入院3日目
東大病院に入院して3日目。ステロイドの点滴三本完了。
明日から弱いステロイドに切り替て様子を見る予定らしい。
ステロイドの効果は、すぐに出る物らしいが、いまのところあまり変化がない。
午後、見舞いに来てくれた連れ合いと談話室に行ったら、そこで話している人達の声が、耳に響いて辛かった。
だめで元々のつもりで入院したので、これで劇的に上手く行かなくても文句はない。
運良く、入院当日になって個室に入れたのは助かった。
入院生活は極めて快適である。
昔の東大病院は暗く汚かったが、新館に建て直されて非常に良くなった。
建物も良くなったが、一番良くなったのは患者への対応である。
受付から、看護師から、そして医師まで、昔の東大病院を知っている者からは信じられない素晴らしさだ。
とにかく親切だ。他の患者に接するところを横から見ていても感心する。そして、自分が親切にされると、その親切が身にしみる。
医療というのはこうでなくっちゃ、と思う。
天皇も「東大病院」に入院したことがある。勿論天皇だから我々と同じ扱いではないだろうが、一般の患者も根本のところでは天皇と変わりのない良い待遇を受けられる、と私は感じた。
昔の東大病院では、医者が大変に威張っていて、権威の固まりのようにふんぞり返っていた。その連鎖反応で、事務の人間も、看護師たちも実に患者に対して高圧的だった。
ところが、東大病院は昔と変わった。
東大病院が良くなったのは、確実に「東大闘争」のおかげである。「東大闘争」は医学部に端を発した。結局、安田講堂での全共闘と機動隊の戦いを経て、終熄していったのだが、決して全共闘側の全面的な敗北ではなかった。
「東大闘争」後、東大では医学部に限らず全学部で、教授達上層部が権力を振り回す封建的な古い体質から、民主的な体質へと移行が進んだ。
それが顕著に表れたのが、「東大病院」だと思う。
若い評論家たちは全共闘を批判するのが好きだが、私からすれば「何を言ってるんだか」と言うしかない。
今度の入院で一番有り難いのが食事だ。
シドニーで入院する度に、夕食は家から運んで来て貰っていた。
シドニーの病院では前日に次の日の食事のメニューが配られる。デザートまであって、何種類かのメニューを選べる。実に豪華な感じがするが、出てくる物はすべて、「どたっ」とした物ばかりで、とても私の口に合わない。
連れ合いは、私のために夕食を運んで来て、自分は病院で私に出される食事を食べる。
連れ合いは、物を無駄に出来ないつましい性格の上に、妙に好奇心が強く「病院の食事を食べてみたい」と言って食べるのである。しかし、東大病院ではその必要がない。
勿論、病院の食事だから、一流の料理屋のような訳にはいかない。しかし、空港や、駅のレストラン、あるいは、ファミリー・レストランなどより遙かに良い。(今回の環境問題の取材で、そのようなところで食べることが非常に多かった。)
その第一は、化学調味料で舌が曲がることがないこと。
(私は、前記のようなところで外食をすると、その後数時間、舌がはれぼったくなり熱を持ち、気分が悪くなる。そのような店では必ず、化学調味料を大量に使うからだ。日本で外食をして化学調味料で苦しまずにすむ店は実に少ない。私も何とか、化学調味料に体をなじませることが出来たらとても生きやすくなるのだが、と、いつも取材に協力してくれる女性に言ったら、簡単に「それは無理ですね」といなされてしまった。たしかに、今更化学調味料特訓を行ってもだめだろうな)
第二に薄味なこと。前記のようなところの味付けは私に取ってあまりに塩分が強すぎる。
それに、非常に良く工夫されている。調理師は大変な苦労をしているのだろうと感心する。
食器までも、様々のものを気分を変えるように使っている。この神経の細やかさはシドニーの病院では金輪際味わえない物だ。
有り難い、有り難い、と言って毎食全部ぺろりと平らげている。
個室なので、誰にも遠慮せずに、コンピューターも使える。
「環境問題」の原稿も書いている。
しかし、今書いているところが、六ヶ所村の核燃料再処理工場の話で、まあ、これが色々入り組んでとにかく難しい。
病室で一人、点滴を受けながら七転八倒しながら書いている。
困ったことに、このような環境に一人だけでいると、「鬱」がぶり返してしまった。
耳の故障と、原稿と、「鬱」の三重苦に喘いでいる。