雁屋哲の今日もまた

2008-07-08

パレスティナ問題 その4

 昨夜は、シドニー・シンフォニー演奏のマーラーの交響曲一番、堪能したなあ。
 指揮者は日本では知られていないと思うが、Gianluigi Gelmetti と言うイタリア人で恐ろしく肥っていて、最近は指揮をするときに椅子に座るようになった。以前は、指揮台の手すりに寄りかかっていたのだが肥満が進んだようだ。
 Gelmetti のシドニーでの人気はなかなか大したもので、今年で十年近く主席指揮者を務めているのではないか。
 シドニーの良いところは、コンサート・ホールの近くによいレストランが沢山あって、演奏会前に美味しい物を食べてワインも飲んで豊かな気持ちになったところで演奏を楽しめるところだ。
 レストランに前もって、七時の開演と言っておくとそれ間に合うように食事を作ってくれる。
 東京じゃ、演奏会が始まるのが六時なんてことが多いから、夕食を食べる暇がない。それに、コンサート・ホールの周りの食べ物屋はろくなものがない。従って、東京では空腹を抱えて音楽を聴くことになる。楽しくない。気持ちが豊かにならないね。
 終わったところで、周りによいレストランのあるところは少ないから、音楽の余韻を楽しむ間もなくレストランを求めてうろつかなければならない。

 で、昨夜、コンサートを楽しんでいて、つくづくと西洋文化の偉大さを痛感しました。非常に普遍性がある。
 マーラーはユダヤ人だ。交響曲、はドイツ音楽の形式だ。それをイタリア人が指揮をして、東洋人から何から色々な人種の混じったシドニー・シンフォニーが演奏をし、日本人の私が感動する。
 義太夫や小唄じゃ、こうはいきやせんでがしょう。

 さて、あの麻薬系痛み止めの副作用が大分鎮まってきたので改めて気を取り直して、パレスティナ問題にとりかかろう。

 その前に訂正を一つ。
 私の弟から「にいちゃん、ボブ・ディランのことをカントリー・ロックと書いたなあ。みんなに怒鳴り込まれても知らんけんね」と脅迫状が来た。
 確かめてみると、そんな風に書いてあるね。
 これは間違いだな。一時ボブ・ディランがロックを始めたので、フォーク・ロックと書くつもりが、フォークとカントリーを混同した。
 いずれにせよ、ボブ・ディランはフォークの神様なんだから、フォークシンガーとして置いた方が安全だ。
 よって、ボブ・ディランはフォークシンガーと訂正。

 もう一つ、ある読者から次のようなお便りを頂いた。

「紀元四世紀初めにコンスタンティヌス一世の時にキリスト教がローマ帝国の国教となってから、(以下省略)」

と雁屋さんは書かれておられますが、コンスタンティヌス1世はローマ帝国において、それまで信仰が禁止されていたキリスト教を313年のミラノ勅令によって「公認」したのであって、キリスト教を「国教」としたのは、その後に登場するテオドシウス1世(380年)です。

 これは、失礼ですが、誤読です。
 こう言う誤読は、世界史の教科書をちゃんと読めば起こらないことなので、このような投書はそのままにしておくのが私の方針ですが、他にも同じような誤解をする人がいるやも知れぬので、敢えて、説明することにします。

 私は「コンスタンティヌス一世がキリスト教を国教とした」とは書いてありません。「コンスタンティヌス一世の時に、キリスト教がローマ帝国の国教となって」と書いてあります。

「コンスタンティヌス一世のときに国教となった」というのと「コンスタンティヌス一世が国教にした」というのとでは、若干の違いがあります。
 歴史的に言うと、最初ローマ帝国はキリスト教を迫害してきました。
 それが、コンスタンティヌス一世がキリスト教に改宗すると同時に、313年にリキニウス帝と協定を結び、キリスト教を公認しました。
 これがいわゆるミラノ勅令と言われるものですが、厳密にいえば、ミラノでそのような勅令が出された歴史的事実はなく、ただ、両皇帝のミラノでの協定に基づいてリキニウスが同年ニコメディアで両皇帝の名において発した訓令の内容の記録が伝わるにすぎないが、後世の史家がこれをミラノ勅令とよんだのだそうです。

 コンスタンティヌス一世は325年に小アジアのニカイアで公会議を開き、キリストを父なる神と同質とする「ニカイア信条」が制定されました。

 379年に皇帝になったテオドシウスは宗教的内紛の解決に意を注ぎ、ニカイア信条をカトリック(普遍的)と認めて、380年2月全臣民にこの「正統信仰」を信ずることを課した、いわゆるカトリック国教化勅令を発しました。(ついでに、カトリックとは、「普遍的」「公同的」「一般的」という意味で、ニカイア信条を信じている教会が、全人類のための唯一の救いの機関であると主張している訳です)

 このように、国教化勅令を出したのはテオドシウスですが、それ以前にコンスタンティヌス一世のときに、公認されています。
 キリスト教公認の実質を重く取るか、皇帝による国教化勅令を重く見るかで言い方は違ってきます。
 私は、キリスト教が公認されたことをすなわち国教化ととらえ、それが、コンスタンティヌス一世の「ときに」、行われた、と言っているのです。コンスタンティヌス一世が国教化勅令を出したとは言っていません。(しかし、それも勅令という形があったかどうかの違いだけで、実質コンスタンティヌス一世が国教にしたように思えます)

 現在、「コンスタンティヌス一世のときに、国教化が行われた」という言い方は通例となっているように見受けられます。

 さて、もう一つ問題がある。これも弟に脅迫されたんだが
 それは、ユダヤ人とはそもそも誰なんだと言うこと。
 135年に、イスラエルを追放された時点では、ユダヤ人はアブラハムやモーセの子孫であることははっきりしていたが、それから、世界中に離散し、各地で迫害を受け、移動するうちに、様々な民族と交雑しただろう。

 現在、全世界のユダヤ人はスファラディー系ユダヤ人、とアシュケナージ系ユダヤ人の二つに大きく分けられる。
 スファラディー系ユダヤ人はスペイン、ポルトガル、など西欧系。
 アシュケナージ系ユダヤ人はロシア、など東欧系、である。
 最近になって、ハンガリー生まれのジャーナリスト、アーサー・ケストラーの著書「第十三支族」の影響を受けて、全世界の約90パーセントを占めるアシュケナージ系ユダヤ人は、7世紀頃カスピ海北岸から黒海北岸に掛けて草原地帯に栄え、800年頃にユダヤ教を国教としたが12世紀に滅んだハザール人の子孫であるという説が唱えられている。
 アシュケナージ系ユダヤ人は実はトルコ系白色人種のハザール人で、セム系であるアブラハムやモーセの子孫ではないと言うのである。

 その説の真否を問いただすのが私の書き始めた「パレスティナ問題」の本筋でもないし、たとえその説が正しく、イスラエルの国民の90パーセントが、アブラハムやモーセの子孫でないとしても、パレスティナ問題の本質は変わらないので、その説にはさわらないでおく。

 そもそも、ユダヤ人は誰かを決定するのには、ユダヤ人を大虐殺したナチスも、困ったのである。
 以前にも紹介した「ラウル・ヒルバーグ」の「ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅」という本は、被害者であるユダヤ人の立場からでなく、虐殺を行ったナチスの側からのユダヤ人絶滅行為を綿密詳細に研究したものだが、そのなかの一章に「ユダヤ人の定義」というのがある。
 そのなかの一節に、
「ユダヤ人を定義する問題は決して単純ではなかった。(中略)1890年代における反ユダヤ主義的な帝国議会議員ヘルムート・フォン・ゲルラッハは、回顧録の中で帝国議会の16人の反ユダヤ主義派のメンバーがどうして反ユダヤ主義的な法案を一度も提出しなかったかを説明した。彼らはユダヤ人の有効な概念定義を見つけられなかったのだ。皆が口をそろえて次のように言った。
 ユダヤ人がなにを信じようがかまやしない。
 その人種には不快感が湧くんだ。」
 とある。

 1933年の法令によって「非アーリア系人の家系」の官吏は退職させられることになった。
「非アーリア系」という用語は、ユダヤ人の父母か、ユダヤ人の祖父母を持つすべてのものの呼称と定義された。
 父母や祖父母がユダヤ教の信者であればユダヤ人とみなされた。

 しかし、「アーリア人」か「非アーリア人」かのグループに分類する基準は宗教、それも当人の宗教ではなく、如何なる場合でも祖先の宗教だった。

 ヒルバーグは言う、「いずれにせよ、ナチスは『ユダヤ人の鼻』に感心があったのではなかった。かれらは『ユダヤ的影響力』に感心があったのである」

 ナチスに協力する様々な人間が、ユダヤ人の定義に取り組んだ。
 これが、非常に入り組んだ問題であり、二分の一ユダヤ人とか、混血児とか、様々な問題を引き起こした。

 ヒルバーグは、結果的に、ナチスが絶滅の対象とした「非アーリア人」は以下の通りである、とまとめている。

  • 第二級混血児・・・ユダヤ人の祖父母を一人もつ者
  • 第一級混血児・・・1935年9月15日にユダヤ教に属しておらず、ユダヤ人と結婚しておらず、ユダヤ人の祖父母を二人もつ者。
  • ユダヤ人・・・・・1935年9月15日にユダヤ教に属していたか、ユダヤ人と結婚した場合はユダヤ人の祖父母を二人もつ者、それにユダヤ人の祖父母を三人ないし四人もつ者。

 これには、スファラディー系ユダヤ人も、アシュケナージ系ユダヤ人も関係ない。
「人種的」にユダヤ人を定義できない。
 ユダヤ人と定義できるのは、宗教によるだけであることが分かる。

 これを、「日本人とは何か」を定義する場合と比べていただきたい。
「日本人とは何か」を定義するのにこんなに複雑な問題は起こらないだろう。(アイヌなどの少数民族については問題があるが)

 では、現在のイスラエルでは、ユダヤ人をどう規定しているのだろう。
 1970年に改訂された帰還法では、イスラエルに受け容れられるユダヤ人とは「ユダヤ人の母親から生まれた者、あるいは正規の手続きを踏んでユダヤ教に改宗した者(この改宗は簡単には認められない)」で、「他の宗教に帰依していない者」とされている。
 これでは、見た目ではだれがユダヤ人と決められない。
 アフリカから戻ってきたユダヤ人には、アフリカ人の血が入っていて見た目は肌の色が黒く顔かたちもアフリカ人としか思えない者もいる。
 それでも、ユダヤ人なのである。
 どうも、話が複雑になってきた。

 このままでは、パレスティナ問題の主役であるユダヤ人が誰なのかあいまいになってしまう。
 イスラエルの法律に従うのが今のところ一番確実なところだろう。

(明日に続く)

雁屋 哲

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