雁屋哲の今日もまた

2017-03-07

中谷成夫著「一万円札の福沢諭吉」

まず、前回の「美味しんぼの新しい楽しみ方」について。

早速読者の方から、メールを頂戴しました。

氏は、「ゆう子の服装には小学生の時から気がついていた」と書かれています。

今更何を言っているんだということなんですが、いやはや、確かに今頃になってゆう子の服装に気がつくとは、あれだけ気を使って描いてくださっている、花咲アキラさんに申し訳ないことです。

どうも私は、ファッションというものに興味が無く、着る物は清潔で、着ている本人に似合っていて、本人も気にいっていればそれで良いという感覚なので、お粗末なことでございました。

その読者の方も、小学校の時から「美味しんぼ」を読んで下さっているとは有り難いことです。

以前の私の担当の編集者も、「小学校の時に父親が読んでいたので憶えていました。でも、まさか自分が美味しんぼの担当になるとは思ってもいませんでした」と言われて、「ああ、そう言う年代の人間が美味しんぼの担当になる時代になったんだ」と深い感慨を抱いたことがあります。

長い間お読み頂いている読者の方々に心からお礼を申しあげます。

さて、今回の本題に入ります。

先日、石川県鳳珠郡能登町宇出津(うしつ)にお住まいの、中谷省三さんから、御尊父 中谷成夫氏の御著書「一万円札の福沢諭吉」(文芸社)をご恵贈載きました。

中谷成夫氏について、失礼ながら私は全く存じ上げませんでした。

氏の略歴を、その本の奥付と、中谷省三さんに載いたお手紙に書かれたことをあわせてご紹介します。

「1926年(大正15年)3月2日、石川県鳳至郡(ふげしぐん)宇出津町(うしつまち)〈現在は、鳳珠郡(ほうすぐん) 能登町 宇出津〉に生まれ、金沢の学校を卒業し、画家・玉井敬泉に日本画を学び、書家・中浜海鳳に書法を学んだ。

12年間県立宇出津高校芸術科で画と書を教えていた。」

ここからあとは、ご子息の中谷省三さんのお手紙の内容に沿って書きます。

「一方、好きな歴史の研究にのめり込み特に勝海舟に興味を示し、相当調査をした。勝海舟の人となりに関心を持つと、当然福沢諭吉に遭遇する。

福沢諭吉について、長期間調べたあげく、この著書を書き上げ、2014年9月に「文芸社」から自費出版の形で出版した。」

残念ながら、氏は2014年8月末に逝去されました。(というと、氏は、出来上がった御著書を手に取ることが無かったのでしょうか。そうであれば、氏にとっても、ご子息、ご家族の方にとっても口惜しいことだと思います。ゲラか見本刷りくらいは手にされたと思いたいのですが)

その経歴から明らかですが、中谷成夫氏は日本史、日本思想史の専門家ではありません。

中谷成夫氏のこの著書は、可能な限り多くの資料を読み、その資料を正確に分析して出来上がったものなので、私がこれまでに色々と読んできた専門家の書いた福沢諭吉論と比べても出色のものだと思います。

1926年生まれというと、幼児期から皇国史観に沿った教育を叩き込まれている年代です。

福沢諭吉研究の第一人者である安川寿之輔先生は1935年生まれ。1945年の敗戦の時に10歳。

まだこの年齢であれば、皇国史観から逃げられたと思いますが、中谷成夫氏は、1945年の敗戦時には、19歳。この年代の人間なら、ごりごりの軍国少年になっていた人の方が圧倒的に多いのですが、「一万円札の福沢諭吉」の138ページには、「1945年8月15日に天皇の終戦を告げる放送を聞くと、すっかり嬉しくなり20年生きてきてこんな良い日は初めてで生涯最良の日とここから感動しました。」と書かれています。

また当時は、中学では、「軍事教練」は必須科目であるのに、氏は脚気を患っていたこともあって五年間(当時の学制では、中学は5年でした)ただの一度も軍事教練を受けなかった、という剛の者です。

同著書の268ページには、福沢諭吉の天皇論を批判して次のように書いています、

「天皇は現実に日本人の上に君臨し人民を支配する身分であり、人民の上に覆いかぶさっているものであって、人間差別の上に成り立っているものです。天皇や皇族・華族などというものは一般人民より高貴な身分のものときめられているが、彼は(福沢諭吉のこと)この差別については一言も言及はせずこの制度を否定もしていません」

これを読めば、氏は、皇国史観に心を侵されずにすんだようです。

そんな氏ですから、非常に冷めた目を持っていていて、同書145ページに、藤原定家の明月記の中の定家の言葉「紅旗征戍(紅旗は皇帝の旗のこと、征戍は外敵を制圧すること。)は我がことにあらず」(大義名分を持った戦争であろうと、〈八紘一宇や東亜のためなどと、張作霖を暗殺して満州国を建てた頃から日本は自分たちの侵略戦争に身勝手な大義名分を付けていましたね〉そんな物は野蛮なことで、和歌や書という芸術の世界で生きる私にはかかわりのないことだ)、に深く心動かされ、生涯を通じて政治などのことには関わりを持たず「天地間、無用之人」として生きようと心に決めていたが、坂口安吾の著作を読むことでよりによって最も政治的な人間・勝海舟という人に深く心を引かれるようになった、と書いています。

氏は、勝海舟を研究しているうちに、福沢諭吉の書いた「痩せ我慢の説」を読んで、福沢諭吉のことも研究し始めました。

長い時間をかけて福沢諭吉を研究した結果出来たのが、この「1万円札の福沢諭吉」です。

私は「まさかの福沢諭吉」を書くのに、「福沢諭吉自身によって福沢諭吉を語らせよう」と考え、福沢諭吉の著書を大量に系統的に取り込みました。福沢諭吉の著書を順を追って読んでいけば福沢諭吉がどんな人間でどんな考えを持っていたか誰でもよく分かります。

現在まで、福沢諭吉が日本の民主主義の先駆者のように扱われていて、偉人としてまで崇められ、その結果が一万円札の顔となっています。それは途方も無い誤解なのですが、どうしてそんな誤解が正されずに世の中に広まっているのか、それは、殆どの人が福沢諭吉の著作を読んだことが無いからです。

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、といえり」を、「いえり」抜きで教わって、それを福沢諭吉の思想だと思いこみ、それに「独立自尊」も福沢諭吉の言っていたのとは違う意味で思い込み、それで、多くの人は福沢諭吉を有り難がっているのです。

その誤解を解くためには、福沢諭吉自身の著作を読むしか無いと私は考えて、「まさかの福沢諭吉」では、福沢諭吉の著作を系統的に読んで貰う形を取りました。

「まさかの福沢諭吉」の大部分は福沢諭吉の著作で埋まっています。

それに対して、中谷成夫氏の「一万円札の福沢諭吉」は、福沢諭吉の著作も載せていますが、私の方針とは違って、様々な人の福沢諭吉論を載せています。

氏が福沢諭吉について調べようと思ったのが、福沢諭吉が勝海舟に対して書いた「痩せ我慢の説」に反撥してのことなので、勝海舟のこともたっぷり書かれています。

色々な人の勝海舟と福沢諭吉の比較論も、勝海舟に惚れ込んでいる中谷成夫氏でなければ見つからないものも多く、福沢諭吉との比較論だけでなく勝海舟を高く評価する人々の論、挿話もいろいろと取り込まれていてそれだけでも興味深いものとなっています。

また、明治維新時の戊辰戦争で、薩長が如何に残虐なことをしたかという話も書かれていて、明治維新時の、その後薩長政府が隠してしまった真実も描かれて歴史の勉強になります。

福沢諭吉に対する批判の範囲も、被差別民に対する福沢諭吉自身の持つ差別意識から、朝鮮人、中国人に対する侮蔑的な言論、旅順虐殺、閔妃虐殺、台湾の虐殺に対する福沢諭吉の反応、福沢諭吉の帝国主義的な言論、など幅が広く、福沢諭吉の全体像を摑むの大変役に立ちます。

読み物としても面白く出来ているので、私はこの「一万円の福沢諭吉」を是非皆さんにお勧めしたいと思います。

発行は文芸社 定価は800円+税です。

2014年に発行されていたのに、今まで知らずにいた私の怠慢を恥ずかしく思います。

発行されたときに、中谷成夫氏は、88歳。

そのお年まで研究を続け、この本を出版されたご努力に心から敬意を表したいと思います。

私も、中谷成夫氏に負けないように、これからも意味のある仕事していかなければならないと励まされました。

この本をお送り下さった、中谷省三さんに厚くお礼を申しあげます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雁屋 哲

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