ご無沙汰しました
ずいぶんご無沙汰してしまった。
とにかく、今スピリッツに連載中の「美味しんぼ」「環境問題篇その2」にすっかり時間とエネルギーを取られて、ブログに書き込む余裕が仲々取れないのだ。
環境問題は、色々取材して回ったのだが、いざ、漫画に書くとなると、取材したこと、書きたいことの百分の一も書けない。
それも、当然のことで、「美味しんぼ」はあくまでも漫画であって、漫画の場で問題解決の提案などすることは出来ない。
このような問題が起こっています、と言うことを読者に伝えて、問題提起をすることが役目だ。
そう割り切れば、いいのだが、それでも、その問題の取捨選択が難しい。
ページ数を幾ら使っても良いと言うのなら別だが、週刊誌には割り当てられた紙数がある。
このブログをご覧の読者諸姉諸兄には良くお分かり頂けると思うが、私は、長々とたっぷり書く性質である。
短く書くのは苦手である。
実は、物を必要以上に長く書き込まず短く書くことは大変な技術を要することなのである。
それについては、「美味しんぼ」を始めるときに、自分に課したことが二つある。
(このことは前にも書いた覚えがあるが、くどいのは私の性分なので、また書きます)
一つは、「読み切り形式にすること」
と言うのは、それまで私の描いてきた劇画は、連続物の大河方式とでも言う物で、次回も読者をして読ませようという気にさせるための「引き」を毎回最後に作る。
読者はその「引き」が気になって、つい次回も読もうと言う気になってしまう(のではないかと、書く方は期待しているが、必ずしもその策が上手く行くわけではない)。
しかしこれは、作劇術しては、少なくとも私には安易なように思えた。ちょっと話が苦しくなって上手く動かない、などと言うときに、思い切って派手な引きを作って、その週を乗切り次週で何とか形を作る、何てことも出来るのである。
しかし、毎回読み切りだとそうは行かない。毎回20頁内外で起承転結をきっちりと収めなければならない。
これはかなり難しい。
実は、劇画原作の大先輩、と言うより、劇画原作の創始者の一人である小池一夫先生(もう一人は、梶原一騎先生)はこの読み切り連載が非常に巧みである。
「子連れ狼」にせよ、「ゴルゴ13」にしろ、読み切り連載の醍醐味を味わわせてくれる。(「ゴルゴ13」は小池一夫先生が作ったキャラクターだと言うことを知らない人が多い。初期の「ゴルゴ13」はめちゃくちゃ面白い。物語も小池一夫先生がお書きになったからだ。漫画という物は、主要キャラクターを最初にしっかり作っておけば、その後の話は誰が書いても大丈夫なのだ。その良い例が「ゴルゴ13」だ。小池一夫先生が「ゴルゴ13」を離れた後、何十人の脚本家が話を書いたか知らないが、いまだに「ゴルゴ13」は不滅の人気を誇っている)
で、私も小池一夫先生を見習って読み切り形式に挑戦しようと思ったのである。
もう一つの課題は、「人情噺にすること」。
食べ物の話は後味が良くないと困る。そこで、読んだ後気持ち良くなるように人情噺でいくことにした。
人情噺というと、インテリの人は軽蔑する。
インテリの人は暗くて絶望的な話が好きなのだ。
そんな、食べ物漫画は書きたくない。
だから最初から、インテリのゲンちゃんが何か偉そうなことを言っても、笑って聞流すことにした。
しかし、実に残念ながら、この「環境問題」に関しては、自分に課した二つの課題を二つとも破ってしまった。
現在発売中の「美味しんぼ第104巻」「環境問題その1」は9話連続だし、人情噺はない。
今連載中の「環境問題その2」も9話連続で人情噺がない。
これが辛い。
しかし、自分で設定した二つの課題を破ってまでも、私は、「環境問題」について、読者諸姉諸兄が考えるきっかけを作りたいと思ったのだ。
そんなこんなで、苦戦の日々が続いている。
この一ヶ月、外に出たのは、編集者との打ち合わせで一度か二度だけである。
土竜のように、書斎に閉じこもっている哀れな日々である。
(土竜と言えば、スピリッツに連載中の「土竜の唄」いいねえ!最高!是非読んで下さい。
スピリッツでもう一つ私の愛読していた「アフロ田中」がなんと、オーストラリアに行ってしまった。編集者に、田中が、シドニーで私とビールを飲む場面を入れるように強要しよう。さもなかったら殺す!)
前回は全然釣りに行けなかったが、今回は絶対に、岸壁からのルアーづりを、物にするぞ。
ところで、「美味しんぼ第104巻」買ってくださいね。
日本の環境を守るために。(なんて、格好付けちゃって。売れなきゃ出版社も私もとても困る、と言う理由 が大きい。と、ほ、ほ、ほ。)