雁屋哲の今日もまた

2008-06-20

イスラエルで その1

 一昨日、小学校の同級生の「お」君から、この「日記」で私が以前から出している宿題「パレスティナ問題」についての彼の回答が送られて来た。
 私がそもそも、パレスティナ問題を真剣に考えるようになったのは、去年「お」君にイスラエルに連れて行ってもらったことがきっかけだ。

 私達小学校の同級生は仲が良く、毎年何回も集ってただなんとなくわいわい騒いで楽しんでいる。
 六十過ぎているのだが、みんなが集ると突然時計の針が五十年逆転して、小学生の時に戻ってしまい、互いに「〜ちゃん」「〜くん」などと呼び合い、お喋りに時を忘れる。最高に楽しい時間である。

 数年前に、「お」君が、写真を載せられる掲示板を作ってくれて、大変に便利になった。みんなが集まったときの写真を載せ、同時に色々お喋りをする欄がある。このおかげで、集まりの時の連絡などが素早く円滑に行くようになって、われわれの同級会はますます上手く行くようになった。

 所が、世の中には悪い奴がいるもので、その掲示板にはパスワードが掛からないようになっていたために、勝手に侵入してきて我々の写真を盗んだ。
 盗むだけならまだしも、「お」くんと、我らがマドンナ「い」さんが並んだ写真をなんと中年向きの出会い系サイトの広告用に使いやがったのである。
 ある時、私が東京のホテルに滞在していることがあって、同級会が終わった後に何人かが私を部屋まで送ってきてくれた。ホテルの部屋には十分な椅子が無く、「お」くんと「い」さんは並んでベッドに腰をかけた。私達は何の気なしに記念写真を撮った。

 悪党は、その写真を盗んで出会い系サイトの宣伝に使いやがったのである。
 中年の渋い男と、いい女が並んでベッドに座っている。我々は考えもしなかったが、それだけ見れば、中年向け出会い系サイトにはもってこいだろう。
「お」君の友人がそれを発見して「お」君に知らせてくれた。
 それで、恐れをなして、パスワードをかけて外部の者が入れない掲示板に移った。
 その、我々のサイトを管理している人間が、「凄い使用量だ」と驚くほど我々は掲示板を活用して楽しんでいる。
 小学校の同級生同士仲が良いのが我々の自慢の種である。

 その「お」くんが、2007年に親族が揃ってイスラエルに行くのでその団体に参加しないかと誘ってくれた。
 私は、以前からイスラエルには興味があったが、なかなか単独では行く弾みがつかない。
 既に膝の具合が非常に悪かったのでためらったのだが、「お」くんが、車椅子に乗せてでも連れて行ってやると熱心に誘ってくれたので、連れ合いと二人で参加した。
 私は、クラッチ(手で横木を掴み、肘で支える西洋風の杖)を両方につかなければならなかったが、この機会を逃してなるものかと己に鞭打って参加させてもらった。

「お」くんの親族は神道関係者ばかりで、現役の神主さんも何人か居られた。
「お」くん自身、ずっと銀行勤めだったが神主の資格を持っている。
 その様な立派な人達に私のような下品な人間がまじるのは気が引けたが、小学校の同級生が誘ってくれたんだからと、ずうずうしく居直った。

 この、イスラエル旅行は私の人生の中でも非常に大きな意味を持つものとなった。
 イスラエルを見て歩いて、私はそれまで漠然と理解していた旧約聖書をはっきりと生々しく掴むことが出来た。
 砂漠と岩山、乾いた荒野、所々に点在するオアシス、それが私の見たイスラエルの土地だ。
 旧約聖書で神はモーセにカナンの地を「乳と蜜の流れる土地」と言っている。
 一体、このどこが「乳流れ、蜜流れる地」なんだ、私は呆気にとられた。
 イスラエルの土地は近年になってこんな風に乾いたわけではなく、旧約聖書の頃から変わらぬ風土だったと言う。
 確かにオアシスの周りにはナツメヤシの木などが生えて緑がある。
 しかし、それ以外は荒れ野である。

 勿論、昔から小麦など取れたからパンも作ることが出来たわけで、市場に行けば野菜も豊富に売られているから畑もちゃんあるのだろう。
 しかし、緑豊かな山河の姿に慣れた我々日本人から見れば、厳しい荒れ野である。
 どうして、こんな土地を、ユダヤ人とアラブ人が争い合うのか分からない。
 こういう風土では、羊を飼って羊に草を食べさせ、その羊を人間が利用するのは非常に重要な生きる術なのだ。
 私は聖書でやたらと羊に関する記述が多いのを、不思議に思っていたが現実にこの地では昔から羊に頼って人々が生きていたことを実感し、聖書に羊があちこちに登場する意味が分かった。
「神の仔羊」などと言う言葉も、この土地の特性に由来するのだ。

 旧約聖書の神は極めて恐ろしい。
 ユダヤ人たちが少しでも、偶像を崇拝したり、他の神に心を移したり、その気配を示したりするだけで、途方もない罰を加える。
 信仰を試すために、アブラハムにその息子イサクを生け贄にしろと命じたり、善良なるヨブの信仰を試すために、ヨブに信じられないような残酷な試練を課したり、エジプトから脱出してきたモーセの一行の多くが仲々約束の地カナンに到達出来ず、ろくな食べ物もないと文句を言ったからと怒って、彼らは死ぬまでカナンの地に入れない荒れ野で死なせると言う。モーセ自身、カナンの地に入れずに死ぬのである。
 旧約聖書の「エゼキエル書」と来た日には、神の教えを守らなかったユダヤ人たちをこれでもか、これでもか、と痛め付ける残酷きわまりない神の姿を記している。

 神の教えに少しでも背いたり、戒律を守らなかったら、激しい罰を加えられる。
 全く血も涙もない神だと私達日本人には思える。
 その様な厳しい宗教が生まれたのも、この厳しい風土故なのかと私は、イスラエルの地に立って初めて全身的に理解した。

 さて、私がパレスティナ問題を真剣に考えるきっかけとなったのは、その旅行の際に見た、ある一つのものだった。
 そのある一つのものとは何か、それは、又次回に。

雁屋 哲

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