追悼、谷口ジロー氏
谷口ジロー氏が亡くなられた。
心の奥から、谷口ジロー氏に哀悼の意を表したいと思います。
谷口ジロー氏は最近は「孤独のグルメ」で広く知られていますが、氏の漫画家としての経歴は長く、私が、マンガの世界に迷い込みかけた1972年にはすでに漫画界では非常に高い評価を受けており、私自身も、谷口ジロー氏の大フアンでした。
私が本格的にマンガの世界に入り込んだのは、1974年の「男組」ですが、谷口ジロー氏は私が近寄れないほどの地位を漫画界で確立していました。
私が近寄れないというのは、たとえ話ではありません。
私は、マンガの原作者になってから、谷口ジロー氏と一と一緒に仕事したいと強く願っていました。
しかし、谷口ジロー氏は多くの枚数を描く方ではなく、極めてストイックに作画の量を押さえているような話を聞きました。
それに、私は、1974年の「男組」以来、日本文芸社の「野望の王国」など、極めて非現実的な暴力マンガを書き続けたので「ヴァイオレンスの雁屋哲」などと、作家としてのラベルがついてしまいました。
私はそれを少しも恥じていません。ヴァイオレンスの意味が分かるなら、私のマンガの意味も分かるだろう、と暴力的に居直って、暴力マンガばかりを書いていました。
ただ、そのような暴力マンガ原作者は、谷口ジロー氏の好まれる所ではないだろうとも思っていました。
いちど、ある出版社から、谷口ジロー氏のマンガの原作を書くという、長い間待ち望んだ話が来ました。
私は「やったー。谷口ジローと組める!」と興奮しました。
私と、谷口ジロー氏の両方を良く知っているという人から、「それは素晴らしいことだ、雁屋さんにも、谷口さんにも新しい地平を切開くことが出来る。この話は絶対にまとめるべきだ」
と興奮して、言ってくれましたが、その話は立ち消えになってしまいました。
谷口ジロー氏が他に組んで仕事をしておられる方は、味わいのある小説や、ノンフィクションを書く方が多く、私のような暴力マンガ原作者はいません。
私は大変にひがみまして、「谷口ジローさんは、おれみたいな暴力マンガを書く人間はお呼びじゃないんだ」とやけ酒を飲みました(と言っても、私は毎日酒を飲んでいますから、特にどの日の酒がやけ酒だったのか、とは言えない所がメリハリのつかない所です。)
最近の「孤独のグルメ」を読んでいても、谷口ジロー氏の絵はますます味わい深くなってきたと思い、以前と違って、「美味しんぼ」という暴力とは無縁のマンガも書けるようになったのだから、なんとか一度谷口ジロー氏と組んでマンガを作ってみたいと、切に願って、小学館の編集者にも頼んだことがあります。
それが、突然、谷口ジロー氏ご逝去の報道を読んで、心底落胆しました。
1970年代初めから、日本の漫画界は宇宙の始まりの際のビッグ・バンのように、その世界を一気に広げました。
マンガ雑誌の数も爆発的に増え、漫画家も様々な才能を持った若い人々が次々に参入してきて、2000年までは、日本の漫画界は、やれ行けそれ行けと毎日お祭り騒ぎの勢いで、活気にあふれていました。
そのような沸騰する漫画界の中で、谷口ジロー氏は自分の形をしっかり守り、量産もせず一つ、一つのマンガに精魂傾けて書いておられました。
氏の描く登場人物は、激したり喚いたり、という激しい行動を取ることが余りありません。
若夫婦が猫を飼う話など、淡々と、その夫婦の猫の生活が描かれるだけなのですが、その一コマ一コマに情感が込められていて、淡々とした話なのに深い感動を読者に与えるのです。
それは、登場人物の表情の表情が豊かであるだけでなく、多くのことを語りかけてくるものなのです。
なんと言うか、この登場人物とじっくり語り合いたいと思わせる表情なのです。
あのような表情は、画を描く本人の心が浅かったらとても描けないものです。
「孤独のグルメ」も、登場人物は何もしません。
食べる店も、高級店ではなく、町場の普通の店です。
主人公も、「美味しんぼ」の主人公のような能書きをたれずに、ひたすら食べる。
それが実にしみじみとした味わいで、読んでいる方が引き込まれていくのです。
あれだけ物語性のない話を、読む方がどっぷり浸って快感を感じさせるように描く作画力は誰も及ばないものだと思います。(原作を書いた、久住昌之さま、悪口を言っているのではありません、誤解なさらないで下さい。マンガの定法のようになっているわざとじみた物語性を排して、人に訴えかける原作を書かれたことに敬意を表します。ああ、こんな原作の書き方もあったんだな、と大変勉強になりました。DVDもSeason3まで購入し、そのDVDに添えられた取材日誌がこれがまた、凄いものだと思いました。「孤独のグルメ」は原作者と、漫画家のコラボレーションの粋だと思います)
このような素晴らしい漫画家を失ったことが悲しいし、ついに一度も組ませて頂けなかったことが残念でたまりません。
組ませていただかなかった方が、谷口ジロー氏の名声を汚すことがなかったのかも知れないと、何だか変な風にあきらめています。
谷口ジロー様、心から、追悼の意を表します。