Dawkinsの本、「The God Delusion」
Christopher Hitchensの書いた「God is not Great」(副題は、How Religions Poison Everything、「如何に宗教は全てのものを毒しているか」) が面白いと言うことは以前にこのページで書いた。
それを二十年来の、オーストラリア人の友人「D」に贈ったら、しばらくして真剣な声で「てつや、ありがとう。あの本を読まなかったら後悔したところだ」という電話が掛かってきたことも書いた。
その「D」が二週間ほど前に、私に一冊の本をくれた。
それが、Richard Dawkinsの書いた「The God Delusion」である。
Richard Dawkinsは「利己的な遺伝子」という世界的なベストセラーで有名な、オクスフォード大学の教授である。
私は「D」に「God is not Great」を上げるときに、「『D』のような敬虔なカトリック信者は怒るかも知れないが」という、一文を付け加えた。
「D」はアイルランド系だから当然カトリックであり、時々教会に行くのも知っていたが、以前何度か、宗教について話し合ったときに、私が「『D』よ、本当に聖書に書いてあることを信じているのか」と尋ねたら、「D」は困惑していた。
そのことが頭にあったから、「God is not Great」を「D」に読ませようと思ったのであり、冗談半分に「D」を「敬虔なカトリック教徒」と言ったのだが、それが、「D」は不満だったらしい。
「D」は「おれは、敬虔なカトリック教徒なんかじゃない。この本は俺からのリベンジだ」と言って、「The God Delusion」をくれたのである。
「Delusion」とは、錯覚、とか妄想という意味である。
「The God Delusion」で「神という妄想」とでも言うのだろうか。
Dawkinsは日本でも有名なので、この本は既に日本語訳があるのではないかと思う。
「D」が「リベンジ」だと言うとおり、この本も徹底的に宗教、特に一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)を批判している。
まだ全部読み切っていないが、非常に面白い。
キリスト教がらみの話になると、やはり欧米人の知識は深く、私も聖書は随分念入りに読んだつもりだが、DawkinsやHitchensの書くことは私のキリスト教についての理解を深めてくれて、知的な刺激を大いに受けた。
Dawkinsの本をこれまで読んだところまでで、ちょっと面白い挿話が書かれているので紹介しよう。
旧約聖書の神は、おそらく間違いなく、全てのフィクションの中で一番不愉快な性格の主人公だろう、とDawkinsは言う。
以前、パレスティナ問題を論じたときに、ユダヤ教の神がユダヤ人だけえこひいきにして他の民族を滅ぼせとユダヤ人に命令することの理不尽さ。モーセやヨシュアの残虐さ、などを取り上げて書いたので、憶えていてくださる方もおられると思う。
Dawkinsは、旧約聖書の神について、続けて次のように言う。
「嫉妬心が強く、しかもそれを誇りにしている、狭量である、不公正である、人を許さず支配したがる偏執狂、執念深い、血に飢えた民族浄化者、女嫌い、人間嫌い、人種差別主義者、幼児殺害者、実子殺し、悪疫を発生させる者、誇大妄想狂、加虐嗜虐趣味、気まぐれで悪意のある弱い者いじめ」
あまりの言い様だと思うかも知れないが、旧約聖書を丹念に読むと、上記の表現がそのまま該当する神の行為が至る所に記されている。
Dawkinsが言うには、子供の頃から、学校で聖書を読まされてキリスト教教育を受けてきた者達は、余り感じなくなっているが、聖書など知らないまま過ごしてきた者は、その旧約聖書の神の残虐さを明確に受け止めるという。
Dawkinsはその一例として、Winston Churchillの息子、Randolfについて、有名な作家、イヴリン・ウォーが書いた話を紹介している。
戦争中に、イヴリン・ウォーはランドルフと軍隊で同じ部所に配置されたのだが、このランドルフは言動が騒々しい男だったらしい。
そこで、イヴリン・ウォーと仲間の士官が、ランドルフを静かにさせるために、「お前が二週間で聖書を全部読めるかどうか賭をしよう」と言った。
イヴリン・ウォーが嘆いて書いて言うには、ランドルフを静かにさせようと思ってしかけた賭が、全く反対の結果を招いてしまった。
ランドルフはそれまで、聖書は全く読んだことがなかったので、読み始めたらひどく昂奮してしまった。
そして、イヴリン・ウォーたちを掴まえて、聖書の様々な個所を「お前たち、こんな事が聖書に書かれていたなんて知らなかっただろう」と大声で読み続け、そしてクスクス笑いながら「神だってさ、神なんて糞じゃないか」と言う。イヴリン・ウォーたちの、ランドルフを静かにさせようという企みは失敗してしまったのである。
Dawkinsが言いたいのは、前もって牧師などにあれこれ理屈をつけて教え込まれておらず、純粋な心を持っていれば、聖書の内容がどんなにひどいものか、正確に分かる、と言うことだ。
私は、十九歳まで自分は熱心なキリスト教徒だと思っていた。
十九歳でキリスト教を捨てたが、それからしばらくは、キリスト教の呪縛から完全に自由ではなかった。
しかし、三十を過ぎて、聖書をきちんと読み返して、激しく驚いた。
教会の牧師は、モーセはただひたすら神に忠実で信仰深い尊敬すべき人間だと説いたから、そのつもりになっていたが、実際にモーセのしたことを読んでたまげた。
大体、その神その物が、滅茶苦茶だ。
ノアの箱船の話は何だ。
ノアの家族と、何十つがいの動物だけは助けて、他の人間も動物も(当然、子供も老人も全て含まれる)、自分の気にいらないからと言って皆殺しにする。
Dawkinsが言うように、途方もなく不愉快で気持ちの悪い存在だ。
無条件で自分を崇拝することを強要し、人間には理解の出来ない些細なことで機嫌を悪くして、罰として大勢の人間を殺す。
旧約聖書の中の神は、「愛」や「思いやり」や「慈しみ」など示さない。とにかくやたらと怒りっぽく、常に人間が自分を崇拝しているか見張っている。崇拝したご褒美に、何かくれることがあるだけだ。
エホバの言う事はただ自分を崇拝しろ、それだけである。崇拝しないとひどい目に遭わせる。
神に対する態度がよいと、豊かな生活が送れるが、神に背くとたちまち悲惨な生活に落とされる。
ダビデもソロモンも権力欲に燃えた、残虐な殺人鬼であり、現代の基準からすれば性犯罪者である。
しかし、神に忠実だから、王として君臨することを許される。
日本のある仏教家が「ユダヤ教は、神を崇拝すれば豊かに繁栄できると言う、飽くまでも現世的なもので、仏教の言う彼岸にわたる、と言う思想がない」と言っていたが、正にその通りだ。
どうして旧約聖書のようなものが、何千年にもわたって聖書として扱われ、現在でも数億人はいるユダヤ教徒、キリスト教徒が、本気であんな本を読んでいるか、私には理解できないことである。
私はランドルフに大いなる共感を抱く。
旧約聖書の神はユダヤ人には有り難いかも知れない。
しかし、私は真っ平ゴメンだ。
今の私は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、だけでなく、全ての宗教を受け入れられない。
DawkinsとHitchensの本は面白い所が多いので、これからも、時々紹介していこうと思う。