ちょこっと、ご報告
ちょこっと、ご報告。
今取りかかっているのは、このブログにも載せている「子育て記」を完成させる仕事だ。
これをまとめて、どうしても、10月中に発行したい。
そのために、必死になっているんです。
本当は、5月に出版の予定だったのが、手術で延びた。
さらに、7月、9月、と延期して、どうにもこうにも、10月に出版しないとこれから先の人生計画が全て崩れると言うところまで追い込まれた。
まだ、あと10年はがんがん突っ張っていきたいので、この辺でもたもたしていられない。
ところが、このリハビリに非常なる精力を奪われ、中々仕事がすすまない。
一つには、痛み止めのせいもある。
なにしろ、モルヒネ系だから、痛みは軽減するが、頭がボーッとなる。
ただでさえ、濁った頭が余計に濁り、働きも悪くなる。
コンピューターの前に、ボンヤリ座っていて、気がつくと時間だけが経過している、などと言うこともある。
もう一つ、ルドルフ・シュタイナーに苦労した。
私の子供たち四人は、「子育て記」を読んで頂ければ分かるが、シドニーのシュタイナー・スクールで教育した。
その、シュタイナー・スクールが最近ヨーロッパや、オーストラリアで、いわれのない中傷を受けている。
四人の子供をシュタイナー・スクールで教育した私としては、それに対して何か言わなければならない。
そのために、シュタイナーの本を何冊も丁寧に読み返さなければならなかった。
これが、想像以上に大変な作業だった。
シュタイナーの思想は、カトリックを基とした、「神秘思想」というもので、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などを到底信ずることの出来ない私にとって、自分の物として理解することは不可能であり、他人の意見として客観的に理解するのに、七転八倒した。
そんなことがあって、心身共にくたくたとなる作業が続いたが、昨夜、一つの山を乗り越えた。
心底、ほっとした。
後は一気呵成に進めることが出来ると思う。
リハビリの成果も、上向いてきた。
今まで私の人生では、何か上手く行かなくても、とにかく諦めずに懸命に努力していると、あるとき、ポッカリと風穴が開いて、そここら一気に事態が好転する、と言うことを何度か経験してきた。
もうだめだ、死ぬしかない、などと思っても、いさぎ良く諦めたりしない。
しつこく未練がましく、じたばたとあがき続ける。(蛇年生まれだからしつこいんだ)
そうすると、光が差してくるのだ。
今回も、右の脛の痛みに苦しんでいるのだが、数日前からなんだか痛みとうまく共棲できるような感じになってきた。
痛いことは相変わらず痛い。
しかし、突き刺すような強烈な痛みは、10歩いたうちの1歩くらいに感じる程度に改善されてきた。
毎日休まず続けている運動のおかげで、脚の筋肉が復活してきたのだ。
関節を入れ替えるために、必然的に、右脚の筋肉を切開かなければならない。
それも、通常より遙かに大規模な手術だったので、切開いた部分も通常の数倍だ。
当然、筋肉の力が非常に落ちていた。
それでは、脛の骨をしっかり支えられないから、脛の骨の中の人工関節の金属製の軸が安定せず、余計に痛みを発生することになる。
筋肉がついて来て、脛の骨をしっかりかためることで、痛みが和らいできたのだと思う。
このまま、医者の言うとおり、骨が成長してきて、骨の中の金属軸をしっかり押さえるようになれば、痛みは更に軽減し、最終的には(来年中には)消えるだろうという、希望が湧いてきた。
この四日ほど、家の外の道を杖一本で歩いている。
昨日は、1.5キロ強の距離を24分弱で歩いた。
2357歩。
痛いが、歩ける。
非常に自信がついた。
家の中では、すでに杖一本だけで過ごせるようになった。
書斎の中では、ここ数日、杖もつかず、自力で動くように努めている。
これは、やはり痛いのだが、痛さを押え付けて訓練しなければ、痛さが消えないのだから仕方がない。
だが、一気に回復してきた自信の力は大きい。
私はえらい!よく頑張っている!
体が弱くてくよくよしている人、私を見習いなさい!
てなわけで、10月半ばには、勇気凛々、日本へ行くぞ。
「美味しんぼ」の「日本全県味巡り」の取材をするのだ。
今度の「日本全県味巡り」は和歌山県を襲撃してみたいと思う。
古い文化を持つ県なのだが、意外に地味だ。
こう言う地味な県には何か、隠された大きな宝がある。
その宝を見つけるのが楽しみだ。
で、今日はこれから、プールでハイドロ・セラピーだ。
さあ、老人の煮込み鍋の中で、頑張ってくるぞ。
「日記」の本格再開は、仕事が、もう一山越えてから。
ま、その間にちょくちょく、こうやって顔を出しますから、見逃さないでね。