福島報告1
私は11月12日から、19日まで、福島県に行ってきた。
その報告を一月も経ってからするというのは、どうも遅すぎるが、福島での体験は、自分のこれまでの人生からは想像も出来なかったことが多く、帰って来てすぐに書くと、冷静さを失って感情的になる恐れがあったので、冷却期間をおく必要があったのだ。
私は前回、震災から8ヶ月も経って行くのは遅すぎると思ったが、実は遅すぎることはなく、8ヶ月経ったからこそよく分かることが多かったと書いた。
どうして、そう思ったのか、この報告の最後にその理由を書く。
私は、いつも取材に協力してくれる安井敏雄カメラマンと、東北自動車道を通って福島へ向かった。
私が訪ねたのは、次の場所である。
◎ 福島市内(通過しただけ。福島県庁付近で高線量計測)
◎ 相馬市原釜・尾浜(津波の被害で壊滅状態の原釜漁港。
◎ 相馬市松川浦(ラムサール条約の候補地で自然が豊かだった。津波の被害は大きく、漁港も壊滅)
◎ 原釜朝市(実際は救援物資配給)
◎ 南相馬市鹿島町(津波の被害、放射線の被害大。「緊急時避難区域」であったにもかかわらず、一度避難した住民がすぐに戻り住んでいる)
◎ 南相馬市市原町(津波、放射線の被害その後の状況など、鹿島町と同じ)
◎ 土湯温泉(福島県で人気のある大温泉街だが、原発事故以来観光客激減)
◎ いわき市小名浜漁港(カニ・アンコウなど、小名浜の漁業は壊滅)
◎ いわき市薄磯、塩屋崎(塩屋崎灯台の下の砂の吹きだまりで、1.5μSv/h、約13mSv/yを計測。ICRPの基準値の13倍。)
◎ 田村市船引町(伝統的な「えごま」は・放射線検出せずの結果を得るも、原発事故後の混乱で加工・販売業者と契約できず)
◎ 会津若松市北会津町(すとう農産。前回救援をお願いした。)
◎ 喜多方市山都町(宮古蕎麦が有名で蕎麦愛好家が多数訪れていたが、原発事故後、客数激減)
◎ 大沼郡金山町沼沢湖(天然ヒメマスで有名)
◎ 南会津郡檜枝岐村(原発事故の影響皆無の豊かな自然と食文化。
蕎麦を使った各種料理、またぎの獲った熊肉など)
この各地について、逐一細かく書いて行くと大変なので、特に書きたい事柄を書く。
★ 私は前回書いたように、ウクライナ製の線量計、TERRA-MKS-05を持って行って、要所要所で放射線(主に、γ線)を計量した。
途中、埼玉県埴生のパーキングエリアで測定したら、0.12μSv/hだった。
(以下、線量は、私の線量計が計測した値で、その絶対値は必ずしも正確ではないだろう。プラス・マイナス15パーセントほどの誤差はあるようだ。しかし、一定の指標にはなり得ることは確かだ)
これで年間ICRPの安全基準値1mSv/yぎりぎりなので、本来ならここで深刻に捉えるべきだったのだが、「基準値ぎりぎりだからまあいいか」、と気楽に考えて、線量計のスイッチを切りっぱなしにして置いた。
しかし、福島県に入って、「そろそろかな」と思って、スイッチを入れたら、途端に、線量計が「ピー、ピー」とけたたましく鳴り始めた。
場所は、東北自動車道で福島県に入ってすぐの白河付近である。
線量計は0.3μSv/hを超えるとアラームが鳴るように設定されている。
高速道路を走る車の中で、そんな線量を超えるとは思ってもいなかったので本当に驚いた。
その時の、私の声を聴いて頂こうか。
この時私はあまりに驚いて「これはやばい」などと口走っているのだが、さすがに、そんな生の声を大っぴらにするのはまずいのでそこの部分は削除した。
しかし、これだけでも、生まれて初めて0.3μSv/h以上の空間線量に出合ったときの驚きは読者諸姉諸兄に伝わるだろうと思う。
それまで、テレビや新聞で、各地の線量を見たり聞いたりして大変な物だと思っていたが、実際に自分がその空間線量の中にさらされていると知ったときの驚きは大変な物だった。
放射線の存在を初めて自分の体で体験しているのだと実感した。
正直に言って、驚くと同時に恐怖を感じた。
それまで、テレビや新聞で見ていた数字は絵空事としか捉えていなかったのだとも痛感した。
だが、 0.34μSv/hなんか、ほんの序の口で、そのあと塩崎灯台下で空間線量0.75μSv/hなど、もっと高い線量を体験することになるのである。
しかし、放射線とは怖い物で、実際にそれだけの線量にさらされていると分かっていても、痛くもかゆくもないので、2日もすると不感症になる。
「ああ、ここは0.2μSv/hないや。これなら安全だな」などと言って、安井カメラマンに「何を言ってるんですか。ICRPの基準値を超えているじゃありませんか。」とたしなめられるようになってしまった。
実際に今回回った地域で、会津を除いて、空間線量が0.2μSv/hを下回った地域は少なかった。
一番高かったのは、私が学生時代二夏を過ごした、懐かしくて愛着を抱く霊山神社のある霊山町の1.1μSv/hである。
その霊山町に人は住んでいるし、それより低いと言っても、0.8μSv/h以上有るところにも、普通の感覚で人々は暮らしているのが車中から見て取れた。
中学生が、マスクも何もせずに、自転車通学をしているのも何度か見た。
犬を連れて散歩している人も見かけた。
「健康のための散歩だろうけれど、こんなところを散歩したら、返って健康に問題があるのではないか」と私たちは,車の中から見て心配したが、私は、原発事故が起きた当時、官房長官が「直ちには健康に害はありません」という決まり文句を繰返していたのを思い出した。
たしかに、8ヶ月経っても、人々は高い空間線量の中で、以前通りの生活を送っている。本当に「直ちには健康に被害はない」ように見える。
いや、それは間違いであって「健康の被害は直ちには見えない」と言うのが正しいのではないだろうか、と私は思った。
「ピー、ピー」と警告音を響かせ続ける線量計を手にして、私は一体この状況をどう把握するべきなのか、途方に暮れた。
宮城県、岩手県、青森県の被災地を回ったときと、今回福島県を回ったときの、一番の違いは、地震と津波の被害に加えて、この原発事故の影響の大きさだった。
私は、福島県にいる間、ずっと、線量計を手放すことが出来なかった。
(次回に続く)