宮澤賢治について
昨日、朔太郎の詩を引用したときに、私としたことが(と言うより、間抜けな私だから)誤変換や、間違いがあった。
朔太郎を好きだと言っておきながら、おお、恥ずかしい。
訂正しておきましたので、朔太郎に興味のある方は、昨日の分を読み直してください。
で、朔太郎を紹介しておきながら、宮澤賢治を紹介しないのは片手落ちだから(今、この、「片手落ち」という言葉が、差別語だというので、新聞雑誌では使用禁止用語になっているという。これは、手に障害を持っている人に対する差別用語とは違う。この場合の「手」は肉体的な「手」ではなく、「手配」「手回し」などと同じ、人間が何かに配慮することを言う抽象的な概念である。それを、実際の肉体の手であると取るのは、日本語を知らない人間が、かえって手に障害を持つ人間を傷つけていることになる。脚に障害を持つ私のような人間を「びっこ」とか「ちんば」と言うのとは訳が違う)、一つ宮澤賢治の詩を紹介したい。
宮澤賢治というと、「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」「アメニモマケズの詩」などが良く知られていて、幻想的で心優しい詩人であると言う印象が広まっている。
もちろん、宮澤賢治ほど心優しい文学者は、他に見あたらない。
(ところで、「銀河鉄道999」という漫画がある。あれは、宮澤賢治の描いた絵と全く同じで、名前まで同じだ。どうして、そんなことが許されるのだろうか)
宮澤賢治は優しいだけではなく、人間の生き方のぎりぎりの所まで考え表現する作品を残している。
宮澤賢治はこの世を修羅の世界と考えている。
修羅の世界とは、弱肉強食の争いの世界である。
その世界から何とか抜け出したい、と宮澤賢治は考えていた。
その考えが一番良く表れているのは「よだかの星」という童話である。
「よだか」とは「夜鷹」のことで、この鳥は、口を大きく開けて空中を飛び回り、その際に口の中に飛び込んできた昆虫などを食べて生きて行く、とされている。
「よだかの星」という童話は、そのよだかの悲しみを通じて、修羅の世界に生きる人間の悲しみを描いた物である。
「よだかはじつにみにくい鳥です。(中略)
(鷹はそのみにくいよだかが、自分と同じ「たか」という名前であることが気にいらず、名前を変えなければ殺すとおどかす)
よだかは不安になってくらくなった空にとび出します。一匹の甲虫がよだかの咽喉にはいって、ひどくもがきました。よだかはすぐにそれをのみこみましたが、その時なんだかせなかがぞうっとしたように思いました。多くの羽虫とともにまた一匹甲虫がのどにはいりました。よだかは悲しくなって大声をあげて泣き出しました。泣きながらぐるぐるぐるぐる空をめぐったのです
『ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただひとつの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい。つらい。僕はもう虫をたべないで飢えて死のう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだろう。いや、その前に、僕は遠くの空の向こうに行ってしまおう』
(そうおもったよだかは、お日様や、夜の星たちに、その世界に連れて行ってくれと頼むが、お日様も、夜の星たちも、よだかを受け入れてくれない。絶望したよだかは地面に落ちていくが、地面に落ちる寸前、からだをゆすって毛を逆立て、夜の星に向かってまっしぐらに昇って行く。)
よだかは、夜の空に星をめがけてまっすぐに昇ってゆきました。寒さや霜がまるで剣のようによだかを刺し、よだかははねがすっかりしびれてしまいました。しかし、星の大きさは少しも変わりません。よだかはなみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらを見ました。そうです。それがよだかの最後でした。もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。ただこころもちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがっていまいしたが、たしかに少しわらっていました。
それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだがいま燐の火のような青い美しい光りになってしずかに燃えているのを見ました。
すぐとなりはカシオピア座でした。天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになってゐました。
そして、よだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまで燃えつづけました。
今でもまだ燃えています。」
と言う物なのだが、どうだろうか。
この、よだかの悲しさこそ、グローバリゼーション、だとか、格差社会だとか、実績主義だとか言う、いまのぎすぎすした競争社会に生きる人間が等しくいだく悲しみなのではないだろうか。
よだかは天に昇って、よだかの星、となった。
それは、この修羅の世界から抜け出して、全ての苦しみから解脱した清らかな世界に移りたいという宮澤賢治の願いを表した物だ。
宮澤賢治本人は、ではどうしたかというと、徹底的な「利他主義」で、他人のために尽くすことで自分も社会も救おうとした。
良く知られたことだが、宮澤賢治は死の前日まで、農業のことを教えてもらいに来た人に親切に教えたという。
「アメニモマケズ」の詩もその利他主義の精神を表していて、それが多くの人の心を引きつけるのだろう。
宮澤賢治は、肺結核を病んで、39歳で亡くなった。
死の直前に書いた「眼にて云ふ」という詩がある。
だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆうべからねむらず血も出つづけるもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといい風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらがもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな
もみぢの嫩芽(嫩は、ふたばの意味、音では「どん」だが、嫩葉をわかば、と言うので、ここでは、わかめ、とよむのが適当か)と毛のやうな花に
秋草のやうな波をたて
焼痕のある藺草(いぐさ)のむしろも青いです
あなたは医学会のお帰りか何かは判りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気でいろいろ手あてもしていただけば
これで死んでもまづは文句もありません
血が出てゐるにもかかはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
ただどうも血のために
それを云へないがひどいです
あなたの方から見たらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです
死の直前に、自分の死を見つめて、これだけのことを書くことの出来る精神力の強さと、悟りの深さ。
こんな詩を読んでしまっては、もうだめですね。
最初この詩を読んだとき、ちっぽけな私の死生観なんて、実にひ弱に思えたことでした。
朔太郎は人間の感覚の世界を隅から隅まで探って行って、人間の心の深奥に降りていった。
宮澤賢治は、人間の心、人間存在のあり方を突き詰めていって、天上の高みにのぼっていった。
朔太郎は深く、賢治は高い、と言うのが私の抱いた感じです。
萩原朔太郎と宮澤賢治、この二人は日本の産んだ最高の文学者です。
この二人の作品に出会ったことが、私の人生の最大の幸せのひとつでした。