雁屋哲の今日もまた

2008-08-27

老人煮込み鍋

 今日は、プールで行うリハビリ、ハイドロ・セラピーが12時30分から。
 それから逆算すると、11時に昼食を取って、出発しなければならない。
 11時に昼食というのは、どうも困る。わずか1時間通常からずれるだけだが、体調が狂う。無理に食べるという感じだ。
 そこで、痛み止めを飲んで、プールに向かう。

 私の父親は何でもやり出すと徹底しないと気がすまない性分で、健康のためにと運動しすぎて逆に首を痛めてしまって、家族の顰蹙を買った。
 その父親の性格を受け継いでいるらしく、私も、リハビリをするとなると、徹底的にしないと気がすまなくなる。
 痛みをこらえて運動をしていると、知らず知らずのうちに、凄い表情をしている。担当のセラピストが、「スマイル、スマイル」というので、こちらも口惜しいから、無理矢理笑顔を作ろうとするが、どうも奇怪な笑顔になってしまう。

 プールのハイドロ・セラピーも、色々な運動があって、その中から痛くてたまらない運動を選んで行っている。
 私はマゾヒストの傾向はないはずなのだが、今の痛みを乗り越えないと、この痛みはなくならない、と思うと頑張らざるを得ない。
 痛みから逃れるために、痛い思いをしなければならない、と言うのはなんだか腑に落ちないが、仕方がない。
 しかし、手術をした医者は、18か月以内に、痛みが消えると言ったが、それはもしかしたら、18か月もこの痛みに耐えていれば、そのままこの痛みに慣れる、いや、慣れてしまえ、と言うことなんじゃないだろうか、と心配になってきた。

 リハビリに来るのは老人ばかりである。
 プールの中ではみんな水着姿だ。老人の水着姿は、ちょっと凄いです。
 皮膚は皺だらけ、体は、ぶよぶよ、あるいは枯木そのもの。
 手足が不自由で、みんな曲がったり、固まったりしている。
 痴呆症の始まったような人もいる。
 そう言う老人の中にいると、「人生って何なのだろう」と深く考えてしまう。
 枯木のような曲がった体で、油紙のようべかべかした皮膚の老女も、「昔はウグイス鳴かせたこともある」のだろう、と思うと、見も知らぬその女性の過去の人生がその女性の頭の上に映画みたいに浮かんで見えるようである。
 どこからどう見ても、私も含めて老人というものは、汚らしい。
 中には、「こんなになるまで生きていたくないな」などと、思わず冷酷な感想を抱いてしまうような老人もいる。
 しかし、私はそのような老いさらばえた人々に対して深い情愛を抱く。
「よく頑張ってきたんだな」「色々あったんだろうな」「ここまで生きながらえてきたのはえらい」
 などと、思うのだ。

 先日紹介した、アメリカの女子水泳選手、Dara Torresのような人間は、全く特別であって、普通の人間が肉体の美しさを維持できるのは三十半ばまで。
そこから先は、皺だらけの肉袋になるだけである。

 私は、プールに浸かって周りの人々を見回して、「ああ、おれも、十年後にはこんな風になってしまうんだ」と感慨にふける。
 若いときには、歳を取るということは、単に年齢の数が増えていくことだと思っていたが、実際に歳を取ってみると、年齢の数が増えるだけではなく肉体が確実に衰えていくのだ、と言うことが分かってくる。

 と言って、歳を取って老いることが悲しいことだとか、惨めだとか、そんな風には思わない。
 少年の時代もあった、青年の時代もあった、壮年の時代もあった、そして今老年に入った。
 赤塚不二夫先生風に言えば、「それでよいのだ」。
 膝の関節を入れ替える手術をしたのも、これから、まだどんどん活動を続けるためである。
 老いることが悲しい、だなんて言っていられませんって。

 歳を取ると良いことがあって、非常に物の考え方が、広く柔軟になりますね。
 若いときには、剛速球一本槍だったピッチャーが、歳を取ると硬軟自在になって、打者を煙に巻いて打ち取る。
 その辺の呼吸も分かってきた。
 今まで、見て来たこと、経験して来たことが、堆肥のように良い具合に発酵してきて、物書きとしては、今までよりもっと豊かな物を書けるようになると思う。今までの人生は、これから物を書くための準備段階だったと思う。本番はこれからだ。本当のお楽しみもこれからだ。

 プールの中で、老人の煮込み鍋状態の中で、来し方のことなどゆくりなくも考えて、なんだかしみじみとした感じになりましたね。

 それにしても、ふと我に返って、非常に不思議な感じがした。
 どうして、この私が、日本から遠く離れたシドニーのリハビリ病院でこんなことをしているんだろう。
 どうして、こんな事になってしまったんだろう。
 北京で生まれて、日本をあちこち移り住んで、シドニーに流れ着いて、老人煮込み鍋に飛び込んでしまった。
 実にいい加減な人生だ。

 今日私が、プールの中で行った一番きつかった運動。
 痛い方の脚一本で、立つ。
 その脚一本で、プールの底を蹴って、ぴょんぴょん跳ねて左右に移動する。
 水の中だから出来ることで、地上では出来ることではない。
 痛かったなあ。
 今でも、脛がずきんずきんとうずく。

 流れ流れてシドニーまできて、プールの中で、ぴょんぴょん跳ねている姿なんて、二十歳の頃には想像も出来なかったね。
 人生は転がる球の如しだ。
 どこへ行くのか自分でも分からない。
 これから先はどうなるんでしょう。
 自分で占いなどしてみようかな。(私は宗教を信じないし、他人の占いなんて馬鹿馬鹿しくて、聞くのもイヤだが、自分の占いについてだけは、どうしてだか信じているんですよ。子供たちは、私のそのような滅茶苦茶な矛盾した態度が理解できないと言う。当たり前だ。子供たちなんかに理解できる物か。当の本人が理解できないんだから)

雁屋 哲

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シドニー子育て記 シュタイナー教育との出会い
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