「諸君!」廃刊を悲しむ
文芸春秋社が発行している「諸君!」が、2009年の6月号で廃刊になるという。
実に残念だ。
私は、「諸君!」と、産経新聞社から発行されている「正論」を二十年以上前から定期購読している。
シドニーに来てからも、OCSを利用して毎月取っているのである。
昨年、会社勤めをしていたときの上司ご夫妻が、シドニー遊びに来てくれて、一週間ほど楽しく過ごした。
その時、我が上司が(どうも、会社を辞めて三十年以上経つのに今でも私には威張っているので、終生上司の尊号を献上した)、私の本棚の一つの前に立って、口もきけないという表情で動けなくなった。
その本棚は、「諸君!」と「正論」の為の物である。両誌のバックナンバーがずらりと並んでいる。
我が終生上司は、「どうして、てっちゃん、こんな雑誌を」と言う。
「こんな雑誌」というのは、両誌を馬鹿にしての言葉ではない。
私の考え方が、両誌の傾向と正反対のものであることを我が終生上司はご存じだったからである。
私が、「諸君!」と「正論」を毎月読んでいるのは、私と考え方の違う人の意見も知っておかなければならないと思うからである。
世間では、両誌の傾向を「保守」「反動」「右翼」と受け止めているようである。
本職の右翼の人が、「大学の先生にあんな過激なことを書かれちゃ、我々本職の右翼がかすんじまう」と嘆いていたのをどこかで読んだが、確かに、両誌に登場される執筆者は、大学の教授、新聞社のえらい役職の人、えらい肩書きを持つ評論家、ばかりである。
そう言う人が、難しい言葉を使って、過激なことを書くから、本職の右翼が、街宣車で何をがなり立てていいか分からなくて困ってしまうのもよく分かる。
確かに両誌の論調を合わせると、「日本は、憲法九条を廃棄し、核武装して、自衛隊を国軍として、外国といつでも戦えるようにしなければならない」と言う物らしいが、仮想敵国と、戦争の目的が分からない。
更に両誌に共通していることは、中国が非常に嫌いで、毎月必ず中国批判の記事が載る。
中には、中国の政治体制の腐敗や、中国の世界戦略についての分析もあって、非常に役に立つこともある。
しかし、両誌はそろって、「中国はもう破綻する」と言ってきたが、それより先に日本が破綻しそうなのは辛いところである。
「どうも『諸君!』が無くなるのは淋しいな」といったら、ある友人が、「WiLL」という雑誌もすごいよ、と言うので2009年の5月号を買ってみた。
は、はあ、見た目には、「諸君!」「正論」よりきれいだ。
グラフィック・デザイナーに仕事をさせていることが分かる。
(「諸君!」や「正論」の古色蒼然とした雰囲気はない)
おかしかったのは、その5月号で、「諸君!」を廃刊にしたことで文芸春秋社を非難していることだ。
矢張り、仲間雑誌がいなくなると、営業上まずいのかも知れない。
たしかに、「諸君!」が無くなると、保守論壇は淋しくなる。
「WiLL」には、「諸君!」の持つすごみがない。
二人の老人に「南京陥落の歌」とか、「勝抜く僕ら小国民」などと戦前の戦意高揚歌を歌わせたりしているようじゃなあ。
装丁はきれいでも、何だか心細くなってしまう。
保守論壇の行く先も、この雑誌の行く先も、この二人の老人の姿が暗示しているかと思うと、これは厳しい。
「諸君!」の読者が「WiLL」に移ってくれるかというと、仲々そうはいかないだろう。
「諸君!」「正論」に共通しているのは、「内弁慶」ということだ。(WiLLは一冊読んだだけなので多くは語れない)
ここに書いてあることを、外国人に読まれたら、恥ずかしい。そう言う内容の物が多い。外国経験もあり、外国の事情も良く知っているはずの人達が、世界には通用するわけもない論を展開している。
外国の寓話に、井戸の中のボスガエルに外から帰ってきたカエルが、外には牛という我々カエルよりもっと大きな動物がいる、と報告すると、ボスガエルは、「それはこんな物か」(あるいは「俺の方が大きいだろう」)と言って自分の腹を一杯に膨らませてはじけて死んでしまう、と言うのがある。
両誌に執筆されている方は、みんな、その腹を膨らませた井戸の中のボスガエルみたいだ。
そして、やたらと天皇制護持を強調するのに、皇族一人一人に対して思いやりのないことを平気で書く。
特に、皇太子と、皇太子妃は、惨めに扱われている。
「諸君!」「正論」で女系天皇反対論がかまびすしかったころ、皇太子夫妻はそんな論を読んだら死にたくなったのではないか。
私は、天皇制反対だし、昭和天皇に対しては厳しく批判しなければならないと思うが、現在の天皇夫妻、皇太子夫妻、他の皇族の人々、には同じ人間として、幸福に過ごして貰いたいと思っている。
ところが、頑固な天皇制主義者は、女系天皇は許せない、すでに廃止した宮家を復活させてまで、男子の後継者を作れと言いつのった。
それでは、皇太子夫妻の立つ瀬がない。
なんと言う残酷なことを言う人達だろう、と私は激しく皇太子夫妻に同情したものである。
人間より、制度が大事だなんて、そんな国が栄えた試しがないことは世界史を読めば分かることだろうに、大学教授やら、有名評論家などが、口をそろえて、女系天皇はいかん、と言う。
私は、あのあどけない、愛子さんが、こんなことを聞いたときにどんな思いをするか(成長したら、必ず、こんな騒ぎのあったことを読んだり聞いたりするだろう)考えただけで不憫でたまらなかった。
話がずれたが、「諸君!」が無くなることは実に淋しい。
読んであきれて大笑いすることのできる雑誌は中々得難いものだ。あの、品のない巻頭随筆を読めなくなるのも残念だ。
それとも、文芸春秋社は、「文芸春秋」本誌を、「諸君!」のような内容に、変えようとしているのかな。(もっとも今でも、「諸君!」と余り変わらない内容だが)
おや、気がついてみたら、私は「諸君!」の大変な愛読者だったんだな。
そういえば、「諸君!」には私を二度ほど取り上げていただいた。
その一つ、「雁屋哲のうすっぺら」という題を今でも憶えているくらいだから、どんなことを書いていただいたか、お分かり頂けるでしょう。
小学校の同級生が、「大変だ、こんなことを書かれているよ」といって、コピーを送ってきてくれたのも、良い思い出だ。
ボスガエルの一匹は、腹が割けてしまったのか、腹が割けるのが怖いので途中でやめたのか。
いずれにしても、「諸君!」廃刊は実に残念。
文芸春秋社には、もっと強烈な雑誌を、新たに出してくれるようにお願いしたい。