「雁屋哲の食卓」を作っているのは
〈「美味しんぼの日々」に「御飯」を掲載しました〉
「雁屋哲の食卓」でお見せする我が家の料理は誰が作っているのか、と言うのが、今日のお話です。
主役は勿論、連れ合いです。
実は結婚した時に、連れ合いの出来る料理はトンカツと出汁巻き卵だけでした。
結婚前にピクニックに行ったとき、連れ合いは、カツ・サンドと出汁巻き卵のお弁当を作って持って来てくれた。それが、仲々美味しかったので、「うん、料理の腕は大丈夫だな」と思って結婚したのですが、ああ、なんと、連れ合いが作ることの出来る料理は、トンカツと出汁巻き卵だけだったことが、結婚してから判明したので御座いますですよ。(この話はあちこちでして、連れ合いに嫌がられています。それを、またここに書いちゃった。ごめんね、かあちゃん)
麺の茹で方から、肉の焼き方から、全て何も知らなかった。
私は、料理好きの父親の影響で、子供の頃から台所に親しんでいて、自分で料理をするのが得意だったので、連れ合いに料理を一から教えた。
今でも、時々連れ合いが文句を言うが、そんな頃私は友人に電話をして、「おーい、えらいことしちゃったよ。俺は嫁を貰ったつもりだったのに、娘を貰っちまったよ」と言ったそうだ。
どうもね、私は極めて忘却性能の高い頭脳を持っているので、大抵の記憶は行く水の流れるが如くするすると消え去っていって、頭に残るものが何もなく、大変さっぱりしていい気持ちなのですが、女性は違うようですな。
私なんかがとっくに忘れたことを、しっかり憶えていて、何かの拍子にそれを、攻撃の道具に使う。
こっちが忘れていることを、向こうが憶えているってことは卑怯ですよねえ。
連れ合いは、三人兄弟の末っ子。一番上の姉も、すぐ上の兄も、両親も、たっぷり甘やかして育ててくれたから、末っ子特有の、何でも誰かがしてくれるもの、という気質を持っていて、おまけに連れあいの母親が非常に活発な人で、子供なんかに仕事をさせてぐずぐずしていられたら、面倒くさくて仕方がないと言って、さっさと何でも自分でしてしまう。
それで、連れ合いは、料理なんか、趣味のトンカツと、出汁巻き以外はしたことがなかったと言うことが判明したのであります。
ま、それはともかく、私は丸一年間みっちり連れ合いに料理を仕込みました。丸一年経ったときに、忘れもしない(こう言うところは記憶力がよい。しかし、連れ合いに言わせると、それは私が都合良く脚色した物語だそうですが)ある昼食時に、連れ合いが「スパゲティは二人分で何グラムだったかしら」と聞きに来たので、私は言いました。「俺は君に一年間教えてきた。もう十分だ。これからは、料理は自分でやってくれ」
連れ合いは、愕然となって、極めて不安げな表情になりましたが、そう言われれば仕方がない。
自分で何もかも料理を始めた。
すると、これが仲々才能があると言うことが分かった。
料理の材料を一緒に買いに行って、あれを作ろう、これを作ろうと言うと、結構上手に作る。
その料理の腕は年々上がってきて、二年も経たないうちに、文句のない料理を作るようになった。
結婚した翌年から私は漫画の原作を業とすることになり、当時は今と違って、編集者が原稿を私の家に取りに来るのが普通だったから、仕事の量が増えると、殆ど毎日のように、各誌の編集者が家に来るようになった。私はその頃は、非常に仕事が速く、昼過ぎまでごろごろしていても、午後から仕事に掛かれば夕食までには連載原稿一本を仕上げることが出来た。
編集者には、夕食時に来て貰うようにしてあった。
原稿を仕上げて、それを編集者に渡して、さあ、酒盛りだ、と言うのが私の当時の生活でした。楽しかったなあ。毎晩大騒ぎだもの。
放歌高吟は当たり前。公式の卓球台を部屋に持込んで、酔っぱらった編集者たちと夜中まで卓球をしたこともあったな。
ここで大変なのは連れ合いでしたね。毎日、編集者にご馳走する物を作らなければならない。
これが、我が妻ながらえらいと思ったのは、連れ合いは献立の記録を全部つけていたことです。
献立だけでなく、それを誰に出したかも記録してあった。
何月何日、少年サンデーの佐藤編集者には、これこれの料理、と言う具合に、記録してあって、次に佐藤ちゃんが来たときには以前に出した物は出さない、という塩梅です。
だから、今日は誰々が来ると言うと、過去の記録を確かめて、以前とは違う物を作る。
年月が経つうちに、その記録が随分分厚い物になった。
調味料のシミなど付いて、大変に貫禄のある見事な物になった。
今でも、連れ合いはその記録を保存してあるはずだ。
そのくらい熱心だったし、才能もあったのだろう。
私は、今では連れ合いの料理にすっかり飼い慣らされて、連れ合いの料理が一番美味しいと思うようになった。
勿論、私は自分で食べて美味しいと思った料理屋には殆ど全部連れて行っています。私の体験した美味を、連れ合いにも体験して貰うためです。(取材などで行った地方の店には仲々連れて行くのは難しい)
世の旦那方の中には、自分だけ美味しい料理屋で食べて、奥方は連れて行かないなんて方が少なくないようですが、それでは、奥方の料理の腕は上がりませんぜ。
自分の家で美味しい物を食べたかったら、奥方にも美味しい物を食べさせて、その味を覚えて貰わなければ駄目でげすよ。
そんなこんなで、私みたいな、口うるさい男と暮らしている内に、連れ合いは料理上手になりました。
自分の家で食べる御飯が一番美味しい、と言うのは有り難いことです。
私が嫌いなのは、素人が玄人の真似をした料理です。
良く料理自慢の人にいるんです。どこそこのレストランのシェフ直伝とか、どこそこの料理屋に負けませんよ、などと言って、玄人の料理のコピーを作る。
そう言うのは、面白くないなあ。
私の家には、オーストラリアで一番、世界でも五本の指にはいるという大変に有名なシェフがよく遊びに来ますが、彼が大好きなのは、私の連れ合いの作るお総菜料理です。
ひじきの煮物なんて、歓声を上げて食べますね。
レストランや、高級な料理屋の食べ物は、あれはよそ行きの物です。
才能のある料理人が、命がけで創造する、芸術品です。
それを素人が真似をしたところで、みっともないだけだ。
私の家の料理なんて、家族が多いせいもあるが、大皿にドカンと載せて、それを皆で取り分けるという、雑ぱくな形の物が多い。
でも、そこに家庭の料理の良さがあるんじゃないだろうか。
「雁屋哲の食卓」には、連れ合いの他に、貴重な協力者がいます。
それは・・・・・ と書いたところで、リハビリに行く時間になってしまった。 今週から、週に三回もリハビリで痛めつけられることになってしまった。 まともに歩けて、活動できるようになるために、この辛さを乗り越えなければならない、と頭では分かっているんですがね、とにかく痛くて痛くて。
さあ、悲鳴を上げに行ってきますよ。この続きは、また明日。