雁屋哲の今日もまた

2008-10-27

昆布の話

 22日、十時から、大阪谷町の「こんぶ土居」で催し物があった。
「こんぶ土居」の土居成吉さんは、三十年前から真昆布の名産地の北海道の南茅部地区の昆布漁師たちと親しい関係を結んできた。「美味しんぼ」の第77巻の「日本全県味巡り・大阪編」にその辺のところを取り上げているので、機会があったらお読み下さい。
 土居さんは三十年以上も南茅部に通い、その土地の昆布漁師たちのその年の収穫、品質などを克明に記録に取ってこられている。
 南茅部と言っても、ご存じのない方が多いと思うので、土居さんの作られた図を下に掲載する。

南茅部地区

 北海道の、本州よりの地域である。

 何についても本物の味を追求される土居さんは、南茅部地区の真昆布が世界最高だと確信しておられ、その昆布漁が衰えることのないように支えておられる。
 土居さんは南茅部の川汲地区磨光小学校で、毎年小学生たちに、南茅部地区の昆布がどんなに素晴らしい物であるかを自覚して貰うための講演や、寸劇の上演などを行っておられる。自分たちの浜で取れる真昆布の真価に子供のころから目を開いて誇りを抱いて貰わなければ駄目だと考えられてのことである。
 土居さんの息子さんの、純一さんも土居さんの情熱を受け継がれ、自分でも南茅部地区の真昆布の良さをまず土地の人に認識して貰うように、講演会を開いている。

 22日は、その南茅部地区の高校、南茅部高校の生徒さんたちが校長先生に引率されて大阪の土居さんの店に尋ねてくると言うことになった。
 実は、今年の南茅部高校の修学旅行の目的地は京都なのだが、その中の五人が特に大阪の「こんぶ土居」に行ってみたいと言い出した。
 学校の規則としては、旅行の目的地以外の場所に行くことは原則禁止なのだが、その五人の生徒たちの意志が強く、またその目的も自分たちの土地で取れた昆布がどのように評価されているか知りたいと言う、極めて真面目な物だったので、特別に校長先生が引率して、京都から大阪まで横滑りでやってきたというわけだ。

 そもそも、私に土居さんを紹介してくれたのが「吉本興業」の野山さんで、土居さんを紹介してくれるくらいだから本人も食べもののことにうるさい。
 野山さんの名言を一つ紹介しよう。
「ぼく、東京に転勤になって、何で東京に食べ物屋の案内の本がこない仰山あるのか、最初不思議に思うたんですわ。けど、すぐにその理由が分かりました。東京はほんまに美味しい店が少ない。だからいちいち本で調べなあかんのですわ。ところが、大阪は、どの店も美味しい。本なんかで調べんでも、目についた店に入ったら、それでよろし。美味しい物が食べられる。そやから大阪には食べ物屋の案内の本やなんていらんのです。大阪と東京では味の水準が違うんですな」
 我々関東の人間にとっては実に憎たらしいことを言うじゃありませんか。
 しかし、大阪に来る度に美味しい物を食べさせて貰っているから仕方がない。

 その野山さんから「こういう素晴らしい催し物が土居さんのところで行われるから参加しないか」と声がかかった。
 尊敬する土居さんのところでそんな催し物が開かれるとあっては、是非参加したい。運良く、日本に帰って来ているし、和歌山に取材旅行に行く前の準備運動としてももってこいだ。
 一も二もなく参加させていただくことになったのだ。

 22日、前夜京都の「な」大先輩ご一家と私の連れ合いとともに、祇園で伝統古典芸能保存振興協会実行委員会(ただし会員も委員会も私達だけ)の例会を開き、まだ三味線の音が耳に残っている状態で、朝九時半に大阪に着いた。
 今日の集まりのために現在勤務先の東京から飛んで来た野山さんと一緒に土居さんの店に向かう。

 土居さんのお店は相変わらず、日本中から集めた本物の食べものが並んでいる。これだけ、いい加減な食疑惑で世間が揺れている時に、絶対本物、安全と自信のある食べものを扱い続けるのは、実に気持ちの良いことだろうと思う。
 どんどん手を広げてもうけを大きくするより、更に本物で安全な物の数を増やすことに力を注いでいる。
 本当にうらやましい、立派な人生だと思う。

 やがて、南茅部高校の生徒諸君が到着。
 髪型も服装も、まさに今時の若者。
 私のような時代に取り残された化石人間には大変まぶしい。
 しかし、純真率直で礼儀正しく、気持ちの良い生徒諸君だった。
 早速、土居さんのお店に置いてある、南茅部地区の昆布を見る。

南茅部高校の生徒諸君と土居さん

「おお、自分たちの浜で取れた昆布がここにある」と非常に喜んでいたのが印象的だった。
 一番右が、土居さんだ。その隣が、純一さん。
 確かに、自分たちの浜で取れたものが北海道から遠く離れた大阪でこんなに大事にされているのを見たら、嬉しいだろう。
 その嬉しそうな樣子が見ていて気持ちが良かった。

 土居さんのお店の二階に上がって、純一さんが用意してくれた、南茅部郡の昆布と他の地域の昆布の味比べをした。
 それはもう圧倒的に南茅部郡の昆布の方が美味しいことを、生徒諸君も改めて認識して、喜んでいた。
 生徒諸君を紹介しよう。

南茅部高校の生徒諸君1 南茅部高校の生徒諸君2

 写真の左から、斎藤巧一朗君、佐藤駿君、山田本気君、雲母(きら)大地君、高谷恵太君、そして校長の溜雅幸先生。

 生徒諸君の前にあるのが南茅部地区特産の見事な真昆布。手前のひょろひょろの昆布は比較のための物。
 これほど、南茅部の昆布は素晴らしい。

 生徒諸君の中で、昆布漁を続けると手を挙げてくれたのが

佐藤君

 佐藤君と、

雲母君、高谷君

 雲母君、高谷君の三名。

 もう、こんな嬉しいことはない。
 実は、土居さんが仰言るには、昆布漁は、仕事として大変厳しい物なのだそうだ。
 特に、一昨年、去年と、災害のために昆布が流されてしまって、収穫量が平年の5パーセントにしかならなかったそうだ。
 そのように、危険率の高い職業をこの若者たちが選んでくれたことに、土居さんは心を動かされて、ありがたがっていた。
 昆布がなかったら、日本の味はあり得ない。
 日本料理の味の基本は昆布だ。
 どれだけ良い昆布を手に入れるか、それが日本料理屋が命を賭けるところだ。
 試みに、化学調味料で味を付けた出汁と、昆布と鰹節で取った出汁を比べていただきたい。
 今回も、南茅部高校の生徒諸君が自分たちで、「昆布と鰹節で取ったらこんなに美味しい味が出るのか」と感動していた。
 その、日本料理の根幹、これが無くては日本料理は存在できない昆布の漁を、この若者たちが受け継いでくれるというのだ。
 なんと言うありがたさだろう。
 私は、この若者たちに後光が差しているように感じた。
 今後、何か私に出来ることが有れば、精一杯の協力をしようと決心した。

 日本は素晴らしいぞ。
 この見事な若者たちが、次の世代を担ってくれると言っているのだ。
 うれしくて、うれしくて、私は日本という国をますます誇らしく思った。
 こういう若者たちがいてくれるからには日本は大丈夫だ。
 ありがたい、ありがたい。
 南茅部高校の生徒諸君、頑張ってくれ。
 私達も、出来る限りの応援をするぞ。

 その日は、土居さん御父子のご人徳で、色々と素晴らしい方々が助っ人として協力してくださった。
 今、大阪で大変人気のある「豚玉」の今吉正力さんが、なんとたこ焼きを焼いてくださった。

「豚玉」の今吉正力さん

 その趣旨は、南茅部地区で取れた昆布で取った出汁で作ったたこ焼きは素晴らしく美味しいと言うことを、南茅部高校の生徒諸君に実感して貰おうと言うことである。
 たこ焼きの生地を、南茅部の昆布で取った出汁で溶いて、それで作ろうと言うわけである。
 大阪の人なら皆知っていることだが、この「豚玉」という店はわずか二十席しかなく、予約を取るのが大変に難しい人気店である。
 私は、残念ながらまだ行ったことが無いのだが、野山さんの話によると、イタリア料理など、次々に美味しい物が出て、最後が「豚玉」というお好み焼きがで締めくくるのだそうだ。
 で、「豚玉」では、たこ焼きはメニューにないと言うことなのだが、当日は、南茅部の昆布で取った出汁の美味しさを南茅部高校の生徒諸君にしっかりと認識して貰うために、今吉さんが特別に作ってくださったというわけだ。
 今吉さんは、南茅部高校の生徒諸君にたこ焼きの作り方を特訓してくださった。

今吉さんのたこ焼き指導

 しかし、このたこ焼きの美味しさと言ったら、これは仲々簡単に表現できない。
 ふわり、もちもち、柔らかく、気持ちがよい。
 味は昆布と鰹節出汁で、はんなりと案配がよい。
 普通のたこ焼きは、青のりを掛けのウースターソースを掛けの、といった具合で、三個も食べれば後はごめん、だが、今吉さんのたこ焼きはそんなたこ焼きとは次元が違った。
 何もつけず、たこ焼きをただそれだけ食べて、恐ろしく美味しいのだ。
 たこも新鮮でぷっつりといい感触。
 私は、生まれてから、こんなに沢山のたこ焼きを食べたことがない。
 二十個以上、あるいは三十個を越えたかも知れない。
 いくら食べても食べ飽きないのだ。
 こんなに美味しいたこ焼きを食べたことがない、と言ったら、今吉さんは不本意そうな顔をされた。
「たこ焼きは、家のまかないの食べ物で、本職は違います」
「豚玉」の料理はよほど美味しい物に違いない。
 今度は、「豚玉」を食べるために、大阪に来るぞ。
 吉本興業の、野山さん、責任取ってくれよ。

 私が、生徒諸君に「たこ焼きをやらないか」と言ったら、土居さんは「昆布漁の妨げになったら困る」と本気で心配される。
 で、私が、「昆布漁の合間に副業でしたらいいんじゃないでしょうか」と言ったら、土居さんも「それなら、いいかな」と仰言った。
 土居さんは、とにかく、昆布命の方なのである。

 ここで、当日集った人間の記念写真を掲載する。
これだけの人間が、南茅部の昆布を大事にする土居さんの心意気に動かされて集ったのだ。

集合写真

 右から二人目、土居さんの隣で凄んでいるのが、吉本興業の野山さんです。

 その日来てくださった方々の中に、いま大人気の日本料理の店「伊万邑」の店主、今村規宏さんがいた。
 夜は、土居さんにその「伊万邑」に連れて行っていただいた。

「伊万邑」外観

 今村さんはまだ33歳。
 信じられない若さだが、店を開いたのが26歳の時だと言うから更に驚く。
 そして更に驚いたのは、その料理の見事さだ。
 味のしっかりしていること、味の際が立っていること、素材の素晴らしさ、料理の流れの美しさ、一つとして間然とすることがない。
 この若さでどうして、と私は美味しさに喜びながら、同時に信じられない思いに打たれた。
 味の一つ一つがみずみずしく、力があるのだ。
 ああ、世の中は恐ろしい。
 こういう若者がいるのだ。

今村さんご夫妻

 今村さんと奥様。二人とも顔をしているではありませんか。
 奥様の支えが強力であることを、私はお二人のやりとりを見ていて感じました。
 これぞ夫婦です。

 南茅部高校の生徒さんたち、土居さんの息子さんの純一さん、「豚玉」の今吉さん、そして「伊万邑」の今村さん。
 なんと言う素晴らしい若者たちだろう。

 私は、異常な愛国者である。
 その愛国者が、もう、感動の涙を抑えられない体験をさせて貰った。

 本当に、最高の一日だった。
 ああ、日本人に生まれて良かったとつくづく思ったぞ。

 明日、27日からは、「美味しんぼ」の「日本全県味巡り」の取材で和歌山県に行きます。
 途中で、報告できたらいいのですが。
 あまり、当てにしないでね。
 でも、脚の具合は、もう大丈夫。
 和歌山の山の中でも、浜辺でも、ずんずん突進するぞ。

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雁屋 哲

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