雁屋哲の今日もまた

2008-06-07

DVDは有り難い

 昔、フランス映画で「冒険者たち」というのがあって、当時私は大変に気にいった。
 俳優はリノ・ヴァンチュラ、アラン・ドロン、ジョアンナ・シムカス、の三人で、アフリカの沖に沈んでいる飛行機から財宝を引き揚げるという話だ。
 ジョアンナ・シムカスが可愛らしく、いい感じで、リノ・ヴァンチュラが格好良く、アラン・ドロンがいつもより控えめなので好感を抱けて、結末は悲しいのだが、見終わった後、良い余韻を残す映画だった。
 その、DVD版を日本で買ってきたので、それこそ三十年数年ぶりかで、見直した。
 やはり、とても良かった。
 ジョアンナ・シムカスは当時思ったほどではなかったが、可愛かった。
 アラン・ドロンもいやらしさを全然出さない好演だし、なにより、リノ・ヴァンチュラのかっこうよさが際だっていた。
 昔つきあいのあった或る出版社の編集者が、自分の持っているクルージング・ヨットに、「レティシア」と名前を付けていたのを思い出す。
 彼も、「冒険者たち」が好きで、ジョアンナ・シムカスが好きで、ジョアンナ・シムカスがその映画の中で演じていた役の名前「レティシア」をヨットの名前につけたのだ。
 私と同じ年代の男たちには人気のある映画だ。
 そんな古い映画をまた見ることが出来るなんて、DVDは有りがたい物だとしみじみ思った。

 最近の大当たりは1969年に録画録音された、カール・リヒター指揮によるミュンヘン・バッハ合唱団の「バッハのロ短調ミサ曲」のDVDだった。
 私は、1969年に、カール・リヒターとミュンヘン・バッハ合唱団が日本に来たときに、上野文化会館に聞きに行った。
 最初の「キリエ、エレイソン」の「キリエ」という歌い出しを聞いた瞬間、あまりの感動に、私は下半身から力が、ざーっと抜けて行くのを感じ「ああ、あ、もうだめだ」と思った。
 日本から帰って三ヶ月後に作成されたものだと言うから、私が上野で聞いたときと同じ合唱団員が中にいるはずだ。
 1969年に音楽の映像をどの方式で撮影したのだろう。時々、画面に白いノイズが入るので、フィルムによるものかと思ったが、それにしては画面が鮮明である。
 音も、やや固くてダイナミック・レンジが狭い感じがするが、普通フィルムで撮った音楽物よりは遥かに良い。
 しかし、凄いのは全部で128分ある全曲を一枚のDVDに収めたことである。
 私は、「ロ短調ミサ曲」はLPでもCDでも持っているが、LPは勿論のこと、CDでも一枚には収まらない。
 画像まで入れて、それが一枚で収まるのは有り難いことだ。
 この曲は、LP時代から何度聞いたか分からないほどで、始めから終わりまで私の体にしみこんでいる。
 それを、映像と共に聞いていると、たまらない。
 私は、信仰心は全くなく、ましてキリスト教の教えは何一つ私の心に響かないのだが、このミサ曲が私の心の深奥を震わせるのはどうしたことだろう。

 私はつらつら考えるに、完全なる唯物論者ではないらしい。
 何故なら、人が何ものかに祈る、その心を理解するからだ。
 神も仏も信じない人間がそんなことを言うのはおかしいが、私も、一体何を対象にしているのか自分でも分からないまま、頭を垂れて祈ることがある。
 自分の希望、自分の願い、自分の救済を、何ものかに祈るのだ。
 私は、何かに祈るという心を、唯物論的に否定できない。

 ミサ曲の歌詞を見ると、白ける。神の仔羊だの、天国だの、主を誉め讃えよ、だの、何だの、そんなことは私には空虚なものでしかない。
 しかし、「キリエ、エレイソン」(主よ、救い給え)というその祈る心は、実感として理解できるのだ。

 そんなこととは別に、幸い、言葉が分からないからミサ曲も純粋に音楽として聞いてしまう。その場合、音楽として「バッハのロ短調ミサ曲」は全ての音楽の中で一番深い感動を私に与えてくれる。
 日本から買ってきて、仲々聞く機会がなかったのだが数日前に大音響に体中埋まるようにして聞いて、心の奥まで揺さぶられた。
 それ以来、頭の中には「ロ短調ミサ曲」の、あの曲、この曲が次々に鳴り響いている。

 昨日も、リハビリをしながら、「ロ短調ミサ曲」を鼻歌で歌っていて、一緒にリハビリをしている人達にいぶかしがられた。
 こうして、コンピューターに向かっている今も、頭の中に「ロ短調ミサ曲」が響いている。

 私は困った習性があって、時に飛んでもない曲が頭の中に浮かんで消えないことがある。それが凄いんだ。「未練の波戸場」だとか、「東京だよおっかさん」だとか、「昭和枯れススキ」だとか、「(一週間に十日来い、とことん、とことん、の)温泉芸者」とか、どうしてこんな歌を知っているんだ、と自分でも考え込んでしまうような歌が頭に浮かんで執拗に消えない。
 これは大変に苦しい。
「未練の波戸場」の文句なんて「もしも、私が重荷になったらいいの、捨てても恨みはしない。お願い、お願い、連れて行ってよこの船で、ああ、霧が泣かせる、未練の波戸場」というのだから、厳しい。(歌っていたのは、松山恵子)
 それが、いまは「ロ短調ミサ曲」なので、気持ちが静まってよろしい。
(「未練の波戸場」と「ロ短調ミサ曲」との落差は凄いと我ながら思う。どっちが上とか下とか言うのではないが。)

 それにしても、演奏が行われているのが、ミュンヘンの古い教会で、実に荘厳な作りである。(金があちこちに使ってあって金ぴかぽい感じもするが。)
 そこで、ごうごうたるパイプオルガンの音と共にミサ曲の合唱が響き渡ると、ああ、これが西洋文化なのだ、と改めて圧倒される。
 同じ時代、日本では、四畳半の座敷で三味線をチントンシャン、なんてやりながら小唄など唄っていたかと思うと、どうも、しょぼいと感じざるを得ない。
 そして、あそこまでの物を作り上げさせたキリスト教の力をしみじみ考えさせられる。

 ところで、三十年以上前に、初めてギリシャに行ったとき、第二人称の呼びかけ、「あなた」を、「キリエ」と言うので驚いた。
「キリエ」は教会の文書の中だけの死語ではなく、ギリシャではいまだに日常生活で使われている生きた言葉なのだ。

 それを知ってから、「キリエ、エレイソン」の文句をすんなり受け取れるようになった。
「キリエ」は主でも、キリストでも無くても良いわけだ。
 誰か、自分以外の何ものか、でいいわけだ。
 であれば、キリスト教徒ではないけれど、しかも、祈る対象が誰だか、何なのか自分でも分からないのに祈る心を持つ私が「キリエ、エレイソン」と歌ったところで少しも悪くはないだろう。
 などと言うと、キリスト教徒に怒られるかも知れないな。
 まあ、寛大にお願いしますよ。

 キリスト教徒ではない人間さえも感動させるところがバッハの音楽の偉大さなのだろう。

 DVDはありがたい物だ。

雁屋 哲

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