雁屋哲の今日もまた

2009-05-22

中江兆民の「一年有半・続一年有半」

 5月20日は、私達家族にとっては特別の日だった。
 1988年5月20日に、私達家族はシドニーに引っ越してきたのである。
 だから、5月20日は、引っ越し21周年記念日だった。
 私は今までの人生で一番長い間暮らしたのは東京の田園調布だったが、とうとう、シドニーが一番長く暮らした町になってしまった。
 こんなことは、予想もしなかったことだ。
 どうしてこんなに21年も住み着くようになってしまったかは、拙著「シドニー子育て記」(遊幻社刊)に書いてありますのでお読み下さい。
 しかし、いくら何でも21年は長すぎた。
 今、私は、21年留守をしている内に朽ちてしまった秋谷の家を建て直している。
 8月末に出来上がるはずだ。
 これからは、軸足を日本へ戻したいと考えている。
 もう、帰って来なくていいよ、なんて言う人がいるかも知れないが、やはり、日本で最後の10年間は活動したい。
 せっかく膝の人工関節の手術が上手く行って、痛みを感ずることなく、あちこち歩き回れるようになったのだから、酒量を抑え、勉強に精を出し、残る年月を充実させるのだ。
 20日は、次女が忙しくて、作れなかったからと言って、昨日、21周年記念のイチジクのタルトを作ってくれた。(写真はクリックすると大きくなります)

イチジクのタルト1 イチジクのタルト2

 イチジクにも皮が緑色の物と、濃い紫色の物があるが、これは緑色の方を使ってある。
 ケーキに使うには、緑色の皮の物の方が綺麗だし、美味しいようだ。
 ケーキの味は、次女の作る物だから、申し分ない。
 早く、獣医なんかやめて、お菓子屋になってくれないかしら。

 ところで、今日久しぶりに、中江兆民の「一年有半」と「続一年有半」を読み返した。
 中江兆民については、若い人は知らないかも知れないが、百科事典など引いてその人となりを調べて欲しい。
 明治年間において、自由民権運動に挺身した、かなり先進的で、先鋭な思想を持った人間で私の好きな人間の一人だ。

「一年有半」というのは、1901年4月に喉頭ガンが発見され、余命1年半と医者に言われ、それなら残り1年半思い切り生きようと、社会評論、人物評、人形浄瑠璃観劇の感想、文学上の感想など、思っていることを徹底的に書き込んだ物である。

 私が持っているのは、岩波文庫で、井田進也氏の解説註釈付きのものである。
 井田進也氏については、福沢諭吉についての評価などで、色々問題があると思っているが、もともと中江兆民が専門家だから、この本の註釈などは間違いない物と信じることにする。
 とにかく、明治時代の知識人の学識たるや、すさまじい物で、中江兆民はフランス語と漢文学の両方を自由に扱う。当然、古今東西の思想に通じている。
 したがって、井田進也氏が註釈を付けておいてくれなかったら、正直に言って私などは、手も足も出ない。

「一年有半」も凄いが、それからさらに書いた「続一年有半」がもっと凄い。
 その内容は
「霊魂の不滅はない」
「精神は肉体が死ぬと同時に死滅する」
「神は一切存在しない。多神教の神も、一神教の神も存在しない」
「造物主なども存在しない」
「時間も空間も、始めもなければ終わりもない」
などである。
 1901年4月に寿命後1年半と言われて「一年有半」を書き、まだ死なないからと言って、「続一年有半」を書くその根性もすさまじいが、その内容も徹底している。
 110年前の水準の物理学では最先端の知識を有し、透徹した理論で、全てをしっかり認識し、納得し、自分の死を平然と迎えていのだ。

 1901年の12月13日になくなったのだが、11月29日にどこかの坊主がちん入して、病気克服の加持祈祷をしようとしたら、兆民は、喉頭ガンで口がきけないので会話の際に使っていた石版を坊主に投げつける仕草をしたという。実際に投げる力は失われていたのだろう。
 死のぎりぎりまで、ここまで明確に自分の意志を保ち続けた兆民という人間は並の人間ではない。

 おうおうにして、有名な作家などが、死ぬ直前になって、キリスト教の洗礼を受けた、などと聞いて鼻白む事が多いが、中江兆民はそのような弱い心の持ち主ではなかった。
 日頃どんな強がりを言っていても、死が迫ってくると、宗教にすがってしまう人が少なくない。
 それまでの、言説や生き方から外れてしまうので、作家の場合など、それまでの読者はだまされたような感じがする物だ。

 人間は誰でも死ぬのはいやだ。怖い。
 何が怖いと言って、この自分という存在が、消え果て、自分自身が今持っている自分という意識が消えてしまうと言うことが怖い。
 中江兆民のように、喉頭ガンを宣告され、しかもそのガンが日に日に大きくなり、ついには、気管切開をしなければ呼吸が出来なくなるまで追いつめられたら、私のような人間はめそめそ嘆いたり、あるいは霊魂不滅を信じて自分を慰めたり、さらには、今は宗教は信じられない、などと言っているが、その時になったら心弱り何か宗教にすがったりするかもしれない。

 中江兆民は次のように言っている。
(以後、引用する兆民の言葉は、原文は明治の文語体なので、若い読者のことを考えて私が現代語で要約している。)

「精神は本体ではない。本体は、この肉体である。精神は肉体の働き、すなわち作用である。肉体が滅びれば精神は即時に滅びるのである。それは実に情けない説ではないか。情けなくても、真理ならば仕方がないではないか。哲学の目的は人の心を慰めるための物ではない。たとえ、殺風景なことであっても、自己の推理力が満足しないことは言えないではないか」
「精神と肉体は、炎と薪のような物で、薪が燃え尽きれば炎が消えるように、肉体が滅びれば精神も消え果てる」

「世界は神が作ったと言う説があるが、それではその神というのは世界のどこにいるのか。人間は神の形に似て作られたと言う説があるが、それでは、その顔の大きさ、体の大きさはどれだけなのか。
宗教家は神が色々なところに現れたと言っているが、それは、その宗教の仲間内だけの話で、信じるに足らない」

「ナポレオン、豊臣秀吉も死ねばその体を構成していた元素は、あちこちに散って、虫の体や、鳥や獣の体を構成する物になるか、地中に吸収されて人参大根の栄養になって、誰か他の人に食べられるかも知れない。
 人は死ねば、その体はバラバラになるが、その体を作っていた元素は不滅である。
 しかし、体の作用である精神は消え去る。
 だから、天国を望むこともなく、地獄を恐れることもない。
 また、二度と再び人体を受けてこの世に生まれ出るはずもない。この世で自分の命を継ぐ物は自分の子供だけである」

 死を目の前にして、これだけのことを言える精神は強靱である。

 余命1年半と言われたが、4月に喉頭ガンの宣告を受けて、12月には亡くなってしまったので、実際は8カ月しか、生きられなかった。
 しかし、その8ヶ月の間に、浄瑠璃を楽しみ、美味しい物を楽しみ、妻と冗談を言って笑い合い、実に、堂々たる最後だった。
 兆民はこうも言っている。

「70、80まで生きると、人は長寿だという。しかし、人の死後は無限に続くのだ。50年生きても、80年生きても、その後の無限の時とは比較にはならない」

 まさにその通りだ。
 人は如何に深く生きるかだ。
 脳髄が死んで精神が消滅するまで、いかに、全力で楽しみ、勉強をし、楽しむかだ。
 そこに、虚無ではない、本当に豊かな人間の生き方がある。
 ぜひ、一度「一年有半・続一年有半」を読んで頂きたい。

雁屋 哲

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