雁屋哲の今日もまた

2009-08-17

禁酒と鬱

 先月の13日から、禁酒を始めた。その間、1度だけ、お呼ばれでどうしても飲まなければならないことがあり、禁を破ってしまったが、その1日を除いて、もう1カ月以上1滴も酒を飲んでいない。
 先週、寿司を食べに行った。そこの店主の腕前は見事で、日本で店を開いても高く評価されると私は思っている。
 魚、エビ、貝、など極上の物をそろえてくれて、わさびもタスマニア産の新鮮なわさびで、有り難かった。(オーストラリア人は、実に、はしっこくて油断がならない。オーストラリア人がわさびを栽培するとは信じられなかった。今、シドニーではインターネットで、タスマニア産のわさびが買えるのだ)
 子供たちはそれぞれ忙しいので、家族そろって何処かに食べに行くとなると、日時の調整が大変で、時には「今回自分は抜ける」などと言う者も出て来るのだが、この寿司屋に行くとなると、全員真剣に日時の調整に励む。この寿司屋に行くのは、私達にとって特別のことなのだ。
 そんなに美味しい寿司を食べるのに、私は1滴も酒を飲まなかった。
 浅草の美家古寿司の店主は、自分が酒を飲まないものだから、「寿司はお茶を飲みながら食べるのが本当だ」などと無茶を言うが、私は大学生になって以来、酒を飲まずに寿司を食べたことはない。当然、美家古寿司でも、店主が「酒なんか飲んだら、寿司の味が分からなくなっちゃう」などと文句を言うのを聞き流しながら酒を飲む。(店主はそう言うくせに、店に酒樽をでんと置いてあるのはどう言う了見なんだか)
 その私が、寿司を食べるのに酒を飲まなかったのだ。
 この数十年間記憶にないことだ。
 我ながら、意志の固さに驚いた。

 私は毎年1ヶ月か2ヶ月、酒を飲まない時期を作る。
 それは、私が決してアルコール中毒でもなければアルコール依存症でもないことを、確かめるためだ。
 私は酒が大好きなのだが、毎日ぐでぐで酔っぱらう日々が続くと、自己嫌悪に陥る。自分がだらしのない情けない人間であることをしみじみと自覚して、自分で自分がいやになるのである。酒をしこたま飲んだ後、鏡をのぞいて、そこに、だらしない酔っぱらいの顔を見付けると、本当に醜悪だと思う。
 その自己嫌悪が重なると、酒を止めようと思う。
 良く、休肝日と称して、週に1日か2日、酒を飲まない日を作ろう、などと医者は言うが、私はそのような卑怯なまねは出来ない。
 飲むなら毎日しっかり飲み続ける。止めるなら、週に1日とか2日などではなく、すっぱりと1カ月2カ月断つ。
 大体、酒を飲めば肝臓に負担がかかるのは当たり前で、肝臓を休めるために週に2日くらい休もう、なんてのは酒飲みとしての覚悟が出来ていない。
 自分の精神がだらけるのを見るのがいやだから禁酒すると言うのと、肝臓が悪くなるのを恐れて禁酒すると言うのとでは、禁酒の意味が違うと思うんだが、まあ、これも酔っぱらいの自己自賛ってやつかな。
 去年は3月に膝の関節を人工関節に入れ替える手術をしたので、10月まで酒を飲まなかった。
 10月から飲酒を再開して、ぶっ通しに7月12日まで飲み続けた。
 6月に入ってから、毎晩どろどろ酔っぱらっている自分がいやになった。
 しかも、定期点検で血液検査をしたら、生まれて初めて肝臓のγGTPの値が、正常値を大幅に超えていた。
 良く、1日3合だかの酒を10年間飲み続けると肝硬変になり、肝臓ガンになるという。それなら、私はとっくに肝硬変になっていなければならないはずだ。
 40になるまでの私は、朝起きてまず2合(これは、連れ合いに隠れて飲む。連れ合いは私が酒を飲んだからと言って文句を言うような人間ではないが、私自身朝から酒を飲むところを見られるのが恥ずかしいと言う気持ちがある)、昼はもう大っぴらに2合、夜は最低で7合、合わせると毎日最低で1升1合飲んでいた。
 それで、週刊誌2本、隔週誌2本、月刊誌1本の連載を抱えており、一本も原稿を落としたことはなかった。
 40になってすぐに、医者の誤診で慢性膵炎と言われ、このまま酒を飲み続けると死ぬと脅かされ、二番目の娘が生まれたばかりだったので、それでは親として無責任だと思い。酒を断った。
 1年6カ月後に、運良く、誤診と判明して、酒を飲み始めたが、流石に酒量は落ちた。
 しかし、シドニーに来て、何かの拍子に医者にどのくらい酒を飲むかと聞かれることが何度かあって、その度に正直に言うと驚かれるので、少なめに申告することにした。
 毎晩ワイン1本くらいなら、文句は言わないだろうと思って、そう申告すると、どの医者も「それは小瓶か」とたずねるから、「いや、大瓶だ」と答えると、「それは、多すぎる。毎晩飲むならグラスに1杯か2杯にしろ」と言う。
 私にとって、ワインを1杯や2杯飲むなら、むしろ何も飲まない方が良い。
 フランス料理を食べに行くと、まず食前にシャンパン、キールなどを飲み、それから白1本と赤1本ずつ、食後にカルバドス、コニャック、グラッパ、あるいはポート・ワインなどを1、2杯飲む。
 毎日の晩酌はもっと簡単である。連れ合いに教えて貰ったが、私は1カ月に基本的に750ミリリットル入りのウィスキーを1ケース(12本)飲むそうである。(客があったりすると、それを口実にもっと飲むことになる。)
 私は、連れ合いに、「オーストラリアのウィスキーはアルコール度が40度だ。日本ではウィスキーは42度。オーストラリアの方が2度低い」と言ったら、「たった2度の違いに何か意味があるの」と笑われてしまった。
 これが、ワインだと1本では足らず、追加でウィスキーや焼酎を2杯は飲む。私の1杯は、ウィスキーなら80CCに常温の水80CC、焼酎なら、150CCに常温の水25CC、氷はなし、が決まりである。
 大した酒量とは思わないが、医者に言わせれば、多いらしい。
 それくらいの酒をずっと飲んでいて、肝臓は全く異常が無く、私は自分の肝臓は鋼鉄製だ、と自慢していたが、やはり私も生身の人間であることを今回γGTPの値が正常値を超えたことで悟った。
(ただ、これは、アルコールのせいではなく、手術後長い間、最近まで、色々と強い薬を飲み続けたからだと思う。)
 しかし、肝臓の数値が悪くなったから酒を止めるというのも実に卑怯だ。
 とはいえ、そろそろ毎年恒例の禁酒月間を設けても良い頃だ。
 そこで、検査をしてから1月くらい経って、その頃日本から来たお客が帰るのを機会に禁酒することにした。お客がいるのに、私が酒を飲まないなどと言う失礼なことはできない。(という具合に、酒飲みは酒を飲まなければならない理由を、幾らでもこしらえることが出来るのである)
 お客が帰ったのが7月13日の朝。その夜から禁酒を始めた。

 禁酒を始めて最初の3日くらいは、実に辛い。
 飲みたくて仕方がない。それを、しのぐために、食前にまず冷たいお茶などをがぶがぶと飲み、食事が始まると、とにかく、脇目もふらず一気に食べる。
 不思議なことに、ある程度、腹に物が入ると、私の場合そんなに酒を飲みたいと思わなくなる。
 それで、酒を飲みたいという激しい欲求をやり過ごすことが出来る。
 その山を乗り越えるのが大変なのだ。
 酒飲みは酒を飲まずに食事をすると、非常に淋しくむなしく感じる。
 その切なさに耐え難くなって、一口飲んだらおしまいだ。
 あとは止めどなく飲み続けてしまう。そう言うときは、後でひどい敗北感を感じる。

 酒を飲みながら食事をすると、夕食に2時間近くかかるが、酒を飲まないと、10分もかからずに終わってしまう。
 私は自分が食べ終わると、家族に、早く食後の甘い物を食べようとせかす。
 連れ合いや子供たちは、まだ食べている最中である。
 娘は、文句を言う。「お酒を飲むお父さんに合わせて、子供の頃から2時間かけて夕食を食べるようにして来たのに、突然そんなことを言われても困るわよ」
 それも、その通りで、私は、手持ちぶさたに家族が食事を終わるのを待つことになる。
 私は酒をしっかり飲んでいても、食後の甘い物は欠かさないが、酒を飲まないと、余計に甘い物が食べたくなる。
 自分でもあきれるほど甘い物を沢山食べる。

 5日も経つと、もう酒を飲まないことが苦痛でなくなる。
 馬鹿げた話だが、酒を飲まずに夕食を終えると「勝った」という気持ちになるのである。
 1カ月も経つと、もうまるで酒を飲みたいと思わなくなる。むしろ、酒を飲むのがいやだ、と思うようになってくる。
 これが、実に我ながら奇怪だ。

 酒を飲んでアルコールが効き始めた瞬間、ふわっ、といい気持ちになる。心が軽くなるように思うのである。
 もっと飲めば、もっと良い気持ちになるのではないかと思って更に飲む。ところが、アルコールが効き始めた瞬間の、ふわっ、としたあの感じは戻ってこない。ただ、でろでろ、酔いが深くなるだけである。
 そして、酔いが覚めてくると、じわじわと心が落ち込んでいく。
 翌朝の目覚めは最低である。
 目が覚めた瞬間、部屋中の空気が鉛になってしまっているように感じる。
 アルコールは、薬物で言うと、Downer(気持ちをダウンさせるもの)系の働きをするそうだが、正にその通り。
 鬱病にアルコールは良くない。

 今年のシドニーの天候は最低で6月7月は雨ばかり降って、それがてきめんに私の精神に悪影響を及ぼし、死んでしまいたくなるほど鬱が進行した。
 ところが、酒を止めて、2週間ほど経ったある朝、いつもより目覚めの気分が軽いのに気がついた。8月に入って天候が好転したこともある。
 目覚めた瞬間鬱にのしかかられる、と言うことがない。
 なんだろう、これは。
 鬱が晴れていくのだろうか。

 2004年に鬱病に陥って以来、禁酒したことは何度かあるが、こんな気持ちになったことはない。
 どうしたことだろう。
 なんだか、暗闇から一条の光が差し込んできたような気がするのだ。
 連れ合いと娘たちと、日曜日の市場に出かける気分にもなってきた。
 このまま、鬱から抜け出していくことが出来るのだろうか。
 であれば、これは、うれしい。

 しかし、困ったな。
 酒を再開するのが怖くなってきた。
 飲んだら、また鬱がひどくなるのだろうか。
 今差し込んでいる一条の光も消えてしまうのだろうか。
 酒を飲むと、天から下がって来ている救いの蜘蛛の糸が切れてしまうのだろうか。

 9月に日本へ戻るが、父の13回忌など、行けば人との集まりが沢山ある。その度に結局酒を飲まなければならなくなる。
 酒を飲みつつ、鬱から自分を解放する道を探さなければならないな。実に苦しいところである。

雁屋 哲

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