雁屋哲の今日もまた

2008-05-20

今日は、我が家の記念日

〈「子育て記」に「第一章 その1」を掲載しました〉

 今日、5月20日は我が家の記念日だ。
 何の記念日かというと、我々は1988年の5月20日にオーストラリアに引っ越して来た。その記念日だ。
 オーストラリア進攻20周年記念日というわけだ。
 月日が経つのは早いと言うが、そんな言葉では言い表せないほど、この二十年間を短く感じる。
 本当に二十年も経ってしまったのか。
 信じられないような思いである。

 最初から、こんなに長く住むつもりは毛頭なかった。二、三年のつもりだったのだ。
「シドニー子育て記」を読んでいただけばお分かり頂けるが、そもそも、シドニーに来たのは、私の子供たちを日本の教育制度から引っぺがすのが目的だった。日本の社会では、良い大学を出て良い会社、あるいは官公庁に勤めたり、医者や学者になったり、良い勤め先に収まるのが一番価値のある事とされている。
 とにかく良い大学を出ることが成功の第一条件とされている。
 そのために、中学から、高校、大学まで、入学試験が厳しく、学校教育とはすなわち受験教育となってしまっている。
 勉強の目的は、良い中学校、良い高校、良い大学に入る為であり、その道から外れると「落ちこぼれ」などと言って馬鹿にし、馬鹿にされる方はひどい劣等感に苛まれる。
「子育て記」にも書いてあるが、私自身、中学、高校と、受験のことしか考えてはいけないと言う学校で砂を噛むような思いを味わってきて、こんな中学、高校時代を過ごさなければならないとしたら、二度と生まれて来たくない、と思い続けてきた。その思いは強烈で、今でも、中学、高校時代のことを考えると、身体の芯を焼かれるような苦しさを感じる。
 小学校と大学の同級生たちとは今でも親しくつき合っているが、中学、高校の同級会など絶対に行かない。当時のことを思い出すのも厭なのだ。
 だから、私は、私の味わったような、愚劣な受験一辺倒の教育を自分の子供たちに味わわせたくなかった。
 それより何より、私は「良い大学、良い勤め先」と言う日本の社会の支配的な価値観を受け入れられず、そんな価値観に自分の子供を染め上げたくないと思った。(この、「良い」と言うのは、本当の意味で人間としての価値が有って良いのかどうかと言うことではなく、社会的に地位が高いと認められているということである。そして、この社会的地位という物ほど嫌らしい物はない)
 では、どうすれば良いか。
 一旦日本の教育制度から引っぺがしてやらなければならないと考えた。
 だが、日本にいてはこのまま引きずられる。ひっぺがす為には一旦海外に飛び出すしかない。
 一旦日本の教育制度から引っぺがしてやれば、二、三年経って帰って来ても、もう、良い中学、良い高校、良い大学、良い勤め先、というはしご段を昇ることは出来ない。
 そう言う、決まり切った生き方はできない。
 その代わり、子供たちそれぞれの個性にあった生き方を見いだすような教育を与え、自分自身の価値観を作り出して、それに従って生きて行けるように導いてやろうと考えた。
 十八くらいになって、大学に行きたいと思ったら、その時は大学受験の準備をすればよいし、本心から何かつきたい職業を見つければ、そのための勉強をすれば良い。
 そう考えて、オーストラリアにとりあえず、二、三年住むつもりで引っ越して来た。
 ところが、なんと言うことか、あっという間に二十年過ぎてしまい、いまだにシドニーで暮らしている。

 こんな事になったのは、シドニーで、グレネオンというシュタイナー・スクールを見つけてしまったからだ。
 この辺のことは「子育て記」を読んで頂いた方が良いが(現在、「前書き」と、「第一章 その1」まで、掲載していますが、引き続いて、第一章の続き、第二章と、掲載します)、簡単に言うと、私達が結婚してすぐ後、1975年に、子安美智子さんの書いた「ミュンヘンの小学生」と言う本が評判を呼んだ。これは、子安美智子さんがご自分のお嬢さんをミュンヘンのシュタイナー・スクールに入れた時の経験をまとめた物で、この本で私達日本人は、シュタイナー教育という物の存在を知った。
 私も連れ合いもこの本を読んでシュタイナー教育の素晴らしさに感動し、「自分たちにも子供が出来たらシュタイナー学校に入れたいね」と話し合った。
 しかし、私の子供たちが小学校に入る頃までに日本にシュタイナー・スクールは存在しなかった。
 私たちは受験させてまで私立の小学校に入れるのは厭だったので、近くの公立の小学校に子供たちを入れた。だが、長男・長女(双子です)が小学校の高学年になった時に、私は、このままでは私の子供たちも私の味わったような競争、競争に明け暮れる受験勉強の鎖につながれてしまう、という現実が目の前に迫ってきていることに震え上がり、色々検討した結果、オーストラリアを選んで逃げ出してきたのだ。

 最初から、日本の教育制度、日本の支配的な価値観から子供たちを引きはがすのが目的であって、日本から引きはがす意図は全く持って居らず、二、三年経ったら日本へ帰るつもりだった。
 ところが、ひょんな事から、シドニーにグレネオンというシュタイナー・スクールがあることを知り、私と連れ合いは、驚き、喜んで、家の子供たち四人全部をグレネオンに入れてしまった。
 さあ、それが、最初の計画が狂った全ての原因だ。
 グレネオンに子供たちを入れてしまったばかりに、シドニーから動けなくなってしまったのだ。

 この続きは、また明日。

雁屋 哲

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