甘い物
昨日のリハビリの際に確かめたら、右の膝は六十度まで曲がるようになっていた。大いなる進歩だ。もっとも、来週の火曜日までに九十度まで曲げられないと、麻酔を打って、一晩寝かせてその間に無理矢理九十度以上曲げるようにしてしまうと医者におどかされているので、私としても必死である。
ただ、どうも、水の中で運動するハイドロセラピーが苦手で、三十三度ほどしかない水温なのだがそれでも私には温かすぎる。湯当たりをしてしまうので、二十分以上入っていられない。その話をセラピストの若い男に話したら、彼も富士山の近くの温泉に行ったことがあるが、温泉の水温が四十二度で五分しか入っていられなかったという。私は、冗談じゃない、私なら三分もたないよ、と言って二人で笑った。
もう少し長時間、ハイドロセラピーが出来れば、リハビリの成果ももっと上がると思うのだが、こればかりは体質でどうすることも出来ない。
だから、良く、サウナなんか好きな人がいるけれど、あんなものは私にとっては地獄だ。一二度、友人に誘われて行ったことがあるが、もう、こりごりである。
それに、サウナに行くと、周り中裸の男ばかりなんだ。私は、男の裸を見るのが大嫌い。実に汚らしい。
自分も男であることを棚に上げてこんなことを言うのはおかしいが、男の裸ほど見て気持ちの悪いものはない。男風呂に男は私以外入ってはいけないという法律を作りたいな。女性は老若を問わず入って来てもよろしい。
昔の暴君だったら、こんな法律を作れたんだろうな。昔の暴君に生まれたかったよ。
さて、昨日から南風が吹き始めてシドニーはひどく寒くなった。
南風が吹いて寒い、なんて、北半球にお住まいの方にはいぶかしく思われるでしょうが、北半球から見て南は赤道だが、南半球から見て南は南極なんですよ。地図を見て下さい。オーストラリアの南には南極しかない。
それで、毎年大晦日に、シドニーの旅行会社が南極ツアーを催す。南極ツアーと言っても、飛行機に乗って、南極点まで行って、着陸もせずそのままシドニーに引き返してくると言う物である。全然無着陸の南極旅行である。それでも、南極ではかなり低空を飛んでくれるので、十分に南極の雰囲気を楽しめるという。面白いのが、途中で客席の右と左を交代するという仕組みである。こうすると、不公平無く全員が南極の光景をまんべんなく見られるというのだ。
しかし、考えてみると、もし一直線上を往復するとしたら、右側と左側と入れ替えることで、行きも帰りも同じ光景を見ることになるはずで、返ってこれは不公平だ。(図に書いてみると分かりやすいですよ)
ま、この南極ツアー飛行の場合、一直線上を往復するのではなく、大きく周回するから、良いのかも知れない。それにしても、途中で右左を入れ替えるのが余り意味のあることだとは思えないね。
その南極からの南風が吹くと、オーストラリアも本格的な冬に入る。
昨夜の、深夜の気温は、4月ではこれまで観測史上最低の9℃。
ついに、寝室にオイルヒーターを入れました。
オーストラリアのシドニーのあるニューサウスウエールズ州と、メルボルンのあるビクトリア州の間にスノウウィ・マウンテン(雪の山だね、文字通り)というオーストラリアで珍しく雪が積もってスキーの出来るところがあるが、そのスノウウィ・マウンテンで、昨日は、10センチから15センチの積雪があった。この季節としては記録破りだそうだ。
どうも、おかしいねえ。地球温暖化なんて言っているのに、これはどうしたことだ。
温暖化、一転して寒冷化なんて事にならないだろうね。
私は、暑いのも寒いのも苦手なんだ。ちょうど良い気温が望ましい。
それからすると、シドニーはかなり快適な場所で、真冬でも、9℃くらいまでしか下がらない。氷点下に下がることは絶対にない。
真夏は、時に四十度を超えることがあるが、そんな熱さは三日と続かない。しかも、湿度がないからからっとしている。
日本の夏のように、気が狂いそうな蒸し暑さが一月以上も続くという事は無い。
2004年、私は、病床にある親友が気がかりでしょっちゅう日本に帰って来ていたが、その年の夏の東京の暑さには、心底応えた。
気象庁の発表する気温は、よほど環境の良いところで計測した物だろう。都心はビルが建ち並び、ヒート・アイランド現象が起こっているから、気象庁の発表する気温より四、五度は高いと思った。
私は暑がりだから、暑いところにいると精神がおかしくなる。機嫌も悪くなる。自分でもおかしいと思うのだがやたらと不愉快になって、人に対して乱暴なことを言ったり、無礼なことをしたりする。
ああ、ここで二三発誰かを殴ったらすっきりするんだが、と殴るきっかけを探して周りを見回したりする。
そうだ、その殴ると言うことについてだが、去年新橋の路上を、友人たちと歩いていたら我々の歩いている歩道の前方から凄い勢いで自転車が突っ込んできた。危ない、と思って私は体を交わした。その私の身体をすれすれに自転車は走っていく。私はかっとなって、「こら、待て」と叫んだ。どう言う訳かその男が止まったので近寄っていって、「なんと言う乱暴な走り方をするんだ。俺がよけなかったらぶつかっていた。危険じゃないか」と文句を言ったら、へなへなした若い兄ちゃんだったが、その男が言う事がすごい「それは、主観の相違でしょう。あんたが勝手に危ないと思っただけだ」と抜かしやがる。
私は、心が波立ってきましたね。
「これは、一発喰らわしてやらなければなるまい」と思った。
すると、その私の気配を察して、私の友人の一人がすっと、私とその若い兄ちゃんの間に身体を入れてきた。その友人は身体も大きく、強面で、その友人にらまれたら、大抵の男はびびる。
私の友人は場慣れしているから、静かに諭すようにその兄ちゃんの非を説いて聞かせる。それでも、いい加減なことを兄ちゃんが言うので、私が、詰め寄ろうとすると友人が身体で私をさえぎる。ついに私は兄ちゃんに、「お前、一体何歳なんだ」と年を聞いた。すると、奴は「二十八歳」と答えた。
それで、私は気が抜けた。二十八にまでなって、そんなことの善し悪しが分からないようなお粗末な奴を相手にしても仕方がない。
「もう少し、物事を考えて行きて行けよ」と言って、放してやった。
しかし、参ったのはその後だ。
私とそのアホの兄ちゃんの間に割って入った友人に「二度と、街中で喧嘩などしないでくれ。何かがあったらどうするつもりだ」とこんこんと意見をされた。三十年来の友人に説教されるとやはり応える。
私は、喧嘩に負けたことが無く、今でもいつでも喧嘩で負けないように鍛えているのだが、それが危ない。うっかり相手を殴って、相手が倒れた拍子に打ち所が悪くて頭でも打って死んだりしたら飛んでもないことになる。
それに、私は常に喧嘩に勝つことしか考えていないが、最近の若い連中は刃物など持ち歩く者もいる。そんな奴に出会ったら、えらい災難だ。
それにねえ、六十を過ぎて、まだ殴りっこなんて、格好悪いと思わなくちゃね。
私は深く反省して、その友人に二度と喧嘩はしないと誓約した。
それにしても、最近歩道を自転車に乗って凄い勢いで走る奴が大勢いる。以前にも私は、日本橋で危うく自転車にぶつけられそうになった。そのことがあったから、新橋で兄ちゃんを捕まえたんだ。やはり、あの時一、二発お見舞いしておけば良かったな(あ、全然反省していないじゃないか)。
いや、ま、こんなリハビリもままならない状態では、喧嘩どころじゃないよ。
喧嘩なんか、もっと脚の具合が良くなって、足元に自信がつくまでするのはよそう。(やっぱり、反省していない)
ま、そんな訳で、リハビリに励んでいることをご報告いたします。
今日は喧嘩の話なんかで殺伐としてしまった。そんな時には甘い物を食べるのがよい。甘い物は、神経をなだめるからね。
私の横須賀の家の周りの住民はみんな親切で色々な貴重な物を恵んでくれる。有り難いのが、テングサだ。目の前の海で取った物を、雨ざらしにして干しておくと、最初赤かったのが黄色がかった白い色に変わる。それを煮て溶かして、かためると、寒天が出来る。
棒寒天の材料だが、リンゴ羹を作るのにも、棒寒天を使うのとテングサ自体を使って作るのとでは、鉛と黄金ほどの違いがある。香りが良く甘味があり、歯ごたえも違う。一度、テングサを使うともう、棒寒天など使う気にならない。粉末状の寒天など論外である。
そのテングサを使った我が家のリンゴ羹。リンゴをなるべく形のまま使ってある。これが私の大好物。
おなじ、テングサを使ったところてん。これに、黒蜜をかけて食べる。酸っぱいところてんも良いが、この黒蜜のところてんはすっきり・さっぱり・しゃっきり、実に幸せな感じを与えてくれます。
そして、これは、今や世界中で五本の指にはいるとまで言われるようになった、シドニーの誇る「テツヤ・レストラン」のアイスクリーム。イチジクの上に乗っています。
どんな状態かというと、こうなっています。
イチジクとバニラのアイスクリームの取り合わせは、たまりません。
これで少しは、心が穏やかになったかな。
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