パレスティナ問題 その13
月日が経つのは早いもんですなあ。
あっという間に、八月になってしまった。今年も残りわずかになりました。
もうじきお正月だ。
ところで、シドニー総領事「粗」さんのお名前の読み方。
皆さん、分かりましたか。
ある読者は、「懸詞で、『もらさず』となっていて、困っています」という回答を下さった。なんで、困るんだろうねえ。
で、正解の発表です。総領事は外交官だから、ここでお名前出しても構いませんよね。
在留証明書なんかに馬鹿高い料金を取ったんだから、このくらい我慢してくださいね。
で、何とお読みするかというと、「ほぼ」さんです。
これは、難しいよね。私も、難読地名辞典はすぐ手元にあるのだが、難読人名辞典がどう言う訳か行方不明。よって、辞典で調べることは出来ないが、これは、難読人名の中でも、最右翼だろう。
難しい字を使うのなら、読み方も難しいのは分かる。
しかし、「粗」という字は当用漢字にもあるだろう。一般的な漢字だけに、余計にこの読み方が難しい。
恐れ入りました。
さて、聖書の続きに行こう。
私は、最初、神がアブラハムやイスラエル、イサクなどに、カナンの地を与えると言ったと聞いた時、そのカナンの地というのは、例えばエデンの園のように、素晴らしい土地だが、神が特別にユダヤ人のために取って置いてくれた手つかずの、誰も今までに人が入ったことのないまっさらの土地だと思った。
ところが、聖書を読んでみると、なんと、神がアブラハムに与えると言った段階で、既にそこには、他の民族が住んでいるではないか。
例えば、あなたが誰かに、あの土地をあげますよと言われたとする。
喜んでその土地に行ってみると、そこには既に前からの住民が住んでいた。
それと同じことだ。
神はモーセにも、カナンの地を与えるという。
要するに、カナンの土地に住んでいる住民を滅ぼして、その土地を取れ。
神はイスラエルの民に味方して、応援してやる、とこう言うわけだ。
どうして神がそんなことをするのかというと、
「この国々の民が神に逆らうから、主があなたの前から彼らを追い払われるのである(申命記 第9章)」なのだそうだ。
これでは、先住民族に救いはない。神が追い払えというのだから、イスラエルの民は当然神の言う事に従うまでである。
イスラエルの民は神が選んでくれた民族だから、先住民を追い払って良いのである。
神の助力を得て、カナンの地に侵入し、その地の先住の民族を滅ぼして、その土地をイスラエルのものにする。
この、基本的な構造は、現在のイスラエルのあり方にそっくりだ。
1948年の建国以来、アラブ人たちが攻撃を仕掛けたとは言え、その後どんどんアラブ人を追いつめ、ガザと、ヨルダン川西岸に閉じこめてしまった。
三千数百年前と同じことを、現在のイスラエルはしている。
そう、思えてならない。
- カナンの地は、イスラエルの民が自分たちで攻め込んで先住民を滅ぼして獲得しなければならないのだから、イスラエルの民は極めて好戦的である。
カナンに向かう途中でも、幾つもの部族と戦う。 - ネゲブに住むカナン人とイスラエルの民は戦ってその町々を絶滅させ、そこの名をホルマ(絶滅)と呼んだ。(民数記 第21章)
このとき、
「イスラエルは主に誓いを立てて『この民をわたしの手に渡してくださるならば、かならず彼らの町を絶滅させます』と言った。主はイスラエルの言葉を聞き入れ、カナン人を渡された」(民数記 第21章)
とある。
実に、神は徹底的にイスラエルの味方なのである。
しかし、必ず絶滅させますと神に誓うとは、凄い物だ。そして、町の名前を「絶滅」とするなんて。
- イスラエルは、アモリ人の王シホンにその領内を通過させてくれるように頼んだが、シホンはそれを許さず、全軍を出してイスラエルと戦う。
しかし、イスラエルは、シホンを剣にかけ、その領土全てを占領する。
こうして、イスラエルの民はアモリ人の地に住む。(民数記 第21章) - イスラエルの民は、カナンの土地に進むまで、まだまだ戦う。
- モーセは神に命じられて、イスラエルの民に異教の神を拝むことを教えたメディアンを滅ぼす。
「彼らは(イスラエルの兵士たち)は主がモーセに命じられたとおり、ミディアン人と戦い、男子を皆殺しにした。(中略)イスラエルの人々はミディアン人の女と子供を捕虜にし、家畜や財産、富のすべてを奪いとり、彼らの町々、村落や宿営地に火をつけて、ことごとく焼き払った。」
こうして、戦利品と女子供の捕虜を連れて帰ると、モーセは軍の指揮官たち、千人隊長、百人隊長に向かって怒り、彼らにこう言う。
「女たちを皆、生かしておいたのか。(中略)直ちに、子供たちのうち、男の子は皆、殺せ。男と寝て男を知っている女も皆、殺せ。女のうち、まだ男と寝ず、男を知らない娘は、あなた達のために生かしておくがよい」(民数記 第31章)
神はモーセに言う。
「捕虜として分捕った人間と家畜の数を調べ、分捕ったものを戦いに出た勇士と共同体全体とに折半しなさい」(民数記 第31章)
この章を読んだときの私の驚きをなんと表現したらよいのだろう。
異教の神を信じる異教徒は徹底的に皆殺しにして、財産も何も奪いつくし、家も焼き尽くし、男も女も子供まで皆殺しにし、男を知らない娘は自分たちのために取っておく。
しかも、神は、分捕ったものは皆で山分けにしろと言う。
これが、聖なる書、聖書か。
この残虐さ、冷酷さ。
現在のイスラエルのユダヤ人たちが、聖書のこう言う個所を行動規範としているとしたら、恐ろしいことだ。
- 「エリコに近いヨルダン川の対岸の平野で主はモーセに仰せになった。
イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。ヨルダン川を渡ってカナンの土地に入るときは、あなた達の前から、その土地の住民をすべて追い払い、すべての石像と鋳像を粉砕し、異教の祭壇をことごとく壊しなさい。あなた達をその土地を得て、そこに住みなさい」(民数記 第33章)
さらに、ここで、神はモーセにイスラエルの民のものとなる土地の範囲を示す。
現在のイスラエルは、聖書の示すとおりの土地は自分たちのものだと主張しているのだ。
- モーセは神の言葉として、これからイスラエルの民が行って所有する土地に住む多くの民を
「あなたの前から追い払い、あなたの意のままにあしらわせ、あなたが彼らを撃つときは、彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず、彼らを憐れんではならない。」(申命記 第7章)
という。
- 神はモーセの従者ヌンの息子、ヨシュアをモーセの後継者に任命する。
- モーセはカナンの地を前にしてモアブで死ぬ。
死ぬ前に、神はイスラエルの民に与えたカナンの地をモーセに見せる。 - モーセの後継者、ヨシュアはついにイスラエルの民を率いてヨルダン川を渡り、エリコの町を攻めて陥れる。
エリコの町に攻め入るときの樣子は、次の通りである。
イスラエルの民はエリコの町の城壁の周りを回り、
「角笛が鳴り渡ると、民は鬨(とき)の声を上げた。民が角笛の音を聞いて、一斉に鬨の声を上げると、城壁が崩れ落ち、民はそれぞれ、その場から町に突入し、この町を占領した。彼らは、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くした」(ヨシュア記 第6章)
これを、手始めに、イスラエルの民は先住の民を次々に滅ぼして行って、ついにカナン全域を支配する。
この後、聖書は、イスラエル王国の成立、ダビデ王、ソロモン王、などの話を続けるが、私はパレスティナ問題を考えるときに、このヨシュア記までを読んでおけば十分だと思う。
ここに、シオニズムの基礎があるし、現在のイスラエルの建国の精神もある。
パレスティナ問題でイスラエル側の持つ問題点は全て、このヨシュア記までにある。
極く簡単に、まとめると、次のようになる。
- 神は、イスラエルの民にカナンの土地を与えると約束した。
- しかし、カナンの土地には既に多くの民が住んでいた。
- 神はその先住民が神に逆らうから追い払うのだという。
その言葉が、イスラエルの民が、カナンに攻め込んでその土地を奪うことを正当化する。 - 神の命令どおり、イスラエルの民はカナンの地に攻め込み、多くの民を滅ぼし尽くして、カナンの地を自分たちのものとする。
現在のイスラエルは、三千数百年前に、モーセとその後継者ヨシュアがしたことを、再び行っている、と私には思える。
それが、パレスティナ問題の根本的な原因だ。
詰まるところ、パレスティナ問題はユダヤ教の教えその物に根ざしている。
問題の根は、ユダヤ教という宗教だ。
現在のイスラエルが、聖書に書かれた、モーセやヨシュアのように他民族に対するとしたら、これは、どうにもパレスティナ問題は解決のしようがないではないか。
では、イスラエル人に敵対するアラブ人の信仰する、イスラム教はどんな宗教なのだろう。
この続きは、また明日。