雁屋哲の今日もまた

2008-06-06

死に向き合う

〈「雁屋哲の食卓 ドラゴン・フルーツ」を追加しました〉

 日本は梅雨に入ったが、シドニーも、先週末からずっと雨降り続きで、厭になる。
 雲が高く、厚く、いっかな晴れそうにない。
 こんな時に、シドニーに観光に来た観光客は可哀想だ。シドニーは雨が降ったら何も楽しくないところなのだ。
 カンタス航空が、日本便を減らすことを発表した。日本人の観光客が減ったからだという事だが、日本とオーストラリアのビジネス関係も弱くなったのだろう。ビジネスがらみで来る日本人の数も減った。
 いまや、オーストラリアの最大の貿易の相手は中国だ。
 去年まで日本が最大のお得意様だったのだが、日本の不況と中国の勃興が裏表で重なって、日本が沈んだ。
 オーストラリアの新しい首相は、中国語が堪能で、中国に招かれていって、中国語で演説した。
 外国の元首で日本に来て日本語で演説をしたと言う例はない。

 シドニーでアジア人を見かけたら、まず中国人、次に韓国人だ。
 日本人の数はえらく減った。
 その割に、日本料理店は増えている。オーストラリア人の間に日本料理の人気が高まっているという事だろう。
 私と仲の良い店主の経営する日本料理店は、シティの真ん中にあって大繁盛しているが、日本人の客は少数派で、大半がオーストラリア人と、中国人、韓国人である。
 中国人や、韓国人が日本料理を好きなのが面白い。
 反日感情と、料理の好みは結びつかないようだ。

 もっとも、シドニーで会う中国人、韓国人に反日感情を示されたことはない。
 私の隣の家の住人は韓国人で、私達と大変仲良くやっている。
 お互い自分の国に帰るとお土産を持って来てやり取りをする。
 他にも仲の良い韓国人夫婦がいて、特製のキムチを届けてくれたりする。

 針治療をしてくれる中国人の医師は、私のために、休診日にわざわざ診療所を開いてくれるほどだ。
 外国に住んでいると、それぞれの歴史のしがらみから離れることが出来て、人間どうしの本当のつきあいが可能になると言うことなのかも知れない。

 それでも最近微妙に力関係の変化を感じるようになってきましたね。
 以前は、日本が一番、と言う感じだったのが、韓国人も、中国人も、「日本何する物ぞ」という気持ちを持っていることを感じる。
 これは仕方がないな。
 電気屋に行くと、韓国の電機製品が溢れている。日本の電機製品は皆無だ。
 携帯電話など、日本製は韓国製に圧倒されている。
 コンピューターのディスプレイは一時日本の独壇場だったが、いまや高級品は韓国製、中級以下は台湾製となってしまった。
 テレビなど、辛うじて日本製があるが、韓国製に比べて値段が高いので、負けている。
 テレビ局の一番視聴者に目につくスタジオのディスプレイも韓国製が圧倒的だ。
 衣料品、雑貨などは中国製だし、中国は石炭、鉄鉱石を大量に買うお得意様だ。世界における日本の地位が目に見えて低下していっていることを、シドニーにいると痛感する。

 こんな日常生活の面から見て、私は日本が危ないという危機感にとらわれて、いてもたってもいられない気持ちになるのだが、日本国内の在日日本人は全く危機感を抱いていないようだ。
 ガソリンの価格が高くなったと嘆くだけで、その原因も、ではそれに対してどう対処するのかも思いつかず、政治家も官僚も困った、困ったと言うしか能がないから救いがない。

 今発売中の小学館の雑誌「サライ」08年、6月19日号(この雑誌は素晴らしい。私は創刊時から全巻保存している。これだけ価値のある内容が盛り沢山の雑誌は他にない。全て永久保存に値する。)の39頁、「老い先案内人」と言う欄に、中沢正夫氏が、「死に神に仁義を切っておく」と題して、胸に響く事を書いている。
 氏は「必ず来る自分の死に、一度は正面から向き合ってみるこをと勧めたい。自分がこの世から消滅すると考えるだけで、恐怖と焦燥で耐え切れなくなった青春の日々を、誰でも持っていよう。」
 と書き始めて、死の恐怖について書いている。
 氏は色々本を読んだが、「死をどう受け入れるかという本は本はたくさんあるが、『死とはなにか』に答えるものはなく、ジリジリは増すばかりであった。信仰のない私は死後の世界や輪廻転生を信じられず、救いはなかった」と続け、「結局、私が行き着いたところは、『死はそれが来たときに考えればよい』という、作家・中村真一郎の投げやりな居直りであった(『死を考える』より)。中村は《生きている間は、よりよく生きることに専念すべきであり、死はそれが到来してから対処しようというのが私の態度である》と述べる。」と言っている。

 この、中沢正夫氏の「老い先案内人」は、若い人が読んでも、意味がある。
 決して老人専用の文章ではない。
 むしろ、若いときにこそ「死」について真剣に考え、気の狂うような恐怖を味わうものだ。お釈迦様が、「生病老死」の苦しみにどう対処するか命がけで取組み始めたのも、まだ若い頃だ。若い人がこの文章を読めば、考える方途が見つかるはずだ。

 中沢正夫氏と中村真一郎の、死に関する考え方には私も大いに同感する。
 どうせ死ぬのだから、死が来る前に死について思いわずらうことは意味がない。

 で、日本についてだが、どうせ没落し破綻するのは分かっているのだから、いまから思いわずらう事は無い、となるのだろうか。
 国については、そうではないと信ずるのだが、いまの日本の政治家や官僚の態度を見ていると、そんな風に考えて、行き当たりばったり、私利私欲のために動いているだけではないかと思えてならない。

雁屋 哲

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シドニー子育て記 シュタイナー教育との出会い
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