雁屋哲の今日もまた

2008-05-24

ポッサムの話

 私の家は、シドニーの中心部から、ハーバーブリッジを越えて車で五、六分の所にある。
 シドニーの中心部まで車で十分弱である。
 こんなに都心に近いのに私の家の周りには結構野生動物がいる。
 最近私の家の家族が迷惑をしているのが、ポッサムという動物である。
 ポッサムは、小型の猫くらいの大きさで、オーストラリア独特の有袋類で、夜行性の動物である。
 有袋類というのは実に不思議な動物で、カンガルーにその特徴が顕著だが、赤ん坊は極めて小さく産んで、それを自分の腹の前の袋に入れて育てる。乳首は腹の袋の中についている。

 カンガルーの赤ん坊は生まれたとき、人間の人差し指ほどの大きさしかない。生まれるとすぐに自分で母親の腹によじ登り袋の中に収まる。そのままかなり大きくなるまで母親の腹の袋の中で過ごす。
 そのカンガルーの生殖の面白い話を娘に教えて貰った。
 カンガルーは、子供を生むと交尾する。卵は受精する。
 しかし、腹の袋の中には子供がいるから、すぐに新たに子供を産む訳には行かない。
 ではどうなるかというと、受精した卵が発生を途中で止めるのである。
 発生とは、受精した卵が、どんどん分割(卵割という)を繰返していって、それぞれの生物の形に発展していって最終的には赤ん坊の形になる過程を言う。
 カンガルーは状況に応じて、発生を途中で止めることが出来るのだそうだ。
 それも、袋の中に赤ん坊がいるときに限らず、生活環境が悪いとき、(食糧が不足している、干ばつに襲われている、などの時)にも、受胎はしておいても受精卵が発生の過程を進むのを押さえることが出来るのだという。
 驚くべき、自然の仕組みだ。

 こう言う事実を見ると、私はダーウィンの進化論を激しく疑わざるを得ないのである。
「自然淘汰」と「適者生存」は分かる。
 しかし、生物の変化がどうして起こるかについての説明がない。
 ダーウィンの学説を継ぐ人達は、変化は「突然変異」であり、突然変異によって獲得した形質が環境に適応していれば、その生物は生き延びて、その形質を子孫に遺伝する、と言う。
 要するに、変化は、神のような超越的な存在が作った計画に基いた物ではなく、機会的に起こる物だというのだ。
 そこには、生物当人の意志は考慮に入れられていない。

 例えばこう言う場合に良く例に取り上げられるキリンだが、ダーウィンの説に従えば、「たまたま、首の長いキリンが生まれ、それは木の高いところにある葉を食べることが出来て、他の首の短いキリンより生き延びるのに有利だった。そこで、その首の長い種類のキリンの子孫が栄えて、今日のキリンになった」と言うことになる。
「たまたま、首の長いキリンが生まれて」というところが、「突然変異」説だろう。

 そんな都合の良い話がある物かと私は思う。
 私の考えるところはこうだ。
 キリンの祖先、首短かキリンは、「ああ、高いところの葉っぱを食べたい。首が長ければなあ」と激しく強く思った。
 それが、そのキリンのDNAを作る機能を司るところに「首が長くなりたい」という信号となって伝わる。
 すると、キリンの思いが伝わることで、キリンのDNAの一部に首が長くなる遺伝子が組込まれる。
 そして、生まれた子供は、親よりも首が長くなる。
 それを、何代も繰返して、今の首の長いキリンになったのではないか。
 生物の変化は、生物自身の願い、欲求、それが反映した物、あるいは何かの意志が働いてのことであって、闇雲にむやみに変化する物では無かろう、と私は考えるのだ。

 私に、この考えを撤回しろと言うのなら、キリン以外の生物も突然首が長くなるという変化を示す物であることを見せて欲しい。
 普遍的に、全ての生物は一旦は首が長くなるという証拠を見せてくれ。
 ゾウも、ライオンも、首の長いものが生まれたが環境に適さなかったから今の首の長さの物に落ち着いた、というのなら分かる。
 ゾウや、ライオンの仲間には首が長くなるという突然変異は起こらず、キリンにだけ、首が長くなるという突然変異が起こった、というのはおかしな話だ。
 それは、「突然変異」とは言わないのではないか。「意図的、選択的変異」という物なのではないのか。

 先日私は膝の関節を人工関節入れ替える手術をしたが、その際に関節、筋肉、血管、神経系、そのあたりの事情をじっくり観察して、どうしてこんなに何もかもよく考えられて作られているのか、と心底感嘆した。
 膝なんかまだ原始的な部分だ。
 心臓や、腎臓、そして頭から上の様々な器官。その働き、仕組みを見ると、こんな物が偶然起こった「突然変異」の積み重ねで出来た、なんて事を信じろという方が非科学的だと思う。

 私は無神論者だから、創造物としての神の存在は考えられない。
 最近、アメリカあたりで流行っている「インテリジェンス・デザイン論」(地球上の生命は知性ある存在〈インテリジェント・エイジェント〉によって意図的に設計〈デザイン〉されたものである、と言う説)などと言う怪しいものも、受け入れられない。
 しかし、何かがあると思わざるを得ない。

 実は私のような考え方をする人間は、これまでにも大勢いて、ことごとく、非科学的であると切捨てられてきている。
 そりゃそうだ。
 一つの説が、科学に正しいと認められるためには、説を立証するための客観的な事実がまず必要で、その事実の上に狂いなく論理の筋道を立てて導かれた説でなければならない。
 私の言う、キリンが「首が長かったらなあ、と願った」、などと言うことは客観的な事実として提出のしようがない。
 私の言っていることは、客観的な事実に基いて居らず、論理的にも出鱈目だ。
 私の言うことは科学的ではない。

 そもそも、科学は根底の所に行くと、How(いかにして)は語れるが、Why(どうして)は語れない。
 如何に生物は進化したかは語れるが、どうして進化したかは語れないのである。
 だから、「機会的に変化する」とか「突然変異した」と言うにとどまる。

 しかし、私はどうして変化したのか、そのところに一番興味がある。
 そこで、私は科学の境界をはみ出してしまうことになる。

 カンガルーにしても、どの様にして発生の段階を遅らせるかは分かるが、どうしてそんなことが出来るようになったのかは分からない。
 で、私としては、カンガルーが生き延びたいと思ったから、その様な形質が出来た、あるいは、何らかの意志が働いてそうなったと考えてしまう。
 偶然その様なカンガルーが生まれて、それが環境に適応したからその子孫が繁栄した、と言うのでは納得がいかないのだ。

 おっと、ポッサムの話だった。
 ポッサムは、木の葉や木の実を主に食べる。
 私の連れ合いが大事にしている、柑橘類の新芽を全部食べてしまう。
 折角実ったレモンの実も食べてしまう。
 そんなことから、連れ合いは、最近ポッサムに敵意を抱いている。
 私は、連れ合いに、「それなら、市場で一番安いリンゴをバケツで買ってきて、それを庭に置いておけば、ポッサムはリンゴを食べて、君の大事な柑橘類には手を付けないだろう」と言ったら、「それじゃ、私がポッサムを飼うことになるじゃないの。そんなの、いやだわ」と文句を言う。

 もうひとつ、連れ合いがポッサムを嫌うのは、どう言う訳か、私の家の犬が、ポッサムの糞を喜んで食べることだ。
 どうして、犬がポッサムの糞を食べるのか、訳が分からないが、去年死んだ、もう一匹の犬もやはりポッサムの糞が好きで、二匹の犬が争ってポッサムの糞を食べるところは、異常な感じがした。
 ポッサムは木の葉や木の実を食べているので、その糞は緑色がかっている。ライオンも獲物を倒したら最初に、獲物の大腸を食べるという。植物を食べることのない肉食動物のライオンにとって、草食動物の糞の詰まった大腸は大のご馳走なのだそうだ。
 それと、同じことなのかも知れない。
 連れ合いが犬を散歩に連れて行くと、犬はポッサムの糞を食べたがって、それを引き離すのが大変だ、怒っている。
 人を罵るのに「糞喰らえ」などと言うが、我が家の犬に、「ポッサムの糞を喰らえ」と言ったら、喜ぶだろう。

雁屋 哲

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