奥沢のキング堂さんと、お寿司屋さんのこと
今夜は、12日発売になった「シドニー子育て記」にも登場していただいている「に」さん、(シドニーに引っ越して以来の友人で、自分で自分のことを「時次郎」と呼べと私達に命令する人です)、の家におじゃました。
「に」さんの家では、プードルを二匹飼っている。
この犬たちが、私に非常に敵対的で、吠えたり、ひっかいたりなさいますので、私は、私の方がボスなのだと教えるために、犬の首を絞め、犬のほほをひっぱたいてやった。
それを見ていた、「に」夫妻は、私のあまりの残酷さに、二人で涙ぐみ、二人で犬が私のそばに近寄らないように抱えっぱなしであったのは、私も反省しなければならないところが多いように、今になって思う。
しかし、私は人前で泣き叫んだり、我が儘を言う子供、お客さんに敵対的な態度を示す犬猫は、其の場で処分してやろうと思う人間なので、これは仕方がない。
「に」夫妻は二度と私を自宅に招くことはないだろう。
自分の可愛がっている犬の首を絞めるような人間を歓待する人がいるわけがない。
昨日和歌山から帰って来て、鎌倉の実家に一泊して、今日は東京に出て来て、東京で一泊だ。
たまに、日本に帰ってくると、様々な仕事が待っていて、休む暇もまない。
このページが更新できなかったのも、そんな事情のせいなので、お許し下さい。
今夜、大変な感激が、その「に」さんが、美味しいお寿司屋があるからと行って、奥沢まで連れていてくれたことで起きた。
「入船」という名前の寿司屋なのだが、その店が、なんと奥沢商店街の入り口にある。
奥沢商店街、といえば、私が54年間に渡ってお世話になっている靴屋「キング堂」のある通りだ。
寿司どころではない。
さっそく、「キング堂」さんに行って当代のご主人にご挨拶をした。
私は、六歳の時に股関節結核にかかり、右脚が左足より短い。
その左右の脚の長さの差が、年齢を経るに従って大きくなる。
その私のために、脚の長さを補い、なおかつ靴の底を安定の良いように作ってくださったのが、「キング堂」の先代だ。
右の脚は成長を止めているので、歳を取るにつれて左右の脚の長さが変わってくる。
その変化に応じて、私のために親身になって特殊な靴を作ってくださったのが先代であり、当代の「キング堂」のご主人なのだ。
今、私が曲がりなりにもあちこち歩いたりできるのも、「キング堂」の先代と当代のご主人が作ってくださってきた靴のおかげだ。
「キング堂」がなかったら、私の人生は大変に不便な物になっただろう。
奥沢「キング堂」は私の命の恩人と言っても過言ではない。
「キング堂」あってこそ、今の私の活動が可能になったのだ。
「に」さんが、お寿司を食べに行こうと、奥沢まで誘ってくれたおかげで、恩人の「キング堂」のご主人にお会いして、お礼を言うことが出来た。
すぐにまた、靴を作っていただかなければならない。
その点をよくよくお願いして、寿司を食べに行った。
で、肝心の「入船」だが、久しぶりの当たりだった。
マグロの質が大変に良かったこと、寿司の作りが昔どおりの東京風の作りを守っていて、変に時代に媚びていないこと。(マグロの大トロのニンニク醤油漬け乗せはちょっと困った。そう言う作り方は私には受け入れがたい。最後に、口直しに大トロをわさびで握って貰って、不満を解消した。)
銀座の寿司屋は、最近ひどい物だ。美味しい寿司を食べたければ、銀座を離れて奥沢まで脚を伸ばしなさい、と言いたいほど、美味しかった。
ただ、店の客がひどい。私の両側で、たばこを盛大に吸われて、私は気持ちが悪くなり、もっと食べたかったのだがどうにも我慢が出来なくなって、店を離れた。
寿司屋で、たばこを吸うのだけは勘弁してくれないか。たばこ吸いの皆様方よ。
明日は、以前会社勤めをしていたときの同期の仲間との夕食会だ。
私は、自分では友人の少ない人間だと思っていたが、飛んでもない。
素晴らしい友人が、大勢いる。
会社を辞めて三十年経つ。
それで、同期の仲間が集まってくれるのだから、ただひたすら有り難い。
明日は、仲間同士、遠慮のない楽しい騒ぎを楽しもう。