川上馨さん、追悼
昨日、悲しい知らせが入ってきた。
私は二十数年前から、「酒仙の会」という日本酒愛好家の会に入っている。
「美味しんぼ」にも酒仙の会のことには書いたからご存知の方もおられるかと思う。
二十数年前、地方の日本酒の良さを発見する動きが盛んになったが、その先鞭をつけたのが「酒仙の会」だと思う。
日本酒の世界では、第二次大戦中に軍の要請で始めた、少量の米でとにかく酒らしい物を作る、という三倍醸造酒(通称三増酒という)がいまだにはびこっていて、なんと、その様なまがい物を普通酒という。
純米酒や、純米吟醸酒は特定名称酒となっているから驚く。
まがい物が普通で、本物が特定酒と来たのでは、何もかも逆さまだ。
そんなことをしているから、テレビで紙箱入りの酒などを宣伝している大手の酒造会社は売り上げが下がっていって困っているのだ。
フランスのワインでも、本物のシングルモルトウィスキーでも何でも手に入る世の中に、何が悲しくて、あの臭くてまずい三増酒を若い人間が飲むかと言うのだ。
しかし、地方の造り酒屋では頑固に、米だけしか使わない純米酒を造り続けている所が幾つもある。
そういう造り酒屋は、テレビなんかで宣伝しなくても酒好きの間に口伝えに名前が広がって行って、経営も安定し、むしろ注文に追いつかないところも少なくない。
「酒仙の会」はそのような、本物の酒作りをしている蔵元を訪ね、その酒を会員に紹介して来た。
日本酒を盛り上げるのに力を尽くしてきたと、会員として、誇りに思っている。
その会の副会長をしておられた、川上馨さんが亡くなったと言う報せが昨日入った。
九十近いご高齢だった。
洋服の仕立ての店を経営しておられ、いつもお会いするときには、自分で仕立てたしゃれた上着を軽やかに着て、大変お洒落な方だった。
気持ちがまっすぐだが、非常に心の優しい方で、いつも笑いを絶やさず、怒ったり、人のことを悪く言ったりすることが無い。
私が初めてお会いした頃は、吟醸酒の人気が出始めた頃で、猫も杓子も吟醸酒、大吟醸などと騒いでいた。
私も、大吟醸のあの果物のような香りに魅せられて、吟醸酒をあれこれ飲んで喜んでいたが、あるとき、川上さんに「雁屋さん、酒は純米酒です。吟醸酒は飽きますよ」と言われた。
そのときは、まだ私は、吟醸酒を有り難いと思って飲んでいたのだが、沢山飲んで行くにつれて、その香りが鼻につくようになった。
香りだけで、味わいが薄いことにも気がつくようになった。
終いには、吟醸酒に飽きてしまって、いや、それどころか、吟醸酒は敬遠するようになってしまった。
今私は、どこかで酒を飲むときに、「吟醸酒は駄目。純米酒にして」と注文する。
何もかも、川上さんの仰言る通りだった。川上さんは全て経験してお見通しだったのだ。
川上さんは、評判などに惑わされず、実に的確に旨い酒を選ぶ方だった。
私は、酒については随分川上さんに教えていただいた。
十年ほど前、私が初めて股関節を人工関節に入れ替える手術をしたとき、川上さんは私にふんどしを作ってくれた。洋服の仕立ての名人としてはふんどしを作るなど、沽券に関わるところもあるだろうに、川上さんは私の不自由を察して、ふんどしを作って下さったのである。
手術をして体が不自由なときに、下着の交換は非常に大変である。
その点、越中ふんどしだと、紐で結ぶだけなので、簡単至極で助かる。
川上さんは、普通の越中ふんどしともうひとつ、「もっこふんどし」という物も作って下さった。
越中ふんどしは、左右両側の紐は前後別々になっていて、身につけるときに両側でその紐を縛る。
ところが「もっこふんどし」は一方の紐が切れておらずつながっている。
だから、身につけるときは、パンツをはくような感じで足を通し、腰まで引き上げて、開いている側の紐を結ぶ。
これも、大変に重宝した。
今回、膝の関節の入れ替え手術をしたときも、そのふんどしを使った。
ふんどしを使う度に、川上さんのご懇情に感謝した。
世間に人多しと言えども、ふんどしを自分で作って送ってくれる人なんているもんじゃない。
酒とふんどし、変な取り合わせだが、この二つで私にとって川上さんは大恩人となった。
人の寿命には定めがある。人の世に別れは避けがたい。
とは言うものの、敬愛する大先輩を失った悲しみは深い。
このところしばらくお会いしていないので、今度日本へ行ったら、是非お会いしようと思っていた矢先のことだった。
残念でたまらない。
今回は、大先輩、川上馨さんに追悼の意を表して終わることにする。
参考までに、本物の美味しい日本酒を飲みたかったら、「酒仙の会」です。例会を頻繁に行っていて、その席で、素晴らしい日本酒を楽しめます。
「酒仙の会」
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(年会費3000円)