雁屋哲の今日もまた

2008-06-02

朔太郎のこと

 さて、六月は梅雨の季節である。
 私は雨が大嫌いで、梅雨の明ける七月半ばまでの間、毎年死にたくなるような思いをしてきた。
 ここ数年オーストラリアの穀倉地帯は、大干ばつで、小麦も、稲も、牧畜も、ワイン作りも難しくなってきている。
 その干ばつは凄まじい物で、去年胸までの深さのあった川が、完全に干上がって川底の土が乾いてひびが入っている。
 地球温暖化が進む限りこの干ばつは進むばかりというのだから、オーストラリアの未来は暗い。
 日本の梅雨に降る雨をオーストラリアに運んで行ってやりたい。

 しかし、梅雨の時期の日本にも救いがある。
 それはあじさいの花である。
 咲き始めは青い色で、日が経つに連れて桃色に変わっていく。
 その変化も楽しいし、全体の感じが非常にすがすがしく、派手な割に可憐である。
 北鎌倉に「あじさい寺」として知られる寺がある。「名月院」と言ったかな。
 かつて、その寺は有名ではなく地元の人間しか訪れなかった。
 寺の入り口の階段の前に、小さな箱が置かれていて、その気持ちのある人は寄付をしてくれるように書かれていた。
 私達は、毎年のんびりとその寺に咲き誇るあじさいの花を楽しみに行った物である。その寺の庭の奥で弁当を食べたこともある。
 所があるとき女性雑誌に取り上げられてから、様子が一変した。
 北鎌倉の駅から、その寺まで、行列が出来るようになった。
 寺の中も、ぎっしりの人が隙間無くならんで順番に移動するというまるで、移送される家畜の群れのようになってしまった。
 それまで、入り口に小さな木の箱が置かれていただけだったのが、入り口に門が作られ、拝観料を徴集されるようになった。
 そうなると、あじさいを見に行くのか、人の群れに圧殺されに行くのかわからない。
 寺の周りにおみやげ屋も沢山出来た。
 私はガッカリして、行く気を失ってしまった。
 今でも、毎年混んでいるのだろうな。

 所で、最近、詩は読まれなくなったのだろうか。(今、ATOKを使ってかな漢字変換をしたが、詩、は何と18番目まで出て来なかった。こんな所にも、詩の衰退が洗われているのだろうか)

 丸善が、丸の内に巨大な店舗を作ったというので出かけてみた。
 三好達治の詩を読みたくなったのだが、私の持っている三好達治の本は秋谷の家の本棚のどこかに収まっていて、その当時東京に滞在していた私は、秋谷に取りに行くより、丸善で、新しい本を買った方が便利だし、他にも色々詩の本があるだろうと期待して、出かけたのだ。
 丸善の丸の内店は実に巨大な規模だった。
 一体幾つの階があるのか確かめなかったが、大きな建物の各階が本で埋まっている。本好きの私は、テントを張って泊まり込みたい気持ちになった。

 で、詩の本の売り場を探してたどり着いてみると、なんと、書棚が二つあるだけで、現代詩の本はほんのわずかしかない。
 三好達治の全集はおろか、萩原朔太郎の全集もない。
 わずかに文庫本でそれぞれ詩人の特に知られた物をまとめた物が何冊か有るだけである。
 三好達治の本も文庫本で一冊有るだけだった。
 昔は、少し大きな書店に行けば、現代詩の本を並べている書棚が幾つもあって、明治以降の現代詩の詩人の本は、全集から、詩集まで容易に手に入った。
 それが、店全体で何十万冊もの本を並べている丸善でこの体たらくだ。

 書店も商売だから売れない本は置かない。
 要するに、詩の本は売れない。詩を読む人は極めて少ない、と言うのが現状なのだろう。
 そんなことを考えると、ひどく淋しくなった。
 私は学生の時に、自費で詩の同人雑誌を仲間と一緒に作ったほどで、もともと、物書きを志したのは、詩人になりたかったからだ。
 詩から漫画の原作は恐ろしく距離があるが、私が漫画の原作を始めたとき、漫画はまだ、人間に例えると少年期で、とにかく勢いがあって面白く、つい漫画の虜になってしまったのだ。それでも、詩に対する思いは少しも変わらない。
 今でも、明治以降の日本の文学者の中では、萩原朔太郎と宮澤賢治の二人が一番で、他の文学者はその二人より大分落ちると思っている。

 中でも、萩原朔太郎が大好きである。高校生の時に初めて「竹」という詩を読んだ時の衝撃は忘れられない。
「光る地面に竹が生え」で始まる、あの詩である。
 結婚してしばらくして、連れ合いの亡父の蔵書目録を見て驚いた。
 連れあいの父は、大変な趣味人で、本や絵に極めて造詣が深かった。
 その蔵書目録を見ると、稀覯本と言われる物が揃っている。
 中でも、朔太郎の「月に吠える」と「青猫」の初版本があるのには仰天した。
 私が欲しいと長い間願っていた本である。
 連れあいの父は、医療事故で、突然亡くなってしまったが、亡くなったと聞いた古本や押しかけてきて、夫を亡くして呆然としている連れ合いの母から残された蔵書を全部引きとっていったという。
 当然金は支払ったが、私が判断するに、あの蔵書の量と質はただ事ではなく、だから古本屋が慌てて飛んで来たのだろうが、一財産と言える価値が有った。連れ合いの母に聞くと、そんな大金は貰わなかったと言うことで、古本屋は突然夫を失って呆然としている未亡人を相手に、阿漕なことをしたのだ。
 いまでも、連れあいの父の蔵書目録に載っていた、「月に吠える」と「青猫」の初版本の行方が気に掛かって仕方がない。

 私には、会社勤めをしたときの同期入社で、それ以来の親友がいる。
「あ」という名前で、私の書いた「美味しんぼ塾」に、一緒に酒を飲んで遊んだこととか、彼が鍋奉行を通り越して、鍋閻魔大王であることなど、何度か書いている。
 その「あ」は沖縄に住んでいる。
 やはり、詩が好きである。
 ある時、私と「あ」は二人だけの詩の朗読大会を挙行した。
 沖縄とシドニーの間で、電話で詩の朗読をし合うのである。
 もちろん、朔太郎の詩である。
 それぞれ手元に朔太郎の詩集を用意して、自分の好きな詩を互いに次々に朗読するのである。
 私が「じゃ、青猫から『鶏』いくぞ」と言って、朗読を始める。

 しののめきたるまへ
 家家の戸の外で鳴いているのは鶏です
 声をばながくふるはして
 さむしい田舎の自然からよびあげる母の声です
 とをてくう、とをるもう、とをるもう、

 などと朗読する。
「あ」は、聞き終わって、「いいなあ、朔太郎はいいな」と感激してくれて、「よし、つぎ、おれが、純情小曲集から、『再会』行くぞ」と言って、

 皿にはをどる肉さかな
 春夏すぎて
 きみが手に銀のふほをくはおもからむ
 ああ秋ふかみ
 なめいしにこほろぎ鳴き
 ええてるは玻璃をやぶれど
 再会のくちづけかたく凍りて
 ふんすゐはみ空のすみにかすかなり。
 みよあめつちにみずがねながれ
 しめやかに皿はすべりて
 みてにやさしく腕輪はづされしが
 真珠ちりこぼれ
 ともしび風邪にぬれて
 このにほふ舗石(しきいし)はしろがねのうれひにめざめむ

 と朗読する。「あ」は朗読するときに独特の節を付ける。それが、また良い。
 聞き終わって、私は、「朔太郎はいいなあ」という。
 二人で、電話で「いいな、いいなあ」と言い合って、次々に朔太郎の詩を朗読し合う。
 楽しい時間だった。

 今の若い人はそんなことはしないんだろうな。
 詩が読まれなくなったなんて、何と殺伐とした世の中なんだろう。
 淋しいのを通り越して、恐ろしくなる。

 さて、あじさいに戻るが、朔太郎のやはり純情小曲集から、「こころ」をここにひく。
 良く知られた詩であるが、若い人にはどうだろうか。
 若い人も、この優しい詩を手掛りにして、朔太郎に親しんで貰いたいものである。

「こころ」

 こころをばなににたとへん
 ここはあぢさゐの花 ももいろに咲く日はあれど
 うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。

 こころはまた夕闇の園生のふきあげ
 音なき音のあゆむひびきに
 こころはひとつによりて悲しめども
 かなしめどもあるかひなしや
 ああこころをばなににたとへん

 こころは二人の旅びと
 されど道づれのたえて物言ふことなければ
 わがこころはいつもかくさびしきなり

 ああ、朔太郎はいいなあ。
 あじさいの美しさ、その悲しさが目に浮かび、心にしみ渡る。
 朔太郎を知って私の心は豊かになった。

雁屋 哲

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