災難はどこに転がっているか分からない
災難はどこに転がっているか分からない。
8月の末、シドニーのあるところでインターフォンを使わなければならないことになった。
そのインターフォンは通常取り上げるだけで相手が出るのだが、その時は、取り上げてインターフォンを耳に当てるとブーンという雑音が聞こえるだけだった。おかしいな、と思って、インターフォンのボタンを二、三回押したとたん、ギャキーン、というか、ギャンギャラギーンというか、すさまじい大音量がインターフォンに押しあてていた私の耳に飛び出して来た。それは、大きな音というより、槍を耳に突き刺されたような感じで、「痛い!」とインターフォンを取り落とすほどだった。
何と、それ以来、頭の左半分が洞窟かトンネルに入ってしまったような感じで、全ての音が反響するし、一つの音がこだまのように別の音を伴って聞こえたりもするし、耳鳴りがするし、とにかく音が少しでも大きいと、痛い、と思うのだ。
私は音楽が大好きで、オーディオマニアだが、今の私は音楽を聴くことが辛い。
私はこんな耳の状態は二、三カ月をも放っておけば自然に治るだろうと楽観していた。
また、オーストラリアは不便な国で、耳の具合が悪いからと言っていきなり耳鼻咽喉科に行くことは出来ない。家族全員がかかりつけのファミリードクターにまず診察を受けて、それから専門医に紹介状を書いて貰わなければならず、その場合どんなに急いでも一月先のことになる。
私は、9月5日の飛行機に乗る予定だったから、とてもそれまでに間に合わないからシドニーで耳鼻咽喉科に見て貰うことは最初からあきらめていたのである。
ところが今度「美味しんぼ」の「環境問題」の件で色々お世話になっている「た」さんに、言ったら、「それはだめですよ」という。
強烈な音にさらされると聴覚の神経が傷つく、それを早い内なら薬で直せる。しかし、日が経ってしまうともう元に戻らない、とある有名な音楽家の例を挙げて説明してくれた。
その音楽家はいまだに耳鳴りに悩まされているという。
冗談じゃない。私に取って音楽は大変に重要である。
その音楽が楽しめないのなら何のためにオーディオ・ルームを作ったか分からない。
そこで、9月に東大病院に電話をしたら、予約制で、予約が取れるのも10月8日が一番近い、という。
で、今日朝から台風を突いて本郷まで行ったんですよ。
聴覚試験を二種類して、二人の若い医師、一人の熟練の域に達した医師3人の診断を受け、結果的に、二週間以内だったならまだ可能性は大きかったが、事故が起きてから既に一月半経ってしまっているので、可能性は低いが、全然何もしないで自然治癒を当てにして待っているよりも、その低い可能性でも良いから追求すると私が言うのなら東大の耳鼻咽喉科としても出来るだけの治療をしましょう、と先生が仰言ってくれた。
早ければ早い方がいいので明日からでも良いと言ったのだがさすがに、東大病院ともなると組織が大きくてそんなに簡単にいかない。あさって、10日から入院して、強力な薬を点滴で入れて、私の管理を完璧にして、この耳の状態が良くならなくても他の問題で苦しんだりしないようにしよう、と言うことになった。
十分に説明を伺って理解したから、その治療を受けたからと言って治癒する可能性は低いことを十分に認識しての上の決意なので、責任は全て私にある。
問題は「美味しんぼ」の取材が16、17日にあるのだが、それは残念ながら延期せざるを得ない。
申し訳ないが、松茸は来年も生えるが私の内耳の神経は二度と元に戻らない。
私の我が儘を聞いて貰って、編集部、取材陣、にも謝って許して貰った。
で、今夜はオーボエの渡辺克也さんの、コンサートがああった。
渡辺さんとは一面識もなかったが、渡辺さんが「美味しんぼの愛読者である」というメールと、ご自分の演奏しているオーボエのCDも送って下さってそれ以来メル友になった。
ドイツを拠点にしていつもヨーロッパで活躍しておられる渡辺さんが、たまたま今回、私の日本にいる十月の初めにコンサートを開かれると伺ったので、私達も日本にいるので是非コンサートを聴きに行きたいと言ったらご招待いただいてしまった。
相変わらず我々小学校の同級生たちは、何かあると集る。今回も、渡辺さんのコンサートに行きたいというので私達夫婦の他に四人参加した。
渡辺さんの演奏された、ヴォーン・ウィリアムズのオーボエ協奏曲は私は初めて聞く曲で実に素晴らしかった。
さすがにあのヨーロッパの楽壇でトップの演奏家として活躍できるだけあって、技巧も、音楽性もこれは圧倒的、と言う他はない。
実に堪能した。
会場も割れんばかりの拍手で、渡辺さんは、アンコールとしてソロのオーボエ曲を演奏したがそれもまた超絶技巧のみごとな物で、完璧に満ち足りた。
しかし、問題は私の耳である。
渡辺さんの協奏曲の前に神奈川フィルハーモニー管弦楽団の演奏した、エルガーの序曲「コケイン」も普段の私なら大歓迎の曲だ。ティンパニー、チューバ、ベースが六本、シンバル、パイプオルガン、大太鼓、そのクライマックスの時の大音量と来たら座っている椅子も床も音で揺れる。
いつもなら私はその音の波にたゆたっていい気持ちになっているところだが、今の私は大きな音を聞くと耳が痛い。音楽を楽しむ以前の状態であることが判明した。最初は、オーケストラの音は大丈夫だと思っていたら飛んでもない。矢張り大編成のオーケストラの、しかも、エルガーの曲ともなればこれはしずかでしっとりという具合には行かない。決まるところではズガガーンと大音量だ。
演奏会の第2部はエルガーの交響曲第1番だ。聞きたいのは山々だ。
だがどんな名曲でも、耳が痛いと思ったらとても聞けない。
幸いなことに、渡辺さんの演奏した、ヴォーン・ウィリアムズの曲は編成も大規模でなく、どでかい音を出す曲でもなかった。
オーボエの良さをしみじみと味わえた名曲だった。
私はそれで十分すぎるくらいに堪能したし、楽屋で渡辺さんとお会い出来て、目的は達したから、二組のみんなには悪いけれど、第2部は、今の耳では楽しめないので退散することにした。
すると、二組もみんなも私に合わせて自分たちも帰るという。
女性の一人はみんなの顔を見たかったから来たのよ、などと、神奈川フィルハーモニー管弦楽団の人が聞いたら逆上するようなことを言う。(いや、実際に神奈川フィルハーモニーも、指揮者の湯浅卓雄氏の指揮も初めて拝聴したが、実に堂々たる演奏で、感服した。日本の音楽芸術の高さを改めて認識させられた。こんなすばらしいオーケストラを持っていることを、神奈川県人の一人として私は大変誇りに思う。耳の状態が良くなったら、また神奈川フィルハーモニーの演奏を必ず聴きに行く。)
演奏会のあった「みなとみらいホール」の建物の中に食べ物屋がごまんとあるので、その中の喫茶室に腰を据えて、今年何度目かの小規模同窓会を開いた。
小学校の同級生たちと話していると、本当に心がくつろぐ。心の中に暖かい風が吹き込んできて「鬱」の霧が晴れていくような感じがする。
私の「鬱」の治療に一番役に立つのは、小学校の同級生たちとの語らいであるようだ。