雁屋哲の今日もまた

2013-10-08

パリの日本人料理人

いつもくらい話ばかりなので、たまには楽しいことも書いて欲しいという読者の方がいる。

確かに、ちょっとこのところはなしが暗すぎたな。

それは、日本という国が暗いから仕方が無いんだが、今回、楽しく美味しい話をしよう。

 

以下の文章は現在コンビニエンス・ストアで発売されている(もう、発売期間は過ぎたかも知れない)マイ・ファースト・ビッグの「美味しんぼ」「フランス料理篇」に書いたエッセイ「美味しんぼ塾」をこのブログ用に手直しした物である。

マイ・ファースト・ビッグの「美味しんぼ」は二週間くらいの限定発売でそれが過ぎると読むことは困難になる。

今回書いたことは多くの人に読んで貰いたいと思うので、この頁に転載する。

 

私は生まれつき食い意地が張っているので、「美味しんぼ」を書き始める以前から、日本だけでなく外国をも美味しい物を求めて歩き回った。フランスでもパリを始め、各地でいろいろと美味しいレストランを探して食べ歩いてきた。

一九八三年に「美味しんぼ」を書き始めてからも、ちょくちょくフランスに美味しい物を求めてやってきた。

パリのミシュランの三ツ星レストランもビストロもあちこちと探索して回って、素晴らしい体験を重ねてきた。

で、せっかくだから、パリやフランス各地で味わったフランス料理の話を「美味しんぼ」で書こうと思って、何度か試してみたが、フランスでの体験はどうしても書くことが出来ずに今日まで来た。あれだけいい思いをしたのだから、それを「美味しんぼ」に書けば面白い物が出来ると思ったのだが、どうしても筆が進まなかった。

それは、パリの三ツ星レストランと、日本の「美味しんぼ」の読者との間につながりが何もないことに気がついたからだ。

それまでに、多くの作家、評論家、随筆家が、フランスのレストランの話を書いていたし、フランスのレストランのガイドブックも多数出版されていた。そう言う物は、それでよいだろう。そう言う物を求める読者も少なくない。しかし、「美味しんぼ」となると話は別だ。「美味しんぼ」の場合、読者の生活にかかわる物でなければ、書く意味がないし、第一読者が受け入れてくれない。「美味しんぼ」の読者の大多数にとって、パリの三ツ星レストランの話など、何一つ実感がわいて来ず、感情移入が出来ないだろう。

それで、私は連載開始以来三十年の間、パリの三ツ星レストランの話を書かずに、いや、書けずに来た。

しかし、状況は大きく変わった。

世界の美食の町パリで二十年前には考えられないことが起こっていることを私は知った。

パリには世界に誇る素晴らしいレストランがいくつもあるが、ミシュランの星を取るような最高のレストランでは、いつの間にかその厨房に日本人の存在が欠かせない物になっていたのだ。日本人の料理人はまじめで熱心で感性が優れているので、一つのレストランが成功するためには今やいなくてはならないと言う。

私が初めてパリに美味を求めてきた千九百七十年代から、八十年代初めのパリでは想像もできないことだ。

日本人はパリのレストランのお客であるだけでなく、パリのレストランで重要な役割を果たす、いわば主役の地位に昇ってきているのだ。

これなら、今、パリのレストランの話を書いても「美味しんぼ」の読者は感情移入できるだろう。

ついに「美味しんぼ」にパリのレストランのことを書く事の出来る日が来たのだ。

こういう確信を私が抱くことが出来たのはつい最近のことである。

私は二千十三年の六月の末から七月上旬にかけて二週間ほどパリに滞在した。

きっかけはパリの日本文化会館で、北大路魯山人と日本の食文化について講演をしてもらいたいと言ってきたことである。

私は講演はよほど意義の有ると思える物しか引き受けない。講演をするための準備は大変で、そう言うことをすると本職の方に悪影響が出るので断ることになってしまう。

だが、フランス人相手に、北大路魯山人と日本の食文化について話すのは意義の有る事だし、私は二千六年以来パリに御無沙汰しているので、久しぶりにパリの美味しい物を食べ歩くのに良い機会になると思ったのだ。

パリには私の小学校の同学年の友人「ふ」さんがいる。「ふ」さんは四組、私は二組だった。「ふ」さんは私達の学年随一の美人でしかも知的だった。「ふ」さんは、現在はフランスでも有名な詩人と結婚してパリに住んでいる。

で、二千六年にもお願いしたが、今回も、パリの美味しいレストランの情報を「ふ」さんに、教えて貰うことにした。

今回有り難かったのは「ふ」さんが、美味しいレストランの情報だけでなく素晴らしい人を紹介してくれたことだ。

手島さんと言って、熊本出身の三十六歳。料理人を志し、十年以上フランスで修業して来たという。

手島さんは最近まで、あるレストランのシェフをつとめていたが、いよいよ自分の店を出す決心をした。現在店の物件探しをしていて比較的時間があるので、私をいろいろと案内をして下さる、というのだからこれは有り難い。

手島さんは、すでにパリの料理の世界にかなり食い込んでいるようで、パリでミシュランの三ツ星を取るレストランの多くがここから仕入れるという肉屋に連れて行ってくれたが、その店の経営者と親しいのだ。ワインの店にも連れて行って貰ったが、そこでも店の人間と良い関係を構築している。自分の店を開くための準備はしっかり出来ていると見た。

手島さんにはパリに留まらず郊外にまで、何軒も美味しい店に案内して頂いた。

その中で私が一番感心したのはPassage53と言う店だった。

Passage53のシェフは佐藤さん。シェフであるだけでなくフランス人との共同オーナーである。

出てきた料理を一口味わって、私は驚いた。

私はずいぶん長い間あちこち食べ歩いているが、料理人との出会いは最初の一口で決まる。素晴らしい本物の料理人の料理は最初の一口で食べる側、すなわち私から一本取るのである。二皿、三皿食べてようやくその味が分かる、と言うことはない。最初の一口が全てを語る。逆に、最初の一口が駄目だったら最後まで駄目だ。途中で一品くらい良い物があるかも知れないが、全体として良くなることはない。最も最初は良くて後は腰砕けと言うこともあるが、佐藤さんの場合、最初の一品のすごさは最後まで一貫していた。

佐藤さんの料理は全部お任せで、その日、デザートも入れて全部で十五品出た。

最初は、トウモロコシのスープ・カプチーノ仕立て。冷製、コーヒー入り。透明ではないガラスの小振りの器で出される。

トウモロコシは良く擂って漉してあるので大変になめらか。カプチーノ仕立てで、僅かにコーヒーが入っている。と言っても、コーヒーの味は露骨に感じない。一緒に行った長女は「最後に器からほのかにコーヒーに香りがした」と言ったが、そんな感じである。

このスープが実に鮮烈だった。あっさり軽い味だが中心を貫く芯があり、こくと旨みが舌だけではなく口の中の全ての感覚器官を快感でそよがせる。飲んだ後のすっきりとした幸福感は滅多に味わうことの出来ない物だ。これ一口で私は参った。

ページが足りないので佐藤さんの料理は一つしか紹介できない。他の料理も、この最初に味わった鮮烈な味わいを保った見事な物ばかりだった。

私は、今回、三ツ星レストランを二個所食べたが、その二つの三ツ星レストランより佐藤さんの料理の方が美味しかった。

佐藤さんは、北海道出身で、北海道のレストランを振り出しに料理の世界に入り、フランスに渡ってきて十数年、二千九年にフランス人と共同で現在の店を開いた。

開いて翌年にミシュランの星を一つ貰い、翌年に二つ星を貰った。ミシュランの星は味だけではなく店の環境雰囲気も加味されるので、もっと良い立地の場所に店を移せば三ツ星は間違いないと言われている。

佐藤さんは三十五歳。

手島さんは三十六歳。熊本出身で、十二年ほど前にフランスに来て、今年中には自分の店を開ける所まで来た。と書くと簡単なようだが、お二人のこれまでの苦労は大変な物だ。

一口に苦労と言ってしまうと話が軽くなる。お二人の話を聞くと、私の人生は甘い物だったと思ってしまう。佐藤さんも手島さんもフランスに来たときに、フランス語は一言もしゃべれなかったと言う。何をするのにも、言葉が不自由だと物事が進まない。口が利けないばかりに、知的に劣っていると思われる。馬鹿にされる。加えて現地の事情にも明るくない。自分より遙かに劣った人間にいいようにあしらわれ、得るべき報酬も得られない。それでもなおフランスのレストラン業で働き続けるには強靱な精神力が無ければ出来ない。

だが、二人とも苦労にめげずフランス料理にかける情熱を燃やし続けたからこそ、未来を切り開く事が出来た。しかも、この若さでだ。正に前途洋々。

手島さんがどんなレストランを作るか、期待に胸が弾む。

他にも優秀な日本人料理人を見つけた。 Vivant というビストロのオーナーシェフの「渥美(漢字は間違っているかも知れない)」さんと言う。Vivantの中は余り明るくないのでうっかりすると見逃すが、よく見るとアール・ヌーボー樣式で統一されていて、それも見ものだが、渥美さんの料理はそれ以上に見事だ。

渥美さんも若い。手島さんたちと変わらないだろう。

ビストロはミシュランの星を目ざすレストランとひと味違って、地場に密着した味わいを持つレストランだ。

ミシュランの星を狙うレストランはインターナショナルなところがあるが、ビストロはフランスの食文化により深く密着していると言える。外国人が挑戦するのには星狙いのレストランより難しい所があるのではないか。

 

今取り上げた三人の日本人料理人のすごさがよく分からないと言うなら、フランス人が京都で懐石料理を学んで京都に懐石料理の店を開く、あるいは、フランス人が東京で寿司を学んで銀座で寿司屋を開くことを考えてみれば分かる。

とてもあり得ないことではないだろうか。

日本人がパリでフランス料理を学んで、日本に帰って日本でフランス料理のレストランを開く。これが、今までの日本人料理人とフランス料理の形だった。

それが、手島さんたちはパリでフランス料理を学んでパリでフランス料理のレストランを開く。

時代が大きく変わった。

さらに、これは、フランス料理が世界中の人間に美味しいと思わせる普遍的な物であって、さらにちゃんとフランス料理の形であれば、国籍も人種も違う人間をも取り込むことの出来る非常に深いふところを持っていることを表す物だ。

とにかく、新しい世代の日本人料理人のすごさを理解して貰いたい。

 

佐藤さん、手島さん、渥美さんをはじめ、日本人料理人がパリで活躍する姿をこれから本格的に見ることが出来るのだ。これは是非「美味しんぼ」で書くべきでしょう、ねっ。

 

雁屋 哲

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