片栗の花
私の長女は環境科学を専攻したせいかやたらと環境問題にうるさい。私が、朝洗面をしているときに、水を流しっぱなしにして歯を磨いていたら、それを見とがめて、蛇口をさっと閉めて「使わないときに水を出しっぱなしにしちゃ駄目でしょう」とお説教を垂れる。無駄な電気は消して回る。長女の言う事は常に正論なので私は従うしかない。
この間も、「もう寒いからストーブをつけよう」と言ったら、長女は「寒ければセーターを着なさい。余計な燃料を使うのは良くないわ。エコを考えなければ」というので、私は「エコよりエゴだい」と言ったら、長女は「まあ」と目を剥いたが、「あら、それ、何かのキャッチフレーズに使えるわね」と言った。勿論、エコを推進するためのキャッチフレーズだろう。きっとひっくり返して、「エゴよりエコ」として使うに決まっている。
私のような男を父親として、どうして長女のような真面目な人間が育ったのか、実に不思議である。
それにしても、地球の温暖化が二酸化炭素のせいだというのは本当だろうか。
地球が温暖化しているのは事実だ。二酸化炭素が増えているのも事実だ。
しかし、その二つを結びつけて、温暖化の原因が二酸化炭素だと、言えるのだろうか。
私は、二酸化炭素が地球温暖化の原因であるとは俄には信じがたいのだが、私のような、現在の地球温暖化説に懐疑的な人間は、東北大学大学から出されている「地球温暖化問題懐疑論へのコメント」(http://www.cir.tohoku.ac.jp/~asuka/)を読むことをお勧めする。
その中で、このコメントを書いた研究者たちは最初に次のように言っている。(文章を要約し、それぞれの文章に番号を付けたのは、読者に分かりやすいように私がしたことである。原文は、このように文章は分かれていない。)
1)少なくとも世界およびアメリカの学問の世界では、地球温暖化が人為的な影響による物であると言う点について「合意はある」とするのが状況認識として正確である。
(学会では、二酸化炭素が地球温暖化の原因であるとの合意が出来ていると言うことだろう)
一方、懐疑論者は圧倒的な少数であり、かつ全く専門分野が異なる専門外の研究者か、非研究者である場合が少なくない。
議論をするなら、世界中の様々な分野の学会に於いて多くの研究者が行ってきた議論の帰結や最新の知見などを十分に踏まえて議論をして欲しい。
2)温暖化は二酸化炭素が原因という温暖化説は、科学の議論の大部分と同様、仮説であるが、一つの決定的な証拠によって真偽が決まるという仮説ではない。
様々な観測事実、物理法則、シミュレーション結果に基いて、気候に影響を与える因子(二酸化炭素、フロン、メタン、水蒸気、太陽活動、硫黄酸化物、すす、など)の大きさを総合的に説明するように考えられた仮説である。前述のようにほぼ全ての気候学者が同意した議論であり、少なくとも現時点に於いては、その信憑性を否定するような観測事実は皆無に等しい。そして、今私達に求められているのは、このような状況のもとでの予防原則に基づいた政策的判断によるリスク管理なのである。
一寸引用が長くなったが、要するに、二酸化炭素による地球温暖化を正しいと考えることに、まともに気候を研究している学者の殆どは合意している。
しかも、この問題は、様々な要因が絡まった複雑な問題だから、それらを総合的に研究分析した専門家の言う事は正しい。
この件に関してろくに知りもしないで、懐疑論を唱えるのはおかしい、と言うわけだ。
私なんか、上に揚げられた「非専門家」である。
非専門家ではあるが、いや、非専門家だからこそ、専門家の意見を素直に受け取れないと思う直感は働く。
地球の歴史を振り返ってみると、恐ろしい気候変動、地殻変動が何度も起こっている。人類が誕生したのは氷河期の真っ最中であり、現在は、一万年前に終わった氷河期と次に来るであろう氷河期との間の間氷期と言われている。次に氷河期が来たら温暖化も何もあった物じゃない。
温暖化の研究者たちは、氷河期の問題も、太陽の燃焼の問題も、地軸の傾きの問題も、全部計算に入っている。だから、それだけ一つだけ取りだして云々しても駄目だ、と言うのだ。
私は研究者たちの真摯な研究態度を認めるし、その方法論も納得する。しかし、それでも、本当に二酸化炭素かよ、と言う気持ちは強く残る。
最近どうも気になるのが「二酸化炭素排出権利の売買」という奴である。
国、あるいは国際機関が、企業毎に二酸化炭素排出量の規制値を決める。企業Aは、二酸化炭素を規制値よりΔAだけ余計に排出し、企業Bは規制値よりΔBだけ少なく排出したとする。
すると、企業Aは、企業Bから、企業Bの規制値より少なかったΔBを購入して、自分の規制値を超えた分を補う、と言う仕組みである。これを国際的に広げる動きがある。
ところが去年、EUでは、この二酸化炭素排出権の取引をした結果、二酸化炭素の排出は減らず、逆に増えた。
この方式は、二酸化炭素の排出を減らすために有効ではなかったのである。有効にするためには、規制値をもっと高くしなければならないが、そうなると、経済活動にかなりの影響が出て来ると言う。
さて、私はこの報道を聞いて、実にいぶかしく思った。これで儲けているのは誰か。
結局、間に入って排出権の取引の仲介をする銀行などの金融機関だ。
二酸化炭素などと言う、そもそも、ただのガスを金に換えるとは、まるで手品みたいな物だ。
これこそ、現代の、強盗資本主義を推し進める、金融機関の企みなのではないか。良心的に、二酸化炭素を減らしましょうと運動している人々の裏で、銀行がたっぷり金を儲けているのだ。
これが、私をして、地球温暖化は本当に炭酸ガスが一番の問題なのか、と懐疑を抱かせた元である。
他人が、あぶく銭を稼ぐのに嫉妬しているということじゃないぞ。
何だかおかしい、と言っているのだ。何か陰謀があるような気がするよ。
大体、世界中に何億頭もいる牛、羊、などの家畜のゲップとオナラを止めるだけで、温暖化問題はかなり軽減するという説もある。
人間のオナラも駄目だね。呼吸もするなよ。ゲップもするな。
全部、エコのためだ。
あ、真面目な研究者の方をおちょくる様なことを言って、申し訳ないっす。ただね、生来のあまのじゃくがつい頭を持ち上げまして。
しかし、地球温暖化の影響は甚だしいね。
自然環境がどんどん破壊されていく。
昔日本でありふれていた植物の多くが今は絶滅を危惧されている。
そのなかの一つが、片栗である。片栗粉というのをご存知だろうが、本来片栗粉は、片栗の根の澱粉で作った物である。現在日本では片栗は稀少になってしまったので、とても片栗から片栗粉は作れない。市販の片栗粉は殆ど全部が、ジャガイモの澱粉である。一部、韓国あたりから輸入している物もあるという。
その片栗の花は美しい。今回は食慾を離れて、その片栗の花の美しさを堪能いただきたい。
あるところに片栗の花の群生地がある。敢えて場所は記さない。うっかり記すと、大勢の人が押し寄せて、折角の群生地が駄目になってしまうからである。不埒な奴になると花を盗掘していくと言うから、許せない。
こんなに群生している片栗の花を見ると、あまりの美しさに陶然となる。
その、片栗の花の可憐さ。たまらない。
なんてきれいなんだろう。これで、根から取れる片栗粉は、本当に美味しいのだ。
しかし、今の日本では、この本物の片栗粉を取るほどの片栗は無い。
気候の変化のせいか、日本の国土の荒廃のせいか。
この片栗の花を見て、温暖化、自然の荒廃を真剣に考えてくれい。
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