは、アルコールでなければ得られないものだ。
酒を飲まない人間は、あの感覚を味わったことがないのだ。
なんと可哀想なんだろう。
あんまり気持ちがよいので、もっと飲めばもっと気持ちが良くなるだろう、と思って次々に杯を重ねる。
ところが、世の中そうは上手く行かない。
最初のあの、全てのものから解放されるような高揚感はいつの間にか、でろでろした、だらしのない自堕落で懶惰な動物的な情感に支配されて、精神はどつぼにはまる。
感傷的になり、怒りっぽくなる。自分の感情、衝動を自分で統制することが出来なくなる。
酒を飲むとまるで人格が変わる人も多い。
非常に尊敬していた人間が酒を飲んで本性を現し、ガッカリさせられた経験を私は幾つも持っている。
ああ、酔っぱらいは厭だ、本当に厭だ。
しかも、アルコールは身体に良くない。
まず、頭に良くないのは、今言ったとおりだ。
アルコールを飲むと、脳は一種の浮腫の状態になり、脳細胞と脳細胞を結ぶニューロンの結合が外れてしまい、それは酔いが醒めても元に戻らないという。
電気回路の配線が切断されるような物である。
それでは、脳はまともに動かなくなる。
酒を飲むと、まるで記憶を失うことがあるが、それはアルコールが脳を破壊している証拠だ。
私の連れ合いの姪に、数学の天才がいて、今アメリカの超一流大学の数学の教授をしているが、彼女は、頭に悪いと言ってアルコールは一滴も飲まない。
「今、私の取り組んでいる問題を理解できるのは、全世界で、私も含めて六人しかいない」などと、恐ろしいことを言う姪である。
そんな天才的な頭脳の持ち主に、アルコールは頭を駄目にする、と言われると、心底アルコールを飲むのが怖くなる。
アルコールの悪影響が及ぶのは脳だけではない。肝臓、胃腸、膵臓、腎臓、心臓、全てに悪い。
アルコールを常習的に飲むと確実に身体をこわす。
大酒飲みの人間は、四十代ですでに老人に見える。
眼はどろんとして、白眼が濁り、皮膚はかさかさして、反射神経が鈍くなっているから、何かにつけて、反応が遅い。
味覚、嗅覚が衰えるから、物の味が分からなくなる。歯も汚らしくなる。
糖尿にもなるし。
酒は百害あって一利もない。
煙草と同じくらい悪い。
酒を飲むと暴力的になって、家庭内の不和を産み出したりする。
酔っぱらった亭主が暴れて、妻を殴る、などと言う話はあちこちに転がっている。
酒の上の犯罪などと言うと目も当てられない。
そう言うわけだから、酒は飲むべきではない。
絶対に飲んではいけない。
ふ、ふ、ふ、
飲まないときには何とでも言えるなあ。
しかしね、飲んで良いとなると、私もがらりと変わるのだ。
ああ、いつになったら、酒が飲めるようになるのだろう。
八月かな、九月かな、それとも来年かな。
飲んで良いとなったら、まず、何を飲むかな。
日本酒だろうな。ワインも、焼酎もいいな。
酒は百薬の長ですよ。
「く、けけーっ! ほら、酒を持って来んかあっ!」
って、まるで、富井副部長みたいになってしまった。
酒を飲みたいのに飲めないこの欲求不満。
それがこんな文章を書かせたのだが、読み返してみると、私の脳はとっくにアルコールで破壊されていることが分かった。
ただし、アルコールの害について言っているところは全く正しい。
悪いと分かっていて飲むところが、酒の恐ろしいところだ。
やはり、酒は慎もう。
飲めるようになったら、慎みつつ飲もう。(実に、嘘くさいね)