日本に人材がない
永野護という人がいた(1890〜1970)。
広島県出身で、実弟に、永野重雄(元・日本商工会議所会頭)、永野俊雄(元・五洋建設会長)、伍堂輝雄(元・日本航空会長)、永野鎮雄(元・参議院議員)、永野治(元・石川播磨重工業副社長)がおり、そろって、政財界で活躍し、「永野兄弟」と呼ばれた。
永野護本人も、戦前は、「番町会」という、政治家と結んだ利権団体の重きをなし、戦後は吉田茂の取り巻きとして暗躍し、岸信介内閣で運輸大臣を務め、汚職疑惑などで危うかったこともあるような人間なので、毀誉褒貶甚だしく、戦前戦後にかけて、最悪の人間の一人と言われることもある。
その、永野護が戦後すぐ、1946年に、「敗戦真相記」という本を書いた。
その本は、長く忘れ去られていたが、2002年に、田勢康弘氏(当時、日本経済新聞社論説委員)によって復刻された。
私が手に入れたのはその版(バジリコ社刊)である。
2002年と言えば、1989年のバブル経済破綻以降、日本の失われた10年と言われているその最悪の年月の最中である。
その頃、日本は、「二度目の敗戦」を喫したと言われていた。
1945年の大東亜戦争に続く、第二の敗戦と言う訳である。
(ここで、日本が負けたのは、第二次世界大戦であるか、太平洋戦争であるか、日米戦争であるか、色々議論はあるが、日本自身が大東亜戦争などと言っていたので、その名を使う。大東亜の名前を使うのは、あの戦争を美化するためではなく、逆に、我々日本人の恥をきちんと知るためである)
田勢康弘氏は、第二の敗戦がどうして起こったか、真剣に検討したあげく、第一の敗戦、すなわち大東亜戦争の敗戦の原因を知らなければならないと考えたようである。
そこで、長い間、氏が読み返していたこの永野護の書いた「敗戦真相記」を復刻することにした、と言うことである。
で、この「敗戦真相記」の内容だが、これは既に、多くの近代・現代史家によって説かれていることに尽くされている。
その書かれた項目を、並べてみると、
「日本は完全に負けた」
「元凶は日本本位の自給自足主義」
「戦争は誤解の産物」
「日本の誤算、ドイツの誤算、米国の誤算」
「純粋培養教育が生んだ独善」
「世論の無視」
「危機の時代なのに人物がいない」
「器用な官僚ばかりが・・・・」
「呪われた宿命を持った戦争」
「解放したはずのアジアで嫌われる理由」
「納得出来る大義名分がない」
「己も敵も知らない軍部」
「国内の情報も英米に筒抜け」
「日本に『総力戦』の実態はなっかた」
など、など、極めて具体的に、どうして日本が戦争に負けたか分析している。
決定的に欠けているのは、大東亜戦争における日本の倫理のなさであるが、この本が書かれたのが1946年であることを考えると、永野護自身、日本軍が中国やアジアで行った残虐行為についての知識がないのは仕方がないことなのかも知れない。
いずれにせよ、戦前戦後を通じて権力側にいた人間が書いた本としては極めて、客観的な視線で書かれている。
これを読めば、どうして日本が戦争に負けたか、納得出来る。
(倫理的な面を除いて。純粋に、戦争についてだけ言うならば)
煎じ詰めて言えば、永野護がこの本で言いたかったことは、「日本は愚かだった」と言うことに尽きる。
「愚か」という言葉にも色々な意味がある。
碁や将棋のようなゲームの世界での愚かという言葉もある。
戦略が愚かだったからで、戦略が上手く行ったなら勝てたのではないか。
という、意味もある。
永野護の場合の「愚か」には、倫理的な意味は含まれない。
永野護のその後の政治的な態度をみれば、また、日本経済新聞社の論説委員としての田勢康弘氏の立場を考えれば、倫理的な愚かさはさして強調されていない。
永野護、田勢康弘氏が、共通して言っていることで倫理的な側面に及んでいると思われることは、田瀬氏の解説文を引けば、「戦後の日本にはアジア諸国の植民地を解放してやったのは日本であり、そのことに感謝している国々もある、と言う主張もあった。これに対して永野は満州、フィリピン、タイ、などの例を挙げ、それぞれ人心を把握出来ていなかったと指摘する」にとどまる。
田勢康弘氏の立場を考えれば、大東亜戦争を倫理的な側面から論ずるより、2002年当時の日本の経済的な凋落をどうすればよいか、そちらの方に頭が行くのは当然である。
永野護も、田勢康弘氏もあの大東亜戦争に「勝てていたら良かった」と思っているように思われる(私の邪推かも知れない。そうであって欲しい)。
その上で、両者とも、どうして負けたのか、その敗因を探っているのであって、日本の犯した過誤を、侵略されたアジア各国の人々の目から見ることがないのは仕方のないことだろう。
私は、その点から、田勢康弘氏を批判するつもりは毛頭ない。
永野護を批判する気もない。
ただ、大東亜戦争をこのような戦略論からだけ見ることが、次のもっと大きな失敗に繋がるだろうと言う恐れは抱く。
それはともかく、この本の中で、田勢康弘氏も解説で強調していることがある。
それは、永野護が書いた、次の一文である。
「諸種の事情が、日本有史以来の大人物の端境期(はざかいき—農業で言えば作物が全く獲れない時期)に起こったと言うことでありまして、建国三千年最大の危難に直面しながら、如何にこれを乗り切るかという確固不動の信念と周到なる思慮を有する大黒柱の役割を演ずべき一人の中心人物がなく、ただ器用に目先の雑務をごまかしていく式の官僚がたくさん集まって、わいわい騒ぎながら、あれよあれよと言う間に世界的大波瀾の中に捲き込まれ、押し流されてしまったのであります」
要するに、国家の危機という一番大事なときに、その危機を打ち破るだけの人材がなかったというのである。
これは、昭和天皇も言っている。
いたのは、小才のきく人物ばっかりだったと。
田勢康弘氏は2002年の段階で、今、同じことが起きている、と慨嘆している。
田勢康弘氏の日本という国を心配する気持ちは痛いほど分かる。
それが、氏をしてこの永野護の本を復刻させたのであろう。
しかし、田勢康弘氏よ、今はすでに、2009年である。
この時期において、漢字の読めない首相、酔っぱらって海外に醜態をさらす財務大臣、不正な政治資金を受けとって第一秘書が逮捕される野党第一党の党首を持つ我々である。
過去の歴史を見れば、よく分かる。
一つの国が滅びるのは、その国が、真正な指導者を持たないときである。
アメリカも、レーガン、クリントン、ブッシュと人気取りの人物ばかりが大統領になり、ブッシュに至っては、1000兆円もイラク戦争で浪費し、あげくに、金融破綻で、アメリカの経済どころか、国の礎さえ危うくなった。
アメリカも人材がなかった。
日本は、それ以下である。
その無能なアメリカの大統領に、しっぽを振って、忠誠を尽くす総理大臣ばかりだった。
総選挙があって、政党の勢力が変わったところで、日本の政界に人材がないことに変わりはない。
民主党など、あの恥ずべき、旧社会党から逃げ込んだ政治家のたまり場ではないか。
(社会党が、自民党と結んで、自社連合内閣を作ったとき、私は、本当に見てはならない最悪の醜悪な人間の姿を見たと思った。その時の社会党の代議士が生き残って民主党にいる。
そんな党に、何を期待出来るというのか)
ああ、田勢康弘氏よ。
この、人材なき日本をどうすればよいのだろう。