「嫌韓・嫌中」について その1
数日前に書いた「竹島(独島)問題」が、かなり、「嫌韓派」の人達を刺激したようである。
その人たちの反応を見ていて、私は、「嫌韓派」の人達を、「外国人嫌い」「歴史に無知」「自分自身も知らない」などと、批判するだけでは、意味がないと悟った。
人でも、物でも、ある対象を嫌うと言うことは、極めて感情的なことであり、理性の通じないところがある。
「嫌韓」「嫌中」というのも、感情の問題だから、その間違っているところを、いくら理性的に、論理的に説いたところで、「嫌韓派」「嫌中派」の人達には受け入れられる訳がない。
そう考えてみると、「嫌韓派」「嫌中派」を嫌う私の態度も、感情に支配されているのではないかと、思う。
「嫌韓派」「嫌中派」の人達を、「外国人嫌い」「歴史を知らない」「自分自身を知らない」などと言う言葉は、かなり感情的な響きを持っている。
これでは、いけない、と反省した。
感情と感情がぶつかり合ったら、解決することも解決しなくなる。
私は「嫌韓派」「嫌中派」の人達の言っていることは、根本から間違っていると思うが、その人たちがどうしてそのような「嫌悪感」「反感」を抱くようになったのか、その理由は分かる。
私は、日本国内でこうして堂々と自らを「親韓派」「親中派」と言っているが、韓国や中国で、自分のことを「親日派」と言ったらどうなるか。
それこそ、民族の裏切り者として、袋だたきにあう。
2005年に、韓国の人気歌手、趙英男(チョ・ヨンナム)氏が、「殴り殺される覚悟で書いた親日宣言」という本を書いたところ、韓国国民の激しい反発を買い、凄まじい非難を浴びて、テレビで13年間続けていた番組の司会を下ろされてしまった。
趙英男(チョ・ヨンナム)氏はその本についての朝鮮日報とのインタビューで、「親日宣言という言葉で韓国社会が持つ何らかの固定観念を壊したいと思ったのか。」という問いに対し、
「そうだ。韓国で親日という単語はひどい意味が盛り込まれている。親日という単語には“売国”の意味が含まれている。しかし、60年経った今も過去と同じような意味で使うべきかというのが私が提起したい質問だ。勇気を振り絞ってその単語を使い、本当の意味、親しいという意味としての親日の言葉が広く使われることを希望した」
と答え、さらに、
「本を通じて伝えたかったメッセージは何か。」という問いに対して、
「米国を行けば日本という国が違って見える。私が大げさに言っているのかも知れないが、米国で見た日本は一等国民だ。しかし、韓国だけは唯一、日本を最下位に評価している。この部分を誰かは指摘すべきだと考えた。過度に日本を低評価するのは大きな問題だ。われわれは商売をし、利益を得なければならない国なのに、このような姿勢ではあまりにも損が大きい。誰かがこれを指摘しなければならないが、政治家や知識人はこのようなことを恐れている。しかし、私は道化師なのだから、こんなことを言っても別に・・・」
と答えている。(朝鮮日報)
この程度のことを言った趙英男(チョ・ヨンナム)氏に対して、インターネット上では、
「国民の税金で運営する公営放送で親日派が司会を務めるのは国民の感情に反する。どんな弁解も許されない」
「国の自尊心を踏みにじった」
「趙氏はこうした言葉を口にしながら、果たして日本大使館の前で沈黙デモを行っている元慰安婦女性を考えたことがあるのか。情けない」
「趙氏の発言は韓国国民の感情に火をつけるかのようなとんでもない話だ。大韓民国の国籍を捨て日本へ出て行け」
などと言う激しい非難が溢れ、氏はテレビの司会を下ろされ、歌手としての仕事も干された。
私は「美味しんぼ」の中で、随分、「親韓」的な話を書いているが、一部の「嫌韓派」を除いて、大部分の読者は冷静に読んでくれている。
小学館が「美味しんぼ」を連載中止にすることもなかった。
韓国で「親日」的な内容の漫画を描いたら、それで、漫画家としての生命は終わるだろう。
このような、韓国人の姿を見れば、「嫌韓」感情が起こるのも、無理はないと思う。
さらに、「嫌韓派」の人達の神経を逆なでするようなことも、韓国では起こっている。
(この続きはまた明日)