加藤周一氏の受洗
加藤周一氏は、現代日本で本当の知識人といえる人だったと思う。
氏の若いときの「羊の歌」以来、私は、敬意を払ってきた。
最近は、朝日新聞の夕刊に発表される「夕陽妄語」を読むのを楽しみにしていた。
その、「夕陽妄語」を単行本化した物も数冊持っていて、愛読している。
加藤周一氏が、2008年12月5に亡くなられたとき、私はがっかりした。
NHKテレビに最後に出演されたとき、かなり老けてしまわれた感じがして、心配していたのだが、やはり、1919年生まれと言うことを考えると、仕方がないことと思うしかない。
ただ、最近、氏が亡くなられる前、まだ意識がしっかりしているときに、カトリックの洗礼を受けられて、ルカ、と言う洗礼名を与えられた、と言うことを知り、大きな衝撃を受けた。
私は、昨年、膝を人工関節に入れ替える手術をしたが、その後のリハビリテーションが厳しいので、その苦痛をまぎらわすために、聖書を精読することにした。
旧約聖書、と新約聖書を、それこそ1行1行念入りに読んだ。
興味や不審を抱いた箇所には、ポスト・イットを貼り、線を引き、書き込みをして、徹底的に読んだ。
「日本基督教出版局」の出した「旧約聖書略解」と「増訂新版 新約聖書略解」を助けにし、Harpersから出ている、「The Go-Anywhere Bible」も参考にして、念入りに読んだ。
それだけでは足りなくて、井筒俊彦氏の、岩波文庫の「コーラン」、「コーランを読む」も読んだ。
その結果、どうしてこう言う物を世界中で十数億の人間が信じているのか分からなくなった。
私のように、直線的、単線的に科学的な思考しかできない人間にとって、聖書もコーランも理解不能の物だった。
理解できない物を受け入れること当然できない。
そう言えば、加藤周一氏は以前、寝る前に一時間でも良いから聖書を読め、とどこかで書いていた。
私は不思議で仕方がない。
あの知性的で、理性の固まりのような人間で、論理的に物事を考え追及していく態度を保ち続けた加藤周一氏が、最終的に信仰を選んだと言うことはともかく、「洗礼」という儀式を受け入れたことが私にとって大変な衝撃だった。
私は初めて、カトリックの聖体拝受の儀式を見た時の事を忘れない。
牧師が、「これはキリストの肉である」と言って小さなパンを、跪いて口を開けて待っている信者の舌の上にのせる。
次いで、「これはキリストの血である」といって、赤葡萄酒を与える。
宗教的な儀式という物は、どの宗教でもそうなのだろうが、その宗教外の人間の眼からは、異様な物に見える。
例え、実際はパンとワインであっても「肉と血」を口にする儀式と言うのは、私の理性を越えた物だ。
(どうか、カトリック信者の方、悪く取らないでください。私は、カトリックの悪口を言っているのではありません。私は、あなた達から見れば信仰の門をくぐることのできない罪深い人間なので、こんな風に感じてしまうのです)
宗教には信じる権利がある、信じない権利もある。
しかし、一つの宗教を信じている人間を、その宗教が他の人に危害を加えない限り、非難したり批判することは、してはいけないことである。
私は自分が理解できないからと言って、キリスト教信者を貶めるつもりは全くない。
ただ、私は、加藤周一氏が「洗礼」という儀式を受けたと言うことに衝撃を受けたのである。
様々な思惟を重ねる中で、カトリックについて考え、理解を深めていくのと、「洗礼」という儀式を受け入れることとは、全く違うことだ。
「洗礼」を受けることで、加藤周一氏は、自分自身の全てを、カトリックの世界に埋めることになる。
5月22日のこの日記に、「中江兆民の『一年有半・続一年有半』」を書いた後だったので、余計に私の受けた衝撃は大きかった。
中江兆民は、自分自身の死を目の前にして、一神教についてこう書いている(中江兆民の文章は明治の文語体なので、分かりやすいように私が勝手に要約し現代文に直してある)。
「一神教の説は、超然として俗世間を出て俗臭を脱した様に見えるが、実は死を恐れ、生を恋い、死後においてもなお自分自身の存在を保ちたいという都合良き想像であり、すなわち生命という物を自分自身、あるいは人類だけに限る見地から起こった物である(兆民は人間の命も他の動物の命も同じだと、その前に書いている)。その卑しく陋劣なことは霊魂不滅の説と同じである。」
(霊魂不滅の説についての兆民の考えは、5月22日のこの日記をご覧下さい。)
こうも、言っている。(兆民の文の大意をまとめた物である)
「バラモン教、仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など唯一神説を主張するものは、推理を本とする哲学ではなく、人をうっとりとさせる妄信である」
中江兆民が亡くなったのは、1901年、55歳。
加藤周一氏が亡くなったのは2008年、89歳。
中江兆民も大知識人だった。
百年経って、二人の大知識人の死に際が、こうも違うのか。